224話 それぞれの任務
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【山城国/比叡山延暦寺 隠し通路】
「では半兵衛(竹中重治)には於の……斎藤殿の説得及び、援軍の使い方を任せる。斎藤殿の出陣はともかく、三好に興福寺の残党を片付けられるのはマズイかもしれん。そのまま延暦寺の攻撃に移るかもしれんからな。斎藤殿の厚意だけ受け取り、他の武将と共に残党の横腹を急襲せよ!」
今更、知恵者の竹中重治に戦略の説明は必要ない。
何なら『朽木に行け』と命じただけで全て理解するだろう。
だが、そこには全てを台無しにする活躍の可能性を秘めた、いや、極めた戯けがいる。
無論、斎藤帰蝶の事である。
戯けと言っても、強さも知略も指揮も戦略眼も認めている。
何なら誰よりも頼もしい妻だ。
通常なら、この戦いの鍵を握る存在になりえる。
だが、今は身重の体。
前線に出て槍を振り、一騎打ちなどするはずが無い――と断言できないのが信長の悩み。
『じっとしとれ!』
と言いたいのは山々だが、妻に命令できでも、斎藤家には命令できない。
信長は『厚意だけ』を殊更強調して伝えた。
その強調は重治をして命の危機を感じる言葉だった。
一応、約定により斎藤家にお願いをはしても、命令はしない織田家のハズだが、夫婦間の問題は別だ。
失敗したら命が無い(ハズは無いが)、そのつもりで帰蝶を説得せねば、絶対出陣する主君なのは知っている。
「はッ! この竹中半兵衛重治、身命を賭して任務を遂行してまいります!!」
重治は騎馬で駆け出し、見る見る内に米粒大になった。
「……」
信長は振り向いて背後の家臣に聞いた。
「ちょっと可哀想な事を命じてしまったかな……?」
重治の余りの悲壮な覚悟に、信長も少々感情的になりすぎたと反省した。
「ま、まぁ大丈夫でしょう。半兵衛もまだ若輩者。こう言う事もあると学べた良い機会かと存じます」
光秀が精一杯フォローした。
秀吉には劣るが、光秀も前々世では信長のフォローをしてきた。
史実でも延暦寺の対応に悩んだ信長に、焼き討ちを提案し背中を押したのは光秀とも言われている。
だから、並み居る譜代家臣を押しのけて、外様の身分で、信長家臣で最初の城持ち大名になったのだ。
「斎藤家も大変ですな……」
勝家が若干失言気味だが、確かな事実を言った。
信長が若いころは『うつけ行為』で散々悩まされた織田家臣団だが、『うつけ策』だったと知れた以上、もう何も悩むことは無い。
だが斎藤家だけは、前の歴史にも存在しない、唯一無二の女大名にして、最前線でも戦えるじゃじゃ馬大名だ。
信長がうつけていた頃の織田家と違い、今後も心身の疲労が蓄積していくのが斎藤家だ。
「……一度、斎藤家の家臣を労う宴でも開くか。これは夫としての責任も兼ねて」
かつて、己のうつけ策に巻き込んで、平手政秀を諌死させてしまった信長である。
今後の斎藤家を思うと、申し訳ない気持ちが膨れ上がる。
帰蝶が龍興から次期後継者指名を受けた時は、こんな事になるとは思わなかった。(162~163話参照)
いや、何となく心の奥底では『荒れる』とは思っていた。
兄弟の反発や、家臣の離脱、民の動揺などあり得ると思った。
だが、そうはならなかった。
ただ、こうなってしまった。
帰蝶は当初散々反対したのに、今やこのザマだ。
「そ、そうですな」
「あ、ありがとうございます」
勝家もそうすべきと思っており、光秀も、信長が主宰の慰労会なら、斎藤家のガス抜きにもなると判断した。
「よし。今回の一件が片付いたら、織田家総出で接待するか」
「誰も反対しますまい。特に濃姫様に訓練として挑まれ続けた者は。……遠藤殿とか」
勝家含めた猛者達は、帰蝶の格好の訓練相手だった。
今思えば、それは『帰蝶に勝ってしまった』致命的失敗が原因でもある。
己が成長するには強者に挑むのが最大の近道。
その被害者は、帰蝶が斎藤家の当主になるまで、信長含め織田家の家臣だった。
しかも、強いのはよりによって忙しい重臣クラス。
信長達も負けて解放された方がマシと思っていたが、プライドがそれを許さない。
本来の意味と文字が違う、字面通りの無限地獄だった。(本当の地獄の名は無間地獄)
その任務から解放され、今は主に遠藤直経が被害者だ。
なお10歳の帰蝶と互角の戦いを強いられた稲葉良通は、領地の運営を理由に、今龍城に帰蝶が来てしまった時だけ相手をしている。
こちらはこちらで、年齢的に全盛期を過ぎてしまったので逆に勝ちに拘り、辛うじて戦略で勝ち続けているが、いつか負ける日を望んでいる。
故に皆、心の中で、暇さえあれば相手を請け負う遠藤直経を応援し、拍手喝采で称えているのは内緒の話だ。
「接待をする為にも、この戦いを無事に終わらせねばな。さて藤吉郎」
「はッ!」
今の雑談がどんな方向に転ぶか気が気でなかった秀吉は、接待なら自分の出番だと妙なやる気を出していたのは内緒の話だが、呼ばれた瞬間頭を切り替えた。
「これは三好軍に対する書状だ。まだ同盟関係であり、お主が殺される心配は無い」
殺される心配は無い――
これが、言霊を気にしての言葉であるのは言うまでもない。
場合によっては『殺される覚悟もしろ』と言っているのだ。
もう信長は言霊を気にしないが、長年の習慣もあるし、秀吉は未来の常識を知らない。
死地かもしれない場所に送り出すのは間違いないのだから、配慮は必要だ。
勿論、秀吉程の者ならば、信長の真意は見抜いている。
「ハッ! 気を引き締めます!」
「書状の内容を伝えておこう。要約すれば『織田は延暦寺を正す。法度に従わせ、保護下に置いた。大和残党軍は叩き潰すが、三好殿が背後から突いてくれるなら連携をする』『何か必要な事があれば、この小芝(羽柴)に何なりと申しつけを』と書いてある。お主は三好軍の要望を聞き、その情報を持ち帰って来るのだ。仮に帯同を求められたなら応じよ。その場合は供の者にお主の感じた内容を委ね伝えよ」
帯同と言えば聞こえは良いが、軍目付、兼、人質だ。
三好の動向が不明な以上、これで蠱毒が終わる以上、織田は走狗だ。
役目が終わったら煮て食われるは必定。
「もしも仮にだ。三好が織田と絶縁したらこう言え。――。いいな? 生き残る為には、お主の判断で、何を約束してもいい。ワシの名代として全権限を与える。ワシはお主の判断に責任を持つ!」
「あ、ありがたき幸せ! し、しかし、然程実績のない某をソコまで信じるので!?」
「森家での出世頭であろう? それだけで信頼に値する」
無論、史実での実績込みでの判断でもある。
ただし、今はまだ史実の『羽柴秀吉』には遠く及ばない。
秀吉一世一代の大殊勲、金ヶ崎の撤退戦が発生していない以上、その代わりがコレだ。
護衛含めたった5人で、将来の敵、或いは、その瞬間から敵かもしれない軍に行くのだ。
口八丁手八丁。
持てる全てを使って情報を得て、生きて戻る。
将来の『羽柴秀吉』なら出来ると判断したのだ。
2回目の本能寺で裏切った『羽柴秀吉』だ。
この程度の胆力無くして、この先は無い。
この程度の武将で終わらしてはならない。
何なら、もう一度本能寺の変を起こす位の実力者になって貰わねばならない。
隣で心配そうにしている『明智光秀』と共に。
「は! 例え命を落としてでも情報は得て参ります!」
「戯け。生き残る為に全権限を与えたのだ。死ぬのは弱者の手段。仮に死ぬとしても最後までみっともなく足掻け。嘲笑されようが織田家に泥が掛かっても生きて帰れ。これは情報を得るよりも上位に位置する命令と心得よ」
死んで名を残すのも戦国武将。
だが、汚名を被ってでも生き残るのも戦国武将。
信長は失敗を嫌うが、挽回しない者をもっと嫌う。
死んで責任を取るなど論外と考える。
仮に切腹を命じても、何なら『逃げてみろ』と心では思っている。
これは3回目の人生による心境の変化も多少はあるが、2回目の本能寺の原因を『家臣に嫌われてる?』と当たりをつけている。(0話参照)
信長は自分でも馬鹿馬鹿しいとは思うが、人間の感情はどこでどう勘違いされるか分からない。
完璧に読み切れないし、任務に対する責任の所在と、こちらの覚悟も見せねば、戦国時代の常識として、君主失格の烙印を押されかねないのだ。
秀吉にしても光秀にしても、他の誰であっても、こちらから追放する事はあっても、見切られるのは信長として許されない。
暴君として振る舞うなど論外だ。
「では行って参ります!」
「うむ。命を大切にし任務を果たし学んで来い!」
「はッ!」
ここにいる勝家と光秀が、共に転生した仲間なら信長の変化を感じ取っただろうが、残念ながら彼らからすれば、今の信長が彼らの常識であり認識である。
しかし、過酷な命令は下しても、命の心配をしてくれる主君であるのは伝わったのか、感動している様子であった。
「よし! 我らも迎撃の援護に……どうした?」
「い、いや、何でもありません!」
「援護に参りましょう」
勝家と光秀が感動して涙を貯めていた。
秀吉も涙を目から風に乗せて飛ばしながら騎馬で疾走する。
重治は――特に何もなかったが、後の接待で帳消しにしてもらう、と信長が彼らの感情を読み取っている分けでは無いが、彼らが闘志を燃やしているのは伝わった。
仮にこのまま三好と激突しても、何とかなりそうな闘志である。
「ならばよいが……。では参るぞ! 門を守る僧兵を射らない場所まで下山し、左右に展開。あとは動きがあるまで乱射だ」
楽な任務だ。
外に出た重治と秀吉のほうが何倍も危険なのに、これから戦う織田軍の方が断然楽だ。
何せ、超武装要塞延暦寺である。
こうして内側から見ても、感心するしかない規模の要塞である。
何なら戦死するのが難しい。
仮に死ぬ場合は、足を滑らして落下した場合か。
それほどの急斜面故に、楽勝な戦に程好い緊張感を持たせてくれる。
100%生還できる戦で死ぬなど最悪だ。
「よし! 援護を開始せよ!」
一瞬延暦寺の僧兵がギョッとしたがすぐに思い出した。
織田軍を招いての防衛戦であると。
僧たちも、まさか織田軍との共闘は予想外だったのだ。
何せこの要塞は、織田対策の要塞なのに、織田を招いての防衛になるとは予想外にも程がある。
知らされても信じられなかったが、悪名はともかくとして、強さは問題ない。
これで敗残兵如きに門が破られる心配は激減したといっていいだろう。
三好が敵にならなければ――
織田軍が急斜面で緊張感を保っているなら、僧兵は動かぬ不気味な三好軍に緊張感を持っている。
こうして、史実ではあり得なかった、延暦寺と織田軍のタッグ戦が始まるのであった。
【三好家/尼子義久軍 本陣】
「殿、織田軍からの使者が来ております」
「織田? 今が延暦寺を潰す絶好機と知らせているのか? 通せ!」
今いる武将の中では最年少なのに、毛利、陶、長曾我部を従える義久。
本来の実力も実績も彼らには劣る。
しかし、背後にいる山中幸盛の鋭い眼光と合わせて、2人で1人前だが、それが妙な安定感を作り出している。
(ほう。一癖二癖、いや三癖はありそうな面倒な者達を良く纏めておる。立場が人を作るというのは本当だな)
(そうにございますな。某も見習いたい所です)
軍目付の十河一存と北条氏照が、義久の堂々とした態度に感心していた。
なお、一存は三好長慶の弟として、氏照は人質兼直臣と言う事で、総大将の尼子義久よりも立場は上だが、あくまで見届け人。
緊急なら戦うが、あくまで目付だ。
行く末を見届けるのが仕事であり、特に口出すことはしない。
すべて尼子義久の思うがままだ。
「お初にお目にかかります。拙者は小芝藤吉郎秀吉に。此度は主君、織田弾正忠からの書状を届けに参りました。中身を改めください」
秀吉が義久の側近に書状を手渡した。
その書状を義久が確認し驚愕の表情となる。
「尼子殿、何と書かれているので?」
長曾我部元親が聞いた。
毛利と陶は尼子を裏切った間柄なので、気軽に質問し難いのを見抜いての元親の配慮だ。
「織田が延暦寺と共闘している。どうやら挟み撃ちをご所望のようだ」
「ッ!?」
全員が驚いた。
もちろん、一存も氏照もだ。
彼らの戦略は、先に援軍依頼をした方の味方をする方針だった。
ならば、今回の場合は延暦寺が早かった事になる。
だが、ここに織田が関わっているのは想定していなかった。
延暦寺と結ぶはずが無い。
長慶でさえそう思っていた。
「……目付殿」
「なんでしょう?」
「想定外が起きて居るが、当初の決め事通り、先に連絡をした方の味方で構いませぬな?」
義久が一応の確認を取った。
延暦寺に織田が味方しているなら、残党軍の味方をするなど愚の骨頂だが、一応『織田諸共葬れ』の方針かもしれない確認をしておかないと、想定外の事態に勝手に動いたと長慶に報告されても困る。
言質を取るのも義久ら、今の境遇に甘んじている者達の生き残りの知恵だ。
「えぇ。予定通りで行きましょう。ここで残党軍に手を貸しても何の益もありますまい。この十河が兄上に伝えますので、遠慮なさらずに」
「承知しました。では小芝殿でしたな。我らは残党軍の背後に付く。目付として同行するかね?」
「目付とは恐れ多いですが、天下に名だたる尼子家の軍略、学ばせて頂きとうございます。……所で修理大夫様はどちらに? この一大決戦に不在なのですか?」
「それは拙者から。兄上は後方の拠点で待機しておる」
十河一存が、さも当然の様に表情一つ変えず答えた。
本当は一存も驚いた事だが、姿を現さないのも戦略だ。
蠱毒計の仕上げも、達成見込みなのだから、見届ける必要もない。
もう次の行動に移しているのは内密の話だ。
一方、まだ未熟な秀吉は、長慶の大胆不敵なのか怠慢なのか分からない行動に驚くしかない。
「そ、そうでしたか。一目、日本の副王のご尊顔を拝みたかったですが、それは次の機会に取っておきましょう。……小一郎(小芝(羽柴)秀長)お主はワシの書状を持ち殿の下に急ぎ、方針を伝えてまいれ」
「はッ!」
秀吉が護衛兼弟に伝えた。
(これで任務完了か……)
決死の覚悟だったが、拍子抜けする程、あっさりと任務が終わった。
(いや! これならこれで、このまま帯同し、三好の思惑を掴め! 何せ長慶がいないのだ! それが真の任務だ! アレも伝えなくて済んだしな)
信長が言った『三好が織田と絶縁したらこう言え。――。いいな?』は不発に終わった。
知った時の反応を見るのも手かと思ったが、知らないなら知らない方が良い。
長慶が一歩先に動いているなら、信長も秘策を隠している。
延暦寺攻防の裏での戦いは、今のところ互角だ。
秀吉は、長慶の策略の一端でも掴むべく、そのまま帯同するのであった。




