外伝65話 武田『本物』信玄
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【山城国/朝廷御所】
「御所……流石にコレは違うか」
男が壁を蹴った。
すると、当然の結果の様に土壁が崩れ、連鎖的に結構な広さが破壊された。
元々崩落しかけていた土壁に止めが刺された形だ。
「おぉ!? ワシの蹴りの威力か!?」
「本当にその威力の蹴りがあれば、この様な境遇にはなって居ないでしょう。こんなボロい壁、押しただけで倒れるでしょう。故に違います」
もう一人の男が冷静に突っ込んだ。
「フッ。そりゃそうか。で、ここじゃ無いなら御所はどこにあるんじゃ? 他にそれっぽいモノが無いぞ? 京の都……都ごと死んだか?」
2人の男は本物の武田信玄と弟の武田信繁。
息子の義信に追放され一時期は上杉家に身を寄せていたが、そこも去って、今は京の都――だったかもしれない場所にいた。
今や、京の都に訪問する一般人が居るかどうかはともかく、訪れたならば必ず『京の……都?』と言うであろう。
史実の京の都も大概酷いが、この歴史は三好長慶の蠱毒計のお陰で、京の都は御所の場所も良く分からなければ、京にしてはソコソコな建物があったとしても別人宅だったりだ。
なお、今蹴った壁が御所であるのは余談である。
六角家、興福寺、東大寺、紀伊畠山家、大和国の小勢力を押し込んだ、まさに『人種のるつぼ』ならぬ『毒虫のるつぼ』。
三好長慶が考えだし、信長が後押しし完成した、上記の毒虫を使って滅ぼしたい真の毒虫たる天皇と付き従う公家に、足利将軍家。
力が無い癖に極めて猛毒な勢力を滅ぼす為の、長慶渾身の接待だ。
『思う存分好き勝手暴れてくれ。我々は最後の勝者が決まるまで手を出さないゾ☆』
史実では三好家一強時代が続いたので思いつく事も出来なかった策だが、この歴史では東側に織田家と言う新興勢力ながら強力にして、長慶の野望に役立つ期待の新星が現れた。
お陰で東西に壁ができて、京の都は史実以上に廃墟である。
羅生門の住人も裸足で逃げ出す、毒虫達による虚無な争いが連日繰り広げられている。
『今日は、どこで誰と戦うんだっけ……?』
殆どの兵は、もう何の為に戦っているか理解していない。
『逃げながらも抵抗する興福寺に東大寺! 奴らを滅ぼせば、或いは味方につけられれば!』
そこそこ鋭い者は、山城国の支配だと思って戦っている。
『将軍は六角! しかし帝はどこだ!?』
だが指導者達の目的は違う。
天皇、あるいは将軍を見つけ出し、大義名分を得る為に戦っている、と言うより、捜索のついでに遭遇した敵勢力と戦っているに過ぎない。
しかし天皇は見つかったら最後なので隠れて潜み、将軍は六角が保護しているが、15代将軍足利義冬は最近明らかに死相が顔に出ている。
死んだ瞬間、信長が所持する書状『16代将軍は足利義輝の弟、覚慶とする』の書状が機能する事になる。
なお現状は、六角がやや有利に事を進めている。
長年京に閉じ込められた毒性は伊達ではない。
将軍が死んだら京にいる大義名分が消えるから頑張るのだ。
何も威張れる事でも無いが。
「兄上、もうこれはどう考えても、帝は京に居られないのではないでしょうか」
「そうだな。ここに住むのは甲斐よりも嫌だな」
正確な事情を知らない武田兄弟は、こんな所に人は住めないと判断した。
「完全に政治が崩壊しています。無秩序とはこの様な光景を言うのですね」
「散々クソ親父と息子に、ワシの政治を叱責されたが、これならワシの政治の方が天国じゃろう?」
「……そうですね。民が居れば、ですが」
信繁も父である信虎に政治を叱責された身だ。
信玄よりも期待された手腕を、信玄の為に使ってしまったが故の今がある、と断じられた。
信繁が『ソレならそう、と言ってくれれば良いのに!』と思ったのも後の祭りだ。
「居るのは野盗なのか軍なのか分からん者ばかりか。こうなっては京に居ても意味はない、と言うより己の身も危ない。本願寺に行こう」
顕如と信玄は義兄弟である。
ついでに細川晴元もであるが、全員公家の三条公頼の娘を娶っている。
京に来た目的は三条家の現当主三条実綱を頼ろうと思ったのだが、ここに居るとは到底思えなかった。
居るとすれば、堺の自治区か、縁者の本願寺か防備の固い延暦寺。
「兄上、堺、延暦寺の可能性は? 特に延暦寺は天皇の弟が座主ですぞ?」
「……情けないが延暦寺に伝手が無いな。本願寺に向かうしかあるまい。そこがダメでも堺自治区に三好勢力圏内が、いま日本で一番安全じゃろうて」
延暦寺は織田に近いしな――
この言葉は何とか飲み込んだ。
「それが良いでしょう。力添えを約束すれば、無下にはされますまい」
無下にはされますまい――
気休めに過ぎない言葉だ。
懐に入り込んでも本当は無下にされるのが戦国時代。
真実は使い捨てが妥当だ。
信玄自身も征服し降伏した武将を使い捨てにしてきた。(121-1話参照)
血縁外は超運が良くて侍大将、普通は、実績があっても足軽大将。
それがイヤなら、この歴史の今なら完全実力主義の織田家に行くのが一番だが、それは信玄が一番選べない選択。
一応、娘の嫁ぎ先だが、仲の良い親戚と言う訳でもない。
しかも本物を名乗る偽物が、織田家と接触しているとも聞く。
絶対に無理な相談だ。
自分が信虎を追放した時と同じ様に今川家を頼るのもあるが、今となっては織田家とズブズブなので、やはり頼り難い。
そうなると、自然と西側の勢力になってくる。
ただ、本願寺に行けば一向一揆の指揮官をやらざるを得ない。
堺自治区で傭兵をやるには、以前の身分からのプライドが邪魔をする。
三好家に行っても、よくて足軽大将か。
「あるいは尼子に行って、陶、毛利を追い返し、恩を売るのも手ですが」
「尼子が兵を貸してくれるなら、それもアリだがな……」
実はコレが一番大アリだ。
尼子は新宮党を解体し真新宮党、つまり織田家に近い専門兵士を作り上げた。
だが、陶、毛利の反乱で三好との決着を邪魔され、三好とは和睦し反乱勢力の粛清に忙しい。
故に、陶、毛利と互角に戦える指揮官武将は大歓迎だが、まだ内情を掴んでいない武田兄弟は尼子家を選択肢から外してしまった。
「無難なところから行きましょう。本願寺に行って、事情を説明して、失笑されるのが我らの仕事でありましょう」
「そうだな。笑い者になるか。事実だしな」
こうして信玄達は、尼子に加勢するという最高の1等当たり籤は逃した。
だが、本願寺は2等相当の当たり籤である事は、まだ知る由もなかった。
【摂津国/石山本願寺】
「よくぞお越しくださいました。義兄上」
顕如が深々と頭を下げるが、信玄が慌てて止める。
「お止めください! 義兄だとしても、今は流浪の身にして、義弟に頼りに来た情けない兄」
信玄が現役大名だったら絶対出てこない言葉がスラスラ出てくる。
「フフフ。苦労なさったのですね。ここまでに至る旅の間に、心のぜい肉が取れた様ですな。お2人とも。大名や武将としてはともかく、人間としての魅力は感じますぞ?」
「……そう見えますか? 某は兄上ともども甥の義信に捕らわれ、宿敵の上杉に救出され、親父殿に怒鳴られ、越後では我が宿敵斎藤帰蝶が、北条綱成と激闘を繰り広げたのを見守るしかなかった。某は羨ましくて仕方がなかった。上杉からは自由を言い渡され旅に出ましたが、ここに至るまでの世間からの疎外感が肌を刺す!」
「て、典厩……」
弟の思わぬ本心に信玄は驚いた。
本願寺にたどり着いた安心感からか、信繁は自然と涙があふれていた。
「も、申し訳ない。汚い物をお見せしました……」
信繁が袖で涙を拭った。
そんな姿を見て顕如が語る。
「良いのではないですか? お2人とも人間らしくて。今回の旅で悟りでも開かれて神仏らしくされては我ら僧侶の立つ瀬がない。フフフ。そんな貴方達にお聞きしたい。戦場に政治に戻りたいですか? それとも俗世から離れますか?」
「!」
信玄と信繁は、顕如に最終通告を出されたと取った。
プロ野球でいうなら戦力外通告。
戦力外通告と違うのは、『俗世を離れる道』という、第二の人生を提示してくれている点か。
「直ぐに答えは出さなくて結構。ここは人生の分かれ道。存分に時間を使って考えてください」
顕如はそう言って退出した。
実は顕如には顕如の思惑があった。
ただ、それを言っては意味がない。
悟りの如く、己で結論を出さねば意味がない。
顕如は退出すると、呟いた。
(北陸一向一揆も混乱と想定外の出来事はともかく、あの七里が大成長を果たし、斎藤帰蝶を圧倒したとか。北陸に限らず、まだこの混乱が続くなら武田兄弟は強力な切り札になるかもしれん)
顕如は邪悪な笑み……とは違う、難しい顔で、武田兄弟の行く末を見守る事にした。
決して『〇〇してくれ』とは頼めない。
必ず自分の意志でないと困る。
七里頼周の様に。
(さぁ、どんな答えを出すか? 或いは、想定外の答えを出すか? 楽しみですね。第二の七里頼周に化ければ或いは……)
顕如の考察はこうだ。
2人の心が整理できていないのは当然として、行き着く先は『死に場所を求める』『このまま僧侶になる』『武功を立てて返り咲く』この辺りだと思っている。
何せ武田家は戦国時代を完全に体現した、究極の圧政国家。
そこから追放され、世間を見た。
(死ぬとしても、結果的に大戦果を挙げるかもしれないな。何れにしろ考えが決まったら合わせるのも一興だな。織田が関係していると知ったら憤慨するかも知れんが……)
武田と誰かを合わせる。
信長の策ではないが、信長の要請でその人物がここにいる。
どんな化学反応が起きるかは2人次第だ。
【数日後/顕如私室】
「おや、義兄上に典厩殿。如何されました? 顔色が優れませぬな?」
2人はせっかく屋根のある快適な部屋で過ごしていたのに、来た当初より顔色がよくない。
余程真剣に考えたのだろう。
(今後の進路だけでなく、今までの人生を振り返って反省までしたに違いない)
「決まったよ。本願寺の情報を精査し、何をすれば、今一度表に武田信玄と武田信繁の存在を示し死ねるかを考えた」
悪い顔色で、爽やかに言った。
もう再浮上の目は無い。
後は、後世に、誰か一人でも評価してくれればと、名を残して死ぬ。
そう決めたのだ。
「わかりました。拙僧に止める権利はありません。本当は『死ぬな』とも言うべきなのでしょうが、それは決意を揺るがしかねませんね」
「あぁ。今もちょっと心が揺らいだぞ? ハッハッハ!」
「分かりました。そう決めたなら、ここを出発する前に、とある人物とあって行かれませんか?」
「とある人物? 何じゃ? 名前を言っては行けない妖怪かね?」
「フフフ。妖怪ですか。言いえて妙ですが、それはココだけの話にしておきましょう」
「本当に妖怪なのですか?」
「いえ、もちろん話の通じる方で御座いますよ。では行きましょうか」
「あ、あぁ」
【本願寺/特別室】
「――――――――」
「ははぁ!」
信玄と信繁は額を板に擦り付け命令を受けた。
命令の内容はこうだ。
三好家に行く。
尼子援軍に行く。
実力をつけて領地を得る。
それだけだ。
【本願寺外】
「正直驚いた」
「某もです」
「人生何があるか本当に分らんなぁ」
信玄と信繁は、まずは三好家に向かうのであった――




