表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
信長Take3【コミカライズ連載中!】  作者: 松岡良佑
19-3.5章 永禄6年(1563年) 弘治9年(1563年) 
432/447

信長Take3 登場人物19&あらすじ

挿絵(By みてみん)

漫画版『信長Take3』が『マンガBANG!コミックス』で連載中!

AppStore→https://x.gd/iHUit

GooglePlayStore→https://x.gd/sL3h8

web版→https://x.gd/w9WAY


作画担当先生は、八坂たかのり(八坂考訓)先生です!(旧Twitter @Takanori_Yasaka)

八坂先生の作品一覧→https://note.com/yasaka_takanori/n/n9db476b12138


|д・) <漫画のファンレターマッテマース! |)彡サッ

よろしくお願いします!!

【超短い19章あらすじ(133字 )】

 19-1章:朝倉斎藤軍が吉崎御坊を守って加賀国の大半を侵略し、斎藤帰蝶が七里能登守頼周に負けた。

 19-2章:信長が北陸から紀伊攻略に戻り、大和国で三好軍と協力し興福寺と東大寺を焼いた。

 19-3章:上杉謙信と武田義信が、越中国に侵入し、一騎打ちで引き分け協定を結んだ。



【クソ長い19章あらすじ(12352字 !)暇な時にでも読んでください】


 ●19-1章

 再度、北陸一向一揆を鎮めようと動く上杉軍を中心とした朝倉軍、斎藤軍と援軍を出した織田軍、今川軍、浅井軍。

 ただ、向かったは良いが、敵側が不気味に大人しく、情報も不足し成果の無い偵察ばかりが繰り返される。

 そんな中、一旦休息となり、自然と去年の斎藤帰蝶対北条綱成の話になり、帰蝶の鍛錬の一端を披露した結果、朝倉家の庭木をへし折り、甲冑を着た信長までダウンさせてしまう。

 朝倉家では暫くのあいだ、帰蝶による武芸特訓の場になった。


 一方、座敷牢に入れられっぱなしの下間頼廉が、七里加賀守頼周と話し合っていた。

 去年は見事に斎藤朝倉郡を撃退して見せた七里加賀守頼周だったが、今年は状況が違っていた。

 蓮如の築いた『講』システムが破綻していたのだ。

 民の様子から、一揆内一揆も目前の危うい状況であった。

 そんな中、囚われ中の下間頼廉が朝倉連合軍への使者を買って出た。

 吉崎御坊も民も、七里加賀守頼周をも守る使者として、落としどころを探る為に。


 そんな下間頼廉の覚悟が空振りするかの如く、一乗谷城朝倉家で下間頼廉は歓迎された。

 一揆討伐軍としても、下間頼廉は探していた人物であり、北陸一揆ではない本願寺の人間だ。

 ここで下間頼廉は去年の飛騨で、円巌寺住職幹円が一揆内のイザコザで自害した事を知る。

 その遺言として『下間頼廉を探して協力しろ』との事で、今の歓迎の理由でもあった。


 その話し合いの中で、沢彦宗恩が調べた真の浄土真宗の予測と真実を知る下間頼廉との『タンニショー』の答え合わせが行われ、概ね真実と認められた。

 その上で落しどころだが、本願寺が希望した武田家はもう北陸支配レースから脱落した。

 武田義信のクーデーターで北陸からは手を引いた。

 故に、本願寺の希望はもう叶えられない。

 下間頼廉は織田の天下布武法度に賭けた。

 最善の策が潰れた以上、次善の策として、本願寺の目的に沿っているのは天下布武法度だと気が付いたのだ。

 そうして、朝倉連合軍に吉崎御坊や北陸を託すのが一番と決め、協力を願い出た。

 朝倉延景はその条件を受け入れ、まず領内にある寺社に法度の適用を始め、宗教に対する平等を作り始めた。

 一方で、下間頼廉は『七里頼周』偽物説を知ってしまう。

 寝耳に水にも程がある情報で、下間頼廉は混乱の極みに達した。

 自分と話を合わせていた七里頼周が、別人の可能性があるのだから。

 この七里頼周複数人策はとんでもない策で、結果を上げれば上げるほど七里頼周は伝説、そして神話となり、新たな神と『頼周(らいしゅう)教』が発生する可能性がある。


 それを防ぐ為に信長は下間頼廉に1万石もの兵糧を持たせた。

 和解成功の印と籠城戦に備えた下準備である。

 その上で、七里頼周の動き次第になるが、偽物か本物か分からぬ七里との会談をも希望した。

 その会談で、信長は実に邪悪で悪質で生物には逆らえない策を考えていた。


 今川義元本体が越前に到着する頃には、越前国は改革の真っ最中であった。

 朝倉延景の苦労を『この程度の混乱で良かった』と励まし、軽く延景に絶望を与えた。


 信長はこの寺院説得には参加せず、七里頼周との会談の場を整えていた。

 一度落とした堀江館を改築し、お互いの護衛100名を招いた、大会議にするつもりである。

 それはそれは悪意に満ちた、それでいて、一撃で全員の精神を粉砕する信長必殺の会場設営であった。


 一方で、和睦案をと1万石を持ち帰った下間頼廉は農民たちの怒りを買い、牢屋に入れられていた。

 これは七里頼周による罰に見せかけた保護であり、下間頼廉は吉崎御坊の牢屋が一番の安全地帯になってしまっていた。

 和睦案が気に入らないのか、武士の再支配が嫌なのか、先祖の仇を受け入れられないのか?

 彼らも答えが絞れない状況で『とにかく嫌』という感情が勝っていた。

 そんな話し合いを続ける2人だったが、七里頼周がつい油断した言葉を聞き逃さず下間頼廉が、この七里頼周が偽物だと見破った。

 七里加賀守頼周は鏑木頼信という、本物に見込まれた影武者だった。

 2人の意思は民の流血を避ける方向で一致し、織田軍の間者とも連携して、吉崎御坊の真の内偵をはじめるのであった。


 2か月後――


 朝倉軍も七里頼周(鏑木頼信)も下間頼廉も吉崎を守り降伏を促し安全を約束させるつもりでいた護衛合計200人の会談。

 ある意味裏切りであり、強制的に降伏を選択させ、吉崎御坊を防護せねばならない状況に持ち込む、織田信長の悪質な策が炸裂した。


 一揆軍は精鋭を集めた100人に対し、朝倉連合軍は、その殆どを女性兵士で揃えた。

 風通しが妙に一揆側に流れる堀江館で、一揆軍は性欲を刺激され続けた。

 睡眠、食欲、性欲の人間三大欲求。

 信仰に勝るとも劣らない、人には抗えない欲求。

 信長は女性兵士の匂いで、この会談の場で、一揆軍にある意味止めを刺したのだ。

 長島でも行った隣の芝は青い作戦。

 あの時は食欲を刺激したが今度は性欲。


 信長は正確に一揆軍の弱点を見抜いていたのだ。

 七里頼周の統率と評判に似合わぬ悪評が度々聞こえるが、やはり農民も集まれば上下関係が生まれる。

 今はその最上位の人間の性欲を壊した。

 100人の護衛達は性欲を発散するために、吉崎御坊に匿っている女子供を要求する。

 この脅しと和解案で、七里頼周の心を折り、一揆軍の分別を行い、今度は共に吉崎御坊を守る仲間とする。


 この信長の企ては、朝倉連合軍と七里頼周、下間頼廉は表向きはともかく内心では敵味方の枠を超えて同盟を果たす事に成功した。

 七里頼周と下間頼廉は急いで吉崎御坊の防備を固めると共に、信長も親衛隊の最精鋭部隊を選んで、帰蝶、葵、茜、直子、吉乃、服部一忠、毛利良勝と、風魔の忍者として面が割れている狐蕾を吉崎への援軍として送った。


 吉崎御坊へと辿り着いた帰蝶らは、七里頼周と下間頼廉に迎えられ、吉崎御坊の防御の為に。

 性欲に狂わされた一揆軍の内、死ぬ運命を与えられた者達を迎撃する為に。

 さらには朝倉家の富田勢源まで救援に駆け付けた。

 籠城戦とはいえ、殆どが暗殺に近い任務故に、帰蝶や勢源ら個人武芸が達者な者が活きる。

 ついでに帰蝶に憧れる(恐れる)今川氏真、北条涼春、織田於市、今川瀬名、斎藤於龍、、浅井長政、朝比奈泰朝(と恐れる松平元康)が現れ、防衛に加わった。

 この総勢17名で朝倉軍到着まで吉崎御坊を守り切るのであった。

 ここで改めて信長の決意表明を聞く。

 北陸は無駄に血を流していない。

 無駄な流血など無い。

 屍山血河の上に国を作ると。

 こうして、朝倉家悲願の越前統一が為されたのであった。

 また、七里加賀守は、元の鏑木頼信として朝倉軍に使えることとなった。

 ここから先、朝倉斎藤軍は加賀国を平定するのだが、信長は別行動を取ることになる。

 三好長慶への援護要請のに応えるために中央に行くのである。

 別行動での朝倉斎藤連合軍は順調に侵略を続けるも、後に本物の七里能登守頼周との一騎討ちに敗れ、和睦を結ぶ事になるのは少し未来の話である。


 ●19-2章

 北陸から離れた信長は、三好の要請に従い動くが、直接的な三好援護を選ばなかった。

 京にも影響を及ぼす紀伊半島の攻略を仕掛け、三好にかかる圧力の分散を狙ったのである。

 その上で大急ぎで動かねばならぬ、誰にも言えない理由があった。

 史実では三好実休が昨年戦死している。

 その後、呪われているかの如く、三好長慶の血縁者が毎年死ぬ。

 史実の長慶はそれで心を病んだが、この歴史の長慶は病んでいる可能性が極めて高いが、病のお陰で超絶パワーアップを果たしている。

 つまり実休を死なせる訳にはいかないのだ。

 これ以上のパワーアップは信長の天下布武にとってもターニングポイントになりうる。

 歴史を知り、今を知るが故の苦労だった


 こうして、近江国に残っている武将で京に圧力をかけつつ、伊勢と尾張の兵全てで紀伊半島沿岸の城を次々落としていく織田軍。

 どうやら畠山は大和国の救援の為に全兵力を向かわせており、城や拠点は僅かな守備兵すら居なかったのが原因だ。

 信長は畠山本家が北陸一向一揆を放り出して三好と対峙しているから、非常識な行動に戸惑った三好が動揺していると判断した。

 事ここに至っては、畠山は邪魔にしかならないと判断し滅ぼすと決めた信長は北畠具教、織田信広を使い紀伊半島を蹂躙していくが、畠山の不穏な動きに危機感を覚えた信長は、軍とは別行動を取り、史実では最強の敵であった因縁の石山本願寺に少数で乗り込んでいった。

 近衛前久、下間頼廉の書状と、北陸一向一揆委の状況を手土産にしての面会であった。

 北陸の状況や、複数人の七里頼周、朝倉連合軍が吉崎御坊を守ったなど驚愕の連続であったが、史実より格段に顕如と信長の会談は上手くいっていた。

 その際、信長は顕如と一つ重要な約束を取り付けた。

 遠い将来の布石になると信じて。


 本願寺を後にした一行は、それぞれの任務のために方々に散り、信長は細川晴元を伴って田原城の三好実休の元へ訪れる。

 ここで畠山が紀伊国をがら空きにしてまで全兵で出陣した意図を知る。

 三好長慶の天皇弑逆の野望に気が付いたのだ。


 一方、本願寺は信長と約束をとりつけ、その見返りに根来衆雑賀衆の援軍派遣に協力までしてくれた。

 そこで織田軍は西側から大和国に侵入し、元足利義輝が周囲を制圧した。

 高島での敗北からの成長であった。

 だが、戦果としては対して得るものがなかった。

 沿岸部同様、ほぼ無人の城を開場させただけだ。


 これには、信長は畠山は狂ったと表現した。

 全城空にしての総力戦を仕掛けている。

 徹底的に三好の邪魔をしている。

 畠山は、三好のやろうとしている『禁忌』に気が付き、領地を顧みない戦略をしていたのだ。

 しかも大和を手に入れ京になだれ込み、毒虫を排除して天皇に直訴するつもりである。

 三好への朝敵と、織田に掠め取られた領土の返還を。


 その一発逆転を阻止する為には、畠山を完全に潰すしかない。

 信長はある策を携えて畠山の背後を突くべく軍を動かした。

 その策とは織田信長が先陣を担当する事である。

 今の織田軍は連戦連勝を重ねた、最弱軍団。

 その状態に喝をいれるべく、信長が先頭に立つのである。


 一方で、畠山軍は織田軍の到来を予期していた。

 全てが計画通り。

 三好を攻めていると見せかけて、迎え撃つ態勢を整えていた。

 だが、信長はそんな事は織り込み済みであった。

 通常の合戦の手順と変わらぬ、いや、織田軍総大将が先頭にいる時点で、緩んだ士気が引き締まる。

 だが一世一代の賭けをしている畠山高政も織田軍の行動を正確につかんでいた。


 だが、ここで誤算が発生した。

 畠山高政は何のミスもしていない所か、この瞬間だけは三好長慶、織田信長や過去の英傑たる朝倉宗滴、太原雪斎レベルまで能力を上昇させたが、肝心の軍が、高政の能力に付いていけなかった。

 長い事中央に関われず、平和だった紀伊国。

 軍は戦から遠ざかっていたのに、久しぶりの一戦が運命を賭けた一戦だった。

 人間で例えるなら筋肉が衰えていたのだ。


 信長の『一番槍は、この織田弾正忠が貰ったァッ!!』の声一発で、畠山軍の一角を崩してしまったのだ。

 さらに殺気全開で大暴れする信長。

 容赦なく足軽の一帯をまさに蹴散らすと、畠山軍から気骨のある人物が現れ、状況を落ち着かせる。

 が現れ、混乱を収拾させた。

 畠山尚誠だった。

 尾州畠山家に吸収された総州畠山家の者だ。

 信長はその勇猛さを気に入りスカウトするも、あっさり拒否され戦闘に入る。

 ここに信長と尚誠の一騎討ちが始まったが、展開は一方的だった。

 尚誠は北条綱成、斎藤帰蝶に匹敵する武力を持っていたが、相手と相性が最悪だった。

 信長は2度死んだ経験で、地球最高精度で殺気を読み取れる。

 尚誠の槍ごと一本背負いで投げ捨て勝負はつき、捕縛された。


 畠山尚誠が敗北し、総大将畠山高政は次に『孫三郎』に出撃を命じた。

 孫三郎とは斯波義銀。

 尾張内乱時に、織田信秀に直々に討ち取られた斯波義統の嫡子。

 余りにも主君を蔑ろにする織田弾正忠家を今川家の力を借りて葬るつもりが、それすらも信秀の計算内で、信秀による尾張掌握に利用された。

 義銀ら一党は尾張を脱出し行方不明だったが、同じ管領排出家である畠山家に保護されていたのだ。


 義銀は『貯めに貯めこんだ憎悪を吐き出すは今!』とばかりに、織田軍に襲い掛かる。

 義銀の槍は、運が良ければ信長を殺せる一撃だったが、ほんの僅かな違和感を察知した信長に避けられた。

 ただ、斯波魏銀の攻撃と登場は予想外ではあっても、これは悪くない所か、むしろ信長にとっては幸運の部類になる。

 この一騎討ち、義銀に分があった。

 義銀以上の豪傑であった畠山尚誠を倒した信長が、尚誠以下の義銀に苦戦する。

 その理由は、義銀が信長の殺気に全く反応しない。

 気が付いて無視している訳でもない。

 殺気にまったく気が付いていないのだ。

 だから、殺気を利用して戦う信長に対する愛称は抜群だった。


 そんな中、苦戦する信長を見かねた北畠具教が乱入し、あっと言う間に斯波義銀を追い詰める。

 信長には信じがたい光景だった。

 だが、北畠具教と斯波義銀のやりとりで一つの可能性にたどり着いた。

 信長は殺気を引っこめると、素手で構え、義銀の槍に合わせ懐に潜り込むと、アッパー一本背負いで勝負を決めた。

 何の事はない。

 斯波義銀は戦の素。

 憎悪はあっても殺気が分からないのだ。

 戦の素人過ぎて、だからこそ信長が苦戦しただけの話だった。

 こうして、偶然ではあるが、斯波義銀まで捕縛に成功した織田軍。

 本当に偶然だが、これで細川家、畠山家、斯波家の管領排出家のコンプリートとなった。


 畠山軍は最後の抵抗として、この期に及んでまだ隠していた兵を投入した。

 全軍戦場に居ると勘違いさせた上での挟み撃ちだが、信長は更に上を行っていた。

 畠山の奇襲部隊がいると踏んで、九鬼定隆に伏兵を命じ、敵の挟み撃ちを更に挟んでつぶした。

 こうしてほぼ決着がついた対畠山に対し、総大将の足立長輝が、敵兵に降伏勧告をする。

 全ての策を破り、中核部隊も破り畠山尚誠、斯波義銀まで捕らわれた。

 敵兵が次々と武装解除し、降伏に応じる中、安見宗房だけは、断固として負けを拒否し長輝の前に現れ、長輝が将軍と知ってもなお怯むどころか襲い掛かるも、長輝が素早く踏み込み顔面への膝蹴りで勝負は決した。

 こうして、畠山軍対織田軍の戦いは決着した。


 同じころ、興福寺と大和国国衆を同時に相手していた三好軍。

 三好実休は、動くころ合いと見計らい、松永久秀に出撃を命じた。

 それともう一人、孫六郎こと、事故死したと思われていた十河一存に、説教気味に指令を出す。

 十河一存は事故死したと三好家では伝わっており、家長の長慶すらもそう思っていた。

 ところが、事故死は偽装だった。

 ただし病は本当、事故も本当で死だけが嘘だった。

 十河一存と松永久秀が仕掛けた、見方をも欺く策だった。(なお久秀は凄い嫌な顔をしていた)

 何故見方を欺くかといえば、大勢力となった三好に今一度緊張感を持たせる為だ。

 久秀も一存も長慶の面談を突破した身。

 長慶に従うだけではなく、自ら動くべきと判断し、病と事故を利用し、己の存在を公式記録から消したのだ。


 そこにきて、今は蠱毒計の総仕上げ。

 十河一存復活に最適な舞台が整った。

 こうして世に名を轟かせた十河一存が、散々に興福寺軍を蹴散らしていく。

 三好軍に配属されている池田恒興と北条氏照も後に続く。


 実休は怒りと嬉しさが混ざった、言葉にできない感情を吐き捨て、三好軍全体で興福寺と位置を入れ替え、京に追放する様に戦場を動かしていく。

 大和勢力は興福寺が不利と見るや、勢いを自然と無くし降伏した。


 なお、信長は(バタフライエヘクトのお陰で)十河一存の復活を後世に残る程に驚くのであった。

 十河一存の死で神懸った長慶なのにに、武力最強の十河一存の復活。

 将来の厄介な敵の復活に、ファラージャに文句の一つも言いたくなる信長だった。


 そんな事があった大和国の戦いも、枝寺院の討伐も終わり、残すは興福寺のみとなった。

 興福寺の門前町を焼き払った三好織田軍は、興福寺責任者に対し三好実休が交渉と称した脅しをかける。

 要求は畠山高政の引き渡し。

 出来なければ不審火が発生する。

 興福寺は生きているのかも不明な高政を探し、結局みつからず謝罪するが、三好実休にとっては畠山の存在などどうでも言いこと。

 約定を守れぬことを理由に興福寺を滅ぼすことなのだから。

 だが、信長は待ったをかけた。

 どうせなら東大寺も潰してしまおうと提案したのだ。

 寺院の影響の強い大和国である。

 東大寺も回数は少ないとは言え強訴の実績がある政治に口を出す勢力だ。

 ならば禍根を残すのは得策ではない。

 ただ当の東大寺はこの戦に乗り気ではなく、無関係を貫きたかった。

 興福寺の負傷兵は保護したが、あくまで中立だ。

 だが興福寺の使者が、『畠山高政が東大寺に居る』と断定し脅しをかける。

 本当に居るのかどうかは重要ではなく、とにかく戦力として東大寺を動かしたいのだ。

 東大寺の了承を得た(と勘違いした)興福寺は、10日後最後の決戦を挑んだ。

 だがその予測をしていた信長のトラップと、前日の雨で増水した川の濁流で運が良いのか悪いのか、天然の砦が完成してしまった。

 一方で東大寺は興福寺との約束を有耶無耶にし、静観を決めていた。

 興福寺の使者には『分かった』と言ったが『約束した』とは言っていない。

 完全中立と、畠山高政捜索に全力を尽くすのであった。


 その頃、興福寺軍は壊滅し尋円は三好織田軍の本陣で頭を地面にこすり付ける。

 当たり前のように負けたのだが、20日に猶予をもらって約束を破り攻撃を仕掛けたのだ。

 それを今、徹底的に謝罪するが、実休は命と引き換えの興福寺破壊を申し出るも渋る尋円。

 命も興福寺も助かりたいので必死だが、ここで信長が助け舟を出した。

 興福寺に経典など修行に必要な物を持って退去しろという命令だ。

 その代わり、金銭兵糧は奪い、興福寺も破壊する。

 最初の10日、次の日と2回約束を破った挙句の総攻撃だったのだ。

 命か教義か建物か?

 いずれか2つ差し出してもらう。

 そして避難先には京か東大寺を指定した。

 東大寺と興福寺をぶつける算段でもあり、尋円に自ら興福寺に放火をさせる事。

 尋円は憎悪の雄たけびをあげて火矢を放ち、興福寺は焼失した。


 こうして三好織田軍は、次のターゲットとして東大寺を目指す。

 だがそこには予想外の人物が待ち構えていた。

 三好長慶である。

 尼子と争っていた長慶がここに来れた理由は、尼子内部の内乱である。

 以前から獅子身中の虫として、尼子に臣従していた陶家と毛利家が反旗を翻したのである。

 そうなっては長慶がいる必要はない。

 だから来たのである。


 これが信長には困った。

 天下の三悪事をコンプリートするつもりでいた。

 主家簒奪、将軍謀殺、そして大仏焼却。

 この中で、大仏に手を出すのは大罪だからこそ意味があったのに、それを長慶との共同作業にされてはたまらない。

 それに、織田家による宗教の是正を明確に民に示したかった。

 その是正が1/2の功績になってしまう。

 日本の顔たる大仏だけは己で始末を付けたかったが叶わぬ夢となったのであった。


 だが長慶は長慶で相当にギリギリで天運に恵まれて間に合ったに過ぎないと自覚していた。

 信長に大仏を焼かれては、大和の主役は織田家になってしまう。

 それは困る。

 日本の顔たる大仏を潰すのは日本の副王の仕事に他ならない。

 さすがは信長と互角の長慶の判断であり、精神が危うい故の神懸かった判断力だった。


 東大寺との交渉は至極簡単。

 畠山高政の有無だ。

 三好長慶と織田信長による地獄の訪問に東大寺の智経も必死に敵意が無い事を示す。

 だがもう東大寺は詰んでいる。

 その辺の負傷兵を『畠山高政だ』と言われたらお終いなのだ。

 力が全ての戦国時代ならではの悪質な言いがかりだが、力が無いのが悪である時代。


 こうして悪夢の家宅捜索が始まった訳だが、当の畠山高政はじつは東大寺にすでに逃げ込んでいた。

 雑兵に化けて隠れていたのだが、三好と織田の捜索を察知するが、己を探している気配では無い事も察知する。

 長慶と信長は、家宅捜索と言いつつ、放火ポイントを探していたにすぎない。

 ここで高政は2人が大仏を燃やす算段だと気が付き、大仏殿に先回りした。

 そこに長慶と信長がやってくる。


 そこで待っていたのは、名目上の都合に過ぎなかった畠山高正であった。

 高政は2人のやりたい事を見抜き、畠山兵と興福寺僧兵で一斉に火を放つ。

 高政も己の衣類に火をつけて焼身自殺を図った。


 炎の苦しみに負け大仏から落下した高政は、最後の最後で長慶と信長を出し抜いたのだ。

 2人は高政の足掻きを認め、共に解釈をするのであった。

 そのあとは、火事場泥棒のごとく、燃えやすそうな物を高政の遺体に積み上げ脱出した。

 こうして東大寺も焼け落ち、蠱毒計が真に完成した。

 長慶と信長は、次ぎ合う時が雌雄の決する時と約束し、去るのであった。


 ●19-3章

 吉崎御坊を防衛し、信長が近畿に向かう頃、上杉軍は軍を動かせない事態に陥っていた。

 西の一向一揆に対応すれば、必ず武田が横やりを入れてくるのは明白だからだ。

 だが信長は上杉政虎を前々世の実績から信頼し、何とかしてくれると明言し己は近畿地方の騒乱に介入するために北陸を去った。

 残った朝倉斎藤軍は、今度は吉崎保護の為に、加賀国を攻め、吉崎御坊を戦火の最前線にしない為に動く。

 既に昨年から小松地方を制圧している山崎吉家と朝倉景紀と合流すべく再始動する朝倉斎藤郡であった。

 この軍には元七里加賀守こと鏑木頼信と下間頼廉が同行する事になった。

 一揆を説得し、人的被害を最小限にするためである。


 一方で、信長に絶対の信頼を置かれた上杉政虎は困りに困っていた。

 打開案が浮かばないのだ。

 武田がどうしても邪魔な上に、武田当主となった武田義信と偽武田信玄ともに超優秀なのだ。

 父祖の失敗を是正し、国として立て直しに必死で、おまけに戦も上手い。

 本来目指すべき越中の七里頼周も謀略にかけては超一級品。

 武田に七里に対応できるのは己のみ。

 故に動けなかった。


 だが、幸か不幸か、武田川から上杉に接触してきた。

 武田は武田で困っていた故の行動であった。

 歴史が変化し、桶狭間で今川が滅ばなかったので、武田は進出する場所を失ったのだ。

 それは今川家も同じであるが、海に面し豊かな今川と貧相な山岳地帯の武田では雲泥の差だ。

 故に最終手段である上杉との和睦に賭けたのだ。

 越前攻略共同作戦を提案しての和睦である。

 武田軍は政治改革を成し遂げ、2000人の専門兵士を用意した。

 量ではなく質をとった援軍である。

 ただ、上杉武田両家ともに『村上義清問題』を抱えている。

 そこで、村上に信濃1/3を与え、上杉武田の両家に仕えてもらう折衷案で手を打った。

 上杉武田の懸念を晴らし、村上の信濃帰還の夢を叶える誰にとっても得となる一手だった。

 ただし、これではタダでさえ貧相な武田の領地が削られるだけ。

 故に武田は越後か越中の港の利用と商人の無条件通行許可を申し出た。

 これで、北信濃を失う代わりとし、上杉武田村上問題を解決し、共同で一揆に当たる事となる。


 これには七里越中守も仰天した。

 まさか上杉と武田の同盟とは、そんな可能性は欠片も無いと思っていたからだ。

 そうして共同で越中に侵入した上杉武田連合軍。

 ここにまさに出鼻を挫く七里越中守の一撃が繰り出された。

 七里頼周、1人だけで現れ会談を希望してきたのである。

 だが出鼻を挫いたのは七里だけではなく上杉政虎もだった。

 なんと剃髪して『上杉謙信』をこの土壇場で名乗ったのである。

 ただただ、出鼻を挫かれた先制攻撃を反撃する為だけに。

 そこで歎異抄に関する話が行われたが、この歎異抄を曲げざるを得ない状況を一揆側は当然、上杉武田側も知った。

 そのうえで、上杉武田側が宗教問題に対する一つの答えを持ってきた。

 それは武田の専門兵士制度である。

 雑兵、即ち農兵不在の軍である。

 武田義信は狭い領地を活かすべく、信長とは違う理由から傭兵業という産業を作り出したのだ。


 そして、上杉家による越中国、能登国の解放と、浄土真宗の自由を認める。

 これが妥協案にして一番血が流れない解決策。

 この提案を七里越中守は断った。

 上杉の目的の一つ、畠山を領地に返す事だが、一揆軍にしてみたら、畠山家など何の役にも立たないから追い出しただけ。

 即ち下剋上なのだ。


 その言葉を待ってましたとばかりに上杉謙信は『下剋上の掟に従い奪う』と宣言した。

 七里越中守は何かを察したのか『ならば降伏させてみよ』と言い放つ。

 売り言葉に買い言葉に見えたが、そこには両者の思惑があった。


 こうして物別れに終わった会談だったが、七里越中守はさっそく迎撃の準備を始めた、と言うよりは、既に準備を澄ましている。

 武田の存在が計算外だが、それでも烏合の衆と断じ、味方を鼓舞し、越中守の役割を全うすると心に決めた。


 戦端の火蓋を切ったのは、よりによって七里越中守だった。

 鎌倉時代の如き口上を述べ、自身の存在を明らかにする。

 まずは口上で、敵の足を一旦止めてしまったのである。

 越中守の性格からして、この口上に乗ったが最後、罠にはめられると気が付いた上杉武田連合軍は迷った。

 だがいざ戦いが始まれば、七里の策は全て予測し見破って撃破した――のは勘違い。

 七里越中守は口上まであげて名乗っておきながら、最初から撤退戦を選んでいたのだ。

 完全にスカされたのである。

 追いかけても追いつけぬ、敵の弓だけが届く撤退戦という先制攻撃を食らってしまった。


 次の宮崎城攻防戦では、宮崎城に至るまでの道中の罠を警戒し、これも徒労に終わってしまった。

 大胆にも程がある、何もしないという策。

 武士の常識が通用しない相手ゆえに上杉武田連合軍は翻弄されっぱなしだった。

 宮崎城では一揆軍が定石通り待ち構え、それが不安を増大させる。

 そこで一計を思いついた謙信が、捨て身の会談を申し出る。

 宮崎城の門前で構わぬから上杉謙信と武田義信と七里頼周の3人での会談を希望した。

 もちろん策であるが命がけの策でもある。

 こうして城門が開かれ七里越中守が姿を現した。


 ただ、話し合いは先日話した事の繰り返しであった。

 一つ違うのは真の七里頼周の思惑を知りたい事であろうか。

 だがその話し合いも上杉側が誘っておいて上の空であった。

 仕方なく会談を切り上げた七里越中守は踵を返して、死ぬ程後悔した。


 即ち城門の中を見られたのだ。

 女子供老人が武装している姿を。

 即ち、先の丘で七里越中守が名乗った時の伏兵は宮崎城に帰還していなかったのだ。

 真の狙いは宮崎城を攻める上杉武田軍の背後を突くはずが、上杉武田軍は城を無視して伏兵に向かって戦いを始めた。

 女子供老人しかいない宮崎城の戦力はとぼしく、伏兵こそが本命と見抜いた、やっと七里越中守を出し抜いた謙信の眼力であった。


 宮崎城の女子供老人では、出撃したところで虐殺に会うだけだ。

 七里越中守は断腸の思いで宮崎城を捨て、兵を引き連れ脱出した。

 伏兵を見捨てる行為だが、伏兵を助けて全滅するよりはマシであるとの判断である。


 結局圧勝に終わった宮崎城攻防戦。

 伏兵に集めた男は周辺地域からかき集めたのだろう。

 黒部川に至るまでの道中、大した障害もなく、拠点はもぬけの殻った。

 ただし黒部川は大河川。

 絶対に罠があるが、それを逆用して突撃しようとする上杉謙信を必死に止める家臣団。


 そんな光景を微笑ましく思いつつも武田義信が助け舟を出した。

 渡河可能な場所は必ず罠がある。

 それを確認してからでも遅くはないとの思いからの提案だ。


 だが、黒部川の光景は上杉謙信、武田義信、武田信玄の想像を超えていた。

 何と、舟橋がかけられ水上を渡れる様に橋が掛けられていたのである。

 悪臭と感じる罠満載の舟橋だ。

 その悪意満載の罠に謙信は楽しそうに怒る。

 七里との頭脳戦が楽しくて仕方ないのだ。


 だがこの舟橋、上杉武田軍の想像を超える罠だったが、何と、一揆軍の想像も超えてしまった橋だった。

 船橋を駆ける2騎の騎馬。

 まさか敵が渡ってくるとは予想外だった。


 その正体は、七里越中守頼周と、七里能登守頼周、つまり正真正銘、真の七里頼周だった。

 なお越中守は必死に能登守を引き留めている。

 越中守は策を台無しにされて慌てて追いかけてきたのだ。


 本物の七里頼周が会談を求めている。

 またと無い機会に、会談に応じることを決めた上杉武田軍。

 だが、本物の七里頼周は、量産型七里頼周とは段違いの覇気を有していた。

 上杉武田軍の武将に挟まれてなお、一番の覇気を発している。

 神秘性すら感じる化け物だというのは即座に理解した。

 それもそのはず。

 真七里頼周は、全盲の上、右足が切断されていた。

 それでいて自在に馬を乗りこなし、不自由なく動いている。

 妙な双杖がそれを可能にしていた。


 そんな七里頼周から停戦の交渉が提案された。

 条件は黒部川より東を放棄する代わりに、日ノ本統一者に従うと提案した。

 その心変わりを疑う上杉謙信と武田義信だったが、それにはちゃんと理由があった。

 七里加賀守と一緒に朝倉延景と斎藤帰蝶が説得を試みたのだ。

 さらに帰蝶と一騎打ちまでして勝利した。

 信じられないが、その証拠として朝倉斎藤家の署名が入った書状を渡した。

 その内容は『越前、飛騨側からの侵略を放棄する』との内容だった。


 一騎討ち勝者の提案を尊重する事で勝負し、七里頼周が勝ったのだ。

 だからもう上杉武田軍だけに注力すれば良いだけなので、この場に現れたのだ。


 一方、上杉謙信は迷っていた。

 2年連続越中攻略失敗は沽券に関わるし、七里頼周の真意が分からない。

 そこで、謙信は一番平和的な和睦案を提案した。


 即ち七里能登守頼周との一騎討ちである。

 斎藤帰蝶を倒した証明と勝敗による、条件の受け入れを提案した。


 それを受理した七里頼周は、上杉軍の小島貞興との戦いとなった。

 その戦いは一進一退の攻防で、結果は相打ちであった。

 七里流双杖術は素晴らしい技と体の不自由を感じさせない見事な体裁きであったが、小島貞興の剛力の前に相打ちに持ち込まれてしまった。


 結局引き分けの時の条件を決めてなかったので、改めて協議した結果、一揆軍は七里家として大名家として認め、通称を結び、越中の一部は畠山親子に管理を任せ、武田家は港の自由使用権を得た。

 三方得する提案に七里頼周は疑いがぬぐい切れないが、上杉謙信の絶大な信頼と感動を受け、条件を受けた。

 こうして形はどうあれ北陸一向一揆は消滅した。


 上杉謙信が仕掛けた毒が蝕む事が無ければであるが――


 最後に、近江国の岐阜城に帰還した帰蝶は憤慨していた。

 七里頼周に負けたのが余程悔しかったのだろう。

 ただ、結果だけ見れば、飛騨の制圧と加賀の大部分の制圧は立派な戦果である。

 この戦果の褒美として、信長からあるモノを授かるのであった。



【多すぎる登場人物】


 ●朝倉家

 ☆朝倉越前守延景/義景(30歳)

 ☆朝倉式部大輔景鏡(38歳)

 ☆山崎長門守吉家(43歳)

 ☆朝倉九郎左衛門景紀(58歳)

 ☆富田五郎左衛門入道勢源(39歳)

 ☆虎哉宗乙(33歳)


 ●斎藤家

 ☆斎藤美濃守帰蝶(28歳)

 ☆稲葉彦四郎良通(48歳)

 ☆遠藤喜右衛門直経(33歳)

 ☆竹中半兵衛重治(19)

 ☆河尻与四郎秀隆(36歳)

 ☆武田左京大夫信虎(69歳)

 ☆武田六郎信友(21歳)

 ☆仙石新八郎久勝(11歳)

 ☆仙石権兵衛秀久(11歳)

 ☆明智十兵衛光秀(35歳)

 ☆安藤平右衛門守就(60歳)

 ☆氏家源太郎直元(51歳)

 ☆九鬼流太郎浄隆(28歳)

 ☆風魔狐蕾(23歳)

 ☆北条竹王丸/北条三郎(上杉景虎)(9歳)

 ☆北条浄依(3歳)


 ●今川家

 ☆今川治部大輔義元(44歳)

 ☆岡部五郎兵衛元信(38歳)

 ☆松井五郎八郎宗信(48歳)

 ☆今川上総介氏真(25歳)

 ☆北条涼春/早川殿(20歳)

 ☆松平次郎三郎元康(20歳)

 ☆今川瀬名(21歳)

 ☆朝比奈又太郎泰朝(25歳)

 ☆斎藤於龍(21歳)


 ●浅井家援軍

 ☆浅井新九郎輝政(18歳)

 ☆織田於市(16歳)


 ●織田家援軍(北陸方面軍)

 ☆織田弾正忠信長(29歳)

 ☆沢彦宗恩(47歳)

 ☆瑞林葵(29)

 ☆塙直子(28歳)

 ☆坂茜(26歳)

 ☆服部小平太一忠(29歳)

 ☆毛利新介良勝(30歳)


 吉崎御坊を守るため、加賀国の大部分を制圧するも、本物の七里頼周に帰蝶が破れ、これ以上の侵略はしない条約結ばされる。



 ◎大和勢力

 興福寺別当尋円(43歳)

 東大寺別当智経(40歳)


 ●畠山家

 ☆畠山尾張守高政(36歳)畠山尾州家

 ☆畠山播磨守政尚(29歳)

 ☆畠山次郎四郎秋高(18歳)

 ☆安見美作守宗房(37歳)

 ☆遊佐新次郎信教(15歳)

 ☆斯波孫三郎義銀(23歳)

 ☆湯川宮内大輔直光(38歳)

 ☆湯川太郎五郎直春(20歳)

 ☆畠山次郎尚誠(32歳)畠山総州家


 大和国と紀伊国に侵略してきた三好軍と織田軍を相手に戦うが、敗北し、興福寺も東大寺も燃やされた。


 ●織田家援軍(紀伊半島方面軍)

 ☆織田弾正忠信長(29歳)

 ☆明智十兵衛光秀(35歳)

 ☆北畠伊勢守具教(35歳)

 ☆織田尾張守信広(35歳)

 ☆細川右京大夫晴元(49歳)

 ☆足立藤次郎長輝(足利義輝)(27歳)

 ☆佐久間右衛門信盛(35歳)

 ☆金森五郎八長近(39歳)

 ☆九鬼志摩守定隆(55歳)

 ☆九鬼海三郎嘉隆(21歳)

 ☆蜂屋五郎頼隆(29歳)

 ☆水野藤四郎信元(31歳)

 ☆水野藤十郎忠重(22歳)

 ☆坂井久蔵政尚(34歳)


 三好軍と歩調を合わせ、紀伊国を占領すると共に、大和国の三好家の援軍に入った。


 ●三好家

 ☆三好修理大夫長慶(41歳)

 ☆三好豊前守実休(36歳)

 ☆十河孫六郎一存(31歳)

 ☆松永弾正少弼久秀(55歳)

 ☆池田勝三郎恒興(27歳)

 ☆北条源三氏照(21歳)


 大和国で、興福寺と大和国連合軍相手にしていた。

 十河孫六郎一存の復活という、とんでもないバタフライエフェクトを起こしていた。

 長慶は信長と一緒に東大寺を焼き討ちした。


 

 ●本願寺

 ☆信樂院法主顕如(20歳)

 ☆下間筑後法橋頼照(47歳)

 ☆下間刑部法橋頼廉(26歳)

 ☆証恵(47歳)

 ☆本多弥八郎正信(25歳)

 ☆渡辺半蔵守綱(21歳)

 ☆蜂屋半之丞貞次(24歳)


 顕如は信長とある約定を結ぶ。

 下間頼廉は朝倉斎藤軍に同行し、一揆の説得に同行する。

 下間頼照、証恵は越中一揆に合流してしまった。


 ★歎異抄(蓮如写本)

 浄土真宗開祖親鸞の信奉者唯円が記した、浄土真宗の真実が書かれた書物を、蓮如が写本として書き写した書物。

 現在の浄土真宗については都合が悪い事が記されており、本願寺に秘匿されている。


 ☆蓮如(故人)

 ☆連崇(故人)


 北陸一向一揆の元凶にして民を思った故人。



 ●飛騨、北陸一向一揆衆

 ☆七里能登守頼周(本物)(46歳)

 ☆七里越中守頼周(?)(46歳)

 ☆七里加賀守頼周(鏑木頼信)(50歳)

 ☆七里飛騨守頼周(?)(44歳)

 ☆堀江石見守景忠(60歳没)

 ☆堀江中務丞景実(42歳没)

 ☆幹円(50歳没)

 ☆葉円(28歳)


 能登守本人が斎藤帰蝶を倒し、小島貞興と引き分け、北陸一向一揆を七里家として管理することを決めた。


 ★歎異抄(蓮崇写本)

 浄土真宗開祖親鸞の信奉者唯円が記した、浄土真宗の真実が書かれた書物を、蓮如が写本として書き写した書物を、さらに蓮崇が写した写本。

 同一の内容が記されており、現在の浄土真宗については都合が悪い事が記されているが、偶然七里頼周が吉崎御坊で発見した。

 この歴史変化のお陰か、一揆の性質が変化しつつある。



 ◆上杉武田軍。

 ●上杉家

 ☆上杉越後守政虎/謙信(33歳)

 ☆直江大和守景綱(54歳)

 ☆柿崎和泉守景家(50歳)

 ☆斎藤下野守朝信(36歳)

 ☆宇佐美四郎右衛門定満(74歳)

 ☆甘粕近江守景持(33歳)

 ☆小島弥太郎貞興(37歳)

 ☆長尾越前守政景(37歳)

 ☆新発田源次郎長敦(25歳)


 しばらくは七里越中守との頭脳戦を繰り広げるも、能登守の乱入により予定変更。

 一つ罠を仕掛け、一向一揆を七里家として認め、隣国の大名として認めた。


 ●武田家

 ☆武田甲斐守義信(25歳)

 ☆今川里嶺(22歳)

 ☆武田刑部少輔信廉/偽信玄(31歳)

 ☆諏訪四郎勝頼(武田勝頼)(17歳)


 専門兵士を作り、自らの肉体を資源として、傭兵として生き残りを図る。



●武田家(追放)

 ☆武田飛騨守晴信/信玄(41歳)

 ☆武田左馬助信繁(37歳)


 放浪中。



【主人公】


 ☆織田弾正少忠信長(肉体:29歳 魂:49+5+18歳)

 吉崎御坊含めた北陸攻略は、基本的に朝倉斎藤軍のアシストに徹するが、策謀で非常識な罠を仕掛け、七里加賀守と下間頼廉との接触と協力を取り付ける関係を築いた。

 そこまで見届けると、今度は三好救援に動き、紀伊半島の紀伊国を制圧し、大和国攻略に手間取っていた三好家を助けた。

 そこで帰蝶の技を参考に、刀剣、槍を通じて人を投げ飛ばす技術を開発する。

 あと、ついでに興福寺と東大寺を燃やした。


 ☆斎藤美濃守帰蝶(肉体:28歳 魂:48+5+18歳)

 昨年、富田勢源の中条流の技(歩法)を盗み、発勁と鎧通しを開発する。

 お陰で、朝倉家の庭木を圧し折るまでに成長したモンスターなのに、更に上位のモンスターたる七里能登守頼周に敗れる。


 ☆ファラージャ/胡蝶(肉体:15歳 魂:15821553歳)

 基本的には傍観者だが、様々なバタフライエフェクトを見届ける。

 信長に十河一存復活を疑わた。


【亡霊】

 ☆織田信秀

 ☆斎藤道三

 ☆太原雪斎

 ☆朝倉宗滴

 ☆斎藤義龍

 ☆稲葉深芳野


 出番なし。

ヾ(叫゜Д゜)ノ<漫画ファンレターマッテマース!!


『マンガBANG!コミックス』のアプリからどうぞ!

AppStore→https://x.gd/iHUit

GooglePlayStore→https://x.gd/sL3h8

web版→https://x.gd/w9WAY


挿絵(By みてみん)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ