209話 導き出した答え
【越中越後国境近辺の廃寺/昼】
「確かに極めて奇妙な光景ですな。……コレが見せたかったモノですか?」
「そうじゃよ」
七里頼周と上杉謙信が寺の東側に並ぶ軍勢を見せていた。
「上杉殿は……武田軍の客ですか? それとも偶々一人旅の最中で武田軍と巡り合ったので? 昨夜の会談はその延長だったと?」
剃った頭を行人包で整えた上杉謙信の言葉に、七里頼周は昨夜以上の衝撃を受けていた。
眼前に広がる軍勢は、『武田菱』や『風林火陰山雷衆利動』の旗印がずらりと並んでいた。
要するに武田軍しか居ないのだ。
「まさか! そんな事はありませぬよ」
「ほう。(これは最悪だ!! 上杉め! 越中を武田に売ったな!?)」
武田軍は山賊大名といっても過言でもない。
根こそぎ奪い、支配地は地獄に変わる。
「これは脅し、と言う事ですか?」
勘も察しも良い越中守頼周。
こんな光景を見せられては、何が言いたいか理解できてしまうが、やはり異様過ぎる光景だったのか、この光景の意味を読み間違えた。
正解しろ、と言うのも無茶な話ではあるが――
「フフフ。脅している様に見えますか? 気持ちは理解できますがな。冷静になってもう一度よーーーく見てみなされ」
「冷静に? (こんな悪夢の光景に何かあるのか!?)」
頼周の目に映る光景は、現世に現れた悪鬼の軍団。
見る者に絶望を与える『武田菱』に『風林火陰山雷衆利動』の旗。
織田家の旗印も絶望的だが、武田家も負けず劣らずの地獄の旗印。
日本最悪、二大巨頭の片方の旗がずらりと並ぶ旗。
「よく見ろって……ん? ……随分少ない軍勢ですな? 3000、いや2000程? 武田軍だけしか見えない? 上杉軍は?」
「おお! 大当たりですぞ。武田軍総勢2000人じゃ」
嬉しそうに謙信が正解を称えた。
「まさか、それしきの数で越中を制圧する御つもりか!?」
そうであるならば、舐められたにも程がある。
昨年、信長、信玄、謙信を手玉に取った頼周である。
幾ら武田軍と言えど、2000ならどうとでもなる。
だが、そこは残念ながら現実は非常であり、謙信が否定した。
「それこそまさか!! それは流石に我とて不可能。上杉軍はもう少し後方に控えておる」
「(まぁそりゃそうか。余りの光景に冷静な精神を忘れておったわ)……上杉武田連合軍との事は昨日の会談で既に判明しておりましたが、なるほど、武田は援軍でしたか」
「そう! そこじゃよ! 良かったわ! 我と同じ様に驚いてくれて! 甲斐殿!」
謙信が呼ぶと、軍の中から武者が馬から降りて1人歩いてきた。
武田義信その人だ。
「七里殿。これは某が考案した新生武田軍」
義信が両手を広げて誇示した。
「新生武田軍? し、失礼ながら、数が少ない以外、特に不自然な所はありませんが?」
「それですよ。数が少ないのが新生武田軍」
「……仰る意味が分かりません」
知略に優れる越中の頼周をして、義信の言いたい事がまるで理解できない。
数を揃えるのは軍の鉄則だ。
織田家の親衛隊とて、多少の動員数低下はあれど、武士だけで一つの軍としては合格の数を揃え運用している。
それなのに、たかだか2000程度で『何が新生武田軍か!?』と口にしない己を褒めてほしいと思う頼周であったが、次の言葉に意味を理解し驚くことになる。
「この軍に雑兵と呼ばれる者は原則存在しません。原則というのは帯同を希望した者を雑用として雇用しただけで、戦力としては数えていません。戦うのは正真正銘この武士で揃えた2000人のみ。『いつでも、どこでも、誰とでも』この言葉の下に、この軍勢で、武田の同盟相手、関係者以外なら金と物資で戦を請け負います!」
「そ、それは傭兵、と言う事で? 武田家が!?」
頼周も、雑賀衆や根来衆と言った銭で戦う集団があると、風聞で聞いた事がある。
だが彼らは戦国大名、というよりは、元々存在した地侍に等しい。
他にも日本全国、大小様々な土着の武家が、金銭で援軍に向かうことはある。
これらもある意味傭兵だ。
武田家などは存在そのものが、その筆頭だ。
様々な土豪武士を信虎が強引にまとめて、給料を支払っているのが武田家だ。
最初から武田家に仕えている譜代より、外様を力で纏めたのが信虎で甲斐の武田家として始動し、そして、実力で忠誠を誓わせたのが信玄であり、戦国大名武田家となった。
そんな武田家を、義信が再度、土豪の如く金銭や物資で戦う集団に変えたのだ。
「簡単に言うとそうですな。甲斐は貧相な国でしてな。金山は有するも碌に作物は取れず、他国から買いはすれど売るものが無い。信虎、信玄までの武田当主はそう思っていましたが、私は別の道を見つけました。売る物は己自身! その活躍度合いを、今回なら上杉殿に買ってもらう!」
義信と信玄は、ずっと悩んでいた。
武田家の度を越した、言わば『下品』を極めた政治と軍事を。
領民は戦に、生産に、労役に、徴税に悩んできた。
これを『良し』としていては武田家に未来はない。
それは信虎も本物の信玄も思っていた事だが、改善の答えは出なかった。
その答えを兄信玄ではなく、弟信繁に期待していたのが信虎だったのは余談である。(外伝53話参照)
「ッ! 武田家としてそれで良いのですか!? 武家として、国の支配者として誇りは無いのですか!? こんなのは野武士やら得体のしれない食い扶持を求める者がする事でしょう!?」
敵である頼周が、まるでアドバイスでもする様に説得を試みる。
謀略で生きる頼周らしからぬが、それ程の衝撃だったのだ。
「質問が多いですなぁ。武田家としての良し悪しなど、どうでも良い」
義信は頼周のアドバイスを、一刀両断に斬り捨てた。
「誇り? そんな役に立たぬモノなど野生の動物に食わせてしまえ! 食い扶持を求める者のする事? その通り! 我らは食い扶持を求めておるのだ! 否定はしない! 他の武家より恵まれた土地が本拠地ならこんな事をする必要は無いが、甲斐である以上、見栄を張っては生きてゆけぬのだよ!」
義信は言い切った。
これが信玄と共に考え出した答え。
とは言え、この考えに到達するまでは、かなりの難産だった。
プライドを捨てて初めて見えてくる生き残り戦略なのだ。
現状維持をしたままでは、この答えには絶対たどり着かない。
【信玄、信繁追放を決めた日】
『貧弱な甲斐を背負って、他家と同じ様に振る舞おうとするから苦しいのだ』
この考え方が天啓だった。
苦しいなら、やめれば良いのだ。
簡単な事だ――ではない。
従軍、生産、労役、徴税の緩和は領民は喜ぶだろうが、あらゆる面で武田家のを圧迫するだろう。
寺社への寄進と戦勝祈願は、宗教が絶対の世界なのだから当然の必要経費。
関所もセキュリティも兼ねているので廃止は難しい。
『全て緩和しましょう。今、朧気ながら新たな道が見えてきた気がします……!』
『ほう!? なんぞ見えたのか?』
義信の呟きに本物の信廉が興味を持つ。
武田家の口から『緩和』など信じられない言葉だけに衝撃的でもあった。
『民は生産と労役で十分。税は鐚銭も認め、納める水準も他国と同程度としましょう。関所も銭の徴収は止め、通行自由とし、不審者だけ捕らえる検問だけの機能にしましょう』
義信が将来の武田家の在り方を語るが、とんでもない大減税政策であった。
『それは……また随分思い切ったな。だが関所は手軽な収入源ぞ? 誤解の無い様に言うが、責めてはいない。斬新すぎて期待感が強いのだ。先を聞かせてくれ』
信廉は期待感と興奮が抑えられないのか、顔が紅潮している。
今、何か扉が開かれようとしてるのだ。
その現場に立ち会えるのは僥倖なのだ。
『まず関所。こんな物で銭を徴収するから武田には誰も近づかない。不審者対策として関所の撤廃まではしませんが、そもそも甲斐を本気で狙う者など居りましょうや?』
めちゃくちゃな皮肉だが、確かに、内情はともかく超強力武田軍を倒して奪った土地は、貧弱な土地だけだ。
苦労の割に合わなすぎる。
『た、確かに。最貧国たる甲斐を虎視眈々と狙うのは、何とも割に合わぬ苦労よなぁ。クックック!』
信廉は自虐のあまり笑ってしまった。
『家臣の分断を招く間者は入るかもしれませぬが、そこは望月千代女率いる忍に監視させましょう』
武田家は外に行くしか生きていく道が無いので、間者は豊富である。
税が払えず処刑された親の子も、生きる道として預けられている。
その辺りの人材は、皮肉にも豊富である。
『成程。じゃが民を生産と労役だけにすると言う事は、軍勢の規模はかなり縮小されるだろう。ここをどうする?』
これは最大の問題だ。
武田家が強いのは常時背水の陣の大軍勢だから強いのだ。
従軍する農民も略奪して自ら家族を養う。
だから誰もが必死で異常に強い。
『民は自分の食い扶持と安い税を納めてもらえれば十分。信玄堤の補修や新たな城普請もキチンと報酬を払いましょう』
軍役を無くし生産だけに従事させれば、人手が足りず米不足、などと言う本末転倒な事態も起きない。
それに、織田から漏れた種もみの水選別が、中々の効果を発揮し、甲斐は年々、米の増加が見込まれている。
多少の不都合はあったとしても、大飢饉には陥らないだろう。
『いい考えじゃが……どれも、銭や物資があっての話ではないか? 民への負担を減らした上で、どこから資源や資金を生み出すのだ? 金山を当てにしているなら辞めた方がいい。永遠に金を排出する山など無いのだ。甲斐はいつ枯渇するか分からぬ資源しかないのだ』
『そこです』
『じゃろう?』
これが最大の問題点だ。
だが義信は簡単に答えを出した。
『いえ、もう答えはあります。最後の資源があるじゃないですか。近くにそれを体現した者が居るじゃないですか』
『……近く? 近くって……まさか織田? 専門兵士か!? ッ!? と言う事は、我々が資源と申すか!? し、しかし、甲斐には武家の次男三男はともかく、流人も少なかろう!?』
織田家は土地に恵まれているから、大胆な政策を運用できる。
誰でもマネできる政策ではないのだ。
それを、よりによって武田家がやるなど自殺行為だ。
だが、この問題にも義信は簡単に答えを出した。
『良いのですよ少なくて。少ないなりに、戦の援軍を仕事とします。だってもう、どこにも侵略できる土地が無いのですから』
『あっ!? い、言われてみれば確かにな。周辺の土地は強大な大名が全て押さえておるな。とんでもない失念をしておったわ』
南に今川、東に北条、北には村上と上杉、西には斎藤と織田。
もう侵略できる土地は、未開の土地で、人が住むに適さない山間部しかない。
あとは遠征した先にある飛び地となる。
『ならば、いつでも、どこでも、誰とでも、援軍を主軸とした傭兵として武田家は生きていくしかありますまい? ……と言うのが某の結論です。如何ですか? 同盟が崩れれば話は変わりますが』
信廉はグウの音も出なかった。
そして結論も出た。
武田家に信玄も信繁も不要であると。
こうしてクーデターに繋がった。(179話参照)
【現在/越中越後国境近辺の廃寺/昼】
「報酬で戦う故に略奪も乱暴狼藉も無しの完全戦闘集団! 今までは略奪を力に変えて戦ってきたが、これからは違う。仕事として戦い、戦って金と物資を雇用主から得る。これが甲斐の生きる新たな道!」
義信は言い切った。
信長の専門兵士を違う角度から、と言うよりは、止むを得ない理由でもあるが、もうこれしか無い当然の帰結であり、義信の真価が試される、思い切った道であった。




