206話 上杉政虎の苦慮と武田義信と信玄の起死回生の一手
【越後国/勝山砦 上杉家】
「まさか、其方から接触してくるとはな。随分と思い切った手を打つ。それに堂に入っておるわ。ワシは本物を救出したのにも関わらず、『あの記憶は何かの間違いか?』と思いそうになるぞ?」
上杉政虎が、武田義信と武田信玄に対し、冷や汗を滲ませつつ言った。
ここには上杉政虎と斎藤朝信に護衛として小島貞興が同席している。
それと、話の論点になるであろう村上義清もいた。
全員、ここにいる武田信玄が偽物と知っているが、知ってなお自信を喪失しそうになりそうな程度には驚いている。
本物を見て、偽物を見て、それでもなお、眼前の信玄は完璧だ。
「それを知ってなお、罠かも知れぬのに我らの求めに応じた。其方とは幾度も戦ってきたが、やはり度胸は一級品。武将の手本たる御仁よ」
偽物と断定されながらも信玄は、それを受け入れつつ信玄として返した。
また息子の義信も後に続く。
「あの謀反人共を解放されたのはコチラとしても迂闊でした。まぁ、放って置いても野垂れ死ぬだけでしょう。誰かの下に付く性格の叔父上達とは思えませぬからな。己の行いを反省したならば再会もあり得るでしょうが、その時は侍大将として使ってやりますかな」
武田義信が堂々と言い放った。
偽信玄もそうだが、両者とも上杉政虎相手に一歩も引かない。
三好長慶程では無いにしても、上杉政虎の威圧感はそこらの大名や武将では相手にもならない。
(大した者達だ。個人的には好ましいが、大名としては困る奴らだ。どうすべきか……?)
一応、武田家は代替わりした事になっており、そのどさくさで謀反が起きたが、信玄と義信親子で鎮圧した、と言う事になっている。
もうこの既成事実は覆せない。
義信の方針が武田家臣を納得させたからだ。
その鮮やかな手腕は侮れない。
「で? 大方の予想は付くが、何の用件であるかな?」
上から目線の言い方だが、言葉とは裏腹に不安も過る。
大方の予想とは村上義清への対応だと見ているが、何か違う気がしてならないのだ。
「まず、我らは基本的に本願寺へ一揆鎮圧を提案した身。とりあえず成果としは飛騨を斎藤家と協力して鎮圧しました」
「物は言い様だな。そうとも言えるな」
実際は義信達の謀反で、武田軍は飛騨から撤退させられた。(179話参照)
ただし、飛騨東部の一揆を、斎藤家と競い合って鎮圧競争していたのも事実。
だから『そうとも言える』のだ。
現在の世界中の政治の世界でも、いや、政治の世界でこそ『そうとも言える』事が重要なのは知っての通り。
「一定の義理は果たしたと思っておりますが、何やら追加で調べると、一揆は今からが佳境とも言える状況の模様。越前は吉崎御坊が陥落しましたが、まだまだ予断を許さぬ様ですし、ここからどうとでもひっくり返される未来もありましょう」
「その通り過ぎて反論できんわ」
義信の言葉に政虎は苦笑いするしかなかった。
何せ、武田が越後に隣接しているので、上杉が原因で一揆が盛り返すかもしれないのだ。
「故に武田家としては、本願寺との約束を今一度果たしたい所存」
「……果たしたい所存? そうか。そう言うしかないな」
表向きは何であれ、武田家はもう動けない。
完全に閉じ込められた虎なのだ。
だから『果たす所存』と断言できず『果たしたい所存』と希望を述べるしかない。
「そうです。そう言うしかないのです。それで上杉殿に聞きたい。どうしたいですか?」
「どうしたい!? どう言う意味か?」
「そのままの意味です」
(何だ? 武田家は困っているのだよな? 何で上から見下ろすが如く態度なのだ? 何らかのお願いに来たのでは無いのか? 頭を下げて!)
流石の政虎も、武田が何を言いたいのか分からず、言葉が出てこない。
「上杉家は越前の朝倉と足並みを合わせて越中に行きたい。しかし我々が邪魔で動くに動けないのでしょう?」
(こ、コイツ!? 今の状況で武田は雁字搦めで動けないクセに、我らを脅しておるのか!? 確かに、視点を変えればそう見える状況かもしれんが、クソ度胸にも程があろう!? 今すぐ全軍信濃に向かったって良いのだぞ!?)
武田太郎義信、25歳。
何せ実の父たる信玄と、その右腕たる信繁を謀略で追放したのだ。
風格は完璧な戦国大名だ。
この場にいる村上義清、斎藤朝信、小島貞興も、何か錯覚してきてしまい、『アレ? ウチが不利だったんだっけ?』と思いかける位には混乱していた。
本当のところは一切不利ではない。
ただ邪魔なだけだ。
上杉が動こうとすると、一揆か武田が出張ってくるだけで、負けるなどとは微塵も思わない。
ただ、盤面的に困っているだけで不利ではないのだ。
「上杉殿。我らは共闘できる。そうは思いませぬか?」
「何だとッ!? ……失礼。続きを聞かせてもらおう」
政虎は取り繕うが、動揺が隠せなかった。
「我ら武田は現在、政の改革最中。親父時代までの武田が、いかに酷い政治を行っていいたかは知っておりますな?」
武田の暴政と言えば、戦国時代の名物にして、現代人の壮絶な勘違いで伝説化されている。
お世辞も言えない程に酷いありさまだ。
ありさまだが――
「まぁ……な。知らぬとは言えぬ程度には噂が流れてきておったよ……!? ん!? 最近は聞かなくなったか? お主達はどうだ?」
「……そう言えば聞きませんな」
朝信が答え、義清と貞興も『確かに』と顔に出しながら頷いた。
「我らは先祖代々の悪政を反省し、新たな道を歩き出しました。その証拠に、武田専門兵士2000人。用意しました」
「専門兵士だと!? 甲斐でか!?」
貧弱な土地での専門兵士が可能なのか?
本来は不可能だが、最近可能になったのだ。
織田から流れてきた、毎年の種もみ選別技術によって、病害に強い稲が大半を占めるようになり、余裕が生まれた。
ただ、生まれたといっても、最貧国には違いないので、防御に回る時、大事な侵略時は農民総動員だが、援軍程度なら専門兵士だけで動ける様になっていた。
ただし、それでも織田、斎藤より待遇は悪いが、信玄時代に比べれば天国だ。
「一緒に越中に向かいたいと?」
「そうです」
武田単独で一揆に対応できないなら、また、上杉も武田の存在を邪魔に思っているなら、上杉に援軍として同行すれば、一定の安泰を与えられる。
義信はそう言っているのだ。
「……良い案だ。一つの懸念を除いてな」
「懸念?」
「我らは、この村上の旧領回復をも目標としておる。武田の主力がいないなら絶好の機会となるのだがな?」
皆が一斉に村上義清に目線を向けると、村上義清は悲願を叶えられるチャンスを得たと分かる顔をしている。
「村上殿。ワシが奪った村上家の領地。これは武力で奪い取ったもの。取り返したい気持ちは理解できるが、その土地から追い出された方が悪いのは、この時代の常識として理解はしていよう。頭では理解できなくとも心では納得しているハズだ」
偽信玄が信玄らしい振る舞いで話す。
戦国時代の心得を説いているが皆の感想は『本当に見分けが付かない』だった。
「お、仰る通りなのは重々承知。しかし、自分が生まれ育った土地に帰還したい人としての気持ちも理解はして頂けよう? 武田家だって甲斐を奪われれば、取り返したいのではないか!?」
「甲斐か。欲しいなら信濃と交換でもかまわぬがな。あんな足枷にしかならない土地が欲しいなら差し上げても良いぞ?」
冗談なのか本気なのか偽信玄は言い放った。
義信も笑っている。
「なっ……!」
言われた義清は絶句するが、政虎と上杉家臣は驚きつつも『確かに要らないな』と思ってしまった。
「頑張れば金は採掘できるぞ? ハッハッハ! とまぁ冗談はこれまでにして、村上殿は知っておるかな? 織田と斎藤の関係を。夫婦で大名という常軌を逸した関係性じゃが、それ以前から家臣を他家に仕えさせておる。織田は斎藤家と三好家にも家臣を送り、北条家も三好家に家臣を送ったらしい」
「まさか、上杉と武田の両家に仕えよと!?」
「成程。そう来たか。しかしそれでは納得できぬよ。のう信濃守?」
「そうですな。某ももう60代。明日死んでもおかしくない歳。だからと言って焦って不利な条件に飛び付く程に耄碌もしてもいない!」
流石は本物の武田信玄を2度打ち破った英雄だ。
その覇気は衰えておらず、また、信濃への執念が心を支えているのだろう。
「承知しております。故に葛尾城含めた北信濃1/3を領地として与え、上杉武田両家の為に働いてもらいたい。いや、武田の為に働くのは納得いかない部分もありましょうが、それは武田のこれからを見て判断して頂きたい。信用能わぬと思えば、北信濃を手土産に上杉に与すれば宜しい」
貧乏な武田にとって、1/3とは言え北信濃譲渡は大盤振る舞い過ぎる。
だから『葛尾城』である。
葛尾城が義清の生まれた城だからだ。
1/3を無条件で与える程に村上義清の能力を買っているし、執念深く武田を狙い続ける狂気は正直厄介だった。
そこで思いついたのが、織田の真似。
専門兵士もそうだが、村上義清は上杉と武田の家臣として北信濃に封印してしまえばいいのだ。
もう60代ならば、義清の子とうまく付き合って行くのも良い。
それともう一つ――
「北信濃を失う利が釣り合わぬ。何か他にも条件があるのではないか?」
「さすがです。越後、あるいは越前の港を使わせて頂きたいのと、商人の無条件の通行許可を頂きたい」
「海か。そう来たか。それを認めれば、武田軍2000が対一揆の援軍として働くと?」
「そうです。これにて武田と上杉の無駄な争いは終わり、禍根なく同盟を結べればと思います」
義信は無茶苦茶な事を言っている。
どうしても海が欲しい故の無茶な要求。
だが、断れば今まで通り、お互い苦しいまま無駄に刻が過行くのみ。
突然ではあるが、武田家が義信に代わって風向きが変わった。
「……よかろう。いや、信濃守。お主が決めよ。ここはお主の意向に従おう」
「武田殿。信用能わぬとあらば、本当に容赦なく裏切りますぞ? 宜しいのですな?」
「宜しいですぞ」
「……殿。某はどうしても生きている内に信濃の地を踏みとうございます」
義清は政虎に頭を下げた。
無茶苦茶な要求を突き付けてきたが、両家と村上の現状の問題点を一気に解決できる提案だ。
「よし。お主に任せた決定じゃ。ワシが口を挟むは細かい決め事程度か。所で武田軍は直ぐに動けるか?」
「もちろんです。そのつもりで信濃に待機させております」
「ならば一揆対策援軍としてこの勝山砦まで参られよ。その戦いぶりも、今回の要求に影響すると思って戦って貰いたい」
「もちろんです」
義信は即決した。
要求しているのだから援軍の即決は当然だ。
だが、まだ一つ解決したい問題があったが、それは上杉には関係ない話であり、ここでは言わなかった――
だが、上杉政虎にも都合があり、こちらの方が今後の為にもなると判断し軌道修正した――




