205話 苦渋の悩み
【越後国/勝山砦 上杉政虎】
上杉政虎が家臣の喧々囂々の言い合いを無視して瞑想している。
昨年の一向一揆対策で、越前に乗り込んで大暴れしたが、七里越中守頼周が謀略で大暴れし、武田家の内紛の誤算と北条軍の越後侵略に悩まされ、結局、越中の領地的成果はゼロに終わってしまった。
(だが、失敗は別に良い。敵に与えた打撃の傷は癒えておらんだろう。ならば、またやり直せば良いのだ。だが……)
家臣達は越中の領地を奪取できず気落ちしていたが、上杉政虎の懸念はソコではない。
(越中侵攻の難易度が格段に跳ね上がった。これは悩ましい。大問題だ!)
政虎の悩みはズバリ武田家。
今や、信濃制覇目前にして、越後国国境を脅かす寸前まで成長した武田家。
この武田家、今は信玄の嫡男である義信が率いているが、信玄も別に引退して老後を過ごすでも無く、義信の補佐に、戦略に、政策に大車輪の活躍を果たしている。
ならば、義信が信玄の傀儡かというとそうでもない。
信玄も義信も両者とも超優秀なのだ。
(何たる戦巧者よ! 偽物なのに! 余程本物を研究し、弱点を見抜いていたに違いない!)
しかも、この信玄は偽物だ。
本物の信玄の影武者を務めていた武田信廉が、義信と共謀し、本物の武田信玄と武田信繁を追放し武田家を乗っ取った新生武田家。
家臣や信玄の妻子を全員騙しての完璧な入れ替わりと代替わり。
今年も信濃攻勢が苛烈になるのは明白で、本当は朝倉家、斎藤家と歩調を合わせて越中の一向一揆対策に動きたいのだが、動けない。
(手段が無い訳ではない。我がココに残るかアチラ行くか、どちらかだが……)
越中の七里頼周は謀略の達人。
コレに対応できるのは上杉政虎だけだ。
信濃の武田義信&信玄の偽親子最強タッグは、既に本物の信玄と信繁を超える逸材。
コレに対応できるのは上杉政虎だけだ。
(クソッ! 手段が無い訳ではないが、どちらかは諦めねばならん! ワシも優秀な影武者を用意しておくべきであったわ!!)
政虎の家臣は基本的には自分勝手だ。
一部の家臣は政虎の悩みを理解しており、信頼できる者もいる。
だが、大多数は自分勝手であり、その集団を纏められる上杉政虎がいてこそ最強なのだ。
もちろん、政虎が出るまでもない争いもある。
だが、己が『ここ』と感じる戦は全て自ら仕切ってきた。
説明できる感覚ではない。
独特の危機と激戦の余地を感じ取る感性。
例えば腕の良い料理人は、材料を見れば、味から完成形まで見えてしまう、異常な鋭さを発揮する。
料理のプロだからだ。
対して戦のプロたる上杉政虎。
状況を知れば危機になる前から危機を察知できる。
昨年などは、越後から越中、越中からまた越後、その次は越後から信濃へと引っ張りまわされ続けたが、上杉政虎だからこその判断力で最適解を進んできた。
ほかの武将だったら、七里頼周の謀略も、北条家の越後侵略も、武田家の信濃制圧も対応できたか怪しい。
斎藤家が同行していてくれたから、助かった部分も大きく、最近の政虎の悩みは、斎藤帰蝶を何とか信長と交渉して、自分の嫁に譲ってくれないかという、(自分でも無理だと理解している)思いだ。
何なら、織田家の家臣になっても良いから帰蝶が欲しい。
そう考えてしまいそうになる。
妻としてなら最高だが、上杉家所属の武将としてでも頼もしい。
(上杉家を出奔して、斎藤家に仕官するか?)
大名の身分で馬鹿な事を考える程には、今の状況に困っていた。
それほどまでに越中か信濃かの選択は究極の選択だった。
選ばなかった方が必ず負ける予感がある。
北陸一向一揆対策は己の発案なのだから最優先としたいが、本拠地の危機を捨ててまで一揆に関わって帰る場所を失えば本末転倒だ。
「見ろ。殿が悩んで考えていらっしゃる」
「『義』故の悩みだな……」
などと、何人かの家臣が政虎の悩みを『義』と考えている。
状況的には間違っていない。
どちらも見捨てられないのだ。
その姿は『義に迷う姿』に見えなくもない。
一揆を諦めれば、朝倉、斎藤、織田との義が、信濃をあきらめれば、村上義清との義が果たされない。
(馬鹿が! ギーギー煩いわ! どうすれば両方同時に相手して勝てるか悩んでおるのだ!)
唯一の安心材料は、北条家を気にしなくて良い事。
昨年、斎藤帰蝶が北条綱成との命懸けの死闘で上杉を守ってくれた。(185-6話~7話)
その姿を政虎他上杉家臣と本物の武田信玄と武田信繁、斎藤家や北条家の面々と観戦し、あまりの激闘には敵味方を超えて感動すら覚えた。
その恩義に報いねばならないが、長年信濃奪回を後回しにされながらも健気に自分を信じ付いてきてくれる上に、活躍してくれる村上義清にも良い加減報いねばならない。
本人は『いつでもいい』と言ってくれるが、この時代、主君を見限るのは家臣の自由。
まだ『猶予がある』などと考えていては、主君失格だ。
(ダメだ。どう考えても手立てがない! どう考えても後一手足りぬ! しかし決断せねばならぬ!)
政虎は決断して立ち上がった。
「書状を送る。受け入れられ次第、ワシが行く。下野守(斎藤朝信)、弥太郎(小島貞興)は共をせい。越前守(長尾政景)は留守居、他の者は越前へ行く支度し待機せよ!」
「は! ……殿自ら行かれる使者の任、行き先とは?」
「武田だ!」
政虎は決断した。
だが気が付いているだろうか?
今まで勝ってきたから家臣が付いてきているが、政虎は家臣が写し鏡である事を気が付いているだろうか?
家臣の目線から見たら、政虎は究極の自分勝手だと。
「殿! 急報です! 武田家からの書状が!」
「武田だと!?」
政虎が決断したのを見計らっていたのか、小姓が飛び込んできた。
【信濃国/深志城 武田義信&武田信玄】
信濃深志城(松本城)にて、武田の親子が苦渋の顔を突き合わせていた。
「やはりどうにもなりません。父上、ここは致し方ないかと」
「ううむ。我らが海を望むにはコレが一番じゃろう。刻さえ許せばこんな提案なぞしなくても済む……。しかしもう我らに刻は無い。いや、とっくの昔に過ぎ去った悪夢の刻じゃ。奴らのお陰でな」
信玄の言う『奴ら』とは、本物の武田信玄と武田信繁の事である。
「お主の妻には申し訳ないが、三国同盟の時点で武田の崩壊は決まったモノじゃ」
本来なら桶狭間で今川の崩壊が武田を成長させた。
しかし、今の歴史は、今川は盤石どころか、発展の一途を辿るばかり。
北条も順調に成長しており、三国同盟のパワーバランスは非常に歪だ。
武田は存在価値を無くしつつある、と言う程では無いが、上杉家に対する防壁以上の価値は無いだろう。
「今川でも北条でも、どちらか片方だけと結んで、残りを滅ぼせは海は手に入った。それなのに何をトチ狂ったのか雪斎の坊主に騙されて、我らは封じ込まれたも同然じゃ」
「来たのも里嶺ですからね。アレがどうしようもない愚妻なら今川に突き返せば良い話でしたが、そこらの武将より優秀ですからな……」
幼少期より太原雪斎の教育を受け、三国同盟後に武田へ行った後も変わらぬ知性を発揮し、しかも運が良いのか悪いのか斎藤帰蝶に影響を受け、武術の才まで開花する始末。
一度だけだが武田家を訪問した雪斎に手ほどきを受けた事もある。(119話、外伝59話参照)
「うむ。今川に返すのは正直もったいないのは同意だ。故に悩ましい」
偽の親子関係である義信と信廉は、もはや本物の親子同然の会話を行っていた。
たまに義信も『本物の親父か?』と思う程、信廉は完璧に信玄を演じていた。
(『嘘から出たまこと』とは良く言ったモノよ。最早叔父上は本物を超えておるのだからな)
「それに今川はイマイチ信頼できん。お主の妻が武田の内情を探るには良い。それが隣国の妻の務めじゃからな。これは情報を盗まれた方が悪い」
他国の妻が実家の為に働くのは、公然の秘密なのが当たり前だ。
「ん? その妻以外で今川が信頼できぬと? 一応、妻の役目はともかく、あの信頼できる武勇に知恵者の今川の義父がですか?」
「うむ。ずっと不思議に思っているのじゃが、織田と今川、桶狭間で激闘を繰り広げておきながら、仲が良すぎとは思わぬか? あそこまでお互い信じあえるモノなのか? 嫡子氏真は妻の涼春と共に、領内通行自由の権利すら与えられておるらしいぞ?」
不良が喧嘩の果てに友情を結ぶ程度の軽い話ではない。
本気で命を懸けて戦った家同士が、今や、お互い信頼し援軍を送りあっている、と言うより、織田と斎藤にいい様に使い倒されている節すらあるのだ。
育んだ友情、で片付けるのには無理がある。
「桶狭間の戦いは本当に戦があったのか? 本当に引き分けたのか?」
ついに真実にたどり着いた者が現れた。
偽信玄であるのが皮肉だが、ただ、あの戦に参加した馬場信春が引き分けだったと言っている。
『織田今川の両本陣が崩壊するも、今川の嫡子と織田の弟がそれぞれ人質となってしまい、人質交換で決着となった』
これが桶狭間のカバーストーリーだ。
もう13年以上は前の話で、デジタル的証拠もない戦国時代で、これ以上の調査は無理だ。
何なら尾ひれがついてカバーストーリーすらぼやけている始末。
酷いのに至っては『信長と義元が一騎討ちの果てに、業を煮やした帰蝶が割り込んで両者とも殴り倒して手を取り合わせた』なんて噂もある程だ。
しかも今になっては容易に想像できる光景過ぎて、こっちが真実でも良い雰囲気すらある。
後世の歴史学者も与太話と断じつつも『そうだと良いなぁ』と大半の学者が思っているのは余談である。
「桶狭間の戦が無かったとは言わぬが、それ以上の繋がりを得て織田家は大躍進を果たした。これが事実であり現実だ」
「そうですな。現実だけが事実。織田と今川はいまや盟友。ならば……和解しますか? 上杉家と」
「うむ。奪うが信条の武田だったが、やはり方針を変える時が来たのだ。この流れに従うは破滅の道ぞ。親父殿とワシでは出来なかった事を、お主とワシでやるのだ」
「確かに。もうどこにも侵略はできませんしな。一応、信濃の残り僅かな城が残っている程度ですが、それを平らげたら、本当に動けなくなります」
北は上杉、西は織田と斎藤、南は今川、東は北条。
多少は侵略できる余地もあるが、奪ったとて隣国と険悪になるだけでメリットがない。
唯一、上杉とは最初から険悪だが、険悪だからこそ、戦う余地もあった。
だが、それももう限界だ。
武田は本願寺に依頼され(本物の信玄が買って出て)北陸一向一揆の鎮圧に立ち向かうことになった。
その千載一遇の隙をついて、義信と信廉はクーデターを起こした訳だが、本願寺関係者は誰も居なくなってしまい、一揆の鎮圧を買って出た義務だけが残った。
本願寺相手に支援物資を引き出しておいて『失敗しました。ごめんネ(・ω<)』では済まされない。
武田家は代々負の遺産が蓄積してきたが、一向一揆対策は本当に悩ましい負の遺産。
本物と入れ替わった以上、そして、武田家である以上、無視ができない。
「上杉と交渉するしかあるまい。弱みは見せられないが、譲歩も飲まねばならんかもな」
こうして日取りを決め上杉家との交渉の場が設けられる事となった。




