202-3話 興福寺の天秤 DEAD or ALIVE
202話は3部構成です。
202-1話からご覧ください。
【大和国/興福寺 境内】
蜂の巣を突いた様な騒ぎ、或いは、蜘蛛の子を散らす様に――
とは、この様な場合で使うのであろう。
三好実休と織田信長の命令によって、兵糧、銭、宝物以外の持ち出しを許された興福寺。
猶予は5日間で5日目の正午。
そこを過ぎたら、興福寺は灰燼に帰す。
問答無用で、歴史的遺物も、有難い仏像も、歴代別当の肖像画も、超貴重な文献も容赦無く燃やす。
故に、坊主達は大慌てで、経典や仏像など、信仰修行に必要な物を持ち出そうと頑張る。
頑張るが――
どうやっても頑張れなかった。
いや、正確に言えば頑張ってはいるのだ。
ただ、先の戦で戦える人間が大打撃を受け、生きているだけの怪我人や、役立たずの老僧侶が殆どを占める有様である。
従って、動けるのは戦に適さなかった、老僧や小僧、身体的に問題のある者。
「成程。追加で更に5日間とは随分甘いと思っておりましたが……ここまで酷く悪質な慈悲があるとは驚きですな。こりゃ10日でも足りませぬな。ククク!」
実休が信長他、馬回り衆の精鋭兵と共に興福寺内を闊歩する。
目的は、歴史的価値のある建造物の最後の姿を目に焼き付ける為……と言うのは単なる好奇心程度。
真の目的は全然違う。
「その通り。慈悲は決して慈悲に非ず。寺院仏閣に我らの悪質さを思い知らせる為です。悪評には慣れておりますからな。豊前守(実休)殿も、こうなったからには覚悟してもらいますぞ? フフフ」
信長が異常に邪悪に嗤う。
だが実休も信長に負けぬ所か、邪悪の化身とでも言うべき顔つきになっていた。。
「クックック! 後世の評価が真に心配じゃのう。ん? おぉ。あの仏像など年季が入って値が付きそうじゃな」
眼前に実休が見上げる程の仏像が鎮座する。
興福寺の敗残兵では、到底運び出せないので、このままなら炎の燃料になるだけだが、後世の評価を心配する割には、金目の物に目を付けていた。
兄の覇道の為には、己の悪評など全く気にしない。
信長を見てその覚悟は一層強くなる。
そうなると、一度受け入れてしまえば、逆に何だか、だんだん楽しい気分になってくる。
三好家の一員として節度を守ってきたタガが外れたのもあってか、悪いアイデアが湯水のよう溢れ出る。
「この建物は、分解して運び出し『空海の念を込めた堂』とか吹聴して好事家に売るか? 言い値で売れそうじゃのう!」
巨大建築物は無理だが、小さな御堂程度なら分解して持ち出せる。
僧侶たちは、建物は完全に諦めた様なので、必要無いなら頂くだけだ。
「僧達だけでは持ち出した所で、途中で挫折するでしょうな。運搬する荷車も数は無いでしょう」
「荷車か。……あっ。先日雨が降って居ったな。可哀想にのう。……天罰か?」
実休が我に返って空を見上げた。
空は曇っている。
先日の雨とは、平城京跡で陣を張った時、菰川と佐保川が荒れ狂っていた。
戦場で雨が降っていた訳では無いので、水源地や山間部では雨が降った可能性が高い。
また、あれ以来天気はぐずつく一方で、道はぬかるんでいる場所も多い。
荷車がどこまで役に立つかは未知数である。
こうして、大慌てで引っ越し、いや、夜逃げ同然の境内で信長たちは悠然と興福寺を見学する。
治承4年(1180年)の『治承・寿永の乱』に含む、平重衡による『南都焼討』によって焼け落ちてから383年。
単なる城や、廃墟と化した平城京、平安京、掘っ立て小屋からすこし豪華になった天皇御所よりも歴史的価値は果てしない。
天守閣を備えた城が登場するまで、豪華絢爛な建物は、強力な神社仏閣と貿易港だけだった。
当然、興福寺もその一角。
その豪華絢爛な建物を、これから破壊するものが内部を見物する。
ある意味、究極の贅沢を信長達は行っていた。
5日間の猶予を与え、それ以降は容赦なく金目の物や、資材となりそうな物を奪う。
全ての準備が終わったその後、尋円には最後にして究極の大仕事が残っており、それが2つ目の罰となるのだ。
そんな5日間を昼夜問わずフルに使い、手頃な法典を持ち出す僧侶。
焼け残った残骸を搬入する織田軍。
金目の大型仏や御堂を解体して運び出す三好軍。
三者の息の合った入れ替え作業(?)が着々と進んで行く。
こうして長い様で実に短い5日間が過ぎ去ってしまった。
【5日後/興福寺 門前 三好軍本陣】
「ようし。日は天の頂に登った! まだ中にいる者は、僧侶も味方も燃やすぞ! 急ぎ退去せよ!」
念の為の警告が騎馬武者を使って行われる。
その中で何人かの僧が座したまま動かず、避難を促すも『ここで興福寺と共にする』と譲らなかった。
信仰の賜物だろうか。
そういう僧こそ生き残って欲しいのだが、そう都合良く行かないのが世の摂理だ。
何せ『憎まれっ子世に憚る』との言葉もある。
他にも『いい奴ほど先に死にやがる』との有名な死亡フラグもある。
「武士だったら死なせてやるのも情けの場合もあるが、こういう僧侶こそ生きて信仰を貫いて欲しいのだがな」
「そうですな」
実休の言葉に信長が同意する。
生きて欲しいとは思うが、死にたい気持ちも理解できる。
自分の使命は終わったのだと察し、これからの新しい時代に己が不要と感じ取ったのかもしれない。
本能寺で死んだ織田信長の様に。
《逃げられぬ事を悟って潔く死ぬ。ワシも経験したからな。気持ちは理解できるが、今は、2回殺されてなおまだ人生にしがみ付いておる。2回目は『やり直せるからなぁ』と思ってさっさと死んだ訳じゃが、1回目は不本意とはいえ、それでも、まだ自分の意志で死ぬ権利があったのが嬉しかったものじゃ》
《じゃあ例えば、捉えられ、首を刎ねられるのは屈辱ですか?》
《価値観の話で言うならそうだな。同じ死であっても、自分の命ぐらい自分で始末つけたいと思う。常識を破壊している身である自分でもそう思う。今残っている僧は仏と殉じるのだから、ある意味理想の死であろう。その潔い死を汚すつもりは無い。汚し藻掻くのは生き残った者の役目》
《生き残った者……》
ファラージャは、未来にて生き残った者だ。
しかも希望を託されて生き残った身。
汚れ、藻掻く覚悟で今をコントロールしているのだから、理解できる話だった。
「さて、尋円殿と僧達よ」
信長はファラージャとの会話を切って、青ざめている尋円や、この5日間、拘束されていた僧に対し悪意満載の声で話しかけた。
「ヒッ……」
この5日間の拘束で、神経を擦り減らし、病人の様に顔つきが変貌していた。
別に拷問もしていないし、キツイ追及もしていない。
食事も信長達と同じメニューだ。
三好軍の本陣の中で動ける範囲内では自由に過ごしていた。
もう、特別来賓対応扱いと言って差し支えないだろう。
それでも、呼ばれた時は、肩が上下するほどびっくりして反応した。
まるで歯医者で名前を呼ばれた子供の様だ。
「お待たせしましたな。これより2つ目の罰を受けてもらいます」
「……ッ! い、一体、何をやらせたいのじゃ……」
「命も信仰も保証します。しかし建物は保証しません。破壊します。言った通りです」
「ッ! そ、そうか……! それを見届けろと言うのですな……」
5日間、何をされるか怯え続け、ようやく合点がいった。
責任者として『責任を負え』と言う事だ。
「ん? 違いますぞ?」
だが、信長はアッサリと否定した。
「……えっ? 違う? 違うとは? 破壊するのでしょう? 他に何かあるのですか!?」
尋円は、若干希望をもって尋ねた。
てっきり、破壊され炎上する興福寺を見届けさせられると思っていた。
それ以上の屈辱的な罰は思いつかなかったので、安堵の心が沸き上がるが、信長はさらにその上(下?)を行った。
「さぁさぁ。尋円殿、その他の使者殿、長い間お待たせしましたな。こちらへどうぞ」
信長の案内で、三好軍の最前線に案内された。
そこには三好実休が待ち構え、手に持った弓を尋円に握らせた。
「さぁこの弓を。扱えますな?」
「えぇ。……ッ!! まさか!?」
尋円はこれから起きる惨劇を理解した。
「斬首は斬る者が居てこそ成立する処刑。では仏閣に対する斬首は? 斬る者の役目として尋円殿ら以上の役目に相応しい者はおりますまい!」
「ッ!! み、三好実休……織田信長……貴様らは悪鬼羅刹か……ッ!!」
渡された弓が、尋円の体が震えるお陰で、ビヨンビヨンと間抜けな音を立てる。
囚われの身でとんでもない暴言だが、実休にも信長にも心地よい言葉だ。
「さ、こちらの火矢をどうぞ。念の為に警告しておきますが、狙いを外すのはともかく、興福寺以外、例えば後ろに向けて撃ったら、連帯責任で、全員斬首します。遺体は興福寺に放り込んで一緒に燃やします」
「ぐぬぬぬぬッ!! クソオォォォォッ!!」
尋円の咆哮が木霊し、尋円と僧侶たちの火矢が興福寺に撃ち込まれる。
それを合図に、興福寺の全方向から火矢が次々と撃ち込まれる。
五重塔、東金堂、西金堂、中金堂、北円堂、南円堂ら、後世に残れば重要文化財確定の建物――
修行場所でもあった伽藍や宿舎――
次々と火を噴き炎上する。
織田軍がせっせと燃えやすそうな瓦礫を仕込んでいたお陰だ。
「ご苦労様でした。さぁ解放致しますので、何処なりと好きな所へ行くが宜しい」
実休の優しい声に従い、尋円達は幽鬼の如く表情と足取りで、北へ向かうのであった。
こうして実質大和守護であった興福寺を完全消滅させ、三好家は大和国を統一したのであった。
よろよろと歩く尋円の背に向かって実休が言った。
「我らを恨むのは筋違いですぞ? 全ては尋円殿が選択を間違え続け、生き残りを選んだ結果なのですから」
《侵略したのは三好だがな》
《負けた方が悪いのですね?》
《そうじゃ。そこに可哀想などと言う概念は無い!》
信長は冷徹に言い切った。
「さて豊前守殿、興福寺の焼失を見届けてから、次に行きますか」
「そうですな」
三好軍は火矢を放ち続けている。
興福寺の業火はお隣の東大寺からも、立ち上がる地獄の鬼の如くの獄炎に見えた――




