201-2話 道連れの一致団結 大仏の足蹴
201話は2部構成です。
201-1話からご覧ください。
【大和国/三好軍 平城京跡 三好実休本陣】
「来たぞ! 愚かにもキッチリ10日後の予定通りだ! 色々動いたのだろうが、お陰で迎撃態勢も整った! この仮設陣地で迎え撃ち、興福寺の兵を可能な限り撃ち取れ! 怪我を負わせるだけでも良い! 興福寺が籠城した時、足手まといが増えるのだからな!」
瓦礫で作り上げた三好実休陣。
柵も無い瓦礫を適当に撒いたり、山を作ったり、焼け残った柱を立て掛けただけの防御力激薄の陣――の様で違う。
とにかく真っすぐに直進できない作りになっている。
瓦礫に足を取られたり、草鞋を貫通して木片が刺さったりと、歩兵を殺す要素満載の陣だ。
信長が、かつて丸太橋に釘を打ち付けただけの橋で敵を自動撃退した話をし『それの大規模版を作ろう』と実休に提案し作り上げたのだ。(34話参照)
また崩れる壁の応用でもある。
元々平城京の跡地であり、殆ど平地なのが防御として難点だが、その代わり様々な戦乱で瓦礫の山だらけでもあり、今回の侵攻でも大量の瓦礫を量産した。
これを適当にバラ撒き、瓦礫の山を作ってみたのだが、これが思いの外、良い感じに出来上がった。
真っすぐ歩ける道などない。
異物が少ない道はあっても、異物が無い道は無い。
瓦礫の上を強行突破すれば、転倒やケガの恐れもある。
戦場で転倒すれば、後続の兵に踏みつぶされる。
慎重に歩いたり、迂回したり、道を探したり、作ったりすれば格好の的だ。
瓦礫の山間部などは、あからさまな罠通路で、常に弓隊の殺し間として狙われている。
足を取られた歩兵は弓鉄砲で射殺し、唯一瓦礫を踏み越えられる騎馬は、単騎では役に立たず、槍の餌食となる。
これが仮に逆茂木や柵なら、縄や人力で引きずり倒され排除されるが、今回は正真正銘瓦礫だけである。
撤去しようにも、柱などの建築材や、朽ちた土壁が一部分だけ動くに過ぎない。
逆茂木や柵は組み上げられ縄で縛られているので、どこか動けば連鎖的に動くが、瓦礫ではそうはいかない。
この『撤去可能なのに突破不可能の障害物』と言うのが肝だった。
現代で例えるなら『割れたガラスの通路を、攻撃を避けながら裸足で渡れ』であろうか。
この時代は藁の草鞋、良くて踵丸出しの足半、裸足も珍しくない。
そんな足装備で、瓦礫の上を歩くなど、RPGのダメージ床同然のトラップだ。
「……信じられん。かつてこんな低予算でこんな強固な陣を作った奴はおらんだろう! (織田弾正忠。頼もし過ぎる! 運も良過ぎる! 危険な程に!!)」
新規に何かを加工した材料など何もない。
金を掛けてもいない。
しかも、運が良い事に、昨日まで雨が降っていた。
特に山間部の水源地では土砂降りだったのか、菰川、佐保川共に、普段の数倍の濁流となっている。
これにて、瓦礫と二重水堀の、正真正銘、金の掛からない天然砦が完成した。
信長は雨に愛された雨将軍。
史実の桶狭間では豪雨雹雷を呼び寄せ、朝倉追撃戦では雨を読み切り、梅雨期の長篠の戦いでは、雨が止み鉄砲が大活躍した。
雨将軍たる信長の雨男ブリは、歴史が変わっても健在で、実にエコロジーな半自動殺戮陣地の完成であった。
「その上、二重三重の攻撃態勢も準備完了しておる。退却するまで高みの見物ができてしまうか?」
三好軍は特殊な陣形で構えていた。
防御陣地を先頭にした魚鱗陣である。
ただし、陣地内で構えている実休軍は自分たちで敷いた瓦礫で身動きが取れない。
主に弓矢での迎撃専門が仕事だ。
その代わり、魚鱗の両翼が混乱した興福寺軍を蹴散らす算段だ。
【興福寺軍】
「こ、こんなふざけた陣に手こずるとは! えぇい! 瓦礫など押しのけて進まんかッ!!」
「む、無茶を仰らないでください!! 戦いながら瓦礫の撤去など、無茶の極みにございます!!」
現実で最近の災害続きの日本でも、まず瓦礫を撤去しなければ復興が進まない。
現代でさえ重機やトラックを駆使して年単位で撤去するのだ。
今回の瓦礫陣は災害規模では無いので、撤去するだけなら可能だが、戦いながらなど無茶が過ぎる。
「それに東大寺の連中はどうしたぁッ!? 攻める約束をしたのだろう!? どういう事だ!?」
指揮官の僧は、先日、東大寺に伝令に行った僧を怒鳴りつけた。
「わ、わかりません! 智経様はこちらの要望に対し『分かった』と理解を示したのですが……!」
「……くそッ! 一体何が分かっておるのだ!? 何の将来も見通せぬのか!!」
興福寺の指揮官は東大寺に向かって吠えたが、戦の喚声でかき消された。
【東大寺軍】
「本当によろしいのですか?」
「よろしい。何も間違っていない」
東大寺別当の智経が断言した。
東大寺は今回の戦で兵を揃えて出陣した。
興福寺はそれをみて安心したのだが、結局東大寺は寺の前で兵を展開したまま動いていない。
智経の言う『分かった』は『興福寺のやりたい事が分かった』だけであって、具体的な支援は何も約束していない。
限りなく黒いグレーだが、先日の交渉でも『アレをする、コレをする』などとは約束していない。
ただ『分かった』と言うに留めたのだ。
興福寺の要求を理解した上で足蹴にした。
日本人の契約下手の典型であろう。
念押しすればする程、疑うと同義であり礼を失し、疑ったならば言霊が発動するも同義。
信頼こそ全て。
だから中途半端な契約となり、肝心なところで食い違いが発生してしまう。
智経は、そこを逆手に取ったのだ。
東大寺の出陣は中立の立場で負傷者の救護をする為だけだ。
今回の戦に関して、中立の約束だけは三好と織田にした。
その上で、陣営関係なく負傷者を無条件で救護しているのだから、感謝して欲しいぐらいである。
当然、興福寺からしたら激怒不可避の態度だが、東大寺も大仏を人質に取られているのだ。
『中立でいろ。抵抗したら大仏を燃やす』
そう脅迫されている。
興福寺に詰め寄られたら『そう言い訳すればいい』とも言われている。
宗教が絶対の世界で、延暦寺も興福寺も本願寺も所持していない、唯一無二の大仏の価値は計り知れないのだから。
「それに……三好は必ずやるだろう。織田も引き連れているのだ。大仏を燃やすのに何ら躊躇は無いだろう。修理殿(三好長慶)に抗議したとて、配下の暴走で済ますだろう。絶対に三好に逆らってはならぬ。怪我人だけは救助するが、尋円であろうと畠山殿であろうと『差し出せ』と言われたら、死体であっても差し出す。そのつもりでな。故に畠山殿の所在を確定させよ! それが今回の我らの戦と心得よ!」
「は、はッ!」
実は、まだ畠山高政の所在は不明であった。
興福寺の言い分では、東大寺に逃げ込んでいるとの事だが、まだ見つかっていない。
負傷した畠山兵に聞いて回っても誰も分からないと言い、『東大寺にいるのですか!?』と聞き返される始末。
本当に東大寺にいるのか怪しいが、不在と決めつけた後で居たら最悪だ。
(特に織田軍には畠山高政の素性を知るものが捕虜になっているとも聞く。我らは顔を知らぬから判別できぬが、向こうはできる。『顔を知らないから』などと言い訳の効く相手ではあるまい!!)
これが1国程度か、地域の土豪程度の詰問ならどうとでも対処できる。
何なら東大寺の力を見せつけて撃退することも可能だ。
だが、今後東大寺の相手をするのは、日本最強勢力の三好家と、日本最凶勢力の織田家だ。
(三好はまだ理性を期待できるが、織田はダメだ! 願証寺を地獄と変貌させ、北陸の一向一揆でも猛威を振るって一向宗徒を虐殺して回っているとか! 本願寺の連中がどうなろうと知った事ではないが、仮にも宗教勢力にそこまで大鉈を振るう事ができるとは!)
東大寺も、興福寺も、本願寺の各寺、日蓮宗、曹洞宗、臨済宗ら色々ある仏教宗派。
考え方や解釈の違いで邪教を撲滅するべく争うのは当然の修行だが、無関係な武家に蹂躙される筋合いは本来無いはずなのだ。
だが、たまに歴史に現れる。
宗教勢力を蹂躙し、僧侶を迫害し、仏に噛みつく、強大な勢力を持つ狂人が。
平清盛、鎌倉執権北条氏、後鳥羽上皇、足利義教、細川政元ら狂人が、必ず時代の節目に現れ大暴れした後で滅んでいく。
例え受け入れがたい対立宗派が武家に襲撃されたとて、それは天変地異の如くな凶事。
滅ぶのも当然だ。
それなのにこの時代には三好長慶、そして織田信長に斎藤帰蝶の出現だ。
彼らに関わる勢力にまで範囲を広げれば、上杉政虎、朝倉延景、浅井長政、今川義元にまで範囲は広がる。
時代に1人表に現れるだけでも驚愕の事実なのに、この時代には既に大量に仏を足蹴にする輩が表れている。
(これだけ実害の例が溢れておるのに武士とは学ばぬモノよ! 寺院を攻撃すれば必ず身が亡ぶのに! いや、大多数の武士は信仰に篤いのだ。問題なのは権力を持ってしまった勢力か。仏をも従えようと無駄な事をする! だから戦国時代などと揶揄されるのが何故分からん!)
智経は大きな溜息をついた。
「このあと、負傷兵が雪崩の様に押し寄せるだろう。協定通り中立として負傷者の救助に努めるぞ」
智経は遠くで戦う、恐らく木っ端みじんに粉砕されているであろう興福寺の僧兵を、治療する準備を命じた。
最初から表明している通り中立の立場として。
【三好、織田軍対興福寺軍】
こうして、智経の読み通り、興福寺軍は手も足も出ず、大打撃を受けて撤退する事になる。
興福寺は結局瓦礫陣を破れず、散々に追い立てられ壊走した。
しかも逃げ帰るには荒れ狂う菰川、佐保川を通過せねばならず、古来より渡河は最大の危機であるにも関わらず、苦労して渡河した上で攻撃したが、反撃で大きなダメージを受け、さらに撤退時の渡河で甚大なダメージを負った。
もう興福寺として瀕死の重傷だ。
ほっといても勢力として死ぬ。
普通なら。
だが、それで終わりではない。
これは、単なる領地争いではなく、生存を賭けた戦いなのだから。
故に次の狙いは、興福寺そのものである。
即ち、この時代の最強寺院の一角たる興福寺が、武家によって滅ぼされる事に意味がある。
そして、それを忘れずキッチリ止めを刺すのが、三好実休と織田信長なのである。




