201-1話 道連れの一致団結 必死の交渉
201話は2部構成です。
201-1話からご覧ください。
【大和国/東大寺 大仏殿】
夜――
興福寺の使者が闇夜に紛れて東大寺にやってきた。
「智経様、こちらが興福寺別当尋円よりの書状にございます」
「……見なくても内容が分かりそうな書状ですな」
智経は明らかに渋い顔をしながら書状を受け取った。
蠟燭の明かりだけでは表情がイマイチ判別しないのは、運が良いのか悪いのか?
長年の興福寺との付き合いはあれど、東大寺としては中立を貫きたいのが本音であった。
もちろん、興福寺の使者も歓迎されていない雰囲気は察していた。
そんな事は当然だと思っているが、それでも、この交渉は成功させなくてはならない。
もう興福寺だけでは対抗できない。
勝つには東大寺を巻き込むしかないのだ。
だが、巻き込まれたくはない東大寺。
東大寺の仏殿、即ち大仏が座す真ん前で、二大寺院の意思が強烈に渦巻いていた。
この交渉で、興福寺と東大寺の運命が決まる。
それ故に、智経は交渉の先制攻撃として『見なくても分かる書状』と皮肉を込めて言った。
だが、そんな攻撃が来るのは想定済みの使者。
「ならば話は早い。どうか我等に力添えをお願い申し上げます!」
「……尋円殿は、仮に興福寺が灰燼に帰そうとも最後まで戦うおつもりか?」
「もちろんにございます! その覚悟は書状にも記載されている通りです!」
先ほどから書状を開かない智経に苛立ちを隠せない使者は、書状を見る様に強めの言葉で促した。
止む無く、仕方なく、嫌々――その他諸々の感情を見せながら智経は書状に目を通す。
「ふむ……。その様ですな」
参戦を促す懇願なのに、檄文の様な書状だ。
そんな書状を見て智経は尋ねた。
「ならば仮に勝ったとしよう。その後をどうするのだ? 到底、続かんのではないか?」
智経には戦の先が見えている。
どう考えても状況が好転するとは思えないのだ。
この大和国が織田勢力より東なら、三好勢力より西ならまだ希望はあった。
しかし現実は織田と三好の間に位置しているのだ。
今となっては最悪の立地物件だ。
「三好も織田も、この一戦に負けたとて、必ず次が来るだろう。対して、我らは大和国の名の通り山に囲まれた国。基本的に孤立しているのが大和国なのだ」
「おっしゃる通り。しかし京への道は開けております!」
この京への道が、蠱毒への誘導路であるのは知らない。
逃げ込んだが最後の毒壺だが、興福寺の使者は誘蛾灯の如く光の道が見えていた。
「今の京……六角を当てにしているのかね?」
京の支配者は六角である。
ただし『支配者』とは可能な限り配慮した言葉である。
実際は『京に居る勢力』に過ぎないのが六角だ。
「それもありますが、もっと大きな勢力があるではありませぬか!」
「大きな勢力? ……帝か。調停を願うのかね?」
「そうです! 帝に直訴し三好と織田に引いてもらうのです! その詔勅が下りるまでの間、耐えきれば良いのです!」
「……」
興福寺の使者の説得は、智経にはメチャクチャ都合の良い考えにしか聞こえなかった。
興福寺が三好と織田に勝つ可能性を考慮していないのは良い。
ここで『勝つ』などとヌかす様では問題外の現状把握だ。
勝気で過激な態度だが、一応、まだ現実は見えている。
「今から動くのかね?」
「まさか! もう動いております!」
(『今から』とか言い出したらどうしようかと思ったが、流石にそこまで愚かではないか)
正直、もう興福寺には関わりたくないのが本音。
昔は仲よく強訴をした間柄だが、その結果が初代大仏の焼失と言う、最悪の結果を招いた。
それ以降、強訴を反省し――たかどうかは不明だが、延暦寺、興福寺に比べれば圧倒的に強訴の回数は少ない。
東大寺が最後に強訴を実行したのも、約60年前(1505年)が最後だ。
なお、興福寺最後の強訴は約45年前(1517年)なので、回数はともかく、時間経過的には大差無い。
(だが……詔勅を引き出す時間まで持ちこたえられるのか? 朝廷にたどり着く、願いを聞き届けてもらう、詔勅を三好、織田軍に届ける。これを滅びる前に達成させるのか? 仏の加護を幾つ得れば良いのだ!?)
智経は思わず大仏を見上げた。
その穏やかなはずの視線が、威圧感となって降り注ぐ。
『無理だからやめろ!』
大仏がそう言っている。
少なくとも智経にはそう聞こえた。
(そもそも、年月の経過はどうあれ、強訴で脅し無理難題を吹っ掛けた歴史があるのだぞ? 弱っている我らに帝が良い顔をされる訳がない! 献上品の準備もあるだろう! ……ッ!? ま、まさか直訴とは強訴のつもりじゃあるまいな!?)
智経は瞑想して考えるが、誰が見ても何を考えているか丸見えの、百面相の如く豊かな表情の瞑想であった。
「無関係を装うおつもりですか?」
「ッ!? い、いや……そうは言わぬが……」
使者の言葉がチクリと刺さり、弾ける風船の如く智経は反応した。
「先の戦で、興福寺の僧兵を多数保護してくれた事には感謝致します」
「……? あ、あぁ……?」
中立として、怪我人の保護だけは三好、織田にも通達している。
民は当然、武士も僧侶も怪我人は区別しないと。
「畠山殿の保護にも感謝しております」
「あぁ。……何だと!? 畠山殿が当寺に避難しておるのか!?」
「少なくとも興福寺には居られませんでした。東大寺でも畠山兵を保護したのでしょう? 三好と織田は畠山殿を探しているハズ。興福寺で見つからねば、次に可能性の高い東大寺を改めるのは必定でしょう」
「……ッ!! 直ぐに確認し、当人を見つけたら御連れしなさい! (こ奴! ハメおったな!! 無理やり我らを戦場に引き出す気か! 朝廷による詔勅も我らの兵力を当てにした計算か!?)」
今更ながら、智経は使者と面会した事を後悔した。
それ以前に、敗残兵の救助したのも、今となっては裏目も裏目。
救助は、お隣さんへの配慮と付き合い、あとは親切心だ。
助けられるなら助ける。
例え三好軍でも織田軍でも変わらない。
あくまで中立なのだ。
だが、その行動は仇となった。
中途半端な慈悲と関わりを持ってしまった上、畠山高政まで匿っているとなれば言い訳が出来ない。
完全に興福寺に退路を塞がれた。
「畠山殿の所在確認が済む前に聞いておきたい。夜間とはいえ、よくぞ無事にたどり着けましたな?」
「無論、仏のご加護でありましょう! 無人の野を行くが如く当然の事であります!」
興福寺の密使が夜間を利用し東大寺にたどり着いていた。
夜間とはいえ、妙に警戒が甘いのは、仏の慈悲に違いないだろう。
(馬鹿かッ!! こんなご近所で無警戒な訳があるかッ!!)
智経は心の中で、大仏も吹き飛ばす喝を言い放った。
智経の読み通り、これは三好、織田陣営が、ワザと興福寺が東大寺に接触しやすい様に、警備に穴を開けていたに過ぎない。
何なら『見て見ぬふりをしろ』とも命じてある。
決して仏の加護ではなく、実休と信長の手のひらで転がされているに過ぎないのだ。
(……ん? と言う事は!? この使者は、敢えて見逃されたと言う事か!? 三好と織田は興福寺との戦いに東大寺を巻き込みたい腹積もりか!?)
智経は興福寺に巻き込まれたと憤っていたが、この巻き込みすら三好と織田の策略だと看破した。
看破したが、もうどうにもならない事も看破してしまった。
(クソッ!! 尋円の愚か者めがッ!! 三好相手に互角を演じても、それは三好軍の一部(松永久秀)を相手にしての戦果! 実休と織田軍が追加された途端このザマでは勝てる訳が無かろう! そんな事も分からぬのか! 喧嘩するのはともかく、まんまと踊らされ、しかも我らを道連れにしおって!!)
「智経様。そもそも、難癖付けて大和に侵攻してきたのは三好ですぞ!? 長年大和を守ってきたのは我々なのです!」
煮え切らない智経に対し、使者が背中を後押しする。
不安を取り除こうとの気遣いだ。
(実質的守護として振舞ったのは興福寺であろうに!!)
しかし、智経にとっては余計なお世話で、何なら崖に向かって押し込まれている様にしか感じられない。
「……分かった。戻って尋円殿に報告なされよ」
「ありがとうございます!」
使者は喜び勇んで仏間を退出した。
「よ、よろしいのですか!? あんな約束をして!」
側近の僧侶が、顔を青くして智経に尋ねた。
「あんな約束? 私は何も約束しておらんぞ?」
「えっ」
「興福寺の言い分が分かった、と言ったのだ。ソレに対し、この東大寺の方針は何も示していない。使者が何か勘違いしたのかは知らぬわ」
「で、では興福寺を見捨てるので!?」
僧侶は一定の安心はするも、それはそれでマズイのではと不安な面持ちだ。
「今まで通り、怪我人を保護し、それ以上の介入を禁ずる。あと畠山殿が避難しているなら見つけ出せ!」
「三好、織田軍に突き出すので?」
「……状況次第だ」
興福寺に、半ばハメられた東大寺。
ならばお返しとばかりに、使者を勘違いさせたまま帰した。
「ここから先、一歩でも手順を間違えたら東大寺は滅ぶ。……いや、もう既に一歩狂っておるのだ。これ以上の間違いは断じて許されん! 各々、気を付けて行動せよ! それから三好、織田軍に使者を出す。これまで通り、中立に徹するとな!」
智経は興福寺を見捨てる決断をした。
治承、寿永の乱の悪夢の再来を、許す訳にはいかないのだから。




