193-1話 桶狭間以来の戦い 存在しない人間が存在する苦労
193話は2部構成です。
193-1話からご覧ください。
【紀伊国/勝山城 織田信広軍】
「久しぶりの実戦だが、何とかなるモノだのう。まぁ、ほぼ無人だったとは言え、お主等が居らんかったら、ワシは醜態を晒しておったかも知れぬな」
織田信広が感慨深く言った。
これは正真正銘、本音の感想だ。
もし、作戦から行軍工程まで、全て己で考えねばならなかったら、きっと何処かで破綻していただろう。
たとえ、ほぼ無人の畠山相手であっても、いや、むしろ、無人の畠山と言う異常な状況だからこそ、余計な事をしてボロが露呈するかも知れないと、信広は思っている。
「何を仰いますか! 確かに久方ぶりではありましょうが、その指揮采配や民への布告に間違いはありませんでしたぞ?」
「そうです。むしろ久しぶりだったのが功を奏したのでしょう。決して無理無謀無策を選ばなかった。久しぶりなら久しぶりで考えに考え抜いた。殿(信長)とは違う、亡き大殿(信秀)を見ている様でしたぞ!」
佐久間盛信と金森長近が声を揃えて褒めちぎる。
別にゴマ擦りではない。
当初は彼らも、信広久しぶりの出陣に心配したが、提示された方針に対しては文句の付け様が無かった。
戦が久しぶりであっても、信秀長男の地位は間違いなかった。
「そうか。そう言ってくれると助かるな。ただまぁ、村や拠点は結果的に戦える状態では無かったからな。勝って当然よな。不思議な勝ちではあるが」
「これは亡き大殿がポツリと漏らした言葉ですが、『勝ちに不思議な勝ち有り、負けに不思議な負け無し』と仰っていました。確かに、まさかガラ空きとは思いませんでしたが、それならそれで、油断せず民を落ち着かせ新たな支配者としての布告等、何も抜かりはありませんでした」
「そうです。戦が無いなら無いで、尾張統治者としての経験が活きたのでしょう。我ら、失礼ながら久しぶりに戦う尾張守様の目付として付けられましたが、杞憂だったと思っております」
信盛も長近も本気でそう思っている。
普通なら久しぶりの戦でハリキリそうな所を、熟練者の如く落ち着いて対応して見せた。
信広の戦感覚は、何も間違っていなかった。
「フフフ。内心焦ってもおったぞ? 何せ最後にマトモに戦ったのは何時だったかな? 桶狭間か? だがあの時は信行の謀反に巻き込まれ何も出来なかったしのう? その後は尾張の政治を任され足場固めに努めておった。お陰で甲冑を纏う手順を忘れてしまったわ。ハハハ」
半分冗談っぽく信広は言うが、確かにまともに戦った実戦は桶狭間よりも前、尾張内乱を仕掛けた信秀に従い犬山城攻略を担当したが、これも信長の事前工作が決め手で呆気無く陥落した。(15話参照)
長島一向一揆にも従軍したが、信長が慎重に慎重を期して徹底的に急がず慌てず、ゆっくりと攻めたので特に何かする事は無かった。(104話参照)
史実では『第二次小豆坂の戦』『第三次安城合戦』(共に1549年)を経験しているが、信長が1546年に転生したお陰で、それらの戦いを経験する事も無くなった。
そうなると、最後に行った本格的な実戦は、信長が転生する前の、織田信秀に従って、織田弾正忠家の勢力拡大作戦に従事した頃の話になる。
甲冑を纏う手順を忘れた、と言うのもあながち間違いでは無いジョークである。
だが、いかに実戦から遠ざかっていようとも、器用の仁、尾張の虎と言われた信秀の長男である。
その戦いは目に焼き付いている。
無理なら無理しない。
出来る事をする。
それだけだ。
華々しく活躍する武将は、無理を成功させて名を挙げるが、大多数は、無理をして失敗し歴史から名前を消す。
だから成功者しか記録に残らない。
信広も間違い無く歴史に残るであろうが、地味な記述になるのは間違いない。
不幸にも比較相手が信長故に、圧倒的に大人しい記述になるだろうが、それで良いと思っている。
信広はもう別に、今から特別成功者になる必要は無い立場。
これは『サボる』と言う意味では無い。
出来る事を確実にやるのである。
それが弟から任された使命と信じているからだ。
そこで信広は作戦立案に協力してくれた、信盛と長近の武将級では無く、近侍として随伴する二人を見た。
「それに……お、お主達が敵目線での可能性を考えて頂いた……くれまし、くれたから……のう」
先程までの満足感から一変。
信広の歯切れが急激に悪くなる。
「空振りだったが……ず、随分と助かりまし……助かったぞ」
「た、確かに。さ、流石は殿と刃を交えた……御方」
「と、殿を討ち取る寸前まで追い詰めた実力は……は、計り知れませぬ」
同じく信盛も長近も歯切れが悪くなる。
「いやいや、某如きの経験が役立ったなら何よりで御座います」
「えぇ。尾張守様(織田信広)との軍議は実に有意義で、我らの未熟も痛感致しました」
そう言って2人は信広達に向かって頭を下げる。
「がッ、ぎッ、グゥッう、うぬぅ……! ……あのッ!? せめて! 我らだけの時は、身分を優先させて頂けませぬかッ!?」
信広が苦しそうに呻き、脂汗を流しながら訴えた。
信盛、長近も、ウンウン頷く。
「何を仰いますか! もはや我らの身分はあって無い様なモノ!」
「その通り! それに親衛隊では身分の上下を無視するのが掟! 尾張守様の提案は、殿の意向に背く事になりますぞ!」
「ぐぬぬぬ! それを言われると反論出来ぬのですが……! それでも、よりによって右京大夫に左近衛中将の官位を持つ方々に親衛隊の規則を適応させるには、非常に心苦しいと言うか、我らと身分が離れ過ぎと言うか……!!」
信広は、織田家当主信長の兄にして、織田家一門衆筆頭の纏め役でもある。
織田家の本拠地である尾張も任された身分ある立場。
故に、織田家当主が定めた法を一番破れない立場なのだが、どうしても今だけは破りたくて仕方ない。
それは信盛も長近も同じで、苦悶の表情を浮かべて、頭を下げる2人にどう接するべきか困った。
右京大夫と呼ばれたのは細川晴元。
左近衛中将と呼ばれたのは元の名を足利義輝、現在の名を足立藤次郎長輝。
勿論、長輝の『長』は信長からの偏諱だ。
2人も『従四位下』の官位をもっており、密かに従う今川義元の『正五位下の治部大輔』よりも格上の官位を持っている。
信長など『正六位下の弾正少忠』なので、彼らは織田家でブッチギリの上位身分を有する下っ端と、意味不明な状態になっている。
なお、信広の官位も『従五位下の尾張守』であり、織田家の官位持ちは、その殆どが主君信長より上級官位をもつ、歪な勢力である。
「それでも諦めて下され。朽木で我らが負けましたからな。仕方ありますまい」
全く仕方ないと思っていない顔で晴元が言った。
朽木高島の戦いで信長に奇襲を仕掛け、信長を討ち取る寸前まで善戦した2人だった。
結局は、森可成と北畠具教によって策を見破られ、晴元は必殺の矢を具教に防がれ柴田勝家に取り押さえられ、義輝は帰蝶に倒された。
その後、紆余曲折あって、義輝は行方不明扱いとなり、足立藤次郎として生きる事になり、晴元はそのまま織田家に仕える事になった。(146-2話、147-1話、149-1話参照)
その後は織田家内で再教育と修行、尾張国内での政策補佐と治安を3年間担っていたが、今回の信広出陣に合わせ『従う』事になった。
その『従う』事が、信広達には、どうしようも無く気持ち悪い。
信長の定めた法は理解しつつも、多少の身分の上下はともかく、元将軍と元管領のココまで高い身分の相手を、格下として扱わねばならぬ常識破壊。
見知った顔なら抵抗無く受け入れられるが、名ばかりとは言え日本最高権力者とその補佐役を、手駒として扱わざるを得ない信広は戦以上に苦心していた。
「慣れて下さい、としか言えませぬ。殿の作った法なのですから。必要なら我らを叱責してこその尾張守様ですぞ」
「そうです。今はもうご存じでしょうが、我ら、嘗ては本当に内密に親衛隊にて下働きをして居たのですから、今更ですぞ?」(73話参照)
義輝こと長輝と、晴元が言い切った。
顔は笑顔で輝いている。
今の身分が余程楽しいのだろう。
そんな天上人の言葉に信広はついに諦めた。
「……はぁ。そう言えばそうだった。ソレを聞いた時には引っくり返りそうになったモノじゃが……改めて弟は凄いな。誰が相手であっても怯まぬ傲岸不遜な生き様は、羨ましいやら憎らしいやら。我が弟ながら感心してしまうわ。……良し! 仕方ない!! 切り替えるぞ!」
信広は両手の平で頬を叩く。
頬に指跡がクッキリと浮き上がる。
「この地域の平定は済んだ! 次の目的地に行く! 撤収作業に入れ!」
「はッ!」
信盛、長近、晴元、長輝が返事をして、信広軍は撤収作業に入った。
結局、畠山の兵は居らず、留守居数人の、ほぼ無人の城に開城降伏を迫り、戦いがあったとしても、兵士とも言えぬ相手との小競り合いで済んだ。
その小競り合いすら、足立、細川両名が軽く蹴散らし圧勝した。
信広の久しぶりの軍勢指揮は、リハビリに丁度良い加減で終わったのであった。
そんな成果を挙げ、撤収作業に入る中、少数の騎馬が駆け込んで来た。
「あれは……? 殿か!?」
(弟を『殿』呼ばわりするのは問題無いのか……)
晴元は長輝だけに聞こえる声で笑った。
(まぁ気持ちは分かるがな。あの男は別格過ぎる。例えワシが世界の王だとしても頭を下げるのが当たり前だと思うわ)
(我らも実際、頭を下げそうになりましたからな)(73話参照)
そうこうしている内に、信長が馬上から信広に声を掛ける。
もし今が、官位が絶対の世界なら、信長は下馬して平伏するのが当たり前だが、これで問題無いのが織田家の常識だ。
「尾張守! 様子を見るに撤収作業だな? 一応聞くが、ここも損害無く平定出来たか?」
「はッ! 何も滞り無く。畠山は少なくとも、この地域の民を全員徴兵し大和に向かった模様ですな」
弟に敬語で話す兄。
先程、長輝と晴元に身分を問うた口とは思えぬ、配下の鏡が如くな態度だ。
「……ん? 今『ここも』と仰いましたか?」
だが、信長の言葉に引っ掛かりを覚え、聞き直す。
「うむ。伊勢守(北畠具教)の所もそうじゃった。ここに残った敵は、兵役に適さぬ女子供老人ばかりだな? しかも守備の留守居も消えておるな? 城の兵糧や物資の類も全て消えておるな?」
「あ、足立よ! 城内を検分したのはお主だな? 様子は如何であった?」
総大将の信広自ら検分したかったのは山々だったが、足立に身分で止められ仕方なく譲った任務であったのは内緒の話だ。
「は! 弾正忠様(信長)に申し上げます! 仰る通り城は建物を残すのみ。物資の類は全て持ち出されております! 発生した小競り合いも下働きの者供の反抗で、戦と呼べる様な規模の抵抗はありませんでした」
帰蝶にKOされた時は、信長への憎悪が勝っていたが、織田家で落ち着いて過ごす内にすっかり憎悪は消え去り、将来弟の将軍職返上に向けて活動するに至っている。
「……では伊勢守殿の所も? 然らば、2か所連続ですか?」
「うむ。畠山は領地の守備を完全に放棄している。城に留守居兵すら居らん。居たのは女中や下働きの者ばかりだと言う。こんな異常事態が2か所連続か。だが越中守護を放棄する思考の者が、本拠地の紀伊までカラにするのか?」
信長は考え込む。
つい先程、船上で畠山宛の侮蔑書状を作成していたが、折角苦労して作り完成した書状を今は持っていない。
北畠軍が攻めた地域はほぼ無人で、居るのは兵役に向かぬ女子供老人ばかりと聞いてから、その書状を使うのを辞めた。
胸騒ぎを感じ、その感覚を気のせいだと切り捨てなかった。
その上で、確認の意味を込めて兄の攻める地域を訪れたが、北畠軍と変わらぬ状況であった。
増々悪寒が強くなる。
即ち畠山は、武士として、勢力として正しい行動をしていない。
単なる成り上がりの勢力なら、隙を突かれたで済む話だが『腐っても名門畠山の行動では無いと』思い至ったのだ。
その上で確認の為にこの地に来たが、ここも同じならば偶然ではない。
2度続けば必然で考えねば、足元を掬われると信長は警戒し始めたのだ。
転生者故ではない、武士としての危機意識だ。
「……確かに。この先もこの有様なら、これで畠山は帰る地を失い勢力として滅ぶ道を選んでいるも同然。この期に及んで名門の意地を見せたのでしょうか?」
「そうかも知れん。ワシや三好が考え付かん勝算を持っておるのかも知れん。そう言う訳で、この紀伊攻略、予定通りに行くと思うな。恐らく、予定通り以上に上手く行ってしまう。全ての地域を制圧しても油断するな。領地を空にするに値する何かがあったと思い動くべきだ」
当初は、三好の救援連絡を『三好程の勢力が、興福寺や畠山程度で苦戦するのが妙だ』と感じていた。
だが、ここにきて『畠山が自爆特攻の如く、正真正銘全兵力で攻撃している』可能性が生まれてしまった。
紀伊国については棚からぼた餅の如く掠め奪えるが、その先が読めず極めて危険な可能性がある。
この畠山の行動で、少なくとも、三好が救援依頼を出すのに納得感が生まれた。
「殿が仰るなら従いましょう。確かに今の所は攻めているのは沿岸部のみ。紀伊熊野参詣道は敵の庭ですからな。内陸山岳の参詣道は待ち伏せなどがあるやも知れませぬな」
「三好救援を見抜き我らを参詣道で迎え撃つ!? 三好は救援を依頼しているから畠山とも争っておるハズ……!? 吉崎御坊の逆再現があるやも知れぬな」
「吉崎の……逆再現?」
「うむ。於濃らが夜間少数で敵の集まりを奇襲し、各個撃破、或いは足止めと、散々嫌がらせをして吉崎御坊を守り切った。たった18人でだ!」
「18人!? そ、それは凄過ぎる! 流石は殿の妻にして美濃の戦国大名ですな……」
「あぁ、と言いたいが、頭も痛い。まぁワシの苦悩はどうでも良い! この場合、危険なのは雑賀や根来の鉄砲衆が潜んでいる場合だ。可能性の話に過ぎぬが、参詣道で狙われたら一網打尽だな……!」
基本的に山岳森林地帯に参詣路があるだけだが、現代の様に、ある程度舗装されている訳でも無い、身を潜める場所に困らぬ死の参詣路だ。
「良し! 尾張守は、予定通り沿岸部の拠点を落とせ。決して山岳地帯には近寄るな。それと、これから落とす地域の状況を事細かに報告せよ。城の留守居、兵糧、残された民がどうなっているか、常に伝令でワシの所まで使いを送れ」
「使いですか。本願寺に向かわれるのでしたな。承知しました」
「うむ。それと、細川、足立の両名を借りたい。叶うか?」
「ッ!? 叶います! 叶いますとも!」
「ッ!? そ、そうか? 何だ? 足手まといなのか?」
兄の慌て様に信長は何かあったのかと驚く。
事情を知らぬし、身分を屁とも思わぬ信長には絶対に辿り着けぬ境地なので仕方の無い事であろう。
「とんでも無い! 極めて優秀です! 必ずや殿の役に立つでしょう!」
「!? そ、そうか。では細川に足立よ。聞いての通りだ。本願寺に行くワシに同行せよ!」
晴元は、顕如の義兄である。
近衛前久の書状もあるが、義兄を同行させて門前払いは無いだろうとの考えだ。
長輝は、いずれ京に関わらせる身。
この緊急事態に紀伊攻めよりも、活かす場所があるはずだ。
「承知しました」
「はい。どこにでも」
長輝と晴元は、信広の態度に歯を食いしばって笑いを堪え、震える声で承知した。
こうして信長一行は少数で、先の拠点を攻略中の北畠軍へ合流すべく、小早船に乗り込むのであった。
熊野古道に対する名称のご指摘があり、調べた所、別の名称があるにはあったのですが、使われた時代が判別しないので『紀伊熊野参詣道』と仮の名を付けました。
完全な造語のつもりですが、この名称に対し都合が悪ければ変更もあり得ます。
『紀伊熊野参詣道』或いは、省略して『紀伊参詣道』や『参詣道』と出たら、『熊野古道を含めた周辺参詣道』だと思ってください。
よろしくお願いします。




