192-2話 ターニングポイント 偉大なる畠山家
192話は2部構成です。
192-1話からご覧ください。
【志摩国/九鬼家 鳥羽砦】
信長達は琵琶湖東岸の今龍城(史実名:長浜城)に到着すると、山間を抜けて美濃の揖斐川で船に乗り換え川を下り、そのまま南下し伊勢湾から海出ると志摩国に辿り着いた。
昨年は上杉政虎が、陸路を総移動距離400㎞以上移動する羽目になったが、信長の進行路は水路が整備されており琵琶湖や、雨季には厄介な大河川も、こんな時には便利である。(漕ぎ手除く)
半分以上は水路での移動で済んだ。
途中の願証寺残骸を横切るが、感傷に更ける余裕も無い程に全速で船を漕がせる。
船乗りが疲労困憊で到着した鳥羽砦で、信長と光秀一行は、即座に九鬼水軍が用意した関船に搭乗し、既に交戦中であろう、北畠具教の元へ急ぐ。
北畠軍、九鬼軍、織田軍からは織田信広軍に佐久間隊と金森隊が先発して紀伊国に進攻しており、明智勢500が合流すれば、総勢15500の兵で、本格的に紀伊攻略をする事になる。
後は運ばれるだけだ。
どれだけ心が急いても、海の機嫌は操作出来ない。
だからこそ、信長はあらゆる最悪を想定しておくのであった。
【紀伊国/明神山城 北畠軍本陣】
「伊勢守!(北畠具教)」
海岸で北畠軍本体を見付けた信長は、具教の本陣に飛び込んで行った。
「これは殿! たった今、ここら周囲一帯を平定しましたので、我らは次の攻略拠点へ向かう所でした」
北畠軍は撤退の準備をしており、資材や兵を船に運んでいる最中であった。
「そうか……ん? 尾張守(織田信広)とは別行動か?」
この紀伊平定軍の総大将を北畠具教に指名しているので、信広は副将として北畠軍に付いていると思っていたが、織田軍の軍旗が一切見当たらない。
「はい。今の畠山相手に15000全軍で攻めるまでも無いと判断しました。なれば軍を2つに分け、尾張守殿には一つ先の勝山城を攻めてもらっています。この近辺に畠山兵など殆ど残っておりませんからな。尾張守殿には志摩守殿(九鬼定隆)が付き、軍船による運搬と、海岸地域の制圧を任せています。こちらはご子息の海三郎殿(九鬼嘉隆)を付けて貰いっています。北勢四十八家攻略でも、殿はその様に軍を動かしたと聞き及んでおりますので、真似させて頂きました」
北勢四十八家攻略で北畠は、狙っていた地域を信長にあっと言う間に横から奪われた。
農繁期に動く異常性と、北勢四十八家が小粒の勢力の集合体に過ぎなかったから出来た策だが、一つの勢力としてそれなりに力を持つ畠山相手にも通用した戦法であった。
「そうか。畠山もなりふり構っていられないと言う事か。それを見破り、隙を突いた良い判断だ」
名門畠山家のプライドなのか分からない。
こんな隙を晒してまで中央政権に返り咲きたいのか、今がチャンスと考えているのか不明だが、こんなザマでは畠山例外系統の能登畠山家の方が、時勢と状況把握に長け、誰に頼るべきか考え、プライドを捨て冷静に生き残りを図っている。
それなのに、今や畠山惣領尾州家は、三好と争う為、相当の無理をして大和国に援軍として向かっていたのだ。
もうどちらが畠山本家として正しいのか分からない状態だ。
そんな本家の隙を上手く突けたが故の、北畠具教が残した結果である。
信長が褒めるのも当然だ。
「い、いや!? こんなのは出来て当然でありましょう!?」
「そ、そうか? 謙虚だのう……?」
具教は憎い(?)信長に褒められ慌てているが、具教が信長に惹かれているのは周知の事実で、知らぬ上に認めぬのは本人だけだ。
「で、では、これから伊勢守の軍は、尾張守の攻める地域の更に先に行くつもりだったか?」
「はい。その予定ですが、変更なさいますか?」
信長は少し考えた。
このまま勢いに任せるべきか否か?
「ん……いや、変更は無い。この戦略は最適だ。ならばお主等は、次の攻略拠点へ向かえ」
出した答えは『任せるべき』だった。
「ただ、道中でこれからの戦略とワシの話を聞いて行け。尾張守が戦っている所でワシは兄上の戦場に向かう」
「はッ! 承知しました。その様子ですと、何か重大な事が待っていそうですな?」
信長の神妙な顔に、無意識な織田家随一の信長ファンである具教が何かを察した。
「残念ながらな。但し、確定では無い。我らの奮闘次第とも言えるし、どうにもならんかも知れぬ。故に最悪を想定して動く」
「最悪……。三好の実休殿と松永殿だけでは対応出来ぬと言う事で我らが動いている訳ですが、それ以上の何かなのですか?」
「うむ。詳しい話は移動しながらにする。まずは全軍船に乗せ、尾張守が攻める海の近海まで行ってくれ」
「承知しました」
【紀伊国近海/海上】
「三好程の勢力が、興福寺や畠山程度で苦戦するのが妙だと?」
「うむ。例えば四国で何か懸念事か、尼子対応で松永への援護が出来ておらぬかも知れぬ。いや、弟の実休を送っているのだから、多少の想定外はあったとしても、その程度で揺らぐ事の無い万全の体制を敷いているハズなのだ。興福寺は強力だが、畠山、大和の小勢力が加わった程度で、実休と松永の実力を考えれば、最低でも互角で、押される事など考えられん。ただ根来に雑賀が計算外だったのだろう」
根来衆、雑賀衆は共に鉄砲傭兵として強力な勢力であり、更に根来衆は根来寺として新義真言宗総本山の顔を持つ。
強力な寺社は木っ端大名など比較にならない力を有する。
根来寺は、興福寺、延暦寺、本願寺と並び、危険な勢力である。
但し、それぞれ各寺が三好を上回っている訳でもない。
三好が東西に敵を抱えている現状だからこそ、互角に戦えるに過ぎない。
だから厄介とも言える。
「某は松永殿も実休殿も存じませんが、三好の重臣とは把握しております。ただ、三好の重臣と言うのは日本一の家臣と同等の意味を持つと思うのですが……」
具教の言う事は至極最もで、長慶の家臣とは、日本の副王の家臣の意。
王では無く副王なのは、天皇に遠慮した異名なのだから、副王の重臣であるならば実質日本一の家臣なのだ。
そう簡単に苦戦などあり得ない。
しかも、三好対連合軍。
連携が出来るのは三好で、纏まりを欠くのが連合側であるのが普通。
だが、そうでは無いらしい。
「ただ、そうは言っても実際に苦戦しているなら救援に動くしかありません。それは理解出来ます。理解出来ないのは畠山です。誰の為に北陸の鎮静化をしているのか理解していないとしか思えませぬ」
「その通りじゃ。……分かるぞ? 訳が分からんと思うのは当然だ」
信長の言う通りで、具教は『訳が分からない』と言った面持ちだ。
その気持ちは信長も良く分かる。
光秀にも琵琶湖船上で『何故です!?』と詰められたが、信長としても意味不明で説明出来ない。
紀伊国畠山家の行動の意味が全く分からないのだ。
《ファラ! 畠山について何か情報が残っておるか?》
《来ると思って準備はしてます。えっと……頑張りは褒めて下さいね?》
《……情報が殆ど失われたか、特筆するべき事が無いか?》
信長に問われてファラージャは困った。
その通りの部分もあるし、信長死後の話も多い。
つまり、現状話せる部分があまり無い。
《無くは無いんですが、例えば応仁の乱に関わったり他にも――》
ここで畠山家の歴史について、極簡単に解説を。
畠山家は分家が多く、把握が難しい一族だ。
しかも、お互い争ったり下剋上されたりと騒がしい一族だ。
畠山家はかつて応仁の乱にも関わった強い勢力で、斯波家や細川家と共に三管領家と称される強力な一族だった。
だが残念ながら現在の畠山家は、信長の歴史改変が有っても無くても勢力として貧弱だ。
《えーと奥州で勢力を誇り、各地に分散していきますが……奥州家は今現在、力を失っていますね。東北の弱小大名に過ぎません……よね?》
《そこまで不安定な記録しか残ってないか。奥州の畠山は確かに没落していると聞くな》
まずその歴史だが、奥州畠山氏が功績を立てるも、戦国時代に入る前には衰退著しく、安土桃山時代では、その末裔が二本松義継として奥州で勢力を残すも、伊達政宗に敗れ、父輝宗諸共射殺され滅亡した。
だが滅亡する前に衰退した奥州畠山家に代わって、次の惣領格は畠山金吾家だったが、これも応仁の乱で衰退した。
《――それで応仁の乱で力を失った畠山金吾家から更に分裂します》
現在の畠山家は、その金吾家から分派した家が2つある。
畠山総州家と尾州畠山家である。
畠山総州家は足利義昭の上洛を助けたとも言われるが、信長が転生する前の時点(天文11年(1542年))で勢力として滅亡判定を受けている。
従って現在、尾州畠山家が機能している最後の畠山家である。
一応、能登畠山家も存在するが、こちらは例外の系統で宗家を継げる立場に無く、尾州畠山家とは家柄に格差がある。
以上を踏まえてである。
紀伊国尾州畠山家の畠山高政は、河内国、紀伊国、越中国の守護で名門畠山の惣領だ。
史実で信長と手を組んだ事もあるが、この頃、信長と義昭は対立しており、信長派の弟の畠山秋高が、義昭派の遊佐信教に殺害されたりと、畠山家の混乱に加え、信長と義昭の対立にも関り、歴史に名を残した(?)。
だが今、転生による歴史改変で、北陸では能登畠山家の畠山義綱とその父の畠山義続が上杉に亡命し、一揆を何とかして欲しいと頼み込んでいる。
畠山高政の領国の越中国も一揆に飲み込まれたが故の、領地に戻らない宗家の為にも動いた結果である。
その尻拭いに、上杉、朝倉、斎藤、織田、浅井、今川、ついでに武田と本願寺が動いている。
それなのにだ。
北陸一向一揆に関わる信長を、三好が呼び戻す位には、尾州畠山家が、一揆平定を妨害している形になってしまっている。
三好家が織田家に頼んだ事を知らないのも一因だが、尾州畠山家のプライドなのか畠山高政は、守護に任じられた越中国の混乱に見向きもせず、一族の能登畠山家の救援依頼も無視し中央で権力闘争を続けている。
長慶相手に、健闘出来たのか、相手にされたのかは不明だが、今回、三好の大和侵攻に合わせ、興福寺に協力し、三好の松永久秀を苦戦させていた。
だから、情勢を見極められる者が、現状を把握すれば、こう答えに辿り着く。
『畠山高政は、もう越中など知った事では無いのだろうか?』
そう疑いたくなる動きだ。
事実、信長はそう断定した。
違ったとしても良い。
そもそも、尾州畠山家の畠山高政が、一揆に対する救援を能登畠山家に代わって正式に依頼すべき立場なのにそれをしていないのだ。
為政者失格と断定するのに躊躇は無い。
《――そんな訳で、戦国時代では存在感が薄いと伝わってます。……あってますかね?》
《まぁ、概ねあっている。違ったとしても、もはやどうでも良い勢力だな。よし!》
また、為政者失格過ぎて、実休、松永苦戦の一因に畠山が噛んでいるから、三好も面食らった可能性はある。
その行為が長慶の思惑を上回った(?)のだ。
「まず、紀伊に上陸して畠山に武力威圧を掛け交渉に持ち込めたら持ち込む。その上で誰の為に北陸一向一揆を鎮め様としているのか問い質す。だが、返答は興味本位に過ぎぬ。北陸を放り出して何をしたいのか興味が尽きぬ。悪い意味でな。だから返答は聞くだけ聞いて、内容に関係無くもう畠山は邪魔だから滅ぼす」
「隣の畠山総州家はどう出るでしょう?」
畠山総州家の畠山尚誠は、畠山尾州家のお隣で大和国と河内国に勢力を持つ。
持つが、先述の通り、勢力としては歴史的に滅亡判定を受けている。
正しくは『少々影響力が残っている』程度だ。
三好のお情けで生きているとも言える。
その貧弱な勢力で、今回味方するのか、敵対するのか不明だが、一族の危機に立ち上がる根性があるのか、常識を弁えた行動を取るのか不明だ。
史実では、この頃既に、尾州家に吸収され臣下となったともあるが、この歴史ではまだ不明である。
「出方を伺うしかあるまい。河内は三好の影響が強いから、相手が畠山と言えど許可無く侵略は出来ん。その上で、三好と我らに挟まれもなお、一族を救う気概があるなら買ってやるが、その時は、もう畠山の時代は来ないと教えてやらねばならんだろうな」
かつての応仁の乱の、元凶の一角たる畠山家は、確かに権力を誇った時代もあった。
だがそれはもう過去の栄光だ。
今でも生き残っているのは、余り積極的に相手にされていないからに過ぎない。
今回の三好による大和侵攻を一族復興の好機と捉えているかは不明だが、余りにも稚拙としか思えない動きだ。
「紀伊国を奪い取れば、全国に散る畠山の反感を買うでしょうな」
奥州から近畿まで、畠山一族は各地に散っている。
散れる程に勢力を誇ったが、今は散ってしまって、合力出来ない。
分散した力など、今の織田家なら取るに足らない。
「そうだな。だが、そうだとしても。蚊に刺されたとも感じぬ反感よな。領地としては堺との海運がより楽になるからな。将来の布石としても、ここらで紀伊を奪っておくのは良いかも知れぬな」
「ではこのまま平定すれば、紀伊と河内で三好と領地を接するも同然となりますな」
「そこよ。今までは遠隔地だったから、お互い利用して来たが、容易に接触する間柄にするにはお互い勢力が大き過ぎる」
信長はそこまで言って言葉を切った。
『ついに天下を競う争いが始まる』
そう言葉にするのが憚れた。
言霊を恐れた訳でも無い。
そうなる未来は限り無く確定している。
三好長慶と織田信長は両雄並び立たぬ間柄。
「……まずは目先を確実に片付ける。大和への攻撃も松永より結果を残せば、領地割譲や物資支援も得られるだろう。遠い未来を見据えて足元を疎かにしては意味が無い。これから紀伊国を東北端から順に平らげて行く。最初の目的として基本的に海岸沿いの城は全部落とす。農繁期と三好への反抗で紀伊の兵はタカが知れておろう。大和国への援護はそれでも十分だと思うが、何なら大和から兵を侵入させて、無理にでも救出に向かっても良いな」
今回は大和国で苦戦する三好家の援護である。
具体的な援護指示は書かれていなかったので『これが最適』と、畠山の背後から脅かしているが、最終的に大和国に攻め入っても問題は無い。
「とりあえずは、伊勢守の作戦通り、紀伊国の海岸沿いを全て平らげ、和歌浦手前を全軍の合流地点としよう。但し、山奥の紀伊熊野参詣道周辺と、雑賀、根来に対しては後回しだ。山城はどうしても刻がかかる。雑賀、根来もまともに衝突したら被害は甚大だ。それよりも今は畠山所属の城を落とす事が重要だ。だから仮に参詣道を通過され奪った拠点を取り返されても良い。それならそれで、畠山の戦力が散るしな」
「畠山は難しい選択を迫られますな。領地の守護か権力か。どう転んでも損にはなりますまい」
「うむ。ただ、和歌浦の雑賀に対しては本願寺との繋がりを警戒せねばならぬ」
和歌浦とは、現在の和歌山の事である。
信長没後、豊臣秀吉が、紀伊攻め後に地名を変更した為で、この時はまだ和歌浦である。
この和歌浦は雑賀衆の本拠地でもある。
本願寺と雑賀は史実では協力して信長と戦った歴史があるが、別に雑賀は本願寺の配下でも、影響下にある訳でもない。
信長は歴史的事実で警戒しているが、今現在の繋がりは不明だ。
「雑賀の手前までで侵攻を止めるから根来は接触する事はあるまいが、警戒は怠るな」
根来寺は、史実で石山合戦にて味方に付けた実績があるので、最低でも不戦協定は結べると踏んでいる。
根来の野望を突けば、動きをコントロールするのは容易だ。
「本願寺、根来、雑賀も、近衛殿下や下間頼廉の書状も預かっておるから殺されはせんだろう。一向一揆鎮圧にも協力しておるしな。それにちょっとした話もある」
「ちょっとした話、ですか」
「うむ。本願寺の将来と対策を兼ねた願いを聞き届けてもらう。まぁ、この内容は紀伊侵攻と三好援助には関係無い。将来の布石だから、今は忘れて眼前の戦に集中せよ」
「分かりました」
「それと同時に、ワシらの侵略が畠山に伝われば接触もあろう。とにかく畠山の真意を聞き出す、と言う体で激怒の書状でも書くか。何か面白い案はあるか?」
今まで真面目な戦略の話だったのに、急に書状に面白さを求めて来たので、話の急展開に困る一同だが『これが織田信長だった』と思い出した。
「えっ? 案? 面白い案ですか?」
「あぁ。到着するまでの余興じゃよ。怒り心頭のワシを表現してくれ。基本文章構成はワシが考えるが、装飾する怒りの言葉が欲しい。相手に対して無礼千万でも構わぬぞ? 尾張のポッと出の田舎大名がココまで激怒していると、名門畠山を足蹴にして唾を吐き掛ける文章が望ましいな」
「は、はぁ……。殿の品位が疑われても良いのであれば、思い付けぬ事も無いですが?」
具教が困った顔をしながら、だんだん悪意ある顔に変貌する。
まるで信長の鏡写しの如くだ。
「『拝啓、管領をも輩出した偉大なる畠山様』との出だしは如何でしょう?」
当然これは『過去の栄光は何処へやら? 今は落ちぶれ、天下の脇役の畠山君?』との意味だ。
「良いぞ! そう言うのが良い! 歴史に残る名醜文を考えてくれ! 畠山だけを徹底的に叩く為にな!」
こうして信広軍に到着する束の間。
歴史にも残る、信長の迷言が作られるのであった。
熊野古道に対する名称のご指摘があり、調べた所、別の名称があるにはあったのですが、使われた時代が判別しないので『紀伊熊野参詣道』と仮の名を付けました。
完全な造語のつもりですが、この名称に対し都合が悪ければ変更もあり得ます。
『紀伊熊野参詣道』或いは、省略して『紀伊参詣道』や『参詣道』と出たら、『熊野古道を含めた周辺参詣道』だと思ってください。
よろしくお願いします。




