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信長Take3【コミカライズ連載中!】  作者: 松岡良佑
19-1章 永禄6年(1563年) 弘治9年(1563年) 
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189-1話 降伏 タイムリミット

189話は3部構成です。

189-1話からご覧ください。

【越前国/吉崎御坊 座敷牢】


 会談から戻った七里頼周と下間頼廉が、二人三脚の如く呼吸を合わせ(一応、頼周自らが頼廉を牢に連行する、と言う体だが)急ぎ足で座敷牢に駆け込み、早速、内容の吟味に臨んでいた。 

 2人だけの密談形式で、周囲には誰も居ない、今となっては非常に便利な座敷牢だった。

 これから話す内容が内容なだけに、聞かせられるのは極少数と言うか、まずはこの2人で方針を決めねばならない。


「頼周(鏑木頼信)。先の会談、返答に2か月後と言ったが、もはや刻が無いのは理解しておろうな?」


 頼廉が難しい顔で書状を睨みつつ、決断を迫った。

 会談でも聞き、帰りの道中でも穴が開くまで読んだ書状だ。

 視線で書状が燃えそうな眼力だ。


「……勿論です」


 問われた頼周も同じく書状を睨んだ。

 何せ、もう意見の集約をしている暇も無い。

 戦国武将らしく、独断か少数で決めるしか無い状況なのだ。


「あれは味方を、あそこに居た味方の面々を陥れる罠。事ここに至っては、民を守るに手段を選んでいられません」


 頼廉は当然、頼周も事の緊急性は理解していた。

 当初、会談に至るにあたり『条件付き降伏』も視野に入れて臨んだ。

 だが待っていたのは、最低最悪の『淫靡策』。

 降伏どうこうと言うより、このままでは、被害を最小限で済ませられるのに、最大限にし兼ねない悪質な罠を仕掛けられた。


 会談前の下間頼廉による事前交渉でも、好感触だった。

 それが一変して、朝倉側には敵の降伏を許さぬのかと思ったが、それも違った。


『降伏しろ』と――


 そう言わんとする意図が見え隠れする、所ではない。

 もう明確に会場全体から圧力を掛けられたのだ。


『刻を掛けるのは結構。しかし刻一刻と状況は悪化すると心得よ』


 その上で、朝倉側が示した法度に文句が付けられぬ事も、一揆衆の中でも先見の明がある人間は気が付いてしまった。


『もう戦わなくて良い』


 そう安堵する護衛の気配も明確に感じたし、正直、頼信も『七里頼周の任から解放される……!?』と一瞬思ってしまった。

 思ってしまったなら、それは楔となり心に突き刺さる。


 問題は『状況は悪化する』との圧力の意図。

 あの淫靡策は、状況を悪化させる加速装置。


 今はまだ、役目を全うする気概が勝っていても、天秤が少しでも傾いたのは大きい。

 いずれその天秤に乗せられた楔は徐々に大きくなる。

 楔と化した心の造悪無碍が。


「そうだな。手段は選べぬ。お主が爪を剝がしたのも納得な会談だったからな。その姿を見せなかったら拙僧がやっておったわ」


 女の匂いで()せ返る会場だった。

 何か手を打たねば、一方的にやられたが結果となり兼ねなかったが、爪一枚分だけは朝倉軍に対し矜持を見せた。

 あのパフォーマンスで、一揆の崩壊を防いだのだ。


「今になって痛みが増してきましたよ。フフフ。正直、昨年手を貫かれた時より痛い。しかし、あの場であの程度やって見せねば、長年七里頼周を名乗れませぬよ。あの方はもっと身を削っているのですから」


 2人は、あの会談の恐ろしさを身に染みて理解していた。

 本当に、もう時間が無い。

 モタモタしていては衆合地獄に行きたい人間が、吉崎に殺到する可能性がある。


 だが、実はその程度ならまだ良い。


 このままでは『七里頼周』の名が通用しなくなり、化けの皮が剥がれた『鏑木頼信』となってしまう。

 戦うにしても降伏するにしても、まだ『七里頼周』のままで居なければならない。


 鏑木頼信は『七里頼周』の名を背負った加賀の責任者。

 責任者の存在意義は責任を取る事にある。

 中途半端に瓦解してしまっては、責任が取れない所か、吉崎御坊に衆合地獄が出現する。

 責任者として、それだけは避けねばならない。

 

 2人は急速に、吉崎周辺での浄土真宗の求心力を失いつつある事も理解していた。

 大義さえも失いつつある。

 これ即ち『七里頼周』の神通力が通用しなくなって来ているに他ならない。


「刻が無いのを理解しているなら、お主にとっては敵側の法で吉崎御坊を守って貰う訳になる。我らさえも一旦は平等に扱ってくれるのじゃ。もうあの提案を受けるしか無いのは理解しているな?」


「はい」


 頼周は、全く考えるそぶりも見せずに断言した。

 言われるまでも無く、一番被害が少ない道を見抜いていた。

 一縷の望みにも賭けぬ潔さだった。 


「おお!? 聞いておいて何だが、そうも素直に返事をするか! 今となっては名前以外、何処の誰とも分からぬ御仁だが、見事な判断。よくぞ決めてくれた」


「勿論です。一刻も早く了承と恭順の意を伝えねば、一揆内一揆が誘発されてしまいます。いや、それも、もう避けられぬでしょう。意を伝えても必ず割れます。我らは籠城するつもりでいなければ、吉崎が自滅する。織田はソレを狙わせ我らを脅している」


「そうだ。間違い無く織田の策だな。天才的に人の嫌がる事を企むのが上手いわ。今となっては、先に非戦闘員の女子供を非難させたのは、あの会談の時の為の手段だったのだな。己の悪評すら利用する、開いた口が塞がらんと言うか、悪質過ぎて美しさすら感じてしまったわ」


 会談前の、頼廉の事前訪問時点で、信長は『非戦闘員、女子供の避難』を提案し促したが、既にあの時から、先の会談を見据え、信長の策は始まっていたのだ。

 今更気が付いた所で、どうにもならないのが腹立たしいが、そもそもが非戦闘員、女子供を避難させる事に何ら異論は無い所か、そこを気遣ってくれると感謝してしまった事も腹立たしい。

 信長の動機はともかく、提案は何も間違っていないのだから余計に感じる苛立たしさと、鮮やかにやられた事に感動すら覚えた、と言う感情に複雑な気分になる。


「言う事は尤もなだけに腹立たしくもある。信仰と性欲か。引けば無間地獄、誤った性欲は衆合地獄。厄介な事だ。だが、これは言っておかねばならぬ事だし知っていると思うが、浄土真宗は妻帯を認められているが、他の宗派は女を断っている。実情はともかくな」


 開祖親鸞が妻帯した事実があるからこその浄土真宗ならではの特徴だ。

 信頼するだけで良いのだから別に女犯の禁を破ろうが関係無い、と思ったのかは定かではないが、形式的には明治時代に入るまで、浄土真宗以外の宗派で妻帯は認められていない。


 ただ、戒律を乱す者は隠し妻を持ち、形骸化されているのも現実である。


 しかし、僧侶の規律は政治次第とも言われ、世が乱れれば戒律も乱れる傾向にあり、戦国時代がどうだったのかは言うまでも無いだろう。

 ある意味、為政者の責任でもある。


「だから性欲を刺激されたとて衆合地獄は関係無い。そもそも、女犯の禁は僧侶に課された事で、信者まで守る必要は無い。信者が真似するのは勝手だが義務では無い。そんな事をしたら日ノ本はとうの昔に滅んでおるわ」


 人類皆、完璧に戒律を守ったら、種としての滅亡が確定だ。

 僧以外でわざわざ戒律を守ったのは、修験道に没頭した細川政元や、世紀の変人たる上杉謙信。

 他に居たとしても、何か性的に事情がある人間だけであろう。

 

「だが、狂った性欲は許されない。こんな事は戒律以前の問題だ。これは間違い無く衆合地獄行きの蛮行。だが、どうせ討伐されるなら快楽を選んでから楽な地獄を選ぶ輩が必ず出て来よう。会談に臨んだ侍大将と護衛の100人の中からな」


「そうですな。いや、その狂わされた声の大きい1人が会談に来なかった人間と徒党を組み、一定の人数に達するのは刻の問題でしょう。侍大将も護衛も最精鋭を揃えてしまった。意見も態度も口も大きく実力を有する。皆、『越前の七里頼周』を目指していたのですからな」


「成程。国毎に『七里頼周』が居たのだな?」


 今の所、能登、越中、加賀に七里頼周が居り、本来は飛騨にも居たのだが、派遣が間に合わず七里飛騨守は当面抹消となっている。

 優秀な人材はいても『七里頼周』を名乗るには、武勇、知性、統率、学識、勇気とあらゆる面で優れていなくてはならない。

 全部100点じゃ無くても良いが、飛び抜けてダメな部分があるのは許されない。

 苦手なら苦手でも、高水準で苦手でなければならない。

 それこそが、本物の七里頼周が、地域を治めるに至り悟った境地だった。


 その上で『越前の七里頼周』を狙う人材が、加賀には沢山居り、その候補者全員が、あの淫靡な会談の席に出席してしまった。

 その優れた頭脳で、一揆の終焉を予測した者も数多く居るだろう。


「そうです。そんな優れた候補者なら、今の状況を読んで、もう手が無い事を知る。知って尚こちらに味方する信心深い者も居ましょうが、一揆からの離反は当然、恭順反対派が吉崎御坊を襲うハズで、その中には性欲に狂った者も居りましょう。従ってこれからは治安も悪化の一途を辿るでしょう」


「特に『越前の七里頼周』に成れぬと悟った、ある程度優秀な人間が暴走するのだろうな」


 優秀なのだから、朝倉連合軍に太刀打ち出来ないのは即座に理解しているはず。

 その先がどうなるかは、個人の人間性に掛かっている。


「そうですね。本当に女子供を先に避難させておいて助かりました。……これも織田の進言なのが……まぁそれは良いでしょう」


 頼周は全員の前で渡された書状の他に、もう一通の書状を取り出した。

 書状の裏に張り付けられた、『七里殿、下間殿のみ閲覧を許す』との書状だった。

 中身は、何の事はない、会談では語られなかった真の降伏勧告だ。


『もう刻が無いのは把握しているだろう。助けが欲しいのなら直ぐに連絡を送る事だ。すぐに降伏の使者と救援依頼を送らねば、我らが何かする前に吉崎が陥落してしまう。しかも、その陥落に導く者は、今の好き勝手出来る楽な環境を変えたくない者なのだ。浄土真宗も七里の名も関係無い。幾ら指導者が理想を掲げても関係無い。ただ、力に任せて楽に生活出来る環境を変えたくないだけなのだ。そ奴らこそ真の敵にして、北陸が安定しない原因。こ奴等の血だけは絞り尽くし流してもらう。故にこちらからも吉崎を守る為に指揮官級の武将を既に送った。合言葉は「本願寺()()からの使者」だ』


 そう書かれていた。

 わざわざご丁寧に『の方』に『・・』が付いている。

 この密書は救援約束だが、脅しでもあり、預言でもある。

 もう援軍が送られて来る以上、意見を纏める暇も無いのだ。

 最も、纏める意見はもう無いのが現実だったが。


 信長は北陸の状態と統治のマズさ、歪な体制と、それに反する強さの理由を把握していた。

 前々世の知識も併用してだが、ようやく歴史が違うこの北陸一向一揆を理解した。


 北陸の現状は、現代で例えるなら、学校のイジメ、或いは腐敗した警察だ。

 七里と言う先生、或いは監察官がいる前では従順だが、一度目線から抜ければ、腕力や権力を持つ者が即座に暴君と化す。

 荒れた現状の方が、都合が良いのだ。

 弱い者を顎で使い、王様気分の不届き者。

 また、その暴君に付き従う、威を借る群がるキツネ。

 北陸の騒乱の全てがそんな状態だとは言わないが、無視出来ない数の人間が長き戦乱で腐っており、これが北陸の安定しない原因と信長は告げたのだ。


 それを是正する為の『淫靡策』と『総赦免』だ。

 淫靡策で欲望を猛烈に刺激され、総赦免によって朝倉の支配になるのが困る者。

 これは(ふる)い分けでもある。

 策にハマった者を篩い分け、統治に邪魔な者を駆除するのだ。


「あちらが吉崎を守る為に動くとはな……。成程な。楽したい者が足を引っ張っているのか。そう言われると思い当たる節があったな。飛騨でも吉崎周辺でも。それが最後に流れる血か……。ともかく降伏すると決めたのだ。援軍武将も来るなら、もう今直ぐにでも動くべきだろう」


「ええ。その為に明日には皆に降伏の意を伝え、皆をなるべく早く説得し、それとは別に今すぐ使者を送り、即座に朝倉連合軍を招き入れるのが良いでしょう。その朝倉連合軍が到着する頃には、最悪吉崎は一揆内一揆の真っ最中かも知れませぬ」

 

 勢力の差に絶望したり、性欲に負けた人間、或いは現状の変化を望まぬ者が吉崎御坊に攻め寄せる。

 それらに対し頼周と頼廉は籠城し、信長の寄越す援軍と共に守りつつ、外側の混乱を朝倉連合軍が鎮圧する。

 それが一番手っ取り早い降伏と防御に加え、安全な鎮圧になるに違いない。


「そうだな。裏切る者にとって好機となろう。『越前国の七里頼周』は無理だが、『加賀守は七里頼周失格』と断じる者もいるだろう。お主に成り代わる芽が生まれた絶好機だからな。女子供を守りながら戦う辛い籠城戦となろうな。弥八郎(本田正信)を甲斐に行かせたのは早計だったな」


 正信は、別れた切りになっている本願寺の面々の動向を探る為に派遣されている。

 朝倉側にも面が割れているので、この様な時に使うべきだったと後悔するも後の祭りだ。

 

「それならば、兵糧運び入れの時の織田間者を使わせて貰いましょう。その上で某は、七里頼周の名を与えられし者の責任を果たします。現状揺らいだこの名ですが、それでも決して軽く無いと知らしめます」


「良し。先の護衛以外の信頼出来る者をなるべく目立たず集めてくれ。それが兵力の中心となろうて」


「わかりました」


 七里頼周と下間頼廉は、静かに降伏の準備と籠城戦に備え動くのであった。

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