188-2話 悪意満載 鏑木頼信
188話は4部構成です。
188-1話からご覧ください。
【越前国/吉崎御坊 座敷牢】
「誠に申し訳ありませぬ。最初はともかく、今回も斯様な目に合わせてしまうとは……!」
「いや、良いのだ。これが拙僧を守るに最適だとは理解しておる。ここならそう簡単に殺せまい」
吉崎御坊では、牢屋の格子越しに七里加賀守頼周と下間頼廉が話し合いを行っていた。
以前は問答無用で牢屋に放り込まれた下間頼廉だったが、今は頼廉を守る為に牢屋に入っている状態となっている。
頼廉が朝倉との交渉で得た話を持ち帰って説明した所、一揆衆の一部が激怒し収拾が付かず、頼周の一声で入牢処分となったが、先述の通り、頼廉を守る為の措置である。
「しかし、あの者達は何故怒ったのだろうな? 拙僧が何か其方らの思いを読み違えてしまったのか?」
「いえ、下間様は十分理解して下さっております。故に拙者にも、あの怒りは理解出来ません。いや、思い当たる事も無くは無いですが……」
「武士への憎悪か……?」
それもあるにはあるだろう。
だからこその朝倉家の歩み寄りだったのだが、ごらんの有様だ。
「土産も1万石では足りんかったか? それとも懐柔されたと見られたのか? これは相当な憎悪じゃ。本当に根深いのう。もう自分で自分を傷付けている様にしか見えぬのは拙僧の錯覚か?」
その土産、本当は足りていた。
怒った者も、一部の過激派の勢いに飲まれ、怒るしか無かった者が結構な人数存在する。
いつの世も声の大きい者が、言った者が勝ちなのだ。
「足りぬ事は無いでしょう。それに錯覚でもありませぬ。ただ、武士への憎悪も、この一揆はもう約80年続いているのに、武士の支配を憎いと感じる世代はもう居ないか、居ても老人ばかりのハズですがな。確かに昨年は朝倉家と戦った。しかし、支配を受けた事は無い。先祖代々の恨みを引き継いでいるにしても苛烈でしたな」
指導者の七里頼周でさえ同じ意見だ。
こんな言葉、皆の前で言ったら後ろから刺されても仕方ない危険な会話だが、そう判断せざるを得ない反発だった。
「其方もそう思ったか。驚いたよ。いきなり火薬が爆発するが如きの怒り。仮に状況有利の後一押しで勝てるのに、講和を結んでしまい怒るのだったらまだ理解出来る」
史実の朝倉義景が信長包囲網にて、後もう少しで織田に最低でも大打撃を与える寸前で、信長の謝罪に気を良くして和睦に応じた事がある。
この行為に包囲網参加者が愕然としたが、今の一揆衆は日々深刻になっている状態なのに、頼廉が渡りに船のはずの和睦案を持ち帰ったら怒り爆発だった。
ボスの七里頼周さえ和睦しか無いと考えが傾いているのに、徹底抗戦派が大多数だったのだ。
確かに頼周の攻撃命令には嬉々として動く者も居るが、こうまで状況が読めていないのは何なのか?
「理由は……信仰心か? いや違うな。蓮如聖人の良かれと思った行動が、農民の国を作ったのだから、武士の支配は受け入れ難いと言う事か? 結局、ある意味信仰心か。……まさか牢屋が一番安全とは皮肉なモノだ」
頼廉はリゾート地で休息するが如く、大きく腕を伸ばして筋肉をほぐした。
バキバキと背中の骨が鳴る。
凝り固まった筋肉が解れ、疲労が抜ける。
「怒った過激な者も、怒りの本当の理由を理解出来ておらぬやも知れませぬな。或いは悪政を恐れているやも知れませぬ」
確かに弾圧を跳ね返して建国した百姓の国だ。
支配を怖いと思うのは理解出来る。
だが、怖さの余り、暴走しているのも事実だ。
「お主は、そんな者達を率いて破滅するまで戦うのか? 朝倉側からの提案、突っぱねる要素をお主は何か持ち得るのか?」
「……。痛い所を突いて来なさる。あちら側の提案は、誠に嫌らしく素晴らしい提案だと思います。しかし某は七里頼周として責任を果たさねばなりませぬ」
仲間が拒否をした以上、それを成功に導くのが己の役目と言わんばかりに、頼周は責任を前面に出して決意を述べた。
頼廉はその言葉の隙を聞き逃さなかった。
「そうか。お主は偽者だったのか」
「ッ!?」
使命感なのか、精神的な疲れなのか、頼周は『頼周らしからぬ』事を言った。
勿論『頼周として』との言葉は、本人が使っても問題無い言葉。
例えば信長本人が『信長としてケジメを付ける』等、そんな言葉を言う場面もあるだろう。
だが、今の頼周の話しぶりは、戦い指導する役目や責任は当然ながら『七里頼周』としての役目と責任を感じさせる、悲痛な想いが籠った言葉だった。
それを聞き逃す頼廉では無い。
偽物の可能性を聞かされるまで本人だと思っていたが、先の会談で偽物の可能性を知ってしまうと、何もかも違和感だらけに見えてしまう。
そこで急遽話を切り替えてみたが、見事に引っ掛かった形だ。
「安心せよ。拙僧にお主が偽物と騒ぐ意思は無い。聞きたいのは、お主は誰で、七里頼周はどこにいるのか? それを聞かせてくれ」
「……拙者の本来の名は鏑木頼信と申す者。この一揆にて――」
七里頼周こと鏑木頼信は、意外な程素直に、しかし観念した様に話し始めた。
内容としては何の事は無い。
頼周に絶体絶命の危機を救われた事、頼周の方針や存在感に魅了された事が最初の切っ掛けだった。
なお史実では、七里頼周は味方であった鏑木頼信に、謀反の疑いを掛けて攻撃している。
信長の知らぬ所での歴史改変の結果であった。
「――七里様には返しきれぬ恩義があり、また実力を認められ名乗りを許された者、と言う事になります」
「そうだったのか。最初は全く気が付かんかったよ。お主とは『10年ぶり』とか恥ずかしい挨拶をしてしまったな」
「とんでもございません。私も『七里頼周』になりきっておりました。ただ、本願寺本家の方を騙す形になったのは謝罪します。しかし、某はどうしても七里頼周として働かなくてはならぬ身。お許し下さい!」
牢屋に向かって土下座する頼周だった鏑木頼信。
知らぬ者が見れば異様な光景に移るだうし、絶対に見られてはならぬ光景でもある。
「恩義故の行動か。それで本物はどこなのだ?」
「ご容赦を。ただ存命し活動中とだけお伝えします」
「まぁそうよな。ここで喋る訳が無いか。だが生きているのが分かっただけでも収穫だ。いつか会わせて欲しいモノだ」
つい先日まで、本物だと疑わぬ程に完成された七里頼周を作り出した、本当の七里頼周が今はどんな成長を遂げているのか?
間違いなく周囲は当然、本願寺にとっても厄介な成長を遂げているのだろうが、再会を楽しみに思う頼廉であった。
「それよりもだ。お主が七里頼周として動くなら2か月後、正確には2か月以内に朝倉への返答をせねばならぬ。どうしたい? 法度を受け入れるか? それとも吉崎に籠城するか? 或いは決戦を申し込むか? それ以前に、会談に応じるか?」
「……!!」
一揆衆内での会談は紛糾したが、結局はこの七里頼周次第だ。
ただ、抗戦派が多い中で舵取りをしなければならないのが難題だ。
「ただ、決断を早まる必要は無い。例えば会談に臨んで朝倉側の言い分を聞いて、落し所があればそれで良し。物別れとなって決戦を挑むもお主次第。七里頼周として散るのもある意味使命なのだろう? 拙僧はこの争いに決着が付くまで、お主を七里頼周本人として認識し振る舞う事を約束しようではないか」
本願寺の使者である頼廉だが、制御不能の北陸と言えど、同じ浄土真宗の者が虐殺されるのは見たく無いし、実力に間違いなく、信頼出来る偽七里こと鏑木頼信を死なせたく無い思いもある。
「だが、良く考えて欲しい。拙僧の持って帰って来た提案は、吉崎御坊が敵の手に落ちるのでは無い。適切に宗教勢力として管理される。お主や我らの聖地が破壊される心配は無い。道を誤らなければな」
敵の言う事を真に受ける危険は承知の上での提案だ。
ここで朝倉家が弱小なら、とても信じられなかった策だが、強力な勢力と同盟し、かつ、朝倉家自身も強力だからこそ信頼し賭けた。
力なき約束など、何の効果も無いのだ。
「吉崎に籠城した場合だけが危険と言う訳ですな?」
その場合、その『力ある朝倉家』が完全な破壊に動かざるを得ない。
吉崎御坊の存在が諸悪の根源として、徹底的に破壊するしか無いし、その選択を取らせるのは一向宗になるのだ。
「そうじゃ。流石は七里に認められし者よ。理解が早くて助かる。後は降伏か決戦か、良く考えよ。ただ2か月後に間に合う時までが限界じゃ。それを過ぎたら朝倉側も問答無用となる。ただ、いずれにしても女子供、戦えぬ者はここ吉崎御坊で保護をしておくが良い。『最悪』の展開になって避難していては遅いからな」
「……? 今の『最悪』とは吉崎陥落とは違う意味を持たせましたな?」
「うむ。朝倉領は大改革の真っ最中で、混乱しておる。ある意味攻めるなら今だが、当然、連合軍が集結している以上、無謀な策。それに混乱といっても、戦略的混乱でも無いし、数もこちらより上だろう」
朝倉領の混乱は、急な法改正が原因である。
戦場での混乱とは訳が違う。
これを好機と見るのは勘違いも甚だしい。
朝倉全軍10000に加え、今年の斎藤は5000、織田も5000、今川が4000と、浅井500と24500人が相手となる。
対して、一揆側に去年以上の戦力は揃えられない。
越中は上杉を警戒しなければならないし、能登は能登で、邪教や元領主の小さな抵抗に対応しなければならない。
互角に戦えたのは去年まで。
今年からは、常に劣勢を強いられる。
「それに『最悪』と拙僧が感じた理由は他にもある。越前は、その大改革の混乱の最中なのに治安が行き届いているのだ。吉崎とは雲泥の差。お主の頑張りは目を見張るモノがあるが、人材の差が如実に出ておる。以前、吉崎を歩かせてもらったな? 民の笑顔が不気味だったと思ったが、アレの意味の一部が今、ようやく理解出来た。『本願寺から偉い人が来るから大人しかった』のだ。そうでは無いか?」
「……!」
加賀守頼周の治世で、治安は戦国時代の平均を保っているかと言われれば、下回っていると言わざるを得ない。
そもそもが、80年、戦乱の地域で治安が行き届いている方が不自然だ。
民が治安と政治と戦を全て担当しているのだ。
民は生産のプロであって政治や治安のプロではない。
あれこれ意見を出し合っているが、『船頭多くして舟山登る』の諺通り、連携もクソも無い政治に治世である。
何か重大な問題が起きれば『七里頼周』が裁定を下さねばならない。
頼周の思想が第一とは言え、個人個人の意見は統一されていないし、北陸はある意味『魔女狩り』状態でもある。
密告されても終わりなのが、治安の正体だ。
それに頼廉が今気が付いたのだ。
ただ、それでも加賀守頼周と言う傑物の力が、この程度の治安の悪化で済んでいるのもまた事実だ。
頼廉はそこも正確に察した。
だが、もう限界が近いとも見た。
「お主1人で民を守るには、弱者を吉崎に匿うしか無い」
「……分かりました。そこまで見抜いておりましたか。某も七里頼周として、今一度吉崎を見て回り判断を下します。……牢番!」
頼周は一時的に遠ざけていた牢番を呼んだ。
「しっかりと頼むぞ」
この牢番は、信長が頼廉に預けた間者だが、実は頼周もそれを把握している。
こんな状況になってしまった以上、どうにもならぬ場面になる可能性も高い。
頼周すら敵に頼る可能性があるからして、頼廉が緊急時に備え素性を漏らしたのだ。
それ故に『しっかりと頼むぞ』と言い残したのだ。
つまり、2か月後に間に合わぬ場合や緊急事態に動けとの指示である。
「承知しました」
礼儀正しく挨拶し、牢を後にした七里頼周こと鏑木頼周。
格子で見えにくいその背中が、小さく見えるのは気のせいで無いのだろう。
(長年、七里頼周として奮戦して来たのだろう。その精神的疲労は想像を絶するやも知れぬ。本人では無いが、やはり死なすには惜しい男だ。何とか良い方向に向かうと良いのだかな……)
「牢番の者よ」
「はっ、何でしょう?」
「ここに居る2人だけが、織田殿が付けた間者の総数では無いだろう?」
「……答えられませぬ」
その答えは『複数居る』と言ったも同然だが、どう答えたとて、頼廉は複数いると断定しただろう。
「そうか。ならばこれは独り言だ。吉崎御坊内の戦力を調べてくれると助かるのだが? 武器を扱えなくても良い。石でも投げられるなら戦力として数えてくれ」
「……期待はしないで頂きたい」
「それで良い。今日は疲れた。寝るとするか」
頼廉は横になり、筵を被って寝息を立て始めた。
(上に行く機会があれば、他の間者に接触して調べて貰うしか無いな)
(そうだな。まさか逆に利用されるとは思わんかったわ)
牢番は頼廉の手際を評価し、素直に調べ報告する事を決めたのであった。




