187-1話 因果 会談
187話は3部構成です。
187-1話からご覧ください。
【越前国/一乗谷城 朝倉家】
「こちらへどうぞ」
「忝い」
一乗谷城へ訪れた下間頼廉。
一応、先触れとして訪問したい旨を書状で伝えていたから、すんなりと一乗谷城に通されるのは当たり前だが、城の雰囲気に驚いた。
元々越前一乗谷は文化的にも栄える土地柄である。
朝倉家は多少、失点や失策、失政があったとしても、経済力と文化の力で幾らでも這い上がる事が可能な粘り強い勢力だ。
(あちらとしても、拙僧を二つ返事で招き入れたからには何かしら情報を得たいのだろう。だが、ソレはソレとして、やはり雰囲気は悪く無いな。昨年が引き分けとは言え、意気消沈する理由無しも当然か……)
一乗谷城の廊下を歩きながら、頼廉は思う。
そもそも、城に入る前の城下町の時点で『吉崎の民とは違う。これこそ理想の雰囲気だ』と思ったその時――
「破ッ!」
「うごっホへ~ウッ!?」
「げふぇッ!!」
裂帛の掛け声と、何かが破壊される音と共に、妙に汚い悲鳴が耳に届く。
「い、今のは?」
「今のは……その……何と言いますか……恐らくは武芸の鍛錬でございます」
案内する小姓は『恐らく』と言うが、内心では確信はしている。
「鍛錬……恐らく? 悲鳴(?)と何か破損する音までしましたが、朝倉家ではソコまで厳しい訓練を?」
そこまで厳しい訓練を積んだ軍を相手に、互角の戦いをしている七里頼周を褒めるべきか、朝倉家の本気を恐れるべきか迷った。
だが小姓は、妙な事を言い出した。
「あ、いや……何と言いますか、巴御前の生まれ変わりとしか思えぬ御方が当家に滞在しておりまして……」
「巴御前の生まれ変わり!?」
案内する小姓も、例の『樹木薙ぎ倒し事件』の目撃者だ。
あの時、皆でワイワイと帰蝶の訓練を真似して一段落した時に、延景が言った一言が切っ掛けだった。
『これはアレじゃな。かの巴御前よ。斎藤殿はその生まれ変わりじゃ無いか?』
宗教が絶対の世界である。
生まれ変わり、輪廻転生は当たり前の現象として認識されている。
『巴御前の戦場伝説は異常極まりない。その上で木曽義仲に殉じたとも言われる女豪傑。今まで巴御前の『あの伝説』は眉唾モノだと思っておったが、こうやって信じ難い光景を見せてくれる斎藤殿が居るのだから、あの『異常な戦功』も真実かも知れんな』
かつて北条涼春が帰蝶の事を、気長足姫尊こと、神功皇后と称えた。
神功皇后は女性でありながら武神としての側面を持つ非常に珍しい神様だが、信長の時代からすれば、半ば伝説的な逸話過ぎて半信半疑な部分も無くは無い。
だが巴御前は源平合戦時代の人物である。
その上で延景の言う『あの伝説』『異常な戦功』はこんなエピソードがある。
義仲と巴御前の出会いは最悪だった。
倶利伽羅峠行軍中の義仲の無礼に巴御前が腹を立て、騎乗したままの義仲を馬諸共、水田10枚分の距離を投げ飛ばし、義仲と馬を松の木の枝に引っ掛けた。
これらは『駒かけの松』『木曽投げの松』と伝説を残している。
義仲に気に入られた巴御前は、武将として参加し義仲に従うが、初陣で首級7つを取る戦闘力、左右から襲い掛かって来た敵の首を、(馬を投げ飛ばす事に比べれば造作も無いだろうが)それぞれ同時に鷲掴んで握り潰して首を落とす怪物級の握力と対応能力を見せた。
また、武名名高い御田師重と一騎打ちの末、馬から引きずり下ろし討ち取る逸話などはまさに一騎当千だ。
その功績を『巴は色白く髪長く、容顔まことに優れたり。強弓精兵、一人当千の兵者なり』称えられた。
そんな怪物級の巴御前の伝説は、数々の戦で指揮を執り、武田信繁、遠藤直経、吉川元春、北条綱成と戦い生き延び、昨日、樹木を素手で折った帰蝶の伝説と遜色無い。
しかも2人とも薙刀の名手だ。
延景が帰蝶を巴御前と称えるのも無理からぬ話。
巴御前は帰蝶の現在にピッタリの人物過ぎて、涼春すらも気長足姫尊よりは相応しい気がした程だった。
なお巴御前は存在が架空とも言われるが、その時代に女性兵士が第一線で活躍した記録もあり、完全なフィクションと言い切れない存在でもある。
怨霊観点から見れば、義仲共々無残に討ち取られたから、せめて活躍をしたと記した可能性もあるが、その巴御前並みの戦果を挙げている帰蝶が居るので『事実を事実のまま記した可能性も捨てきれない』と延景らが思って当然だった。
「そんな御仁がこの曲がった先に?」
頼廉も教養として巴御前は知っている。
そんな化け物は、あの噂の人物しか思い当たらない。
「はい。恐らく……」
小姓は自信無さげに言う。
昨日直に見ても、まだ信じられない思いがあったからだが、そんな一行が、城の廊下を曲がるとその光景が見えて来る。
そこには、謎の着物を着た女性の突き出した両手と、吹き飛ばされ恍惚の若武者と女武者だ。
3人は頼廉に気が付くと頭を下げて歓迎の意思を示す。(吹き飛ばされた2人は頭を下げたと言うより蹲ったとも言えるが)
3人が礼を済ますと女が男女に駆け寄り、甲冑を外し、2人の腹から大量の布を取り出す。
(何だ? 鎧とあれだけの緩衝材があってあの悲鳴? 2人同時に攻撃を受けたのか? 破城槌でも腹に打ち込まれたのか? ……肝心の槌も武器も見当たらぬが)
これは、帰蝶の発勁に対し、信長が鎧を付けた上でも負傷した事を踏まえ、鎧と肉体の間に布を詰め込んで安全性を確保出来るか実験だったが、布を詰め込んでも、かなりの衝撃が伝わった。
実は、布の詰め込み過ぎで、緩衝材としての機能が低下していたのも原因だ。
しかし、仮に空洞を多く確保しても、サイズの合わない甲冑で今度は動きにくいし、一工夫して鎧と肉体を密着させてしまえば何の問題も無い。
ちなみに実験的に、吊り下げた空洞の鎧に打っても、その部位の破壊してしまった。
その場合は、その一発に限り肉体は無事だか、どう転んでもタダでは済まない。
帰蝶の発勁は実に厄介な攻撃と化してしまっていた。
(本当に何だ? まさかあの男女は、あの女に吹き飛ばされたのか? 巴御前……女!? ひょっとしてあれが斎藤帰蝶か!?)
七里頼周と争ったと聞いた斎藤帰蝶。
頼廉から見ても、七里頼周は凄まじい手練れだ。
その手練れと互角に戦った帰蝶は、頼廉にとっても脅威と言うよりは、色々信じられない存在その者だ。
(嫌な感じだ。これは紛糾するのだろうな……。出来れば譲歩、無理でも吉崎維持の約束は取り付けたい所だが……。厳しい交渉になりそうだ……!)
頼廉は、気分が重くて引き摺りそうになる足を、無理やり床から引きはがしながら、案内されるまま移動するのであった。
【一乗谷城/広間】
城主の座に朝倉延景、その正面に下間頼廉、両脇には朝倉家家臣団と、援軍にして客である、織田、斎藤、今川、浅井の面々が居並ぶ。
左側が朝倉家、右側が援軍武将なのだろうが、右側には、先程の腹を抱えて蹲った男女と、妙に女性が多い事(10人)が気になると言えば気になるが、とりあえず頼廉は、使者を受け入れてくれた事に対し礼を述べる。
「此度は拙僧の、しかも敵対している浄土真宗の使者である拙僧を受け入れてくれた事、誠に忝いと存じ上げます」
「気にする必要は無いですぞ。こちらとしても話の通じる御仁である事を大いに期待しております故な。北陸一揆衆では無く、本願寺本家からの使者。ここで突っぱねる様では大名など務まりますまい」
頼廉はこの好感触が不気味だった。
朝倉が余裕なのは理解出来る。
昨年、決定的な勝敗を付けられなかった勢力同士だが、余力の差がハッキリと出てしまっている。
だが好感触は意味が分からない。
正直、左右から来るであろう嵐の様な敵意を『どう対処しようか?』と考えていたのに、完全に肩透かしを食らった。
「そう言って下さると助かります(歓迎されている……のか?)」
懊悩する頼廉を他所に、延景が早速話を進めた。
「さて、そちらの要件を先に聞くべきか、斎藤殿の要件を先に伝えるべきか?」
長年続く北陸一向一揆だが、昨年より斎藤、織田も参戦し、本願寺本家も武田を引き連れて動いた。
昨年は色々と激動の1年でもあった。
ここらで一度、いつ、どこで、何がおきて、今に至るのか整理する必要があると延景は思っていた。
「時系列に沿った方がお互い理解が早いでしょう。先ずは私達に話をさせてくれませんか?」
そう述べたのは、先程庭で男女を吹き飛ばしていた女。
つまり斎藤帰蝶だ。
その帰蝶の横には、一人の僧侶が控えて居た。
円巌寺住職幹円の息子、葉円だ。
昨年、父の幹円は円巌寺が落ちる共に自害したが、その前に頼廉と色々話をしていた。(172-3~5話参照)
幹円は死の間際に言った。
『下間様を何とか探し出して、協力を仰ぐのです……! 本願寺本家も北陸には憂慮している……! 北陸では七里頼周が本家の意向を無視しているのです! 下間様はそれを止めるべく向かいました……!』
その遺言に従い帰蝶は越前までやって来た。
しかし結局、その年に頼廉と接触出来なかった。
頼廉は既に七里頼周に捕らわれていたからだ。
結局昨年は、越前と加賀の一揆衆と戦う以外の手が打てなかった。
《それにしても、七里頼周も良く許可しましたねー》
ファラージャも、この会談は意外だったのか様子を見守る。
《まぁ、一揆も苦しいのだろうよ、と言うより順風満帆な一揆なぞ聞いた事が無いわ》
信長も為政者として一向一揆は当然、普通の一揆も見て来たが、余裕を持って戦う一揆勢など見た事無い。
基本的に追い詰められた末の一揆なのだから、何もかも苦しいはずなのだ。
本願寺の支援も無いのに、ここまで戦い抜いた北陸一向一揆が異常なのだが、その異常を成立させている要点は、広大な土地を支配しているに他ならない。
ただ、その異常も正常に戻る兆しが見えて来た。
つまり、正しく苦しんでいるのだ。
本来なら七里頼周も、本願寺本家の意向を考えたら、朝倉ら敵対者と頼廉を合わせるのは危険な行為と理解している。
結託する可能性が高過ぎるからだ。
だが、それでも接触させる必要に駆られていた。
閉塞感、手詰まり感がそうさせてしまったのだ。
互角の戦いは出来るが、互角ではダメなのだ。
勝たなくては意味が無く、その為に勝ち続けたが、勝てば勝つ程、次々と参戦する勢力が出て来る始末。
何なら、来年には三好が出張ってきても何ら不思議では無い。
その最悪想定に備え、頼周は危険な賭けに打って出た。
そのお陰で今、帰蝶達は一年越しにようやく当初の予定が叶った形になる。
「何と! あの幹円殿のご子息とな!? ……ご子息? 幹円殿ご本人は?」
「父、いえ師は自害されました」
「じ、自害!?」
「無為に民を死なせた事に対し責任を取ったのです」
葉円の目に憎悪も怒りも無い。
この一年間の考える時間も有効に働いたのだろう。
ただ、事実を事実のまま伝え、出方を伺った。
「何たる事だ! 命を粗末にするなと厳命したのに……!」
(ッ!?)
頼廉のこの反応。
全員が、演技では無いと見抜いた。
まだ本願寺の真意が不明なので、何なら一揆の為に『自害せよ』と命じた可能性すらある。
しかし、その可能性は払拭された。
何の証拠も無いが、この程度の心の動きを把握出来ずして乱世は生きて行けない。
別次元の頼廉を知る信長や帰蝶は当然、諸将も頼廉と言う人物に、ある種の好感をもった。
何せ今まで一向一揆とは、日本語で話しているのが不安になる程、何も伝わらなかった。
しかし、この下間頼廉なら、少なくとも『話は通じそうだ』との希望。
これだけでも、正直『ありがたい』とさえ感じてしまう一同であった。
「民の話では、一部の不満を持った民が、師を問い詰め斬り掛かりました」
「そうであったか。やむを得な……ん? 先程、自害と仰られなかったか?」
「自害です。民の斬り付けは致命傷には程遠く、師は刀を奪うと自ら腹に突き立てた、との事です」
葉円も現場を見た訳では無いが、斎藤軍の情報収集から父の最後の行動を知ったのだった。
「責任を取ってしまったのか……。何と言う事だ……! 吉崎になど行かず、残るべきであったか……!」
頼廉はガックリと項垂れた。
真の浄土真宗について語り合った仲であった幹円こそ、混乱から解放された飛騨を纏める寺院の代表に相応しいと思っていただけに、ショックが大きい様であった。
そんな頼廉を諸将は観察する。
幹円は今際の際に『下間様を何とか探し出して、協力を仰ぐのです……!』と言った。
その『下間様』とはこの頼廉に間違い無いだろう。
協力して一揆を鎮圧出来るなら、何を差し置いてもそうすべき。
だが、幹円には悪いが、幹円が幾ら信用したからと言って、無条件で頼廉を信ずるのは愚か者。
ただ、信長と帰蝶だけが、別次元の歴史的事実を以てして『実力』だけは信頼しているが、今の歴史でどう動くか予測が付つかないし、別の歴史の頼廉の行動原理が、逆に思考の妨げになりもどかしい。
「下間殿。ひょっとしたら飛騨で既に聞いたかも知れぬが、こちらに協力して下さる臨済宗の僧侶達が、本当の浄土真宗を調べ推測した話はご存じか?」
延景が、頼廉の打ちひしがれた姿を見て、一気に斬り込んだ。
知った上で、その内容を『YES』と認めれば、確実な大義が生まれる。
だが『NO』と答えると、じゃあ一体何の為にここに来て、本願寺は何を目的にしているのか分からなくなる。
そうなれば、信長達は聞かなくてはならない。
帰蝶と勢源が堀江館に潜入し聞き出し、武田信虎が越中の七里頼周から『浄土真宗の真実』と伝えられた、謎の書物『タンニショー』について。
一連の流れから察するに、今の浄土真宗は真実が記されたタンニショーとは全く別物らしいのだ。
ここを突いて揺さぶらねばならない。
《前の歴史では本願寺との抗争の最中、『タンニショー』など聞いた事も無かったからな。もしこの歴史で内容を知ったり入手出来れば、本願寺との戦いは大きな有利となろう》
《そうですね。タンニショーについて話してくれると助かるのですけど》
《恐らくは沢彦和尚が調べた事と大差は無いだろうが、不確実と確実には絶対の差がある。入手出来る様な物であるなら手中にしたい所だ》
予測は予測。
所詮は99%で100%じゃ無い。
ここで歎異抄を手に入れ100%の証拠を揃えれば、史実で本願寺と争った不毛な10年が、この歴史では無くなる可能性まである。
北陸一向一揆の鎮圧も大事だが、信長にとっては、その先まで見据えた大事な交渉となるだろう。
「隠しても仕方ありますまい。幹円殿に報いる為にも、ここは正直に話します。……私も臨済宗の方が調べた話は伝え聞いたに過ぎませぬが、概ね正しいと認めざるを得ません」
「!!」
頼廉が認めたのも大きいが、この発言は、蓮如や蓮崇、或いは七里頼周が、北陸の浄土真宗を長年に渡り欺いて来たと自白したも同然の言葉。
本来軽々しくハッキリと白状する類の発言では無いが、頼廉は言い切った。
欺いたとは言え、已むに已まれなかった蓮如の想いも理解しているからだ。
「本来……本当に本来は、こんな戦乱が巻き起こるハズでは無かったのです。吉崎に拠点を構えた蓮如聖人は争いでは無く、団結で力を合わせて生きていこうと説いたのです。浄土真宗の教義では、人は皆、死ねば極楽は確定しているとは言え、今を生きる民が苦しんで良い理由にはならないと聖人は考えました」
頼廉の言葉は全員の心臓を貫いた。
民を支配する側として、耳の痛い言葉だ。
支配は適切でなければならないのだ。
不満を持たせぬ為に、恐怖で支配するか、希望で支配するかは、頂点に立つ者次第なのはいつの世も同じだ。
「聖人はその為に、仏の教えを語り合う場を作りました。それを『講』と言います。しかしそれが活性化すると、今度は領主の不満の捌け口を言う場へとすり替わっていきました――」
頼廉は北陸の歴史を語った。
その話は沢彦が調べた事と概ね合致しており、信長達は、蓮如が複雑な立場に立たされ、諸事情によって担ぎ上げられた末の今なのだと知った。
「富樫一族、いや、武士と言う人種が浄土真宗の戦力を当てにしてしまい、その成果を今度は恐れ、守る為に戦い先鋭化した訳か……」
信長が呟くが、皆同じ意見であったし、今となっては何となく察していた事でもあった。
とくに信長は、守る為に先鋭化する宗教団体を、前の歴史も、今も歴史も相手にして来た。
民がそうなる理由は分らないでも無い、と言うのが正直な感想だ。
「ではタンニショーとは、本来の浄土真宗が表現された物なのだな?」
信長が、いきなり斬り込んだ発言で頼廉を揺さぶった。
謎の『タンニショー』が一体何かを確定させるは今と感じたからだ。




