27話 北勢四十八家
【尾張国/清州城 織田家】
信長の大号令の下集められた専門兵士は、半年後の時点で4000人の動員が出来るようになった。
この募兵は尾張だけでなく、一攫千金を狙う他国からの流民も多数集まったが、兵士に向かない親衛隊の間者や、商人達が話を広めたお陰であった。
特にこれから攻め入る特に伊勢は、念入りかつ内密に募兵した。
「うーむ……少々集まり過ぎたかもしれんな」
早朝、信長は農民が一切居ない部隊を前にぽつりとつぶやいた。
出陣する4000以外にも、訓練や適性判断が済んでいない者が数千人はいた。
《の、信長さん、これ兵糧は大丈夫なんですか?》
《あと半年は持つが、年間で考えれば当然足りぬ。もはや後戻りは出来ぬな。何がなんでも伊勢を平らげる必要がある》
今の親衛隊は訓練中の候補も含めて推定7000人を抱えていた。
脆弱すぎたり、幼すぎて全ての適性が認められず、頭脳働きも無理な者には農業に従事してもらい成長したら再適性検査をしてもらう事になったが、大多数の新規親衛隊は農業従事者では無い為、生産性がある訳ではない。
お陰で尾張の年貢で得た兵糧は、家臣の維持以外にはコメ一粒に至るまで必要となってしまった。
《斎藤家に頼んで都合をつけてもらってはいかがでしょう?》
《最悪その様にするが、まずは親衛隊の商人を動員して、借銭してでも各地から買い入れておる。最後の手段として武田家の様に振舞うかな。斎藤家に頼るのはその後じゃ》
《武田家の様にとは?》
《それは―――》
戦国時代は小氷河期と言われており、食料の確保が難しい時代でもあった。
信長の言う『武田家の様に振舞う』とは、他国に比べて食料生産力が低い甲斐の武田家は、他所から奪って国を維持していた。
それが武田家の強さの一つでもあった。
言わば全兵士が最初から『死兵』だからである。
その『死兵』とは『死を覚悟し、死を恐れない兵』であり、兵士の状態としては最強最悪の恐ろしさを発揮する。
武田兵は『勝てなきゃ飢えるから勝つしかない』と、常にそんな状態なので、どんなに有利な戦場でも常に背水の陣なのである。
実に単純だが強力であり、その死兵が百戦錬磨の武田信玄に操られて動くのだから、手が付けられないのも当然である。
ちなみに一揆兵も同じである。
痩せ細った農民一揆に武士が敗れるのは、一揆兵は死兵に等しいからだ。
信長はそれをマネすると口にしたのだ。
《―――と言う事じゃ》
《なるほど、そんな武田と互角の今川は本当に凄いのですね!》
《そうじゃ! 分かってくれるか! そもそも……》
《(ヤブ蛇!? 私のバカ!)あ、そんな事より……、》
《そんな事と申したか!?》
《すみません! でも聞いてください!》
《む……なんじゃ?》
義元談義に入ると大変な目に合うのは前回学んだ為、ファラージャは強引に話題を切り替えた。
《史実では北勢四十八家を平らげる時、4万の軍勢で攻め入ったのですけど、今回の第一陣は史実の10分の1ですよね? 本当に大丈夫ですか?》
《4万? 何じゃその大軍は? 一体何に書かれたか資料なのか知らんが、あの時は1万以下だったはずじゃ》
信長は全く身に覚えのない大軍勢に、記憶を思い出しつつ答えた。
《えぇ!? でも資料には……》
《あぁ、なるほど、解った。それは恐らく我等がバラまいた流言飛語の結果が、事実となっておるのじゃろう。良い機会だから言っておこう。例えワシの直筆書状であっても簡単に信用するなよ? お主、義元について話した時、自分で言ったじゃろう? 『権力のある歴史学者が馬鹿な説を押し通した』『同じく学者が歴史的資料を鵜呑みにして嘘を嘘と見抜けない』とな》
《あっ!》
《ファラよ。お主の技術を使えば、人数を数える事など一瞬なのであろうが、遠眼鏡がまだ手に入らないワシ等と同じ条件で、1万と4万を瞬時に見抜けるか? 全ての軍勢が整列して静止している訳でも無いのじゃ。例えば真横から見たら全容の把握など不可能じゃし、櫓に登って見渡すにしても限界がる。人の目と感覚は正確ではないのじゃ》
《なるほど……》
《じゃから軍の正確な人数は見た目が全てで大雑把なものじゃ。それに軍勢を数倍に見せる事など当たり前の戦術じゃ。例えば山岳森林に旗を並べるだけで、兵など居なくても軍勢に見える》
《はぁ~。事実は大げさに伝わるのですね……》
《それに軍勢の正確な人数を把握しているのは、味方であっても軍の指揮者だけじゃ。時と場合によるが、末端の兵には事実の数倍の兵数を動員している、と伝えるものじゃ。誰も確認が出来ない以上、それが真実であり、気分も落ち着くし楽になる。覚悟を決めさせるために事実を告げる場合もあるが、基本は嘘の情報じゃ。敵に真実が漏れても困るしな》
《そう言う物なのですか……》
《当り前じゃ。前々世の経験からすれば現時点の4000でも、先に話した様に今が最良の時期故に、戦略次第でどうとでもなる。援軍も手配するしな》
そんな、ファラージャと戦略談義をする信長の元に、帰蝶が柴田勝家、森可成と共にやってきた。
「三郎様(信長)、準備が整いました」
森可成が信長に告げた。
「よし、これより伊勢は柚井城に向かう。先に告げた通り、まずは権六(柴田勝家)に柚井城攻略を指揮してもらう。この時期だ。大した兵は集まるまい」
今はまさにコメ作り最盛期であり、農兵の徴用は自殺行為である。
「はっ! 名誉挽回の機会を与えて下さる御恩に、必ずや応えまする!」
柴田勝家は先の尾張内乱で戦に負けて捕縛される屈辱を味わった。
人質交換で戻ってきた後は、信行が謹慎となり勝家も連座して処罰され、信長付きとなる降格処分となったが、己の失態を結果で挽回すべく親衛隊に混じって牙を磨いていた。
なお、勝家は親衛隊の面々の実力の高さに気付き、単なる降格処分と違うのに気づいたのは別の話である。
「気合十分のところ悪いが、敵の兵は100居れば良い方じゃ。しかも準備不足じゃ。じゃから篭城戦になるじゃろうが、ほぼ確実に降伏に応じるハズじゃ。仮に応じなくとも先に述べた通り敵兵の数はたかが知れておる。親衛隊はこの日の為に城攻めの訓練はしてきた。その時は鎧袖一触に粉砕せよ。あと、行軍中の農民や田畑への攻撃は禁ずる。これは我らにとっても自殺行為である故な!」
水田を荒らしてしまっては、伊勢遠征の成功は有り得ない。
「近隣には猪飼城、小山城があるが、柚井城を落としたら猪飼城をすぐに取り囲む。その指揮は。三左衛門(森可成)にやってもらう。さらに小山城は……そうじゃな。勝三郎(池田恒興)を試すか」
池田恒興は史実にて幼少期より織田家に仕えていたが、今回は尾張内乱後に才能を知る信長に親衛隊に組み込まれていた。
信長とは同世代での若武者である。
「攻略後は、城攻めの手応え次第で軍を分けて、各個撃破に移行する。今回の作戦はこの農繁期にどれだけ伊勢に食い込めるかが肝要だ。速度こそが重要と心得よ!」
指揮者を交代するのは、転生後に信長が考えた策である。
不慮の事故等で、部隊を指揮する者が指揮不能になった時、軍が瓦解する事を防ぐためである。
もちろん、古来より軍には緊急時に対応する副将が常にいるが、ただ、その様な緊急事態時には、その軍の攻撃能力は皆無になってしまう事がある。
三方ヶ原の戦いで徳川軍に圧勝していたのに、大将である武田信玄が倒れた事が原因で引き上げてしまった武田軍の様に。
ある意味、止むを得ない価値観であるが、信長はその価値観を壊す気でいる。
本能寺で自分が死んで天下布武が頓挫し明智光秀が天下を制する(と勘違いしている)事の二の舞が無い様に、誰が死んでも、不測の事態でも継続できるようにする策の一つである。
親衛隊は誰が指揮しても機能するように訓練した。
今回の柚井城、猪飼城攻城戦はその効果確認も兼ねている。
例えるなら親衛隊は織田家の共有財産であり、忠誠を誓う相手は織田家当主や役割を与えられた者、その時々の親衛隊指揮官であった。
信長は今回、実戦でも指揮者交代が上手く機能するなら、伊勢侵攻戦では可能な限り、多数の指揮官候補者に指揮させるつもりでいる。
なお今回の戦では勝家、可成の他、従軍する家臣は個人的な私兵、つまり馬廻衆をそれぞれ20人程しか連れていない。
彼らは主人を守る最後の砦であって、緊急時以外の積極的な戦闘行為は殆どしない。
あくまで主役は親衛隊である。
「では、出陣!」
信長の号令の元、清須城を出発した親衛隊は信秀、信広に見送られていた。
「父上、行ってしまわれましたな」
信広は年不相応に逞しい弟を、頼もしく思いつつ信秀に言った。
「そうじゃな。初陣は先の尾張制圧時に済んで居るが、真の意味で初陣は今回の遠征となろう。今までの隠れた実績が隠れたままになるか、日の目を見るかはこの遠征次第じゃ」
家督を譲って心身の負担が減ったのか、若干若返って見える信秀が感慨深げに答える。
「はい。三郎が帰還するまでは尾張は我らで死守しましょう。そうですな? 濃姫殿?」
「仰る通りです! 三郎様が帰ってきた時『織田が滅んでいました』では目も当てられません!」
帰蝶は今回の遠征は不参加である。
まだ選別しきれていない親衛隊候補の見極めや訓練を担当し、なおかつ、昨年から着手している農業改革の確認作業もあるからだ。
少なくとも帰蝶の出陣は今年度の稲作の成果確認が終わるまでは無理であった。
その後は機を見て援軍として残りの親衛隊を引き連れていく予定である。
「さて。三郎が帰って来た時に白い目で見られぬ様に、尾張を守りつつ少しでも濃尾街道の整備や、楽市楽座の施行を広めて行くとしようか。あと、三郎が落とす城の城代派遣を頼むぞ」
信秀は両手で顔を叩いて気合を入れなおし、新当主を支える事を改めて誓ったのだった。
【伊勢国/柚井城 北勢四十八家の一つ西村家】
柚井城は北勢四十八家の一つ西松氏が支配する城である。
北勢四十八家とは、大名と言うには規模が小さい城主や、豪族の集まりを指す言葉である。
実は四十八家と言いつつ五十三の家系があるが、その時々で入れ替わりや同名の別家があったりで、正確な実態は良く分かっていない。
その西村家一同は蜂の巣を突いた様に慌しかった。
突如、織田軍が柚井城を包囲し、降伏を迫ってきたのだ。
猶予は四半刻(約30分)。
こんな農繁期に大軍が押し寄せる事は想定外であり、しかも小豪族に過ぎない西村家単独では、例え農閑期だったとしても、信長親衛隊に対抗できる戦力は揃えられない。
最早開城降伏しか生き残る道は無かった。
時間制限も厳しい中、大慌てで柚井城から降伏の使者が来たのは当然の結果であった。
城門が開かれて降伏の意思を示した柚井城広間では、信長達の前で西村家一同が平伏している。
その信長が非情な命令を下す。
「ワシは何も保障せぬ。お主ら命の保障が欲しくば、今すぐ軍備を整え兵糧を全て引っ張り出せ。現時点より、我等との従軍を命ずる。その活躍次第で初めて命の保証をしてやろう」
「え!? しかし、農繁期では思うように集める事は……」
西村家の一人が控えめに抗議した。
「農兵は必要ない、と言うより今は集めるな。年貢も今は臨時徴収する必要は無い。今すぐ動けるお主らの親類縁者だけで良い。次男三男も元服した者は全て引っ張り出せ。いいか? 全員だ。それがワシへの忠誠の証となり、お主らへの保障に繋がると心得よ!」
その後、柚井城に居た約50人の兵と西村家の家臣を根こそぎ親衛隊の先鋒に加え、西村家色を一掃した後は兵100を残し猪飼城に進軍させた。
織田家の城代も間もなく来るはずなので、西村家の縁者が集まり次第合流する手筈である。
その後は当然の如く猪飼城、小山城も柚井城と同じ様に即座に降伏させ、何も保障せず、軍備を整えさせ、兵糧を引っ張り出し、軍の先鋒に加えた。
小山城攻略をもって一日が終わり、親衛隊隊長格は軍議の為に集まり信長が話を始めた。
【伊勢国/小山城 織田家】
「今日経験した通り、農繁期の今ならば小豪族程度は無血での降伏を促せる。吸収した兵は先鋒として使い潰せば貴重な親衛隊の損耗も防げる。もしそこで生き残る者は見込みありとして、親衛隊へ正式に加える。今後は今日のやり方を、相手が兵を揃える農閑期まで基本戦略とする。……ん? どうした?」
柴田勝家、森可成他従軍した家臣は『専門兵士の計』の恐ろしさを痛感し、自分の常識が破壊されていく感覚に半ば呆然としていた。
何せ城3つ落として誰も負傷どころか戦いすらしていないのだ。
農繁期に人数を揃えて圧力をかけるだけで、絶大な効果がある事実の受け止めに、少々時間が必要な様子であった。
《思い出した。そう言えば、前々世でもこんな感じであったわ。大名相手では相手も無理にでも抵抗するから効果の実感が薄かったかも知れんな。偶然じゃったが、その意味でも『専門兵士の計』を実感させるには、北勢四十八家は絶好の相手じゃ》
信長は前々世で同じ戦略を披露した時を思い出した。
《フフフ。皆さん面白い顔していますねぇ。もう少し待った方が良さそうですかね? それにしても見事な手際ですね! 今後の戦略はどうしますか?》
《とりあえず、北勢四十八家は全て蹂躙して吸収する。大名規模でも農繁期はたかが知れておるが、それでも流石に戦は避けられまい。その時こそが、この伊勢侵攻作戦の真価が問われるな》
《それにしても活躍して初めて命の保証とは、中々厳しいですね》
《それが土地を支配する者の責任であり、義務であり、負けた者の末路じゃ。降伏した者は先陣に立ち命を張って、忠義と己の価値を示し初めて認められるのじゃ。相手に価値があれば最初から保証する事もあるが、基本は酷使じゃ》
《厳しい時代ですね……》
《何を言うか! 信長教が蔓延るお主の時代の方が厳しいわ!》
「殿、続きをお願いします!」
ようやく我に帰った家臣達が続きを促した。
「フッ。もう良いのか? では、明日以降の作戦を伝える。この様子であれば、当面は軍を2つに割っても何とかなりそうじゃから、権六、三左衛門をそれぞれの総大将として動く」
「え? 殿は如何されるのですか?」
可成が疑問に思って聞いた。
信長と誰かで軍を割るならともかく、その指示では総大将の信長にやる事が無いのだ。
「権六の下で働く」
「ふぇへぇっ!?」
柴田勝家が素っ頓狂な声をあげた。
「今日の指揮官交代作戦を見る限り、誰が親衛隊を動かしても殆ど問題は無さそうじゃ。であればワシが下についても問題は無かろう?」
「い、いや、問題は大有りだと思うのですが……」
勝家が当然の抗議を控えめに言った。
「お主らは知らんだろうが、かつてワシは親父殿を親衛隊でこき使ったぞ?」
野盗砦討伐戦の話である。(12話参照)
「ふぇへぇっ!?」
今度は家臣一同素っ頓狂な声をあげた。
「親父殿が親衛隊をどうしても視察したいと言われてな。しかも混ざると。あの時はワシもお主ら同様驚いたが、まぁこれも試練の一つと思ってやってみせい。どうぜ暫くは大した争いは無い。ワシも親衛隊に混ざって動かんと鈍って仕方ないわ。異論は受け付けん。その時はワシも偽名で動く故に無礼も許す! 見事ワシを動かしてみせよ!」
勝家は非常に困った表情になり、可成は心より安堵した表情になった。
愚鈍な主君ならともかく、誰も好き好んで才気溢れる主君に指示などしたくない。
ちなみに、これは勝家常識破壊計画の一環である。
今生では勝家を裏切らせる事が不可能になったので、その代わりを考えた末の案である。
「なお降伏勧告は城の包囲後に行うように。城から脱出は絶対に通すな。他の城に備えられたら面倒故な。いずれは察知されるだろうが、可能な限り隠密に動くように。その意味でも関所は必ず潰せ。あと、長島城と特に願証寺への手出しは禁ずる。本願寺の奴等を敵に回す事になる故な。願証寺には使いを出しておる故、厳守を命ずる」
いずれは粉砕しなければならない勢力ではあるが、現時点では敵でも味方でも無い関係である。
史実では長島城は願証寺に襲われて占拠されてしまうが、今は北勢四十八家の勢力が居る。
ただ、長島城に攻め入って願証寺を刺激するのは得策ではないとの判断で伊勢を制圧した実績の圧力で、長島城だけを降伏勧告するつもりであった。
「明日からは権六は南を攻め始め、三左衛門は西側を平らげたら権六と合流せよ。目標は、北伊勢の半分を農繁期の期間中に平らげる! 各自励むように!」
「はっ!」
「おっと、忘れておった。適当な頃合いをみてワシは三左衛門隊に移動する」
「ふぇへぇっ!?」
可成が素っ頓狂な声をあげた。
こうして本格的な伊勢侵攻作戦が開始されたのである。




