184-1話 立ちはだかる目的地 山と路
184話は3部構成です。
184-1話からご覧下さい。
この話は、まだ、上杉政虎と武田義信が戦う前の話である。
【上野国/沼田城 北条軍】
「さて、沼田城に来たは良いが……奴は馬鹿なのか? こんな山々を越えて関東まで押し寄せていたとは!」
氏康は沼田城から一望できる北側の峻険な山々を見て絶句していた。
谷川岳の存在は氏康も知ってはいたが、驚いたのは知識と実物の差だ。
景色として見るには素晴らしいが、ココを通過して来たとなると驚愕するしか無い。
山の実物を見て、改めて上杉政虎が狂人なのを思い知ってしまった。
「深志での会談と敵対も納得よ! ……まさかあの谷川岳で布陣してまいな?」
深志での会談。
織田、斎藤、朝倉連合と武田、北条、上杉連合の戦いが飛騨と信濃の深志に跨って発生した時の、武田軍側での会談の事である。(124話参照)
当時の諱である景虎時代の政虎は、武田側に付いて戦い、当時の諱である晴信時代の信玄の策をメチャクチャにして暴れまわり、最終的に決別し第三次川中島の戦いに雪崩れ込んでしまった。
『今の貴殿らでは分かるまいよ。ワシの理想と野望が。貴殿らにはワシは蝙蝠の如くフラフラと身を翻して居る様に見えよう。しかしそれは違う。ワシは最初から何もブレておらぬ。いつか真に理解し合える時が来れば分かるだろう。その時は手を携え共に歩もうぞ。ではな』
その戦に参戦していた氏康は、政虎は正真正銘狂人だと思ったが、今改めてあの時のやり取りを鮮明に思い出した。
「それは流石に無いかと……。山頂は雪で真っ白です。自殺行為ですし、例え真夏であっても布陣は論外でしょう」
氏康の自問自答の様な問いかけに、氏政は一応否定する。
谷川岳はトマの耳(標高1,963m)、オキの耳(標高1,977m)の二峰に分かれた山だが、2000mに満たない山ながら、世界最悪の遭難事故死者数でギネス記録を持っており、世界に14ある8000m級の山々の事故死者数を合計しても、谷川岳の事故死者数に及ばないのだとか。
お陰で『人喰い山』などと称される不吉な山である。
「奴はソレでもやる様な気がする……」
ギネス記録など知り様が無いのは当然、上杉政虎を異常者としか思えない氏康は、あり得ないとは思いつつも警戒せずには居られなかった。
そもそも上杉政虎は信濃で武田と構えており、越後北部には来ていないので氏康の警戒は空回りなのだが、可能性を排除出来ない以上『上杉政虎は居る』と思って行動するのが正しい戦国大名だ。
「前回の奴の行軍路は割れているのだったな。三国峠だったか?」
「そうです。谷川岳を通るよりは遥かにマシでしょうが……」
三国峠と言うからには路なのであるが、氏政が『谷川岳よりはマシ』と言う様に、この三国峠も標高1,244mの峠であり、谷川岳の西方に位置する仙ノ倉山(2,026m)と更に西方の白砂山(2,139m)の間に存在する路だ。
史実の江戸時代には関東と越後を結ぶ街道として整備されたが、それでも事故が多く天然要害同然の峠であった。
江戸時代より前の現在では、『一応軍勢が通れると上杉政虎が証明した』程度に整備は絶望的だ。
そんな場所を、ただ通過するだけでも危険なのに、残雪急峻不安定な路を、戦装備全般の余計な装備を身に着けて通過しなければならない。
氏政の言う通り谷川岳を登るよりマシだが、出来れば、鎧兜は捨てて登山装備の旅装束だけで通過したいのが本音だ。
「奴は本物だな。本物の異常者だ。こんな苦労をしてまで上杉憲政如きの泣き言に呼応するとは。有名無実の関東管領がそんなに魅力的なのか?」
上杉政虎による関東遠征は、氏康が関東管領の上杉憲政を叩き出した事に端を発するので、政虎が攻め寄せたのは利益はともかく筋としては理解できる。
今回の北条家による越後遠征は、関東征伐に対する報復が名目だが、実際は一向宗の七里頼周からの情報と要請が決め手だ。
「人が違えば価値観も違うと申しますし、関東管領など我らには土塊同然でも奴には金塊に見えたのでしょう。多分……」
「将軍家の権威がか? うぅむ……」
氏政も政虎の行動理念は理解は出来ていない。
史実以上に今の将軍家の権威は失墜している。
14代将軍を六角が担いでいるが、その神輿の木材は腐って、もう後一押しすれば崩れるボロボロの神輿だ。
六角は京を支配している大名ではなく、京に封じ込められた勢力による神輿の将軍の権威。
何の価値も見いだせないのが実情だが、何かソレらしい理由を作るなら、やはり『将軍の権威』で納得するしかなかった。
なお、史実では上杉謙信は10回にも及ぶ関東遠征を敢行しているが、苦労の割には得られたモノが少ない遠征だったと評価されている。
その理由は関東管領の役目を果たす為とも、農閑期の出稼ぎと口減らしや副収入を得る為とも言われているが、真相は不明である。
その不明な理由とは何なのかと後世の人々は考え『義』にたどり着いた。
「ワシもお主も三好長慶に会ったな? 奴の権威というならば理解できるが、今の三好は日本一の勢力ながら実力以外の権威は無い」
「そうですね。三好は朝廷も将軍も管領も誰も手元に置いていないですしな。ですが、我らは弟(氏照)を人質として差し出しました。長慶を前にしては、何の権威も無くてもあの行動は間違っていなかったと思います」(外伝38話参照)
弱小勢力が近隣の強豪勢力に対し、臣従の証として人質を差し出す事はある。
だが、北条程の地方最強の勢力が、いくら日本最強の勢力とは言え何の権威も無い勢力に人質を出すなど聞かない話だ。
史実でも織田家最盛期には多数の人質が織田家に入ったが、それは将軍や天皇を抑えた上での、事実上の天下人だったからに他ならない。
現在の三好長慶は将軍も天皇も京の地すら放棄しているが、氏康も氏政も、間違った行動はしていないと思っている。
やはり日本の副王に相応しい実力と、将来また天下人に返り咲く可能性が極めて高い勢力だと判断しているからだ。
「確かにな。権威とは一体何なのだろうな? しかし上杉は三好包囲網の時将軍派だったが、あの深志の戦いで中立に鞍替えしたからな。将軍など何とも思っておらん態度だった……ハズだ」(124話参照)
「そうでしたね。ますます訳が分かりませんな……」
「そもそも越後や甲斐では将軍家に何か援護するにしても遠すぎるしな。六角が何とか踏ん張ったと言うより、三好と織田に生かされてるに過ぎん状態だしな」(100-5話参照)
「だからその代わり、古河公方や関東管領を援助しようと思ったのでしょうか? いや、本家本元の将軍家を蔑ろにし過ぎて 辻褄が合ってないにも程がありますな。こんな山々を超えてまで果たす義理など無いでしょう」
「そう考えるのが普通なハズだ。我等の知らぬ何か都合があるならともかく、そうでなければ、やはり異常者だ。こんな山々を超えてわざわざ関東まで来るなどな」
2人して『こんな山』と表現する、断崖絶壁にしか見えない谷川岳に軽く眩暈を覚えながらも、『山登りなんかしたくないから帰る!』と言いたくなる気持ちを何とか抑えた。
この沼田城に来るまででも戦費は掛かっている。
何か経費に見合う戦果は当然、このまま帰宅しては無駄極まりない。
「兵に山岳越え装備の準備させよ。慎重に行くぞ。滑落や雪崩に巻き込まれたら、それで壊滅となるぞ!」
兵を事故で失うのは当然、兵糧運搬部隊が事故に巻き込まれたら、最悪全滅まであり得る。
行きたくないが行くしかないし、この難所を抜ければ無防備の越後が開いているのだ。
かなり際どい天秤の傾きだが、欲望がやはり勝るのが戦国大名。
「それに、やられっぱなしでは舐められる恐れがある。『関東北条恐るるに足らず』などと誤解されては、今後頻繁に押し寄せられてはたまらん。釘を刺しておかんと後々面倒な事になりそうな気がする」
先述の通り、史実の上杉謙信は最低でも10回以上関東に遠征している。
北条家にしたら大迷惑には違いないが、史実の北条家は上杉に対しては侵攻を許しては跳ね返すの繰り返しで、逆に越後に侵攻した事は無い。
唯一越後に強く関わったのは、養子として上杉家に送り出した氏康7男の北条三郎(上杉景虎)が、上杉景勝との謙信死去後の後継者争いを支援ぐらいだ。
だが、歴史が変わった今、一瞬の隙をついての史上初めての越後侵攻が始まった。
「さぁ! 出発だ!」
こうして北条軍20000が三国峠に向けて出発した。
軍全体から『あー……行くのか……』的な雰囲気が漂っているのは、雑兵から氏康、氏政まで全員共通で感じたのは気のせいではないだろう。
【越後国/春日山城 上杉軍】
北条軍が極めて重い腰で峠越えを始めた頃、越中から大急ぎで帰還した柿崎景家、斎藤朝信、直江景綱は、ようやく春日山城に帰還したばかりだった。
史実の羽柴秀吉の備中大返しに比べれば、越中から春日山城までの道のりなど屁みたいな距離だが、別次元の未来の史実など知る由もない。
彼らの軍は疲労困憊だった。
ペース配分を気にする余裕など無いからだ。
ただ、脱落者もそれなりに居るが、それでも軍としての体裁は保たれている。
普段は我を通す事ばかりで『遠慮』の言葉を知らないが如くの上杉家だが、戦になれば上から下まで一致団結する上杉家の家風らしい根性であった。
「今は軍議を開いている刻も惜しい! ワシは南で殿と合流する! 斎藤殿と柿崎殿は北条に備えて欲しい!」
「承知した! だが後続がまだ到着していないな。留守居も総動員しても構いませぬな?」
騎馬は軍全体でも1割程。
その騎馬部隊しか今は揃っていない。
大多数を占める足軽雑兵は、未だランニングの最中だ。
この足軽兵を待っていては北条への対応に支障が出るので、留守居役を動員しつつ、後続を待つのが一番効率的だ。
「あぁ。打てる手段は全て独自の判断で打って構わぬ。伝令は各城に送ってある。今頃は残存兵がかき集められているだろう。だが満足な数は揃わんだろうが、斎藤朝倉軍が援軍として来るのは既に聞いているな?」
「えぇ。船を使って柏崎に来るとか? この緊急事態には有難いですな!」
柿崎景家は頼もしいと思いつつ、『船での移動か……』と、口には出さないが顔には出した。
羨ましい気持ちを。
直江景綱と斎藤朝信にはその気持ちが痛い程分かったが、やはり口には出さず顔には出した。
「その援軍は、全て其方らの援軍に向かわせる。徒歩兵が揃うまでは上手く活用してくれ」
「承知しました。では後続兵は到着次第、休息として食事を取らせて即座に後を追いかけさせましょう」
徒歩兵の足軽は、越中から春日山城にたどり着いて、更に谷川岳方面までランニングしなければならない。
越中から春日山城まで約130㎞だが、春日山城から谷川岳も約130㎞という過酷な道のり。
合計260㎞。
これは秀吉の備中大返しと大差無い距離となる。
別に上杉軍は谷川岳まで行く必要は無いが、その手前までは到達したいと考えている。
理想を言うならば、北条軍が恐らく進軍路としてくる、かつて自分達も活用した三国峠の封鎖が出来れば完璧だが、やはり超長距離の移動が必要の上、かなりの無理をしなければならない。
だが、その為に強行軍を繰り返しては、徒歩の足軽兵は大多数が脱落し本末転倒の事態となる。
騎馬だけ辿り着いた所で戦えないし、封鎖作業をする道具も資材も無い。
出来るだけ急がなければならないが、足並みは揃えないと守る事も戦う事も出来ない。
中途半端に辿り着いた所で烏合の衆に過ぎず、その結果蹴散らされ自分達が抜かれたら、越後は蹂躙され放題だ。
それだけは絶対に許してはならない。
「それにしても、これだけの国難を殿抜きでやるのは初めてかもしれませんな?」
斎藤朝信が、記憶に無い状況だと気が付き口にする。
「言われてみれば確かに……! いつも殿が最前線でしたからな……!」
「……対北条は、思ったよりキツイ試練となりそうだな。上手く立ち回ってくれとしか言えぬが、最善を尽くして欲しい。見栄を張って敗れれば本末転倒故にな」
一応、斎藤朝倉軍の援軍があるが、自国の防御を他家頼りでは示しがつかない。
仮にこの場面で信長だったら、これ幸いと他家に自国の守備を任せただろうが、それは自立心の強い越後人のプライドが許さない。
「そうですな。本末転倒では意味がない」
「我等は勝つ為に斎藤朝倉軍を利用するのを厭いませぬが、他の将兵からは、特に留守居だった諸将は不満に思うかもしれませんな」
こんな非常に加減の難しい進軍と休息とプライドのバランスを、上杉政虎抜きでやらねばならない。
戦では政虎頼りだった上杉家。
政虎が向かった上田では武田信廉が覚醒を果たし、苦戦を強いられているが、こちら北部側も家臣だけで全てを片付けねばならぬ、上杉家にとっての正念場なのだ。
「恨まれるなら恨まれてやるしかあるまい。負けるよりはマシだ」
「憎まれ役と言うヤツですか。仕方ありませんな!」
面倒な事に気が付いてしまった3人だったが、プライド以外の面に目を向ければ、上杉軍は秀吉の大返しと違い、大きなアドバンテージがある。
一つ目は、北条軍がまだ雪が残る難所三国峠を通過しなければならない点。
二つ目は、上杉軍は雪国越後で暮らす以上、雪は慣れ親しんだモノであり、障害物では無くご近所さんの如き存在。
史実の天王山の戦いでの明智軍は、準備はともかく体力的には万全な状態で秀吉を迎え撃てた。
だが北条軍の疲労は、上杉軍の疲労と互角程度と計算すれば、決して不利ではない。
「この戦、勝つ必要はない! 追い返せばそれで良い! ではまた生きて春日山城で会おうぞ!」
「承知!」
「それでは!」
こうして春日山城に集結した三将は、疲労した体に鞭打ち、それぞれの目的地に向かった。
この後、直江景綱は南下して暫く後に上杉政虎に合流する事になる。




