181-2話 七里越中守頼周 交渉と策謀
181話は3部構成です。
181-1話からご覧下さい。
【越中国/蟹寺城、飛騨国/山童村 中間地点】
山童村から蟹寺城までは、迷う事も不可能な一本道。
もう蟹寺城を守る村や砦は存在しない。
だが丸裸、と言う訳でもない。
蟹寺城の北部上杉側に大量の防御拠点が点在していたが、それは山童村側も然程変わりない。
今は一旦の襲撃停止命令が行き届いているのか、服部一忠、毛利良勝、坂茜が調べ割り出してきた防御設備に人員は配置されてはいても大人しいままだった。
ただし、森全体から立ち上る異様な気配は隠し様が無く、何かあれば即動くであろう態勢は整っている。
そんな異様な雰囲気が漂う山間部の山岳路ド真ん中に、会談の為の席が設けられている。
道の北側に一向宗の席、簡素な机を挟んで、南側に斎藤、織田側の席と言った具合だ。
以前の武田家との交渉では適度な広場があった。(178-1話参照)
しかし、南側は本当に山岳路しかないので、仕方なく道を塞いでの会談の場所が設けられた。
流通、交通を阻む迷惑行為だが、当然ながらクレームを入れる人間は居ない。
こんな危険地帯を往来するなど自殺行為だからだ。
「遠い遠い越中のこんな山奥までようこそ。全く歓迎はしていませぬが、何やら面白い話を聞かせて貰えそうな予感がいたしますな。申し遅れました。拙者、七里越中守頼周と申す」
「斎藤軍を預かる稲葉彦四郎良通である。建設的な話し合いになる事を望む」
「側近の竹中半兵衛重治にございます」
「織田軍を率いる織田弾正忠信長である」
お互いの主要人物が名乗った所で、頼周が席の端から端まで動かし疑問を口にした。
「おや? 斎藤家の当主は確か前代未聞の織田殿奥方が継いだとお聞きしましたが、飛騨には出陣はしておらぬので?」
頼周はここに居て然るべき斎藤帰蝶が居ない事を訝しむ。
「いや? やはり織田殿の奥方が後を継いだと言うのは流言でしたか。失礼。こんな荒唐無稽な流言に踊らされてはいけませんな。失言でした」
無論、本気で流言だと思っていたのではない。
驚愕の情報ではあるが、事実として掴んでおり、しかしここに居ない事を挑発を含みつつ怪しんだのだ。
「いいえ。流言などではありませぬ。もちろん斎藤家の当主として今回の戦にも出陣いたしましたぞ。その中で、一揆の首魁たる七里頼周の居場所の有力情報を掴み越前に向かいましてな。読み通り、そこで七里頼周に遭遇し交戦したとの連絡がありました」
良通は『七里頼周』に滅茶苦茶な含みを持たせて言葉を続けた。
「むっ!? そう言えば、そちらに居られる七里殿と同姓同名ですな!? これはこれは!! 何とも珍しい事もあったものですなぁ! 偏諱にしても同姓同名は困った具合になりませぬか?」
良通が大根役者にも程がある棒読みで心配する。
「フフフ。確かに珍しい事があるものですな。しかし拙者こそが七里頼周にございます。何かの間違いではないですかな?」
頼周も同じく大根棒読みで返す。
「間違いですか。ふうむ。七里頼周と一戦交えたとの報が届いているのですが、他人でしたか。これはやられましたなぁ」
重治までもが大根で話を纏めた。
歴史上、こんなに露骨な腹の探り合いの様な会話があっただろうか?
セリフは嚙み合っている。
ただし、順番に喋っているだけだ。
言葉のキャッチボールになっていない。
ただ、一方通行で言葉が飛び交うだけで、誰も投げられたボールを受け取らない。
お蔭で、稲葉良通、竹中重治と七里頼周の会話が、見ている者には誰が誰に向かって喋っているのか脳が理解できない。
しかも本音と建て前が乖離し過ぎていて、下手糞な血の通っていない芝居を見ているかの様な錯覚に陥ってしまう。
信長達の背後で警護目的で同行している前田利益、服部一忠、毛利良勝、坂茜、塙直子は、今の魂が籠っていないにも程がある会話が、果たして日本語だったのかと疑問を感じる程に、意味の把握に苦労した。
「もうその辺で良かろうて」
思わず平手政秀を思い出した信長が、呆れた顔でお互いを制した。(外伝1話参照)
「我らは七里を名乗る者が最低でも2人居るとつかんでおるが、そうでは無いとそこの越中守殿(頼周)は言う」
「当然ですね。事実ですし誤解は解いておきたいものです」
今度の信長との会話は大根会話では無かった。
血の通った実に普通の会話だ。
信長がじんわりと発する覇気と殺気が、ふざけた態度を封じたのだ。
「ふむ。しかし、どれだけ証拠を揃え追及した所で認めぬであろう? じゃからそちらも『七里は自分1人だ』などと主張を繰り返すのは刻の無駄だから、この話はこれで終いじゃ。2人居るなら居るでそれで良い」
信長が『七里頼周複数人説』を未解決のまま容認した。
「そんな事はどうでも良いと? そちらから見れば怪奇現象が起きているのに?」
「そうだ。じゃが、其方の言う通りワシにとってはどうでも良いのだよ。この世は数々の伝説の武将が妖怪退治を成し遂げておるのだ。人に化けた妖怪がおったとしても不思議ではない。そうじゃろう?」
もう欠片も信じていない事を信長は言って納得の姿勢を見せた。
そうして指の骨を鳴らしながら言葉を続けた。
まるで自分が妖怪を倒し『伝説の武将の仲間入りを果たす』と言わんばかりの態度だ。
「判別つかんなら全員倒せば良いだけだからな。七里殿は安心なされよ。不届きな妖はこちらで始末するからのう……!」
急に信長の背後に多数の刃物が浮かび上がる。
先程までのじんわり覇気と殺気が、爆風に変化し放出されたのだ。
「ッ!?」
勿論殺気による幻覚であり、脅しである。
その覇気と殺気を感じ取れる実力者は敵味方含め全員、死を覚悟させられた。
もちろん頼周も感じ取った一人だが、その爆風に晒されながらも言い放つ。
「ッ! 拙者の名を関する妖怪ですからな。捕って喰われない様にご注意なされよ……ッ!」
10年この大戦乱の北陸で戦い抜いた七里頼周である。
信長の変化に驚きつつも飲み込まれずに冷静を装い言い返した。
先ほどまでは棒読み過ぎて、誰が何語で誰に向けてしゃべってるのか理解が難しかったが、今度は代わりに血が凍るような刃の如き言葉で応酬され、これはこれで話を理解するのに苦労する。
「……お主が本物だな?」
信長が不意に覇気も殺気も引っ込め断言した。
その言葉を発して、ようやく会話が普通に、血流が巡りだしたのかの様に、会話が理解できる様になってきた。
「……!」
七里頼周と顔を会わせて、初めてその顔に表情が出た。
右目だけだ若干細待った、と思ったら直ぐに元に戻ったが、確かに何かしらの心境の変化があったのだろう。
「否定してもかまわぬ。実際間違っているかもしれぬ。根拠はワシの勘に過ぎぬからな。だが勘だとしても我らはお主を本物の七里頼周として交渉しに参った」
交渉しに参った―――
この言葉を言う為に、色々と小細工やら試し合いが行われていたが、ようやく話が交渉が始まる準備が整った、とでも言うべき信長の宣言であった。
「は……ハッハッハ! 噂に違わぬとんでもない御方の様ですな」
「フフフ。どんな噂か気になるが、まぁ良いだろう。そもそも、仮に偽物であってもお主が七里頼周としてココにいるのだから我らとしてはそうするしかないしな。ハッハッハ!」
氷の様な目つきで信長は笑う。
その笑い声は冷気を含むのか、吐く息も白い気がする。
実際、先ほどから異常に寒い。
その理由は春先の山岳だから寒いのではなく、間違いなく信長であった。
信長が発する覇気と殺気の性質が変化し、真冬の様に空間が凍り付いているかの様な錯覚を、ここにいる全員が感じており、歯をカチカチと無意識に鳴らしてしまう者すら居た。
別に寒さで怯ませたり、交渉を有利に運ぶ為に覇気と殺気を放出しているのではない。
信長の本気で交渉する覚悟がそうさせただけだ。
ある意味、七里頼周は本気で相対するに値すると認めたのだ。
一方頼周は頼周で、信長の迫力に懸命に抗い、精神を燃え滾らせていた。
悔しいからだ。
(ワシが血反吐を吐いて潜り抜けてきた10年の経験を、尾張のうつけは超えているとでも言うのか!? だが、これしきで我が理想を途絶えさせてなるものか!)
笑いながらも品定めをしているかの様で、頼周も改めて信長の『噂』を頭に思い起こし、気合を入れなおす。
寒波に対抗するが如くの燃える様な目つきで、頼周は言葉を発した。
「左様ですか。ならば正体の正誤確認は無意味として捨ておきましょう。それで交渉とは何ですか?」
「うむ。今日はお主や一揆を倒す倒さぬ、あるいは蟹寺城に降伏勧告をしに来たのではない」
その内容にしては殺る気マンマンの覇気と殺気だが、信長は本気で蟹寺城をどうこうしようとは思っていない。
「それでは一体何用で? 斎藤、織田連合軍には飛騨の民が世話になりましたからな。一戦交えるのに支障はありませぬぞ?」
頼周は薄く笑いながら改めて信長を見定める。
「……」
長島大虐殺を行った、形容するべき言葉も見つからない大罪人。
それでいて、例えば頼周が足の位置を踏み変えれば、幻覚の氷が割れる程の異常な覇気を見せつける、比肩する人間も思いつけない傑物。
無理やり比肩させるなら、怨霊と化した崇徳天皇、菅原道真、平将門くらいか。
(……それでは『人では無い』と認める様なモノではないか!)
自分の思考にツッコミを入れるが、眼前の男は、瞬き一つ間違えただけでも取り込まれる危険性を感じさせる。
薄く笑ったのはそれを隠す為なのだが、背中では汗が流れ落ちる。
信長の放つ冷気の覇気にも負けていない証拠でもあるが、それにしてもプレッシャーが尋常ではないからだ。
そんな信長に真正面から立ち向かってるだけでも越中の七里頼周は大したものであった。
「フフフ。一戦交えるつもりならお主はここに来ないか、会談を受けたと見せかけ、これ幸いと騙し討ちしても良さそうだが、背後の護衛と遠くの森以外に害意の気配はない。ならばお主は我らの会談要請に乗ったのだ。聞く耳を持ってな」
頼周の心中の隙間を突いた完璧なタイミングで信長が話す。
お陰で頼周は無様な姿を晒さずに済んだと気が付かされ、更に心の炎を燃焼させ、今対峙する人間は怨霊の類と仮定し、最大級の警戒する事を決めた。
「……敵いませぬな。わかりました。聞くだけ聞きましょう。無駄な血は流さないに限る。我らを国として認めて頂けるならなお良いのですがな」
信長に思考を読まれたが、まだ軽口を叩き返す余裕を見せる頼周。
一方、信長は頼周の『国』発言には少し反応しつつも、言葉を返した。
「国か。そんな将来の事を語り合う仲であれば良かったのだが、生憎それはまだ何とも言えぬ間柄。残念ながら今回の会談の議題にはならぬ」
「残念です。しかし、それならば、一体何を話し合いたいので?」
「上杉軍撤退を見逃して貰いたい。それだけだ」
「上杉軍が撤退。そうですか―――」
「驚かぬと言う事は、この件にお主はやはり一枚嚙んでおるのだな?」
隙を見せた頼周に、すかさず信長が言葉で斬り込んだ。
これは一揆軍にとって最大級の朗報のハズだ。
信長の覇気に飲まれているとは言え、頼周はウッカリ上杉の撤退を周知の事実として流してしまった。
「……まさか。ただ情報を入手するのは容易いだけ。浄土真宗は庶民の宗教ですからな。寺院以外の武装勢力で浄土真宗を完全排除した組織など存在しませぬよ。故に知りえたのです」
頼周も即座にミスを悟り、信者からの情報だと取り繕う。
確かに浄土真宗は庶民の宗教。
織田軍でさえ、浄土真宗の信徒はいる位だ。
だが、安心したのもつかの間。
今度は自らボロを出してしまった。
「上杉は越中に構っているヒマは無い。敵が迫っているのですからな。その背後を襲えば痛打を与えられましょう。その絶好機を見逃せと?」
頼周は『絶対優位な状況を見逃せ』とフザケタ事を吐かす信長の要求を嘲笑し、つい口が滑った事に気が付いていない。
優位が頼周を傲慢に変えてしまったのか、史実の評判通りにこれが本質なのか、信長に気圧されながらも反撃できたのが災いしたのか、言わなくても良い事まで言ってしまった。
撤退は撤退でも、まだ誰も何の為に上杉が誰を敵として認識して撤退するか話していないのだ。
その失言を見逃す信長では無い。
頼周も頑張ってはいるが、信長の覇気に狂わされ、その精神はガタガタに崩れた足場同然だと気が付いているだろうか?
「迫っている? 確かに迫っているが、武田が越後に雪崩れ込むには、まず北信濃を制しなければならん。ならば越後防衛は十分間に合うハズだが……?」
信長が頼周の失言を捉え覇気を消してまで考え込む。
ココで周囲を包む極寒の覇気が急に消え失せ、元の春先の山岳の気候に戻った。
それでもまだ肌寒い季節だが、この瞬間だけ、猛烈に過ごしやすい気候に戻った。
緩んだ会談の場の変化に頼周は気が付き、ミスに気にも気がついたので、覇気も失せた事でこれ幸いと畳み掛ける様に辻褄合わせに入る。
「……ッ! まぁ南信濃には武田の大軍が控えているらしいですしな。北信濃が何日もつか? 時間の問題と言う事ですよ」
頼周はミスをカバーすべく、あやふやな事を言って失言を誤魔化すが後の祭り。
信長は頼周の言葉を右から左へと聞き流した。
まさに馬耳東風。
そんな取り繕った言葉で信長の精神を揺るがす事など不可能だ。
信長は頼周の失言と断ずるには無慈悲な程の些細な失言を見逃さなかった。
「…………。……そうか。北条だな?」
そして答えに辿り着いた。




