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信長Take3【コミカライズ連載中!】  作者: 松岡良佑
18.5章 永禄5年(1562年) 弘治8年(1562年)英傑への道
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179-1話 武田義信 非常事態 

179話は3部構成です。

179-1話からご覧下さい。

【飛騨国北東部/風玉村 武田軍】


 武田信玄は、信濃に展開している武田全軍を呼び寄せる決断を取った。

 本来は北信濃を伺い飛騨行き偽装の為の駐留軍だったが、それも今となっては殆ど意味を成していないと悟ったならば、遠慮なく動かし全軍で蟹寺城を粉砕する。

 動きの取りにくい山岳の蟹寺城とはいえ、30000の数の暴力の前では一たまりもないだろう。

 無論、30000同時に襲い掛かれる地形では無いが、交代を続けて昼夜問わず相手に休ませず攻める選択も取れる。


 やはり最後に頼みになるのは数の力だ。


 七里頼周は、あくまで武田軍が5000人で動いている前提条件での話をしており、蟹寺城に籠る一揆軍と、近隣にて様子を伺う上杉駐留軍の存在の話で信玄に蟹寺城攻略を断念させたに過ぎない。

 実に見事な説得とも脅しとも取れる弁舌で、怒りの信玄としても確かに5000でこの先どうにかなる状態ではない事は理解できた。


 だが―――


 当初の戦略に固執しなければ、頼周の想定してる現状を覆してやれば、簡単に戦略は引っ繰り返す事ができる。

 だから全軍を投入する。

 それが信玄の導き出した答え。

 最貧国故に形振り構わぬ戦いが出来てこその武田軍なのだ。


 それなのに―――

 事態は信玄の予想だにしない方向へ転がっていった―――


 風玉村の信玄ら諸将の仮住まいの屋敷に、騎乗の伝令が2頭駆け込んできた。

 1人は信玄が派遣した、義信軍を呼び寄せる命令を携えた伝令だ。

 

「戻ったか。……2人? 太郎(義信)側の伝令も連れてきたのか?」


 信玄は伝令到着の報告と、実際の姿を見て首を捻った。

 1人目は信玄側の旗を挿した伝令。

 これは分かる。

 放った伝令が返ってきたのならば答えを持ってきたのだろう。


 問題は2人目の義信側の旗を挿した伝令。

 これは必要ない。

 義信が別件で伝えたい事があるなら、信玄の伝令に伝えれば済む事なのだから。

 偶然義信側も伝令を放っていて、途中で合流したのなら兎も角、本来義信側の伝令の同行は必要無い。

 それでも敢えて信玄の伝令に合わせて同時に送ったのなら、余程の事か起きている可能性がある。

 この遠征、何一つ上手く運んでいない信玄の顔が見る見る内に険しくなった。


「機密の書状でも持たせたのか? あるいは、こちらの伝令に聞かせても上手く説明させられない事が起きた、と言う事か?」


 この状況で、『別に大した事は無いだろう』と判断するほど楽観的な武将はいない。


「……縁起でもない。言霊が発言してしまいますぞ?」


 隣の信繁も嫌な予感を感じつつ信玄の言霊の発動を恐れた。

 言えば現実となってしまう最強の呪詛たる『言霊』は、縁起の悪い事を言えば致命傷を負う。

 これが宗教が絶対の日本の宿命。

 例えば『晴信』や『信繁』等の諱も口にしてはいけないのは、口にすれば魂を支配すると同時に、呪術に利用されるから言ってはいけないのだ。

 朝倉家7代当主の朝倉孝景は、呪詛の回避の為に諱を変更した程だ。

 言霊とはそれ程までに恐れられるのだが、今回、信玄の言霊は最悪の呪いを発動させてしまった。


「信濃の若殿より急報です!」


(典厩(信繁)、それ見た事か。やはり急報ではないか。はっはっは……ってたわけか! これは泣きっ面に蜂と言う奴か……!?)


 信玄は予測を的中させた。

 当てたとてガッツポーズも出来ない、重く伸し掛かる、心を圧殺しに掛かる禍々しい気持ちに溜息がでそうになり、他人事の様な感情が沸き上がり掛けて何とか踏みとどまる。


 伝令はそんな信玄の反応を確かめる間もなく、止めを刺す言葉を放った。


「甲斐と信濃の一部で農民一揆が発生しております!」


「何じゃと!? 一向一揆か!?」


 その言葉は冷水をブッかける所ではない、衝撃の言葉であった。

 今まさに一向一揆に相対してきた武田軍である。

 領内の宗教管理は厳格に実施しているが、この隙を狙ったのなら七里頼周のあの態度も納得だ。


「い、いえ、違います! 一向宗とは関係ない農民一揆です!」


「そ、そうか。不幸中の幸いではあるが……(では七里の策ではない? ならば上杉か?)」


 信玄は胸を撫でおろす。

 領内での一向一揆は最悪の事態だが、単なる農民一揆なら宗教が絡まない分、鎮めるのはそこまで手間ではない。


「被害の規模は?」


「はッ! 特に真田様の上田盆地、飯富様の佐久(さく)では激しい抵抗が起きております! 大至急お戻りを!」


「な、何じゃと!? 我が領地が!?」


「佐久が!? 村上義清の策か!?」


 領地の管理者たる真田幸隆と飯富昌景(山県昌景)が驚愕の声を上げた。

 この2つの郡は信濃に位置し、しかも武田と上杉の領地境界線にほど近い。


「これは上杉の仕業だ……ッ!!」


 信玄は即座に上杉政虎の扇動だと断定した。

 地域的には当然、信頼関係等諸々含め、何から何まで最悪の関係同士の家だ。 


「弾正(真田幸隆)!! 三郎兵衛(飯富昌景)!! 大至急郎党引き連れ領地の安寧を確保せよ! 他の地域にも飛び火していると考えて動け!」


 信玄はブン殴られたが如く衝撃に、即座に指示を出した。

 上杉の扇動策だと看破したは良いが、これは正に非常事態だ。

 その2つで済むハズが無い。

 あの上杉政虎がソレで済ますハズが無い。

 義信軍を待って蟹寺城を攻撃などと言っている場合ではない。


「は、はッ! この一大事に面目ございませぬ!」


「上杉の者さえ押さえてしまえば何とかなります! いえ、して見せます! では!」


 真田幸隆、飯富昌景は大急ぎで騎乗すると、郎党には後を追う様に伝言だけ伝えを置き去りにする勢いで風玉村を後にした。


「そうか……! 七里の自信と態度の根拠はコレだったのか! 上杉による扇動を掴んでいたと言う事か!?」


 遠征中に足元の本拠地で一揆が起きる。

 ありがちな扇動戦略ではある。

 それが起きない様に領主は民を管理するのだが、武田はその管理が他国から見れば暴政故に隙だらけなのは自覚している事実。


「一揆は一大事に違いないが……」


 だが、信玄は何か引っかかった。

 この程度、と言う程の軽い連絡だった訳では無いが、それでも、この程度の言伝であれば信玄の伝令に伝えれば済む話。

 信玄は義信の伝令に顔を向けた。

  

「……まだ、何かあるのだな?」


「はッ! どうかこの書状をお読みください。拙者には声に出す事も憚れるが故に、直言できぬ事お許しください……!」


「書状……書状か」


 戦場であろうとも書状のやり取りは珍しくもないが、それなりにリスクも大きい。

 例えば伝令が敵に捕まれば情報が筒抜けになってしまう。

 毛利軍に送った明智軍の伝令が持っていた密書が、羽柴軍に奪われた様に。


 ただし、書状の筆跡で偽情報の可能性はかなり潰す事が出来るのも利点。

 伝令の誤伝達も防ぐ事ができる。


 今回の場合で言えば、知られたくないのと確実性を求めたのが50%ずつで競っているのだと信玄は感じ取った。


「この筆跡は間違いなく太郎の物。分かった。読み上げる故―――」


「お、お待ち下さい!」


 書状を渡した伝令が慌てて止めた。


「どうか最初は黙読にてお願い致します。その後で伝えるのはご判断にお任せします故、と若殿から言付かっております!」


「……。わかった。皆、少し待て」


 信玄は言われた通り黙読を始め、書状を握りつぶした。

 信玄の口内からバキバキと音が鳴る。

 奥歯が砕けた音であった。


「あ、兄上……?」


「太郎が木曽福島城に来ている。ワシは今すぐそこに合流する。移動の準備が出来た者から順次、全員付いて参れッ!」


「えっ?」


 信玄はそう言うと自分の馬の手綱を掴むと単騎で駆け出した。


「兄上!! も、者共! 動けるものから追え! 一人にさせるな! 歩兵は物資を……」


(人員物資はどうするのだ? 『全員付いて参れ』とは、飛騨を捨てると言う事か?)


 信繁は数瞬判断に迷い決めた。


「えぇい! どうせ民がおらぬのだ。飛騨は捨てる! 斎藤が横取りしたければ勝手にすればいい! 全軍で戻るぞ……ッ!! 何たる事だッ!!」


 本願寺の援助まで受けて始めた越中侵攻作戦が大失敗に終わった代償は大きいだろう。


 信玄の言う『全員』を飛騨の放棄と捉えた信繁。

 義信の書状が無ければ、とりあえず確保している飛騨を再度通過し蟹寺城に向うハズだった。

 だが『全員ついて参れ』は確保の放棄だ。

 そうせざるを得ない何かが書状に書かれていたのだと判断する。


 信繁も己の解釈が間違っていたなら謝罪して、己の責任で再度飛騨侵攻する覚悟を決めた。

 それに、どうせ民は居ないのだ。

 再奪取など造作もない。

 信繁もそれだけの指示を素早く飛ばすと馬に飛び乗り駈け出した。


 こうして武田軍は飛騨からの全面撤退を決め、信濃木曽福島城を目指すのであった。

 なお、この国内一揆扇動は、上杉政虎や村上義清、ましてや七里頼周が画策したモノでは無いのを、武田軍も上杉軍も、斎藤軍も一揆軍すらも知る由はなかった。



【???】


「報告します。越中攻略失敗にございます!」


 瞑想中の若武者の耳にだけ声が届いた。

 今この部屋にいるのは若武者と老武将の2人だけだが、気配を消した3人目の女乱破が特有の話術で若武者の耳にだけ届く声で報告した。


「そうか。武田信玄の越中攻略は失敗か……。……失敗したか!」


 若い武将が乱破からの報告を受け、残念そうな、しかし、その報告で覚悟を、心を決めたのか、暫くの瞑想の後、立ち上がって小さな声で、しかし鋭い声で『失敗』との言葉を念押しする様に繰り返した。

 その顔は苦渋に歪んでいる様にも見えるし、好機到来の歓喜の表情にも見える。


「やはり失敗でしたか。最初から無茶な希望的観測に過ぎない計画でしたからな。必然だったとしか言い様がありませぬ」


 老武将が、左程驚いた様子も見せず、失敗の報告を『当然の結末』だと言わんばかりに切り捨てた。

 老い先短い最後の役目だとでも思っているのか、若武者よりも随分達観している様子であった。


「これは越中攻略が成功してたならば発動しなかった策だからな。失敗が必然だったならばこれは最初から天が決めておった発動だった訳か」


 宗教が絶対の世界である。

 何かを天に託す、所謂『人事を尽くして天命を待つ』にまで物事を持って行ったならば、そして、『賽は投げられた』のならば、後は天の意思に従うだけである。

 天が認めたのだ。

 必ず天が味方し、望む良い方向に事態は向かうであろう。


「そうでございましょう。しかし油断は禁物。相手はあの武田信玄です。戒めとして、こういう状況を例えるなら『火中の栗を拾う』が適切でしょうか?」


 懸念は相手が武田信玄であると言う事か。

 火中の栗に少しでも価値を見出すなら、きっと手どころか体ごと飛び込む強欲さを持つ人間だ。

 その結果、整えた盤面が滅茶苦茶になってしまう可能性がある。

 信玄は臨済宗の僧なのに、欲望の為に仏をブン殴っても何ら不思議ではない奴だと2人は認識している。


「危険を冒してもやらねばならぬ事の例えだからな。しかも武田信玄相手に。まさに適切じゃが、武田信玄はやらねばならぬ事は必ずやる。そう言う男だ。だが火中に栗は一つ。どちらが掴み、どちらかが火傷で終わる。その言葉は戒めと言うより覚悟よな。戒めとして例えるなら『策士策に溺れる』が適当であろうよ」


 今回の策の為に2人は必死に動いてきた。

 信頼できる同志を見定めつつ、あの武田信玄と信繁兄弟相手に悟られず動く、困難さと危険性は、真冬の富士の山に登る方が楽かもしれないと考え動いてきた。


「成程、策士ですか。溺れさすと同時に、溺れない様に立ち回れ、との事ですな?」


 溺れさすにしても、溺れるにしても、水に浸かってしまったが最後の状態まで策は仕上げた。

 多少の混乱は織り込み済みだが、その隙を突かれ、相手を溺れさせても引きずり込まれては意味がない。

 道連れにされては、野望が遠のく所の話ではなく、個人は当然、勢力全体が死ぬレベルの混乱となるだろう。


「うむ。溺れた奴から死ぬ。そして溺れた奴は容赦無く見捨てる。それはワシであっても同じ事だ。そう心得よ」


 策を成功させ、混乱は最小限に。

 故に生きるか死ぬかの『策士策に溺れる』なのだ。

 若武者を見捨ててはまったく意味が無いのだが、覚悟の現れと老武将は受け取った。


「はっ。その時はお供致しますぞ」


「スマンな。さぁ吉凶どうなるかのう?」


 若武者は天を見上げた。

 太陽が眩しく輝き、まだまだ冷える体に心地よい温かみを与えてくれる。

 この太陽が牙を剥くとは思えぬ心地よさが、油断に繋がってはならないと若武者はさらに己を戒めた。

 何度拭いても手に滲み出る脂汗が、緊張の度合いを物語る。


「よし。総仕上げと参ろうか!」


「はッ! 配置に着くように伝達せよ!」


 老武将がどこかで控えているであろう女乱破に指示をだすと、気配が一つ消え失せた。


「さぁ、これで正真正銘後には引けぬ! やるぞ!」


 若武者は悲壮な覚悟で部屋を後にし、老武将も後に続いた。



【???】


()()()()から()合図の伝令が来た。準備は出来ておるな?」


 中年武将が若い武将に問うた。

 中年武将は家中での最大の実力者だが、権力は持っていない。

 権力は若い武将が手中にしている。


「はい。しかしまさか、この決断をするとは思いもよりませんでした」


 若い武将は権力はもってもまだ傀儡、とまでは行かないが、中年武将の決断に抵抗するのはまだ実力不足だ。

 いまから行う作戦には若干の抵抗感が残っていた。

 ただ、利点も理解しており、行動自体に反対は無い。


「敵の敵は味方と言う奴よ。全く信頼は出来ぬ敵同然の味方だがな。だが、奴の言う様に国家として機能させられるならば価値はある」


「価値……?」


 若い武将には一向宗は毛程の価値も見いだせないからか渋い表情だ。


「分かっておる。価値と言ってもほんの少しだけだがな。しかも可能性があるだけの話。国としての付き合いは正に奴次第だが、状況は利用させてもらい昨年の借りを返させてもらう!」


 若い武将は中年武将がボケたのかと少し心配になった。

 だが、計算高く人の弱みに付け込み、戦においては卑劣で卑怯な戦国武将の気質を失っていない事に安どした。


「安心しました。確かに奴に借りを返すに依存はございません。()()()の味方側も歩調を合わせてくれるなら借りは必ず返す事ができましょう」


「よし! ではゆくぞ!」


「はッ!」


 こうして親子が軍勢を待機させていた城から大軍が出陣するのであった。

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