177-3話 猛襲! 七里頼周その参
177話は3部構成です。
177-1話からご覧下さい。
【越中国/猿倉城 上杉軍】
「それでは大和守(直江景綱)。予定通り猿倉城の守備と周辺地域への睨みを任せる」
「はっ。敵も神通川を越えない我らの戦略を不信に思い、蟹寺城の重要性に気が付くかもしれませぬからな。十分用心致します」
猿倉城の攻略を終えた上杉軍の政虎隊と景綱隊。
あとはここ神通川沿いを南下し、蟹寺城を制圧して上杉の今年の目標は達成となる。
越中の東側を制し、同時に武田の進入路を塞ぐ。
難点があるとすれば、上杉軍全軍で蟹寺城を制圧するには、周囲が狭すぎる上に山岳地帯なので機動力も殺される。
5000人でも多くて邪魔だが、城攻めにはどうしても人数がいる。
だから、笹久根貞直こと武田信虎が既に到着して、内部から崩すのが蟹寺城の攻略手筈となっている。
つまり、飛騨からの信虎退却路の罠を警戒し、全速で追えない武田に最初から勝ち目などないのだ。
斎藤家が間に合わなくても良いのだ。
武田家の一歩先を行く信虎が、本願寺からの使者も拘束し、罠をしかけつつも一目散に撤退している時点で勝負ありと見て良い位だ。
ここから武田が勝つとすれば、斎藤家より一歩でも先に蟹寺城にたどり着き、笹久根貞直と一揆勢を倒し、さらに上杉家とも戦って蟹寺城を確保しなければならない。
南信濃から援軍を呼び寄せ合流しているが、蟹寺城攻略の必勝の策を携えている上杉家と違い正真正銘、力で攻め落とさねばならない武田の労力は甚大な規模になるだろう。
仮に、すべて成し遂げたとして、今度は蟹寺城から先の地を上杉家が抑えている以上、簡単に進む事などできず、半農兵の武田が、本願寺の援助を受けているからとしても、蟹寺城で耐えられるモノでもない。
「よし。これより蟹寺城に向かう! これで詰みだ!」
武田はほぼ手詰まりなのだ。
武田唯一の勝機は、本願寺の使者を救い出し、越中全兵力を武田の兵として活用できた場合だけだろう。
斎藤も織田も、武田とは上辺とは言え同盟を結んでいる。
そうなると一向一揆を含めた武田と戦えるのは上杉だけ。
そこに僅かに勝機があるのだが、武田信玄はそんな超難度の綱渡りを、戦国時代屈指の武将である上杉政虎、織田信長が繰り出すチョッカイを避けつつ完璧に決めなければならない。
だが、腐っても武田信玄。
貧相な甲斐で懸命に生きてきた功徳が認められたのだろうか。
ここで奇跡が起きる。
蟹寺城へ進軍中の上杉政虎軍に対し、七里頼周が手薬煉を引いて待っていたのである。
【越中国/神通川沿い蟹寺城への道 七里頼周一揆軍】
「ここを通過するしかない不幸を呪うがいい……!!」
蟹寺城への道は山間の神通川が何万年も掛けて作った川沿いの道。
蟹寺城は、飛騨からの一向一揆軍を越中へ迎える為の通過拠点なので、山岳地帯にしては道は整っている。
そんな山間の山岳路の、山中は普段なら入る事は当然、入る必要性も無い場所。
そんな必要性の無い場所の各地に点在する、見下ろすに完璧な位置取りにして、見上げても見つけられない簡素な拠点、というよりは山小屋とでも表現した方が適切に感じる拠点が神通川左右の山に多数設置されていた。
七里頼周の戦略眼の賜物である。
ほぼ唯一と言って良い程の越中と飛騨を結ぶ通路である。
蟹寺城だけの防備で済まして良い訳がないと、飛騨を一揆に巻き込んだ時点で気が付いた頼周は、いつか来るべき未来の為に備えていたのだ。
「我が矢の攻撃を合図とし、一斉に射掛ける。その後は山を下り混乱する上杉軍を叩く! 笹久根殿。武田に対する恨みを晴らす機会は必ず儲けよう。だが、今は眼前の脅威たる上杉を駆逐する為に先陣を切ってくれ」
「はっ! おまかせを! 上杉政虎の首さえ挙げれば、あとは烏合の衆でありましょう。では持ち場にて待機しております」
笹久根貞直こと武田信虎は自身たっぷりに答えた。
裏切りを決意したからではなく、少しでも言葉を詰まらせたら即座に拘束されると感じたからだ。
汗が一滴流れ落ちたが、後頭部から背中側で助かった。
顔側に汗が流れ落ちれば『焦り』を感じ取られ、警戒、あるいは拘束される可能性があった。
それ程までに七里頼周の感性を鋭いと信虎は感じていた。
(仕方ない……! 策は失敗だ! ここまで順調にきて最後の最後で躓くとはな! 七里頼周! この屈辱忘れんぞ! 後は頼んだぞ信友!)
信虎も頼周が完璧にこちら側の作戦を読み切ったとは思っていないが、その鋭い警戒感がこうして策を打ち崩したのは事実。
織田家から斎藤家へ、そして密かに斎藤家から上杉家に所属を変えてまで憎き武田信玄を倒す機会を作り上げたのに、それを邪魔されたのだ。
怒りと失望は相当なモノだが、そこは名将武田信虎。
すぐに頭を切り替えると、失敗した作戦を挽回すべく上杉軍に危機を伝える事を決めた。
(信友の報告が間に合えば、激突は避けられる! それでも攻撃が始まってしまったなら突撃を装って上杉家臣として上杉軍に合流する!)
信虎は矢の合図を待たず、飛び出す事を決めた。
奇襲を知らせてしまえば、奇襲は奇襲として成立しない。
こうして頼周と信虎は、上杉軍が通りかかるのを違う思惑でありながら、今か今かと同じ気持ちで待ち構えた。
【越中国/蟹寺城への路 上杉軍】
「……全軍に停止命令を出せ」
政虎の命令が即座に行き渡り、全軍が停止した。
「ここからは更に険しい山岳路となろう。一旦鋭気を養う為に休息させよ。馬に川水を、兵は飯を食べておけ」
この場所は、七里頼周らが潜む山間からは相当に離れた場所。
矢でも鉄砲でも届く距離ではない。
仮に突撃を仕掛けられたとしても、十分迎撃が間に合う距離でもある。
そんな絶妙な位置に、政虎は運良く軍を停止させたのか?
否。
断じて否である。
信虎からの伝令の武田信友も間に合っていない。
それでも歩みを止めた。
これから進む先の山間から、猛烈な違和感を感じ取ったのだ。
何か害意が渦巻いている。
獣ではありえない。
『これから火山が噴火する』
『大地震が起きてこの辺一帯が崩壊する』
『突如の濁流で軍が壊滅する』
政虎はそんな大災害に匹敵する損害を予想し、まず川の水を確認する。
(ここ数日で干上がった形跡は無い……か)
もし、水攻めがあるなら堰き止めが原因で水位が下がっているはずである。
だが、川の水位にはそんな形跡は見られない。
(水攻めは無い。だが嫌な予感は全く拭えぬ。山が火を噴くか? それとも山肌が崩れるか?)
火山や地震なら予知するのは不可能だが、そんな現象が起きたとしても何ら不思議と思わない何かが政虎の直感センサーに引っかかる。
山肌の崩壊やガケ崩れなどは、怪しめば怪しむ程にありえそうな地形だ。
故に、これ以上の進軍を良しとしなかった。
巨大な害意の塊が上空からこちらを睨んでいる。
政虎にはそれが見えて感じ取れる。
極め付けには蟹寺城に向かう渡り鳥が、急旋回してその地点を避けて別方向に飛び去った。
(何かある。これは絶対に不都合が起きる。武田が既に到着しているのか、一揆勢が待ち構えているのか?)
政虎は全身で危機を感じ取った。
一歩近づく程に、粘性の高い泥沼に足を突っ込んだが如く感覚に捕らわれる。
(敵が誰であるか判別できれば動き様もあるが……)
武田が相手なら武家との戦いを。
一揆が相手なら信徒との戦いを。
それぞれ想定する心構えが違いすぎる。
極貧故に強いが、生き残りにも全力を尽くす武田軍なら追い払えればいいが、武田信玄の戦略を跳ね返さなくてはならない。
信仰故に強く、しかも落命を全く恐れぬ一揆軍だった場合、こちらも損害を覚悟せねばならない。
(情報が足りぬ。何か判断材料は無いか!?)
信虎が伝令として放った信友が駆け付ければ一発で解決だが、まだ信友もバレない様に道無き道を進んでいるので、報告できる段階ではないが、と言うより政虎側からすれば、信虎達が到着しているかどうかも分からない。
居る手筈ではあるが、武田の追撃に追いつかれ落命している可能性もある。
居る保証すら無い中で、政虎は誰が相手でも何があっても勝ち筋を見つけなければならない。
「(已むを得まい)休息が済んだなら、ここに陣地を建設する。越中を駆け回りすぎた。今戦っても無駄な損害が出るだけだ」
今まで尋常ではない速度で越中東部を席巻してきた上杉軍の足が、ここで初めて止まった。
「え? は、はッ!」
てっきり休息の後に進軍を再開すると思っていただけに側近は驚くが、戦の時の政虎の勘の良さが尋常ではない事も知っている。
政虎がそうするのがベストと判断したならば、それが正しいのだ。
こうして今日、蟹寺城決戦が行われると思われたが、政虎の思惑により空振りに終わった。
【蟹寺城防御拠点の一つ】
「上杉政虎。まさか足が止まるとは。どうやら感の良すぎる武将の様だな。見張りを交代しつつ、私は一旦城に戻る。それに時を掛けてくれるのは大歓迎。その分、援軍が到着する時も稼げるのだからな」
頼周は奇襲が不発に終わった事に特別不満を持つでもなく、それなら仕方ないと頭を切り替えた。
【蟹寺城防御拠点の別の一つ】
(上杉政虎! あんな絶妙な場所で行軍を止めるか! これならば信友の報告は間に合う! 後は出方次第で勝ち筋が手繰り寄せられるぞ!)
一方、絶体絶命だった信虎は命拾いした事に安堵しつつ、防御拠点に留まった。
夜間で動きがあるかもしれない。
老体にはキツイ徹夜だが、戦場の興奮が眠気を吹き飛ばしてくれるだろう。
「皆、交代で休め。だが、事が起きた時には備えておく様に」
「はッ」
信虎郎党は緊張感を切らす事なく、その時に備えるのであった。
【越中国/上杉軍陣地 上杉軍】
山間故に日が落ちるのも早い。
しかも春先の時期も時期だけに、平地より余計に日没が早いが、その日没と夜陰に紛れ、体中擦り傷だらけの男が上杉軍の陣地に転がり込んできた。
信虎の放った伝令、信友であった。
「伝令! 密使にございます! どうか上杉様にお目通りを! 蟹寺城の情報を持ってまいりました!」
蟹寺城場外の防御拠点のさらに奥の、獣道すらない場所を通過したのだろう。
木の枝でスリ傷を作り、見えにくい地面に足を取られては躓き、打撲や捻挫でまぁまぁの重傷の信友の報告は、まさに値千金であった。
「よくぞたどり着いた。そうか蟹寺城は一揆軍が占拠し、武田が斎藤より早い見込みか。しかも本願寺からの使者が七里頼周と接触し、戦う意思を示したか。またこの先の山間には防御拠点か。違和感の正体はソレだったか」
感じ取れる害意の嵐は、各防御拠点からの視線。
今は暗くて全く視認できないが、それはきっと昼でも同じだろう。
「それに援軍とな? 越中西側の戦力を集結させるか。ならば神通川を固めて大正解であったか。だが七里頼周なる者。決して侮れぬ! この巧みさは尋常ではないぞ!」
別に誰が相手であっても侮る事などしないが、それでも認識を改めるべき相手だと政虎は感じる程の、濃い内容の報告であった。
「はい。結果的に飛騨から逃がしてきた民が敵となってしまった事、誠に申し訳ありませぬ!」
信友もとしても受け入れがたい現実だったのだろう。
口惜しさからか、目には涙が浮かんでいた。
「六郎殿(信友)よ。悲観するでない。決して望み通りの盤面では無いが、結果的に上手く行くかもしれぬ策を思いついた。すまぬが夜陰に紛れて左京(信虎)に伝えてくれ。―――とな」
「な、なるほど! わかりました!」
行きはまだ夕暮れで動く物体を認識できる明るさだったが、今の完全な夜陰なら堂々と道を通過しても見つからないだろう。
信友は無事、信虎の元に疲労困憊ながらも辿り着き、政虎の策を伝えた。
「成程な。ワシは奴を戦闘狂だと思っておったが、成程。こう言う所も戦闘狂たる所以か」
「せ、戦闘狂……。これから一時的に主君になるお相手ですぞ? 一応……」
「俄然やる気が出てきたわ。何とかなる芽がでてきた。ならばやる事は一つ。寝るぞ」
「そうですな。某はこれ以上動くのは勘弁してもらいたい所です……」
捻挫した足を酷使して、根性でここまで登ってきたのだ。
自分の報告が戦況を分けるとは言え、信友は倒れる寸前であった。
「まぁ、そこの崖から転がり落ちたとしておけ。笑われるかもしれんが笑わせておけばおくほど油断もさせられる」
「もう……少し名誉……の負傷に……」
そこまで言って信友は寝落ちした
「この戦、勝った場合の武功上位に間違いなく入る。心配するな。……聞こえておらんか」
信虎は息子の頼もしさと、この状況で即座に寝られる図太さを評価し、自分も眠りにつくのであった。
【加賀国/尾山御坊】
「皆安心しなさい。確かに外敵は脅威。ですが、必ず御仏の力を得た同胞が無法の武家を追い払ってくれる。その為にも、前線で戦う民の為に、コメを作り、武具を拵え援助を続けるのです」
尾山御坊で民に説法を語る七里頼周。
多方面からの同時侵攻に動揺する民に、言って聞かせる穏やかな声は、まさに阿弥陀如来が如くであった。
帰蝶と勢源と戦った壱号。
蟹寺城にて構える弐号。
尾山御坊で説法を聞かせる参号。
誰かが本物の七里頼周です。
8/18追記
少々厄介な病気にかかってしまいした。
完治に向かっては居るはずなんですが、短時間しか椅子に座れなく、執筆時間はともかく、活動時間に限界があります。
病名はいわゆる「痔」です。
こんなに辛い病気だったとは…… (´;ω;`)
みんなちゃんと水分とるんだぞ!




