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信長Take3【コミカライズ連載中!】  作者: 松岡良佑
18.5章 永禄5年(1562年) 弘治8年(1562年)英傑への道
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177-1話 猛襲! 七里頼周その壱

177話は3部構成です。

177-1話からご覧下さい。

【越前国/堀江館北 朝倉軍】


 堀江館の場外戦ならぬ場外乱闘の如き戦が終わった後。

 斎藤軍、朝倉軍は生き残った者、負傷者の手当、死者の確認にてんやわんやであった。

 そんな中、諸将ら首脳陣は焼け残った堀江館の使える部屋で、緊急の軍議を開くが、皆、この先どうするべきか意見を出しかねていた。


「兵の損害は半壊とは言わぬが、今後の進行には間違いなく支障がでる被害が出たと見るべき……なのだろうな」


 朝倉延景(義景)がため息交じりに言った。

 そんな覇気のない主、あるいは同盟者の姿を見て誰も咎められず、否定も出来なかった。

 まだ全ての損害データが出そろってはいないが、お世辞にも『今後の進行に影響なし』とは口に出せなかった。

 堀江館に入る途中で、報告を聞くまでもない光景を散々見てしまった後だからだ。


「七里頼周は取り逃がし、討ち取った主な武将は堀江景実他数名。捕縛は堀江景忠。一揆軍の損害は少なく見ても半数は戦闘不能には追い込んだと思うが、全体の成果から見れば慰み程度の戦果か」


 堀江館の北側は稀にみる大乱戦であった。

 正真正銘、死をも恐れぬ兵が損害度外視して突っ込んでくるので、死傷者が莫大な数になるのは、雨が天から地へと降る事と同様の自然現象。

 普通の戦で1割損害が出たら撤退も考えなければならないのが常識の中で、最低でも4割強の損害を出した一揆衆は記録的大損害と言っても過言では無いが、損得勘定より信仰が勝る一揆衆にはそんな常識は通用しない。


 一揆軍にとっては、戦とは勝つか死ぬかなのだ。


 そんな狂人が多数押し寄せる悪夢の戦場で、斎藤軍も少なくない損害が出たが、1割少々の損害で済んだのは奇跡的なのか致命的非常事態なのか。


 一方、延景と朝倉景鏡が担当した南側は比較的余裕があった。

 頼周の本陣奇襲という特大アクシデントはあったものの、延景軍と景鏡軍で堀江館からの一揆兵の殆どを圧殺し、甚大な被害を受けた訳でもない。


 さらに堀江景忠の捕縛というオマケつきだ。

 むしろ大戦果と言っても良いだろう。


 普通の武士対武士の争いだったならば―――


 残念ながら景忠に関しては、別に使い道を思いつく人質でもない。

 情報も吐かないだろうし、吐ける情報も大した事は無さそうだ。


 つまり生かしておく価値もない。


 斬首にて首を掲げた方が、脅しとしても使えそうな位に生かしておく価値がない。


「まぁ、奴の処遇は後でもいいでしょう。ひょっとしたら吉崎との交渉に使えるかも知れませぬからな。……気休めだと断言しますが」


 景鏡が自分の部隊の手柄を無価値と評価した。

 もし景忠が吉崎御坊の主なら交渉の価値があるだろうが、今の吉崎御坊の主は七里頼周、あるいは阿弥陀如来であるからして、やはり利用価値は限りなく低かった。


「そうだな。それにしても、とにかく兵の損害が大きいのが痛手。本当に痛い。もうじき半農兵は土地に返さねばならんしな」


 今回の朝倉軍が用意した兵は16000人。

 越前一国でこれほどの兵を揃えられるだけの経済力と底力があるのが強みなのだが、その内の半数は農兵だ。

 まだ農地に返さねばならぬ程の時期ではないが、かと言って、この先の農繁期に入る頃には、吉崎決戦最中の可能性もあり、そんなタイミングで故郷に返す戦略は取れない。


 つまり、ここから先は、朝倉軍8000弱、斎藤軍2000弱の合計10000弱が全兵力だが、これは生きている兵士の大体の数であって、生きてはいても負傷により戦闘不能となると、ここから1割強は減りそうな予感が延景にはあった。


 吉崎御坊は一揆の本拠地中の本拠地だ。

 周囲には系列の寺や修行場、信仰により住居を構える民が多数おり、隣国の宿敵朝倉家といつでも戦う準備を整えている、全くもって極めて厄介な地域。


 1万弱の兵で衝突するには少々心許無(こころもとな)い。

 ただし、それでも戦えば勝つ。

 大損害を受けたとしても勝つ。


 だが、今回の戦は、堀江館を落として終わりでは無い様に、吉崎御坊を落として終わりでもない。

 吉崎御坊の先には尾山御坊があり、他の地域にも重要拠点が沢山ある。

 今年一年で北陸全域をどうにか出来るとは誰も思っていないが、今年の時点で吉崎攻略に黄色信号が灯るとも思っていなかった。


 今年と来年、悪ければ更にもう1年、戦い続けられる戦略を取らないと、真に北陸を平定したとは言えない。

 火種は少しでも残せば簡単に燃え上がる。

 絶対に奇麗に丁寧に念入りに鎮火しなければならないのだ。


「あっ。でも小松地方の戦果によっては……! そういえば小松に向かった軍勢はどうなったのでしょうか?」


 軍議に参加している帰蝶は『そういえば』と思い出した様に訪ねた。

 小松攻略軍が想定内の損害で済ませていればいる程、今後の展開に希望が持てる。

 ただ、帰蝶も含め全員が無意識だったのは『希望が持てる』、と言うよりは『希望を持ちたい』だった。


「七里頼周がこちらに来ていましたからな。主力がこちらに来た以上、こちらより損害を被った可能性は無いでしょう。今江城さえ落としていれば、戦略の軌道修正も可能でしょう」


 景鏡の言葉に皆が頷いた。

 朝倉延景率いる主力軍の堀江館への攻撃は、言ってしまえば『これから攻撃しますよ』との見え透いた行動だが、小松地方への攻撃は船団を使った奇襲だ。

 小松地方も備えゼロでは無いだろうが、即座の対応など出来ないだろう。

 七里頼周が堀江館に来たのが何よりの証拠だ。


「そうですな。奴も手を負傷し逃げ帰りました。今頃は逃げ帰って……あっ」


 富田勢源が自分の言葉に何か引っ掛かりを覚え体を震わせた。


「どうした?」


「……まさか、逃げた足で小松の救援に向かう事などありますまい……?」


「ッ!?」


 勢源と同じ様に諸将も思わず体を震わせて反応した。


『あり得ない』


 その言葉が出てこなかった。


 勢源の言葉に朝倉斎藤一同は、恐ろしい光景を想像してしまった。

 小松地方はまずまずの広さを誇り、今江城攻略も控えている。

 堀江館で暴れた頼周が、小松の戦場に乱入する可能性を誰もが容易に想像してしまった。


『あり得る』


 全員の喉からその言葉が出てきそうな、極めて高い可能性に思い至ってしまった。


「小松と吉崎の様子を探る! 陸路、海路全て使って状況確認の間者を放て!」


 延景はその可能性をあり得ないと断じず、即座に状況確認の指示を飛ばした。


《おぉ! そうじゃ! よくぞ言った!》


 思わず朝倉宗滴が5次元から叫んだ。

 もはや見る事しか出来ない5次元空間では、己が授けた策が失敗に終わり気が気でなかったのだろう。

 もどかしかろうと悔しかろうと、出来る事は祈るだけ。

 その宗滴渾身の呪詛同然の祈りが通じた(?)のだ。

 延景の正しい判断に興奮するのも、やむを得ない話なのだろう。


 もし『延景』が『義景』だったら、楽観的に構え確認を怠ったかもしれない。


 だが、史実と違う歴史を歩む延景は、全身で危険と嫌な予感を感じ取り対策と現状把握に動いた。

 そんな様子を5次元にいる『延景』ではない『義景』の歴史も知る面々は、特に宗滴などは『歴史改変』の凄さを涙ぐみながら感じていたのは別の話だ。


「我らは吉崎にほど近い拠点まで進軍し圧力を掛ける! 吉崎から小松に一揆軍を進ませるな! にらみ合いを演じる!」


 延景は急いで指示を飛ばし、軍勢の被害規模と状況を確認した後、動ける兵を率いて移動するのであった。



【加賀国/小松地方 朝倉軍別動隊】


 話が前後するが、堀江館の城下町を朝倉軍が焼き払い睨み合いに入り、帰蝶と勢源が堀江館に潜入した頃の話である。(174話参照)

 一乗谷城から出立した小松地方攻略軍は、海路で吉崎御坊を迂回し、加賀国の小松地方に降り立った。

 この奇襲作戦に小松の一揆衆は連携は当然、まともな対処も出来なかった。


 そもそも延景の情報戦略で、堀江館や吉崎に朝倉軍が向かっていると噂が小松には蔓延っていた。

 小松地方や今江城の全兵力を吉崎に向けて居る訳ではないが、少なくない兵が緊急で吉崎防備に回っている。


 完全に虚を突かれた形となった。

 軍隊として行動する朝倉軍と、虚を突かれ統制の取れていない一揆軍では、最初から話にならない有様で、朝倉軍別動隊は順調に制圧をしていった。


 だが、それは平地での話。


 点在する砦や、寺院、城となると統率が取れていなくても、防御力を備えている以上、簡単にはいかない。

 その簡単にいかない中で、朝倉別動隊は迅速に丁寧に攻略を重ねていった。


 山崎新左衛門吉家、御年42歳。

 朝倉九郎左衛門尉景紀、御年57歳。


 朝倉宗滴が化け物過ぎ、かつ、長生きし過ぎで、永遠の若手のまま老境に入ってしまった別動隊大将の2人。

 彼らはココが死に場所とでも覚悟を決めたかの様に戦った。

 別に何の健康的不安も無いが、『死病を隠してでも戦う位の覚悟を持たねばならぬ』と考えた。

 何故かそうしないと駄目な漠然とした不安がしたからだ。


 その不安とは『歴史から忘れ去られる』という、武士にとっては最悪の理由がその正体だ。

 名を残せずして何の為に生きているのかとさえ思う。

 それは転生当初の帰蝶も同じ考えだった位に重要な事。


 朝倉宗滴は偉大で尊敬すべき人物なの一方で、間違っても口には出せぬが、少々目の上のタン瘤同然の英雄から解き放たれた彼らは、時には別動隊同士手を組み、時にはフェイントをかけて攻撃目標を誤認させたりして、宗滴直伝の戦法を存分に発揮した。


 お陰で小松地方の8割は制圧しそうな勢いである。

 堀江館方面の膠着具合を考えれば、猛烈な侵略スピードだった。

 余談だが、持てる力を発揮しまくった2人の顔つきは明らかに輝きに満ち若返っていた。


 そんな溢れる力を存分に発揮して平地の殆どを制圧した吉家軍と景紀軍は、今江城を伺える地にて合流し仕上げの為の軍議を行っていた。


「山中の攻略の難しい拠点は手出し無用で良かろう」


 景紀が遠くに見える山々に点在するであろう拠点を、最早取るに足らないと判断した。

 小松襲撃で逃げ延びた民が避難したであろうが、平地の拠点と違い山の拠点は防御重視の拠点である限り、手出ししなければ被害を被ることもない。

 非難した民を治療し、食わせ、武具を提供し、戦わせるなど短期間で出来る事ではない。


「(九郎左衛門殿(朝倉景紀)が随分若々しく見えるのう?)そうですな。仮に出てきたとしても、攻撃態勢の整っていない烏合の衆。何なら今江城を攻撃する事で釣り出す事も可能でしょうしな」


「(新左衛門(山崎吉家)め、年甲斐もなくはしゃいでおるのう。……気持ちは分かるがな)うむ。従って残るは今江城のみ。さらに南進すると大聖寺城があるが、あそこは吉崎御坊との連携も強かろう。大聖寺城攻略は南側の殿達が堀江を平定した後。吉崎攻略と足並みを揃える事となろう」


「それでは、今江城をどう攻略するかですが……」


 吉家はニヤリと笑いながら攻略の相談をする。

 相談も何も、答えが決まっている事を、しかも必勝の策を知った上で聞いているのだから、どうしても顔がニヤけてしまったのだ。


「うむ。今江城を素通りして吉崎に行く。……義親父殿は死んだ後も頼りになりすぎて困るわ」


 朝倉景紀は朝倉10代当主の孝景の弟で、宗滴の養子となった身だ。

 朝倉正統の血筋と、義父の武と政治と策略を叩き込まれたスーパーエリートが景紀という武将。


「だがまぁ、どれだけ粗を探した所で、文句も付けられぬ妥当性の塊の様な素通り策。それに今江攻略が終わりではない。むしろ始まりなのだからな。それを考えれば、こんな所で躓くわけにはいかぬ」


 ここでも堀江館同様、あえて拠点を無視して釣り出す戦法が選ばれた。

 山岳に構えられている砦や寺院を攻略出来ぬ事もないが、仮に山岳に逃げ延びた民が襲ってきても、その数はタカが知れている。

 やはり最大の目的は今江城だ。

 ここを落とす事で初めて吉崎御坊を包囲する事が可能となる。


 今江城の南には、吉崎御坊のすぐ近くに大聖寺城も控えているが、生産地としての規模は小松地方が破格の規模を誇る。

 だからこそ小松地方を管轄する今江城を落とせば、自然と吉崎攻防の決着はついたも同然なのだ。


 それなのに、今江城を落とす兵力をすり減らして攻略未達では本末転倒だ。

 ならば難しい山岳の拠点は無視して今江城すら無視を装い、釣り出す事に集中するに限る。

 ここでも宗滴の薫陶が活きた。


 いや、『活きてしまった』と言うべきか―――


 残りの攻撃目標を今江城だけと定めた朝倉別動隊。

 その今江城に、七里頼周が入城したのにはまだ気が付いていなかった。


「よし。では遠巻きに今江城を監視しつつ吉崎へ向かう。そして、慌てて出てきた所を叩く!」


「では手筈通りに、某が行軍の殿を装いつつ、出撃してくる今江からの兵を受け止めるべく先鋒を務めます。九郎左衛門殿は全体の指揮を任せましたぞ」


「うむ。この一戦で義父を、宗滴公を超えて見せる!」


 そう意気込んだ景紀の気合は、脆くも崩れ去った―――



【加賀国/今江城 一揆軍】


「また素通りか。芸が無い……と言いたいが、敵の嫌がる事を躊躇せぬ実に嫌なあの男、朝倉宗滴らしさを感じざるを得ないな。だが! 同じ手が2度通じると思うなよ……!」


 七里頼周は今江城の櫓から見える朝倉軍の動きから、即座に堀江館での出来事に結び付けた。

 堀江館の攻防戦。

 最初は頼周も朝倉軍が包囲しているであろうと予測し、背後から急襲するつもりが、堀江館を通過してきた朝倉斎藤軍と正面衝突する事になった。(176-1話参照)


「あの時は面食らったが、仕掛けが割れてしまえば何の事は無い! 今こそ絶好の好機である!」


「こ、好機ですか?」


 籠城して嵐が過ぎ去るのを待つつもりだった今江兵は、頼周の言う『好機』の意味が分からなかった。


「説明する間も惜しい! その結果でもって説明する! 今すぐ出撃だ!」


 頼周が今江城に入場した時点で、城には逃げてきた民を保護し、緊急事態故に戦準備万端での籠城戦の構えを取っていた。

 援軍の当てがあるのかどうか不明の中で、その戦法の是非はともかく、戦える準備は既に出来ている。


「わ、わかりました!」


 普通、『これこれこう言う理由で好機なのだ』と説明が必要なのだが、一揆軍は武家ではなく頼周のカリスマで保たれている側面もある。


 頼周が『好機』と言えば『好機』なのだ。

 疑ってはならない。

 信じていれば勝つ。


 一揆軍やこの時代の人間には知る由も無いが、この歴史における北陸地域にとっては、七里頼周とはジャンヌ・ダルク同様の存在なのだ。


「今、朝倉軍は長蛇陣にて今江城の近辺まで到達している。まもなく、やや距離を置いた上で真横を通過するだろう。そこが狙い目だ!」


 長蛇陣の弱点は真横からの攻撃に成す術も無く弱い。

 今、今江城から突撃すれば、真横から朝倉軍を食い破る事が出来るだろう。


挿絵(By みてみん)


 こうして通過中を狙われた朝倉軍は、大混乱に陥り、一揆軍に対して大損害を被った。

 だが、不幸中の幸いか、山崎吉家は殿を装った先鋒として軍の最後尾に。

 朝倉景紀は先鋒を装った殿と総指揮の為に最先頭に居た。


 軍を分断された形になった朝倉軍だったが、両大将が軍の両端に位置した事が幸いし、混乱を沈めつつ態勢を立て直すと、今度は挟み撃ちの形になる。


 なるが―――


 それまでに受けた損害が大きすぎた。

 中央で大暴れする七里頼周と、頼周に心酔する狂乱の信徒達は、朝倉軍を斬って突いて叩き潰し射貫いた。

 頼周は先日の富田勢源と朝倉延景との闘いで右手を負傷しているが、滲み出す血も関係無いと言わんばかりに、右手にサラシで固定した半槍、左手に太刀を握り、視界に入り込む朝倉軍を惨殺して暴れた。


 朝倉軍が態勢を立て直す頃には、一揆軍は今江城に退却した。

 その朝倉軍も、小松へ上陸した地点まで退却し、撤退も含めた決断を迫られる程の大損害を受けた。


「吉崎に行く所ではないな……。何たる事だ!」


「しかしここで、越前に撤退しては制圧した小松を無駄にします。生き残りを賭けて踏み止まるしかありますまい!」


「そうだな……。半農兵を越前に返した後でどう維持するか。無念だが堀江にいる殿に失敗の報告をせねばならん。伝令! こちらの惨状を伝え指示を仰いで参れ。それまでこちらは奪った領地の維持を最優先として留まるとな」


 景紀は作戦の失敗を悔いたが、これは本来成功の可能性が高かった策だった。

 ただただ、偶然にも素通りの策を堀江館側で経験した総大将が、ここ今江城の戦いに間に合ってしまったのが不幸だったのだ。


 こうして、朝倉家の今年中での吉崎御坊攻略は、限りなく赤い黄信号が灯ったのであった。


 また、この限りなく赤い黄信号。

 飛騨最北部と越中でも点灯していた。


 飛騨最北部西側には、斎藤軍本体と信長率いる織田援軍が攻略を進めるも厳しい抵抗に会い、飛騨北部東側は武田信玄率いる真田軍が、本願寺の説得使者が行方不明となり攻略説得に苦慮は当然、民を取り込めず空振りばかり続いていたのだ。



【飛騨国北西部/斎藤軍】


「毎度の事ながら申し訳ありませぬが、沢彦殿、まずは説得をお頼み申します」


 斎藤軍を帰蝶から預かった稲葉良通が、厳しい顔つきで沢彦宗恩に依頼した。


「拒絶されると分かってする説得は精神的にキツイですなぁ……」


 良通が厳しい顔つきなのは、闘志の現れ等ではなく、疲弊した精神を鼓舞する根性に過ぎない。

 良通は厳しい顔のまま謝罪した。

 

「本当に申し訳ありません……」


 斎藤家の方針として『まずは説得』が第一である。

 説得を放棄していきなり襲い掛かっては、殺す必要のない民を殺すばかりか斎藤家の信用すら失墜する。

 失墜するのだが、飛騨の北部に行けば行くほど『聞く耳持たず』が殆どで、結局『失墜』からは逃げられない。

 しかも、中には弁の立つ者もいて、沢彦にも答えられない真理を問う者もいる始末。


「だが、やらねばならん。この一揆解体戦も終盤になればなる程、『斎藤軍は決して問答無用で襲い掛からなかった』と信用も生まれる。今が我慢のしどころであり最終盤の為の布石なのだ」


 信長が疲弊する良通と沢彦に喝をいれるべく力強く断言した。

 まるで自分にも言い聞かせる様に――― 



【飛騨国北東部/武田軍】


 苦労する斎藤軍に輪をかけて苦労を重ねていたのが、武田信玄率いる真田軍改め武田軍。

 今は、南信濃に駐留している、息子義信に要請した追加援軍と合流し、何が起きても戦える規模の兵力となった以上、軍としての主体は武田家だ。


 その武田軍はとても困っていた。


 本来、武田家としても基本方針は斎藤家同様に『まずは説得』なのだが、その説得要員が全員消えてしまった。(173-2話参照)

 一応、信玄も顕如直筆の一揆停止命令の書状を預かっているが、浄土真宗に詳しくない信玄は当然、ほかの誰も筋道立てて説得と説明ができない―――だけならまだしも、笹久根貞直なる旧馬場家の残党が暗躍し、ゆく先々の村々で『武田家が侵略に来る』と吹聴しているお陰で、話し合いにならない事が殆どか、過激な所では前触れの使者すら襲撃される始末。


 そういうアクシデントが無かったとしても、やはり説得はできなかった。

 何せ民が村から逃げ出した後だからだ。

 説得を聞かせられる民がいない。

 こうなっては顕如の書状もまるで意味がない。


「民が居らぬので戦闘行為での損害は無いですが、その代わり罠が豊富で進軍が実に厄介ですな」


 信繁が落胆した顔で自重した。


「仮に罠が無くとも、土地だけ手に入れてもな。管理する民がおらんでは活用の術が無い……!」


 信玄は、この飛騨遠征で手に入れた数々の無人の村や土地が、決して触れる事の出来ない美女の様な錯覚を覚え頭を振って正気に戻った。


「だが、このまま退くのはあり得ない。越中にさえ入れば、浄土真宗系の寺も多かろう。その時、顕如の書状を見せ改めて使者の役目を託し挽回するぞ!」


 武田軍は進軍した。

 笹久根貞直こと、父の武田信虎が仕掛けた罠満載の山岳路を。



【越中国/上杉軍】


 さらに越中の東側から侵略する上杉政虎(謙信)もまた、越中の一揆軍の強かさに苦々しい思いでいた。


()()()()なる者。決して侮れぬ! この巧みさは尋常ではないぞ!」


 上杉軍は七里頼周の指揮采配に惑わされ、足止めを食らっていたのであった。

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