176-2話 堀江館攻略 場外乱闘
176話は2部構成です。
176-1話からご覧下さい。
【越前国/堀江館北 斎藤軍】
堀江館を囲っていると思っていた七里頼周率いる一揆軍。
七里頼周が堀江館に籠城していると思っており、引きずり出す為に堀江館を素通りした朝倉斎藤軍。
両軍共に、思惑がズレてしまい、その結果生まれ思いがけず始まってしまった遭遇戦たる場外乱闘戦。
「右翼が怯んだぞ! 槍衾隊! 絶対に隊列を崩すでないぞ! 弓隊、援護せよ!」
河尻秀隆が必死に指揮を執り、戦線が崩れるのを阻止する。
一番の大激戦となったのは、本来は堀江館に対して最後尾に配置となるはずが、背後からの七里頼周の襲撃により、期せずして先鋒を務める事になってしまった斎藤軍帰蝶隊だった。
何せ6000人の突撃を2500人で受け止める事になったのだ。
普通なら粉砕されて大混乱に陥っても何ら不思議ではない。
そんな猛烈な突撃攻撃を、秀隆の指揮する帰蝶隊は丁寧に冷静に、可能な限り受け流し対処した。
障害物で勢いを殺し、弓鉄砲で出鼻を挫き、槍衾で受け止め、騎馬の乗り崩しで強引にこじ開け、帰蝶や遠藤直経、浅井長政ら豪傑衆が最前線で暴れまわったお陰で、一揆軍の突破を許さず、左右に受け流す事に成功した。
帰蝶達が踏ん張ったお陰で、分散された一揆軍が、安藤守就隊、氏家直元隊の攻撃に晒され、更に朝倉軍から救援に駆け付けた富田景政隊と真柄直隆隊が魚鱗の更に両端に付き、何とか一兵たりとも突破を許さぬ布陣に形だけは仕上げた。
こうなると、消耗戦だ。
死しても突破を試みる死兵の一揆軍の猛攻に、数は互角だが、別に陣形を仕上げ待ち構えていた訳でもなく、緊急急遽の形だけの陣なので連携は望めない。
各々が各々の判断で最適と思われる戦法を選択し続けなければならなかった。
故にどこもかしこも大乱戦だ。
どちらが押している、押されているも判断つかない乱戦である。
帰蝶隊には特に精鋭が配属されていたので、突破を許す事は無かったが、時間の問題の様にも思える程に息苦しい戦いが続いていた。
その理由は明確だった。
倒しても斬っても殺しても、敵の攻勢が一向に手が緩まない。
奇襲だとしても尋常ではない強さであった。
例えば、武田家などは極貧を逆手に取り、常に背水の陣状態故に最強の兵を揃えている。
だがこの兵達は生きて帰る事を望んでいる。
故郷には家族もいるし、稼ぎ手の自分が死ねば妻や子が飢えるだけならまだしも、誰が苛烈な武田の税を払う羽目になるのか?
生きて糧を持ち帰る事が希望であり彼らの義務なのだ。
だが、今戦っている兵は死兵の中でも信仰によって突き動かされる正真正銘、死ぬ事を否定していない正に死の兵士。
流石に首が飛んだり、急所に攻撃が当たれば倒れるが、死して倒れこむにしても体で覆い被さる様に倒れてくる地味ながらスタミナを奪う労力が必要な嫌がらせをして死ぬ始末。
当然、手足が飛ばされた位で歩みを止める一揆軍ではない。
しかも最初の一撃以降も強い。
勢いだけの一揆軍は最初の一撃さえ凌いでしまえば何とでもなる場合が多いが、この敵は初撃は当然、二撃目以降も強力だった、
そんな一揆軍を相手にするのは、異常に体力を消耗する戦闘であった。
「殿! 濃姫様! 大丈夫ですか!?」
まだまだ余裕のある遠藤直経が、前を向いて槍を振るいながらも背後の帰蝶を気遣った。
「し、七里頼周を相手した時も疲労困憊だったけど、まだイケるわ! (今は良くても時間の問題かもね……!!)」
帰蝶もまだまだスタミナは尽きていない。
決して無尽蔵ではないが、今、腕と薙刀を振るわずして何時振るうというのか?
そんな思いが疲労を超越した動きを可能にしていた。
「かかれぇッ!」
そんな気持ちを断ち切る号令が聞こえた。
自軍の河尻秀隆の号令ではない。
一揆軍の号令だ。
号令と共に、敵の騎馬が乗り崩しを仕掛けてきた。
流石の豪傑達も、突撃してくる人馬の体重を跳ね返す膂力は無い。
敵の騎馬武者が馬を乗り捨てると、斎藤軍の豪傑に襲い掛かり戦場は更なる混戦に陥った。
「そこの女武者。斎藤帰蝶殿とお見受けするが如何か?」
そんな大混乱の戦場で涼やかな声が帰蝶の背後から響いた。
一見中年の武将だが、声は若かった。
歳に対し不相応な若い声は、そういう特徴の声なのか、それとも今の戦いに満足しているからなのか?
理由は分からないが決意に溢れた声をしていた。
「ハァハァ……! 如何にも! 私が斎藤帰蝶よ……!」
帰蝶は何となく後者なのではないかと勝手に想像し、声を掛けてきた武者に薙刀を向けながら答える。
「拙者は堀江景忠が子、景実。お主の首を貰い受けこの戦いを終わらせる」
「……? 何故名乗るの? 勝手に襲い掛かってくれば良いのに。自分で言うのも何だけど、私、結構疲れてるのよ。そんな好機を見逃すの?」
今は大乱戦だ。
景実は戦に勝つ絶好機を、肩で呼吸をする帰蝶をワザワザ見逃した事になる。
今の混戦は適当に武器を振り回せば、敵味方の誰かには当たる位であり、名乗らなければ帰蝶は討ち取られていた可能性が高かった。
「それもそうだな。何故聞いてしまったのかな? まぁ色々理由は考えられるがそうだな……。御仏の元に参るのに、一握りの恥も持って浄土へ行きたく無いとでも言っておくか」
景実はコレを最後の戦いと決めているのか、己を汚す行為を無意識に否定していたのを、今自分で言いながら気が付いた。
「そう。心がけまでは否定しないわ。ところで七里頼周はどこなの? 来てるんでしょう? あの男がこの大乱戦で後方で指揮を執ってるとは思えないわ」
先日も、帰蝶と富田勢源を、わざわざ堀江館の外で待ち構えていたぐらいの行動派な頼周である。
きっと今もどこか前線で指揮を執っているハズだ。
「聞かれて答えるとでも?」
「……それもそうね。馬鹿な質問だっ―――」
何をバカな、とでも言いたげな景実だったが、意外な事を言い出した。
「フフフ。良いぞ? 答えてやろう。聞いた所でどうにもならぬしな」
「えっ!?」
「お主の想像通り、あの御方はジッとして居られぬ性質でな。だから本当に神出鬼没。必要な時、必要な戦場に、どこにでも現れる。今頃朝倉越前殿を討ち取っているやもな?」
「我らを素通りして!? 馬鹿な事を!」
「そうだな。馬鹿な事だ。本当ならな」
「……え? 一体何を……!」
「フフフ。これ以上は答える義務はない! もう良かろう! ゆくぞ!」
景実はそう言うや否や槍の連突きで顔面、喉、足元を狙い帰蝶の態勢を崩しにかかる。
負けじと帰蝶も攻撃を避けつつ薙刀を突き出す。
「幾らでも掛かって来るがいいわ! 朝倉殿からの援軍も来た! ならばこちらの主力部隊を倒せば倒すほど残りは烏合の衆! 慈悲の心で御仏の下へ送ってあげるわ!(踏ん張るのよ帰蝶! 足を動かせ! 目線を切るな! 狙いを悟られるな!)」
帰蝶が殺気を撒き散らしつつ景実の足元を狙って薙刀を払うが、景実は飛びのいて避け、着地と同時に槍を振り上げる。
「フン! 逝くとしても貴様も道連れ……! いや? その悍ましいまでの殺気。貴様の様な悪鬼はどう頑張っても地獄行きじゃから、ワシが共する事はできん! 一人寂しく地獄に逝くがいい! (こ奴は七里様とも互角に戦ったと聞く! 絶対にここで殺さねばならぬ!)」
景実は槍を大上段から振り下ろし―――兜ごと叩き割る勢いで振り下ろす―――が槍は帰蝶が一歩踏み込み斜めに構えた薙刀の柄に逸らされ―――景実の槍は地面に叩きつけられ―――槍を引き上げると同時に帰蝶の潰れた右目を狙う―――つもりが帰蝶が槍の柄を踏みつけて動きを封じられ―――薙刀を横一閃―――景実は喉を切り裂かれて踏鞴を踏む。
「その攻撃は2度と喰らわないわよ……ッ!」
偶然ではあるが、これは帰蝶が右目を失う事になった、武田信繁との攻防と殆ど同じ動きだった。(122-2話参照)
よく漫画などでは強者が『同じ技が2度も通用すると思うな』とは言われるが、武芸の場合は何度でも同じ技を繰り返すが常道。
ただし、その同じ技を命中させる前段階こそが工夫であり技術である。
つまり、例えば必殺技を必殺技たらしめるには、必殺にする為の事前行動こそが最重要だ。
フェイントであったり、パターンの変化であったり、ここぞの場面まで秘匿したり、あるいは当たるまで押し切るのも立派な手順。
ここの工夫が皆無であったりすれば、まさに『同じ技が2度も通用すると思うな』となる。
武道家は色々と試し、必勝パターンを血反吐を吐きながら訓練にて構築する。
ならば逆も然り。
地面に激突した長物武器が跳ね上がって再攻撃する事を、帰蝶は常在戦場の心意気でずっと警戒し続けていたのだ。
特に右目は死角。
狙われないハズが無いと常に断言して過ごしてきたのだ。
「ゴフッ! 加賀……守様……!」
景実は切り裂かれた喉を抑えながら膝を突いた。
抑えても止まらない噴水の如き流血が周囲に飛び散る。
間違いなく命を失う致命の一撃であった。
「奴は何処!?」
帰蝶は薙刀で片膝立ちの景実の足の甲を貫き、容赦の無い尋問を始めた。
「ごぼッ!! 言った……ないか。暗殺に向かっ……!」
死に逝く者を甚振る趣味は無いが、人権の概念も無い時代だ。
拷問で吐かせるのも立派な戦略であり指揮官の義務だ。
先ほどの景実の、嘘か本当か判別できない頼周の行先。
後方で指揮を執っているとは思えない。
だが、帰蝶達を通り抜けて朝倉軍に到達しているとも思えない。
一番ありえそうなのは別動隊を率いての側面からの突撃だろうか。
頼周を危険過ぎる人物と警戒する帰蝶は、その行動を確定させておきたかった。
「……最後まで煙に巻くとは。貴方の忠義には敬意を表するわ。お見事でした。ですが最後に言っておきます。我らは本気で浄土真宗を救いたいと思っている。これを胸に刻んで逝きなさい」
足の甲を刺し貫いたところで、喉の傷の方が遥かに致命傷。
この期に及んで話さないなら、もう事実を語る時間も残されていないだろう。
帰蝶は足に刺した薙刀を抜いて、水平に構えなおした。
「そうですか……。それにしても……強かっ……悔いはゴフッ……。父上、先に……逝きま……いやワ……シの……」
もう意識朦朧としていた景実の首がゴロンと落ちた。
帰蝶が首を刎ねたのだ。
「……堀江景実討ち取ったり!」
そう帰蝶が叫んで自軍の士気向上を促し、敵軍の士気低下を促す。
目論見通り、帰蝶の声に周りの武将が鬨の声を挙げて反応する。
「……え?」
だが、ここで思わぬ現象に帰蝶は戸惑った。
自軍の士気が向上するのはともかく、敵側も全く士気が落ちる気配がないのだ。
数少ないであろう名のある武将である堀江景実が討ち取られ、何の動揺も見せないのは普通ではない。
「中務丞様(堀江景実)に続けッ!!」
「浄土へお供するのだッ!」
味方の戦果に触発され戦意を向上させ力を発揮する場面は多々あるが、敵側まで戦意を向上してしまうのは意味が分からなかった。
「景実を討ち取っても、一揆軍が動揺する素振りすら無く全く怯まない……! これはもう、本気で死にに掛かってきてるわね! これが殿が恐れた一向一揆の真の猛威って事……!!」
『進者往生極楽(戦って死ねば極楽へ) 退者無間地獄(逃げたら地獄行き)』
ここ北陸は、このスローガンの本場も本場、流行(?)の発祥地だ。
故に命の価値が軽すぎた。
この攻撃を仕掛けたのは間違いなく七里頼周の戦略で、命令によって命を捨てる戦略を取っているのは明白だった。
歴史変化による頼周の変貌と人望の影響も大きいのだろう。
帰蝶の眼には、我先に死ぬ為に突っ込んでくる様に見えて仕方ない。
「……いいわ! 朝倉殿が援軍を寄越してくれたお陰で4500対6000! あるいは頼周がどこからか追加援軍を更に連れて来るかもしれない! だけど、我ら全員1人当たりが2人以上倒せばその中に七里は含まれているハズ!」
どの道この大乱戦では、どうやったって頼周の所在を突き止めるのは不可能だ。
ならば全員倒す。
この攻撃を凌ぎ切って、頼周に到達するまで帰蝶は戦い続ける覚悟を固めた。
「伝令! 七里頼周はこちらに居る可能性が高い! 朝倉殿にこちらは何としても食い止めると伝えなさい!」
「はッ!」
「皆の者! このまま押し留めるわよ!」
「おぉッ!!」
帰蝶は向かってくる敵だけに集中するべく、味方に檄をいれるのであった。
だが実はこの時―――
頼周は既に指揮を執っていなかった―――
頼周の命令は命を捨てて戦う事と、最初の突撃だけ。
では頼周はどこで何をしているのか?
最初の命令さえ下せば、あとは信徒が暴れている隙に行動を移すだけだ。
朝倉延景(義景)の暗殺を。
堀江景実は真実を語っていた。
敢えて事実を語って帰蝶を欺いたのだ。
【越前国/堀江館北 朝倉軍】
「伝令! 斎藤家より伝令として参りました! 朝倉越前守様(延景)にお目通りを願いたい!」
斎藤家よりの伝令が慌ただしく駆け込んできた。
乱戦の中を潜り抜けてきたのだろう。
旗指物も汚損し、斎藤軍側の激戦が目に浮かぶ様であった。
「何ぞ動きでもあったか!? 挨拶は良い! 内容を述べよ!」
床几から立ち上がった延景は、伝令を正面に招いた。
こちら側は近い内にカタが付くだろうが、斎藤軍側が予断を許さないのは承知済み。
緊急事態故ならばと、挨拶抜きで報告を促した。
「はッ! では……」
伝令は言葉を発しながら刀に手を掛けると、腰を切り抜刀しつつ、飛び掛かり様に延景の首を狙った。
「……!? なっ……」
余りの素早い抜刀に延景は反応が遅れた。
緊急時故に、直接命を狙われる可能性を失念していたのだ。
延景は走馬灯の如く、今の状況を思い返す。
斎藤軍の伝令による攻撃に、裏切りを真っ先に思い浮かべたが、流石にソレは無いと思いなおす。
暗殺するつもりなら何度も機会はあったのだ。
(ならば……! 一向宗しかないではないか!)
そう確信するも延景は防御態勢が整っていない。
思考は超スピードで頭脳が回転するが、体は鉄の塊の如くビクとも動けなかった。
(これは……死んだか……あの世で宗滴の爺に……怒鳴られるのは嫌だなぁ……。……ッ!?)
そんな思考を遮る『ギャリン』と耳を劈く金属音と同時に、延景の時間の流れが戻ったのか3歩程飛びのいて抜刀した。
伝令の横薙ぎに振った刀は、肉を切る時の様な鈍い音でもなく、刀が逸れて延景の兜に命中した訳でもない。
富田勢源が立ち塞がり己の刀で伝令の凶刃を防いでいたのだ。
「私は目が見えぬでな。一度聞いた声、呼吸、足音、匂いは忘れはせぬ。しかもつい最近聞いた忌々しいその声。殿! こ奴が七里頼周ですぞ!」
「なッ、何じゃと!?」
斎藤家の裏切りの可能性を排除した以上、この狼藉者は偽物の伝令なのだろうが、それがまさか七里頼周本人であったとは思いもしなかった。
「失敗か! 富田勢源! あの時、無理してでも殺っておくべきであったわ!」
頼周は言いながらも、唖然としていた延景の側近を切り捨て槍を奪った。
「何たるクソ度胸よ! だが、こんなに『飛んで火にいる夏の虫』を見た事は無いぞ? 逃げ切れると思うておるのか?」
延景は感心しつつも、最近どこかで似た事があった様な気がしてならなかった。
「フフフ。何を驚く? 貴様らの援軍総大将が自ら間者になるのだからな。斎藤帰蝶の堀江館潜入の意趣返しよ! 学ばせてもらったわ。やはり大将は前線に出てこそよ! さぁ出でよ!」
頼周が号令をかけると延景本陣陣幕外に控えていた、斎藤軍の旗指物を挿した兵が多数乱入してきた。
頼周の背中にも斎藤家の二頭立浪紋が靡いている。
何の事は無い。
戦場で斎藤家の旗を拾ってきて、背中に挿して斎藤兵に化けたのだ。
頼周一団は、堂々と斎藤軍を通過してきたのであった。
「馬廻衆! 闖入者を始末せよ! 但し奴には手を出すな! 奴の相手はワシでなければ務まらぬ! 殿は某の後ろへ!」
勢源は緊急事態故に、延景を飛び越えた命令を飛ばす。
今、朝倉軍は堀江館から飛び出してきた一揆軍を受け止めている最中。
その為に延景本陣も最低限の人員しかいない。
その数は七里頼周が率いてきた偽装斎藤軍の人数と大差無い。
延景軍の戦は、もうまもなく背後からの朝倉景鏡が間に合い、圧殺し決着はつけられるだろう。
ただ、今は『それまで延景が生き残っていれば』と言う勝利条件に変わってしまった。
「守りながら戦うと? まぁお主なら出来るのであろうな。足手まとい一人増えた所で苦にもせぬだろうが、私は容赦無くソコを突く。卑怯とは言うまいな?」
「フン! 言う訳が無かろうて。むしろ卑怯な手段を存分に使うがいい。何一つ通用しないと教えて進ぜよう!」
勢源は太刀を力強く鞘に納め大きな音を立てる。
自分と頼周、延景や周囲の乱闘の位置関係を把握し、戦闘態勢を整えた。
「その音鳴らし。前も見たな。まさかとは思うが周囲の状況確認か? こんな乱戦でもそんな事が可能なのか?」
先日の勢源、帰蝶と、頼周が2対1で戦った時は少数で、周囲も今に比べれば静寂そのもの。
それならば音で判断も理解できなくも無いが、今は乱戦だ。
そこら中で勢源の感覚を邪魔する音が鳴り響いている。
盲目の勢源では、とても戦えるとは思えない。
「盲しいの嗜みと言う奴よ。常に変化する音が位置を示してくれる。皮膚で感じる空気や砂埃が今の状況を知らせてくれる。運ばれてくる血の匂いで凡その状況を掴める。心に伝わる闘志や殺気で相手の技量や意思を図る事が出来る。つまり何の不都合も無いッ!」
そう言うや否や、勢源は右手で太刀を振りかざし突進し―――頼周は迎撃すべく槍を突き出し―――勢源は太刀で槍を払いあげる―――頼周の体制が崩れた所に左手で抜刀した小太刀で頼周の脇を狙う―――頼周は槍を手放すと大きく後方に跳躍して自分で放り投げた槍を掴み―――勢源の頭上めがけて振り下ろす―――太刀と小太刀を十字にしてその攻撃を勢源は受け止め両の刃で槍の柄を切断し―――ガランと穂先の落ちる音が響いた。
「……やりおるわ。貴様、本当は目が見えてるだろう?」
切断された元槍は、只の棍と変わりない。
頼周もまさか槍を切断されるとは思っておらず、棍となってしまった槍を地面に突き刺した。
「お主の呆れる顔を見られなくて残念じゃ」
勢源は目が見えず、呆れる頼周の表情が掴めない事を本気で悔やんでいた。
だが、嬉しくて仕方なかった。
盲目になっても武を諦めず鍛え上げてきた己の技量。
唯一、朝倉宗滴だけが己の全てを受け止めてくれていたのに、それがアッサリと逝ってしまい、勢源も途方に暮れていた。
だが、斎藤帰蝶という、まだまだ粗削りだが絶大な発展の余地を残す女大名の出現と、荒れ狂う北陸で10年も生き残ってきた七里頼周の存在は、勢源の枯れかけた心に潤いを与えた。
「さぁ! 殿を弑したいならワシを倒す他に道は無し! 存分に殺意をワシに向けるがよかろう!」
「言われるまでもない!」
頼周は地面に刺した棍を、地面もろとも抉り出すと、土の散弾で勢源を牽制した。
見えない以上、皮膚にあたる土礫で状況を判断するしかない。
普通、目に埃が入った程度でも目を開け続けるのは難しいのに、土の散弾である。
盲目の勢源の利点はそんな事を考慮しなくても良い事であるが、自分に命中する土礫、周囲にまき散らされる土礫が、一瞬、掴んでいた頼周の位置を曖昧にした。
「フッ!」
その瞬間、頼周が短く息を吐いた。
(……! 投げた―――何を―――槍の残骸か―――狙いは―――!!)
「ぬおぉぉッ!」
勢源は頼周が投擲した棍を右手で掴んだ。
今の狙いは勢源ではなく延景だったが、勢源がその攻撃を阻止したのだ。
刀で叩き落そうとも思ったが、弾いた先に延景が動いてしまう可能性もある。
故に掴んだのだ。
「もはや呆れるしかないが……掴んだな?」
「!!」
右手の太刀を離してまで掴んだ棍だ。
勢源は太刀と小太刀ではなく、棍の様な棒切れと小太刀という戦闘スタイルに強制的に変更させられた。
頼周は、勢源が落とした太刀に手を伸ばす。
刀を拾い延景を斬るべく―――頼周の手が槍で貫かれた。
「グッ!?」
「お前ら楽しそうにじゃれ合いおってからに。ワシは勢源の背後に隠れて居るが、別に戦闘を放棄しているわけではないぞ? 卑怯とは言うまいな?」
頼周に槍を突き入れた主は延景であった。
その殺気ゼロの軽く突いた槍は、勢源にも察知されずに頼周を地面に縫い付けたのだ。
これがもし、帰蝶が放った薙刀の突きだったら、頼周は敏感に反応して避けただろう。
未熟な延景ならではの会心の一撃であり、先日、帰蝶と勢源二人掛かりでも傷一つ付けられなかった頼周に、初めて攻撃らしい攻撃が入った瞬間であった。
「ぐうッ! ぬあぁッ!!」
頼周は左手で刀を持ち直し、延景の槍を切断する。
「い、今のは意表を突かれたわ……!」
頼周の手を貫通した槍は、幸いな事に骨を断たず、骨の間をすり抜けただけであった。
頼周は素早く5歩程飛びのくと、右手の槍を抜きサラシで血を止めつつ、切断した槍の穂先と手を縛り上げた。
つまり、右手に縛り付けた半槍、左手は勢源から奪った太刀。
半槍は、長巻と同様に近距離戦では極めて有効な破壊力を持ち合わせる武器である。
右手のケガは出血以外は大した事は無い。
つまり頼周の攻撃力が増した状態となった。
一方、延景は代わりの槍を拾い上げ、自分の太刀を勢源に貸し与えた。
豪奢な太刀だが業物だ。
今、一番の使い手にこの刀を授けずして、自分の命は無い。
延景はそう判断した。
「流石は朝倉家と言う事か! 楽しませてくれる!」
七里頼周は本気になって襲い掛かる。
別に今までも手加減していた訳では無いが、富田勢源と朝倉延景を討ち取って逃げる算段も含めた上での攻撃だった。
だが、今からは帰還や後先を考えない攻撃に意識を切り替えたのだった。
「来い! ここで北陸一向一揆を終わらせてくれる!」
ここからの頼周と勢源の激闘は、朝倉家の文書にも山ほど記録が残る戦いとなった。
お互いが身体能力を限界まで引き出し、瞬き一つで刺し貫かれ、真っ二つに斬られる攻撃が、矢継ぎ早に飛び交う危険なエリアと化した。
流石に延景をしても、うかつにチョッカイを掛けられない、息を飲む戦いが永遠とも感じられる程に続いた。
その時、時間経過が曖昧に感じる状態を元に戻す二つの出来事が起きた。
一つは戦場に轟音が轟いたのだ。
その音の正体は明智光秀の鉄砲隊。
側面に回り込んで一斉に火を噴いたのだ。
300丁による轟音は、勢源と頼周の意識を引き戻すのに十分な音量だった。
そうして出来た空白に、今度は朝倉景鏡が飛び込んできた。
「と、殿! ご無事ですか!? 堀江館からの一揆勢は壊滅! 堀江景忠も捕縛しました! ……斎藤軍がなぜ!?」
景鏡は朗報持ってきたが、目にした光景は、朝倉本陣で暴れる斎藤軍の光景。
我が目を疑い立ち尽くした。
「何じゃと……おわッ!?」
延景も延景で、景鏡の朗報に反応した所、急に周囲に白煙が立ち込めた。
もちろん頼周の仕業だ。
煙幕を張ったのだ。
「遺憾ながら撤退する! 全員方々に散って生き延びよ!」
「逃がすか!」
盲目の勢源に煙幕など何の意味もない。
煙を突っ切って一直線に頼周に迫る。
「貴様には煙幕は効かぬか! ならばコレはどうかな!?」
「グォッ!?」
頼周がもう幾つかの球体を地面に叩きつけると、刺激臭が辺りに立ち込める。
眼以外を頼りにする勢源にとって、匂いを潰されるのはかなりマズイ状態である。
「さらばだ! また会おう!」
頼周や、生き残った斎藤兵に化けた一揆軍は、朝倉軍の馬を奪うと一目散に方々に散っていった。
「殿! 追撃いたしますか!? ……いや、これは建て直しが先決ですな」
景鏡は追撃を提案しかけてやめた。
本陣強襲を受けて、完璧な死兵の軍をやっとの事で沈黙させたのだ。
帰蝶達が戦う北側も同じ様に一揆軍の撤退が始まっていた。
光秀の銃撃が随分効いた様だが、思わぬ場外乱闘で朝倉斎藤両軍の消耗は激しかった。
「うむ。追おうにも奴ら散り散りに逃げおった。これでは軍を何分割せねばならんか見当もつかん。受けた損害も大きい。負傷者の救助を最優先とし態勢を立て直す。吉崎に向かうにしても、今の戦力を把握せねば進軍もままならぬ。伝令! 斎藤殿を本陣にお招きせよ。アチラの状態も確認せねばな」
「そうですな。こうなると小松地方もどうなっているか……」
「順調に制圧した、と考えるのは愚か者よな。何かしら不都合が起きていると思って態勢を整えるぞ!」
こうして朝倉斎藤連合軍は、堀江館の攻略に成功した。
朝倉宗滴の狙い通り素通りして引きずり出す所までは良かったが、思惑のすれ違いから、堀江館場外乱闘戦にまで発展し、あろう事か総大将たる朝倉延景まで狙われた。
勝つには勝ったのだろう。
だが喜ぶものは皆無だった。
これから残存部隊の確認作業と、その損害具合によっては大幅な作戦変更も考えねばならない。
疲労感だけが重く伸し掛かる厄介な勝利であった。




