174-2話 虎穴に入らずんば虎子を得ず 朝倉延景
174話は6部構成です。
174-1話からご覧下さい。
【越前国/一乗谷城 朝倉家】
雪解けが飛騨よりもやや遅かった越前。
朝倉家も斎藤家や上杉家と同調して越前北東部に蔓延る一揆の解体に動いた。
ただし朝倉家は、説得から始まった斎藤家と違い、最初からクライマックスになるのが確定している。
何せ、一揆の最大拠点の一つと目される浄土真宗の聖地たる吉崎御坊が、よりによって最初の攻略拠点なのだ。
一乗谷城と吉崎御坊の拠点は目と鼻の先。
ただし、連携する支城や寺院も数多いので、いきなり吉崎御坊決戦とはならないが、少なくとも領地は隣接した御近所さんだ。
朝倉延景(義景)は、一乗谷城の大広間に居並ぶ朝倉の勇将に檄を飛ばす。
「ここ近年の朝倉は穏やかで充足した内政の日々だった!」
朝倉家は三好包囲網で中立を表明しつつ、浅井家を使って将軍を支援し、しかし織田家や斎藤家とも繋がり何がどうなっても対応できる外交で切り抜けた。
結果的に何も失わず、敵も作らず、地位も信頼も失わなかった。
何かを得た訳ではないが、京にも近く、やろうと思えば織田や斎藤を付け狙え、また全国共通で厄介な一向一揆を抑える勢力として、確かな存在感を放ち続けた。
黙っているだけで評価爆上がりの奇跡の勢力だったのだ。
「恐らく、越前の地は日ノ本でも屈指の安全で豊かな国であろう!」
近年の大きい戦は、朝倉宗滴最後の戦いとなった飛騨、深志の戦い。(13章参照)位で、この4年程は平和だった。
あったとしても、精々、散発的に侵入してくる一向一揆を押し返した程度である。
お陰で内政の充実具合は破格であった。
信長から提供された種籾の水選別は越前での米生産を増大させた。
交易では明との密貿易で巨額の利益を得た。
何より、延景が力を入れているガラスの技術を、隣の大陸の明から得た事が大きい。
延景はガラス生産を夢見ており、実際にガラスと呼べる代物は出来ていた。(131話参照)
ただしレベルは低い。
不格好であったり汚い色であったりと失敗の連続であったが、最新技術を取り入れた結果、もう間もなく交易品として使えそうなレベルまで形になった。
あとは研鑽して腕を磨くだけだが、そこは手先が器用で魔改造が得意な日本人。
近い将来、莫大な利益を生み出すのは確実と目されていた。
「ここまでの繁栄は間違いなく皆のお陰である!」
今の朝倉家には内に問題が無い。
だが外には言うまでも無い程の大問題が控えている。
「内憂外患などと言う言葉もあるが、内に憂慮すべき事が無い今……外患……」
「……?」
檄が興に乗り始めた矢先だった。
延景は話を区切り拳で顎を軽く叩いて考え込んだ。
一方、妙なタイミングでの中断に家臣達は心の中で躓いた。
「こういう状態を内平外患とでも言うのか? そんな言葉あるのか?」
延景は家臣達に顔を向けキリッと尋ねた。
「え!?」
内外に問題がある事を『内憂外患』『内患外禍』と言う。
内外に問題ない場合は『内平外成』となる。
では内だけの場合、外だけの場合となると該当する四字熟語が思いつかなかった。
家臣達から笑い声が漏れるが、別に延景の無知を笑った訳でもない。
言われてみれば確かに知らないと気が付いたが、それよりも、妙なタイミングで間合いを外されたが故の笑い。
言わば緊張と緩和故だ。
ただし、一歩間違えれば注意力散漫と取られかねない迂闊な行動でもある。
もし、史実での滅亡間近の朝倉義景が同じ事を言ったなら、きっと愛想を付かされたであろう。
だが、今の朝倉延景は順風満帆、乗りに乗っているので全て勝手に好意的に解釈される。
(殿に気負い無し。よい傾向だ)
(周囲を見渡す余裕があるな)
気負いゼロでは困るが、過剰でも困る。
故に、家臣達は『大丈夫』と判断した。
(うむ。正に『これ位で丁度良い』と言う状態の見本よな)
史実がねじ曲がり『朝倉義景』ではなく『朝倉延景』として成長している今、生来の資質と朝倉宗滴の薫陶が融合し、また、この戦に懸ける思いから滲み出たNEW朝倉延景であった。
「うぅむ。思いつきませんな。強いて言うなら単に『外患』ですかな?」
山崎吉家が急に電球のような灯と共に、思いついた単語を語った。
「ぬぅ。外患か。折角なら四文字熟語で綺麗に纏めたいな。和尚、なんぞ良い言葉は無いものか?」
困った延景は、脇に控える僧侶の知恵を頼った。
「そうですなぁ。例えば内部に問題を抱えている場合『隙穴之臣』という言葉があります。裏切り者が存在する事の例えです。あるいは『獅子身中』の方が通りが良いですかな? ただ、越前様(延景)は4文字かつ『内』と『外』の言葉を使って纏めたいご様子」
和尚は悩んだ末に答えた。
「言葉と言うものは生き物です。新しく生み出される場合も多かろうと存じます。ならば、此度の戦いで朝倉家が『内平外患』の言葉を作ってしまえば良いのです。この戦いが後世に伝われば伝わる程、一致団結した朝倉家が内平、一向一揆が外患と例えられ、後世に言葉が一人で歩きだしましょう」
「成程な。ワシが語源となるかも知れぬのは中々面白い。さすが沢彦殿の推薦を受けた虎哉殿よ。此度の戦、一揆から離脱した民の説得と心の救済は任せましたぞ」
「お任せください」
沢彦宗恩から推薦を受けた虎哉宗乙。
史実にて美濃で生まれた虎哉は、甲斐に渡り岐秀元伯、快川紹喜の弟子になり、伊達輝宗の要請を受け政宗の師として伊達家を支える事になる臨済宗の僧。
たまたま歴史が変わり、たまたま美濃に居た沢彦と意気投合し、たまたま朝倉家側の説得要因として派遣されたのである。
信長も全く知らない人物が、全く知らない所で歴史改変が起きていた。
「うむ! この内平外患は絶好の好機! 外患を討ち払い、内平外成を成すは今である!」
なお、この『内平外患』なる造語。
後の歴史では『内部が纏まり、外に敵がいる状態』のみならず、『敵を攻めるのにタイミングが良い状態』を表す言葉と変貌する事になる。
対義語の『内憂外平』も当然の如く生まれた。
「英林孝景(7代目)、子春氏景(8代目)、宗清貞景(9代目)、わが父の宗淳孝景(10代目)、そして朝倉の至宝朝倉宗滴。朝倉には英傑に事欠かぬ!」
延景は歴代朝倉当主の名を挙げた。
現在の朝倉の繁栄と強さは、彼らの活躍の賜物だ。
特に7代目の英林孝景は『信長の前世では?』と疑う程に、宗教が絶対の世界において合理的主義者だ。
己の呪殺を目論む寺院への容赦ない攻撃。
名刀よりも量産の槍を揃えさせる価値観の追求。
占いや吉日を当てにして好機機会を決めない現実的思考。
血縁よりも実力にて取り立てる完全実力主義。
まさに戦国大名。
その死が慶事と祝われる程に天下一の極悪人に相応しい合理主義者。
戦国大名朝倉家は英林孝景より始まったのだ。
「だが! 彼らでさえ成し遂げられなかった外患をここで断つ!」
延景の檄に一乗谷城の広間は熱狂に包まれた。
朝倉家の当主は代々優れていたが、繁栄を築き上げた祖先の中でも、特に英邁と名高い5人。
これを超えるのは子孫の義務であり、慰霊でもある。
今を生きる朝倉家の人間として、一揆の撲滅は悲願であり、自分達の名を天下に示すは正にココである。
「式部(朝倉景鏡)、九郎左衛門(朝倉景紀)、新左衛門(山崎吉家)、それにワシ。それぞれ4000率いて目標を攻略する」
総勢16000の軍勢は朝倉家が限界ギリギリまで用意した軍勢だ。
宗滴が信長を真似て創設した専門兵士集団の親衛隊が8000。
半農兵が8000。
東に全兵力を注いでも問題ない現状と勢力配置なのもあるが、延景が領地を発展させたからこその底力であった。
「式部は海側より進軍し西谷城に行け。ワシも4000率い堀江館に向かう」
この拠点は一向一揆の吉崎御坊と、朝倉家の一乗谷の中間に位置する。
この周辺地域を支配するのは堀江景忠、景実の父子。
史実では朝倉宗滴に従い一向一揆と交戦し、最後には朝倉を裏切り一向一揆に通じた事もある武将で、最終的には織田家に所属した。
この歴史では朝倉家の家臣であり、一向一揆との折衝も担ってきた朝倉家の防波堤。
だが、ここ最近は動きが鈍い上、今回の招集にも応じていない。
動きが鈍いのは『一揆との交渉に奔走している為』、招集に応じられないのは『父子共に病である』との事。
あり得る話ではある。
伝達手段が未熟な戦国時代、一つの仕事に掛かれば連絡が途絶しても不思議ではない。
医療体制が未熟な戦国時代、一度病が蔓延すれば一族全員罹患しても不思議ではない。
だが、それを鵜呑みにして『わかった。養生せよ』では戦国大名は務まらない。
やむを得ない理由が二つ積み重なって、偶然で片付ける大名は遅かれ早かれ滅ぶのみ。
判断の早い大名なら一つ目の偶然で怪しむ。
この延景は、判断を誤り続けた義景ではない。
当然の如く、堀江親子の行動を怪しんだ。
このままでは朝倉家の防波堤どころか、一向一揆の防波堤となっている可能性すらある。
「ワシらはまず堀江の態度を確定させる。堀江父子が本当に動けぬなら、兵糧や物資を供出させよ。まずはこの命令に対する動きを見る」
信頼が置けぬなら恫喝である。
これによって急に幸運にも病気が快癒すれば良し。
一揆側に寝返るも良し。
本当に忙しく、しかも病を発症していても良し。
一番困るのは立場が不鮮明な場合。
信頼が置けない者を内部に抱えるのは危険極まりない。
ならば軍勢によって脅すしかない。
関ケ原で小早川秀秋に銃撃を浴びせた徳川家康の様に、恫喝にて堀江の立場を鮮明にさせる。
「堀江が素直に要求に従えば良い。だが従わぬ場合、堀江を捨てる決断をする。この堀江館と西谷城。この2点を落とせば吉崎の南を制したも同然であるからな」
堀江父子の去就がどうなるにせよ、この地域を無視する事は出来ない。
従うなら戦力として活用し、裏切るなら策の為に滅んでもらうだけだ。
「次に九郎左衛門(朝倉景紀)、新左衛門(山崎吉家)は海を渡り小松は今江城周辺を制圧せよ! ここは吉崎に対する兵糧補給の重要拠点。ここを落とすが今回の策の成否に関わる! 吉崎の北より徐々に一揆を排除し吉崎御坊に退去させよ」
小松は加賀国南端、吉崎御坊の北に位置する地方で生産力も高い地域だ。
一揆の戦力を分散させる意味合いもあるが、一向宗の人口も多く、生産拠点を抑えるのはこの作戦の肝となる。
南側だけ落としても、北が盤石では吉崎御坊は落とせない。
「はッ。お任せを」
「必ずや成功させまする!」
北側の指揮を任された朝倉景紀、山崎吉家の両者共に、今回の戦に懸ける意気込みは高い。
何せ、朝倉家の次世代を担う者と目されながら、朝倉宗滴が盤石過ぎて次世代と目されたままだった。
特に景紀は宗滴の実子。
今回の戦に賭ける思いは強い。
『のう新左衛門。ワシら、親父殿より先に死ぬんじゃないかな? 次世代と目されたまま』
『何を仰る。言うのも憚れますが宗滴様もご高齢ですぞ。面白き冗談ですなぁ。……ハハハ。何と言うか……ハハハ……お、お気を確かに……!?』
何せ、こんな笑うに笑えぬ日々を過ごしてきたのだ。
結局、宗滴より先に死ぬ事は無かったが、しかし宗滴は寿命で死ぬ間際まで戦い抜いた人生を送った為、お陰で景紀は57歳、吉家は42歳だ。
一応、本人達が卑屈に思う程に朝倉家中も民も朝倉景紀、山崎吉家の両者を侮ってはいないし、両者共に武功は十分。
何なら慕われている位だが、やはり英雄宗滴を超える事は叶わず、名を挙げる機会に飢えていただけに気合は十分だった。
「うむ。宗滴公すら苦慮した一向宗を我らで決着を付けるのだ!」
ただ、彼らが突出して悩んでいたが、大なり小なり延景含め朝倉家全員共通の密かな悩みであった。
朝倉家に所属する者は、皆、朝倉宗滴という太陽に照らされ続けた。
その目も眩む武功を頼もしく感じつつも、忸怩たる思いがあったのも事実。
「そうする事で、我らを選ぶ民も増えるだろう」
今までも朝倉家は一向一揆と対峙してきたが、あまり効果的な戦果が得られなかった。
村や拠点を制圧しても、あるいは降伏の後に許しても、後々必ず信徒は選んでしまう。
『浄土真宗か? 朝倉家か?』
究極の二択、と言う程に二択ではなかった。
聖地吉崎御坊が近いのに、朝倉家を選ぶ信徒は居なかった。
朝倉宗滴がどれだけ頑張って一時的に撃退しても、朝倉家単独で決着を付けられないもどかしさもあった。
もはや一国の力では対処できないのが北陸一向一揆。
攻めても逃げられ攻め切れぬもどかしい存在。
だが、今は朝倉家に同調し斎藤家、上杉家も一斉に動いてくれる。
禍根を断つに、二度と無い千載一遇の好機であった。
そこで選んだ戦略は信長の真似。
即ち長島の再現である。
これは朝倉宗滴が朝倉単独では無理と諦め、ならばどうすれば良いのかと頭を悩ませ、思い至ったのが信長の長島の戦い。
これを研究し、いつか来るべき時の為に延景に託した策である。
吉崎の地の周辺に北潟湖と大聖寺川がある。
吉崎を囲む天然の堀だ。
これを長島同様に、吉崎を孤立させ兵糧攻めに転じさせる。
ただし、長島程に水路が張り巡らされている訳ではない。
山間部も移動しようと思えばできる。
兵糧攻めを行うのに隙間が出来ていては意味がない。
その為には隙間なく制圧していかなければならない。
スピードよりも確実性が求められる戦略である。
かつて、信長の桶狭間の戦いの秘策であった大迂回戦略を研究し、即座にコピーして信長に一泡吹かせる事に成功した宗滴である。(78話参照)
戦略に著作権など無いので、真似る事に躊躇などしない。
優れたモノを恥も外聞も無く取り入れるのが朝倉宗滴の真骨頂だ。
「良し! 出陣する!」
この朝倉家の戦略。
その方針と、堀江の不透明な去就が功を奏した。
帰蝶が吉崎決戦に間に合ったのである。
【越前国/堀江館 朝倉軍】
結局堀江父子は、一向一揆についた。
最後通告の使者も無視され、取り付く島もない有様。
動きが鈍いのも病であるのも嘘で、時間を稼ぐ為の虚偽であった。
「堀江め。相当前から裏切る算段であった様だな」
堀江館は完全に籠城に耐えうる城へと変貌を遂げていた。
平地の平城ならぬ平館だが、竹田川に背後を守られ、またその川の水を館周辺にも遠し水堀が備えられている。
ただし、その改修は延景も承知はしていた。
何せこの地域は一揆最前線。
防御の為に改修を施したとて何もおかしくはない。
誤算だったのは改修が一揆対応ではなく、朝倉対応の為であっただけだ。
「上杉がこの拠点の防御を褒めておったが、ワシも褒めねばならんな!」
昨年、一向一揆対策として越前を訪れていた上杉政虎は、浅井久政と共に一機最前線を訪問し、周辺の状況を確認していた。(165話参照)
吉崎御坊にも近いこの地域の動きを肌で感じ、上杉家の方針の参考にする為に。
その時、この堀江館を訪問しており、その頑強さを褒めていたのだ。
『これなら一向宗の大軍に囲まれても、一乗谷からの救援は十分間に合うであろう』
それが今、上杉政虎お墨付きの防御力が、朝倉軍の前に立ちはだかる。
おそらく西谷城も大差無い規模の防御改修が施されているだろう。
「そうか。これは一揆側から資金や資材が流入されておるな? 厳しい監査をしておくべきだったか?」
延景としても決して監査をしていなかった訳ではないが、堀江に機嫌を損ねられ裏切られても困るので、手綱を緩めた監査となってしまった。
堀江家が土着の国人衆でもある為の処置であった。
「いえ、厳しかったら厳しかったで結局離反したかも知れませぬ。これはどう足掻いても必然の裏切りだったのでしょう」
「うむ。其方の言う事は最もだ。悔いた所で結局過ぎた事よな。後悔しても結果は変わらん。反省は後じゃ」
延景は頭を切り替える事が重要だと思い直した。
「フフフ。その考え方は嫌いではないぞ? 人質生活や中央の争乱で鍛えられた様じゃな?」
「はっ。誠に得難き経験をさせてもらいました」
延景と言葉を交わしていたのは浅井長政。
昨年、父の久政が延景の側近として栄転した為、不在となる浅井家当主の座に返り咲いた。
「うむ。期待しておるぞ」
実に、実に数奇な運命であった。
長政は最初に六角に人質とされ、織田に誘拐された。(70話参照)
その後、浅井に返還されたのも束の間(83話参照)、今度は将軍家に派遣される事になった。(86話参照)
将軍陣営として蠱毒計の中枢地で成長し、織田と戦った後に再度織田に捕らわれるも(149-1話参照)、今度は父久政が浅井当主から退く事となり浅井家に復帰する事になった。(165-2話、167-2話参照)
その長政が、満を持して浅井家代表として軍を率いる。
とは言え、その手勢は250人。
斎藤家にも250人を援軍として派遣しており、総勢500人は少なすぎるが、浅井家の地盤は北東近江を支配していた頃から75%も減じてしまっている。
周囲に奪える土地も無い事から、現状ではこれ以上の成長は望めない。
そんな中でも朝倉や斎藤から支援を受けて組織した500人の専門兵士たる親衛隊。
長政のこの戦にかける想いは誰よりも強かった。
「それにしても流石は堀江と言うべきか。見事な防御としか感想がでぬわ。流石は爺が認めた実力者よ」
朝倉宗滴にも認められた堀江景忠。
その治世も優秀で、一揆最前線の土地柄、政治を誤れば即座に民は一揆に流れる可能性もある地域。
その地を治めてきた実力は、朝倉家の中でもトップクラス。
戦も確かな実力の持ち主で、宗滴もその武威を当てにした程だ。
そんな堀江景忠と堀江館が、そっくりそのまま一揆軍の拠点となる。
朝倉延景にとっては頭の痛い話である―――ハズなのだが、今のところ悲壮感は無い。
何ならやる気に満ち溢れている。
朝倉家は延景が当主だが、後見人の宗滴が実質的な支配者だった。
朝倉宗滴亡き後の延景にとっての本当の意味での独り立ちの初陣。
帰蝶が斎藤家を継いで初の戦が今回なら、延景も今回が真の意味での総大将初陣となる。
「さて。どう攻めるのが後々に効いてくるか? 拘うのも程々にしておきたい所だが」
いくら強固だとしても、攻める手段はある。
しかし堀江館を攻略して終わりでもない。
その後が大事なので、後先考えない戦法は取れない。
「まぁここは定石に従うか。堀江が土着の国人ならば、名君ならばこの手段が最適よな。新九郎(浅井長政)に命じる。堀江館の城下を焼き払え」
「はっ!」
現代なら、軍事拠点以外を攻撃するのはご法度だが、戦国時代では立派な戦略の一つ。
しかも城下町や勢力下の村を焼き払う行為で非難されるのは、その土地を支配する者。
支配者の仕事は支配である。
焼き払われた責任は、この蛮行を許してしまった側にある。
ならば戦術の定石に従うのが当たり前で燃やすに限る。
閉じこもった敵は堀江館周辺で生活を営む者ばかり。
ここを攻撃されて黙っているつもりなら、遠慮なく燃やすだけだ。
土着の武士がこの蛮行を許すなら、国人としての意味はない。
『武者は犬ともいへ、畜生ともいへ、勝つことが本にて候』
容赦なく敵の急所を突くのが朝倉家の家訓である。
「右兵衛(朝倉景隆)! 孫三郎(朝倉景健)! 焼き討ちに反応した堀江を迎え撃つ! それぞれ両翼にて軍を展開し動きを注視せよ!」
「はッ! お任せを!」
「うむ。決して急ぐ侵攻ではないが、かと言って永遠に攻め倦むでは、今回の侵攻の意味がない。火攻めで炙り、飛び出してきた敵を丁寧に叩き、吉崎に追い払う。過剰な追撃は禁ずる。ゆくぞ!」
堀江景忠、景実親子が裏切ったのは痛いが、兵糧攻めの展開を考えるならば悪い事ばかりではない。
この地の住人が吉崎に逃げ込めば、それだけ兵糧の消費が早くなる。
こうして堀江館の城下は炎に包まれた。
元々住民の殆どは堀江館に避難しているので逃げ惑う民は少なかった。
ただただ家屋が燃えるだけの光景。
肌寒い今の時期には丁度いい塩梅だが、不気味な事に堀江館の兵が討って出る事は無かった。
「まさか出てこないとはな。うぅむ。全住民が館に籠っているとなると厄介だな。地域の規模からして2000弱か? 女子供も多かろうが4000で攻めるとなると手段は限られるな」
焼き討ちは挑発でもあるので、乗って来ないと朝倉軍としても肩透かしである。
強固な防御を誇ってしまっている堀江館。
城攻めには敵の3倍がセオリーで、2倍の朝倉延景軍では心許ない。
だが、延景は困って焦ってはいなかった。
困るのには違いないが、対策も考えていた。
朝倉宗滴直伝の、この地の特殊性ならではの悪質な策がある。
「ま、仕方あるまい。自業自得よな。よし―――」
「し、失礼致します!」
その策を実行しようとした矢先、側近が慌てて本陣に駆け込んできた。
「殿! 斎藤様がお越しになられてます!」
「サイトー? まさか美濃の斎藤殿か?」
「そのまさかで御座います! い、如何いたしましょうか?」
斎藤家は今頃飛騨を攻めているハズである。
この越前で、このタイミングで聞いて良い名ではない。
延景は何か不測の事態でも起きたのかと難しい顔をする。
「如何も何も通さぬ訳には行かぬだろう。ん? 斎藤様と言ったか? 斎藤家の人間ではなく本人か!?」
「ほ、本人に御座います!」
延景は側近の困惑に納得がいった。
「そりゃ驚くわな。よし! 会うぞ! 諸将には敵が飛び出してこないか注視しつつ待機を命じよ!」




