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信長Take3【コミカライズ連載中!】  作者: 松岡良佑
18.5章 永禄5年(1562年) 弘治8年(1562年)英傑への道
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173-2話 笹久根貞直 骨肉の争い

173話は2部構成です。

173-1話からご覧下さい。

【飛騨国北東部/風玉村への道中 真田軍】


 飛騨の山中を歩む真田軍。

 自然豊かな場所柄、本来は虫や鳥獣が住む領域なのだが、今はその気配は一切ない。

 その物々しい集団の接近に、鳴き声は止み、退避し、息を潜め通過を待つ。

 聞こえるのは兵と馬の息遣いと歩みの音、甲冑が擦れる音、馬の嘶きのみである。


 だから真田幸隆他、一部の者は異常に気が付いた。


「ッ!?」


 多数の空気を切り裂く音が迫る。

 最初に反応したのは、この軍の責任者の真田幸隆と随伴する武田信玄、信繁であった。


「敵襲!」


「頭を守れ!!」


 号令により緊張が走る。

 直後に天から矢が降り注ぎ、地面に突き刺さる。

 不運な兵が撃ち抜かれ倒れる。


「狙われたか! 山間の狭い路なれば絶好の奇襲箇所よな!」


 信玄の言う通り、この場所は風玉村に通じる山間の森に囲まれた道。

 奇襲の絶好条件が揃うは理解しているが、かと言って迂回路も存在せず通過せざるを得ない路。

 最悪な場所であった。

 一応は事前の山狩りにて警戒はするが、地に明るい者なら潜むも避けるも自由自在なのは明白で、警戒にも限度がある。


「殿! この場所は危険なれば強行突破します!」


 矢が撃ち込まれたが、射撃地点がが分からない。

 側面の森に目を向けるも、木々が邪魔で射線が通っていない。

 ならば超至近距離かとも思うが、地面に突き刺さる矢はほぼ垂直。

 上空からの射撃に違いない。

 十分距離をとっての森上空を通過してきた、決して反撃が届かぬ攻撃であった。


「うむ。森も鬱蒼として反撃も出来ぬ。さっさと抜けるに限るわ」


 ここに留まっては座して死を待つも同然だ。

 幸隆の進言通り、信玄も脱出を認めた。


「先行する本願寺の者共は交渉に失敗したのでしょうか?」


 馬上の信繁が、謎の襲撃者を目的地の民だと推測した。


「本願寺の者共と別れたのはつい先ほど。交渉どころか到着すらしておらぬだろう。ならば山賊の類か? いや、山賊が2000の軍勢に攻撃を仕掛けるのもありえぬか。いずれにしても……ッ!? 待て!!」


 突如信玄は馬の手綱を手繰り寄せる。

 お陰で馬は前足を跳ね上げるも、信玄は馬をコントロールして落ち着かせる。


「全軍停止せよ!! 弾正(真田幸隆)!!」


「はッ! 何事で!?」


「駄目だ! 急ぐな! 先ほどの矢の襲撃、最初の一射で後続が無い! これは誘いだ! ここは留まるが吉ぞ!」


「は、ハッ! 停止して警戒せよ!」


 幸隆の号令が全体に伝わり真田軍は停止した。


「た、確かに第2射は無し。しかし余りにも素早き判断ですな。何か経験がお有りで?」


 幸隆は信玄の操る馬に寄せつつ尋ねた。

 幸隆も今の攻撃が陽動だとは理解したが、ここまで素早い判断は智に自信がある己でもできない。

 ならば、この判断は経験の成せる技だと推測する。


「あぁ。昔の話だが親父殿の戦法と似ていると思ってな。奇襲で脅して、慌てて逃げた敵を一網打尽。戦術としては別に珍しくもないが、親父殿は抜群にその『間』を謀るのが上手かった。褒めるのも癪じゃが見事な手腕じゃったわ」


「確かに、親父殿の得意戦法でしたな」


 信繁も思い出したのか、信虎から可愛がってもらった記憶を掘り起こす。

 信虎による甲斐統一戦争は、小勢力同士の農閑期による一定期間内の戦が主だ。

 兵を失えば生産力も失う常時背水の陣を強いられる以上、数の圧殺など不可能なので自然と策や戦法が磨かれる。

 そんな信虎の妙技を信玄、信繁兄弟は思い出した。


「今頃どうしているでしょうな?」


「さぁな。あんなクソ親父、ワシも再会したとて何を語るべきか困るわ」


 信虎は今川家に向かっている最中に甲斐から締め出され、そのまま追放された。

 天文10年(1541年)の時である。

 仕方なく今川家にて寓居する事になるが、信友を授かる位には悠々自適で、一説では義元の御舅殿として今川家の中でもかなり高い地位にいたとも言われる。


 ここまでが史実の話で、今は別次元の歴史。


 歴史の変化が信虎に転機を与えたのか、何の因果か今川家から織田家に移る事になる。(117話、外伝28話参照)

 その後は武田の飛騨侵略を妨害すべく、信長、宗滴と共に撤退戦で功績を挙げた(123話参照)


「向こうも同じであろうよ。親父もワシの顔など……親父……ッ!」


 そんな過去の出来事を思い出した信玄は、とんでもない可能性について思い至ってしまった。


「まさか!? 親父がいるのか!?」


 その言葉を切っ掛けに、信玄の脳裏に飛騨、深志の戦いが呼び起こされる。

 あの織田軍を追撃するも、謎の大爆発が発生し追撃の機先を制された苦い思い出が。


 この時、一つ不可解な事があった。

 織田軍から信虎の軍旗が出現したのである。


 信長の用意した焙烙玉の大爆発後、信虎の旗の出現に動揺し、まんまと逃走を許してしまった。

 ただし、本人確認が出来た訳ではない。

 その後は当時の長尾景虎のナメた戦略に激怒し、信虎の旗の件はそれっきりとなっていた。


 結局アレは織田の小賢しい動揺作戦であって、信虎の事は半信半疑にもならない程、頭の隅に追いやられて以来、すっかり忘れていた。


「親父は姿を消したと義元から報告があったな?」


「ありましたな」


 本当は信虎の織田行きの要請に、義元が応じたのが真相だ。

 ただ、武田に対し馬鹿正直に織田への紹介状を書いたとは言えない。

 逐電して行方不明なのが今川家の公式スタンスだ。 


「親父も残り少ない余生じゃ。探し回るのも意味がない。そう思って放置していたが、禍根を絶たなかったワシの責任か……!」


「ならば親父殿は織田と組んだと?」


「お、お待ち下さい! それの意味する所は織田の重大な約定違反となりましょうぞ!?」


 幸隆の言う通り、これは大な外交問題だ。


「いや、それは難しいな」


 だが信玄は否定した。

 しかし『約定違反ではない』との意味ではない。


「もしそうなら織田に対し文句を言えるが、織田も当然把握しておろう。『織田家からも姿を消した』とでも言われればそれまでよ。それに……いや何でもない」


 所属している武将の行動の責任は監督者の責任でもあるが、信玄は大名の立場だから知っている。

 そんなモノはどうとでも処理できてしまう。


 さらに信玄は勘違いもしている。

 もう信虎は斎藤家の所属。

 何なら信虎が捕まった場合も想定し斎藤家からも離脱した事になっているので、織田家にクレームを入れた所で意味不明。


 だが、そんな些細な事以上にどうにもならない問題がある。

 それは晴信が今、口に出しかけ言い淀んだ事。


(『織田には逆らえん』などと言えるか!)


 仮に織田家が弱小大名なら、信虎の件で責め立てて侵略の口実とするが、この歴史の現時点では武田は織田に勝っている部分が無い。

 難癖付けて婚姻同盟を破棄されると困るのは武田なのだ。


 今は我慢の時。

 信虎の件を理由に織田を潰すのは、北陸を手に入れるまで我慢なのである。

 それに重要な事にも思い至った。


「だが、そもそもの問題として『この攻撃が親父と似てるから』などとそんな理由で断定するのがどうかしている。こんな戦法は世に溢れておろう。……自分で言い出しておいて何だがな」


 織田との差に怒りつつも幾分冷静になったのか、晴信は信虎の可能性を一旦退けた。


「そ、それもそうですな。しかし事実だった場合を考えるのは必要かと」


 信繁も兄の意見には最もだと思い至るが、一方で可能性を完全除外する訳にはいかない。

 あらゆる可能性を考慮してこそ信玄の右腕であり腹心なのだ。


「そうだな。だが仮に本当に親父だったとしても、その時は戦って倒すだけだ。そこに慈悲はない。追放で済ませた慈悲を拒否するなら討ち取るのみ」


「わかりました。仕方ありますまい」


 信繁も覚悟を決めた。

 戦国時代は親兄弟で争うのが当たり前。

 一度は己を可愛がってくれた父を、兄と共謀して追放したのだ。

 再度父に反逆するなど、一度経験した事である以上、躊躇はしない。


「うむ。だが何れにしても、この戦法の先に罠があるのは間違いない。兵を山に入れて襲撃者が居ないのを確認させよ。それに合わせ全軍安全地帯まで後退だ。伝令!」


「はっ!」


「信濃の太郎(義信)に伝えよ。北信濃を睨んでいる兵から追加で3000寄越すようにな。これで親父が居ようが居まいが関係ない。あとは本願寺の者共の交渉結果次第だな」


 思わぬ戦法に遭遇したお陰で、懐かしくも憎い父の影を見た信玄。

 本人かは不明だが一抹の不安を覚えたのも事実だが、即座に不安を払拭するべく万全の手を打つのであった。



【飛騨国北東部/風玉(かぜたま)村 光念寺 一向一揆軍】


 前回の岩魚(いわな)村同様、真田軍を遠ざけての交渉に向かう本願寺の下間頼照と証恵、蜂屋貞次の本願寺一行。

 彼らは少人数が仇になり囚われていた。


「き、貴様ら! 我らは本願寺本家から参ったと言っておろう!? 書状を見せた通り、あれこそは本願寺法主顕如上人の物! 我等は正真正銘本願寺よりの使いであるぞ!?」


 頼照が唾を飛ばしながら怒鳴る。

 頼照らは後ろ手に縛られ床几に座らされていた。


 不審者を捕縛したのに床几に座らすなど、非礼と礼儀の矛盾に見えなくもないが、足がこの床几に縛られており、手の縄を外した所で容易に逃走出来ぬようにしてあるだけだ。


 一応、刃物の類は取り上げてあるが、どうせ隠し持っているのも間違いない。

 ならば、不自由な個所を増やし、仮に脱出を試みたとて手間取っている間に再捕縛するだけである。

 しかも、3人同時に逃げられなければ残りの2人が殺されるだけで、動くに動けない状態だった。


「そう言われましてもな? 我らは顕如上人の直筆書状を貴殿らが持参したソレ以外に知らぬのですよ。確認する術が無いのに『信じよ』と言われても困る。我ら浄土真宗の門徒の結束を揺るがす敵の策略かも知れぬ。勿論本物だったら申し訳ないが、こちらの事情も理解して頂けると助かるのだが?」


 若い声の武士らしき風体の男が答えた。

 この一団のリーダーなのだろう。

 腕を組んだ姿は風格が漂う。

 農民とは違い、育ちの良さも伺える。

 一揆に参加する土着の武士なのだろうが、面頬や甲冑に覆われていて、それ以上の分析は出来なかった。


「な、ならば話を聞いて欲しい! 確かにその理由とお主等の立場となれば、この無礼も理解は出来るが、我らも別に害を為そうとは思っておらぬのは話を聞いてもらえれば理解できる! 我らはお主等を救いに来たのだ!」


 頼照としても、確かに身分の証明が難しいのは理解している。

 書状だけで信じろ、とは虫が良いのも理解している。

 だからこその証恵による説法なのだ。

 本家本元で学んだ証恵と頼照の言葉の重みを流言扇動と同じレベルで語られては困る。

 話せば必ず納得させられる自信がある。


「残念だが聞けぬ」


 だが、そんな期待を若武者は鰾膠(にべ)も無く却下した。


「お主等を問答無用で捕縛したのには理由がある。実は既に何人か本願寺本家からの伝令と偽った使者が来ていてな? その者らはすぐにボロを出して、ホレ。そこを見よ。そこの盛り上がった土があろう?」


「土?」


 若武者が顎で示した先には、いくつかの盛り土があった。


「その下で眠っておるよ」


「ッ!!」


「お主等が本物だと確定するまで縄を外す訳には行かぬ。むしろ、余計な事をしゃべると後3つ余計な盛り土を作らねばならぬ。本物であれば殺したくはない。だから黙っている方が良かろう。これはお主らの安全確保と善意の配慮なのだよ」


「善意!? では証明する! この村に向かう道中で真田軍が待機しておる! 勘違いするでないぞ!? この村を攻める為に随伴しているのではない! 北陸からの解放が目的! その真田家なら我らの身分を保証してくれる!」


「真田家? やはりな。武田家傘下の真田家か」


 若武者は大きく息を吐いて、腕を組みかえた。


「た、武……その真田家だ!」


「入手した情報は誠であったか」


 不意に頼照の背後から声がする。


「ッ!?」


 床几に縛り付けられているので振り返っての確認はできないが、声からして老年なのは伝わった。


「父上! ご無事でしたか! 首尾は如何でしたか?」


 若武者が現れた老年の武者を父と呼ぶ。


「引っ掛からなかったわ。あのまま奴らが飛び出して来たら一網打尽だったのだがな。流石なのか臆病なのか分らぬわ。しかし来ないのならそれはそれで好都合。その間にやる事をやらせて貰うまでよ」


 やはり面頬で素肌が隠れ判断し辛いが、頭髪や目元周辺の皮膚、声からして老年なのは間違いなかった。

 その老年の目がギョロリと動き、頼照らを一瞥した。

 その迫力ある眼光が頼照らを貫く。


「どっこいしょっと。ふう! 老人に山道は堪えるのう! さてと? ようこそ本願寺の方々、と思わしき方々。拙者は笹久根貞直と申す者。こ奴は子の直基」


 老武士は床几に腰かけると一息ついた。

 さっきまで本願寺一向に対応していたのは直基こと信友であった。

 対して、たった今現れた貞直こと信虎は、真田軍相手に奇襲を仕掛ける作戦を取ると同時に退却し、この地で一網打尽にするべく待ち構えたが、残念ながら不発に終わり落胆していた。


「察するに、一揆に対し交渉に参ったのですかな?」


「し、信じて頂けるので?」


 直基とは違い親近感ある声だ。

 やっと話の通じそうな相手が出現したことに頼照は喜ぶ。


「信じますとも。武田信玄率いる真田軍と共に参ったのでしょう?」


 しかし嫌味たっぷりの貞直の言葉に頼照の顔は引きつった。


「しかし、真偽どちらであろうと縄を解く訳にはいかぬなぁ。本物なら猶更じゃのう」


「な、何故!?」


「直基から聞いておらんか? お主等の安全の為じゃよ」


「安全!? そ、それは聞きましたが、この状態が安全とは……!?」


 現在、頼照らは雁字搦めに捕らえられており、今以上の風前の灯な場面は無いと思うが、これを安全と(のたま)う貞直の意図が分からない。


「ワシ等は元は武田家臣。追放されて今の境遇になっとる訳じゃが、その元家臣がこうして妨害に当たる。言いたい事は分かるかのう?」


 貞直こと信虎は設定上の身の上話をする。

 だが、事実も含んだ設定なので、真実味は段違いだ。

 頼照には信じる他なかった。


「ッ!! の、後の統治者が武田だと触れ回ったと!?」


 頼照は考えうる最悪のパターンを考え、しかし、その正解を容易に導き出した。

 自分達も気を使っていた急所だったのだから、導き出すのに苦労は無い。


「ご明察じゃのう。もう村の連中は武田軍が来ると怯え怒っている。飛騨にも轟く武田の悪政が自分達を苦しめに来る。団結を旨とする浄土真宗の門徒として、何の為に北陸の一向一揆が勃発したのかと思えば当然の反応よな」


「何と言う事を! その為に民を蜂起させたと!? この80年、民は血を流しすぎなのだ! 何故扇動する!?」


 頼照は憤慨する。

 武田が真の支配者とバレることに対する負い目もあるが、それは武田に対し本願寺からまっとうな政治を要求して未然に防ぐ算段だ。

 その上で、とにかく民を戦から解放したい頼照ら本願寺の思惑から外れに外れる貞直のお節介には、憤慨するのも当然だろう。


「血を流しすぎか。その血を最初に流させたのは何処の誰かかのう?」


 信虎も沢彦の説法を聞いている。

 原因がどこにあるか高いレベルで知っている。

 一揆を利用し弾圧した富樫氏が悪いのか、それとも富樫氏に協力してしまった一揆が悪いのか?

 もはや鶏が先か卵が先かの如くの問題だが、信虎は問題の本質の一端を掴んでいる。

 含みを持たせて言葉を返すのは造作もない。


「クッ! そ、それは!」


 頼照としても原因は富樫家だと答えたいが、富樫家を倒してなお収まらない一揆の現状、断定は出来なかった。


「それにワシらは戦えと煽った訳ではない。逃げる道、従う道、戦う道、色々提示した中で民が選んだ道なのじゃ。ならばこれは民の意思。北陸で血を流して勝ち取った権利を、今一度守ると民が決めたのじゃよ」


「……ッ!」


 民の決意との言葉に、本願寺が原因の一端でもある事を、改めて頼照らは思い知り絶句した。


「そんな中、お主等ノコノコと民の前に姿を現そうモノなら袋叩きの目にあっていたであろうよ。良かったのう。周囲にいるのが理性あるワシの郎党で。直基の配慮に感謝して欲しいモノよ。民に身分を明かしては命が無かったぞ?」


 誤解の部分もあるが、もはや民も聞く耳持たない状態なのは明白だった。


 なお、この本願寺の者を殺させない信虎なりの配慮は嘘だ。

 民に本願寺本家の者と接触させないが為の嘘。

 横の盛り土も、本当に土を盛っただけの脅しの為の盛り土に過ぎない。

 何か埋まっているなら昆虫の幼虫ぐらいだろう。


 証恵や頼照の言葉を信じてしまえば、この後の対武田作戦に民を使えなくなってしまう。

 そうでなくとも、是紹とは僧侶同士、しかも本願寺系列でしか理解できぬ内容の話をされては、本物だと簡単に証明できてしまう。

 ギリギリ一歩先に到着した信虎らの勝ちであった。


「頼む! いやお頼み致す! それでも! どうか民に無用な血を流させないで下され!」


 万策尽きた頼照は頭を下げた。

 それに続いて証恵、蜂屋貞次も続く。

 両手両足を縛られ、しかも床几にも縛り付けられている為に不格好だが、民や寺院に対する説得が叶わない以上、もう頼み込むしか手段がない。


「……お主等、聞いていた本願寺の者とは随分印象が異なるのう?」


 名前も身分も、捕縛した理由すら嘘の信虎達だが、今の言葉は正直な本心だった。


「直基、どう思う?」


「拙者も少々驚きました。長島や一部の暴徒と化した造悪無碍(ぞうあくむげ)を信条とする者とは違いますな」


 長島との言葉に証恵が反応するが、言葉には出さなかった。

 ただ、渋面で俯くだけである。


「この戦国の世に似つかわしくない高潔な心掛け。ひょっとしたら本当に本願寺本家からの使者かもしれませぬな」


 証恵の態度には気が付かなかった直基は話を続けた。

 直基は一応正体を疑っている体なので、偽物かもしれない考えに揺らぎが生じた風に演じる。

 直基が全く話が通じなかったのは、誰であろうと偽物と決めつける役割を演じていたにすぎない。

 今、考えが揺らいだのは本心も含むが飽くまで予定調和。


 中々の演技者なのは信長と帰蝶に接したお陰であるのは別の話である。


「ある種の信念は確かに感じます。民に血を流させたくないのは本心かも知れませぬ。我らの作戦には邪魔ですが、だからと言って殺しては本願寺本家の怒りを買うだけ。本物なら。どうでしょう? 南から進軍しているという斎藤に送還しては?」


「なっ……」


 直基が信じかけたと思ったら、とんでもない提案をしだした事に頼照は驚く。

 北陸に行きたいのに斎藤家に寄り道している暇は無い、と言うより斎藤家と相容れられる部分が無い。


「斎藤は武田と結んでいると聞くぞ?」


 貞直が知らないフリをして疑問を呈する。


「なおさら丁度良いではないですか。本願寺としては北陸の安寧を望んでいるのでしょう? それを補佐するのが武田か斎藤かの違い。ならばどちらでも良いのでは?」


「そ、それは困る!」


「ふむ? 何がどう困る?」


 何がも何も、信虎も信友も全て把握しているが、馬場虎貞配下の笹久根一族の立場を演じる以上、疑問として聞いた。


「本願寺としては飛騨統治を武田に任せると認めた! もちろん、其方らの言う悪政には我ら本願寺が目を光らせ両者が暴走しないように対処する!」


「なるほど。民の生活を思いやるが故の対策か。分かった。ならばこちらが戦略を変えよう。伝令! 是紹殿に伝えよ。北陸に退くとな。武田との争いは避ける」


「はッ!」


 伝令は馬に飛び乗ると、光念寺に向けて走らせた。


「さて本願寺の方、かもしれない御三方。斎藤に行くのが嫌なら我らと共に北陸まで同行してもらおう。機会があれば説得も叶うだろう」


「わ、わかった……」


 本願寺として斎藤家に送られては任務の遂行が不可能になる。

 頼照は渋々条件を飲むが、これこそが信虎信友親子の狙い。

 斎藤家に送られる事を拒むなど百も承知。

 ならば一旦敢えて断らせ、武田から切り離し、望むがままに誘導するのが策略の神髄である。

 欲望溢れる甲斐を制した信虎の腕前は、全く鈍っていなかった。


「よし! 撤退に移れ! (まぁコレはコレで良かったのだろう。アレは戦えぬ)」


 ここから先、民を守りながら北陸に撤退するのは困難極まりない。

 その為に取った作戦の一つ目が、奇襲にて陽動し、予定通りこの場で一網打尽にする事だが、それは不発に終わった。

 ならば次の一手である。


 その一手とは、本願寺一行を人質に取り、武田の手出しを封じる事。

 本職の武士である武田家と、武田に恐怖する民では勝負にならない。


 信虎は光念寺に集まった民が戦えないと判断していた。

 必勝の奇襲ならともかく、正面切って衝突するなど出来ないと察した。


 良くも悪くも武田は劇薬だ。


 先ほど信虎は『民は武田軍が来ると怯え怒っている』と言ったが、実際は違う。

 民を扇動し武田に対し反感を植え付ける事には成功したが、ついでに恐怖も植え付けてしまった。

 兵として志願した2000も、信虎の檄に応えそれなりに戦意は高いが、一度痛撃を受ければ簡単に心折れ戦えない兵と化してしまうと信虎は見抜いた。


 逃げ道が塞がっているなら恐怖も力となるが、北陸に逃げる道がある以上、恐怖では戦えない。

 基本的に民は疲弊しており、更に青年男子は数少なく、女子供が数多い。

 山賊同然の武田軍に対して戦うには無理があった。

 散々半農兵を指揮してきた信虎だからこその洞察力であると同時に、戦うに不向きな恐怖も状況次第だと理解している。

 恐怖も逃げる力と転じれば驚異的な力となるからだ。


 従って先程の戦略変更は、本願寺の意向を聞いての変更ではない。

 奇襲が不発なら当然、成功しても撤退と最初から決めていた。

 行きがけの駄賃として『本願寺の意向に譲歩した』と恩を着せたに過ぎない。


 その上で万全を期した人質作戦だ。

 本願寺から援助を受けている武田の手前、人質となった頼照らを抱えた民を攻撃する事は出来ない。

 だが、使者を捕らえるなど外交としては恥ずべき行為。

 悪質な策であるが、汚名を被るのは馬場虎貞配下の笹久根貞直、直基なる、どことも繋がりの無い謎の親子。

 何も問題ない。


 本願寺一行が連行され十分距離をとったのを確認して、信友が口を開いた。


「これも予定通りの流れですな。結果的に一番民の損害を減らせる道となりましょう。まぁ一番の低損害は斎藤家に逃げ込む事でしたが、それは民が否定した以上自己責任。しかし……そこまで兄上を強く警戒しますか?」


「お前の兄は強い。認めるのも悔しいが、奴のその才は子供の頃より抜きんでておった。ワシは恐怖したよ。この戦国、子が親にとって代わるなどありふれておる。こ奴は、将来の敵だとワシは悟り、その通りとなってしまった」


 信玄に追い落とされた信虎であるが、口惜しさが滲み出るもどこか自慢気でもあった。


「だから奴と正面からぶつかるのは愚の骨頂。奇襲で仕留めるか、逃げて逃げて戦わないまま勝つのだ!」


「そこまで評価しますか。今だ顔も知らぬ兄上ですが、一度会ってみたいですな……」


「止めておけ。殺されるのがオチであろうよ。……いずれにしても、これで愚息はワシ以上の力を見せねば終わる。それだけだ」


 こうして撤退が決まった光念寺一揆軍を率いる武田信虎と、一度後退し援軍との合流を待つ真田軍を率いる武田信玄。

 撤退の刻を稼ぎたい信虎と、戦えば粉砕する力を集める信玄。

 彼らが無事北陸に逃げられるかは未知数だ。


「よし。殿と半兵衛殿(竹中重治)にも伝令だ。『順調だ。必ず武田の予定を挫いてみせる』、いや『挫いてみせた』とな」


 信虎のこの戦略は、既に一部成功している。

 当初の計画から斎藤家の戦略は、武田の侵略速度を落とし足を止める事。

 その為の手段として、本願寺に説得をさせず、統治者を武田と触れ回った。

 これらが成し遂げられたのなら、後は放っておいても武田は目的が叶えられない。

 ならば後の成果は行きがけの駄賃だ。

 ここから先は、憎い息子の悔しがる顔を思い浮かべる、信虎愉悦のボーナスタイム。


 信虎は先制攻撃を見事に成功させ邪悪に嗤うのであった。

信長Take3が7000pt & 300万pvを達成しました。

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