170-6話 シン・浄土真宗 繋力本願と歎異抄
170話は6部構成です。
170-1話からご覧下さい。
「死後の極楽は確定しているとは言え、今が辛すぎても死ぬまで耐えるしかない。そんな不条理は認められないのが浄土真宗の考えです」
「なんか聞いた事ある様な無い様な気がします……」
「この団結は本来、個々では権力者と渡り合えない弱き者を守る為の思想。それはそうでしょう。分散していては各個撃破されるのがオチです。力を持つ領主の横暴に対抗するには団結しかありません」
現代で言う、会社と労働組合の関係と例えるのが適切だろうか。
ただ、労働者の守護者たる労働組合が存在する会社でさえ滅茶苦茶な労働が蔓延るのだから、ブラック企業など言うまでもない。
ならば権利の概念すら無い戦国時代では考えるまでもない。
「北陸にて蓮如聖人が民の窮状を見かねて教えを広めました。何でも越前では、朝倉孝景の寺領横領で窮状を極めていました」
(この頃蓮如聖人は確か、延暦寺の迫害を受けていた頃だったな)
(そうですね。あの腐った延暦寺が今も幅を利かせているなど許しがたい……!)
この頃、本願寺は延暦寺の襲撃で破壊された。
延暦寺への上納金を拒否した蓮如は仏敵となっていたのだ。
悲観に暮れた蓮如は親鸞縁の北陸へ旅立ったとも、朝倉孝景に対する抗議として北陸へ赴いたとも言われ、その地で吉崎御坊を築いた。
「団結すれば権力者も話し合いに応じてくれる。その目論見は成功します。いえ、成功し過ぎてしまいました。その求心力に目を付けた権力者から内紛への支援を要請されたのです。言わば支配者との団結ですね。これが適切な関係でしたら良かった。しかし愚かな権力者は蓮如聖人の力を恐れ弾圧を開始してしまいます。ですが団結した我らは強い。その弾圧を跳ね返します」
当時の権力者富樫政親は蓮如を利用し、しかし恐れ弾圧した。
まさに狡兎死して走狗烹らるであろう。
しかし蓮如の起こした団結は、ただの走狗ではない。
団結にて極楽へと行くと信じる最強の走狗だ。
哀れ政親は、利用した勢力に滅ぼされてしまった。
だが、政親が恐れた理由は理解できる。
時宗全盛の時にそれを押し退けて、あっという間に浄土真宗を一大勢力にまで発展させてしまった、鬼才の布教家蓮如の力を不気味と恐れない権力者が果たしているだろうか?
きっと政親でなくとも結果は同じであっただろう。
現実世界でも労働組合の力が強すぎても会社は不健全になる。
とあるアメリカの大手自動車メーカーは労働組合の要求に逆らえず、却って経営を悪化させてしまったともいわれる。
「ある意味歴史的快挙であり不幸の始まりでもありましょう」
「で、では団結はしない方が良いのだと?」
権左は当然そう思う。
団結した結果が今なのだ。
多少キツくとも江間家の支配の方が何倍もマシだったのだ。
後悔しても遅いが、ただ、団結を失えばそれはそれで生きてはいけない。
もはや飛騨には地域の守護者がいないのだ。
「そうは言いません。我らは団結して今を守り、皆で極楽に行くのです。その基本姿勢は変わりませぬ。故に繋力本願。そして支配者と共に歩んでこその王法為本なのです」
「けーりきほんがん、おーほーいほん……」
知らぬ言葉だったのだろう。
権左は間抜け面でその言葉を口にした。
「何と! それを聞かせていないとは!」
「何たる事よ……!」
思わず頼照、頼廉も驚き声を上げる。
ここがあやふやでは一揆の意味が全く無いのだ。
「やはり北陸の僧は理念を失っていますね。団結で極楽に行く我らは繋力本願」
「繋がる力……」
「そう。繋がる力で阿弥陀如来の本願を為す。信徒と団結し繋がって極楽浄土に行くのです。自己を救い他者も救う。他者を救って己も救ってもらう。他人に施した情けは巡り巡って己に糧として帰ってくるのです。これは良い意味での因果応報とも言えましょう。この善行こそが浄土へ至る真髄なのです」
沢彦が予想で作った言葉の『縁力本願』は外れていたが、繋がりを重視した『繋力本願』ならば、言葉は違えど意味はほぼ同じ。
少なくとも浄土真宗の変質は当たっていた。
「それが繋力本願……。では、おーほーいほんとは何ですか?」
「説明しましょう。現世を離れた世界では仏法が基本です。当然ですね。阿弥陀如来を前にして仏法を無視するなど無法にも程があります。しかし、現世においては王法、つまり正しい法が基本です」
「領主が定めた法が基本? しかし、領主江馬様を倒してしまった今……それは叶いません」
「そうですね。しかし悔いる必要はありません。この地を支配していた江馬殿は誤った。悪法に従う道理はありません。しかし、その後に領主が不在となったが故に飛騨北陸では仏法で現世まで管理しようと考え崩壊したとも言えます」
労働組合が会社を潰してしまっては意味が無い。
支配者の仕事は支配だ。
言うまでもない。
支配とは決して贅沢三昧をしたり、民を苦しめる事を言うのではない。
その場合は支配ではなく単なる搾取だ。
支配とはコントロールであり、その中には訴訟や調停など諍いを未然に防ぎ、治安を維持し、領国の安定が仕事の大部分。
戦などは本来オマケだ。
だが、今の北陸は訴訟や調停、各種争い事まで仏法でコントロールしようとして失敗した。
欲にまみれた現世を、無欲の仏法でコントロール出来るハズも無し。
それを証恵は身に染みて知っている。
「ではどうしたら良いのでしょう?」
「その為に我らは本願寺本家から派遣されました。まずは大前提の正しい教えで其方らの認識を改めます。その後、本願寺が見込んだ武家にて正しく治めてもらう所存です」
「見込んだ武家? それは一体……?」
「……。それは選定中ですが、斎藤、朝倉、上杉にしろ他の勢力にしろ、絶対に弱者を虐げないと信頼に足る支配者を見つけてまいります。だからまずは心を落ち着け日々の生活を安定させなさい」
証恵は当然、頼照、頼廉も一瞬だけ顔が曇った。
これが彼らの悩み。
まさか近隣諸国に伝わる圧政の武田が後釜に座るとは口が裂けても言えない。
とてもじゃないが、今の武田はどんなに好意的に見ても正しい王法とは言えない。
そもそもが武家に不満を持った一揆勢なのだから、いきなり後釜が武田と告げるのは刺激が強すぎる。
武田家が新支配者など納得する訳が無い。
何せ臨時徴税を頻発する武田家だ。
この飛騨には武田領から逃げてきた民も多い。
故に、張本人の信玄や右腕たる信繁を、交渉に同席などさせられる訳もない。
一応、武田とは一揆内での税は周辺諸国並みに抑えるようにと顕如から条件が出されている。
信玄もそれは了承した。
だが、一揆勢がそれを信じるかは別問題。
故に前述の北条氏康や今川義元なら来て欲しいとは、こういう事である。
彼らの治世には実績がある。
北条は税を安くする事を国是としているし、今川も発展目覚ましく過剰な税を取る理由も無い。
(もし『誰が支配するのかと』問い詰められたら、やはり真田と答えるしかないか……?)
(それしか無いでしょう。武田軍ではなく、真田軍が今回の同行者。武田家は北信濃を伺っている体ですからな)
武田家は上杉家を牽制する為に、わざわざ影武者の信廉を信玄として、嫡男の義信までつけて飛騨行きを偽装し隠している。
信玄もその小細工は露呈はしていると見ているが、だからと言って信濃を伺わない理由もない。
何かしらの考え違いや圧力によるミスを誘発出来るかもしれないからだ。
だからこその真田軍だ。
真田家は武田家外様の従属大名。
信玄が真田軍を同行者に選んだのは偶然だが、この偶然を利用し真田独自の領土拡張作戦と強弁する事はできる。
「わかりました」
権左は一揆からの離脱を決意し、武器を納める事を決心し―――
「あっ、その誰かがまた我らを虐げた時はどうすれば……?」
「団結です。団結こそが真理であり救いです。王法為本は何が何でも支配者に従えとの意味ではありません。従えぬ程の悪法を掲げる勢力に遠慮はいりません。先も言った通り拙僧は長島で織田の弾圧を受けました―――」
証恵は説明する。
聞いているだけで吐き気を覚える餓鬼道と化した長島を。
「拙僧はまったくもって織田には従えず抗いましたが、抗わず唯々諾々と従っても、仏敵織田領には違う地獄が広がったでしょう。そうなってからでは遅い。団結して守るのです。無論、飛騨北陸がそうならない様に、武家の支配が再開しても我らが目を光らせ、王法から外れる前に問題を早期に摘み取る所存です」
「もう一つ聞いても良いですか?」
「構いませんよ。疑問を疑問のまま残しては飛騨北陸の鎮静化は叶いません」
「で、では、上人は織田に恨みは無いのですか? その恨みを晴らす為に、武力反抗の号令を掛けるのではないですか?」
(ッ!! ま、マズイ!! せっかく上手くまとまり掛けていたのに!)
(ここで長島の話はするべきでは無かったか!?)
頼照、頼廉の笑顔が引き攣る。
証恵の僧としての地位と学識は信頼しているが、対織田となると理性を失っても不思議ではない。
折角、武装解除が上手く行きそうなのに『再号令があり得る』は元の木阿弥になりかねない。
「……痛い所を突きますな」
「も、申し訳ありません……!!」
「良いのです。無い、とは申しませぬ。そもそも、拙僧がそんな事を言っても信じないでしょう?」
「えっ!? そ、それは、その……」
「先も言った通り王法為本。仮に織田が先の誤りを認め謝罪するなら、許す気持ちは芽生えております」
長島の惨劇から8年。
怒りも恨みもある。
ただ、証恵も配下の僧が誤った行動を取ったのは知っている。
それを差し引いても怒りはあるが、怒り続けるのも無理がある。
冷静になった部分も証恵には確かにあった。
(おぉ!? 許す!?)
(これは……!?)
頼照と頼廉は証恵の心情に驚いた。
冗談でもそんな言葉が出るとは思っていなかったのだ。
「わ、分かりました。失礼な事を聞いて申し訳ありません! 本願寺の意向に従い武器を捨てます」
「結構です。よくぞ決心してくれました」
こうして長い時間を掛けて村一つの武装解除が成功した。
まだまだ先は長く時間もかかるが、無血以上の成果を期待しては高望みが過ぎるだろう。
一方、先に村長の家を出ていた頼照と頼廉は小声で話し込んでいた。
(最後は焦ったが何とかなったな。知らぬが仏とは言え、さすがは長島の生き残りたる証恵上人か)
(そうですな。骨が折れる説得ですが。まさか『許す気持ちが芽生えている』と仰るとは思いませなんだ)
(そうだな。……だが『芽生えた気持ちが枯れた場合』には言及しなかったがな)
(そうですね。ただ、枯れた場合は王法が為されていないも同義)
そこが気になるところではあるが、その場合は信仰が侵された場合でもある。
それは王法為本とは程遠い状態であり、証恵の恨み関係なく、新浄土真宗の教義通り繋力本願にて団結し抵抗するのは確定している。
(ですが、今は王法に文句を言える状態でもありませぬ、故に当初の当初、蓮如聖人の思想さえ伝われば分かってくれましょう)
(嘘であってもか……だな)
(信ずれば極楽へ行くのは確定しています。その時、蓮如聖人と共に、開祖親鸞聖人には謝罪しましょう。わかってくれるハズです)
(そうだな……信頼すればこそ、我らの罪を許してくださる)
頼照と頼廉は極楽にいる親鸞と蓮如を思い、いつか訪れる贖罪の時を思うのだった。
「あ、あの……」
突如、頼照達に声が掛けられた。
親鸞や蓮如に対する思いの余韻に浸る間もない声掛けに頼照らは驚く。
「ん!? 村人ですか? 安心しなさ……」
「い、いえ、そうではなく、わ、ワシは北陸より派遣された伝令役にございます」
「……伝令役、のう。監視も兼ねてか?」
「うっ……その……」
「まぁよい。ならば聞いていたな? 我等は次の村へ向かう。お主はこの書状を携え、先回りし面会の場を整えるのだ」
頼照は顕如の書状を渡した。
こう言う事もあろうかと、顕如の書状は何通も作られていた。
事前に話が通り、しかも本願寺最高位の顕如の一揆停止命令なのだから、根回しがあるならその後の説得も楽になる。
スピードが重要なこの説得合戦で、これは大きいアドバンテージとなるだろう。
「は、はい、それはもう! で、ですがその前に、斎藤軍が既に動いています!」
斎藤軍が最初に訪れて説得した村から脱出した監視役は、この村に辿り着いていた。
雪深い信濃から進軍する武田に比べ、南方から進軍した斎藤軍の方が若干動きが早かったが故のタイミングであった。
「そうか。まぁそうだろうな」
斎藤軍が動いているのは最初から知っている。
軽んじる訳ではないが、予測の範囲内だ。
「問題はない。別に干戈を交える事も無い。報告だけ聞こう」
「で、では、あの……」
伝令の喉が上下に動く。
「どうした?」
「し、親鸞聖人は信じるだけで良いと言ったのは……本当ですか!?」
「……」
監視の予想外すぎる言葉に耐えられたのは、頼照も頼廉も修行を積んだ僧だからなのだろう。
「……斎藤はそんな事を吹聴しておるのか?」
「そうらしいです……!」
沢彦の説法を聞いた宿儺村の監視役は、役目を果たしつつも、心に楔を打ち込まれていたのだ。
余りに衝撃だったのか、つい、たどり着いたこの岩魚村で同じ役目の監視に言ってしまった。
頼照は後ろに回していた手を力一杯握り動揺を逃がす。
「信じるのは当然だ。その上で団結するのが浄土真宗。そこを間違えてはならぬ。一つを聞いて全てを理解できるほどに教義は甘くない。甘言に惑わされてはならぬぞ」
頼廉が迫力ある顔と正しい説法で自戒を促した。
「そ、そうですよね。驚きました! で、では次の村に先回りしておきます!」
監視役が十分な距離まで去るのを見届けて、頼照、頼廉が大きく息を吐いた。
(た、歎異抄が漏れておるのか!? 馬鹿な!?)
(あれは本願寺奥深くに隠匿されし書!! 漏れる訳がありませぬ!)
もし漏れていれば、一揆どころか本願寺にとっても非常事態である。
まさか沢彦の推論だとは夢にも思わない2人は焦りに焦る。
(クッ!! 刑部、お主はこの書状を持って、斎藤軍の進路先にある村に先回りするのだ)
(『斎藤軍が押し寄せるから退避せよ』と伝えよと? それも手ですが、そうすると斎藤軍は無人の野を行くが如く進軍しましょうぞ!)
(むっ! ……ならばどうする?)
(書状を持って先回りするのには同意します。しかし行先は本願寺系列の寺とします)
「(成程……。任せる)弥八郎!!」
頼照は遠くで控えていた本多正信を呼んだ。
「今より刑部と共に行動せよ。これより別行動とする!」
「は、はいッ!」
斎藤軍の進軍は予想通りだが、まさか教義を根本から覆す歎異抄の内容が斎藤軍に知られている驚愕の事実に本願寺一行は動いた。
「半蔵(渡辺守綱)!」
「はッ!」
「今より書状を認める。これを顕如上人に届け、答えを持って帰るのだ!」
内容は歎異抄が本願寺に現存するかの確認だ。
答えを持って帰る頃には盤面も相当に動いているだろうが、歎異抄が漏れている可能性がある以上、確認をしないで説得しては足元を掬われる可能性もある。
この世に一冊しかない歎異抄。
開祖親鸞の思想が秘められた歎異抄。
しかし、今の本願寺にとっては猛毒の如き歎異抄。
現存が確認できれば、斎藤家の説得は流言だと言い張れる。
「今川の港に本願寺の船がある。それを使って可能な限り急げ!」
「は、はいッ!」
頼照は指示を飛ばしつつ、頼廉が向かった次の村の更に先にある本願寺系列の寺と、本願寺本家の顕如を思い描くのであった。
恐らく1話の文字数としては、過去最長となった今回の話にお付き合い頂きありがとうございます。
散々くどい程に『宗教が絶対の世界』などとぬかす以上、一向一揆を語るとなると、どうしても今回の浄土系列の説明が必要でした。
なるべく単なる説明にならぬ様に、でも簡潔に説明するとなるとこれ以上は厳しい!
法然、親鸞、一遍、蓮如が主役の小説ならもうちょっと表現が変わったかもしれませんが、いずれにしても浄土系列で修行していない作者ではここが限界です。
なので、これが絶対正しいとは言いません。
色んな書物や情報を統合した松岡説に過ぎません。
何卒よろしくお願いします。




