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信長Take3【コミカライズ連載中!】  作者: 松岡良佑
18章 永禄5年(1562年) 弘治8年(1562年)英傑への道
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168-3話 武田再始動 人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり

168話は3部構成です。

168-1話からご覧下さい。

【近江国/岐阜城(安土城) 織田家】


「本願寺から武田への援助物資?」


 信長は武田信玄の計画を察知した。

 本願寺からの援助物資が駿河を通過して甲斐に運ばれるという事を、今川義元を通じて情報を手に入れていたのだ。

 ここでも極秘に今川家を配下に置いたのが効いていた。


 信長はこの情報から起こりうる可能性を考える。


(武田が何らかの行動を計画しているのは間違いない。だが、織田や斎藤に攻め寄せるのは幾らなんでもあるまい。つい先日、婚姻同盟を果たしたのだから、どんなに歴史がかわったとしても流石にこんな短期間では裏切れぬ。節操が無さ過ぎて信頼を失う。だがその上で本願寺からの支援を受けて何をする? ……可能性は一つしかあるまいな)


 信長は先日の織田武田の同盟締結を思いだす。

 史実では既に死んでいる武田信繁が会談の場にいた事を。

 そこから導き出される武田最大のイベントとなれば一つしかない。


《そうか。第4次の川中島が起きようとしておるのか? そこに史実にない本願寺の援助。中々の歴史改変よな。信濃の覇権に決着を付けるか?》


 昨年、唯一若狭湾の戦いを遠隔地に居ながら読み切った信長が、武田の行動を読み違えた。

 史実の知識を当てにしない信長だが、どんなに気を付けていても無意識に引き寄せられてしまう場合もある。

 その一つが川中島の戦いだ。

 信長をして、川中島の戦いは絶対に起きると無意識に決めつけてしまった。

 本願寺援助という歴史改変を察知してしまった、歴史を知るが故のデメリット。

 川中島の戦いとは、それほどまでに色々とインパクトの強い戦だったからだ。

 その川中島の当事者たる信玄が、まさか北陸に抜けたいとは見抜けなかった。


《最大の激戦といわれる第4次川中島の戦いですね。本来は去年でしたから、今年起きたとしても何ら不思議ではありませんねー》


 当然ながらファラージャも誤解する。

 川中島の戦いは当然、武田信玄本人も、現代に至るまでドラマや映画など創作で大人気の題材だ。

 歴史に詳しい者ほど、その呪縛に簡単に捕らわれる。


《うむ。その様だな》


 信長の様に同時代を生きたのであれば猶更だ。


《クックック! それにしても川中島か!》


 信長は笑い声が抑えられない。

 日本史に燦然と輝き後世に伝わる名勝負である川中島の戦い。

 確かに名勝負には違いない。

 だが、結果論になってしまうが、別に歴史の主流を動かした戦いではなく傍流も傍流だ。

 何なら信長の漁夫の利でしかない。

 故に信長の視点では、川中島の戦いは名勝負ではなく()()()


《助かる話よな! ハッハッハ!》


 強力な勢力である武田と上杉が、勝手に消耗してくれるのだから阻止する理由などない。

 信長にとって織田家にとって、それ程までに川中島は助かる戦いだ。

 史実でも上杉、武田共にどちらかが滅亡するでもなく、大損害を出しただけの戦い。

 どちらかが滅んでは倒した勢力が台頭するだけだが、結局痛み分けなので、信長にとっては最高の結果だ。


 後の豊臣秀吉が天下統一後、川中島の戦いを周囲が称賛する中『はかのいかぬ戦をしたものよ(無駄な戦)』と嘲笑したのも頷ける話である。


 故にこの歴史でも上杉と武田が消耗してくれるのは、大歓迎も大歓迎、熱烈大歓迎だ。


 珍しく心から大笑いした信長であったが、自然とその表情は元に戻る。

 元に戻って、更に険しく変貌する。


《だがまぁ……これだけ歴史が変わって、川中島だけ全てが史実通りの漁夫の利とはいかんよな。流石に都合が良過ぎる妄想か》


《そうですねー》


 妄想も何も大ハズレの予測の中で、外したなりに自制する信長。

 流石にそこまで能天気ではなかった。

 川中島の戦いが起きると決めつけてしまった中で、その結果までも楽観視はしなかった。


《お濃は朝倉上杉と結んで一向一揆の討伐を行うのだったな。三方から押しつぶす作戦なのに、上杉が離脱しては半端な結果に終わるやもしれん》


 楽観視出来ないのは、この問題もあったからだ。

 武田の北上にしろ、川中島の戦いが起きるにしろ、今このタイミングで武田が動くと、今年計画されている一向一揆を三方から潰す計画が崩れてしまうのである。

 連携が大事な戦いでこれは困る。


《それに武田に本願寺の力が加わる以上、互角の消耗を狙うならお濃を通じて上杉に教えるべきか?》


 上杉が一向一揆の対処に向かえば信濃は武田の手に落ちる。

 そうなると武田が一方的に成長する事になる。

 今となっては上杉が対武田の生贄だ。

 勢力に差が出るのは望ましくない。


《上杉が越中を手に入れれば信濃など失っても余裕で釣りが来るだろうが……。一向一揆の鎮静化は時が掛かる。越中がちゃんと勢力の土地として機能する間に武田が頭一つ抜けてしまうかもしれぬ。武田は三国同盟にて背後は強固。上杉も一向一揆に目を向けておる。武田としてこれ以上の好機はあるまい。……よし!》


 信長は予測の外れた心配で頭を使い、結局、情報を帰蝶に伝える事に決めた。

 その情報を帰蝶が上杉に伝える判断をするならそれでいい。

 伝えなくても別にいい。

 状況がどう転ぶかは未知数だ。

 ならば信長としては、いつでも動ける準備をするだけだ。


《それにしても、ついに第4次川中島ですか》


《武田信繁次第だろうが、痛手を被って武田がおとなしくなるのを祈るのみじゃ。できれば歴史改編で両者の主力が滅んでくれれば万々歳よ》


 信長は絶対起こりえない結果を期待する。

 武田と直接対峙する覚悟は済んでいるし、何ならこの歴史では一度は戦った。(13章参照)

 倒す手段も考えており、披露した一部である焙烙玉はちゃんと機能した。

 痛み分けではあるが、決して手も足も出なかった訳ではない。

 信長が異常に恐れているだけで、勢力的には武田などとうに上回っている。

 史実では避けに避けた対武田であるが、この歴史でなら勝てる可能性は十分ある。


 だが、どうしても都合の良い結果を望んでしまう。

 信長にとって、武田はそれ程までに嫌な相手であった。


《希望的観測が強すぎますねー》


《希望するのは勝手じゃろ! 別に本気でそうなるとは思っとらん。ちゃんとワシにとって最悪も想定するわ。その為にもファラ、武田信玄について教えよ》


《了解です。武田信玄は甲斐の虎として信長さんのライバルの一人でしたね》


《そうじゃな》


 ファラージャは信玄の生い立ちや川中島の戦い、その他の決戦を話し始めた。


《―――この様に強いのは周知の事実ですけど、治世も優秀で信玄堤などで河川を制御し国内生産量を高めました。金山を利用した甲州金にて貨幣経済を取り入れていたようです。領民には慕われていた様ですね。後のとく……いえ、これは違いました》


 ファラージャが徳川家康の名を出そうとして踏みとどまる。

 武田信玄は徳川家康に強く関わっている。

 信長が生きていた頃は当然、信玄も信長も死んだ後でもだ。

 戦国時代の最終勝者である神君家康を手玉に取った偉人として。

 流石に話せない内容なので、そこは濁して話を締めた。


《後世では理想の為政者として崇められていましたね。信長教では当然破壊神の使途ですけど、一定の人気はいつの時代もありまし……どうしました?》


 ファラージャは信長の様子がおかしいのに気が付く。


《い、今、何と言った!? 奴が……信玄が理想の為政者!? 領民に慕われている!? 何だ!? 後世の人間は税を取られ虐げられる事に喜びを感じておるのか!?》


 信長は驚愕の歴史的事実に腰を抜かした。

 今川義元が無能のバカ殿だと伝えられた時以来の衝撃を受けていた。(25話参照)


《えっ!?》


 一方ファラージャも驚く。

 武将の評価を貶める発言には何度も痛い目を見てきたので慎重に話す習慣が身につけられたが、今の武田信玄については高評価の話だったハズだ。

 それが、こうして驚かれた事に驚き、要因を考える。


《……その言い様ですと重税、という事ですか?》


《そうじゃ! 奴の治める地域は、恐らく日ノ本最悪の重税地域じゃぞ!?》


 武田信玄は名君である。

 そんな名君信玄が残したと言われる有名な一説がある。


『人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり』


 何よりも人を大切にした武田信玄らしい言葉だ。

 人を思うその政治から生み出された信玄堤は、水害を防ぎ生産向上させ甲斐国を豊かにした。

 更には、戦国時代の最終勝者にして、徳川武家政権の始祖たる神君家康を手玉に取る強さも相まって、江戸時代には武田家の戦略や治世、偉業をまとめた『甲陽軍鑑』がベストセラーとなる。


 それは徳川政権にとって信玄が神懸っていた方が都合が良かったからだ。

 神君家康を手玉に取ったのだから、信玄は優れていなければならない。

 まさに歴史は勝者の手によって作られ、滅んだ者を称え鎮魂する日本的好例だろう。


 故に信玄は戦国時代屈指の名君なのである―――


 だが、実際の武田家の統治形態は重税と過酷労役、厳罰の嵐であった。

 武田家は滅んだ家なので失われた書状が多いのだが、そんな中でも生き残った書状は『徴税』『銭不足』『逃散』『増税』『貧困』について数多い。


 実際、甲斐では信虎の時代から信玄を経て勝頼の代で滅びるまで、年々増税や臨時徴税が行われた。


 それ所か、税の前倒し納税は当然の如く度々行われ、納めるべき銭も『鐚銭(びたせん)』を認めず『精銭』しか許されなかった。

 鐚銭とは、欠けたり摩耗したりと、何らかの異常で貨幣の価値が損なわれている状態の銭。

 精銭は異常がない銭である。


 戦国時代の銭は中国からの輸入品が基本であるが、この時代、枯渇気味でもあった。

 故に、自然と鐚銭は増えていくのが当たり前の現象だ。

 現代の様に、破損や異常があれば交換してくれるサービスは無いから当然だ。


 各地の領主はこの鐚銭の扱いに悩む事になるのだが、信長はこの問題に対し鐚銭の使い方を定めた。

 精銭1枚1文として、軽微な損傷の銭は2枚で1文、破損の激しい銭は5枚で1文、といった具合に使い方を定め、領内の流通を確保した。


 一方、信玄は禁じた。

 奇しくも同じ時代のイギリスではトーマス・グレシャムが提言した『グレシャムの法則』があり、要約すると、かの有名な言である『悪貨は良貨を駆逐する』となる。


 もちろん信玄はグレシャムの法則など知る由も無いが、似た結論に至ったのだろう。


『鐚銭が蔓延るから甲斐の経済は不健全なのだ』と―――


 その結果、甲斐では鐚銭は駆逐された。

 だが同時に精銭も駆逐されてしまった。

 甲斐では『グレシャムの法則』は通用しなかった。


 甲斐では税金は精銭しか受け付けてもらえない。

 故に、必然的に銭は銭でも鉄クズに過ぎない銭しか領民の手元にはなく、加速度的に甲斐国からは精銭が姿を消した。

 精銭は手元に残しておかないと命に関わるからだ。


 これが甲斐国の銭や流通の大前提だ。


 その上で、例えば戦国時代の固定資産税とでも言うべき『棟別銭(むねべつせん)』。

 通常は年間50文~100文が相場であったらしい。

 一方、武田家の最終相場は200文であった。

 最低でも他地域の2倍である。


 だが、それだけではない。

 武田家の棟別銭は、廃屋や住居として適さない小屋、所有者不明の無人の空き家まで適応させてしまった。

 それらの棟別銭が納められなければ地獄の連帯責任で村の負担になる。

 現代で考えれば、己と何の血縁関係もない隣人の税を負担しろと言われたら暴動必至であろう。

 前述の通り納税には貴重な精銭が必須だ。


 だが、武田家はその悪法を断行した。

 天候に左右される米よりも、棟別銭は何にも左右されない計算できる収入だからだ。


 当たり前だがそんな悪法は領民にとってたまった物ではない。

 甲斐国では農民が度々逃げ出し、信玄の書状にもその旨が書かれた物がある。

 それ位の無茶苦茶な税制度を採用したのが武田家である。


 だがこれはまだ序の口だ。


 武田家の『過料銭(罰金)』制度は狂っている。

 とは言え、罪を犯したから罰金を科されるのは当然なのでそれは問題ない。

 その罰金が相場より高かろうと、そもそもが罪を犯さねば良いのだから別に問題はない。


 問題なのは実に些細な罪で罰金を科せられ、逆に重犯罪者は罰金で見逃してもらえた。

 当然、払えない者は磔にて処刑される―――だけならまだしも、本来罪人にかけるべき『過料銭』を領地全ての無実の民にまで課してしまう程だ。


 流石にこれは大問題だ。

 様々な臨時徴税による悪法は過去にも現在にも蔓延るが、無実の住民全員に罰金を科すなど流石に世界でも極めて稀な悪法だろう。

 さらには地下衆と呼ばれる生活困窮者にも容赦無く過料銭を課した。

 当時の甲斐国の様子を記した『妙法寺記』によれは『領民は大いに嘆いた』と記される。


 これら税の取り立ては苛烈だ。

 未納は許されず、逃げても地の果てまで追うと法度で決められ、最悪処刑までありえた。

 前述の『精銭を手元に残しておかないと命に関わる』とはこの事だ。

 当然、信玄の下には嘆願書が殺到するが、例外は認められなかった。

 だが信玄は血も涙もない訳ではない。


 甲陽軍艦にはこうある。


『棟別銭の免除は一切無い。しかし、逃散や死亡で負担する棟別銭が2倍になったならば申し出よ』


 2倍以上は払わなくて良い可能性を示すと共に、逆に言えば2倍以下では支払いは義務となる。

 これは戦や災害で、村壊滅のレベルなら漸く信玄の重い腰が上がる話だ。

 200文の2倍の400文。

 これは流石に無理だと納得してくれる様に、信玄には血も涙もある(?)。


 武田の税制を例えるに『なり振り構わない』の言葉がこれ程に合う事も無いだろう。


 これが武田家の真実。

 武田家の領地運営として、まず、土木工事をしなければ戦をする所の話ではなく、疲弊した国を立て直すべく重税で軍団を編成し、さらなる疲弊に陥る。

 究極の自転車操業こそが武田家の真髄であった。

 だからこそ、奪わなければ食えないのは当然であり、その強さもある意味当然であった。

 

 武田信玄はあと10年長生きしたら天下を取ったと言われる。

 だが、これでは20年長生きしても到底不可能と言わざるを得ない暴政だ。

 信玄が長生きすればするほど武田の領地は干上がって自滅しただろう。


 武田は勝頼が凋落させたと言われるが、とんでもない誤りで、最初から終わっていたと表現したほうが正しいかもしれない。


 誤解の無い様に述べるが、信玄は別にその集めた税で贅沢三昧をした訳ではない。

 その税を使って信玄堤に代表される土木工事を行い、戦費を賄い甲斐に足りない資源を奪い、寺社に寄進して戦勝祈願をさせ関係を築いた。

 必要な事に税金を集中させただけだ。

 この点だけは延暦寺等の、悪質な寺社勢力より全然マシであるのが救いか。

 集めた税で寺社に寄進とは無駄にも程があると思うかもしれないが、宗教が絶対の世界で戦勝祈願は必要経費でもあり、信玄は宗教と共に進む方針を取っているのだから何の無駄でもない。


 甲斐は究極的に貧しい。

 信虎から信玄、勝頼に至るまで、甲斐を地盤にする以上、苛烈な徴税しか手がなかったのだ。


 信玄の治世には汲むべき事情はあるが、残念ながらその政治に褒める所は無い。

 ただ一応、領内唯一の強みである豊富な金山を活用し『甲州金』という日本史上初の体系的に整備された貨幣を作った実績はある。

 ただし、その用途は贈答や領外必需品の購入が主で、苛烈な税制が改善された形跡も無いので領内庶民に流通する銭ではなかったのだろう。


 仁政の信玄と暴政の信長と誤解する人も多いが、真実は全くの逆だ。


 鐚銭の使い方を定めた信長と、禁じた信玄。

 関所を撤廃した信長と、関所を重要な収入源と定めた信玄。

 寺社の権益を奪った信長と、寺社を保護した信玄。

 過度な徴税を禁じた信長と、徹底的に毟り取った信玄。

 新しい秩序を作った信長と、旧来の秩序をなぞった信玄。

 富栄える織田領と、財政再建団体の足元にも及ばない武田領。

 2人の政治方針は水と油とでも言うべき正反対の局地であり、成果も雲泥の差となった。


『戦国時代の農民は戦に兵役に重税に略奪に虐げられる存在であった』


 歴史を学び始めると、そんな感想を一度は持った事がある人は多いと思う。

 ある意味正しいし、ある意味間違っているが、武田家に対するその感想は大正解であろう。


 だからこそ戦国最強軍団を作れたのだが、結局武田は、信玄が重要と説いた『人』に裏切られた。

 人は城、石垣、堀として機能せず、本来かけるべき情けも存在せず、武田は仇とみなされ滅んだ。


 それを信長は知っているからこそ、ファラージャからの後世の評価を聞いて、腰を抜かすほどに驚いたのだ。


《織田軍が甲斐に侵攻した時など、武田支配地の村々は喜んで織田に従属した程だぞ!? 『お願いだから織田で支配してくれ』と言われた時は、驚く他なかったわ! だが、武田の重税を思えば当然よな! 増税など国の破滅の兆候に他ならん! 本当に後世で崇められておるのか!? 信じられん!!》


 信長の支配する地域の税は極めて安い。

 支配地が恵まれているのも大きな要因だが、銭の流通を阻害する要因を徹底的に排除するのも信長の方針だ。

 だから権利や富を独占し、滅茶苦茶な金利で民から銭を毟り取る寺社は信長にとって害悪な存在なのだ。


《究極的に言うなら税など取らないのが理想! だが、それでは国として成り立たんから取り立てるが、過剰苛烈不必要無意味な税は発展の阻害にしかならん! 後世の人間が本当に信玄を理想と崇めているのならば、税に対して()()()過ぎんか!?》


《後世の人はマゾだったんですかねー……?》


《まぞ? 会話の流れから察するに被虐的という事か? 知らん言葉よな》


《あっ》


 二人は呑気に会話する。

 武田の税制はこの歴史でも苛烈圧政だ。

 何なら、今の武田は史実よりも厳しい現状なので、圧政も史実以上だ。

 しかもまた川中島の戦いが起きようとしている(と思っている)のだから、散々武田に苦しめられた信長としては呑気になるのも仕方ない話。


 だが、信長もまだ気が付いていない武田の北上作戦。

 北上作戦にも気づいていないのだから、当然もう一つの可能性も気が付いていない。


 この作戦が完遂され領地が外海に繋がった場合、武田伝統の圧政が改善される可能性に。

 ただし、史実では今川領を奪い取って海を手に入れても、徴税は苛烈になるばかりで治世に変化は見られなかった。

 その理由の一つ目は信長の貿易封鎖であろう。

 織田領より東側で鉄砲戦術が発展しなかったのは、信長が硝石や物資を独占したからだ。

 武田はこの封鎖に苦しめられた。

 二つ目は史実では政治に疎い、又は、徴税しか出来ない甲斐の事情で生きてきたのでは、減税など想像の範囲外だったのかもしれない。


 だがこの歴史では違う。

 変化の可能性がある。


 この歴史における信長の貿易封鎖は、堺を支配下に置けてないので完全ではないし、北陸側に抜けられては封鎖は難しい。

 さらにこの歴史では、信玄が『誰もがワシの眼となり耳となりうる人材』と評した精鋭家臣団が信長直轄地の近江を訪問した。

 信玄も自ら尾張経由で堺に渡り、摂津国本願寺まで赴いて近隣の地を見て回った。

 ならば、信長の政治のカラクリを解明し、世間の流通の仕組みを理解すれば武田領が化ける可能性もある。

 その化けた成果で、信玄に不足した『10年』を埋める強烈な歴史改変が起きるかもしれない。


《お主の失言は今に始まった話ではないが大丈夫か? 今までの失言は毒にも薬にもなっておらんが、そのうち致命的な失言をするんじゃないか? クックック!》


《だ、大丈夫……だと思います……》


《遠慮せずにどんどん失言してくれて構わんぞ?》


《だ、だめです!》


《ハハハ!》


 もちろん信長も本気で失言を期待しているのではない。

 川中島という久々の朗報に気を良くし、ファラージャを揶揄(からか)って束の間の余興を楽しんでいるだけだ。


 後に信長は、『何故川中島の戦いと決めつけてしまったのか!?』と後悔する事になる―――


挿絵(By みてみん)

お待たせしました。

これで本来1/31の時点で投稿したかった全てが投稿できました。


【謝罪】

今月より生活スタイルが少々変わる為、投稿頻度が落ちる可能性があります。

最低でも月一回は維持したいところですが、前回、今回の様に分割した話を期間を開けて投稿する事が頻発するかもしれません。

楽しみにして下さる方には申し訳ないですが、何卒よろしくお願いします。

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― 新着の感想 ―
甲斐国、そこまで重税だったとは知りませんでした•••
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