167-3話 若狭湾決戦後始末の顛末の結果の結末の行方の因果の余波の彼方 審判の間
167話は4部構成です。
167-1話からご覧下さい。
あけましておめでとうございます。
今年も信長Take3をよろしくお願いします。
遅くなりましたが本日(1/13)、年末にコロナに罹って投稿できなかった分を投稿します。
【岐阜城(史実名:安土城)/信長私室】
《それでだ。今からはこっちの方が都合が良い話だな?》
《確かにそうですね……! これから話す事は万が一にも漏れてはなりません!》
信長はテレパシーで帰蝶に話しかけた。
当然の備えとしてのテレパシーだが今の帰蝶の心情からして、信長の配慮は正しいと理解しつつも、まどろっこしくて仕方がない。
早く信長の真意を探らねば大変な事になるからだ。
《成程? それは、長慶との面談の深層部についてだな?》
《そうです! 三好殿は打ち明けてくれました。天皇を目指すと!》
信長の言葉がゆったりと遅い、と言うよりは、帰蝶の言葉が早すぎる。
心拍数の差が如実に表れていた。
《成程成程。ソレを聞いたか。ならばお主のその怒りは、天皇弑逆に対する遺憾の意か?》
《違います! 殿の考えが分からない事に対する遺憾の意です! 何故上総守を近衛殿下に直訴したのですか!?》
《成程のう。それが理由か》
憤慨する帰蝶に、まるで他人事の信長。
その態度に帰蝶は増々ヒートアップし、鼓動も早鐘が如く打ち鳴らされる。
《なっ!? 地名変更も野望あっての事なのでしょう!? 歴史上初めてのその行為は天皇家への挑戦そのもの! あと成程成程うるさいですよ!》
《ふぅむ。成程な。地名の変更の真意に気が付いたか》
《ッ!! き、気が付きましたよ! 徐々に外堀から天皇の権威を埋めるのが目的でもあったのでしょう!? それなのに親王任国の官位を直訴などしては本末転倒! 一足飛びにも程があります! 何の為の史上初の行為なのです!?》
《地名の変更か。別にワシが一番最初では無いぞ?》
《えっ》
《色々誤解があるようだな。のう親父殿? そうであろう?》
信長は5次元空間にいるであろう信秀に声を掛けた。
《確か塩畑を勝幡に変更しておりますな?》
《むっ……! ま、まぁ、な》
呼ばれた信秀は歯切れが悪い。
実は信長の前に地名変更をした人間はいる。
外ならぬ信長の父である信秀だった。
かつて信秀は塩幡の名を縁起が悪いとの理由で勝幡に変更した。
勝利の幡(旗)の勝幡と。
《じゃが、あれは厳密には地名ではなく城の名を変えただけでな? それに『しおばた』と『しょばた』じゃ。音もよう似とるじゃろ? ダジャレみたいな変更に過ぎん。塩畑の地に築いた塩畑城じゃが、『塩の畑』よりは『勝利の旗』の方が縁起がよかろう? あの時代は識字率も極端に低い時代だしな。ちょっとしたユーモアよ。それで城の名を変えたらそれが地域に浸透してしまったと言うのが真相だ》
妙に早口の信秀が理由を説明する。
この時代、日本の大多数を占める上流階級以外の人間の識字率は極端に低い。
言葉は通じても文字は通じない事が殆どだ。
《今思えば、この程度の猪口才な変更は恐らくありふれていたのではないか? 我らが知らんだけで。何せ通信手段が億年先のコチラと違い戦国時代ではNEWSになる事も無いしな。縁起を担ぐ変更などまぁまぁあったのではないか? その辺はどうなのだ皆の衆? 案外お主らもやっておるのではないか?》
《朝倉の支配する地を変更した事は無いのう》
朝倉宗滴が答えた。
越前朝倉の実質支配者だった宗滴ではあるが、そこまでの行為は行っていなかった。
《ワシも美濃を奪って権力を得ても、前世では思いつかなかった行為よのう》
斎藤道三が答えた。
やりたい放題やって美濃を奪った道三であはるが、そこまでの行為は行っていなかった。
《ワシは1回目ではやってないな。2回目で今浜を今龍に変更したが、そんな重大な事とは知らんかった》
斎藤義龍が答えた。
1回目では稲葉山を守り通したので当然岐阜など知る由もなく、2回目も信長に触発されての行為であった。
《拙僧も記憶にありませんな。ただ今川の殿も拙僧も地名変更の重大性には気が付いておりました。例えば我らが駿河の焼津は神話由来。仮に変更の必要性を感じたとしても変更は憚れますし、他の地であったとしても良し悪しの判断が付きませなんだ》
太原雪斎が答えた。
今川義元の師であり頭脳でもある雪斎だが、戦略として地名変更を採用する行為は行っていなかった。
《雪斎さん、焼津が神話由来とは何ですか?》
未来に蔓延る信長教の影響か、信長以外の神の存在の情報が極端に少ない1億年先の未来。
ファラージャも知らない話であった。
《はい。焼津とはですな―――》
焼津とは現在の静岡県にある地名でマグロ漁獲でも有名な地であるが、まず『津』とは、海岸、河口、船着き場、港、水辺、港町といった意味がある。
次に『焼』だが、これは日本武尊が、この『津』の地で草薙剣で草を刈り掃い火を付けて敵を撃退した神話に由来する。
だから『焼いた津』、即ち『焼津』である。
《―――とまぁ、これが由来と言われていますな。何せ日本武尊が武名を轟かせた地。コレを変更しようとは思いませんな》
実は『焼津』という地名が先で、何らかの理由で焼けた津に対し、後からそれに合わせた神話を作ったとの説もあるが、いずれにしても神話に関わる地名には違いない。
《そ、それは、焼津程の地名は武士的にも縁起が良いから変更する必要も無いだろう? しかしワシは塩の畑じゃし!?》
信秀が焦る。
《それはそうですが、他の地名も何らかの神話由来かもしれませぬ。我らが無知なだけで。それをウッカリ変更してはバチがあたりましょうぞ。……と、戦国時代に拙僧が誰ぞから相談を受けたら、こう答えていたでしょうな。実際、信長殿が那古野を人地と改めた時は、教えるべきかどうか悩みましたぞ? しかし知っていて敢えて変更したなら余計な御世話にもなりかねませんからな。今は静観して良かったと思っておりますぞ》
《フフフ。お主ら主従は知っているだろうとは思っておったわ。焦る顔も容易に想像つくのう。ハハハ! まぁ『うつけの策』の一環でもあった。教養ある家ほどワシを侮ってくれたであろうよ》
信長は予想通りだったと笑う。
地名変更は信長の言う通り教養ある人間程驚いたが、ただし、今川、北畠、当時の織田にいた足利義輝と細川晴元と、味方も動揺する策ではあった。
《あれは本当に心臓に悪かったと抗議しておきましょう。それで件の勝幡ですが、勝幡と塩畑は、案外、勝幡が先で、時代が進むにつれ訛って塩畑となり、改めて信秀殿が勝幡に偶然戻した。そんな可能性も否定できませぬな》
言葉の変化は何時の時代でも起こりうるものである。
読み方から、言葉の意味、漢字一つでも起源を遡るとトンデモ事実がある。
あるいは意味の誤用の方が主流となっている場合もある。
また、識字率の低い古代では口伝でしか伝える手段がない。
時代の変化で地名が変わったとしても何ら不思議ではない。
《そ、そうなのか? うむ! きっとそうじゃろう!? と、所で、誰も1回目では変更しておらんのか!? 本当か!? ワシが史上初って事か!? そんな事はあるまい!?》
信秀が喚く。
自分だけが罪を犯していたかも知れない事に驚く。
信秀はまぁまぁ勤皇家だった。
実は、信長と長慶の野望を聞いて正直気が気でない。
こうして5次元空間に復活し、宗教の束縛から解放されてなお『天皇の大権を侵そう』『侵しておけば良かった』などとは夢にも思わない。
それなのに、まさか自分が記録に残る地名変更の先駆者かもしれない事実に狼狽する。
ただ、泣こうが喚こうが、少なくとも確認の取れた他の4人はやっていない行為であった。
《まぁまぁ信秀殿。ご自身も仰られていたではありませんか。ダジャレであると。この程度の変更は記録に残っていないだけできっと他にも例はあるでしょう。……信長殿を除いて》
《そ、そうですな雪斎殿。オホン! 信長よ。地名変更については誰が先駆者か分らん。分らんのだ。いいな? だが、それでもお主が史上初の行為があるじゃろう。縁起とかそんな些細な事ではなく、野望を含ませた地名変更はお主しかおるまい。岐阜やら安土やら、それに人地もな!》
地名を変更する事に意義を見出している信長。
だからと言って変更するだけでは信秀の真似だ。
だから岐阜や安土の名称を捻り出した。
岐阜の『岐』は『岐山』、『阜』は『曲阜』を由来とし、『岐山』とは中国は周の時代、岐山を拠点に殷の国を滅ぼした縁起の良い地名であり、『曲阜』とは学問の祖、孔子が生まれた曲阜が由来で、それらを元に造られた『岐阜』は信長の野望と統治の方向性を強烈に匂わせる名前となった。
安土は『平安楽土』を由来とする。
安土という地名が元々あったとの説もあるが、京に存在する平安京に対抗する真の都の象徴として、改めて平安楽土から拝借した。
いざと言う時は『元々の地名ですよ?』と言い逃れもできる便利と野望を兼ね備えた地名だ。
人地は岐阜や安土に比べ随分おとなしいが、中国由来、宗教由来から脱却した、何にも由来しない地に足を付けた上での野望を含ませた名だ。
こんな思惑を含めた名称変更は、後にも先にも信長しかいない。
《ま、確かにな。そこまで意味を持たせた名前を付けた人間はワシも他に知らん。ならば一番か。スマンなお濃。そう言う訳でワシが史上初じゃ。先の発言は訂正しよう》
《なっ……!》
随分長い遠回りの末の信長の結論だが、信長のこの言い様に帰蝶は頭に血が上る。
いずれにしても地名の件は朝廷から抗議があれば知らなかったで済む話だが、もう一つはもう手遅れだ。
《ならば官位の直訴はどう説明するのです!? Take4に行きますか!?》
これがもう一つにして手遅れの事。
だが、信長は意に介さない。
《それも誤解があるのう? 別にワシは直訴していないぞ? 直訴したのは具教であってワシではない》
《……。えっ?》
《まぁ、からかっても仕方ないから順番に話そう。あれは延暦寺を偵察に行った時の事じゃ―――》
信長は説明した。
北畠具教が信長に無冠について苦言を呈し、それに対し、信長は上総守を要望した。(129話参照)
その後、具教は独自に動き、近衛前久に対し上総守の前段階である『弾正忠』を要請したが、この時、具教は前久に対し隠し事は危険と判断し、上総守の件も話してしまった。
これには信長も驚いた程だ。(140-1話参照)
《―――と言う訳じゃ》
《そ、そうだったんですか……ん?》
帰蝶は己も長慶も勘違いしていると今気が付いた。
心臓の鼓動が落ち着いていく。
急速に怒りが冷めていく。
《あ、あれ?》
しかし、その冷却も途中で止まった。
《でも、それを訂正や謝罪もしていないのですよね? そのままですよね?》
具教のフライングだったとしても、それを信長は正したりはしなかった。
《うむ。具教が近衛に告げていたのは驚いたが、これはこれで悪くない、と言うより、これが正しい手順だと考え直してな》
《な、何故です!?》
訂正が無ければ結果として直訴したも同然なのだ。
しかも信長は悪くはないと考えている。
だが、それは帰蝶にとっては悪いどころか最悪だ。
帰蝶の慌てふためき様に、信長は眉間に皺を寄せる。
《それに答える前にだ。お主、今、この場が長慶の面談の場と同じだと覚悟しておるのか?》
信長の心臓の鼓動が強く脈打ち、顔に赤みがさす。
《えっ》
突如、室内の気温がグンと下がり、信長から放出される殺気が刀を象り浮かび上がる―――かの様な錯覚を帰蝶も5次元にいる人間も感じ狼狽する。
《!?》
《行動を起こせば結果が伴う。戦で殺そうとする者は殺される覚悟もせねばならぬ。決して一方通行ではない。当然よのう?》
帰蝶は失念していた。
怒りの己が主導権を握っており、信長の間違いを正すつもりで乗り込んだ場であったが、信長からすれば全く逆だ。
共に転生して世を正す目的の為に動いていると信じていた帰蝶が、馬鹿な事を吐かしている。
だから信長ものらりくらりと逸らかし帰蝶の真意を探った。
探った上で、帰蝶に覚悟無しと断じた。
信長の失望が怒りに変わる。
《お主、ワシに怒りを叩きつけに来たのであろう? それなのに逆に叩きつけられる覚悟をしておらんかったのか?》
《……そ、それは……!》
図星であった。
己が正しいと信じており、まさか反論されるなど夢にも思わなかった。
帰蝶は己が正しいと思うあまり、その覚悟を忘れたまま信長に挑んでいた事を即座に察し狼狽する。
《そうか。まぁそうであろうな。さて、どうするかな……?》
帰蝶が信頼に値しなければ、信長が帰蝶を生かしておく理由はない。
帰蝶が長慶との面談で逆に討ち取る覚悟を見せた様に、信長だけが問い詰められる筋合いもないのだ。
《まず確認しておこう。長慶もお主も天皇を討伐するつもりか?》
《え!?》
信長の怒りに加え、その意外過ぎる言葉は、狼狽していた帰蝶の精神を容易く揺さぶった。
帰蝶の予測としては、信長は最終的には天皇を排除すると思っていた。
上総守を直訴したとしてもだ。
だが、信長のその言は『討伐しない』と言ったも同然だ。
《い、いえ、その役割は、京に閉じ込められた六角か、それとも蠱毒の壺に入った別の勢力か。いずれにしても我らは直接手は下しません。手を下すのは飽く迄も毒虫です!》
帰蝶は言い訳をするが如く言葉を発する。
本当なら天皇を滅ぼさない事を問い質したいが、何故か言い訳ばかりが口から飛び出してくる。
当初の怒りはすっかり消え失せ、完全に弁明する立場に収まってしまった。
《そうだな。蠱毒計の最上の結果は、毒虫同士の同士討ち。じゃがその結果、長慶が頂点に立った所で、これでは長慶天皇という平将門を生んで終わるだけじゃ。過去の失敗を繰り返してどうする?》
信長の視線が、熱を帯びて帰蝶を焼く。
しかし寒い。
寒くてたまらないと帰蝶は感じずにはいられない。
《平将門!? えっ? ち、違いますよ!?》
天皇に対抗した古の武将である平将門。
新皇を自称し2ヵ月で滅び、その壮絶な人生から日本最強怨霊の一角として君臨し、現代でもその首塚(将門塚)は丁寧かつ、慎重に扱わなければならぬ存在として奉られている。
己や長慶の方針が、そんな怨霊の化身に準えられるのは訳が分からない。
《別に平将門の様に天皇在任中に新たな皇を自称するわけではありません! それに直接弑する訳でもありません! そんな事をすれば拭い切れぬ悪名を被ってしまいます! それでは民の支持は得られますまい! だから蠱毒計が続いている訳で……!》
《確かに平将門と全く同じという訳ではない。直接滅ぼすのは毒虫の誰かかもしれん。だが、そんな小手先の変化で天皇家を滅ぼしてこの国の呪いが解けると思っておるのか?》
信長の視線が刃物に変貌し、帰蝶の失った右目に突き付けられる。
その明確な刃物を帰蝶は感じ取り体を硬直させる。
《こっ、小手先!? 呪い!?》
これだけ壮大な長慶の策を、小手先と断ずる信長に帰蝶は驚く。
呪いに関しては、もう訳が分からない。
帰蝶が戸惑っている内に、信長の身体から悍ましいまでの殺気を纏った武器の数々が浮き上がる。
こちらの方が呪いだと5次元にいる6人は思うが、口を挟める余地は無かった。
《そんな事をすれば、日ノ本は応仁など比較にならん未曽有の戦乱に突入するぞ? 長慶のやり方では千年、万年、億年の禍根を残すだけ。何故それが分からん? そんなザマでは斎藤との同盟は解消せねばなるまいな》
《解消!? えッ!? そんなザマ!?》
同盟解消との言葉も聞き捨てならないが、この信長の態度には訳が分からない。
《一体何を……ッ!?》
信長の殺気が刀に、槍に、矢弾になって帰蝶の体に襲い掛かる。
長慶の面談では実際に刀が抜かれて命を懸けた問答が行われたが、そんな実在の刀より恐ろしい信長の殺気による斬撃。
殺気で斬られたとて血の一滴も出ないだろうが、脳は間違いなく痛みを知覚するであろう攻撃に、帰蝶は死を覚悟する。
《……ッ!! ……!? あっ……?》
殺気の攻撃は完全に消失していた。
《と、偉そうな事をワシも言えぬがな》
先ほどまでの迫力はどこに行ったのか?
帰蝶が殺気に対し反撃しようと構えた所で、信長の覇気と殺気は霧散した。




