167-1話 若狭湾決戦後始末の顛末の結果の結末の行方の因果の余波の彼方 自由の帰蝶
167話は4部構成予定です。
167-1話からご覧下さい。
現在、新型コロナに罹ってしまい執筆がままなりません。
とはいえ、何の挨拶もせず年越しするのも寂しいので、せめて完成している部分だけでも先行投稿します。
残りは、コロナ完治後、1月の中旬までには投稿いたします。
申し訳ありませんが、暫くお待ち下さい。
【近江国/岐阜城(史実名:安土城) 織田家】
「殿! 殿は何処におられるか!?」
帰蝶は岐阜城(史実名:安土城)に到着するなり、怒鳴る―――までは行かなくとも、尋常ではない雰囲気を撒き散らしながら城内を闊歩する。
「ここじゃ。どうした? そんな一丁先(約109m)からでも察知できる修羅の気配を発揮されては下働きの者共が縮みあがってしまうぞ?」
「と、殿!」
信長は誰に帰蝶の到着報告を受けるでもなく、本当に気配を察知し自ら出迎えた。
「ワシを殿と呼ぶと言う事は、今は濃姫としての立場か?」
「い、いえ、そういう訳では……。つい癖が出てしまいました。コホン! ようやく戻り、いえ、訪問の運びとなりました。お待たせして申し訳ありません」
「フフフ。気に病む必要はないですぞ美濃守殿(帰蝶)」
美濃から始まった尾張、駿河、越前、摂津、阿波を巡る帰蝶の斎藤家就任挨拶旅。
その終点たる近江を訪問した帰蝶は、さっそく信長と対面する運びとなった。
「何やら言いたい事がある様ですが、今は家臣も待たせておりましてな。美濃守殿の斎藤家継承と、先触れの書状内容について決めた事を話さねばなりませぬ。どうしても先に、と言うのであれば家臣は待たせておくが如何されるか?」
「……いえ。織田殿の家臣を待たせるのも礼を失します。広間に行きましょう」
「では斎藤殿。こちらに。……勝手知ったる者を案内するのにも慣れんといかんなぁ。ハハハ!」
「そうですね」
(ふむ?)
ほぼ怒鳴り込んで来た上に、心ここに在らずの帰蝶の態度に、信長は色々察する。
《何かあったのじゃな?》
《えぇ、まぁ……》
立場の複雑さを楽しむ信長と、それ所ではない帰蝶。
信長もその激しい温度差は感じ取り、帰蝶ではなくファラージャだけに確認を取った。
《ま、何かあるとすれば長慶の面談しかあるまい。その感想を聞くのは後の楽しみとしておくか》
帰蝶が何について動揺しているかは、同じ面談を突破した信長は理解できる。
ただ、その動揺の結果、帰蝶の精神が明らかに悪い方向に傾いているのも理解できる。
だが信長は何ら恥じる事をした覚えはない。
何の為に自分たちが転生したのか考えれば、何も間違っていないと自信を持っている。
ソワソワと歩く帰蝶に対し、溢れる自信を持って歩みを進める信長であった。
【岐阜城(史実名:安土城)/広間】
「皆、待たせたな」
信長が当主の座に座り、その隣に帰蝶が座った。
「早速だが、まずは何をおいても帰蝶殿の斎藤家当主就任について説明せねばな」
今、この岐阜城(史実名:安土城)には近江に配属されている織田家の武将が勢揃いしていた。
去年、13代将軍陣営を滅ぼしたのを契機に、家臣の配置を大幅に変更し、一部は大名へと昇格させる驚愕の人事異動を行った織田家。(149-2話参照)
その驚愕の人事を木っ端微塵に吹き飛ばす、帰蝶の斎藤家継承人事である。
それが決まった直後から、帰蝶は各地を巡っていき、元の所属先である織田家では驚愕と共に、帰蝶本人からの説明を聞けず、お預け状態となった。
信長から説明はあるにはあったが、やはり本人の口から聞きたいのが人情であろう。
「先触れとして簡素な通達はしてある。ただ、斎藤家の事情は話しておらぬ。義兄上の事とかな」
「わかりました。それでは―――」
帰蝶は話した。
同盟国には義龍の病没につても話した。
特に関係をもたない国には当主交代だけを伝えた。
だが、織田家は同盟国の中でも最重要国であり、帰蝶が嫁いだ国であり、同じ理想に向かって進む相手だ。
織田家にとって、義龍はまるで知らぬ赤の他人ではない。
中には義龍と共に戦った者もいるだろう。
話せる事情は話さねば、誰も納得してくれないだろう。
義龍の死病から始まった朽木攻略作戦と、想定外の若狭湾の戦いと、龍興の完璧な判断の裏にあった焦りと失策、その果ての帰蝶の当主就任である事を語った。
多少、龍興の名誉の為に濁した部分もあるが、ほぼ真実を。
「―――その果ての、私の継承と相成りました」
帰蝶の長い説明が終わった。
ただ、長すぎてダレる事もない。
自分達が六角を相手に防衛戦をしている中、そんな驚天動地の事が起きているとは思いもよらなかったからだ。
むしろ、もっと詳細を聞きたいのが本音であった。
「そう言う訳だ。今後、斎藤殿がお濃として個人的にワシと関わる事があっても、斎藤家当主となった以上、織田家での役目を果たす事は無い。当然だ。例えばお濃独自の役目として尾張、伊勢、志摩の開発統括をしておったが、あの三国はもはや上役が居らんでも方針が狂う事はあるまい。なれば時々ワシが成果の確認をすれば良いだけだ。よってここに正式にお濃を役目から解任とする」
帰蝶は三国開発のプロジェクトリーダーとして発展のコントロールをしてきた。(87、88話参照)
その結果が願証寺討伐の成果に繋がった。
「他には、例えば戦でワシの指揮下に入る事はあっても、それは斎藤家の援軍として共に戦う立場じゃ。ワシは斎藤殿に命令できる立場ではなくなった。斎藤殿はワシの要請を全て断る事ができる。逆に斎藤殿がワシに要請する事もできる。同格の相手ならば当然の事じゃ」
「そうですね。寧ろ、これからは織田領と斎藤領の綿密な連携をする事になりましょう。この点だけは他のどの国より我らは有利です。夫婦でもあるのですから」
「そうだ。大前提として夫婦の間柄であるのは間違いない。離縁をする訳でもないのだ」
帰蝶の大名家継承も聞いた事が無い事例だが、更には夫婦も継続と言うのも聞いた事が無い。
離縁するのが当然と考える家臣も多かったのは事実だ。
信長はその空気を敏感に察した。
「分かっておる。お主等の懸念はよーーーく分かっておる。だが、離縁しなければならない理由も無いのだ。これはワシすら驚いた事だが『妻が家を継承する場合、離縁するのが仕来り』などと聞いた事あるか?」
信長は居並ぶ家臣に問いかける。
問いかけられた家臣も、聞いた事が無いにも程がある内容に、どうするのが正しいのか悩む。
離縁すべきか?
夫婦のままで大丈夫なのか?
そもそも女で大名家を継ぐ?
外部勢力なら『バカな事をやっとるわ!』『尾張のうつけに偽りなし』で済むが、当事者の彼らはそうはいかない。
主人が愚かなら、容赦なく出奔するのが戦国時代なのだから、今回の件については誰もが散々にに悩み考えた。
森可成も今まで考え抜いたのだろう。
代表して口を開いた。
「確かにありません。あるとすれば今回が史上初の事例なれば、殿と濃姫様の関係こそが前例となりましょう。もし離縁なさるなら、改めてそれが仕来りとなりましょう」
森可成が認めた。
織田家の重鎮にして、養女である寧々との関りで女の強さを改めて知った可成は理解を示す。(外伝45話参照)
「そして、不都合が生じても、今回が前例となる、だな?」
「そ、そうです」
言霊の世界では不都合な事は言ってはならない。
言えば実現するからだ。
織田家は全体的にそんな風潮を無視する土台が構築されつつあるとはいえ、縁起の悪い事を口にするのはやはり憚られる。
だが、信長はあえて言った。
自らの退路を封じる為にも。
「例えば機密に関してどうするのか? そんな意見もあろう。だが考えてもみよ。今更美濃守殿に隠さねばならぬ織田の機密などあるか?」
「そこです。そうなのです。どんなに考えても皆無ですな。尾張に嫁いで以降、極めて自由に振舞ってきた美濃守殿様です。我らの体の傷まで把握しているであろう美濃守様に、今更見られて困る事などありますまい」
「そうじゃ。親衛隊の仕組から種籾の選別まで、織田家の強みから急所まで全て既に知っておる。更に織田と斎藤両家に仕える者もいる始末。今更要らん事に気を使うなど無駄じゃ。むしろ連携こそが我ら両家の何よりの強みなのだから、これからも美濃守殿に対して織田家内で制限はかけぬ。自由に振舞う事を許す。何時何時に関わらずな」
信長は信頼に値すると判断した味方には全幅の信頼を置く。
これぞ信長の強さの真骨頂でもあり最大の弱点。
美徳でもあり悪癖でもある。
史実でも、城の留守番をよりにもよって美濃を奪い取った斎藤道三に依頼するし、浅井長政の造反を偽報と信じなかった。
弟の織田信行、林秀定、柴田勝家の裏切りも許し、重臣にまで抜擢した松永久秀、荒木村重に裏切られても、己が明智光秀に不覚を取るまで、ついに家臣を信じ続けた。
下剋上が常の戦国時代において、己も下剋上で成り上がった身なのに配下を信じる超うつけの異端児信長。
下剋上で滅ぶのも、ある意味必然だったかもしれない。
ならば転生した程度で、その性根が変化する事など無いのだろう。
「そして、こうなった以上、お濃の人質としての役割も終わりだ」
「あっ」
今更過ぎる話であるが、帰蝶は婚姻同盟の証だ。
つまり人質でもあった。
しかし実際は人質どころか、最前線で戦う最有力家臣だ。
家臣達もすっかり忘れていた。
「お濃は斎藤家が裏切らない保証であり人質でもあった。しかしこれからは人的保障が失われた状態となる。ワシ個人としては斎藤家は信頼に足る故にもう人質は必要無いと思っておるが、お主等に斎藤家に不安を感じる要素はあるか?」
こう言われて面と向かて『ある』と言える勇気がある人間は中々いないだろう。
「例えば、三左衛門(森可成)も権六(柴田勝家)も大名だが、ワシに対し人質を出しておらん。だが必要だとも思わん。ワシはお主らを疑わぬ」
一応信長は人質を絶対に取らない訳ではない。
北畠具教の嫡男具房は、織田家に人質として差し出した。(39話)
今川義元も、最初は氏真を、その後紆余曲折あって、氏真の弟長得が人質となった。(56、59、外伝16話参照)
他にも、六角から離反した後藤賢豊、進藤賢盛、蒲生賢秀も嫡男を預けている。
だが、これは敵対、あるいは寝返りをした者にとっては常識的行動だ。
むしろ積極的に出さなければ疑われる。
その常識に信長は逆らわないが、だからといって人質を雑に扱わない。
むしろ、能力を認めれば厚遇すらする。
蒲生賢秀の嫡男氏郷は、能力を認められ信長の娘を与えられた程だ。
そして、この歴史では北畠、今川両家の人質には、織田の家臣とほぼ同等の権限が与えられ、それぞれ役目を果たし始めている。
正直、本人たちに人質としての責任感があるのか不明な程に元気ハツラツぶりだ。
信長もまだ口にはしないが、いずれ本国へ帰還させても良いとすら考えている。
なれば、古参の家臣を大名に昇格させる代わりに質など取る、など選択肢にある訳がない。
信長は味方を疑わない。
完全な証拠が出てもギリギリまで疑わない。
もしや『疑う』という言葉を知らないんじゃないかと疑う程に。
《それは、1回目、2回目の失敗を踏まえた判断なのですか? 美徳だとは思いますが、同じ失敗を何度も繰り返しては、結局何度も本能寺を燃やす事になりませんかね?》
ファラージャが信長に問う。
《正直な所これはどうするか今でも迷う。だが2回も殺されてなお、今の光秀や秀吉を見てもなお、全く疑う気になれん。最初はそこまで嫌われたのかと衝撃を受けたが、どうもそれは違うんじゃないかと思ってな》
最初の転生では、明智光秀と羽柴秀吉の役割を入れ替えた。
光秀だけが原因だと思っていたからだ。
そうしたら、秀吉に見事に足元を掬われてしまった。(0話参照)
そうしてやり直した3回目。
光秀は嫌われる所か信長に心酔している節がある。
秀吉は頭角を現してはいるが、まだ直接信長と渡り合う立場には至っていない。
ただ、織田家最有力武将の一人である森可成の側近という、史実よりも猛烈に早い出世は果たしており、今もこの場に参列できる立場となっており感謝はされても恨まれる筋合いは皆無だ。
《信頼が全てだ、とは言わぬ。流石に3回目ともなれば警戒を怠るつもりもないが、しかしその一方で疑えば疑う程、織田の力は弱まる。そうなれば途中で力尽きるのがオチよ》
《ジレンマですねー。まぁ私も『コレが正しい』との答えを持ち合わせている訳じゃありませんが》
疑えばその為に労力を使わねばならない。
極限まで無駄を削ぎ落したのが織田家の強さだ。
「過分な信頼に身が引き締まる思いです。我らは殿に従っているからこそ、尾張の田舎侍からここまでの大身に引き立ててもらった身。良い物を食べ、良い屋敷に住めるのは殿のお陰。それなのに殿を裏切っては本末転倒にも程がありましょう。殿を裏切っても他の家臣に討伐されるだけ。旨味など全くありませぬ」
勝家が言った。
信長に対する裏切りは、受けられるメリットに対し、裏切った場合のデメリットが大きすぎる。
「そうだ。しかし信頼だけでついて来いなどとは言わぬ。欲望こそが原動力じゃからな。ワシについてこれば、現世は当然、億年先まで名を轟かせられる存在にしてやろう!」
武士は名誉を重んじる。
未来永劫の栄誉を宣言されて心動かぬ者はいない。
宗教が絶対の世界なのだから。
《そう考えると光秀さんや秀吉さんは、メリットデメリットがなぜ逆転したんでしょうね?》
《……わからん。わからんがその答えかもしれないモノは、お濃が持ってきたかもしれぬな》
信長は横目で帰蝶を見た。
感情が読み取れない事だけは読み取れる顔だ。
「よし。美濃守殿とお濃に関する沙汰は以上だ。何か不都合があればその都度対処はするが、些細な事は慣れよ!」
織田家の絶対権力者の言葉を持って、帰蝶は自由の身となった。
今までも自由同然ではあったが、仮に斎藤家が裏切った場合、帰蝶は粛清される立場でもあった。
それが今を持って真に自由となった。




