165-1話 若狭湾決戦後始末の顛末の結果の結末の行方の因果 浅井千寿菊(京極マリア)
165話は2部構成です。
165-1話からご覧下さい。
【美濃国/稲葉山城 斎藤家】
「決心はつきましたか?」
帰蝶は千寿菊(史実名:京極マリア)に確認をする。
「はい……!」
その問いに千寿菊は力強く応える。
「……その覚悟は汲みましょう」
帰蝶は深く深呼吸をして考える
《まさかだったけど、現状がこうなっている以上、真実なのは間違い無いのね……》
《まさかバラして居ないなんて……!》
帰蝶は女の役目故の常識として、ファラージャも歴史的知識の常識として千寿菊の行動に驚いていた。
帰蝶が尾張、駿河に出立する前の話である。(164-1話参照)
夫と死別した千寿菊の立場を心配考慮し、帰蝶は千寿菊の身の振り方を考えた。
『―――私は全ての女の味方でありたいと思っています』
『過分な配慮、ありがとうございます。しかし、私の懸念はソコでは無いのです。……実は私は実家の浅井に夫の病状を知らせておりませぬ』
『……えっ!? 何でですか!? い、いえ、それは大変ありがたい事ですが、どうして報せなかったのです!?』
『何故なのでしょうね……私も確信もって話せないのですが……』
戦国の世の武将の妻は、嫁ぎ先の内情を知らせるスパイの役割がある。
機密に至る情報まで丸裸にする場合や、そこまではせずとも、嫁いだ娘の他愛ない内容の手紙から内情を推察する場合まで様々であるが、意図的か否かに限らず情報を漏らす。
友好的でない場合なら猶更だ。
浅井千寿菊は、間違いなく友好的ではない斎藤家に嫁いだ。
かつて、斎藤義龍の野望により、理不尽に蹂躙された浅井久政の娘なれば、当然、感情としては面白くない。
事実、久政が属する将軍陣営に対し、せっせと多種多様な情報を流した。(118-1話参照)
だが、その情報の質は年々低下し、とうとう最後には最重要情報である義龍の病状を知らせなかった。
もし、浅井家にその情報を知らせていれば、斎藤家の朽木攻略時、浅井家は絶好の反撃機会を得られていたはずである。
義龍は美濃で重病、朽木攻略軍は北近江に位置する浅井家に背を向けている。
追撃して龍興軍を背後から襲う事も可能になる。
事実、浅井久政はその期を伺っていた。
西の13代将軍陣営が崩壊し、六角も裏切った中で、将軍家に仕える浅井としては何とかしたいと思っていたが、そもそも現状の浅井家の地盤が脆弱すぎる。
何か事を起こそうにも弱小勢力過ぎて生きていくだけで精一杯だ。
従属する朝倉の庇護が無ければ、とっくに枯れ果てている。
その苦境を挽回する千載一遇の好機である義龍の重病と朽木侵攻を、千寿菊は伝えなかった。
実家に対する重大な裏切りである。
『確かにあの時、浅井家に特に動きは見られなかった……。別に斎藤家も留守の兵まで根こそぎ動員した訳じゃなので攻めて来たとて跳ね返したでしょうが、今思えば何ら動きが無いのが逆におかしい。けれど知らなかったなら納得です。知らなければ動き様がない。でも報せなかった理由が何となくなハズもないでしょう?』
『思い当たる要因は色々あります。一番大きいのは実家への不信と怒り、そして女の立場への抵抗、……色々あるんでしょう。断言できないのは我ながら情けなく思います』
千寿菊は帰蝶を見る。
今、理由には挙げなかったが、戦国時代において女の枠を軽々飛び越え暴れまわる帰蝶を羨ましく思い、また、感銘を受けたのも理由の一つであった。
『それに、斎藤に来て世の動きと織田斎藤の目指す世界を知ってしまいました。父の場当たり的な侵略で迷惑を掛けては、間違いなく世の為に動いている両家の成長が停滞させるのは罪でありましょう』
史実では、天下統一の為に動いていた戦国武将は信長以前に一人も居ない。
居たとしても、その意思を明確にしたのは信長以前には皆無だ。
従って、信長以外の侵略戦争は、将軍の権威が地に落ち治安の乱れたスキを突いた私戦であり、どんなにお題目を並べようともドサクサに紛れた火事場泥棒となんら変わらない。
少しでも食い扶持を確保するのが、戦国時代の常識だからだ。
しかし、この歴史では違う。
天下統一を表明したのは信長が最初なのは同じだが、朧気なビジョンながらも後から追随する者が出てきている。
今川義元、武田晴信、北条氏康は三国会談の折に天下を治める術を考え始めた。(43話参照)
尼子晴久の嫡男義久は、真新宮党結成伴った穀潰し問題を知り、この世の構造の問題の一端を知った。(134話参照)
長尾景虎改め上杉政虎は、独自の思想で理想の天下に向けて動いている。(124話参照)
そして、現在天下の主からは一歩引いたが、依然として強大な力を持つ三好長慶も各地の実力者と天下について話し合っている。(91話、130話、外伝38話、137話参照)
程度の差はあれ、世を正す為に動いている人間がいる。
千寿菊の夫である義龍もその一人だった。
それに比べ、千寿菊の父の久政の戦国時代では常識だが、いまや時代遅れになりつつある思想は、新たな世界を知った千寿菊にとっては受け入れ難かったのだ。
一応、久政は本当は将軍家の為に動いているので私戦とは少し違う。
だが今の将軍家は異常な状態だ。
13代義輝は生死不明で行方不明。
14代義冬は高齢引退間近。
15代が決まっている覚慶(義昭)は京に不在で織田に身を寄せ、一方で16代候補の義栄は京にいるが六角の囲われている。
京に居てこその将軍。
14代が健在な内はまだいいが、近い将来必ず訪れる局面の、将軍だが京にいない15代覚慶と、16代将軍候補に過ぎないが京にいる義栄のどちらに味方するか久政は悩んだ。
憎い斎藤に与する織田に身を寄せる15代につくか、13代を裏切ったお陰で今の混乱を作り出した六角に味方するか?
久政は決めきれなかった。
だからとりあえず領土を広げて力を蓄えようとした。
しかし、浅井の外に出て世界を知ってしまった千寿菊には、父の行動は場当たり的な行動にしか見えない。
即ち欲望によって私戦を繰り広げる、その他大勢の何の思想も無い、凡百な常識的戦国武将にしか。
その結果、千寿菊からの重要な情報は意図的に減らされていき、今回の義龍の死も未だに情報として流していない。
そして、千寿菊は二重スパイとなる決心をし全てを打ち明けたのだ。
『後は……そもそも父では勝てないでしょう。仮に、背後を突けたとて、一時の優勢は得られても後が続きませぬ』
『……!』
帰蝶は戦場にも出ていない千寿菊の戦略眼に驚く。
普通に考えれば普通に分かる事を、普通に理解し誤魔化さないのは才能だ。
人間、都合の悪い事には目を背けがちだ。
その結果、見えている地雷に突っ込む人間が後を絶たないのは今も昔も変わらない。
『……いえ、色々理由を並べたてましたが、結局、我が命を惜しんだのかも知れません』
確かに漏らせば浅井が斎藤を攻めるのだから、漏らした原因であり、浅井に対する人質でもある千寿菊は斬首されても文句は言えない。
『ただ、父も実家も滅んでは欲しくない。父には考えを改めてもらい、せめて織田、斎藤の行動を邪魔せず余生を全うして欲しいとも願っています。その為に私はどうすべきか……悩んでおります』
既に実家への裏切りをしてしまっている千寿菊だが、世の為とは言え実家を切り捨てられる程に薄情でもない。
実家と斎藤家の狭間でその心情が揺れ動き、困り果てていたのだった。
―――史実での帰蝶同様に。
『……そうだったの。私はこれから尾張、伊勢、駿河に向かいます。その帰りに改めて稲葉山に寄りますので、それまでに考えを決めておいてください』
そして冒頭に至る―――
帰蝶が駿河善徳寺で武田晴信、北条氏政と氏康と会談を行っている間、千寿菊は悩みに悩んだ。
そうして決断する。
「父をこの世の柵から解放します……!」
千寿菊は久政に引退を迫る決断をした。
だが、その決断は、無難な所では久政の隠居、最悪では浅井家からの追放も容認した決断であった。
帰蝶も千寿菊の決心に覚悟を決める。
「……わかりました。とは言え、直接浅井家に乗り込んだとて門前払いを喰らうのがオチでありましょう。私は今から朝倉家に向かいます。現在の浅井の主家である朝倉殿に現状を説明し、何とか動いて貰えないか要請してみましょう。ご同行願えますか?」
「わかりました!」
「っと、その前に、まぁまぁ長い旅になるけど、馬は扱える?」
「はい!」
最早女であっても馬の扱いは必須だ。
帰蝶が作った常識故に。
千寿菊は帰蝶の義理の姉。
影響を受けていないハズがなかった。
【越前国/一乗谷城 朝倉家】
「ようこそ一乗谷へ。遠い所良くぞ参った。この日が来るのを待ちわびましたぞ!」
「ま、待ちわび……? 過分な持て成し忝く……え???」
越前に到着した帰蝶一行は、想定外の歓迎を受ける。
朝倉が織田と敵対する歴史を知る帰蝶としては、この歓待は正直気味が悪い程だ。
「あっ! と言う事は? 越前守殿(朝倉延景(義景))、その様子では、私が斎藤家を継いだ事をご存じなのですね?」
この歓迎に対する心当たりは家督継承による就任祝いしか思いつかない。
あまり聞いた事が無い事例だが、帰蝶はそう言うモノなのか納得する。
延景は目を見開いて返事をした。
「えっ」
「えっ」
延景はキョトンとしている。
「え? い、いや? 織田殿から帰蝶殿を使者として向かわせる先触れが届いておってな? 『約束を果たす』と。てっきりその時が来たのだと思っておったのだが……???」(131話参照)
「約束!?」
「えっ」
「えっ」
帰蝶もキョトンとしている。
「な、何か話が嚙み合わぬが、それよりも聞き捨てならぬ事を申したか? 斎藤家を継ぐとか……!?」
「は、はい……」
信長は延景に対し、尾張、伊勢、志摩の管理者と、今川義元には家臣として全てを先に伝えて混乱を防いだが、朝倉家は家臣ではない。
史実に比べ、格段に信頼を置ける同盟を結んでいる今であっても、やはり家臣と独立大名を同じにする事は出来ない。
故に『使者として遣わせる。先の約束もこれで果たす。織田家は要請があれば援助する』としか伝えない。
帰蝶が話す事以上を信長が漏らす訳にはいかないからだ。
「い、一度、整理しましょう。こちらの状況から話します―――」
帰蝶は己が斎藤家を継いだ経緯を話す。
兄義龍が病死した事、唯一の男子である龍興が辞退した事を。
武田や北条と違い同盟国なので、話す経緯はもう少し丁寧かつ情報も多い。
ただし、完全に正確と言う訳でもない。
例えば若狭湾の戦いも『龍興の的確な指揮で行われたが、残念ながら負傷が重く表に出られない体となった』と、斎藤家の名誉と威信を損なわぬ形として伝えられた。
斎藤家の付き合いとして、織田家に属する者が最上級に対し、武田や北条などの外部勢力は最低級なので余計な事を言う理由は無い。
しかし朝倉家や、今後向かう予定の三好家は、五分の付き合いなのだから、当然社交辞令やある程度の真実が含まれた対応となる。
当然、延景も帰蝶の話を鵜呑みになどしない。
何か色々あったのだと当然察するし、察した上で、結果として帰蝶が継いだ現実があるのだから受け入れるだけだ。
「そうであったか……。義龍公とは斎藤家の近江侵攻で相対し、直接お見掛けした事もあったが……病か。あの朝倉宗滴と互角に戦った男も病に没するとは。残念だ……」(82~83話参照)
延景は朝倉宗滴に匹敵する男を斎藤義龍以外に知らない。
義龍が現れる前まで、宗滴が日本最強だと思っていただけに、義龍の存在は衝撃であり、そんな豪傑も病に勝てぬ世の無常を感じ取った。
「ありがとうございます」
「ワシは宗滴の爺にとうとう一本も取れず死に逃げられてな。いつか、その代わり互角の腕を持つ義龍公にお願いしたいと思っておったよ。誠に残念だ……!」
「その心意気、兄も宗滴公もあの世できっと誇らしく思っている事でしょう」
帰蝶は確信を持って答えた。
「それで、此度の来訪は斎藤家の代替わりの挨拶と言う訳ですな。美濃守殿」
延景は帰蝶から美濃守へと呼び方を変えた。
常識外れではあるが、多少なりとも帰蝶の噂を知る身なので『そう言う可能性もある』と受け入れた。
「はい。兄は亡くなりましたが、今後も変わらぬ同盟関係を維持したく。北の要たる越前守殿の力添え無くては今後の戦略が成り立ちませぬ。どうか変わらぬ友誼を結んで頂きたく思います。そして一つお願いに上がりました。……浅井殿の件です」
「浅井とな? 何かあったのか? 将軍陣営に手を貸していた事であれば、あれは爺の独断でな? 迷惑をかけてしまったなら謝罪しよう。しかし13代陣営も滅び、次の将軍を織田殿が確保している以上、これ以上の迷惑は決して掛けさせぬと誓おう」
朝倉家は織田、斎藤と手を結びながらも、三好包囲網に関しては中立を選び、配下の浅井家には将軍を援助させた。
これ全て生き残りをかけた策であり、この二枚舌外交について屁とも思っていないが、一方で逃げ道は残してある。
宗滴が生きている間に下した延景の命令は、全て宗滴の独断と言う事になっている。
宗教が絶対の世界で死者に責任と不名誉を被せる汚いやり方だが、当の宗滴も了承済みの『死人に口無しの策』である。
であるならば、宗滴にもコレを外交手段として教育されている延景は遠慮するつりもない。
「その件に関して何ら文句はありませぬ。生き勝ち残る事が全てであると宗滴公も仰ってました。その行為に感銘こそすれ蔑む気持ちはありませぬ」
「話が早くて助かるぞ」
茶番のようなやり取りだが、これも外交なのだろう。
現実世界でも良く見る光景だ。
「しかし、そこまで話が早いのに、なお浅井の事を告げるとは如何なる事か?」
「浅井殿が今現在、我が領地を狙っている動きがあるのです」
「何じゃと!?」
これは延景には初耳であった。
さっきのまるで本心ではない言葉とは違う、真に驚愕する声色である。
この一言で、帰蝶は延景が嘘を付いていない事を察する。
延景は13代将軍陣営が滅んだ時点で手を引く様に命令していた。
浅井家が将軍派だろうが何だろうが、滅んだ時点で命令を出し続ける利点はない。
織田に次代内定している覚慶が囲われている以上、浅井としても大人しくする事こそが、将軍の為にもなると言い聞かせた。
それが全く守られていないのには延景としても聞き捨てならない。
「何か被害を被ったのか!?」
「お、お待ちください! 被害は受けておりませぬ。ただ、時間の問題かもしれない証拠が出てきてしまったのです。……千寿菊殿」
帰蝶は隣に座る千寿菊に促した。
「そちらの女性、さっきから気になっておったが千寿菊殿と言えば義龍公の継室ではないか? ん? 確か左兵衛(久政)の娘でも……あ!?」
「お初にお目に掛かります、浅井左兵衛が娘にして斎藤義龍が妻、浅井千寿菊にございます。実は―――」
千寿菊は帰蝶に話した事を全て伝えた。
スパイとして実家に情報を流し、しかし情報を絞り、更に情報を偽り、今、逆に情報を逆流させた。
「……。成程。話は理解した。じゃがそれを鵜呑みにはできん。精査が必要なのは理解していよう? それこそ策略の一端なのかも知れぬ」
「策略!? ち、違います。私は父を止めたいと思い……!」
千寿菊は思わぬ疑いに動揺する。
「わかっておる。意地の悪い言い方をしたが、ワシ個人としては美濃守殿を評価しておるし、その美濃守殿が確信を持って連れてきた千寿菊殿だ。信じてやりたいのが本音だ。だが、大名として、朝倉家として軽々に動く事ができぬのだ。大名となった美濃守殿なら当然、御理解頂け様な?」
帰蝶に対し、試す口調で問う延景。
帰蝶を評価はしても、妄信はしない。
信頼するかは別問題であるし、帰蝶が延景の考えを方を『予想外』と捉える様では話にならない。
「はい。離間の計を疑って当然の事」
だがこれは杞憂だった。
帰蝶は延景の理論を理解していた。
「疑った者を疑いだけで処断していては、最後は自分一人になってしまいます。この世に真に信じられるのは己のみなれば」
「あっ……」
一方、千寿菊は違った。
証拠が己の弁しか無い事に気が付き絶句する。
故に策略を疑われて当然だと気が付いた。
歴史には、誤った判断で家臣を処断し自滅した勢力が履いて捨てる程に存在する。
別勢力からの離間の計は当然ながら、身内からの佞言に惑わされたり、逆に諫言を煩わしく思い遠ざけたりと、家臣にとっては乱世は油断も隙も許されない。
ただ、戦国時代に証拠集め等と悠長な事をする時間もない。
情報伝達が瞬時に行われる現代と違い、一刻を争う戦乱の時代では、疑いで処断するのも仕方ない。
疑わしきは罰するのが人権が無い時代の常識だ。
故に、主君側も極めて難しい判断を迫られる。
「千寿菊殿。気分を害したなら申し訳ないが、貴殿の密告で色んな可能性が考えられる。まず真実の場合。真実ならば問題ないが、例えば美濃守殿を早合点させ失態を誘う場合。あるいはワシの怒りをワザと買い朝倉からの独立を目論んでいる場合。……他にも色々考えられるのだ」
「そんな……!」
「式部(朝倉景鏡)。どう思う?」
歓待の場に列席する重臣の中でも、筆頭の地位にある景鏡に尋ねた。
「はっ。浅井殿が斎藤家を恨んでいるのは自明の理。仮に千寿菊殿が本心から斎藤家に肩入れしても、この事実は覆しようがありませぬ。それは殿もご存じのはず」
浅井家は斎藤家によって近江の領地を4分の1まで削られた。
恨まない訳がない。
「まぁな……」
更には将軍家に味方する浅井家である。
当然、主家の朝倉にも更なる将軍支援を要請し、包囲網参加を要請し、織田斎藤陣営とは敵対する方向に朝倉の主義を変更しようと画策していた。
だが、延景はその訴えを全て認めず、徹底的に中立を貫いた。
精々、久政不在となる浅井領地の発展を支援した程度である。
「浅井殿が我らに対し斎藤家への直接侵略こそ提案せずとも、その内なる方針は薄々感じるモノがありました。従って千寿菊殿からの情報と、こちらが知る事情を加味すれば、より一層の疑いは強まったと言えましょう。……と、思わせ我らの勇み足を誘う策やもしれませぬ。失礼を承知で言わば、斎藤家による朝倉浅井の離間計の可能性も捨てきれませぬ」
景鏡はさっき延景が敢えて避けた、一番主君が言い難い事を言う。
「式部! 失礼をした、美濃守殿」
延景は驚きの表情で景鏡を叱責する。
「出過ぎた真似を致しました。美濃守様、大変失礼致しました」
景鏡も帰蝶に頭を下げ謝罪した。
しかしこれも家臣の役目。
核心を突いて動揺を誘い、真偽の判断をする材料の為に。
朝倉主従による当然の揺さぶりであって、叱責も演技である。
「いえ、お気になさらずに。疑って当然でありましょう」
帰蝶は動揺する事もなく流した。
この疑いを当然の想定として備えていた。
「それは良かった。(そりゃそうよな。宗滴に迫る武威を誇る者が、この程度で動揺するワケも無いか)」
帰蝶の態度から判断するのは無理だと判断する延景。
「ただまぁ、総合的に判断するに今回の密告で色々朝倉として合点が行くのも事実。恐らく左兵衛は何か企んでおるのだろう。……ただ断定も出来ぬ。これは困ったな……」
「お、女の浅知恵でとんでもないことを……! も、申し訳ありませぬ!」
まさかここまで大事になるとは思っていなかった千寿菊。
ある意味決死の覚悟ではあったが、情報に対する想像が足りず平謝りであった。
「謝る必要はないですぞ。集められた情報で判断するのが大名の仕事。千寿菊殿の情報も要素の一つとして判断するのみ。情報とは結局玉石混合。その点、千寿菊殿の情報は真偽どちらであっても盤面が動く『玉』の情報には違いない。あとはワシが扱いを誤らなければな。……さてどうするか?」
延景は顎に手を当て考える。
「だがその前に、今までのやり取りで、美濃守殿はワシらが想定した懸念を最初から理解している事は分かった。試す様な真似をして悪かったが、これも役目と思って頂けると助かるのだが、一つ気になる事もある。結局、断定出来ぬと分かっておりましたな?」
「はい」
「ならば、これ以上どうしようも無いのも御理解頂けますな?」
「はい」
「ならば何故ココに来られた? いや、挨拶と同盟関係の維持要請は必要な事だが、浅井に関しては逆に我らの関係性にヒビが入るのも想定済であろう? ならば……どうするかな?」
今、その事実を知った朝倉と、美濃で事情を聞いた帰蝶では、考える時間が違う。
ならば、帰蝶が案を持たずして越前に来るハズが無いと延景は踏んだ。
そして、もし何の提案も出来ずにこの場に来たなら、外交失格だと延景は暗に言った。
「……はい!」
解決できない事を知っていて千寿菊を連れてきては、両者に不安の種を植え付けるだけであるが、帰蝶は当然の事として外交カードを用意していた。
「証拠は千寿菊殿の言と状況証拠のみ。即ち、千寿菊殿が情報を漏らせば若狭湾の戦いの折、斎藤の背後を突けたのに漏らさなかった」
「そう思わせるのが策だったのかも知れぬぞ?」
「然り。しかし我らと朝倉殿で一致している事もあります。今の浅井殿は信頼が置けない。……如何ですか?」
今も昔も『信頼』が何より大切なのは変わりない。
例え証拠が無くても、信頼が置けなければ遠ざけられるのも、今も昔も変わらない。
「確かに。先の話はこちらの懸念を裏付けるモノでもあった。しかし、実行に移していない以上、断罪も出来ぬ。さてどうする?」
特に命の軽い戦国時代だ。
信頼の置けない者が隣人にいる恐怖は計り知れない。
証拠は無いが、信頼も無い事を証明する事が帰蝶の外交カードであり、その内容がこれから話す事だ。
「はい。そこで―――。左兵衛殿には絶対の信頼は出来ませぬが、これで不安の種は取り除けましょう」
「―――か。まぁそれしかあるまい。だが、他家の家臣に口を出すのだ。その為の手筈は整えるのだな?」
「必ずや―――」
「うむ。已むを得まいな。……美濃守殿は誠に運が良い。実は今、左兵衛が越前に来ておってな?」
「えっ!? 確かにそれは好都合ですね!」
「今回の件とは全く関係ない別件の事でな。ただ、斎藤殿と顔を合わすのもバツが悪かろう? 別任務を与えて一乗谷から離れてもらっておったが……仕方ない。答弁にて揺さぶり最終判断するしかあるまい。左兵衛を呼び戻せ! あと一緒に来てもらえ。あちらも興味があるだろう」
こうして浅井久政に対する事情聴取を行う運びとなった。
「さて……久政が到着するのは早くて明日となろう。その間、約束の履行と参ろうか?」
延景は立ち上がり小姓に準備を命じた。
先ほどまでの重苦しい雰囲気とは違い、非常にイソイソしている。
「そう言えば、冒頭でも仰ってましたね? 約束とは一体……?」
「何じゃ。織田殿は伝えておらなんだか。あの朝倉宗滴をして化け物と言わしめる美濃守殿の武芸。ワシは手合わせをしてみたくてな」(120話参照)
「えっ!?」
「その実現を織田殿に頼んでおったのじゃ。ワシは宗滴の爺には全く敵わぬが、じゃあどこまで弱いのかイマイチわからん。爺が強すぎて比較できんのじゃ」
こうして不穏な密告の場は、武芸を競う熱狂の場となった。
結果としては、延景は帰蝶に僅かに及ばなかった。
だが、家臣の誰一人として朝倉家当主の実力不足を嘆く者は居なかった。
何せ、朝倉宗滴のお墨付きを得た化け物という事実一つとっても驚愕なのに、そして飛騨国の入道洞城での両者の戦いを目撃した朝倉家臣も口を揃え絶賛していたのだ。
延景が負けたとて信頼が落ちる要素はない。
それに大名は戦闘よりも全体の統率が重要だ。
今も千寿菊の情報に対し、軽率な行動は一切見せなかったのだから全く問題ない。
その上で、帰蝶に肉薄した宗滴の弟子らしい嫌らしい戦いを見せ、朝倉延景の存在感を見せつけたのだから何も面目は潰されていない。
この後に控える頭の痛い問題の前に、ひと時の安らぎが朝倉家を癒すのであった。
前回の後書きで『この章はあと1話程投稿する予定です!』などとヌかしましたが、撤回します!
最低でもあと1話、多くて2話投稿します!




