164-2話 若狭湾決戦後始末の顛末の結果の結末の行方 3回目の善徳寺会盟
164話は2部構成です。
164-1話からご覧下さい。
【駿河国/善徳寺】
「今川様がご到着されました。まもなく参られます」
寺の小僧が緊張しながら武田家一行と北条家一行に告げた。
ここは駿河今川領内の善徳寺。
かつて2回に渡り、今川、武田、北条による当主会談が行われた寺である。(43話、100-2、100-5話参照)
「来たか。この先の方針に影響を及ぼす重要な会談と聞いてきたが? 全く! 呼べば何時でも来てくれると勘違いしとりゃせんか!?」
「その様ですなぁ。まぁしかし、不在のままで重要な話がされても困りますからな。仕方ありますまい」
「お主、若いのに達観しておるのう。流石、あの長尾……今は上杉か。ともかく、あのバカタレを退けただけはあるわ」
「武田、今川両家の援護と、父の補佐ががあってこそですよ。某だけではきっとどうにもならなかったでしょう」
「今川は我が宿敵たる長野業正を討ち取った功績もある。顔は立ててやるが、しかしだな……」
憤慨する武田晴信と、氏康から家督を継承した北条氏政が雑談に興じる。
彼らの話通り、織田と斎藤が若狭湾で戦う裏で、北条家は上杉家と戦っていた。
この年、長尾輝虎改め、関東上杉家から、家督と関東管領を継承した上杉政虎と。
史実より1年遅れて勃発した小田原城の戦いは、史実通りとはいかなかった。
今川義元である。
史実では既に討ち死にしていた今川義元が、兵を率いて北条家を援護し、包囲された小田原城切り崩す活躍を見せた。
史実では義元の討死により崩壊が始まった三国同盟は、未だきちんと機能していたのだった。
「待たせたな。忙しい中、要請を聞き入れてくれて忝い」
今川義元が、本殿に入るなり謝罪しながら歩み寄った。
型通りの待たせた事を詫びるつもりのない謝罪だが、それを不快に思わせぬ風格と実績がある義元だから許される所業だ。
「早速だが、斎藤殿に来てもらおう」
「サイトー殿? 斎藤? どちらの斎藤ですか?」
「まさか美濃斎藤家ではあるまい。ならば上杉家臣の斎藤か?」
義元が『斎藤殿』を紹介するが、氏政、晴信に心当たりある『斎藤』は、上杉家臣の斎藤朝信か美濃の斎藤家しかない。
朝信が来たならば、先の小田原城の戦い関連であろう。
上杉政虎の使者として来たのなら、この会談が開催されるのも納得だ。
「答えるよりも見てもらった方が早い。入ってもらえ」
「……? ッ!?」
義元の紹介と、武田、北条家の驚きの声に合わせて入室してきたのは、斎藤朝信ではなく帰蝶であった。
この会談の前に、帰蝶は今川家に赴き、今回の経緯を包み隠さず説明した。
信長からの先触れは今川家にも渡っていたので、今川義元が驚き戸惑う事は無かったが、初耳となった今川氏真や北条涼春ら若狭湾での戦いを共にした今川家臣は驚いた。
そして、義龍の死と策も、当主の交代もかなり危うい橋であったと知り肝を冷やす。
そんな中で、斎藤家と今川家の今後を数日かけて話し合い、連携を確認した所で、義元に連れられ善徳寺に来た。
氏真も次期当主として、涼春も北条縁者として付き従う。
他には護衛の遠藤直経と、尾張で合流した河尻秀隆と斎藤家家臣を代表して竹中重治が同行している。
「皆様、お初にお目に掛かります。斎藤帰蝶にございます」
帰蝶は挨拶をしながら、ここに来るまでの道中を思い出す―――
『ここは善徳寺。かつて2回に渡り、武田と北条を交え、今川の方針を決めた場所。1度目は桶狭間の前ですな』
『ここが……』
史実に名高い甲相駿三国同盟はこの歴史でも行われたが、それは桶狭間が10年前倒しになったが故に、同盟締結も5年前倒しとなった。
『2度目は三好からの上洛要請に対し、同盟でどう対処するか話し合いを行った。あの時は織田の殿からの要望もあっての会談となったが、3家とも方針を違えたのに同盟は継続となった。今思えばよくも継続となったと思いますぞ』
『そうでしたか』
『織田殿の方針が違えば別の未来もあったかも知れぬ。正直に言わば、あの時、もし織田殿が中立を選んで空いたら今川は離反していたやもな』(100-5話 IF『秩序と規律』『柔軟と客観』参照)
『別の未来……』
義元が知る由も無いが、今まさに別の未来を邁進中の帰蝶。
何かが変われば何かが変わる。
その果ての斎藤家当主就任ともなると、歴史を変えてきた棘いばらの道も感慨深い。
『まぁ選ばなかった未来の話は今はどうでも良いでしょう。ここから先、美濃守殿には正念場となりましょうぞ』
『ここに武田殿と北条殿が来ているのですね……!』
信長からの書状を受け取った義元は、即座に同盟者である武田と、北条に善徳寺での会談要請を行った。
ただし、信長が三国同盟の会談を要請した訳ではない。
これは義元による完全な独断で課した帰蝶への試練だ。
斎藤家とも同盟を結ぶ今川家として、次期当主の力は見極めねばならない。
義元は信長の臣下ではあるが、斎藤家とは同格の同盟者にして当代が前代未聞の女大名。
織田の意向に背く訳では無いが、帰蝶が取るに足らない存在であるなら、付き合い方は考えなければならない。
とは言っても、帰蝶が並の武将を遥かに凌駕するのは承知しているし、義元も好意的に接してはいるが、穿った見方をするなら信長からの十分な配慮があった上での活躍とも取れる。
だが大名家の当主となったからには、信長の配慮が届かない場面に遭遇する事がこれから山ほど来るだろう。
そんな場面になって、真に使える人間なのか、馬脚を現す人間なのか、今川家としても見極めなければならない。
ここで武田と北条に軽くあしらわれる様では未来はない。
そんな人物には現実を知って貰うに限る。
適材適所と言う言葉もある。
馬脚が現れるのなら早いに越した事は無い。
これは義元なりの激励であり、慈悲でもある。
『奴らも都合がつかぬ場合もあったでしょうが、幸か不幸か奇跡的に都合が付いた。気が変わったなら、このまま引き返してもらっても構いませぬぞ? 撤退も立派な戦略。しかし、こんな機会は2度と無いでしょうな』
帰蝶がこの場を辞退するなら、それはそれで構わないと義元は思う。
この程度で臆したと断ずる程に義元は短慮ではない。
接点を作らないのも立派な戦略だ。
その時は、対上杉対策を三国同盟で話し合うだけである。
今川家としては何も困らない。
『いえ……。いきます!』
『承知した。さぁ。貴殿のお手並み拝見といこう』
だが帰蝶はその申し出を断り、会談に臨むと決めた。
こうして、斎藤家、今川家、武田家、北条家の降って湧いた外交会談が始まった。
「皆様、お初にお目に掛かります。斎藤帰蝶にございます」
帰蝶は挨拶をしながら、義元の隣にある円座に胡坐で座る。
諸将は当然ながら面食らった。
事情を知る義元だけが悪そうな顔をしている。
「なッ!? 斎藤帰蝶……殿、だと……!?」
一番最初に反応したのは、晴信でも氏政でもなく、この会談に同行していた武田信繁であった。
晴信の後方に控えていた信繁が、驚いて肩に手を当てる。
かつて帰蝶に付けられた肩の傷を。(122-2話)
「しかし斎藤家を招くとはいえ女……ん? 斎藤……キチョウ……あッ!?」
晴信が言葉を失う。
入ってきた人間の雰囲気や性別と、弟の取り乱した様子から、この人物が弟と互角に戦った人物だと察するに余りあるモノを感じ取った。
「なッ!? こ、これは!? いや、この雰囲気!? まさしく、斎藤帰蝶殿!」
戦場で荒れ狂う帰蝶を目撃した事のある氏政が、その雰囲気から記憶に残る該当する人物の名を挙げた。(外伝40話参照)
一応、氏政は飛騨の戦には身分を隠した状態であったはずだが、余りの衝撃にソレを忘れた。
失った右目に掛かる眼帯。
左頬に残る斬撃の痕。
それでいて女性らしい体格を覆う華やかな拳法着。
こんな人物に該当するのは帰蝶の他にありえないだろう。
「こや……! い、いやこの方があの斎藤帰蝶殿!?」
北条氏康が、思わず『こ奴』と言いかけ踏みとどまる。
氏康は氏正に家督を譲ったが、初回からこの会議に関わる身として氏政と共に来た。
涼春や氏政、北条綱成らが絶賛する、正体不明ではないが、聞けば聞く程に訳が分からぬ斎藤帰蝶の実物に座っていた腰を浮かせる程に驚く。
(顔の傷はともかく、こんな見目麗しい女があの斎藤帰蝶だと!?)
初めて帰蝶と接する武田晴信と北条氏康は、噂に聞く帰蝶を妖怪の化身と思っていた。
聞けば聞く程に頭痛を覚える、女ではありえない戦果と評判。
父道三の異名を思えば八俣遠呂智と言われた方がまだ納得できるのに、現れたのは生命力に溢れる華やかな女であった。
(あの時より強いのではないか!?)
奇しくも信繁と氏政は同じ事を思った。
信繁が戦った深志での戦いより、氏政が目撃した飛騨での戦いより強いのではないかと。
根拠はない。
何となくだ。
だが、その何となく感じた違和感を、気の所為と軽んじる程に2人は愚かではない。
「駿河殿(義元)。これは一体何の真似なのか!?」
「ん? 何がかな? 甲斐殿(晴信)」
心の中で大笑いしている義元は、懸命に顔の筋肉を固定させ、一部痙攣させつつ上ずった声で聞き返す。
「斎藤帰蝶、殿と言えば、美濃斎藤家出身にして織田に嫁いだ身であろう!? 何の真似と問うのは当然の事! この各家当主が集う善徳寺での会談、それほど軽い場ではないぞ!?」
晴信が代表していきなりの疑問、と言うより、苦情をぶつける。
話し合いをするにしても、先に解消しなければならない問題が大きすぎる。
怒りより困惑の気が強い晴信の問いに、義元は涼やかに答えた。
「わかっておるよ甲斐殿。しかし、軽んじている訳ではない。何故なら相応しい身分だからだ。美濃守殿、説明お願いできますかな?」
「み、美濃守!?」
義元が帰蝶を『美濃守』と呼ぶ光景に戸惑う参加者。
「はい。説明いたします」
帰蝶は説明した。
ただし、所々内部事情は伏せた。
義龍の死や、龍興が当主を辞退した事や、若狭湾での戦いの詳細などは教える義理もない。
他家が独自に調べて悩めば良い話である。
教える事実は、義龍が引退し己が後を継いだ事のみ。
諸将は心の中で叫ぶ。
『一体なぜッ!?』
言葉が喉まで出かかる―――どころの話ではない。
歯を食いしばっていなければ、荒れ狂う滝の様に質問が溢れるだろう。
しかも、どうせ聞いても答えてくれない疑問を。
そうなれば、無様に問い質すだけの存在になってしまい、いきなり会談の主導権を握られてしまう。
聞きたくて仕方ない事情ではあるが、そこはプライドある戦国武将。
聞くに聞けない質問を無理やり飲み込んで氏政が口を開いた。
「……な、なるほど? 身分に不足無く、当主会談の場に来るに不都合は無い、と言う事ですな?」
やや震える声で帰蝶の資格を認めた。
武田晴信、信繁兄弟も、北条氏康も氏政が代表して認める言葉を発した事に内心感謝する。
一番の若年である氏政が動いてくれるなら、追認も心情的には楽になる。
「……ッ!! 斎藤家当主としての挨拶! 受けようではないか……!!」
晴信も追認すると深く深呼吸をして言葉を続けた。
そしてさっそく殴り掛かる。
「不幸にも武田と斎藤は干戈を交えた事もあったが、アレは飛騨の動乱を鎮めようとお互い親切心を働かせたが故の事故じゃった。ワシは飛騨守として、斎藤殿は隣国の争いを見るに見兼ねてな」
「……!《こ、こいつ!》」
先制攻撃は許してもやられっ放しの武田晴信ではない。
劣勢に持ち込まれた会談に対し挽回を図る。
一方、帰蝶は晴信の余りの言い分に衝撃を受ける。
あの戦いは、武田の侵略戦争であるのは間違いないが、確かに武田には『飛騨守』という大義名分がある。
織田、斎藤側の理論としては、先住民を守る戦いが大義名分だ。
(何たる言い草よ!)
脇で聞いていた氏康も、あの戦いに参加した当事者として衝撃を受ける。
だが、帰蝶が憤慨したのに対し、氏康は少し違う感想を持った。
(流石は晴信と言う事か。奴の爪の垢を、ほんの少しを十分に水で割って飲んで見たいものよ。きっと効果抜群じゃろうて)
心の中では開いた口が塞がらない氏康であるが、別に晴信を非難しようとは思わない。
現代でも『戦争を仕掛けた侵略側が、いざ敵国が自衛の為に反撃したら、罵詈雑言を並べ報復攻撃の正当性を掲げ大義名分を振りかざす』という、理解に苦しむ理論が罷り通っている。
だが、そんな理論であっても、これこそが古今東西戦争の常識だ。
すみません―――
ごめんなさい―――
そんな謝罪の言葉を吐きながら侵略する者など存在しない。
寧ろ、侵略の理由をマッチポンプで作り出すのが当たり前だ。
どんなに失笑モノで理解に苦しむ言い草であろうとも、倫理や常識で考えるまでもなく完全アウトだったとしても、侵略側は絶対に非を認めない。
侵略側は勝つか、あるいは破滅するその時まで、徹底的に戦う理由を作り出すのだ。
仮に和平となっても、耳を疑うとんでもない理由のハズである。
戦争にもルールがある現代でさえコレなのだから、特に取り決めの無い戦国時代なら、どんな言い分も『勝った者が正義』である。
《さっそく言ってくれるわね! 明らかな挑発! でも、どうしたモノか。軽々に応じるわけにはいかないわ……!》
《私の世界では信長教の教義という最悪な理由で対立してますからね。侵略の正当性を掲げる理由としては、私は全然納得できてしまいますが……》
《そう言えばそうだったわね。そう考えると……いや、でも……!》
「親切心での事故ですか。あの時の決着は、飛騨一向一揆で有耶無耶になりましたからな。しかし、飛騨の一向一揆に対し当の飛騨守様は何方にいらしたので?」
帰蝶が逡巡している間に、河尻秀隆が口を挟んだ。
当主同士の会談で、求められてもいないのに家臣が口を挟むのは無礼であるが、信秀の代から織田家に仕えた身としては、そして、現在斎藤家にも仕える身となった秀隆としては、一言叩きつけねば気が済まない。
飛騨の戦いが原因で、信秀も道三も戦死したのだから。
「当家では先々代の道三公が、織田家では先代の信秀公が不幸に見舞われた。飛騨守様が放置した飛騨一向一揆で」
竹中重治が後を継いだ。
織田家として、斎藤家として信秀と道三に対する恨みは忘れていない。
ついさっきまで困惑の会談だったのが、あっという間に剣呑な雰囲気に激変する。
「そうらしいのう?」
その二人の挑発返しを受けて晴信はすっとぼけた。
「その件は、飛騨守として誠に申し訳ない。後で見舞金を贈ろうか? いや、飛騨一向一揆はこちらとしても痛恨の出来事。ただ、織田斎藤が侵略した深志盆地が看過できぬ被害を被ってな? その復興に時を費やしてしまったのじゃ」
晴信が軽く、顎を突き出しながら頭を下げた。
復興ではなく、長尾家の造反の対処が原因だが、そこを馬鹿正直に言う必要もない。
嫌味100%で晴信は言い放つ。
「織田と斎藤なら、一向一揆など軽く捻ってくれると思っておったが、見込み違いであったかのう?」
「……! そうですな。我らは貧弱故に、飛騨守様の救援を待っておりました。きっと長尾家など軽く蹴散らしてくれると信じておったのですがな」
正に売り言葉に買い言葉。
徐々にヒートアップする応酬に、見かねた氏政が割って入った。
「そこまでにしませんと、取り返しが付かなくなりますぞ? 言い争いをしに来た訳ではありますまい? それに美濃守殿も斎藤家当主就任挨拶だけの用事で、こんな所まで来た訳ではありますまい?」
氏政が親切心でフォローに入る。
その言葉に氏康は内心苦い顔をする。
(争わせておけば良いモノを……。まだ当主として実績が浅いのは仕方ないが傍観も手段ぞ)
他家が争えば旨味は自家に転がり込むもの。
氏政の親切心は戦国大名としてはマズいと感じる氏康。
確かに傍観も手段だが、今回に限っては助け舟を出すのが正解だった。
親切心は時として思わぬ刃として相手を抉る。
帰蝶は氏政の助け舟に内心苦い顔をした。
「(余計な事を!)そ、そうですね……」
氏政は『帰蝶の本来の用事は挨拶ではない』と言ってくれたが、本当の本来の用事は特に何も無い。
本当に『無』なのである。
何故ならここに来る事なと想定していなかったのだから。
晴信の挑発と氏政の親切心が帰蝶を追い詰める。
「《仕方ない! 知識を活かすしかないか……!》相模殿(氏政)の言う通りです。与四郎(秀隆)、半兵衛(重治)。2人とも無礼にも程があります。甲斐殿、申し訳ございません」
「はッ。申し訳ございません」
「出過ぎた真似を致しました」
思いの他、あっさりと引き下がる2人。
どうやら主の時間稼ぎが目的であった様だ。
「美濃守殿。家臣の制御も出来ぬでは、この先が思いやられますなぁ?」
晴信が心配そうな声色で挑発する。
「そうですね。当主とはここまで大変だったとは思いもよりませんでした」
そう言いながら帰蝶は頭を下げる。
帰蝶は言葉での応酬をせずに素直に認めた。
「……ほう?」
おかげで幾分か冷静になれた。
その上で、この不毛な言い争いをどう鎮めるか?
帰蝶は頭を下げたまま、ほんの少し殺気を滲み出した。
しかし特定の誰か対し殺気を向けてはいない。
薄めた殺気で善徳寺全体を包む。
(……こ、これは!?)
(この感覚! あの時の!)
(お姉様!)
(濃姫様!)
寺の屋根に止まっていた野鳥が、異変を察知し飛び立つ。
「至らぬ点は、これからの成長で満たして見せましょう。その上で、私に美濃を収める資格無しと判断するなら、遠慮無く奪いにいらして下さいませ」
頼りない言葉に対して、全くそうは感じさせぬ雰囲気。
結局コレしか無い。
言葉を尽くして争いが収まるなら、現代でさえ不可能なのに、戦国時代に望むべくもない。
「それを理由に侵略するなら、止める術は武力しかありませぬ。戦国大名としてお相手仕りましょう」
やれるモンならやってみろ―――
帰蝶は最大限丁寧な言葉に言い換えて言い放った。
そして右目に触れつつ武田信繁に視線を向ける。
「……その時は、左目も貰い受けましょう」
「フフフ。同じ様に行くと良いですね」
闘志は衰えるどころか満ち満ちている。
(杞憂だったか)
今川義元は、帰蝶の覚悟を聞いて満足した。
突然交渉の場に放り出されて、何も材料が無いのは承知している。
知りたかったのは土壇場での覚悟だったが、言葉だけの上っ面だけでは無いのは、帰蝶の発する殺気で十分伝わる。
(そりゃそうよな。ワシを打倒した帰蝶殿が今更怯む事などあり得んわ)
帰蝶は前代未聞の女大名だ。
立場が変われば性根が変わる事もあり得る。
性根が変わる事は決して悪ではないが、許容できない変化は今川家としても困る。
そんな不安要素を同盟国として把握しておきたいが故のテストだったが、杞憂に終わり安心した。
「それはそれとして、甲斐殿。織田家と同盟を結びませんか?」
「……は? ッ!」
帰蝶の唐突な不意打ち同然の提案に、晴信はつい間抜けな声を出してしまい苦い顔をする。
初めて感じた帰蝶の殺気と予想外の提案に、さすがの晴信も心の隙を見せてしまった。
「えっ」
それは義元も同じであった。
何も材料が無い中で、何かを提案するとは、少なくともこんな重大な提案をするとは思ってなかった。
「……同盟? 斎藤家ではなく織田家じゃと?」
「私は独立勢力の長でもありますが、織田家に属してもいます。今後はこんな提案も独自に可能と言う事を見せておこうと思いまして。話を戻しますが、飛騨の戦いは斎藤家も関わっていましたが、実質的には織田への援軍に過ぎず、従ってあれは織田と武田の戦いでした」
「実質的、のう? まぁ良い。それで?」
「織田家の私の(義理の)子で、まだ婚姻相手が決まっていない子がいます」
奇妙丸(信忠)の事である。
長男の雄勝丸(信正)は、史実通り織田信広の娘との婚姻が決まっている。
だが、奇妙丸は未定となっている。
史実の信忠正室の名は松姫。
武田信玄の娘である。
しかし、この2人は取り決めこそあったが、織田と武田の関係悪化に伴い、輿入れが実現しないまま時が過ぎ、武田滅亡後に迎える手はずも整っていたのだが、本能寺の変にて全てが無に帰した。
信忠は側室は迎えれど、最後まで正室は松姫と決め、その席を埋めないまま死んだ。
松姫は尼僧となり信忠を生涯弔ったと伝わる。
お互い顔も知らぬ相手を生涯想い合っての行動だった。
信長と帰蝶は本能寺で信忠まで戦死したのを知らないので、信忠は自分達の死後予定通り松姫を迎えたと勘違いしているが、己の生きている間では、書類上の夫婦に過ぎなかった2人をこの歴史ではどうするか2人は悩んでいた。
歴史改変を望むなら、別人を迎えるのも手ではある。
ただ、生きている間に実現しなかった輿入れを実現させるのも重大な歴史改変である。
そして、先ほど『知識を活かすしかない』と思ったのはこの事である。
「もし、織田との和睦を望むなら、斎藤家として仲介する事も吝かではありませぬ。今回の訪問はこれを提案する為です」
(ッ!?)
これは大嘘である。
だが、それを感じさせない手腕は、義元に対する礼として見せておきたかった。
「北条家とは特に争う間柄ではありません。寧ろ、涼春殿とは良い関係を築かせてもらっております」
帰蝶は、今川家側で同席している涼春を見た。
「正式に何か結んだ関係ではありませぬが、私個人として北条家に悪感情は持っておりませぬ」
「……左様か。時折来る手紙で、ある程度は聞き及んでおる。娘が世話になっており、大変な感銘を受けているともな」
氏康が娘の父として、戦場にまで同行するまでに変貌してしまった娘の原因たる帰蝶に、感謝して良いのか苦情を入れるべきなのか、迷いながらも答えた。
「しかし武田家とは、甲斐殿がおっしゃる通り、不幸にも飛騨で争う事となり、それっきりであります」
帰蝶は晴信が口にした『不幸』を言質として切り返す。
憎しみの果てでの戦だったならともかく、不幸な行き違いだったならば、どんな損害も事故である。
ならば修復も可能だ――-
帰蝶も言いながら酷い理論だとは思っていたが、これも晴信の言い草を利用した帰蝶の反撃だ。
「……。言っている意味が分かっているのか? いや、今更その言葉撤回は出来ぬぞ?」
晴信は、今回の会談で一番乗り気な姿を見せた。
信長は武田家を過剰なまでに恐れているが、史実はともかく、実はこの歴史では晴信は織田家を難敵と認め恐れていた。
その対応に苦慮する相手を、ある一定の水準までは考慮しなくて良くなるのは助かるには違いない。
しかし、簡単にエサに喰らいつく真似はしない。
「それに問題点もあろう。三好に与する織田や斎藤が、武田と誼を通じるのは三好に対する反逆と取られぬか?」
「13代陣営は織田殿が滅ぼしてしまいましたから、包囲網は消滅したも同然でありましょう。ならば何も問題はありませぬ」
(む……!)
(……ほう?)
「……! 確かにそうかも知れぬ。しかし三好は14代とも争っておるのだろう?」
義元と氏康が心の中で驚き、晴信も一瞬の驚愕の後に言葉を続けた。
「14代と言うよりは六角ですが、その六角は先の戦いで朽木を失い、正真正銘、京に封じ込められました。もはや生かされているだけの存在です。甲斐殿は風前の灯火たる六角家に与しますか? 引き止めはしませぬが、妙手とも思えませぬ」
「……。そうよな。もはや死に体の六角に与しても意味はない。よかろう。その提案を受けようではないか」
武田にとって、織田と結ぶ障害は無いに等しくなった。
面倒な織田が東進しないなら、上杉相手に全力を注ぐ事もできる。
そして、帰蝶のミスにも気付き心の中でほくそ笑む。
ミスとは13代陣営の状況である。
公式的には義輝陣営は行方不明(?)であり、直接の関係者以外は義輝が滅んだのかどうか確定が出来ていない。
武田も北条も探ってはいたが、確定もできず対処に困っていたが、帰蝶が口を滑らしてしまった所為で、強力な判断材料が入手できた。
「わが娘で嫁ぎ先が決まっていない者が幸いにも居る。今年生まれたばかりだから当然と言えば当然だがな」
晴信は、帰蝶のミスに機嫌が良くなり、先ほどと変わって乗り気で語るが、ここで思わぬ反撃を受けた。
「松姫殿、ですね?」
「(ッ!?)……そうじゃ」
晴信は辛うじて『何故それを!?』と言いかけて堪えた。
産まれたばかりの松姫の名を察知している。
これは脅威である。
武田家内から情報が漏れたに他ならない。
だがこれは勘違いである。
これは正真正銘、歴史を知るアドバンテージによる精神攻撃である。
歴史を知るアドバンテージによる攻撃兼、先に松姫を指定する事によって、別人が来る事を防ぎたい思い兼、斎藤家の諜報を警戒させ舐められない為に、敢えて帰蝶は名を告げた。
「……その話進めて貰っても構わぬ。まぁ頓挫しても何ら不都合は無いが、美濃守殿の説得に期待しようか」
晴信は帰蝶を強敵と認めた。
面倒な相手には違いなく、何なら隣人は弱者であるのが望ましいのが古今東西の常識。
その点、新生斎藤家は、全く油断ならないと認めざるを得ないが、隣人が強いからこそ発展する場合もある。
正直、晴信は閉塞感を感じていた。
晴信が本来の歴史を知る由もないが、本来なら今川義元討死を契機に、今川領へ侵攻し海を手に入れる未来があった。
だが、今は全てに蓋をされ東西南北全て強敵と言う悩ましい状況に藻掻いている。
しかし、北の上杉以外の安全がある程度確保されるなら、メリットは大きいと晴信は踏んだ。
先の『頓挫しても不都合は無い』は、最後の見栄である。
「ただし、その説得が上手く行ったとて、流石に産まれたばかりの赤子を渡すのは母子共に忍びない」
晴信は全くそんな感情は持ち合わせていない―――事も無いが難色を示す。
女子が政治の道具でしかない世界である。
晴信も、別に渡してしまっても切り捨てる覚悟は、当然の手段の一つとして持っている。
では一体、何に晴信が難色を示しているのかと言えば、それは教育だ。
戦国の世の妻はスパイの役目もある。
その教育をせずに嫁がせるのは、武田家にとって本来当然の如く享受できるメリットを失う事を意味する。
それ故に人情を盾に即時の輿入れには難色を示す。
「構いません。成長をしてその日が来るのを楽しみにしています。織田殿はきっと説得して見せましょう」
帰蝶は当然スパイ教育だと察した上で、にこやかに了承した。
こうして会談の大部分は終わった。
後は腹の探り合い要素の強い雑談が繰り広げられる。
本当に他愛のない会話だった。
例えば、涼春が戦に同行し大きい戦果を挙げた事、しかも西国に名を馳せる吉川元春を弓で射抜いた話程度だ。
この時、父の氏康は卒倒しそうになり、義元が慌てて謝罪し、晴信が『そういえば家の嫡男の里嶺(嶺松院)殿も武芸に励んで……』と呆れつつも褒めれば、氏政も『ワシの妻の文梅(黄梅院)武芸に熱心で……』と話を繋いだ時には、流石の晴信も青ざめ、三国同盟の領主はその原因たる帰蝶をちょっと恨んだ程度の他愛の無さであった。
他にも帰蝶の強さの秘密を探ろうと、普段何をしているのか同行した武将が聞いたりして絶句した位である。
こうして3回目となった善徳寺のが終わった。
善徳寺のからの帰りの道中―――
「無事終わりましたな」
義元が波乱の会談に少々疲れた表情を見せつつも、多少のミスはあったが帰蝶が対等に武田と北条に渡り合った事に安堵する。
今川家としても賭けだっただけに、帰蝶が十分に大名として行動できる事に満足した。
「それにしても、何の事前準備も無かったであろうに、良くぞ婚姻同盟を持ちかけましたな」
今回の会談は、義元の思惑で急遽実現したので、誰もが何の事前準備も交渉カードも用意していない中で行われた。
何の準備も出来ていない会談であれば、様子見、顔見せで終ってもおかしくない中、武田と織田の和睦同盟の可能性が出ただけでも大したモノなのだろう。
「今川殿試練なれば、頼りがいある姿を見せておきたくて少々無理をする事になりましたが……」
帰蝶は微妙に苦い顔をしながら答える。
信忠と松姫の婚姻は、歴史的事実であって帰蝶のアイデアではない。
義元の課した実力査定の場でカンニングしたも同然で、多少の後ろ暗い気持ちがあった。
「まぁ、武田殿に多少なりとも受諾の意があるなら、織田殿は何とかなるでしょう」
信忠と松姫の婚姻は歴史的事実だが、だからと言って今回の話も本当に実現するかは余りにも未知数だ。
しかし、歴史改変を望む信長ならば、この提案は通る可能性は高い。
自分で提案しておきながら予想外の展開で、帰蝶も戸惑う所はあるが『織田家との交渉』もこれからは仕事として取り扱わねばならないなら、これも遅かれ早かれ通過しなければならない試練であろう。
「駄目なら駄目で利用するまでです」
「うむ。それが判っているなら……いや、散々試す様な真似をして失礼千万でしたな。今川家はこれからも隣人として力になりましょう」
「ありがとうございます!」
「次はどちらへ?」
「一旦、美濃に戻って朝倉家、そして三好家に行こうと思います」
「左様か。朝倉の現状は今川として特段掴んでいる情報は無いが、一方で三好の器は並ではない。織田殿からも聞き及んでいようが、最大限警戒してお行きなされ」
義元は三好長慶の面談をクリアした身だ。
まさしく命がけとなる面談に帰蝶が挑むとなると、アドバイスの一つもしたい所だが、軽々に話せる内容でもないし、先にバラしてしまっては今川家として斎藤家の立場を測る事が出来ないので、注意に留めた。
「はい!」
帰蝶は力強く返事をする。
覚悟も万全だ。
それでも―――
あそこまで驚く事になるとは思っていなかった―――
タイトルが『ファイナルラストグランドフィナーレ最終回Season2』みたいに……!
当初のプロットでは「帰蝶が斎藤家を継いでこの章は終わり!」のつもりでしたが、後の展開を考えたらまだまだこの章は終われませんでした!
この章はあと1話程投稿する予定です!




