表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
信長Take3【コミカライズ連載中!】  作者: 松岡良佑
17章 永禄4年(1561年) 弘治7年(1561年)必然と偶然と断案
277/447

161-1話 若狭湾決戦後始末の顛末 斎藤龍興の絶望

161話は2部構成です。

161-1話からご覧下さい。

【美濃国/常在寺 斎藤龍興】


 美濃は常在寺。

 史実では斎藤道三から龍興までの3代が葬られている寺にして、今の歴史では斎藤道三と、その後継者である斎藤義龍が葬られている寺でもある。


 斎藤義龍はつい先日に没した。

 まるで若狭湾の戦いの決着を待っていたかの様であった。


 信長と龍興、他は極一部しか伝えられていなかった病状だっただけに、一報を聞かされた義龍の家臣らに激震が走った。

 若狭防衛と朽木攻略の戦勝ムードは全て吹き飛んだ。


 そんな英雄、斎藤義龍の葬儀が常在寺にて執り行われた。

 妹の帰蝶は当然、信長も参列した。 


 これからだと言うのに―――

 折角、若が見事に独り立ちしたのに―――


 そんな義龍の無念を(おもんぱか)る声が大多数の中、やはり斎藤家の将来を心配する声も中にはあった。

 だが、そんな声は信長が一掃した。


『織田家は斎藤家と共にある! 新九郎殿(龍興)の若さ故の侮りもあろう! だが、あの若狭での戦いを知ってまだ侮る者がいるなら、義龍公が発展させた斎藤家によって滅ぼされるだろう!』


 斎藤家が揺れ動いてしまっては織田家としても困る、と言う打算は当然あるが、生前の義龍の策を無駄にしない為にも、ここは何としても持ち堪えてもらわねばならない。

 まさに正念場だ。


 その為に葬儀が終わった後、斎藤家の主だった家臣が集められ義龍の遺書と今回の策の真相が公開された。

 あの若狭湾の戦い及び、朽木攻略とは何だったのかを。

 策を知っていた龍興と信長、仙石久盛、竹中重治が補足の説明をするが、この場では大した混乱は起きなかった。


 精々、帰蝶などが義龍と最後の対面を果たした時を思い返せば、違和感が満載だったのに、何で気が付かなかったのかと悔やんだ程度であった。


 無茶な初陣総大将の策も、敵を騙すなら味方からだと、今なら納得はできる。

 お陰で、斎藤家は代替わりに起因する困難の大部分をシャットアウトできるのだ。


「兄上は、最後まで斎藤家の未来を見ていたのですね……。しかも私に弱った姿を察知されたく無いなんて全く! 兄上らしいと言うか何と言うか……!!」


 帰蝶は泣きながら笑った。

 他の者も同様だ。

 帰蝶ら斎藤家縁者は、若くして亡くなるも、その死を受け入れ策にまで昇華させた義龍の執念と意思と、ついでに妹愛を感じるのであった。


「あっ。新九郎殿が急いだ理由はこれも一因だったのですね?」


 全てに合点がいった帰蝶が、行軍中の最初の違和感の正体に気が付いた。


「そうらしいな。じゃが言うに言えぬ事情があった。確かに聞いた限りでは独断突出と感じたかも知れぬ。仕方ないで済ませられない事かもしれぬが、新九郎殿も学んだであろう。必ずや次に活かしてくれるであろう」


「はっ」


「それに斎藤軍で唯一若狭への奇襲を読んだのなら、突出も已む無しよ。ワシが同じ立場だったとしても突出したであろう」


 信長が家臣を置き去りにして突出する事は、史実で確認できるだけで何回もある。

 強引にでも軍を動かす必要がある時には選択せざるを得ない手段である。

 そんな信長の言葉は説得力抜群であった。


「……ッ!!」


 その時、龍興の体が揺れた。

 誰が見ても異常を感じる光景であった。


「負担から解放された安堵感かしら? 今の今まで秘匿して来たのだから大変だったでしょう。その若さで家の主として葬儀も差配したのだし疲労は我らの比ではありません。今日はここまでにして、落ち着いたら今後の事を相談すると言う事で宜しいのではないでしょうか?」


「そうじゃな。斎藤家としては此度の義兄の件は痛恨の出来事であろう。じゃが、何かあれば織田を頼ってくれれば何時でも必ずや力になろう」


「ありがとうございます。此度の支援の礼も改めて伺わせて頂きます」


 こうして義龍の葬儀と策の全容が明かされ、改めて龍興が斎藤家の主として織田と接して行く事が決まったのだった。



 龍興以外の全員が退出した一室―――



 龍興は憔悴した表情で十字を切った。

 史実ではキリシタンだった説もある龍興だが、別に今はキリストを偲び十字架を切った訳では無い。


 切腹に置ける作法、十文字切りの予行演習を行っただけである。

 脇差を右手に取り、己の左腹を刺しそのまま右に切り裂いていく。

 次に鳩尾から臍まで縦に切り裂き、自ら致命傷を与える。

 その手順を確認しただけだ。


「父上……」


 息も荒く、涙で眼前は歪み、緊張と恐怖から平衡感覚も崩れに崩れ、自分が立っているのか座っているのかも判断がつかない。

 震える手が制御できず、左手で右手を強く握るが、それでも震えは増すばかり。


「……ッ!!」


 龍興は己の腹に脇差を突き立てた。

 突き立てたが―――

 刺さりはしたものの、痛みが感覚を呼び起こし、脇差は手から零れ落ちた。


「ッ!?」


 龍興は己の手を呆然と見つめる。

 何故脇差が手から零れ落ちてしまったのか理解できない。

 痛みに驚いて手を離した様にも感じるし、意思に反して手が離れた様にも感じる。

 手を傷口に当てるが、とても内臓に達する深さとは思えない浅い切り口。


「そうか……。ワシは切腹も出来ぬ腑抜けであったかッ……!!」


 それなりには刺さった腹から血が流れ着物が朱に染まるが、そんな事は全く気にならない。


「ハッ……ハハッ……! ハハハハハ!! アッハッハハハッハハッ……!!」


 絶叫の様な悲痛な笑い声が部屋に溢れ、襖が開かれた。


「曲者か!? どうし……た!?」


「だ、大丈……新九郎殿!?」


 信長と帰蝶であった。



【美濃国/常在寺 織田信長】


「……。少し待て」


 近江に帰還しようとしていた信長は、常在寺の門を潜る時に、ふと思い立った。


「新九郎殿には一言告げておかねばならん事があった」


「ご一緒しましょうか?」


「どちらでも良いが、お主が何か言葉を掛けたいなら共に参れ」


「そうですね……。一応一緒にいきます」


 信長も告げる事があると言ったが、何を告げるかは特に決まっていない。

 何となく、後ろ髪を引かれる様な気がしただけだ。

 あの大任をやり遂げた龍興に、個人的に言葉を掛けてやるのが正しい様な気がしたのだ。

 通信手段が手紙しか無い時代である。

 話せる事は話せる内に話すに限る。


 それは帰蝶も同じであった。

 特に話す事が決まっていないのも同じであった。


 強いて言うなら二人とも、織田家、斎藤家ではなく、縁のある叔母と義叔父の立場として何か言うべきかと思った次第である。


 結果的に、この思い付きは『虫の知らせ』だったのだろう―――


 寺の小僧に再度案内され龍興のいる一室に向かう信長と帰蝶。

 その歩を進める足が同時に止まった。


「え? あの、何か……?」 


 案内していた小僧が、何か不手際があったかと狼狽するが、二人は構わずすぐに歩みを再開する。


「……気が付いたな?」


「はい……!」


 特に殺意に敏感な二人であるが、それは己に向けられる殺意だけに反応する訳では無い。

 感情の変化にも敏感であるが、それがマイナス方面の感情であれば尚更だ。

 これから向かう部屋の方角から、悲痛な害意と怒りや絶望といった感情が溢れ返っているのだ。

 葬儀の場ではそんな感情が渦巻いていても当然であり理解できるが、一段落した後に、葬儀の現場より強い圧力を伴う感情の爆発は異変だ。

 

 二人は明らかな異常事態だと判断し、小僧を差し置いて全速で龍興のいる一室に向かう。

 そして(おぞ)ましい笑い声が聞こえた襖を開け放った。

 礼儀も何もあったものでは無いが、そんな事を言っている状況でも無い。


「曲者か!? どうし……た!?」


「だ、大丈……新九郎殿!?」


「えっ……? あ……」


 腹から血を流しつつも、異様な雰囲気で仁王立ちする龍興に思わず圧倒されそうになる信長と帰蝶。

 しかし、曲者に手傷を負わされたにしては、そして、あの激情に溢れ、(おぞ)ましい笑い声があった部屋に居たにしては、今の龍興は、何か拍子抜けした様子にも見える。

 それに部屋が荒れた様子もない。

 龍興の腹から滲み出る血と、傷を負っているのに無頓着な本人の態度以外、何も不審な点が見当たらない。

 曲者と争ったなら、その痕跡を見逃す信長と帰蝶ではないが、そんな様子は一切感じられなかった。

 ならば答えは一つしかない。


「ま、まさか追い腹をしようとしたのか……?」


 追い腹とは後追い自殺。

 導き出された答えはコレしか考えられなかった。

 父を想い追い腹を敢行したが、何らかの理由で失敗した、と。


「新九郎殿、まずはその脇差を置きましょう。ね?」


 帰蝶が足の指先で床板を掴んで(にじ)り寄る。

 同時に顔の晒しを外して吉川元春から受けた傷を晒す。


「それ以上は止めておきなさい? 私も結構我慢しているけど、切り傷は痛いわよ?」


 帰蝶の顔の傷は痛々しく赤い。


「過去には目を斬られ、胸も骨折したけど死ねなかった。知ってる? 怪我ってメチャクチャ痛いのよ。それなのに全く死ぬとは思わなかった。不思議ね」


 そんな帰蝶の姿に龍興は我に返った。


「な、何を……」


「でも、死ぬのは死ぬ程痛いってのは知ってるの。だから―――」


 もう2歩程の距離まで詰めた帰蝶と信長。


「そんな震える手では何回突いた所で死ねないわよ?」


「えっ」


 帰蝶に指摘されて思わず己の手を見る龍興―――の、目線が切れた瞬間、飛び出す帰蝶と信長。


「あ……? クッ!?」


 慌てて脇差を振り上げ、再度腹に突き立てようとする龍興。


「殿!」


「任せよ!」


 帰蝶は晒を投げつけ龍興の腕に絡ませると、力いっぱい引き寄せて龍興を抱きかかえる。

 信長も同時に龍興の腕を取ると、脇差を奪い取った。

 攻防の意味としては、この2人を前にして目線を切るという隙を晒した龍興に勝ち目は無かった。


「グッ!! 放せ!! あぐッ……!?」


 2人掛かりで取り押さえられては、未熟な龍興に出来る事は、もはや舌を噛み切る事だけだ。

 だが、それも出来なかった。

 噛んだは良いが、予想以上に痛くて噛めなかったのだ。


「……!! ふぐっ……おぉぉッ!!」


 龍興は、余りの不甲斐なさに泣く事しかできなかった。


 そうこうしている内に、騒ぎを聞きつけたのか、遠方から声が近づいてくる。

 案内していた小僧が読んだのだろう。


「殿、お願いしても良いですか? 女の私より、兄の策の事情を知っていた殿の方が、腹を割って話しやすいでしょう」


「……わかった。ならば、暫く誰も近づけるな」


「わかりました。新九郎殿、コレで傷を押さえておきなさい。……では、お願いします」


 龍興に予備の晒を渡し部屋の外に出た帰蝶が、斎藤家の面々にはぐらかしつつ説明し遠ざけた。

 こうして信長による事情聴取が始まった。


「……人の気配は無くなったな。さて……。一体何がどうなってこの状況なのか? 順を追って説明せよ」


 信長はなるべく無機質に問うた。

 この状況で厳しくするのは違うと思ったが、かと言って優しく接するのも違う気がして、機械的に命令した。

 それに、お互い国の代表者同士で、本来は命令できる立場では無い。

 だが、正しくは無くとも、これが一番相応しい気がしたのだ。


「もう……某は生きてゆけませぬ……!」


「その様だな。だが自害を失敗したからには、心の奥底では死にたくないのだと理解せよ」


「し、死にたくない……!?」


「そうじゃ。もうお主は自分で死ぬ事は出来ぬ。諦めよ。ならば話して楽になれ」


 あんなに強い決意で臨んだ自害に立て続けに2回も失敗した。

 死の恐怖と痛みを知った。

 その上で死ねるなら、最初から失敗しないだろう―――との予測である。


 本当に死ねないかは信長も分からないが、信長は2回も自害を成功させた唯一無二の身である。

 直感で、龍興にはもう自害は無理だと察するに十分である。

 

「……此度の……若狭防衛と……朽木攻略……。某は何の手柄も立てておりませぬ……!」


 血を吐く様な龍興の懺悔が口から零れ落ちた。


「その根拠は? 皆、お主の武勇と手柄、智謀の切れ味を褒め称えておるし、ワシも聞いた限りでは同じ意見。それが違うと言うのか?」


「違うのです……ッ!! まず……某は独断で―――」


 龍興は話した。

 軍から独断で突出した事。

 その理由は、義龍が生きている内に朽木を攻略し、尚且つ、義龍が生きている内に帰還して勝利の報告を自分でしたかったに他ならない。


 これが想いが全ての始まりにして元凶だった。(156話参照)

 義龍の死を賭した策を成功させたかった。

 死は免れぬとしても、せめて後顧の憂いは断っておきたかった。

 戦場を共にする事は叶わなくとも、勝利の報告を聞かせ、共に喜びたかった。

 しかし、策が策故に誰にも話せず、周囲と熱意の温度差が広がる一方だった。


「なるほど。確かに義兄上のあの覚悟と策。死に逝く者への手向けとして、その行動は理解できる。もっと言うなら、義兄上のあの策を秘密裏に聞いたのなら叶えてやりたいのも道理よ」


 龍興の独断が全ての始まりなら、義龍の策が打ち明けられたあの時こそが元凶の元凶なのだろう。(150話参照)


「しかし……流れが変わりました。進軍途中、織田殿の伝令が届いたのです……」


 龍興の暴走が止められた時、南近江で六角と尼子の策を見破った信長が、警戒を伝える為に伝令を送った。(155話参照)

 そのタイミングが最悪だった。

 不幸にも、信長の神懸かり的読みは、龍興の暴走を正当化させるに十分な理由であった。


「某は父に胸を張って報告したかったッ! 成功も失敗も死に行く父には土産話として聞かせたかったッ!」


 龍興の告白は、呪詛の如き圧力で、とても少年の出せる感情とは思えなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ