159-1話 若狭湾決戦決着 殺意の槍
159話は3部構成です。
159-1話からご覧下さい。
【若狭国/若狭湾 尼子家 尼子水軍 吉川元春】
帰蝶達が尼子水軍の関船1隻を奪取した若狭湾南方海上。
北方海上の戦いは付かず離れずの射撃戦なので戦況に劇的な変化は無いが、南方は若狭九鬼水軍が先制の戦果を挙げた。
一方、戦果を提供する形になってしまった尼子水軍。
焦燥や圧迫感を感じているかと言えば、それは違うだろう。
相変わらず数の利は圧倒的であり、しかも、早々に吉川元春が敵の戦略も南方に偏らせた変則陣だと察知している。
慌てる理由は何もなかった。
もちろん、元春はこの状況に楽観視する程、間の抜けた武将でもない。
「この奇襲を読んだ危機察知能力。少ない戦力を歪な陣形で工夫し先制攻撃を成功させる突破能力。危機に供えていたとしか思えぬ装備。……相当の無理をしているな」
敵の備えや攻撃に驚くのはもう散々やった。
それが終れば自然と見えてくるのは敵の覚悟である。
「捨て身か。と言う事は、あの船を沈めてしまえば此方の目標は達成ではないか」
今回の尼子水軍による若狭遠征の目的は、尼子晴久の策と命令による斎藤家の朽木攻略妨害であるが、奇襲を読まれた以上、策は不発であり、臨機応変に現場の判断で次善の策として損害を与えての撤退を選んだ。
しかも潮目に合わせて、長くても3時間以内には撤退するつもりでもある。(157-1話参照)
一方の帰蝶達は、あくまで尼子の若狭上陸を阻止する為に動いている。
ただ、尼子の思惑を知らないので仕方ないが、帰蝶達は睨み合いだけで済ませられる選択もあった。
尼子水軍としてはソレが一番困るのだが、幸運な事に敵が攻めてきてくれた。
思惑の変貌が、敵に損害を与える事を第一目標としている尼子水軍に都合よく働いてしまっていた。
元春も、まさか斎藤、織田、今川と三カ国に渡る武将級が固まって乗船しているとは思っていないが、間違いなく最大戦力を投入しているからには、沈めた場合の敵の人的損害は計り知れない。
つまり尼子水軍にとってこの状況は『鴨が葱を背負って来る』に近い。
「よし。移乗攻撃に移る前に牽制をしかける! 射撃を絶やすな!」
葱を背負った鴨であっても、その鴨は凶悪だ。
与えられる打撃は与えるに限る。
「制圧された船を奪還しようと思うな! 沈めてしまうつもりで撃ち込み射掛けよ!」
帰蝶らが委譲攻撃で奪った味方の船に対し、元春は非情な命令を下した。
「は、はい……!」
命令を受けた兵が苦い顔をした。
味方を沈めるのに抵抗がある様だ。
「ただし、あくまで『つもり』だ。狙いは矢倉上層部。水夫の居る船の中層は狙うなよ」
「う、承りました! 射撃用意! 撃てーッ!」
一見、味方を見捨てる命令ではあるが、最大限救出の可能性を残した配慮ある命令に、兵は攻撃の意図を察して射撃命令を実行した。
元春は情に厚い―――と言う理由での命令ではない。
(沈めてしまいたいのは山々だがな)
本当なら味方の船諸共沈めてしまいたかった。
しかも敵の主力が集まっているのだ。
奪われた船を航行不能にするか、沈めてしまえば一網打尽にできるのだ。
むしろ、目標達成への絶好の機会である。
南側の敵の強襲を防ぐだけなら、これが一番手っ取り早い。
だが、救出を念頭に置いてしまっては、相手も精鋭故に損害は計り知れない。
戦果を挙げる為に、味方を犠牲にするか?
味方を助ける為に、戦果を諦めるか?
一種のトロッコ問題であるが、戦国時代はリアリストの極みが生き残る世界。
現代と違い命の価値に差があるのが常識の世界である。
本来なら迷い無く前者を選ぶのが戦国の武将であろう。
その方が、結果的にも犠牲は少なくて済む。
それに、戦には同士討ちが付き物である。
敵味方入り乱れ戦場の殺気が渦巻く非日常の極みの中で、陣営を示す目印たる『旗指物』や『袖印』を失えば、敵味方から不確定要素として排除されるのも仕方ないのが戦国時代。
例として伊達政宗の曽祖父である伊達稙宗は、制定した分国法『塵芥集』にて同士討ちについて定めた。
同士討ちは『名誉の戦死』であると。
どんなに頑張っても防げないなら、名誉の戦死として扱う以外に無いと考えたのだろう。
さらに曾孫たる伊達政宗は、大坂夏の陣にて、味方の神保軍を後方から鉄砲射撃を見舞ったとの逸話がある。
この逸話は、神保軍は伊達軍の前方に布陣していたが、豊臣方の攻撃で総崩れとなり伊達軍に向かって逃げたが、政宗は伊達軍まで巻き込まれて潰走する可能性を回避すべく、逃げる味方を銃撃した。
この伊達軍の行為には神保家も抗議し、他の大名も政宗を卑怯者と罵ったが、政宗は『伊達の軍法に敵味方の区別はない』と強弁し、お咎め無しとなったが、塵芥集を知らなければ出てこない申し開きであろう。
そんな同士討ちであるが、当然ながら、決して推奨されている訳では無い。
今の若狭湾の戦いとは状況が違うが、要するに『味方諸共攻撃しなければならない場面はある』と言う事だ。
それを勇将吉川元春が知らぬハズが無いし、選べぬハズも無いのに選ばない。
犠牲になる味方を憐れんで―――との判断ではない。
もちろん見捨てたい訳ではないが、真意は別にある。
(本当は沈めてしまえば楽なのだがな……。毛利が兵に対する配慮が無いと伝わるのはマズイ)
現在毛利家は、毛利元就の遺言に従い陶晴賢と組んで、尼子に臣従しつつ機を窺っている。
機とはもちろんクーデーター。
毛利家は天下を目指すと決めた。(137話参照)
だが、いざ尼子家内部でクーデターを起こす時、味方を大切にしないと判断されるのは困る。
その機会が何年先になるか不明な話ではあるが、主家たる尼子に察知されぬ様に慎重に、草の根レベルで浸食しなければクーデターは成功しない。
諺に『来年の事を言えば鬼が笑う』ともいわれる中、来年どころかもっと先の未来の話を見据える元春。
しかし見据えない訳にはいかない未来でもある。
鬼に笑われようが何だろうが、将来の為に、今迫る危機を見逃す愚行を取らざるを得ない事情がある。
この事情があるが故に、味方の船を沈められないのが、この戦いの懸念材料であった。
そんな制限のある中で、元春は着実に帰蝶達を討ち取る為に指揮を執り続ける。
「よし! もうよかろう。射撃部隊は敵の鉄砲攻撃が激しい船に目標を移せ! 移乗攻撃の邪魔をしてはならん!」
帰蝶達の乗る船へ射撃を続けた元春であるが、ここで射撃の目標変更を命じた。
これから乗り込む予定の船に射撃を続けてしまっては、敵のアシストをする行為に他ならない。
「だが、それはそれとしてワシからも挨拶はせねばなるまいな!」
元春は右手で槍を担いだ。
左手は距離を測る為に指を伸ばし突き出している。
そして狙いを奪われた船に定める。
元春は槍を投げつけるつもりだった。
「えっ。射撃は中止と……」
「射撃ではない。投擲だ」
味方部隊には射撃目標の変更を指示しておきながら、己は屁理屈をこねて投げるつもりであった。
絶対に外さない自信があるからだ。
「小太郎(吉川経家)!」
「はッ!」
「ワシらが直接乗り込む事を念頭に備えておけ!」
元春は敵船から目線を逸らさない。
今後の作戦を伝える重要な指示を下すが、経家には目もくれず、視線が圧力を感じる程にまで集中力が高まる。
「お任せを!」
「出番が無いに越した事は無いが、出番が来る事を祈るぞ?」
元春と帰蝶の乗る船は、尼子水軍の関船一隻が隔てるだけの距離。
視認も十分可能な距離である。
元春は槍を担ぎ、高めた集中力を注ぎ込み目標を見据える―――
前方の味方の関船が、慌しく射撃の応戦をしているのが見える。
波が船に当たり砕け飛沫が上がる―――
さらに前方を見据え、圧力が担いだ槍を覆い巨大な棒を形作る―――
味方の兵士の間から、竹束の間から、赤い甲冑の一際異質な殺気を放つ武将が見える。
飛沫が宙を舞う―――
さらにその武将を見据え、圧力の棒が細く鋭く貫通力と殺意を持つ―――
眼帯の武将と視線が交差する。
宙を舞う飛沫が揺らめく―――
敵も味方も揺れ動く、陸ではありえない海上独特の戦場で、元春は必殺の間合いを捉える―――
圧力は殺気となり命を貫くまでに変質する―――
飛沫が砕けて分裂する―――
「ッ!?」
元春は槍を投げた。
いや―――
投げさせられた、と言うべきか。
だがそれでも、投げられた槍は眼帯の武将に吸い込まれていったが、狙いをつけた武将には槍を躱された。
「何だ今のは……? 腕に何かが? おぞましい……噛ま……掴まれ……? いや、違う?」
元春は己の右腕を見る。
周囲も見る。
少なくとも手の届く範囲には誰もいない。
誰かが己の体に触れたのはあり得ないが、何か得体の知れない尋常ならざる殺意を纏った妖怪の如き生物を、元春はハッキリと感じ取った。
「この乱戦で、我が気配を察知したと言うのか……?」
元春も、毛利元就の深謀には、聞いただけで暗闇に引きずり込まれる錯覚を覚えた事もあるが、殺意に怯んだのは生まれて初めてかもしれない。
「親父とは違う別種の化け物がいるのか? まさかな……? いや、居ると断定すべきだ!」
元春は長巻を手に取ると、己ののる関船を、先ほどの怪物がいるであろう船に寄せる様に命ずるのであった。
【若狭湾/若狭九鬼水軍 斎藤帰蝶】
元春が投擲する直前の話である。
赤い甲冑の主たる帰蝶は気配を察知した。
眼前で暴れる暴風的な気配ではない。
針の穴を通す様な、鋭く貫通する気配である。
「敵の射撃が止ん―――(狙わ……!)」
その気配は、まだ明確に己を捉えてはいない。
だが、揺れる海面で、気配で竹束や上空を薙ぎながら、間違いなく己の命を的に掛けている。
自分の命を貫くのは時間の問題だとハッキリと感じるに足る激烈な圧力を感じるや否や―――
考えてアレコレ対策をとるなどと悠長な事をする間もなく、浴びせられた圧力に帰蝶は無意識に反応し殺気を飛ばす。
殺気が蝶の羽を生やした蛇を形取り、元春の腕に絡みつく―――と同時に命を貫くに足る圧力を纏った矢が飛来し、帰蝶は辛うじて躱した。
「察知していなかったらマズかったかもね……! 皆、一隻またいだあの船に手練れが居るわ!」
帰蝶は警戒を指示すると、乗り込んできた敵兵を蹴り飛ばし海に叩き落した。
南側はこれからが正念場となろうとしていた。
【若狭湾/若狭九鬼水軍 九鬼浄隆】
「クッ! 手ごわい!」
北側の指揮を一手に引き受けている九鬼浄隆は焦っていた。
今敷いている雁行陣は、帰蝶を南側から突撃させる為、北側に犠牲を強いている。
元々、損害を受け入れる作戦だったので被害は想定内だが、被害の規模が想定を上回り、かつ、戦果が想定を下回りつつあった。
それには敵の戦法が大きく関わっていた。
「こちらは隙を晒し数も劣っているのだぞ!? 何故攻め寄せぬ!? 海流に押されてきても良さそうなのに微動だにもせん! 海底に足でもつけているのか!? ……何たる海戦巧者よ!」
浄隆ら北側の船団は徐々に徐々に鑢で削るが如く消耗を強いられていた。
当初の想定としては、隙を晒したこの陣形に誘い込み、移乗攻撃にて着実に損害を与える戦法を取ろうとしていた。
九鬼水軍としては大損害と引き換えに敵の船を一割沈めるのが目的だ。
元々数で劣る。
増量火薬による先制銃撃と竹束による防御で序盤は有利に働いた。
だが、その後が続かない。
敵船も自分たちの攻撃を届かせる為に、こちらの射撃の射程距離には入ってくれるが、決して突撃移乗攻撃を仕掛けてこない。
引き込めさえすれば、地の利と操船技術で料理してしまえるのに、こうまで徹底的に距離をとられては引き込んでの殲滅が叶わない。
消耗戦が目的ではあるが、この形は目的と沿わないのだ。
「己の庭で後れを取るのか!? この同盟国の海を守護する九鬼が!」
浄隆は南方に目をやった。
南側は目論見通り激戦となっている。
だが、南側での戦闘で、一割与えるべき損害全てを与えられるとも思っていない。
北側でも何%かは達成するつもりが、完全に当てが外され浄隆は焦る。
「濃姫様……!!」
浄隆は帰蝶に詫びつつ、攻めてこない敵の武将に苛立ちをぶつけるのであった。
【若狭湾/尼子家 尼子水軍 毛利隆元】
浄隆の憎悪を受ける敵の、攻めてこない武将たる毛利隆元。
こちらはこちらで、敵の隙を晒した陣形に南側の襲撃に泡を食っていた。
「絶対に突出するなよ! 敵の狙いも分からぬこんな罠同然の戦で、しかも不慣れな海戦で、あれこれ手を打つなど自滅するのがオチよ! 絶対に動くな! 全力で距離を保つのだ!」
毛利隆元は断言した。
君子危うきに近寄らず―――
危うき戦場に近づくどころかど真ん中で指揮を執るハメになった隆元だが、しかし、近づいてしまっているなら、それならそれで、冒険など絶対にしない。
「治部(元春)の奴め! 指揮をワシに押し付けよって! 負けたいのか!?」
当初、軍の先陣は元春が担っていた。
同時に、最前線から先鋒部隊指揮する手はずが、早々に南側に行ってしまった。
もちろん、元春は南側が危険と判断した上で、放置しては看過できぬ被害がでると見抜いた上での行動であったが、指揮を押し付けられた隆元としては堪ったものではない。
「じ、治部様の事、南が危険と判断なされたのでしょう」
元春の愚痴に側近がフォローを行う。
だが余り効果は無かったのか、隆元の顔の眉間の皺は深くなるばかり。
「わかっとる! あ奴が動くのだ! そりゃ何かあるのだろう! その位の信頼はしておるわ!」
「で、では何がそんなに懸念なのですか?」
「ワシは戦が下手だと皆知っておるだろう!?」
「そ、それは……!? も、もっとご自身を信頼なさってもよろしいのでは?」
「この世で己ほど信頼できぬ者はおらんわッ!」
(こ、このお方は……!)
自他共に戦下手だと隆元は思っている―――のは当の隆元だけだと言うのを隆元は知らない。
毛利家当主の才能を、『自』はともかく、『他』は隆元の戦を全員が信頼している。
だからこそ元春は兄を信頼して指揮を任せたのだが、隆元はその信頼を全く信じていない。
隆元の戦才は誰もが、それこそ元就も元春も隆景も認めているのに、この世で一番己の評価を低く見積もっているのは隆元本人であった。
隆元は親兄弟に比べ戦で活躍ができない。
しかし別に弱い訳ではない。
親兄弟が異常極まりない戦才を示しているだけで、隆元も水準以上の才はある。
比較対象が化け物だったが故の不幸であろう。
己も全く気が付いていないが、親兄弟に比べ派手さは無くとも、堅実さにかけては毛利家随一。
だが、この自己評価の低さと、派手な戦に頼らない、いや派手な戦ができない故の戦法が、九鬼浄隆を苛立たせ困らせた。
何とか引き込んで船を沈めたい浄隆と、絶対に冒険をしない隆元。
南側と違い、北側はお互いの戦法が絶望的な迄に噛み合っていなかった。
元々、敵の戦力を削って頃合いを見計らい撤退するつもりの尼子軍。
数の力で押し切ってしまえば良いだけで焦る必要は全くない。
ただ、隆元はその理屈を理解して指揮を執っている訳ではない。
陶晴賢なら、あるいは吉川元春や小早川隆景なら理屈まで理解し見抜いて同じ戦法を、あるいはもっと戦果が挙げられる指揮を執ったかもしれない。
そういった意味では隆元には確かに戦才は無いかも知れないが、本人としては数刻以内には撤退する戦略を忠実に従っているだけだ。
誰も彼もが超絶に自我が強い戦国武将。
任務に忠実であるのがどれほど貴重であるか、隆元は自己評価の低さから気が付いていない。
だから隆元は強かった。
「孤立した船を優先目標にしつつ、他の船には牽制を続けろ! 敵の銃撃は躱せぬ! しかし数は大した事は無い! 冷静に対処し付け入る隙を与えるな! ……治部め! 帰還したら説教じゃ!」
戦の才能が無いなりに懸命に普通の指揮を執る隆元。
ついに、その選択が効果抜群だと気が付かぬまま、九鬼水軍を翻弄し続けるのであった。
こうして決定打が生まれぬ北側の戦であったが、南側では雌雄を決する動きが表れ始めてきた。




