158-2話 若狭湾決戦 鉄砲船と竹甲船
158話は2部構成です。
158-1話からご覧下さい。
【若狭国/若狭湾 斎藤家 若狭九鬼水軍 斎藤帰蝶】
「一応聞くけど船酔いで動けない人いる!? いないわね!?」
帰蝶は全員に確認を取った。
だが視線は佐々成政と前田利家に向いている。
彼らはかつて船酔いで酷い目にあった。(103-2話参照)
「フフフ。侮ってもらっちゃ困ります。そんなモノは疾うの昔に克服済みです! なぁ又左衞門?(前田利家)」
「勿論です。我ら暇さえ在れば琵琶湖で、伊勢湾で船に乗っておりましたからな!」
かつての願証寺との戦いでは、伊勢湾を封鎖した上で、船を使い電撃的に周辺を制圧したが、別に願証寺側が船で応戦した訳ではなかった。
なので、もう殆ど兵を輸送しただけなのだが、緊張感の無さから彼らは油断し船酔いで倒れた。
ほとんどゾンビと化す程の醜態を晒したのも今は昔。
それに今は紛うこと無き正真正銘の戦場である。
例え船酔いを克服していなかったとしても、緊張感でそれ所では無かっただろう。
「よし……! 鉄砲船の準備できてるわね!?」
帰蝶は更なる確認を取る。
鉄甲船ならぬ鉄砲船。
かつて九鬼一族は信長に『燃えない頑丈な船』の考案を命じられた。(61話参照)
しかも5年の制限付きである。
その命令が天文20年(1551年)で、今は永禄4年/弘治7年(1561年)であり、命令から10年経過している。
だが鉄甲船は実現していない。
しかし、実は案だけはギリギリ5年以内で提出していた。
史実では天正4年(1576年)に第一次木津川口の戦いで大敗した際の対策として、九鬼嘉隆が悩みに悩んでヤケクソで提案した鉄甲船。
15年も前倒しでは普通なら思いつかないと思いきや、15年も前倒しだからこそ功を奏したのは別の話である。
ともかく、現状では案のみで実現はしていない。
これには当然といえば当然の理由があった。
1つ目は財力の問題。
鉄は貴重な軍需品である。
それを船全体で使うとなると、莫大な銭が必要となる。
安宅船の建造費は、一説には現代の価値で1億円前後必要とされるらしい。
安宅船も仕様はピンからキリまであるので多少は前後するだろうが、現代でも因島市にて大阿武船を復元させた際に助成金1億円が必要だったらしいので、建造費1億円前後は妥当な所なのだろう。
問題は鉄の装甲である。
軍需品の鉄を湯水の如く使い装甲にすべく、これまた重要な資源である燃料を使って加工するのである。
ノウハウのある作業ではない。
全てが手探りだ。
安宅船1隻の建造費の3倍かそれ以上は掛かるかもしれない。
一説には加工の難しい鉄より、加工が容易な銅を使ったとの説もあるが、いずれにしても大量に調達するとなると鉄も燃料も高騰するだろう。
一応、現状の織田家であっても一隻ぐらいなら建造自体は可能だが、間違いなく国家の財政に響くプロジェクトである。
だが問題はもう一つある。
2つ目は維持の問題。
鉄は当然錆びる。
条件にもよるが、淡水であっても数日で錆は発生してしまう。
とは言え『錆びたら即崩壊』とは成らないが、それでも海水環境下で鉄を使うなど自殺行為同然である。
錆に強いステンレス製の鉄が存在しない戦国時代では、ただの鉄の船などあっという間に錆びて朽ちる。
それを常日頃から有事に備えておくなど、金食い虫にも程がある。
こうなると一つの事実が浮かび上がる。
鉄甲船の発案理由は『村上水軍の焙烙玉対策であり、その為に鉄の装甲で防御を固めた』のだが、その実『防御の為の船なのに、拠点防御には適さない』のである。
錆びて使い物にならなくなる、長期運用が不可能な鉄の装甲を活かすには、明確な攻撃目標と決戦日から逆算しなければ使えない。
史実における鉄甲船デビューとなった、第二次木津川口の戦いの様に。
だから今回の突発的な襲撃を受けた場合に対応させるのは不可能だ。
そこで鉄砲船である。
長々と鉄甲船を説明したが、本題はここからである。
歴史に名高い鉄甲船は、防御性能だけが突出しているのではない。
本物の鉄甲船は大砲や長射程鉄砲を備えた、近代軍艦の先祖とも言える攻撃力も売りである。
だから、鉄砲船である。
帰蝶は鉄甲船の実物を知らないが、知識としては知っている。
だから、大砲とまでは行かなくても、鉄砲の破壊力を集中させた関船を用意し、仮想大砲と見立てたのである。
若狭九鬼水軍は安宅船、関船合計42隻の内、39隻に500人用意した鉄砲兵を10人ずつ配置した。
そして、残りの3隻に110人の鉄砲兵を配置した。
この3隻は南に配置され極端に攻撃力を偏らせ鉄砲射撃しかさせない、正真正銘の砲撃船である。
北側以上に確実に楯を破壊すると共に、移乗攻撃の侵入経路を確保し、嵐の如き射撃で帰蝶たちをサポートするのが目的だ。
若狭湾奇襲に対する咄嗟の思い付きではある。
大砲はまだ無い。
鉄甲船に搭載すべき銃身の長い挟間筒も、破壊力のある大筒も研究中だ。
だが、スタンダードな銃でも数を束ねれば狭間筒や大筒に迫る威力は出せるかもしれない。
それに鉄砲は数で運用してこそ力を発揮する。
ならば固めて運用するに限る。
「目標は手前の3隻! 射撃後、この船は全速で敵の船に取り付き移乗攻撃を仕掛ける! 放て!」
帰蝶の号令が木霊した。
【若狭湾/尼子水軍 吉川元春】
帰蝶の号令と共に、110丁もの鉄砲が一斉に一隻の関船に銃弾を浴びせた衝撃で、狙われた関船の木製の楯は多数が木っ端みじんに吹き飛んだ。
あとは隣接さえすればどこからでも乗り移れるだろう。
その轟音と破壊音を小早で移動する吉川元春は聞いた。
「これ以上の小早での接近は流石に流れ弾でも死ぬな。よし少し遠いがこの関船にてワシは対応する!」
元春は己の居るべき先陣をここと定め、お供の豪傑たちと共に、降ろされた梯子を伝い関船に乗り込む。
「ん? 突っ込んでくる船がおるな? 海上で一騎駆けとは何と剛毅な」
「一騎と言うか一隻と言うか……。いやそれよりも接近される前に与えられる反撃はしておくべきかと」
一緒に付き従ってきた吉川経家が至極尤もな意見を言う。
「そうじゃな。あの船には素晴らしい娯楽がある予感がする。ならば先制攻撃の返礼はしなくてはな! 各船の鉄砲隊、弓隊共に、あの接近する船を狙わせよ!!」
元春は武人だ。
戦いを楽しめる豪傑でもある。
だからと言って、接近する敵船を丁重に招き入れる事などしない。
戦における接待とは容赦の無い攻撃以外に無いだろう。
「放て!」
敵の鉄砲が火薬増量による長距離射撃を可能にしているのは既に理解している。
その配合分量が分らぬ以上、現場で真似するのは危険なので、尼子軍としての通常の間合いで射撃を行ったのだが異変が起きた。
十分に必殺射程距離で放った鉄砲が、帰蝶の乗る関船の楯一つたりとも破壊できなかったのだ。
「……ッ!? 何だあの楯は!? ……竹か? え? 竹束!?」
鉄砲の防御方法として有名なのは『竹束』があるが、この竹束の発案者は、甲斐武田家の米倉重継と伝わっている。
1553年に武田晴信が村上義清との戦いで銃撃に手を焼いた際、どこにでも生えている竹を利用する事を思いつき、成果を挙げたとされる。
竹を束ねて楯とする。
当初は竹の曲面を利用して、受け止める、と言うよりは、受け流すのを主目的としていた様だ。
確かに、それなりに効果はあるだろう。
しかし完全防御とはいかない。
中には貫通してくる弾丸も存在する。
この時点では、無防備で立つよりはマシ、という性能であった。
だが、板楯では話にならない鉄砲の破壊力に対抗できる竹束は重宝され、今の歴史でも、日本全国に戦法が広がっている最中である―――
と思いきや―――
後の世の史実で、西国の武将である別所長治はその戦法を知らず、竹束を前面に押し出す織田軍に有効打撃を与えられなかったと言われる。
鉄砲の破壊力を竹如きで止められるハズが無い、という思い込みなのか、あるいは、ガセネタとして無視されたかで検証しなかったのかもしれない。
常識や固定概念を崩すのは並大抵ではない。
鉄砲の連続射撃を信長以外に世界中の誰も気が付かなかった様に。
竹束とはコロンブスの卵と同等の、常人には理解できない大発見なのだ。
「馬鹿な!? 竹束如きでは銃弾は防げぬハズ!?」
それは元春も同じであった。
ただ、元春は真っ向から否定はしなかった。
その噂を聞いた時、ちゃんと試した。
破壊力抜群の鉄砲の攻撃を防ぐ、夢の防具であるからして試さない訳がない。
しかし、試した上で、一定の効果はあるが完全な信頼性も無いと判断し、巨石でも無ければ防御不可能と思い至った。
むしろ板楯に比べ嵩張るのでデメリットの方が大きいと判断した。
だが―――
現実の光景では、織田軍は完璧に銃弾を防ぐ衝撃の光景を披露した。
「まさか……竹は束ねただけでは、まだ未完成という事か!?」
元春は竹束の真の使用方法を知らなかったが故の驚きであろう。
竹束の神髄は『ある加工』を施した上で束ねる事に意味がある
それは、竹の内部に粘土、砂利を混ぜて入れる事だ。
竹の曲面で弾き、仮に竹を貫いても今度は土で受け止める。
要するに『土嚢』と同じ原理である。
当然、空洞の竹束より重量が増すので、後の世の工夫として車輪が取り付けられたりして改良が施されていく。
だが、今は竹束戦法が広まる過渡期。
米倉重継が考案した竹束も、見たままの表面だけしか伝わっていないのだろう。
竹束は流言だったと切り捨てる者が多数の中、何か方法がある筈だと研究する者が真の利用方法に辿り着くにはまだ時間がかかる。
そんな竹束を完全仕様で船に搭載している九鬼水軍。
これは完全な未来知識として、信長が伊勢と若狭の九鬼水軍に授けていたのは別の話である。
鉄甲船ならば操船に影響する重量も、竹束で一部分程度なら操船への影響は無視できると考え採用した。
得に帰蝶の乗る船だけは実験の為に試作された、鉄甲船ならぬ竹甲船とでも言うべき装備であった。
そんな脅威の船に対し、元春は迎撃を命令する。
「これは手強いぞ! 接近してくるからには移乗攻撃がある! 火矢で竹束ごと頭上から焼き払うのだ!」
元春はそう命令するも、余り効果が無いだろうとも予測する。
「恐らく水をたっぷり含ませた竹だろうな。こんな装備を整えて火に対して無警戒でいるハズがない。……者共。接近戦の準備をしておけ」
「はッ!」
遠距離で沈められない以上、残る手段は近接戦闘のみである。
元春は覚悟を決めたのであった。
だが元春も配下も悲壮感に暮れている訳ではない。
その顔は嗤っていた。
陸戦では、然う然う無い、個人武芸を振るえる場に巡り合えた歓喜であった。
【若狭湾/若狭九鬼水軍 斎藤帰蝶】
「近接移乗準備! 慶次郎君いいわね!?」
「応さァ!!」
尼子水軍の射撃を潜り抜け、とうとう南端の敵船に取りついた帰蝶の乗る関船。
帰蝶は先駆けの前田利益に準備を命じる。
「橋を架けて!」
味方と敵の船の縁に橋を架ければ準備は完了だ。
ここで、本来なら敵の侵入を防ぐべく、お互いの船の縁で陸上戦の様に槍を合わせ妨害するのが普通だが、この船は集中砲火で損害が激しいのか大した抵抗は無かった。
「いくぞ! オレの長巻の錆にしてくれる!」
先駆けの利益、服部一忠、毛利良勝が飛び込む。
槍ではなく長巻なのは、狭い船内と敵味方入り乱れる乱戦では、長い槍は使いにくいからだ。
従って取り回しの良い短い武器が望ましいが、かと言って刀では今度は攻撃力に不安がでる。
だから長巻である。
槍より短く、刀よりは長い長巻、或いは柄の短い槍が乱戦では効果的だ。
そんな長巻を先駆けの3人が振るうと、敵兵は木っ端みじんに散っていく。
関船総矢倉の屋上はたちまち大混乱に陥った。
「今よ! 我々も侵入するわ!」
そう叫びながら、4番乗りを果たす帰蝶。
他の武将も遅れてなるものかと次々に雪崩れ込む。
矢倉屋上にいた敵兵はあっという間に追い詰められる。
「戦闘の意思の無い者は武具を捨てて海に飛び込みなさい! 運が良ければ救助されるか若狭にたどり着けるでしょう!」
帰蝶の勧告に従い海に飛び込む者、それでも戦意を失わず戦う者もいたが、既に勝敗は決していた。
抵抗する者を全員打ち取ると、今度は矢倉内部に侵入する。
ここには櫂を漕ぐ水夫が詰めている。
何れも屈強な男達には違いないが、純粋な戦闘員とは違う。
「この船は制圧した! 不服がある者は前に出よ! 例外無くあの世に送ってやろう!」
女の帰蝶の洒落にならない殺気と共に、大音響で浴びせられる降伏勧告。
屈強な水夫達は縮上がってしまった。
「よし! お前たちが生きて故郷に帰るには、我らに従うしかないと心得よ! 船頭はいるか!?」
「へ、へい!!」
船頭が悲鳴の如き返事をして前に出た。
「今、この船には尼子水軍の他の船が殺到している! だが逃げればお前達は撫で斬りだ! そうなりたくなければ、全力でこの場に留まり続けよ!」
「わ、わかりました!」
帰蝶はそれだけ告げると矢倉の屋上に戻る。
勝敗は決したが、それはこの船にだけに限った事。
眼前に広がる光景は数えきれない船の群れ。
「全部制圧する必要は無いとは言え、辛い戦力差ね」
帰蝶が竹束で身を隠しながら外を覗き込み、楽しそうに戦力差の現実に悲観する。
「この関船は最初から鉄砲船で打撃を与えた上での攻撃ですが、次からの船は比較的損傷は低い。ここからが正念場ですな?」
今川氏真が楽しそうに高揚しつつも冷静に分析した。
この船に限っては最初からほぼ決着はついている。
問題は次の船である。
「そうですな。特にこの船の陰になっている敵船に味方の射撃を浴びせられません。簡単には制圧出来ぬでしょう」
遠藤直経が首を擦りながら楽しそうに懸念を述べた。
味方の射撃で帰蝶達が討たれては元も子もないので、頭上越しの攻撃はできない。
「とりあえず竹束を移設設置しましたが、この防壁もどこまで持たせられるか?」
岡部元信が足場を確認しつつ楽しそうに不安を述べた。
未来知識による竹束も限度はある。
「我らは100にも満たぬ少数精鋭ですからなぁ。これは大変だ」
稲葉良通が拳の骨を鳴らしながら楽しそうに数の不利を言った。
味方の船も援護しているとはいえ、南方の移乗攻撃担当は帰蝶ら15人の武将と50人の精鋭部隊、と言えば聞こえは良いが数の不利は確実に響いてくるだろう。
「火薬を増量している以上、枯渇まで時間の問題ですしなぁ」
松井宗信が次の目標を定めつつ、楽しそうに援護の途絶えを憂慮する。
鉄砲船からの援護が途絶えれば、破壊力による脅しが効かなくなる。
そうなれば敵は勢いづくだろう。
「なぁに。関船ならあとたった4隻でしょう? 軽い軽い!」
利益の軽口に釣られ、戦場に不釣り合いな笑い声が起きた。
皆、懸念、心配事があるにはある。
しかし、全員が覚悟を決めている以上、何も問題は無い。
次の戦いまで空白があったので冗談を言い合っているに過ぎない。
「フフフ。そうね……!!」
それは帰蝶も同じだ。
別の船からの援護もあるとは言え、基本的には今ここにいる合計65人で、関船4隻、安宅船1隻を制圧しなければならない。
しかし帰蝶は『それが何か?』としか思っていない。
「それに北の味方も成果は上げるでしょうけど、我々だけでこの目標を達する覚悟と勢いが無ければ、敵に脅威を感じさせる事は不可能。それには死中に活を求めるしかないわ」
出来なければ死ぬ。
それだけだ。
死んだらTake4に移行すればいい、と言う意味ではない。
命を惜しんだ者から死んでいくこの状況。
劣勢の陣営だけが出せる『死兵の力』を出すは今と皆が心得ている。
そんな帰蝶らに、吉川元春ら西国の豪傑が迫っているなど知る由もなかった―――
次回投稿の遅延お知らせ。
いつも信長Take3をお読み頂きありがとうございます。
通常なら、月2回の上旬&下旬に投稿して参りましたが、9月上旬に手術を受ける事になり、その間執筆ができません。
従いまして、次回の9月上旬投稿は見送らせて頂きます。
長引いた場合は下旬の投稿も出来ないかもしれませんが、その場合はTwitterにてお知らせいたします。
https://twitter.com/nobunaga_take3
命に別状がある入院ではないので恐らく大丈夫だとは思いますが、更新が途絶えたら死んだと思ってください(笑)




