157-2話 若狭湾海上 九鬼浄隆
157話は2部構成です。
157-1話からご覧下さい。
【若狭国/小浜拠点 九鬼浄隆】
帰蝶が伝令を買って出た後の話である。
真っ先に小浜拠点に飛び込んできた帰蝶は、九鬼浄隆に信長と龍興の読み、そして信長から『防衛に必要な事は全て行え』との伝言をそのまま伝えた。
浄隆も余りの凶報に狼狽えが隠せない。
「何か、察する事が出来る!?」
海の常識は帰蝶には分からない。
それに尼子が領地とは地続きではない若狭を攻め取る意味もイマイチ分からなかった。
道中でも尼子の戦略を帰蝶なりに考えたが、若狭を尼子が攻め取ったとして孤立して後が続かないのは明白なのだ。
しかし、浄隆になら理解できる事もあるかもしれない。
「尼子が若狭に攻め寄せる……! 三好と争いながら……!? 若狭に来たとて、三好水軍に背を突かれるかもしれない危険を押して? 攻め取っても、飛び地では統治もままならないはず……!!」
浄隆が状況ブツブツと言いながら整理しつつ、脳をフル回転させて考える。
「……ッ!? ……略奪等の統治を度外視した攻撃ならば?」
「あッ!! だから朽木防衛に繋がるのね!?」
浄隆の核心を突く言葉に、信長と龍興が看破した事を、ようやく帰蝶は理解した。
織田との同盟諸国は統治を最優先とした戦略を立てているが、これは戦国時代では極めて少数派である。
戦国時代は略奪の時代で、奪う為に戦うのが常識だ。
つい忘れがちであったが、その常識に立ち返り考えれば、例えば常に若狭を脅かせるなら、朽木攻略の妨害は当然、若狭湾を利用した貿易の妨害もできる。
若狭湾は斎藤家同盟諸国にとって急所である。
荒らされては朽木攻略所ではない。
若狭湾が危険な海域と知れ渡れば貿易船も寄り付かない。
まさに死活問題だ。
「尼子水軍の戦力は、恐らく日の本一と見て間違いありますまい」
「日本一……!」
「ただ、瀬戸内海での三好との争いを放棄するとも思えませんので、その全船団と水軍兵が若狭に来る可能性は無いでしょう」
「それはそうね。中国地方から大回りして日本海側に来るってのは、ちょっと考え難いわ」
浄隆の言う通りで、三好相手にそんな舐めた真似ができる勢力など存在しないだろう。
「ただ、だからと言って楽観視はできません。瀬戸内海の戦力が来ずとも、若狭水軍の全戦力を上回る船団が来襲すると想定します」
「そうね。当然だわ」
少なく見積もって予想を外すのは最悪である。
最低でも不利から始まる海戦として対応するのが危機管理として当然であろう。
「問題は、不利をどう跳ね返すかです」
そう言いった浄隆の顔は苦渋に満ちている。
「……その顔は『手段はある、けど簡単に言える策ではない』って顔ね?」
まさにその通りであった。
勝つ手段はある。
浄隆は帰蝶を信頼しているが故に手段はある。
「……操船技術では互角だとしても地の利ならぬ海の理があります。多少船の数が劣ったとして何とかしてみせます。しかし……」
手段はあるのだが、口に出すのは憚られた。
「単純な兵力差を気にしてるのね? 勝つ為に死ね、と言うなら死んであげるわよ?」
「ッ!!」
まさに浄隆の懸念は単純な兵力差であった。
海戦では陸以上に兵力がモノを言う。
しかも、ただ数が居れば良い訳ではなく、陸兵には求められていない海兵特有の能力がモノを言う。
浄隆にとっては、帰蝶が最適任であるのは揺るがしようがなかった。
しかし主君の妻、しかも斎藤家と織田家を繋げる立場の重要人物に、おいそれと提案できる戦法ではなかった。
だが帰蝶はその意を汲んだ。
「言い難いなら私が提案するわ。殿も『必要な事は全て許可する』と仰ったのだから。例え討死しても文句は言わせないわ!」
「ッ!! いえ、……ならば某の口から言います! 然らば―――」
討死した後でどうやって―――などと野暮な事を言う浄隆では無い。
帰蝶はあっさりと覚悟を決め、浄隆が言い淀む作戦を承認したのであった。
【若狭国/若狭湾 若狭九鬼水軍】
斎藤軍に海戦経験豊富な兵は存在せず、辛うじて船での輸送経験のある兵と、弓鉄砲巧者を選抜した結果、若狭九鬼水軍合わせておよそ2500人が乗船した。
陸に留め置かれた9000人は、上陸される可能性のある拠点を防御するのが役割である。
その内、船に乗った武将級は、斎藤家から斎藤龍興、仙石久盛、竹中重治、稲葉良通、斎藤利三、九鬼浄隆。
織田家からは斎藤帰蝶、遠藤直経、服部一忠、毛利良勝、佐々成政、丹羽長秀、前田利家。
今川家からは今川氏真、岡部元信、松井宗信、朝比奈泰朝、松平元康、北条涼春。
安藤守就、氏家直元は若狭が領地故に上陸拠点の防御を担当する。
船への乗船組は、もう殆ど取る物も取り敢えず、先に到着していた帰蝶の指示通り乗り込んだ
総大将の斎藤龍興は斎藤家の旗が掲げられた安宅船に乗船しているが、別の安宅船から金の音が響く。
全軍の移動が命じられた様であった。
「若! 九鬼殿の船より鐘が! 敵船が移動を始めた模様!」
「見ればわかる」
「はッ! 失礼しました!」
仙石久盛の報告を冷たく受け止める斎藤龍興。
龍興の仕事は最早終った。
海でやれる事は皆無。
良くて弓鉄砲を持って援護射撃をする、兵士と変わらぬ役割位であろう。
総大将として何か指揮采配を振るう事はやりたくても不可能だし、何か狙いを指示するのも久盛には叶わない。
龍興しかできない仕事は、精々、九鬼浄隆の命令を事後報告を受けた後に追認するだけである。
あるいは、全ての戦略を投げ捨てて、強引な退却撤退命令以外に龍興に出来る事は無い。
今回の朽木攻略の為に率いてきた武将は、龍興も含め陸戦の武将であって海戦の知識は乏しい。
特に斎藤家は内陸の美濃国が本拠地であるからして、いくら現在若狭を支配していても海戦に通じているとは言い難い。
そんな立場を気遣ってか?
それとも哀れんでいるのか?
隣接する安宅船から声が飛ぶ。
「殿! 敵船が進み始めました! 隊列を乱さぬ動きからして、我らの磨り潰しを目論んでいると思われます!」
そう叫んだのは水軍の責任者である九鬼浄隆。
織田家、斎藤家と二重に仕える、龍興と違って飾りではない責任者。
先程、進軍の合図を出したのもこの浄隆である。
龍興には浄隆が眩しく見えて仕方が無い。
浄隆は敵の進軍と狙いを推察した。
数の利を活かしてすり潰す。
確かにその通りだと思う。
だが、自分にその判断が出来ただろうかと自虐せずにはいられなかった。
「我らは数で劣ります故に、まずは、動く事こそが肝要です! 船で陣形を作りつつ前に出て応戦します!」
「前に出……応戦!? 防御を固めるのではないのか!?」
想定外の申告に驚く龍興。
今動いているのは、適切な海域に移動して防御を固めるのだと思っていただけに、まさか積極的に攻撃を仕掛けるとは思っておらず、ひっくり返った声で驚く。
事実、既に自軍の船は小浜湾を抜け沖に向けて動き始めていた。
「それも手段の一つではありますが、今、我らは絶対的に不利! 風が海から陸に流れていますので、一方的に攻撃を受けてしまします! まずは、この不利を解消せねばなりませぬ!」
「お主の戦略にケチをつける訳では無いが、今から陣を敷いては手が回らぬ箇所もでるだろう!? それに応戦に転じれば港の防備が手薄になるのではないか!?」
龍興が提案に対する疑問を問う。
聞かれなければ疑問を口にするつもりも無かったが、聞かれたからには不思議に思っている事を尋ねずにはいられなかった。
特に『前に出る』と言うのは予想外であった。
数に劣る自軍が正面から敵と激突するのは愚策としか思えない。
それに船を操りながら陣形を作ると言うのも、陸程の勝手が利かない海では懐疑的だ。
それなのに、若狭湾は斎藤家どころか同盟諸国にとっても重要な地なのに、防備が手薄になる作戦を採用するには抵抗が強い。
「懸念は尤も。しかし陸は心配ありますまい。朽木攻略の為に率いてきた兵がの大部分が陸を防備しますし、遅れている後続軍も続々と集まっております! それに水際は一番隙が生じる物! むざむざと上陸を許す事はありますまい!」
龍興が振り切ってきた兵が、今は若狭を守る。
この結果は『皮肉』だと、唯一理解する龍興の顔は曇っている。
浄隆は、何故か曇った顔を励ますべく決めた作戦を述べる。
「我等は数で劣る以上、出し惜しみは悪手です! 特に、小浜湾に蓋をされては身動きが取れませぬ! その前に湾を抜け最大の攻撃力を持ってして敵を食い破ります! その為の濃姫様達の部隊です!」
「伯母上の部隊か……。本当に実行するおわッ……!?」
龍興が波に煽られて体勢を崩す。
比較的安定感ある安宅船にのる龍興であるが、慣れない、と言うより初めて乗船する戦船に立って居るのがやっとの様である。
「そ、そもそも、移動しながら陣形を組むのか!? 伝令もままならぬこの状況で!」
「陣形は流れの中で作っていきますから心配無用です!」
浄隆は自信をを持って断言した。
若狭に派遣されて7年目。
もう若狭湾は庭同然のホームグラウンドである。
この地の利を活かした操船技術だけが、敵に対する唯一の勝機であろう。
「そ、そうか。ではその様に致せ……!」
「はッ! それでは!」
龍興は一体何が理由で不利なのか、その理屈がイマイチ分からなかったが、口出しできる別案も無いので追認だけに留めた。
一方、浄隆は浄隆の乗る船の反対側にいる帰蝶達の乗る船に声をかける。
「濃姫様! 本当に宜しいのですね!?」
浄隆は確認を取る。
ここで『やっぱり止める』と言われるハズが無いのは理解しつつ、しかし、尼子水軍を跳ね返すにはコレしか手段が無いのも理解しているので、最終確認ではあるが、己の覚悟を固める確認でもあった。
「良いわ! 新九郎殿(龍興)がせっかくココまで読みきって迎えた好機! 負けてしまったら全てが台無し! 勝ってこそ意義がある!」
そんな浄隆の心配を跳ね返す力強い返事が、浄隆の下方から返ってきた。
帰蝶は安宅船ではなく、関船に乗っていた。
「分かりました! ならば一隻でも多く敵の関船を制圧して下さい! 関船は言わば手数! 安宅船よりも危険です! 確実に一隻ずつ奪うか海の藻屑にしてしまう事が肝要です! かつて某と訓練した伊勢の海を良く思い出してください!」
帰蝶は、九鬼一族が織田に付いた時、定隆の子息と手合わせしている。
その時に海での戦いに苦労したのは別の話であるが、今、その経験を活かす時が来た。
「了解! 任せなさい! 慶次郎君(前田利益)! 良いわね!?」
「当然です! こんな戦場を待ち望んでました!」
この船は接近しつつ、接舷移乗攻撃を担当する。
つまり致死率の高い戦いを行う決死隊である。
その先駆けを任されたのが、前田利益である。
彼は本来なら指揮官として軍を率いる立場に居なければならないのだが、本人の資質なのか興味が無いのか、はたまた他に理由があるのか、指揮能力に難があり過ぎが故に、指揮官武将としてはカウントされていない。
ただし、その戦闘力は織田家でも最上位にせまる武力を持つ。
故に、此度の戦では帰蝶の馬廻衆兼、先駆けとして斬り込み役を託されていた。
「慶次郎君! 貴方は敵の船に乗り移って活路を切り開きなさい!」
「任してもらいましょう! 大暴れしてやりますよ!」
先陣を駆ける先駆けとは、常に死と隣り合わせ。
だから身分の高い、あるいは指揮官として役割がある人間には任せられない。
だが、簡単に討ち取られる様な弱者では困る。
薄情ではあるが、豪傑かつ、死んでも困らない人間が最適なのである。
その点で、前田利益は最適、と言うか本人もソレを望んでいる節があった。
「慶次郎君が作った道を我等が押し広げる! 良いわね!?」
「応!」
この関船には最大戦力を詰め込んだ。
前田利益を先駆けに、服部一忠、毛利良勝がその援護。
遠藤直経の補佐に佐々成政、前田利家。
岡部元信の補佐に朝比奈泰朝、松平元康。
稲葉良通の補佐に斎藤利三、丹羽長秀。
帰蝶の補佐に松井宗信、今川氏真。
この5チームが同じ関船に乗船している。
もちろん、この15人の他にも、帰蝶の乗る関船は水軍兵の中でも個人武芸に優れる最精鋭を揃えた。
これが『陸兵には求められていない能力』である。
船上では陸の様に、隊列を組んで槍衾と言うのは、出来なくはないが効果が薄い。
狭い船内で場所に自由は利かないし、揺れ動くので隊列を組んでいると逆に一網打尽に成りかねない。
従って、今必要なのは、簡単に言うならば『喧嘩が強い者』である。
海戦における近接移乗攻撃は殆ど乱戦になる為、言葉は悪いが単なる豪傑より『荒くれ者』こそが相応しい。
著しく全体のバランスを欠くが、それでも武将級を集中させたのは、高い戦闘能力で確実に制圧する可能性を少しでも上げる事を目的としているからだ。
それに海の間合いを把握しているのは、彼らより九鬼浄隆指揮下の船頭なので、細かい指揮は彼らに任せるに限る。
「我らが若狭九鬼水軍の先駆けとなる! どれだけ敵の船を制圧出来るかが勝負よ! まだ敵との接触には猶予がある! 今の内に波の特徴を捉えておきなさい!」
人間の先駆けが前田利益ならば、この関船が若狭九鬼水軍の先駆けとなる。
この一点突破をもってして尼子船団を食い破るのが、短い時間で帰蝶と九鬼浄隆が作り上げ選んだ戦術であった。
どの道、殆どの武将が海戦に精通していない以上、指揮官として役立てる事はあまり無い。
ただし、その武力は期待できる。
良い物を食べ、学び鍛えた武力に、上質な甲冑は、慣れない船上というマイナス面を差し引いても活躍が期待できる―――かもしれない。
帰蝶は危険を承知で彼らを選抜した。
今川家の跡取りであろうが、斎藤家の重鎮であろうが、冷徹に強者を選抜した。
負けたら何もかもが台無しだからだ。
幸運だったのは、誰も異議意見を唱えなかった。
これは意思を持っていない、という意味ではなく、彼らもソレが最適解だと理解したからだ。
流石に北条涼春に接近戦をやらせる訳には行かず別の船に乗せたが、その代わり、その弓の腕は信頼しているので、狙撃部隊を担当してもらった。
一方、実質この海戦の総大将たる九鬼浄隆が号令をかけた。
「ようし! これより不利を取り払う! 全軍前進! まずは敵の右方に回り込む!」
現在、若狭九鬼水軍は風下に位置し、敵がこちらを射程に収めた時に味方の矢玉は届かない。
数の不利はどうにもならないが、最低限地形の不利は解消しなければ戦にならない。
それには陸に対して水平の位置まで行く必要がある。
たったこれだけの事だが、この位置取り一つで、波風や潮の流れに満ち引きと、数以外の不利は払拭できる。
難しいのは陸兵と違って急な方向転換や移動停止が出来ない事。
さらに帰蝶達が襲撃を掛けやすい陣形に、移動しながら整えなければならない。
浄隆が長年に渡る若狭滞在の真価を発揮するのは今をもって他にない。
「櫂を漕げ! 安宅が外側、関船が内になる様に、旋回しつつ雁行陣を敷く!」
若狭湾の決戦まで後僅かであった。




