155話 異変
「何故上手くいかないッ……!」
言葉を発せずには居られなかった―――
【近江国西/音羽山拠点 織田信長】
「奴らは本当に、一兵たりとも朽木に兵を送らなかったのか?」
信長は眼下に広がる異様な光景を見ながら疑問に思う。
今回の戦は、斎藤家の朽木侵攻を手助けする為の陽動だ。
朽木に行く兵を減らせば減らす程、今回の作戦は上手くいく。
「兵数は1万少々か」
これは現状の六角家が、援軍、強制徴兵含め揃えられる兵の上限に迫る兵数である。
その集めた兵全てこの地に集まっているのだから、斎藤龍興の後押しとして陽動、引き付けは大成功と言わずして何と言おうか。
「数は予想と大差無いが、興福寺以外にも参加する勢力があるな。まぁ誤差の範囲、と言うよりは当たり前と言うべきか」
六角家と同盟者たる興福寺。
さらに興福寺と縁が深い、大和国の筒井家、十市家の旗印が少数ながら見えている。
「逆に越智家や箸尾家は居ない、か」
筒井家、越智家、箸尾家、十市家は大和四家と呼ばれる大和国における有力勢力である。
ただし、最大勢力は興福寺であり、その顔色を伺うのが大和四家であったが、その中でも興福寺に与する家、三好家に近づく家など様々で、筒井家などは家中で割れたりもしていた。
「何れにしても、これで斎藤の朽木攻略は成るだろう」
信長は六角義賢が朽木を放棄したと判断する。
ほぼ全ての兵を引きつけたのだから、仮に朽木に兵が居たとしても、それは設備を維持する為の兵であり、斎藤軍1万1千に対し戦える術はない。
「ん? そうか……」
信長は独り言からテレパシーに切り替えた。
《この歴史では、松永が大和に侵攻していないのだったな》
《そうですね。蠱毒計の件もありましたし、今の三好は東より西に注力してますからねー》
本来の歴史では1559年に三好長慶の命令を受けた松永久秀が大和国に侵攻、1560年には大和最大勢力の興福寺を破り興福寺一強の時代を終わらせる。
しかし、その歴史を辿っていない今は、興福寺が変わらずの影響力を誇り、その結果、興福寺の意向に従う武家が参加した。
《歴史変化は歓迎すべきだが、その結果の良し悪しは後にならんと分らんからな。厄介な事よ》
試験であれば大抵は即座に良し悪しは判断できるが、残念ながら歴史はそうは行かない。
何年も経ってから良し悪しの判断が可能になるし、更に後年になって良し悪しが逆転する可能性もある。
良かれと思って実施した事が大損害を生み出すこともある。
例えば外来生物の利用による固有生物の絶滅など端的な例だろう。
他にも『天下の悪法』と名高い『生類憐みの令』がある。
余りにも極端過ぎたその法令は不平不満不評の嵐で、制定した徳川綱吉没後に大部分が廃止されたが、一方で戦国の荒々しい命の軽視を引き継ぐ時代に終止符を打つべく、劇薬たる法令で遮断した転換期として、後世には評価されている。
歴史の評価はどうとでも変化するのだ。
《とは言え、いくら歴史が変わっても覆せぬ物もある》
どれだけ歴史が変わっても、今回の六角軍の状態は誤差の範囲である。
《朽木は諦めるしか無いとは言え潔いな。確かに六角を引き付ける策ではあるが、本当に全部引き付けられるとは思わなんだわ。嬉しい誤算としておくか》
《京が王将なら朽木は飛車と言うべきですかねー。そりゃ王将にまさる物はありませんよ》
《上手い事を言いよる。だが確かにその通り》
六角義賢が将棋に表現した今回の戦略。(152話参照)
偶然ではあるがファラージャが同じ表現を用い、あまりにも言いえて妙なので、信長もその表現に異論は無いが訂正はした。
《王手飛車取りと言っても、王将は端から見逃すつもりだがな。逆に言えば王将以外は全て奪う。今回は飛車たる朽木よ》
蟲毒系の延長ともいえる今回の戦。
信長は六角陣営の駒は、可能な限り奪うつもりでいる。
王将を丸裸にして奪った駒を並べまくる、虐め嫌がらせの如くな盤面にするつもりでいる。
《そうでしたねー》
《……》
万全の状態にファラージャも気楽だ。
そんなファラージャの様子から、信長は急に寒気を覚えた。
《……好事魔多し》
《え?》
信長がポツリと漏らす。
戦に関しては百戦錬磨の信長。
百戦錬磨の『百戦』とは100回戦う事ではなく、数多く熟す事を意味する。
従って、人生さえも普通ならありえない3回目なので、百戦錬磨と言えなくもない信長。
上手く行き過ぎる現実に、耐え難い悪寒を覚える。
不条理こそ人生であり、本能寺だったのだと身を持って知る信長。
転生後も薄氷で生き残ってきたが故に、今回の戦に対し脳が警鐘のシグナルを鳴らす。
《今、一つ疑問が湧いた》
《な、何ですか……?》
《普通将棋で王手を掛けられたら王将は逃げるはず。そうしなければ負けるからな。しかしこ奴らは攻め寄せる手段を選んだ。王将が単騎で切り込む将棋など聞いたことが無い。それは未来でも変わらんだろう?》
《あ……その、い、いえ、そうですね!? そんな王将単騎切り込みなんて有り得ないですよ!?》
妙な所でファラージャは動揺する。
何故なら本当は有り得るからだ。
遥か未来の将棋は王将が『覇神』に成れるが、その場合、無制限ワープが可能になり、その時点で決着が付く。
当然ながら、相手の陣地に王将を切り込ませる冗談みたいな戦法になるので、接待プレイ以外ではお目にかかれない。
いずれにしても未来知識であり、当の覇神のモデルも桶狭間で本陣突入した信長なので、ファラージャは否定した。
《(あるのか……)》
一方、信長はあっさりウソを見破ったが、重要なのは将棋談義では無く現実問題なので、突っ込まずにおいた。
勿論、まさか自分が関わっているとは流石に見抜けなかった。
《そうよな。しかし現実には起きている》
《一応、あくまで王将は京の地であって六角じゃないですから、と言う理由は作れますけど……》
《それでもじゃ。では六角は王将を守る歩兵とするなら、なおさら王将の前で固まっていなければならぬ》
織田は京に攻め寄せるつもりは無い。
この事実を六角は知らない。
知らないが、戦国時代の常識として理由なき上洛は、あの信長でさえ破れぬ禁忌の行いであるからして、京に入る目的を明言していない織田軍に入洛の意思が無い事は誰でも分る事だ。
ならば、六角の戦略としては京を人質に、立て籠もり警戒するのが常套手段であるはずなのだが、現実は違った。
《辻褄が合わぬ。何か起きているのか……?》
信長は改めて眼下の六角軍を見る。
鬼気迫る六角軍を。
《……ッ!? こいつら……まさかこの拠点を突破して近江へ侵攻するつもりか!?》
眼下にて拠点を攻め立てる六角兵の戦意は尋常ではなかった。
一応、攻撃は最大の防御との言葉もあるが、今回の六角軍は明らかに突破を試みていた。
そして信長は胸を撫で下ろした。
《……危なかったな。義龍の余命を知ってから何か起きるかも知れぬと、裏で手を回し続けた事が活きたわ》
この、近江山城国の国境攻防戦は、本当なら織田軍がちょっかい、或いは挑発を掛けて六角軍を引き付けるはずが、そうなる前に敵が押し寄せ、殆ど遭遇戦の如く戦が始まっていた。
しかし、織田が拵えたこの拠点。
防御に関しては、今回も絶対に開かない門を初め罠満載である。
戦意が高い程度で突破できる拠点ではない。
誤算は誤算と認めつつ、何が起きても良い様に、去年の内から暗躍してきた甲斐があったと安堵する信長の背中に―――
首筋に―――
脳に―――
魂にまで―――
「……違うッ!!」
先ほどとは比べ物にもならぬ悪寒が走る。
突然の信長の怒声に側近は身を屈める。
《な、なんです!?》
「な、何かございましたか?」
「近江へ侵攻!? 半農兵の奴らがこの時期にかッ!?」
農兵を農繁期に使うのは余程の事情がある場合だけである。
自国の防衛ならばともかく、侵攻目的の戦で半農兵を使うのは今年の収穫を諦めると同じで、正気の沙汰ではない。
信長は、その不自由な存在を嫌い専門兵士を作った経緯から、今回の六角の行動と目標は異常だと感じた。
「まさか……近江を奪い返して米を奪う気か!?」
戦国時代は土地と物資の奪い合いである。
作物が全国的に不足しているからこそ戦が起こる。
だが、信長はその考えは否定した。
「仮にこの拠点を突破できたとしても後が続かぬ!」
織田にはまだ余力がある。
事実、後詰として塙直政が軍を整えて背後に待機している。
他には近江の残存兵力と伊勢北畠の兵に、少々遠いが駿河今川の兵も使える。
総力戦であるならば、六角には最初から勝ち目は無い。
「ならば……どこからか兵糧を調達したというのか!?」
兵糧を奪うのは非現実的。
残された可能性は、何らかの保障を得たに他ならない。
そうでなければ、動きたくても動けない。
しかし現実には動いているのだから、その保証を得ていると信長は判断する。
「それに、何故奴らはこうも攻め寄せる!? 朽木が攻められる事を予期できぬ義賢ではあるまい!?」
ついさっきファラージャと話した事をもう一度、疑問を口にする信長。
六角軍の勢い、と言うよりもその戦略は、朽木の事など端から無視した戦いであると信長は感じ取った。
先程は納得しかけたが、良く考えれば強烈な違和感が残る。
信長の義賢に対する信頼は厚い。
謀略の裏を読むなど造作も無いと信じている。
信じているからこそ、流言にて様々にかき回し、織田が攻め寄せる、と見せかけた。
それすらブラフと見破って朽木攻略まで察知する事も織り込み済みとしている。
だが、その結果が王手飛車取りの必殺布陣であるからして、王将たる六角は動けないハズであった。
ある意味、信頼は裏切られた。
「く、朽木の維持を諦めたのでは?」
《そうですよ!》
「そうだとしてもこれは異変だ! 動けても小競り合いしか出来ないハズなのだ! だがこれは何も懸念する事が無い者の戦だ! 何故だ!? 何故そんな戦が出来る!?」
義賢を最大級に評価してなお、義賢の歴史的事実と性格と、この歴史の義賢を考慮しても、ここまで思い切った手を打てる人間では無いと信長は判断している。
しかし現実の六角軍は、近江の旧領を取り戻さんとするが如くであった。
「さては拠点の突破が本来の目的では無いな!? 何だ!? 何が狙いだ!?」
近江織田軍は総勢6000で4つの拠点に分かれ、各1500ずつにて拠点と周囲を守っている。
対して六角軍は総勢10000で、4つの拠点に対し2500ずつで突破を試みている。
攻城戦には守備の3倍が攻め手側には必要とされる中、六角軍は果敢に攻め立てていた。
そんな状況で何が狙いなのか、信長は頭をフル回転させて考える。
先に気が付いた兵糧の件が、どう関連するのか懸命に考える。
(何が狙いだ!? ワシが予期出来ておらぬ事象はなんだ!? 尼子が三好を破り京に来る? 流石に荒唐無稽だ! 三好に勝ったとしても到底間に合わぬ! ならば義龍の病状が漏れる? それとも死か? ソレは確かにマズイにしても今どうこうの問題ではあるまい! 近江若狭周囲に延暦寺以外に危険な勢力も居ないし膠着状態で封じている! 六角が援軍を要請しても経路は全て潰れている! ……経路が潰れる? 兵糧? 六角の引き付け? 三好、尼子……あっ)
信長は一つの結論に辿り着いた。
「ここではない何処か……!? ならば決まっておる! 朽木しか無い!」
《朽木ですか!? でもさっき朽木は諦めていると……!? まさか諦めていない!?》
「《そうじゃ! 諦めていない……そうか!?》伝令! 裏手から脱出し三左衛門(可成)らに伝えよ! 三左衛門らも異変には気付いておろうが、当初の予定通りここで六角を引き付けて守り通す! 六角の目的は奇しくも我等と同じ目的! 織田を引き付ける事だったのだ! であるならば問題は無い!」
信長以外にも今回の戦の真の理由を知る森可成、柴田勝家、滝川一益はこの不測の事態にも対応し、万全な指揮を執って防戦している。
ただし、異変に対する不安はあるだろう。
やるべき事を今一度明確にして、六角の真の狙いを明確にする事でその不安を取り除き、万全に戦わせられる状態にしなければならない。
六角の目的が引き付けなら引き付けで、織田軍としても同じ目的なので作戦上では何も問題ない。
「ハッ」
不測の事態には違いない。
ただし、それで総崩れになる織田軍でも無い。
予測の違いが決定的な敗北になる程、余裕の無い戦略は立てていない。
だから、先ほどの強烈な悪寒は六角軍に対する物だけではなかった。
「次! 伊勢の伊勢守(北畠具教)に伝えよ! 少数で大和国に侵入し、森を燃やすなりして破壊工作を行え! 興福寺の背後に揺さぶりをかけるのだ!」
こうなってはいつまでも六角と遊んでいる訳には行かない。
伊勢国と大和国は隣接している。
効果が見込めるか、そもそも厳しい山間部の潜入になるので間に合うかは微妙な所だが、背後を脅かされて撤退でもしてくれれば儲けモノと考えたのだ。
「次! 越智家と箸尾家に使いを出す! 武装を整えさせるのだ!」
「い、今から準備させて動かすのですか!?」
「戦に参加する必要は無い! 不穏な動きだけで十分だ! 伊勢と同じく興福寺に対する揺さぶりをかける! 同じく筒井家にも密使を送る! 手を引くように要請するのだ!」
越智家や箸尾家はこの戦に参加していない。
興福寺の意向に逆らうからには、三好に靡いたか、最低でも中立なはずである。
筒井家の家中が割れているのは未来知識で知っていた。
三好派の人間が動けば興福寺の足下が揺らぐ。
実は、これら大和四家の面々には、書状程度のやり取りでの繋がりは既にある。
三好や京と関わるには興福寺も含め大和四家は避けては通れない。
四家が動くかどうかは不明だが、要請に対し全く検討もされない事は無いと信長は踏んだ。
そして必ず各家中には興福寺系の信者が居るハズで、そこから必ず興福寺に要請が漏れる。
ならば揺らぐと信長は踏んだ。
だが、これらは応急処置であって、効果あるなら儲けモノ程度で完全な対策には至らない。
至らないが、こちら側はこれで良い。
次が本命である。
「次! 斎藤軍と織田今川援軍にも伝令をだす! まもなく今龍城に到着する頃であろう! ならば琵琶湖経由であれば斎藤軍が北岸に到着する頃には先回りで間に合うはずだ!」
「援軍を要請するのですか?」
「違う! こちらに構う必要は無い! 六角の目的は近江ではなくワシらの引き付けじゃ! ならば不測の事態が起きるとすれば向こうだ! 厳重に警戒させろ!」
「ふ、不足の事態や警戒と申されましても、具体的には何と伝えましょう?」
伝令も、伝令内容を伝えるにしても、具体性ゼロでは冷やかな目で見られるだけだ。
それは困る。
「六角に援軍が現れるやも知れぬ! これは明らかに六角、興福寺以外に一枚噛んでいる勢力がいる!!」
「ろ、六角に援軍!? 敵勢力は全てココで足止めされていますが……!?」
伝令は当然の疑問を挟む。
余りにも論理の飛躍が過ぎる。
敵の戦意はともかくとして、六角が動員できる戦力は全てこの近江と京の国境に集まっている。
別勢力の敵にしても三好と織田、斎藤家の領地に阻まれ朽木に辿りつけない。
それなのに六角の、しかも朽木に援軍が現れるとはどういう事なのか、伝令には全く理解できない。
だが信長はカラクリに気が付いた。
正確に言うならば、その可能性は考慮しつつ、しかし、可能性は極めて低いと判断した事であった。
しかし今は緊急事態。
その低いと判断した事こそが極めて危険であると判断した。
「確かに朽木に至る道は無い! しかし、六角は朽木を防衛するつもりでいる! これは間違いない!」
「防衛!? 無人の拠点をどうやって守るのです!?」
「城に籠るだけが防衛ではない! クソッ! 敵の敵は味方、攻撃は最大の防御とは良く言ったものよ! いいか。高確率、いや必ず尼子が来る! そう伝えるのだ! その為に必要な事は全て許可する! お濃にそう伝えよ!」
伝令にとっては『尼子』は寝耳に水のにも程があったのだろう。
衝撃を受けたかの如く体が揺れた。
「は、ハッ!!」
伝令は青い顔で駆け出すのであった。
《とんでもない事になりましたけど……大丈夫ですか?》
信長の判断を聞いたファラージャは、その可能性に納得し信長の戦略の破綻を心配する。
《勘違いするな。先程の予測が全て当たっていたとしても負けるとは思っておらぬ。ワシが気が付かなかったとしてもな。……常ならばな》
《龍興さんですか……》
《用心の為に動いたが外れる事を願うだけ……と、言いたいが恐らく当たる。だがまだ劣勢ではない。龍興だったとしても何とかなる! それに今回の為の布石では無いが、将来を見越した指示が活きている。対処さえ間に合えば何とかなる!》
信長は北の方角を睨む。
恐らく戦場になるであろう若狭を―――
「狼煙を上げよ! 九郎左衛門(塙直政)ら後詰を投入する!」
【若狭国/斎藤龍興軍】
「何故上手くいかないッ……!」
言葉を発せずには居られなかった―――
若狭湾の水平線、と表現する程には遠くないが、若狭海上に停泊する船団。
その船団を斎藤龍興は憎々しげに睨む。
現れたのは尼子水軍。
わざわざ、日本海を伝って領地の繋がらぬ若狭に来襲したのであった。
第10回ネット小説大賞、最終選考落選!!
実験失敗!
言霊成らず!!
まぁそりゃそうでしょう。
散々作品内で言霊を否定しておきながら、いまさ言霊の霊力を発揮されたら、私も作品も趣旨がズレてしまいますからね(笑)
単純に力量不足でした。
もっと作品の精度を高め、より面白い作品になる様に精進いたします!




