154話 出陣式
【美濃国/稲葉山城 斎藤龍興】
春の温かさが暑さに変わり始めた農繁期。
稲葉山城の斎藤義龍私室にて出陣式が行われていた。
本来は主要な武将が集まった場所で行うのが通例だが、義龍の病状が伏せられている事と、動く事もままならない事から、この場に居るのは出陣する斎藤龍興と、補佐役の仙石久盛、竹中重治だけであった。
「父上、出陣準備が整いました」
龍興が甲冑姿で義龍に報告をする。
龍興の甲冑姿を見られず死ぬかもしれないと思っていただけに、病床の義龍は、絶望的な死相を晒しつつも満足げであった。
「……うむ。これが今生の別れとなるかも知れぬ。伝えるべき事は粗方伝えたが最後に一つ。ワシが死んだ報が届いたとて、それを理由に退却は許さん……!」
「はっ!」
龍興は力強く返事をすると、四方膳に手を伸ばす。
打鮑―――
搗ち栗―――
昆布―――
「敵に打ち勝ち喜ぶべし! 敵は朽木六角! そして初陣を飾ろうぞ!」
龍興はそれぞれ一品ずつ食しては、間に酒を3回飲み都合9度、最後に威勢よく盃を叩きつけ割った。
この日の為に作法を一挙手一投足、手順を頭に叩き込んだ。
死に行く父に毛程の不安も与えない為に。
お陰で、全く澱みない所作である。
「―――武運を祈る」
出陣式に使われた食材は、それぞれ『敵を打ち(打鮑)』『戦に勝ち(搗ち栗)』『勝利、帰還を喜ぶ(昆布)』という、縁起の良い言葉に引っ掛けた験担ぎの品々である。
この後、命を掛けた戦いが始まるのに『ダジャレを言っている場合か!』と思うかも知れない。
しかし、それは現代人から見た場合であり、宗教が絶対の世界では験担ぎも疎かにしてはならない。
言葉は発すれば実現する。
だから言霊と恐れられるし、縁起の良い言葉は積極的に言うべきなのが武士、と言うよりは現代にも続く日本人の精神である。
ただし宗教が絶対とは言え、負けた場合は『勝敗は時の運』と言ってダブルスタンダードで誤魔化すのも武士だが、とにかく武士は縁起や験を大切にする。
余談だが、織田家の出陣式、特に信長が行う出陣式は年々形骸化している。
ただ、廃止までには至っていない。
信長も面倒臭い行為と思ってはいるが、織田家の武将の全員が全員信仰心を失った訳では無い。
それに、出陣式を行う事で士気が上がり、あるいは頭の切り替えが出来るなら安い物だとして、一定の価値を認め形式的に行っている。
余談の余談で、いずれは『出陣式を不要とすべき体制の構築』を考える書状が後世に見つかり、しかし、それでも結局最後まで行っていた事から『信長のビジネス出陣式』などと言われたりもしている。
「必ずや勝って参ります。父上、どうか朗報をお待ちください!」
「フッ……まだ生きろと言うのか。無茶を言う。……分かった。善処しよう」
もはや約束できる容態ではない。
善処が精一杯であった。
「出陣! まずは大垣にて叔母上(帰蝶)と合流した後、近江今龍城へと向かう!」
龍興は出陣を告げた。
これから西の大垣城で帰蝶らと合流し、今龍城で更に軍勢を吸収し整え、陸路で琵琶湖を迂回しつつ、昨年攻略した高島に集結する予定である。
こうして斎藤家新当主斎藤龍興の、この歴史におけるデビュー戦が始まった。
【美濃国/大垣城 斎藤帰蝶】
一足先に大垣城にて待機していた帰蝶率いる織田援軍。
そこに今川家からの援軍も到着した。
織田勢2000、今川勢1000が、斎藤軍8000に加わり朽木を攻略する事になる。
「ようこそ大垣へ」
織田家関係者であり斎藤家関係者でもある帰蝶が、今川氏真率いる今川軍を出迎える。
「これは濃姫様。御自ら出迎えとは忝い。今川治部(義元)からの命により、上総介(氏真)、駿河より参りました。他、松平(元康)、朝比奈(泰朝)らも此度は参陣しております」
ちなみに氏真が上総介を名乗るのは、信長を通した北畠具教の要請である。
今川家次期当主が無位無官なのもマズイが、上総介の席を埋めてしまい、上総守の要請をし易い様にしつつ、来る日に織田と今川の関係を公表するのにも利用する腹積もりであった。
もちろん、義元も氏真も納得した上での話だ。
「また副将としてて岡部(元信)、松井(宗信)が付けられましたので、軍議の場には同席する事となります」
「岡部五郎兵衛です。濃姫様とは長福寺での会談、そして桶狭間以来ですな。あの時、直接切り結ぶ事はありませんでしたが、まさかこうして轡を並べ戦える事になるとは。正直、今回の戦、楽しみにしておりましたぞ」(6章参照)
史実の桶狭間で岡部元信は、義元が討ち取られた後でも猛然と戦い、織田軍を跳ね返し続けた。
信長はその忠義と強さに感服、鳴海城の武力による攻略を断念し、義元の首の返却を条件に降伏を打診した。
この元信の奮戦と攻防は、今川の矜持を存分に内外に示し後世に語り継がれる程であった。
「松井五郎八郎に。同じく長福寺、桶狭間以来になります。主共々よろしくお願い致します。独眼姫の武芸と指揮、拝見させて頂きますぞ」
史実の桶狭間で松井宗信は、義本討死後も奮戦し、義元に殉じて一族郎党討取られた。
宗信は松井氏中興の祖として称えられる程に、今川家で力を示し続けた戦国時代に珍しい忠義の武士であった。
「岡部殿、松井殿、こちらこそよろしくお願いします。そして朝比奈殿はお初ですね。斎藤帰蝶です」
「朝比奈弥次郎と申します。織田様の軍の端に加えて頂けるのは望外の喜び。また、某も主共々濃姫様と手合せしたい所存」
「か、堅いわね。いえ、それも人の持つ性質。期待しているわ。手合せは……そうね。行軍の合間合間でやりましょうか」
「はッ!」
泰朝は氏真と同い年である。
父の泰能は太原雪斎と並ぶ今川家の重臣で軍務に政治に義元を支えた。
史実の桶狭間では既に没しており、しかし、その死は秘匿されたまま桶狭間に参戦したとの説がある。
これは敵に対して恐怖を与える名声、味方に対する安心感を持たせられる貴重な武将故だろう。
そんな父に対し子の泰朝は、史実では桶狭間を契機に没落する氏真を保護し、攻め寄せる徳川軍相手に援軍を見込めぬ中で5ヶ月に渡り奮戦した。
その忠義は、氏真が逆臣家康を頼るまで従ったとされる。
「次郎三郎(元康)ちゃんもね?」
「はっ」
今川家の武将として参陣し、しかし泰朝の体に隠れるようにして、しかも聞こえなくは無いが決して大きくも無い声で、可能な限り気配を消している元康が返事をした。
絶対に帰蝶と関わるまいとする、強い決意を感じる弱気な元康であった。
《これも人の持つ性質なのかしら?》
《さ、さぁ……?》
《逃げの姿勢も悪いとは言わないから良いけどね。訓練ぐらいは立ち向かって欲しいけども……》
《仕方ないんじゃないですかね? 逃げも才能ですよ》
徳川家康が戦国最後の勝者になったのは『逃げきったから』とも言える。
三方ヶ原の戦い、伊賀越え、大阪の陣、全て適切に逃げる判断が出来たから最後に勝った。
そう考えれば、今の元康も着実に徳川家康として目覚めつつある―――かもしれない。
帰蝶には知る由も無い才能ではあるが。
《……まぁいいわ》
なお、ファラージャの言う『仕方ない』とは上記の歴史の事であったが、帰蝶はファラージャのいう『仕方ない』を己の訓練と勘違いした。
だが話の流れとしては変では無いので、すれ違ったままであった。
「さて、それでは我ら援軍の役回りを確認しましょうか」
今川氏真率いる今川軍1000人。
歴戦の猛者たる岡部元信と松井宗信。
氏真も含め今川家の若手である朝比奈泰朝、松平元康。
兵数こそ少ないが、斎藤龍興の初陣を同盟者として絶対に成功させようとする今川義元の思惑と決意が感じられる布陣である。
援軍であるからして戦の主役にはなれぬだろうが、その分、小回りの利く部隊として要所で活躍し今川の存在感を見せつける布陣でもあった。
尾張織田軍からは、帰蝶を大将、副将に遠藤直経。
後は部隊長として服部一忠、毛利良勝、丹羽長秀、佐々成政、前田利家である。
尾張織田家は兵2000を援軍として出すが、こちらも今川家同様に小回りの利く部隊として動く手筈になっている。
北西近江の高島はともかく、朽木は山に囲まれ大軍を展開できる土地ではない。
従って主役の斎藤軍が正面からぶつかり、援軍勢が山間部から睨みを利かし、敵の迂回軍があれば各個撃破する。
朽木六角にとっては、城で斎藤軍を受け止めつつ山間部を迂回して攻撃するのが唯一の勝機。
それを歴戦の武将が、その機会の芽を潰して完全に封じ込める。
これなら初陣の龍興だとしても、副将の仙石の補佐もあるのだから、疲弊した朽木六角など正面から戦って普通に勝てる。
「問題は無さそうね」
「そうですな。勢いに乗る勢力なのに驕りのまるで感じられぬ確実な戦法。初陣が総大将と聞いた時は耳を疑いましたが、これならば不都合は起きますまい」
歴戦の岡部が太鼓判を押す。
もちろん岡部以外にも異論は無かった。
「では問題無しと言う事で、まもなく主軍の新九郎殿(龍興)が来るでしょうが、とりあえず援軍の結束を高める為にも出陣式をやりましょうか」
帰蝶は宗教的儀式や験担ぎなど全く信じていないが、出陣式は好んで行う。
前世における境遇を考えれば、無駄な事さえ楽しいからだ。
帰蝶は打ち鮑、搗ち栗、昆布を口に入れつつ、盃に並々と注がれた酒を儀式に必要な9杯分飲み干した。
少々飲みすぎであるが、帰蝶は酒にメチャクチャ強い。
酒豪とも言える量を飲んで全く前後不覚にならない。(7話参照 当時10歳)
「敵を木っ端微塵に打ち砕き、付け入る隙を与える事なく万全に勝ち、皆で勝利を喜びましょう!」
帰蝶は飲み干した盃を握って割った。
その豪快な立ち振る舞いが諸将には頼もしく映る。
近隣諸国に響き渡る独眼姫帰蝶の名声に違わぬ豪傑ぶりであった。
【近江国南/岐阜城(史実名:安土城) 織田信長】
「旨くも不味くも無いな。相変わらず」
信長は四方膳を適当に口に放り込んだ。
酒は口に付けただけで飲んではいない。
盃も割らない。
戦の儀式を冒涜にする、雑極まりない所作である。
まさに『信長のビジネス出陣式』であった。
これは危険な行為である。
縁起を蔑ろにし、酒で身を清めもしない。
宗教が絶対の世界では極めて重大なリスクを伴う。
それに信仰的理由以外にも、大将が所作や行動がいい加減で雑だと、下の将兵にも必ず伝播する。
故に百害あって一利なし。
メリットとデメリットが全く釣り合っていない。
だが、信長の出陣式は一見すると雑なのだが、その雑な所作が何故か様になり美しかった。
雑な所作に反して纏う覇気が矛盾しすぎて油断のしようが無かった。
信長は転生した事を差し引いても、すでに日本十指には入るであろう風格を備えている。
むしろ風格と言う意味では、逆に若返った事で風格に欠ける部分があってなお、マイナス要素全部引っ括めての日本十指の脅威の傑物である。
要するに27歳にして、人としてあり得ない領域にいる信長であった。
《今気が付きましたが、そのお酒は飲まないんですね》
そんな信長に何の躊躇もなく話しかけるファラージャ。
彼女自身も傑物なのか鈍感なのかは不明だ。
《あれ? そう言えば、普段も飲んでいないですよね?》
何度も信長の出陣式を見てきたファラージャが、見ていたのに見落としてきた事に気が付き尋ねた。
《酒か。どうも酒には弱くてな。酒に弱い人間が酔って指揮が疎かになったら目も当てられん。ガキの頃、つまり前の歴史だが酒で前後不覚になってな。ワシは飲めないと自覚したわ。そもそもがマズイしな》
《へー……。酒で失敗したから自制しているのかと思いました》
《ん? だから失敗したと言っておろう?》
《そうじゃなくて本能寺です。酔った信長さんが、酒が飲めない明智光秀に刃物を突き付け飲酒を強要して恨みを買ったとの説が―――》
《なッ!? たわけ!! 大切な配下じゃぞ!? そんな事するか!!》
本能寺の変の説の中には大小様々な話があるが、その中で、いわゆる『アルコールハラスメント説』が根強くある。
信長の残虐性と、メンツを重んじる光秀の屈辱からの行動として、良く出来た説である。
ただ、信長は下戸であるとも言われ、ルイス・フロイス他、医師のルイス・デ・アルメイダもそう記している事から、普段から酒を飲まない信長が、酒で失態を犯す事はあり得ない、つまり本能寺アルハラ説はあり得ないとの理論である。
《噂にしても酷すぎる! 味方を苦しめて誰が付き従ってくれるのか!? 主君が暴虐では、一時は従っても将来的には必ず報いを受けようて! そんなのは常識だ!!》
その常識理論を、愚かにも実践してしまう支配者は歴史上に腐る程にいる。
ただ、そうして暴君と伝わる者は、実は次の支配者の正当性のダシに使われ不当に貶められる場合もあるので注意が必要だ。
もちろん、本当に酒乱暴君の場合もある。
三国志の孫権は、『酒席での己の命令は無効』との法を定める程に酒乱、と言われている。
《わ、私の説では無いので文句を言われても困りますが!?》
本能寺の説は多岐に渡る。
裏を返せば、本当の理由が分からないからこそ、納得できる理由を誰もがデッチあげてしまう。
酒乱説などは、理由ありきで信長が非道な行いをする性格になってしまっているが『それなら納得』と人々が思えば真実になってしまう。
これだから昔の人は―――
などと馬鹿にする事は出来ない。
現代だって大概酷い。
むしろ情報拡散能力の発達した現代の方が、昔よりも厄介だ。
謎の報道や、胡散臭い告発動画、実在が疑わしい事情通の証言で、よりセンセーショナルな理由が誰でも簡単に捏造できる。
例えば現代でも、男が不祥事を起こせば女の影が、女が不祥事を起こせば男の影がチラつく報道がされる黄金パターンがある。
異性の影が在ろうが無かろうが、不祥事には全く関係ない場合でもである。(不倫浮気は除く)
これの元祖とでも言うべき物が『称徳(孝謙)天皇と道鏡』であろうか。
女性天皇と男の僧侶が権勢を振るった結果、称徳と道鏡は姦通していただの、道鏡が座れば膝が三つできるだのと後世に伝わるが、本来の能力には全く関係ない。
しかし世間的、あるいは歴史的に不都合で排除したい存在に、俗を極めた噂を広め、徹底的に貶めるのが、現代まで猛威を振るう日本の伝統芸能である。
《一応、聞いておくが、説の中に女を取り合ったとか馬鹿な理由はあるまいな!? それは理由として最悪じゃぞ!?》
信長も思わぬ事実発覚により、未来まで続く伝統と知らずとも、自分の考える最も最悪説を詰問する。
本能寺で死んだのは不本意だが、自分も分からない本能寺の理由が、事実無根にも程があってはたまらない。
《あ、ありません。そういえば不思議な事に、その類の話は無いですね》
《本当か!? 信用できん!!》
信長にはそう言った理由で貶められる説が無いのが救いかもしれないが、一応、女が遠因とされる説は無くは無い。
明智光秀の妹(義妹?)である『御ツマキ(御妻木の方?)』がいる。
この御ツマキは信長に近い位置で仕えており(側室?)、信長と光秀のパイプ役だったとも言われる。
光秀の妹なので奪い合う間柄ではないが、この人物が亡くなったのを境に信長と光秀の関係が悪化した、という説はある。
《これから戦だと言うのに何たる縁起の悪さよ! 出鼻を挫かれ過ぎだ! これが理由で六角に負けたら洒落にもならんぞ!?》
例え宗教から脱却した信長と言えど最低限の縁起は気にするので、しょうもなさ過ぎる捏造説に振り回されて疲労が蓄積する。
しかも近い未来には、義龍没の激震が起こる斎藤家を思うと、ますます気が重くなる。
(なんだ?)
(殿はどうされたのだ?)
何故か疲れた様に見える信長を気にかけた家臣であったが、すぐに思い直し忘れた。
信長の発する覇気溢れる声が、そんな懸念を吹き飛ばしたからだ。
「よし! 今頃は斎藤軍も稲葉山城を出立した頃じゃろう」
信長が両膝を叩いて床机から立ち上がる。
「いよいよですな?」
異様に表情が硬い、真の事情を知る森可成が信長に聞いた。
「うむ。これより我等は山城国南東側を伺う地点まで進軍する。目的は朽木を攻める斎藤軍を援護する事だ。決して六角を倒す事が目的では無い事を肝に銘じよ。最初にちょっかいを掛けた後は亀の如く防御に徹する。例え六角義賢を討ち取れそうだとしても見逃せ。絶対にこちらから攻める事は禁ずる。引き付ければ付ける程に朽木の攻防が有利になるのだから」
近江織田軍は、南近江にて編成した兵6000にて西側の山を通過して京の六角領を攻める。
そうして六角が信長に引き付けられている間に、斎藤が朽木を攻め取る手筈である。
「前代未聞の初陣総大将の重責。万が一があっては困りますからな」
斎藤家の事情を知らない武将が気楽に口を開く。
この武将は、斎藤龍興の初陣総大将には驚いたが、万全のサポートが施される事を知り、今回の戦で事故は起きないと確信していた。
「そうですな……! 初陣はどうしても周りが見えなくなるもの。我等がその重圧を和らげねば成りますまい。」
「斎藤殿には是非とも朽木を平らげて貰いたい所存!」
一方、可成同様に事情を知る柴田勝家、滝川一益は、気楽な織田軍の中にあって、極めて不自然なまでに緊張感を漂わせている。
《コイツらこんなに演技が下手だったか? ……いや、こんな特殊な状況では仕方ないか?》
《状況もそうですが、まだ彼らは武将として成長途中ですからね》
《それもそうか。つい忘れてしまうが、まだワシの知る前々世の姿には程遠いのだったわ》
ただし、前世の成長した姿に比べて今は劣っているが、前々世の今と、今回の今では、確実に配下の武将は成長している。
信長はそれらも感じつつ号令を下した。
「出陣する! 目標は逢坂山、音羽山拠点だ!」
これら拠点は、可成と勝家が領地を与えられた後に、今後の戦略の為に築いた拠点で、信長、可成、勝家、一益ら真の事情を知る者が拠点大将として指揮を執る事になる。
「はッ!」
諸将の気合の入った声が岐阜城(安土城)に木霊する。
こうして三者三様の出陣式が終わり、斎藤軍、織田軍、今川軍の共同侵攻が始まった。
普段なら、どう考えても成功、圧勝する作戦の破綻まで、もうあと僅か―――
ありがたい事に、第10回ネット小説大賞の二次選考を初めて突破しました。
あとは最終選考だけです!
次回投稿の時期には受賞者が確定しているでしょうが、その時の後書きには何としても喜びのコメントを書きたい!
そこで、言霊の実験です!
「選考の壁を打ち砕き、受賞による勝利と、栄誉を喜ぶぞ!」
言霊よ!
もう人事は尽くした!
後は頼むぞ!




