153話 屈辱の果てに
【山城国/京 朝廷御所】
「左京殿(六角義賢)。此度の要請ですが、朝廷として受ける事が能いませぬ」
「宜しくお頼み―――ん……? 聞き間違いですかな? いや、本当に何と仰いましたか?」
京の都の朝廷御所―――
正確には、京の都(?)の朝廷御所(?)と表現するのが正しいかもしれない場所で、関白近衛前嗣と天下の主(?)たる六角義賢が朝廷御所の一室で話し合いを行っていた。
その内容とは、15代将軍についてである。
義賢は、15代将軍に現将軍の嫡子である足利義栄を就任させようと動いていた。
理由は現将軍の高齢と家督移譲である。
当然、これは表向きの事であり、裏向きには六角の力の誇示を内外に示すに他ならない。
天下の主として、将軍人事に介入する力を有する勢力であると示す為に。
だが鰾膠も無く断られた。
いや―――
鰾膠も無いは言い過ぎであろう。
何故なら、前嗣は無念極まりない顔をしている。
まるで朝廷としても、15代に義栄を就任させられない事を『忸怩たる思いです』と言いたげだ。
「15代将軍を左馬頭殿(義冬)の子にする事は出来ぬ、と申したのです」
「何故です!? 14代は高齢なれば、後継者を立てるのが当然でしょう!? ……献金の事を言っているのであれば―――」
(足元を見おって! 銭を毟り取りにきおったか!)
相手が弱っていると見るや否や付け上がる朝廷の態度に、義賢は奥歯を噛み砕きそうになるほど食いしばりつつも対応を申し出た。
だがこれこそが戦国時代。
弱者は悪であり、強者の餌である。
弱みを見せた者が悪い。
特に力を持つ者が現在進行形で衰弱しているのは、最悪と言っても過言ではない。
だが、今回に限ってはそうではなかった。
義賢の勘違いである。
明確に別の理由が存在したからだ。
「そんな事ではありませぬ。後継者と申されても、それは既に決まっているではありませぬか。15代は13代の弟である覚慶殿(足利義昭)にすると」
「ッ!?」
「これを無視して朝廷として別の誰かを任ずる事は能いませぬ」
前嗣は冷徹に言い放った。
やはり『鰾膠も無い』は、言い過ぎではなく適切かもしれない。
(何故それを知っている!?)
喉まで出かかった言葉を義賢は飲み込んだ。
覚慶が15代になる事を知っているのは、六角義賢、13代義輝陣営と、和睦を取り持った延暦寺だけである。
それなのに、朝廷が知っているハズが無い情報を知っている。
これは脅威である。
考えられる可能性は色々ある。
六角家の誰かが朝廷に洩らした?
13代陣営の生き残りが動いている?
天皇の弟が延暦寺関係者なので、そこから洩れた?
様々な可能性が義賢の頭を過るが、どれが正解であっても不気味極まりない。
「……殿下。それは噂に過ぎないと否定したら、朝廷は反論する術があるのですか? 今も京は根も葉もない噂が飛び交っております。その類で申しているのではありませぬか?」
京では不穏な噂話が満載である。
織田の侵攻前流言だけでも面倒で手一杯なのに、六角家存続の肝でもある将軍家の後継者問題まで噂に踊らされては敵わない。
せめて噂程度の話なのか、確証があるのか、切り分けなければ義賢としては非常に動きづらくなる。
ここはハッキリさせておきたかった。
「残念ながら噂ではないのです」
義賢が望む結果では無いが、希望通り(?)前嗣はハッキリ告げた。
結果から言えば、確証があるが故の朝廷の動きであり、噂以上に厄介な現実も飛び出してきた。
「確たる証拠があるのです」
そう言って前嗣は懐から書状を出した。
それは延暦寺が将軍と六角を取り持った際の条件提示と、それを認める両陣営の署名が入った和睦書であった。
これはこの世に3通しか存在しないハズの超重要機密文書である。
それが近衛前嗣の懐から出てきたのは、驚愕以外の何物でもなかった。
義賢は見覚えのある内容と記した覚えのある署名を見て、視界が歪む錯覚に陥る。
「左京殿。朝廷が受けられない理由、お判り頂けますな? 以前、13代が健在なのに14代を朝廷が認めてしまい大混乱と争いが起きてしまった。その失敗を連続で繰り返す訳には参りませぬ」
前嗣は鬼の首を取った様に、いや、この書状は本当に鬼の首同然であろう。
反論は許さぬとばかりに、まるで討ち取った首を突き付ける様に、書状を義賢の眼前に広げ前嗣は義賢を拒絶した。
前嗣は信長から、15代任命の引き延ばし工作を要請されている。(149-2話参照)
しかし、仮に要請が無かったとしても、15代任命には慎重にならざるを得ない。
過去に義賢は、13代が行方不明なのを良い事に14代将軍を強引に認めさせた。(113話参照)
ある意味、14代任命が蠱毒計の引き金であった。
朝廷も騙されたも同然の14代の任命であった為、今回の要請を軽々に受けて二の舞を演じる訳には絶対にいかない。
朝廷としても蠱毒計を発動させてしまった事は痛恨の出来事だったのだ。
一方義賢は挽回するべく懸命に考える。
「一つ確認したい。これはワシと延暦寺、13代将軍が持つべき密約。確かにこれが作成された時点では覚慶殿が15代になるはずだった。しかし、今は状況が違う。13代将軍も覚慶殿も織田との戦いに敗れ行方不明……ッ!?」
義賢はそこまで自分で説明して気が付いた。
3つの書状の内、一つは自分で持っている。
これが世に出る事はありえない。
ならば延暦寺の覚恕が朝廷に提出したか、義輝が朝廷に預けたかの何れかである。
「殿下は延暦寺にこの件を確認したのですか?」
「もちろん確認はとりました。重大な案件ですからな。そして覚恕上人はお認めになられた。和睦を取り持った証として書状も見せてもらいました」
これは信長が、将軍六角連合軍との決戦を終えた時の話である。(149-2話)
前嗣は南近江の森可成本陣を訪問した後の帰りの足で、延暦寺を訪問し確認を取ったのである。
信長に肩入れしているとは言え、証拠や情勢は集めておくに限る。
フットワークの軽い前嗣だからこそできる情報収集であった。
「……ならばその書状は13代殿が持っていた物か。延暦寺が見せはしても手放すハズもない。13代殿と覚慶殿はあの戦で討ち死にしたと思っておったが、そうかそうか……! 2人は織田に取り込まれておったのだな? ……そして朝廷も!」
爪が食い込む程に握った拳がワナワナと震える。
義賢は昨年の戦の真相と、今回のカラクリの大部分を、推測ではあるがほぼ正解まで掴んだ。
今までも散々コケにされてきた六角であるが、今に比べれば可愛いものだと義賢は思う。
これ程までに名門六角がコケにされてきたのは先祖代々記憶にない。
怒りと殺意が義賢の体から溢れ出る。
「さ、左京殿!? 勘違いなされては困りますぞ!?」
義賢の豹変と殺気、気迫に前嗣は戦慄した。
喋りすぎた事を後悔する。
己の言い分が、覚慶との繋がり、即ち織田との繋がりまで暴かれる失言となった。
さらに前嗣は昨年の織田軍勝利の功労者である。
六角義賢に対し明確に敵対行動を取った。
前嗣が織田に知らせなければ、信長は討ち取られていた可能性が高い。
関白とは言えまだ若い前嗣は、その優位な立場と虐げられ続けた朝廷の恨みもあってか饒舌に喋りすぎて、義賢が真相に近づくアシストをしてしまった。
義賢は腐っても戦国大名。
前嗣がいくらその性格がアグレッシブでも、武家に比べたら所詮は温室育ちの公家である。
殺人すら通常業務の武士と、荒事を放棄した公家では、胆力など比較にもならない。
「こ、これは確かに13代殿が所有していた書状。私はこれを覚慶殿から預かったのです」
「織田に居る覚慶殿からですな?」
義賢が意地の悪い念押しをする。
バレたも同然ではあるが、一応、義賢目線では足利兄弟は行方不明である。
その生存確認と、前嗣が今までそれを知りつつ、会談に臨んでいた六角に対する不義理を暗に指摘する為に。
「そ、その通り。13代殿は見かけなかった。行方不明なのか討ち死になされたのかは今も分からぬ」
足利義輝は死んだ。
足立藤次郎として生まれ変わった。(149-1話参照)
これを詳細に説明すれば、織田とズブズブの関係と見られ義賢の逆鱗に触れる恐れもあるので、真実を交えつつ曖昧のまま伏せられた。
「延暦寺に立ち寄った際、後継者について聞き、覚慶殿が居るかもしれない織田で確認を取ったのだ」
これは嘘である。
まず、織田で後継者について聞き、その帰りに延暦寺で確認をとったのである。
「……なるほど。そう言う事にしておきましょう」
義賢は前嗣の稚拙な嘘を察しつつ、それ以上の追及はしなかった。
次の提案を通す為に。
「確かに、覚慶殿が15代に就任する意思があるならば、それを認めたワシが反故にする訳にはいきますまい。……ところで? 覚慶殿が考えを改めたならば話は変わりますな? あるいは既に身罷っていれば?」
一方、前嗣は斜陽の六角家を嘗めた事を後悔する。
腐っても鯛は鯛なのだ。
「も、もちろん。本人に継ぐ気が無ければ無理強いは出来ませぬ。書状でも本人でも、辞退を告げれば当然、身罷ったならばそれは不慮の出来事故に書状の意味は成しませぬ。その時は六角殿の要請を改めて受けましょう」
身罷る。
義賢は直接的な表現をしない。
一見綺麗な言葉に聞こえるが、要するに死んだ場合の事である。
死の汚れを恐れる日本人は、『死ぬ』という直接的な表現を避け、なるべく綺麗に美しく尊厳を持たせ『崩御』『永眠』『逝去』など様々に使う。
立場や状況によって表現は千差万別で、使う側は面倒で大変だが、死者を侮辱しない為に日本人は神経質なまでに気を遣う。
しかし一方で、害意を持って使う場合、どんな奇麗な言葉も皮肉にしかならない。
むしろ綺麗な言葉であればあるほど、害意も極めて高くなるだろう。
ある意味綺麗な言葉は、単なる暴言など比較にならぬ程に恐ろしい。
義賢は直接的な表現をせず『身罷る』と言ったが、当然『身罷るまで待つ』のではなく、義賢は覚慶を殺す事を暗に言ったのだ。
これが前嗣には恐ろしくてたまらなかった。
別に義賢は特段に獰猛な顔をしているわけでもない。
穏やかとも言ってもいい。
だから恐ろしかった。
余談だが、後世の歴史研究家は、この時の六角義賢が覚慶が死ぬのを待っていたと解釈するのが主流である。
理由は勢力的にそんな暴挙が出来ないとのと、身罷るという謙譲語の言葉が使われていたからだ。
ともかく、この綺麗な表現での脅しが前嗣には効いた。
「それだけ聞ければ結構。次の将軍は覚慶殿でも構いませぬ。……ところで、左馬頭様(14代義冬)の官位ですが、今の身分には相応しくありませぬ。そこで13代殿が任じられていた左近衛中将を賜りたい」
まるで『死んで空席なのだから問題ないだろう?』と言いたげだ。
いや、言っているも同然なのだろう。
事実、公的には足利義輝は行方不明で、ほとんど戦死扱いである。
空いた席に現役将軍が就任するのに不都合はない。
「そ、それは……。いや、分かりました。帝に上奏いたしましょう」
もし、この話題が会談の序盤に出ていたら拒絶、あるいは最低でも遺憾の意を示したかもしれない。
『故人を思えばこそ、当分の間は空席にて弔意を示す』
こう言えたかもしれないが、義賢が場を支配している今、とてもじゃないが断れる雰囲気ではなかった。
義賢は前嗣が精神的に退いた事を確認すると更に畳みかけた。
弱者は救うのではなく追い詰めるのが戦国時代なのだから。
「結構。それともう一つ。16代将軍予定の侍従様(義栄)を空いた左馬頭に任じて頂きたい」
左馬頭は次期征夷大将軍候補が就く慣例がある。
それは朝廷にとっても常識で、史実では14代義栄と15代義昭の争いあう当事者に左馬頭を与えた事もある。
これを要求し与えると言う事は、形式的ではあっても16代には義栄を将軍候補として認める事である。
そして『最低でも』と表現するからには別の場合もある。
何らかの手段で覚慶を排除した後、義賢の希望通り官位を根拠に15代として就任する可能性だ。
「ッ!! それも併せて上奏致します……!」
「次にお会いする時は、色々と良い返事が貰えそうですな?」
「そ、そうですな。朗報である事を私も祈ります」
こうして老獪な義賢と未熟な前嗣の、力の差が如実に表れた会談が終わった。
【山城国/京 六角館(旧三好館)】
「織田と戦うぞ! 農繁期であっても全兵力を織田に向ける!」
「はっ。準備を整えておきます」
義賢は館に帰還すると、山中為俊にそう伝えた。
窮地の六角が、今の日ノ本で一番勢いのある織田と、わざわざ農繁期に一戦交える。
家臣としては絶対に諫めるべきなのだが、今回だけは例外だ。
専門兵士の存在しない六角家。
農繁期に戦う事は自殺行為である。
それでも戦うのは手を拱いていては織田につぶされる―――それもあるが、何よりも十分戦えるからである。
何故なら、今年の年貢を諦めても良い程の支援物資が、尼子から送られてくるからである。
完全包囲を受けている六角家がどこから年貢を調達するのか?
実は、完全包囲はもう既に解けている。
興福寺が13代陣営として六角と敵対していた時には完全包囲が成立していたが、六角と和解した今、紀伊半島、大和国を通るルートで兵糧が運び入れられる。
正確には、尼子の兵糧は紀伊国の寺社へ、紀伊国の寺社は興福寺へとピストン輸送される。
ここだけが三好と織田の包囲の抜け穴である。
あとは興福寺や周辺寺社からも援軍がある。
これは織田家が神仏の弾圧者だと説得し、かつ、天下布武法度と願証寺殲滅の実績もあるから確実だ。
これで兵糧の心配も無く数の上でも互角である。
さらに、これは義賢が知る由もないが、小競り合いで済ますつもりの信長と、生き残りを賭けて断固戦う覚悟の義賢。
士気と覚悟で織田家を上回る絶好の好機が生まれた。
こうして、本命の戦は斎藤家の当主交代における朽木攻略の陰で、三好と尼子の代理戦争たる、ある意味天下分け目の戦いが起きようとしていた。




