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信長Take3【コミカライズ連載中!】  作者: 松岡良佑
17章 永禄4年(1561年) 弘治7年(1561年)必然と偶然と断案
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152話 六角義賢

 斎藤義龍の病死確実により、風前の灯火の斎藤家&その道連れとなる織田家。

 まだ、周辺諸国には知られていないが、その情報が漏れたが最後、絶対的な危機に陥ることは確実であろう。

 他家が弱れば食い荒らされるのが戦国の世の常である。


 当主の戦死後、武田家と徳川家によって食い荒らされた今川家の様に。

 織田家はまだ単独で持ちこたえられる可能性は有るが、斎藤家が持ちこたえられるかは未知数だ。

 それに織田家は持ちこたえたとしても、無傷とはいかないだろう。


 ―――そんな中で、もし全ての真相を知ったならば、織田と斎藤のピンチを鼻で笑う事が許され苦言を呈する資格を有する勢力が一つある。


『危機? これはこれは……。随分余裕の有る危機ですなぁ? へそで茶が沸いてしまうぞ? ハッハッハ!』


 ―――六角義賢である。



【山城国/六角館(旧三好館) 六角家】


「どこで間違ったのかのう? 浅井に援軍を送らなかった時か?」(65、66話参照)


 六角義賢は様々な計略によって、今となっては京を、天下の中心を支配して()()()()


 天下とは日本の端から端までではない。

 京を中心とした近畿地方が天下である。

 その地を支配し、かつ、天皇を手中に収めた勢力が、天下の頂点に立つと認識されるのが戦国時代である。

 おまけに、武家の頂点たる足利家も手中に収めているのだから、六角義賢の天下に誰が文句を付けられようか?


 ―――誰もが文句を言うだろう。

 ―――当の六角義賢本人も含め。


 なにせ近畿には強大な三好家が、京を失ってなお圧倒的な存在感を放っている。

 東側からも、ここ10年は新興勢力の織田に軽くあしらわれている。

 あろう事か保護していた13代将軍足利義輝は、己よりこの場にいない尼子を頼りにした始末。

 その13代とは半ば誘導され対立したが、奇跡的な和解で挽回したのも束の間、邪魔な13代将軍が消える代償に南近江の全拠点を奪われ、今は、京の都と言う牢屋に押し込まれた状態同然である。


 天下の主の条件を満たしているのに、全く天下の主とは言い難い。


 当然だろう。

 何一つ自分が望んだ現実では無い。

 天下の中心地の支配者として、何一つたりとも納得できる成果は挙がっていない。


 それでも天下の主の席に座る奇跡を起こしてしまっている六角義賢。

 一体どこで歯車が狂ったのか考える。


 己の中では、浅井に援軍を送らなかった事が原因かと睨む。

 ()()正解であろう。


「主は配下を保護するのが仕事。何故それを怠った?」


 義賢は自問する。

 斎藤家の北近江侵攻時、六角家は配下の浅井を助けなかった。

 支配者は支配する土地や人を守ってこその支配者である。


 斎藤家の浅井家攻略時、六角家は織田家に牽制されて動けなかった。

 迂闊に動いて浅井救出に向かえば、織田に攻め込まれる恐れがあったので動くに動けなかった事情はあるのだが、結果と現実は『味方を見殺しにした』と言う事実である。


 コレが六角のケチの付き始めであろう。

 ただし、そうなった根本原因は信長の転生だとは思いもよらない。


 そこから浅井の人質であった猿夜叉丸(浅井長政)を奪われ、あれよあれよと今の窮状まで追い込まれた。

 確かに義賢も自覚する失点であり、これによって引き起こされる多少の不都合は覚悟したが、現状は覚悟を軽く凌駕してくる。


「殿、心労の中言い難いのですが……」


 六角家の主だった家臣は、かなりの数が織田家に鞍替えしたか、見限って逐電してしまっている。

 そんな中でも義賢に従い残っている者もいた。

 その中の一人である山中為俊が、申し訳無さそうに進言する。


「何だ? これ以上、心労を重ねた所で窮状は変わらぬぞ? 遠慮なく申せ」


 自嘲気味に話す義賢。

 天下の行方に右往左往され続け、斎藤義龍とは別種の死相は浮かんでいたが、同時に悟りでも開いたのか、表情はそこまで曇っていない。


「はっ。民草の噂に危険な話が紛れています。戦の前の事前工作の臭いがします」


「どうせ織田辺りの流言だろう? 内容は?」


 織田の京侵略前の事前工作(建前)として、義賢に見破ってもらいたい流言飛語。

 義賢は信長の信頼通り、しかも、内容を聞く前に織田の仕業と看破した。

 決して義賢は無能ではない。

 この程度は即座に見抜ける能力がある。

 ただ、周囲が化け物すぎるだけである。


「はっ。まず一つ。源平交代による易姓革命と、それに付随する織田の平信長との名乗りです」


「源平交代? どういう事だ?」


「それは―――」


 為俊が噂をかいつまんで説明した。


「……なるほど。民草は面白い事を考えるのう。いや、噂の出所が信長か。良い着眼点よな」


 こじつけ、ジンクスの類であっても宗教が絶対の世界である。

 決して馬鹿にできない効力はあるのだが、悟りを開いた義賢には『面白い話題』程度にしか響かなかった。


「次に、我らが興福寺を襲撃すると……」


「我らが? ほう? それはまた、とんでもない計画よな」


「はい。まさか我らが興福寺を襲うとは思いもよりませんでした」


 現実味が無さ過ぎて、もはや他人事だ。


「他にもあるか?」


「はい。延暦寺が興福寺に渡る税を奪うと」


「認めるのも悔しいが、京の争乱を見事に鎮めた延暦寺が、また争乱状態に戻すと?」


「そうらしいです。世も末ですな」


「全くだ。他にもまだあるか? あるはずだ。無いとおかしい」


 ここまで酷い内容の流言である。

 今までのは囮で、本当に流したい内容が有るはずだと義賢は睨む。


「延暦寺に対し、此度の和睦仲介の功績を認め朝廷での法会を認めると」


「……ほう。それは如何にもアリそうじゃな? これが本命か? しかし他は根も葉も無さ過ぎる。本当に無さ過ぎるわ!」


 こんな荒唐無稽な噂は無視していればいい。

 噂の広まるスピードが尋常では無いのだから、火消しに奔走した所で鎮火は不可能だ。

 だから無視するに限る。

 無視すれば事実じゃないと否定できるのだ。

 人とは捻くれた生き物で、否定すればする程に真実だと確信する。


 だから無視すればいい―――これで無視できれば、人生どんなに楽であるか。


「だが、勘弁して欲しい噂でもある」


 長年苦しめられてきた蠱毒計により、悟りは開いても精根尽き果てかけていた義賢。


 噂は実態が無いだけに千変万化。

 噂に踊らされて破滅に向かう権力者は数多に上るだろう。


「まず源平交代思想。平信長だと? 噂に踊らされおって。バカバカしい―――と、一蹴した権力者は皆揃って転落したのだろうな。噂で滅んだ者など腐るほど居ろう。だが―――」


 元々京では不穏な噂が絶えない。

 太古から権謀術数が渦巻く伏魔殿の京である。

 そして日本屈指の紛争地帯でもある。

 不穏な噂が無い方がどうかしているとも言える。


「だが、そもそも、我らが否定しても内容が織田の家中の話だから証明の術が無い。我等が強く否定すればする程、民は確信するであろうよ。源平交代と平信長の本気をな。嫌な所を突いて来るな織田は。これは本当に無視するしかない」


「そうですな。そうするしかありませんな」


 仮に六角家総出で『平信長は嘘なんです~! 源平交代も偶然です~!』と動いた所で、民はキョトンとするのがオチで、後に『やっぱりな』と確信するのがオチであろう。


「それよりも他の流言だ。興福寺には噂を否定する使者を立てろ。どこまで効果があるか分からぬが、ワシらが黙っておっては興福寺も警戒対応せねばなるまい。それはマズイ」


 噂に過ぎぬから反応もしない、と言うのも手段ではあるが、無言を貫くのもマズイ噂もある。

 味方の他勢力、特に興福寺は大切に扱わなければ成らない同盟勢力なので誠意ある対処が必要だ。


「延暦寺については刺激するな。真実だったとしても、対応するのは興福寺。対処を求められれば動くが、それまでは何もするな」


 一方こちらは大切な同盟勢力であっても、宗教勢力同士の対立が噂の肝である。

 宗教勢力への介入は、一歩でも対応を間違えたら破滅まであり得るほどに呪われる。

 呪詛的な意味ではなく、対立勢力として物理的に根絶やしにされるだろう。

 だから、関わるにしても『要請される』という体が大切だ。


「朝廷の法会は探りを入れる。別に真実なら真実で我等が反対する理由はない。その理由があるとすれば興福寺だからな」


 朝廷も天皇を現人神とした一種の宗教勢力である。

 明確に意思疎通ができる神なのでコントロールはし易いが、それ故に注意を払わなければならぬのが朝廷でもある。

 コントロールは出来ても絶やす事は出来ない。

 朝廷は利用する勢力であり、対立する勢力ではない。


「ただし強訴の気配がしたならば動かねばならん」


 強訴は宗教勢力の必殺武器である。

 好き勝手やられてしまえば面子がまる潰れである。

 

「対応としてはこんな所か。……まぁ、どれもこれも侵攻前の混乱を狙った流言だろう。あたふたと動かず悠然と対処せよ」


「承知しました。……一つ疑問があるのですが伺っても宜しいですか?」


「何じゃ?」


「失礼を承知で言います。我等を倒すのにココまで念入りにする必要があるのでしょうか?」


「……。言い難い事をハッキリ言うのう。だが確かに不思議ではある。正直、次ぎ攻め込まれたら、もう成す術が無い。無いのだが、今の問いで疑問が湧いた。蠱毒計は我等と将軍を争わせ疲弊させる事。これは良い」


 為俊にとっては全く良い事では無いが、口は挟まずにおいた。


「何故あの時、三好は同時に攻め込んでこなかった? 尼子と対峙しておっても、織田と協力したなら片手間でできる事じゃろう? 我々は何故生かされておる?」


「生かされている……?」


 為俊も言われて気が付いた。

 六角は随分前から良いとこ無しの連戦連敗である。

 昨年の戦いで滅んでいても、何等おかしくは無い。

 しかし生き残っている。


「さすがに何かおかしい。まるで滅んで欲しくないかの様じゃ」


 気のせいでは―――

 そう言うのは簡単だが、全く気のせいとは思えず為俊も考える。


 六角主従の辿り着いた疑問は正しい。

 実は三好も織田も六角には滅んで欲しくないと思っている。

 強力な勢力では困るが、弱りながらも存続して欲しいとさえ思っている。


「分からん……。何が狙いなのじゃ?」


 この理由に六角が気付くのは後の話である。


「分からない理由よりも、分かる理由を対処しましょう。織田の流言は攻め込む前の事前準備でしょう。これは間違いありますまい」


「確かにな」


「そうなると気になる事があります。某、以前と同じ状況に陥った事が記憶にあります。斎藤の浅井攻略です。あの時、我等が浅井の救援に向かえなかったのは織田への警戒が解けなかった為。お陰でまんまと斎藤の躍進を許しました」


「……その先は言わんで良い。この噂で我等を封じ、また斎藤家の動きを助けるのが織田の狙いだと言いたいのだな?」


「その通りでございます」


「ふざけおって! どこまで我等を舐め腐れば気が済むのか!? ……ずっとなのだろうな」


「……殿」


「わかっとる。これは王手飛車取りと同じよ。織田は京を狙うと見せて、斎藤が昨年残した朽木を攻めるのだろう」


 信長の予想に反し、裏の裏まで看破した義賢。

 ただ、だからと言って打てる手が無かった。

 まさに王手飛車取りである。


「戦なら将棋と違って両方対処すれば良いだけの話じゃが、今の六角にその力は無い。どちらかは諦めねばならぬ。……王を諦めて逆転する将棋の手法など存在せぬよなぁ……」


「朽木は高島に対する飛車でしたが、王との天秤では比較になりますまい」


 将軍陣営が消えたお陰で偶発的に手に入れた朽木だが、斎藤家が狙っているのはわかる。

 高島と朽木の地理関係から朽木を野放しに出来ないのは理解できる。

 だからこそ高島にとっての急所である朽木は、何が何でも支配し続けなければならない。


 ―――それは通常の場合で、京も高島も十分に防衛できる戦力を揃えられるならの話。


 今の六角には取れぬ戦術であった。


「何をどう動いても、その場凌ぎにしかならんか。憤死しないワシを褒めてやりたいわ!」


 もう何もかも放り出して逃げ出したい気持ちになった六角義賢。


「殿、父上、お話中失礼します!」


「何だ?」


 現れたのは為俊の嫡男である長俊であった。


「書状が届きました」


「書状? 三好からの降伏勧告か?」


 そうするのもアリだな―――

 そんな事を思ってしまう程に追い詰められている義賢であるが、書状の主の名前を見て驚く。


「これは!?」


「ど、どうされましたか!?」


 為俊は主君の豹変振りに驚く。

 しかし義賢は家臣の問いにも答えず喰いいる様に書状を読む。


「読んでみよ」


「……これは!? これは……」


「苦難ばかり過ぎておかしいと思っておったが、神仏の加護はワシにもあるのだ!」


 その書状は要約すれば、六角に対する援軍の申し出であった。


 渡りに船、捨てる神あれば拾う神あり―――

 色んな表現が存在するが、義賢は天の助け、運命は公平とばかりに喜ぶ。


 確率などは突き詰めれば必ず平均値に落ち着くものである。

 幸福などは表裏一体で不幸が連続するなら、どこかで反動が有るはずだ。

 そういった知識が無くとも、義賢はそう感じた。


「神仏の加護……」


 だが―――

 為俊には、まるで違う様に見えた。


(これは……破滅や呪いの書状の類なのでは!?)


 天使の導きと思ったら悪魔でした、なんて事は良くある話だ。

 こんな状況で生き残る今が幸運で、これから不幸が訪れるのではないかと為俊は感じた。

 上手い話には裏が付き物。

 ましてや今は何でもありの戦国時代である。


 しかし獲物は逃げ道が有る限り逃げ続けるのが本能。

 人もその本能には逆らえない。

 死中に活ありと言うのは簡単だが、それを行動で示すなど常人には不可能であるし、仮に活を求めたとしても普通は死ぬのがオチである。

 こんな手段は選ばれた者のみが選べる手段である。


 桶狭間の信長の様に。


 少しでも生き残りを感じる方に賭けるのが生物として正しい。


(……今は命脈を繋げる事を第一と考えよう。援軍が現れるのだ。それに……)


 為俊の考えを読んだのか偶然なのか、義賢は為俊の言おうとした言葉を発した。


「我等は選べるのだ。誰も京を戦場になどしたくない。三好も尼子もな!」


 書状の主は尼子であった。

 敵の敵は味方とでも言うべきか。

 尼子は援助を申し出た。


 尼子の思惑の先など義賢には簡単に予測が出来る。

 時が来たら京の明け渡しであろう。

 尼子は三好を倒した後の事を考えて書状を寄越したのである。


 もし尼子が三好を倒しその領土を吸収したなら、もう手が付けられない強力な勢力になっているはずだ。

 もし六角が京以外を拠点にしていたなら、意向に関係なく踏み潰されるのがオチだろうが、幸運にも京に封じ込められているが故に選べる。

 降伏か死か。


(もはや六角は単独で勢力を維持するのは困難。従属するなら次の覇者を見極める点で、京で高みの見物のできる我等は有利。何とも情け無い事だが、生き残る事ができるのなら文句は無い。織田に対しては京を城と見立てた篭城戦をすればいい。……本当にそうか? 何か思い違いをしていないか?)


 為俊は尼子の書状を不吉なモノとして捕らえている。

 それに織田を常識で計って良い相手では無い事は、今までの経験から十分理解している。


(……色々と決断が必要か。しかし、三好と尼子は京を戦場にしたくないとして、織田はどうなのだ? 三好と連携しているのに攻め入ろうと言うのか? 我等ではない力のある織田が京に入るのを三好が許すのか?)


 京に攻めは入るには理由が必要だ。

 そう考える為俊の思考はまたも遮られた。


「よし……。織田を牽制する為に新将軍を立てるか。14代殿もお歳だ。後継者を決めて全国に触れを出す。その時、織田の反応を見極めより詳細な対処を決める」


 為俊の思考が遮られた。


「そうですな。朝廷に対しても準備を致しましょう。その際、法会についても探りを入れましょう」


 こうして六角は織田の侵攻に備える事になる。

 信長の意思の裏の裏まで看破した六角主従。

 腐っても歴史ある六角家である。

 運も味方に引き入れつつ対策を取るが、一つ誤算もあった。


 朝廷が六角の要請に難色を示すのは後の話である―――

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