149-3話 南北近江侵攻戦後始末 神域
149話は3部構成です。
149-1話からご覧下さい。
【近江国南/森可成本陣】
その時、まるで計って居たとしか思えないタイミングで、伝令が使者の来訪を告げた。
「も、申し上げます! 三好家から松永様が使者として訪れております! 如何しましょうか!?」
「……三好長慶は全てを察知しているのではあるまいな? 暫し待たせよ!」
三好長慶が南北近江の戦況を予測し、今、全てが終わって信長が南近江に帰還した―――
そう読み切ったとしか思えないタイミングであったが、流石にそれは無いと頭を振る信長。
「足立藤次郎や細川右京を見られる訳にはいかんな。輝政と直経も連れていけ。妙な真似はするなよ?」
「分かっておるわ。貴様こそ三好長慶に飲まれるで無いぞ? 奴は……奴は正真正銘の化け物じゃ」
義輝が捨て台詞の様な激励を送る。
「そうじゃな。一番奴とやりあったお主の忠告。肝に銘じよう」
「フン!」
義輝が本陣を退出すると、信長は前久にも言葉を掛けた。
「殿下も席を外した方が良いでしょう。別に朝廷との繋がりを咎められる筋合いはありませぬが、痛くも無い腹を探られても困る。松永相手に油断は禁物ですしな」
将軍家の者は将来の布石である。
当然バレる訳にはいかない。
近衛前久も、織田と朝廷の強い繋がりと邪推されても困る。
「松永殿か。あの御仁は私も何度か会った事がある。三好殿もそうだが、あれ程までに洗練された人間を私は見た事が無い。一挙手一投足に気を配るが良かろう。いや余計なお世話だったか。今の神域に迫る織田殿には釈迦に説法よな」
「神域とは過分な褒め言葉にございますが、そうですな……。前回も松永が訪問して来た時は、まんまとしてやられた。今度はやり返してくれましょう」
以前、朝倉との戦が決着した時、絶妙のタイミングで現れた松永久秀(84話参照)
信長もこんなタイミングで接触があるとは思わず、しかも、大量の支援物資と官位の斡旋を受けた。
完全に機先を制され、あっさりと封じ込められた。
トラウマ同然の接触であった。
《今度はこちらが圧倒してくれん!》
《頑張って下さい!》
前久が本陣を退出して準備が整い、本陣に松永久秀が通された。
信長も気合十分である。
さっそく、先程、義輝に浴びせた覇王の気配を浴びせる。
「……ッ! 暫くぶりでございます。堺を案内した以来でしょうか?」
だが、久秀は動じない。
《動じぬか。……そう言えば、奴は長慶の側近だったな。この程度は奴にとって日常風景も同然か》
信長はそう判断したが実は違う。
久秀は久秀で驚いていた。
主と同じ気配を発する信長の威圧感には心底驚いた。
それにもう一つ気になって仕方ない事があるのだが、そこは百戦錬磨の松永久秀。
所作や言葉の中に動揺を上手く隠したのだ。
「そうだったかな? 三好包囲網に対応する為上洛したが、確かあの時は、お主とは大した話はしておらぬか」(101話参照)
「そうでございましたな。あの時は大した持て成しも出来ず申し訳ありませぬ。次に堺に起こし頂いた時には、是非某の屋敷へお越し下さい。名品珍品を揃えてお待ちします」
信長が当時を思い出し、久秀は謝る。
腹の探り合いとしか表現し様の無い2人の挨拶であるが、当然それを額面通りに受け取る者はこの場に居なかった。
「さて本題と参りましょう。主も、今後の織田様と三好の共同戦略の方向性を定める為、戦況の確認をと某を派遣されました」
久秀が要件を切り出した。
「しかし、どうやら決着は付いた御様子ですな」
全くもって予想通りの案件であったが、信長は少し別の事を感じていた。
《暫く見ぬ間に随分と胡散臭くなりおったな、こ奴。ワシの記憶に近づきつつあるな》
《そ、そうなんですか? 私は初対面なので何とも……》
帰蝶は史実の久秀と対面した事が無いので、胡散臭くなったと言われても分からないし、今感じる久秀は、完璧な礼儀作法をこなす文化人に見える。
帰蝶は、信長の後ろで横になりながら久秀を評した。
しかし、その完璧な久秀は帰蝶の視線を感じ、先程とは打って変わって動揺した様子で尋ねた。
さっきから、どうしても気になる存在について。
「と、所で戦況の確認の前に、そちらの女人は……?」
何故かこの場で横になっている、帰蝶に視線を向ける久秀。
織田陣営には当たり前の光景でも、女が横たわっている中で平然と話し合いが進行するのは、いかに久秀でも見なかった事に出来る違和感では無かった。
この一点だけは、どれだけ動揺を隠そうにも無理であった。
帰蝶はさっき、義輝らと一緒に退出すべきであったが、もう全員がこの場に居て当然と思い込んで居た。
信長でさえ。
帰蝶の行いには眩暈を覚えるしか無い信長も、この異常事態を通常状態と判断してしまう位には毒されて居た。
「ん? 初対面だったか? こ奴は斎藤家からワシに嫁いだ者で―――」
「と、言う事は!? あの独眼姫、斎藤帰蝶様でいらっしゃいますか!?」
信長の紹介を遮って驚愕する久秀。
「京を飛び越え、西にもその異名が伝わっておるのか……」
誇らしいやら呆れるやら、今の感情をどう表現して良いのか分からない信長であった。
だが、お陰で久秀の精神が揺らいだのか、今までも前々世も見た事が無い勢いで、久秀の口から言葉が洪水の様に溢れ出て来た。
「何と!? ご存知ありませぬか!? 帰蝶様は、あの武田信繁と互角に渡り合った武人として大人気ですぞ! 堺でも帰蝶様のご活躍は話題が尽き無いのか、そこかしこで聞かれますし、特に女子衆の人気は凄まじいモノがありますぞ!? その武勇伝を能、狂言、浄瑠璃にして演じ様と計画も聞きます! 完成の折には『三好家で後援してはどうか?』との話も上がっております! かくいう某も憧れておりました! 某の武はタカが知れておる程度でして、異名まで轟く帰蝶様にはいつかお会いしたいと思っておりました!」
「そ、そうなんですか……? ……ありがとうございます!」
胸骨の負傷で大きい声は出せ無いが、それでも誇らしげに礼を述べる帰蝶。
何故か居並ぶ家臣達も誇らしげだ。
「はッ!? こ、これは大変失礼をしました……!」
久秀は興奮して目的から脱線した事を謝罪する。
「い、いや、気にする事は無い……」
一方、信長は信長で『久秀! お前もか!』と困惑するしかなかった。
「ごほん! しかし、今は負傷しているご様子。此度の戦で何かあったのですか?」
「そ、それはだな……」
義輝の存在を隠しつつ、帰蝶が浅井輝政を倒し遠藤直経と激闘を繰り広げた話をする信長。
「遠藤直経! 蠱毒に藻掻く将軍陣営において、猛将として聞き及んでおります! そんな怪物と渡り合い勝つとは!」
久秀は早合点した。
勝ってはいない。
手も足も出なかった、と言った方が正しい。
「……そうじゃ」
だが、信長も訂正はしなかった。
「これは堺に噂を広めるのが楽しみですな!」
さっき謝罪した口で、余計な事を計画する久秀であった。
《え? 勝てはしなかったのですけど……》
《訂正するのも疲れる。それに久秀が隙を生むかも知れぬしな。もうアレじゃ。せっかくだから演目として存分に誇張して貰え》
「全体の経緯を話しても良いか?」
「あっ!? お、お願い致します」
信長はこめかみを抑えながら、改めて戦の経緯を話し始めた。
「今回の蠱毒計の圧迫作戦。予想外の事が多数起きた。まず延暦寺が六角と将軍の和睦を斡旋した様じゃ」
「……え?」
「和睦となった将軍六角連合陣営が北近江高島までやって来て、不幸にも遭遇戦と相成った。その結果、将軍も管領も行方不明じゃ。逃げたのか討ち死にしたかも分からぬ」
義輝達の存在を隠したのだから、当然行方不明扱いである。
「一応、戦場の遺体は確認したが見付けられなかった。競わせる毒虫を滅ぼす結果となってしまったのは謝罪の仕様が無い」
この話は流石の久秀も驚いた様であった、と言うよりも、織田が浅井輝政、遠藤直経と戦ったのは、あくまで足利軍の中の1部隊だと思って居た。
まさか、足利義輝本隊と戦っているとは思っていなかった。
「そんな事があったのですか……。信じられませぬ……」
「信じられぬのは仕方ない。ワシもまさか和睦を果たしているとは思わなかった。誠に済まぬ事をした」
信長は嘘をついている手前、怪しまれぬ様に重ね重ねの謝罪をしたが、久秀が『信じられない』と言ったのは、その事では無かった。
「違うのです! 主は、そうなる可能性も考えておいででした……!」
「何じゃと!?」
久秀のその発言は、さっきまで帰蝶の下らない噂によって優位に立っていた信長の立場が、一瞬で崩れた。
「主は言いました『将軍、六角が助かる道はどちらかが頭を下げる事じゃが、それは到底叶うまい。しかし、誰か代わりに頭を下げる者の介入があれば逆転の目は生まれるかも知れん。延暦寺か興福寺か、或いは尼子か? 誰かがソコに気が付いたら蠱毒計は崩壊するかも知れぬ』」
長慶の読み通り、将軍も六角も、お互い頭を下げる事はしなかった。
だが、延暦寺が両陣営に代わって頭を下げて、まんまと躍らせる事に成功した。
それが今の結果に繋がっている。
その長慶の考えと言葉を、久秀が驚愕の表情で吐き出す様に話す。
信長も、己ですら読めなかった可能性を考えていた長慶の頭脳に驚く。
話す方も聞く方も両方驚く奇妙な光景であった。
「『そうなったらなったで仕方ない。しかし問題も無い。このまま生き残った陣営を包囲出来ておればそれで良い』……そう仰られておりました」
久秀としても、将軍と六角の和睦はあり得ないと推測して居た。
誰がどう考えても、仮に代わりに頭を下げる人間が居たとしても無理だと判断出来る程、お互い憎しみあって居た。
主の完璧な蠱毒計が破られる何て思いもよらなかった。
だが、現実は和睦となった。
だから久秀は信長の話を聞いて、主の推測通りに事が運ぶ現状に震えが止まらないのである。
「で、では、三好殿はこうなる事も想定して動いているのか!?」
誰も居なければ掴み掛かっていただろう勢いで、信長は久秀を問い詰める。
「そ、その点に付いては某も存じ上げませぬ! 主の頭の中では何か策があるのでしょうが、某如きでは何も察する事が出来ませぬ! し、従って、織田様の謝罪は不要となりましょう。支援物資を使って近江を発展させて欲しい。との事であります。某からは以上であります。何か主に伝える事があれば承りますが……?」
久秀は震える声でようやく話し終えた。
「いや……。今回の顛末の予測をしている三好殿に言うべき事などあるまい。今後とも宜しく頼むと伝えて欲しい」
言う事など無いと言いながら頼む信長。
それ程までに動揺していた。
信長と久秀の戦いが、長慶の勝利で終わったのである。
当然の動揺とも言えた。
上洛も、将軍の家臣化も、家臣の大名化も、岐阜城計画も、帰蝶の能狂言浄瑠璃化も、5次元空間を巻き込んだ喜びも全部吹き飛ぶ衝撃であった。
こうして、信長が己の命の危機を感じる程の戦いの後、未来の布石を手に入れ、しかし長慶にやられた近江侵攻戦は終わった。
陣を引き払い帰還の途に就く信長は荒れに荒れた。
《三好長慶……!! 化け物過ぎやせんか!? 神域にも程がある! 何で奴は史実で無様に消えていった!? 信じられん! 何か捏造があったんじゃ無いか!?》
《私に捏造って言われても、れ、歴史改編の結果、としか言い様がありませんね……》
ファラージャが、信長を復活させた時以来の短気な信長に接し、戸惑いながら応じた。
信長が怒鳴った所で知らない物は知らない。
《ただ、一つ推測出来る可能性があるとすれば、信長さんが頑張るから長慶さんも呼応して成長するのでは?》
《そうだとしてもだ! アレは異常だ!》
ファラージャが変化の可能性を指摘するが、信長は異常事態としか思えない。
《ま、まぁ三好の力が天井知らずでも、将軍と管領が行方不明とする事が出来たじゃ無いですか。これは切り札となるのでは?》
《……。奴はそれも見透かしている気がする。むしろバレている前提で動くべきだ! そうか。これは……奴はやっぱり病なのかも知れぬ》
信長は長慶の現状を、病では無いと判断して居た。(139話後編A参照)
しかし、今のこの状況を考えると病の方が腑に落ちると考えるに至った。
《病でコレってあり得ないのでは!?》
当然の反論であるが、信長には己の推理に自信があった。
《病で判断が鈍る。確かにそれはそう。普通はそうなるだろう! しかし奴は普通の枠には収まらん! ならば病で判断が神懸ると言うのもあり得るんじゃ無いか!?》
《あっ。た、確かに……》
死病に侵された才人が、奇跡的な力を発揮するのは十分あり得る話である。
古今東西の歴史を知るファラージャが、その例を知らぬハズが無い。
《これは相当覚悟せねばならんぞ? 今まで覚悟が足らんと思った事は無いが、それでも何が起きても不思議では無いわ!》
信長は織田の苦境を確信する。
それが言霊にでもなったのか、翌年、予想外の方面から大事件が起きるのである。
何が起きても不思議では無いと覚悟したのに、覚悟の外側からの不意討ちが―――
16章 永禄3年(1560年) 弘治6年(1560年)完
17章 永禄4年(1561年) 弘治7年(1561年)に続く
大まかな配置図
次回は16章のあらすじ、登場人物紹介となり、更に外伝ターンとなります。
また、17章は本当にマズイ事になります。
今まで以上にプロットを練った上で執筆しますので、17章は少々投稿期間が開くかもしれません。
申し訳ありませんが、その時は気長にお待ち下さい。
あと、前回の148-2話で『信長Take3』の話の投稿回数が250回に到達していました!
当初の予想ではとっくに完結しているつもりが、こんなに続くとは予想外でした。
本当に皆様のお陰で頑張れています!
ありがとうございます!




