149-2話 南北近江侵攻戦後始末 目賀田山の安土城
149話は3部構成です。
149-1話からご覧下さい。
【近江国南/森可成本陣】
「良し。では次だ。具体的な今後の展開を伝える。さっき右京(細川晴元)に『何なら15代の管領として復帰しても良い』と言った。『覚慶殿にはその大任を担って貰いたい』ともな」
「そう言えば。と言う事は15代はそちらの覚慶殿だと?」
呼ばれた覚慶(足利義昭)は不安げに頭を下げる。
完全に敵意は消失し、頭にあるのは怨霊化阻止の願いだけである。
「そう。覚慶殿は15代将軍が内定した身。それを証明する書状と、書状作成に携わった細川右京(晴元)が居る事から間違い無い。だが、その内定も、どうなるか分からぬのが実情だ」
六角軍から見れば、後見の義輝も、内定の覚慶も行方不明なので、先行きは極めて不透明である。
「恐らく、この約定は無かった事になり、次の将軍は14代の子である足利義栄となるだろう。14代も高齢であるし、覚慶殿も行方不明であれば、六角がこのまま将軍家を傀儡とする為にも間違いあるまい」
足利義栄とは史実の14代将軍である。
今の歴史では父の義冬が14代将軍になってしまった。
この時、義冬51歳、義栄22歳である。
史実で義冬は天正元年10月8日の、今から13年後に亡くなるが、今の歴史では何が原因で寿命が増減するか分からない。
当時の寿命を考えれば、今すぐ15代が誕生しても何ら不思議では無い。
「そこで殿下にお願いしたいのは、可能な限り将軍認可を遅らせて頂きたい。延暦寺の覚恕殿、細川右京殿、足利中将殿も認める正当15代が生きていると突っぱねて貰いたい」
「ほう?」
「流石に今すぐ代替わりされたら対処不可能です。しかし朝廷の認可が遅れれば遅れる程、我らは態勢が整う」
「先程の方策。足利武家政権の終焉。……それは上洛の意思があると取って良いな?」
「勿論です」
この確認には居並ぶ諸将も体を反応させる。
信長の口から出た『上洛』と言う言葉が否応なく現実感を齎したからだ。
この上洛は、今までの『呼ばれたから参上する上洛』とは訳が違う。
天下への明確な意思と覚悟が伴う上洛となるはずである。
織田家が信長に代替わりして13年。
そんな事を考える所まで織田家が到達した。
家臣達はその意味でも驚いた。
勿論、信長も驚いている。
上洛の決意は当然だが、もう一つ別の事についても驚いていた。
《そう言えば今年だったな。桶狭間で勝ったのは》
《あッ!?》
史実の桶狭間の戦いは1560年。
やっと東の宿敵である今川義元を奇跡的に葬った頃である。
史実で上洛を果たしたのは、8年後の永禄11年。
史実の桶狭間から8年で上洛可能な勢力に成長したのも驚異的だが、今回はそれよりも早くなりそうな公算であった。
「15代に覚慶殿が就けなければ、明らかに六角の約定違反。不正を糾しに上洛せねばなりますまい」
無論、信長の『不正を糾す』との言を信じる者はこの場に居ないが、これこそが上洛の為の紙切れよりも薄いのに絶対必須の理由である。
従って、信長は六角が約定を破る事を期待している。
ただ、それは遅ければ遅い程に助かるので、前久に依頼しているのである。
「分かった。帝も六角の所業には頭を痛めておる。長くは引き延ばせぬが約束しよう」
前久は約束した。
但し、何年引き延ばせられるかは不透明である。
例えば、義冬が死ねば次代を任命しない訳にはいかない。
六角も京を押さえている以上、朝廷には圧力が掛けられるだろう。
何せ14代も無理矢理認めさせた実績がある。
だがそれでも、帝に次ぐ朝廷権力者の約束は重かった。
「その為の準備として、この南近江の開発発展は急務だ。従ってワシは尾張より本拠地をあそこに移す」
「あそこ? あそこと言うのは……あの山ですか?」
信長は本陣から見える小山を指さした。
その山は目賀田山と言う。
現在は埋め立てられているが、当時は琵琶湖に突き出す半島の状態だった目賀田山。
史実では安土山と改称され、安土城の土台となる山である。
「そうじゃ、京にも尾張にも近く、延暦寺を睨みつつ斎藤との連携にも使える場所となろう」
すると、間髪入れず悪霊達が質問をぶつけて来た。
《三郎! 所で目賀田山には安土城を作るのか?》
《おお! 何でも古今東西に比類無き城だと聞きますな》
《未来に伝わる復元図は、何やらとんでもない変形したり合体したり常軌を逸した城だったが……》
《未来では早くに焼失しとるらしいから見てみたいのう?》
各々がずっと聞くタイミングを計っていたのか、怒涛の質問をする中、聞き捨てならない言葉に信長が反応する。
《……しょ、焼失!? あんなに銭とワシの意志を込めたのにか!?》
変形合体は捏造と断じる事が出来るが、焼失は本能寺の変の後なので当然知らない。
漠然と、死後も残っていると思っていただけに、信長は衝撃を受けていた。
《あーッ!? そう言う未来知識は禁止ですよ!? ……それで安土城は建築するんですか?》
ファラージャが自分の事を棚に上げて叱責する。
《安土城か。流石に今の織田家の力でアレを再現して築く財力は無い。ま、簡素な普通の城になるじゃろう。天守閣は作っても良いが、それもまだ早いか。そうじゃ。せっかくなら岐阜城として作るか!》
史実の岐阜城である今の稲葉山城は斎藤家が支配している上に、この歴史では織田家が手に入れる可能性は非常に薄そうである。
せっかく拘りをもって名付けた城が、この歴史で存在しないのは寂しい思いもある。
こうして史実の安土城は『岐阜城(史実:安土城)』となり、未来の滋賀県は『岐阜県(史実:滋賀県)』になった。
(岐阜城についての話題が、『どっちの岐阜の話じゃ!?』とかなるのかしら? め、面倒くさい……!!)
帰蝶は口には出さなかったが、将来の面倒の予感を感じ取った。
そんな5次元の喧喧囂囂を知らぬ家臣達も、別の懸念から騒ぎ立てる。
「お、お待ちを!?」
「本拠を移すとは先代桃巌様(信秀)も度々行ってきましたが、それは尾張国内での話です!」
《おお。確かにそうじゃ。まぁ尾張から外に行けなかった情けない理由だがな……》
「こんな制圧直後の情勢の定まらない最前線に殿自らですか!?」
「せめて残存勢力の掃討を待ってからでも―――」
こんな有様であった。
5次元も今も騒音だらけで信長は、精一杯自制しながら口を開いた。
「《ちょっと黙っておれ!!》駄目だ。これについて反対意見は受け付けぬ。尾張は尾張守(信広)に任せておけば良い。それについてくれば美味い話もあるぞ? ……例えば三左衛門(森可成)。お主には南近江の西側一帯を与える」
「城代ですね?」
「違う。大名としての支配を任せる」
「えッ!?」
今まで、織田の領地は基本的に信長の意を受けた家臣が、単身赴任で統治代行をしていたに過ぎない。
精々が先祖伝来の土地の管理が基本だったのに、今、とんでもない役目が課された。
「まぁ大名とは言っても、ワシはその大名を束ねる立場なのだから、劇的にやる事が変化する事はあるまい。今まで通りと言っても良い」
無論、今まで通りの訳が無い。
やる事は一緒だったとしても、規模も予想される問題も段違いである。
「延暦寺も近く難しい対応を迫られるかも知れぬが、此度の見事な決断を生かせば統治出来るだろう。何かあればワシも近くにおる。困った事は随時ワシに上げよ」
「……はっ、はい」
突然の大昇格に可成は返事を返すのが精いっぱいであった。
「次、伊勢守(北畠具教)。お主には以前の北畠旧領を返還しよう。さらに北伊勢の南半分、具体的には長野城一体まで含めて与える」
「そ、それは……その!? あ、ありがたく!」
かつての北畠家は伊勢統一を狙って北勢四十八家と争っていたが、信長に横取りされてそのまま織田家に敗れて臣従する羽目になった(4章参照)
北伊勢進出は悲願だったのだが、今、その悲願が叶ってしまった。
長野城は、具教が血達磨になりながら殿を務めた北畠軍撤退の原因となった因縁の地だが、勿論、当時の恨みは(少しはあるが)無い。
「次、権六(柴田勝家)。お主には三左衛門に与えた領地より東側一帯を与える。当然、領地として任せる。北伊勢で三左衛門と連携した様に、此度も連携し発展させよ」
「は、はい……!」
「次。伊勢の金井城から繋がる近江の拠点を九郎左衛門(塙直政)に任せる。ここは近江商人を伊勢や尾張に招くと共に、伊勢の軍を受け入れる重要拠点。滞りが無い様に支配せよ!」
「は、拝領致します……!」
「この近江は三好からの援助物資を残らず使う。そのつもりで最善の統治を目指せ! 目標は願証寺の時と同様に、延暦寺に格差を見せ付ける事だ!」
蠱毒計から解放された延暦寺であるが、せっかく弱った体力を回復させては勿体ない。
願証寺の様に完全包囲されている訳では無いが、全国の延暦寺系列寺と織田家の発展勝負である。
今後の為にも負ける訳にはいかない。
「伊勢守は元々その立場だが、権六、三左衛門、九郎左衛門、後は、この場に居ないが佐久間も大名への昇格とする。当然責任は重大。今までワシの意を受けて行い、或いは方針を確認しての地域発展は行っていたが、これからはワシの意に沿うなら独断専行も許す」
織田家における史上初の大名化は、延暦寺討伐の功績があった明智光秀だったと言われる。
しかし、今の光秀は織田斎藤両家所属であり勝手な人事は出来ない。
それに、上洛作戦を素早く整えるには、全ての地域を信長一人で監督するのは限界がある。
「他には十兵衛には高島を担当して貰いたいが、これは義兄上との相談が必要じゃ。その他にも上洛に向けて人事は大幅に動かす。河尻、金森、後藤、進藤、蒲生らが対象になろう。無論、失敗の規模によっては罰もある。自信の無い者は申し出よ」
この信長の言葉を受けて、『ちょっと自分は自信が……』と言う者は居なかった。
居たら居たで大物の予感があるが、目の前に餌をぶら下げられて、食い付かない武士など存在しないだろう。
その証拠に、今は欲望に飢えた武士の目を輝かせている。
大名昇格と言う、極めて異例の論功行賞だったが、無事成功に終わった。
「良し。異論は無いな? 一応先に言うておくが、戦略の都合上、与えた領地の組み換えはあり得る。これは天下布武法度で定めた通りで、大名でも例外は無い」
土地に根付くのが武士である。
新興勢力の織田家であってもそれは同じで、本拠地を転々とした信長が異端とも言えた。
《それは本能寺対策ですか?》
ファラージャが信長の『領地組み換え』の件に反応し確認した。
《対策? 何を言っておる?》
《い、いえ明智光秀の領地を召し上げた事が、本能寺の切っ掛けなのかなー? と思ってみたり……???》
《は!? 何じゃソレは!?》
本能寺の原因の一つと言われる、明智光秀の丹波坂本召し上げ事件。
心血注いだ丹波坂本を、理不尽に国替えで奪われた事を根拠とする説である。
これは歴史資料として極めて信憑性の薄いと言われる『明智軍記』に記された、しかし怨恨説として良く出来た事件である。
《このワシからして本拠地を転々としておるのにか!?》
信長が本拠地を転々としているのは周知の事実だが、それは各軍団長も例外では無い。
光秀は当然、勝家も秀吉も一益も最前線を本拠地として与えられ活動しており、光秀だけが理不尽な目に合わされた訳では無い。
常に重要拠点に身を置いて成長した信長とその家臣団が、その常勝システムを否定して謀反を起こすのは『絶対無い』とは断言出来ないものの、本能寺の根拠としては薄いと思われる。
信長にとっては、全くあり得ないと断ずるしかない本能寺の理由に頭を痛めつつ、次の懸念に話を進めた。
「次は浅井が朝倉の監督から離脱している件じゃが、まぁ予想は付くが、当事者が居るから聞いておこうか」
義輝が折れた今、今更感のある追求だが、これは本当に予想通りだった。
浅井の将軍家への忠誠を利用した朝倉の生き残り戦略である。
斎藤家へのチョッカイも、千寿菊姫の輿入れも義輝の策だと明かされた。(108-2話参照)
《朝倉は三好包囲網に関しては中立。しかし時勢を見極める為に、織田には朝倉が対武田で協力しつつ、将軍陣営に浅井を送り込んだ、と。……そうじゃな宗滴!》
《フフフ。良くぞ見抜いたな。だが、それをネタに延景(義景)を脅しても無駄だと言っておこう。何せワシの独断じゃからな》(86話、118-1話参照)
宗滴が生きていた頃に発せられた命令は、すべて宗滴の独断と言う事になっている。
延景の後見人として、朝倉家生き残りを掛けて、すべき事をしていたに過ぎない。
《生き残る為の両天秤か。お主らしいと言うしか無いのう? まぁ良い。朝倉に貸し一つとしておくか。輝政も直経も抱え込んだしな》
輝政は猿夜叉丸時代に織田に誘拐されて人質として過ごしたが、あの時は将来の歴史改変を願っての布石としたつもりであったが、朝倉との和睦交渉で返還してしまった。
だが、再び捕らえられてしまった以上、15歳とは言え元服した大人である以上、敵に捕まったなら自己責任だ。
相応の何かが無ければ、捕虜返還に応じる義理も理由も無い。
《そう言えば、こうなると於市殿との婚姻の可能性がまた復活したんですかねー?》
妙に期待たっぷりでファラージャが聞いた。
《ん? あぁ。以前もそんな話をしたな》
ファラージャとしては、浅井三姉妹の茶々、初、江がこの世に誕生しない瀬戸際と思っており、気になって仕方ない。
《前にも言ったが今の浅井には価値が無い》(外伝35話参照)
史実では、上洛ルートに勢力を張っていた浅井家だからこそ味方に引き入れたが、今は近江北東に追いやられて重要な勢力とは程遠い。
《織田、斎藤、朝倉に挟まれて身動き出来ぬしな。奴の将来の能力を考慮して於市を与える利点は無くは無い。決して多くも無いが。まぁ奴の今の考えを何も聞いておらん。結論は今出さなくても良かろう》
輝政の件を保留とする信長。
「最後、三好への対応じゃ。仕方なかったとは言え、蠱毒計を潰してしまった事は謝罪が必要じゃろう。まだ三好と全面的に争う訳にはいかん。ワシは謝罪の為の上洛……っと、三好は今、京を離れているのだったな。ならば本拠地の阿波か尼子と構えている何れかの拠点に向かう事になろう」
その時、まるで計っていたとしか思えないタイミングで、伝令が使者の来訪を告げた。




