148-2話 高島決戦後始末 足利義昭
148話は2部構成です。
148-1話からご覧下さい。
「……ならば、一つ伝えねばなりますまい」
細川晴元が口を開いた。
三好長慶に転がされていたと思ったら、延暦寺にも利用されていた事を知った晴元は動揺しながらも言葉を吐いた。
「足利将軍家の現在の棟梁は中将様(義輝)では無いのです。和睦の条件として14代には左馬頭様(義冬)を正式な将軍と認め、中将様が大御所として後見なさるはずでした。ここにその和睦書があります」
「ほう?」
晴元が自らの腹を見る。
縛られているので取り出せないが、大事な書状として、正に肌身離さず持って居たのだ。
小姓が信長に促され、晴元の腹から書状を取り出し信長に渡す。
信長は渡された書状に目を通しながら聞く。
「しかし、今となってはその条件は存在しないも同然だな?」
敗れて捕らえられた以上は後見不可能、と言うのもあるが、他にも理由がある。
今回の戦、結果から見れば、義輝が後方軍を無視した上、暴走して玉砕したとも解釈出来る。
本当は作戦上、勝つ為にはコレしか手段が無かったとは言え、まさに『敗軍の将 兵を語らず』なのである。
従って義輝の浮上の目は絶たれた。
将軍職も、後見役も失われた。
仮に帰還出来たとしても、敗戦責任を負わされ、悪ければ暗殺、良くて幽閉の運命だろう。
だから『その条件は存在しないも同然』なのである。
「そうです。従って今後は左馬頭様が単独で将軍家を運営するでしょう。六角義賢の傀儡として。本当なら、覚慶様がその後の15代となる事が内定して居たのですが、これも今となっては紙くず同然の約定です。故に六角が左馬頭様を使って―――」
「……ッ!?(今何と言った?)」
晴元が今後の予想される展開を述べるが、途中から信長は聞いていなかった。
聞き捨てならない名前が出て来た事に驚いたからだ。
「《15代に覚慶……義昭!?》まて! そ、その覚慶様とやらは今どこに?」
晴元の説明を受けつつ書状の『次の15代将軍は覚慶と定める』の文に目が辿り着き、驚愕で見開かれる。
「覚慶様ですか……? 某と共に行軍しておりましたが、今となっては分かりませぬ。討ち死にしていなければ良いですが……」
「従軍しておったのか!? 興福寺軍と共にしとるのでは無いのか!?」
信長は今の今まで勘違いして居た。
居るかも知れないとは思ったが、居たとしても興福寺軍だと思っていたのだ。
「マズイ!! 動ける者全員で覚慶を捜索せよ! 捕縛した者に僧形の者が居ないか確認しろ!! 生きているなら必ず生かしたまま連行しろ! 死んでいるならそれでも良いが、とにかく生死を確定させろ!」
晴元の心配の言を遮って、信長がこの戦いの中で発した声の中でも一番の大声で叫んだ。
義輝の弟である覚慶が行方不明。
乱戦のどさくさで逃げたのか、討たれて野晒しになっているのか現時点では生死不明である。
これは信長にとって脅威であった。
「そ、そう言われましても覚慶様の顔を知りませぬ故、敵軍の我らが探し回って素直に申し出て頂けるかどうか分かりませぬが……」
一応、足利義輝のそっくりさんを探す手段は取れる。
同父、同母の兄弟なので似ているのは間違い無い。
「それならば若い僧形の者を全員連行せよ! 右京(晴元)はワシと共に捕縛した者の確認じゃ!」
「えっ? 殿は人相をご存じで?」
「知っておる!」
「えっ!?」
さっき、『覚慶殿とやら』と見知らぬ人との認識で言った口で『知っている』と答える信長。
何故と問いたい諸将であるが、信長の剣幕に押されてその問いは出来なかった。
「可能性が高いのは安曇川砦周辺! 兵を率いて僧形の遺体や落ち武者を確認しろ!」
織田信長と足利義昭。
お互いが憎くて憎くて仕方がない相手。
忘れたくても忘れられない、何度も煮え湯を飲まされた因縁の相手である。
《義昭か!! 兄の傍に居ても何ら不思議では無い! こんな事を失念しておったとは!! ……やっぱり呪いの類は存在するんじゃ無いか!?》
勿論これは前々世の話だが、そんな相手を探さなければならない事に、信長は『歴史の修正力』『縁起の悪さ』を本気で考えてしまう。
《ありませんってば!! あー、でも気持ちは理解出来ると言うか……。足利義昭は最後の最後まで厄介な相手でしたよね? ……この認識で合ってます?》
ファラージャが慎重に確認をとる。
《合ってる! 大正解じゃ! 奴は戦巧者では無いが、その謀略は日の本一は言い過ぎとしても、ワシの敵としては五指には入っても良かろう!》
史実で信長は義昭を奉じて上洛を果たし、15代将軍に就任させた。
その当時はお互い極めて良好な関係で、義昭は信長を『父』と表現する程まで慕って居た。
だが、段々とその関係はすれ違っていく。
将軍の権力回復をしたい義昭の方策が、信長の方策とは相反し、様々な問題行動を起こして行く事になる。
義昭としては当然の行為であった。
ただ、信長も政治と統治の足を引っ張られ、『殿中御掟』『異見十七ヶ条』など様々な制約を義昭に課して行き、次第に関係が崩れ、義昭は様々な謀略を企て信長を苦しめる事になる。
信長の危機の裏には、必ず足利義昭の影が付いて回り、決定的に決裂した後は、信長との戦に敗れ京から追放された。
《それ故に死んでいるならそれで良いが、生死不明が一番困る! しかも奴は15代将軍に内定した身! どこかの陣営に匿われるのは厄介だ!》
《じゃ、じゃあ、織田軍で確保したらどうするんですか?》
《そりゃあ決まって……決まっ……!? 決まって……どうする……?》
保護したいのか殺したいのか?
義昭は前々世の宿敵の中でも、最上級に厄介な相手であった。
《あ、あれ!? 以前『殺すのも厭わんと』か言ってませんでしたっけ!?》(144話参照)
《たわけ! 時勢を見極めないでどうする!? 『困った事になる』とも言ったじゃろう!?》
《そ、そう言えば……》
《今回の様に遭遇戦では勢い余って止むを得ない場合も有る。ワシ等は襲撃されたのじゃからな! 襲われたなら戦うのが武士! 生き死には戦の常!》
それを言うなら織田軍は先に手を出した側だが、あくまで朽木領への侵攻と強弁するつもりである。
それを通す位の力は信長にはあるし、将軍家の力の無さは周知の事実である。
史実の『国家安康 君臣豊楽』に比べたら屁みたいなモノであろう。
《しかし於濃は、今は時期では無いと判断し生かしたのじゃろう?》
《は、はい。(そうだったんだ……)》
突如話を振られた帰蝶は曖昧に答えた。
義輝と帰蝶は戸板に乗せられたまま、信長と晴元の後で搬送されている。
当然だが、義輝が生還したのは運が良かっただけである。
あの時、長巻の斬撃がもう少し深ければ、帰蝶の言葉に動揺しなければ斬殺されていた。
輝政相手に殺さない様に立ち回るのは難しく無いが、間違いなく使い手であった義輝相手に殺さない様に立ち回って、そのお陰で自分が死んでは本末転倒である。
生かすは殺すよりも難しい。
《今回の目的は弑逆では無い! 戦ったのは事故みたいなモノで義輝本人との武力衝突など予定外の極み!》
本来の目的は蠱毒計の圧迫で、京から離れられない隙を突く火事場泥棒的作戦であった。
更に信長は、誰にも明かしていない蠱毒計の先を話した。
《本当はいずれ抱え込むつもりじゃった!》
《えぇッ!?》
《義輝か義冬どちらでも良いが、蠱毒計からの救出を名目にな! しかし義輝は将軍職を退いていた! 従って捕縛していたとしても現役将軍程の価値は無い! 今となっては15代内定の義昭の方が遥かに重要な立場になっておる!》
《な、何でそんなに必要なんですか? てっきり滅ぼすのだと思っておりました》
帰蝶も信長の方針を勘違いしていたと気が付き、一体何がしたかったのか問いただす。
《何の手駒も無くては上洛など出来ん!》
《えっ……? 力ある者が力をバックボーンに上洛したら良いんじゃ無いですか!?》
ファラージャも己の知る歴史の常識として信長に問いただす。
《それでは山賊野盗とな何ら変わらん! お主等、そこを勘違いしとるのか!? 幾ら力ある者が我が物顔で上洛しても民の支持を得られるハズが無いわ! 必ず理由が必要なのじゃ!》
今までも三好長慶の要請に従って上洛はしていた。
また、長慶の要請じゃ無くても、朝廷でも将軍でも、呼ばれたならば立派な上洛理由になる。
しかし許可無く京に軍を率いて上洛するのは、侵略と同じである。
例えその意思が無くとも、将軍や天皇に対する反逆となる。
力で全てを奪う戦国時代に、一体何を言っているのかと思うかも知れない。
しかし、過去いずれの支配者も何の理由も無く京に上洛していない。
どれだけ薄っぺらい建前的理由であろうとも、武力以外の理由を付けるのが絶対不変の理である。
史実でも、信長は細心の注意を払って上洛を果たした。
足利義昭を抱えたのは当然も当然の当たり前で、それでも今の織田では信用が足り無いと考え、上洛軍には過酷な掟を課した。
一銭でも盗んだら死刑。
乱暴狼藉を働いても死刑。
女子の顔を覗いても死刑。
これを信長は徹底させたし、破った者は自ら斬り捨てた。
史実に名高い『信長の一銭斬り』である。
将軍を抱えているとは言え、地方の新興勢力に過ぎぬと自覚していた信長は、民の支持を得る為に奔走した。
それ程までに、上洛とは繊細さが必要なのである。
、
それなのに、『力を付けたからハイ上洛』では、入れ替わり立ち代わり支配者の変わった京では誰からの信頼も得られ無い。
幾ら世の為だと喧伝しても、京の民が求めているのは生命財産が脅かされない事である。
上洛要請もなく、新しい将軍を立てるでも無く、単に力で上洛しては、その先に見えているのは京を舞台とした戦であるのは童でも予想が付く。
誰が歓迎などしようか。
《今は朝廷工作も御座なり。京に侵入した時点で必ず賊軍となる!》
例えば今の世で、テロリストが国会議事堂を占拠したら、国民は無条件に従うのか?
それは絶対無いであろう。
外国の軍隊が無許可で他国に入り『観光デース』と言われ信じる者は皆無だろう。
現代でも軍部のクーデター、宗教勢力の実効支配に対し反発する国民が多数いる。
現代でもこの有様なのだから、戦国時代も同じである。
特に日本は、権力の№2の座を争うのが通例である。
そんな訳で、義輝が将軍としての価値が無くなった今、義昭の価値は劇的に跳ね上がったし、史実の信長も、将軍を追放しても問題無い状態まで理由と力を付けるまでは、義昭の暴走に耐え続けた。
《義昭の生死を確定させるのは他勢力に奴を利用させない為! 奴が死んでいるなら14代義冬を抱き込めば良いが、生死不明行方不明は一番困る! 分かったか!?》
この時の信長の慌て様は後世に残る資料にも残る程で、大慌てで始まった全軍使っての覚慶捜索は、ハチの巣を突いた如くの捜索だったが、思いの外アッサリと終わった。
信長と晴元が、運良く捕虜の中から見付け出したのである。
《さっき、聞きましたよね? 織田軍で確保したらどうするんですか?》
《……》
信長は即答出来なかった。
義昭の存在価値が爆上がりの今、織田で次の将軍を確保しているのは上洛に必要なピースとなる。
それはさっき散々力説して己でも頭では理解出来るが、義昭を抱え込む事でのデメリットが多過ぎると信長は感じていたので即答が出来なかった。
但し、そのデメリットは前々世で感じたデメリットである。
今の覚慶には何の脅威も感じない。
覚慶は信長に顔を改められて、恐怖に歪んでいた。
明らかに処刑される事を恐れていた。
《将来間違いなく滅ぼす相手だが、利用価値を認めぬ訳にはいかぬ。今回の歴史は武力で屈服させた上での確保だから心証は最悪だろうが、却って脅迫すれば言う事を聞かせられるか? あの義昭がワシの言う事を聞く……? 全くもって想像出来ん。ここで殺しても14代からの血筋を確保すれば問題は無いはずだ。むしろ14代の血筋を脅かす義昭を殺して恩を売れるかも知れぬ……!》
「織田殿、如何なされた?」
晴元が信長の態度を不審に思って尋ねた。
「……いや、無事で良かったと思ってな。覚慶殿ですな? 不幸な行き違いがあって武力衝突してしまいましたが、全ては延暦寺の策略が故。我らは中将様と覚慶殿を確保出来て安心しております」
そう言って信長は自ら縄を切った。
「え、延暦寺の策略……?」
ようやく口を開いた覚慶は、やっとの事で尋ねた。
信長から感じる、殺意と戸惑いを鋭敏に感じ取り困惑するしかなかったが、今、完全に殺意が消えて声を発する事が出来たのだ。
「そうです。しかし今は身の安全が最優先。中将様の元へ案内致しましょう」
そう信長言うと、覚慶と晴元を伴って義輝の元へ向かった。
「あ、兄上!」
戸板で横たわる義輝に駆け寄る覚慶。
その姿を見て信長は決めた。
《さっき問われた事に対する答えを言おう。……とりあえず生かす。もし、縄目から解放して少しでも不審な態度を見せたら即座に斬るつもりであったが、その様な素振りは見せなかった。恐怖でそれ所では無いのか、何なのかは分らぬがな。暫くは織田で預かって様子を見る》
《た、例えばですけど、興福寺に帰してしまえば六角と興福寺で再度蠱毒計に掛ける事も出来るんじゃ無いですか?》
帰蝶が義昭の扱いに悩む信長に助け舟を出した。
六角擁する14代と興福寺擁する15代で争うなら、再度の蠱毒計も可能であろう。
《成る程……? いや、今の六角が興福寺と争う力は無い。延暦寺と六角が結べば魅力的ではあるが、延暦寺は六角も潰そうとした節があるからな。態々蠱毒に入るとは思えん。仮に送り返すなら、それこそ時勢を見極めねばならぬ》
《歴史改変は起きると思いますか?》
《そりゃ起きるだろう。起きぬはずが無い。ただ、この一件に関しては、奴が不要になった場合は追放は無い。殺すか幽閉のどちらかじゃ。この歴史改変は確定改変じゃ》
史実で信長は義昭を追放した。
信長としては切腹させるのも考えたが、殺して人心が離れるのを恐れた。
どれだけ愚かでも、正統将軍を殺せば民は手のひら返して同情し、全力で慰撫鎮魂して怨霊化を阻止しに掛かる。
あの将軍は良い将軍だった、と。
足利義昭は怨霊化の条件が揃い過ぎている。
信長にとって怨霊云々はどうでも良くても、人心が離れるのは困る。
だが生きていれば名声を落とし続けるだけの存在で、事実、追放後(信長に拾われる前もだが)『貧乏公方』と民からは嘲笑され、一揆の略奪に巻き込まれたりで散々な扱いであった。
日本は生きている者に容赦なく厳しく、死んだ者には溢れる慈愛で魂を鎮魂するのが伝統である。
史実の信長は義昭を殺さない事で、織田政権を守ったのだ。
一方で、義昭は追放されても尚、抵抗し続けた。
有力大名に京への帰還援護を要請し、毛利の庇護を受けた後は『鞆足利政権』なる亡命政権を立てた。
この執念は、信長が本能寺で死ぬまで続く。
従って、考え様によっては、信長は義昭を抱えた時点で『詰んでいた』とも言える。
だから今、義昭の扱いに悩んでいるのであった。
《奴を生かした事が、ワシの最大の失敗だったかも知れん》
《それは、本能寺に繋がったと言う事ですか?》
《そうじゃ。可能性の話じゃが、ワシが思い当たる原因としては最有力候補と考えておる。奴が光秀と秀吉を動かしたと睨んどる》
《あ……う……そうです……かね……?》
ファラージャとしても答えられない。
教えられないのではなく、知らないからだ。
本能寺の黒幕候補として足利義昭が居るのを知っているが、証拠が不足し過ぎているのも知っている。
当事者の信長としては最有力候補であっても、歴史的資料が何も無い。
資料絶対主義には疑問を覚えるファラージャも、裏付けが取れない以上、推測は出来ても断定は出来ない。
《あの時追放してしまったのが失敗。だから、今度は奴が生きたまま織田から解放される事は無い。これだけは確定じゃ》
信長は覚慶の処遇を決めた。
幸か不幸か信長は、図らずとも上洛理由を手に入れてしまった。
今後の対六角、対三好において覚慶は役に立つ存在になるであろう。
但し、極めて悪質な埋伏の毒になる可能性も大いにある。
信長は前世、前々世と同じ轍は踏むまいと細心の注意を払って、覚慶と接する事を決めたのであった。




