142-1話 契約 信長の約束
142話は2部構成になります。
142-1話からご覧ください。
三好家と織田家の同盟で始まった蠱毒計。
長慶の要請を受けて始まった近江圧迫作戦と、それに伴う支援物資。
一方、延暦寺と織田家では不可侵の約定が結ばれた。
同盟、要請、約定―――
他にも協定、誓約、約束、合意など様々な言葉で表現されるが、要は人と人が条件に縛られる契約である。
【近江国/琵琶湖 織田軍】
延暦寺の船で琵琶湖を北上する織田軍。
新しい木の匂いが兵士の鼻を撫でる。
そんな船の先頭で信長は西に見える比叡山を見た。
《限度を知らぬと言うのはこの事を言うのだな》
琵琶湖の船上から見える比叡山は、もう呆れる事しか出来ない城塞であった。
《不可侵じゃと言うとるのにご苦労な事だ。そんなにワシは信頼されておらんのかのう?》
《うーん……(ッ!?)》
問われたファラージャは《だから2回も暗殺されたんですかね》と言おうとして止めた。
腑に落ち過ぎる気付きだったが、これから戦だと言うのに縁起が悪過ぎる。
最近はファラージャも学んだ。
武士は、縁起を大切にする生き物だと言う事を。
お陰で、三好長慶の逆鱗に触れそうになった時、信長にTake4を提案した事も良い思い出だ。(91-3話参照)
《……? お? あれは僧兵か?》
湖岸では、僧兵が完全武装をして並んで居た。
米粒の如くに見える距離で、明確に『沈め!』との呪詛と視線の圧を感じる程である。
《前々世は『やれるもんならやってみろ!』とでも言わんばかりの態度で接しられたのが嘘の様じゃなぁ》
昨年の訪問にて、織田と延暦寺は不可侵の約定は結んでいるが、湖岸では最大限好意的に見ても、歓迎も安心も得られ無い、一触即発とでも言うべき厳重な警戒態勢が敷かれている。
間違い無く織田軍は『やる』と認識されていた。
《むっ? 全く何たる事だ……。僧兵もアレだが設備も凄過ぎる!》
徐々に見えて来た内陸の風景に、信長は呆れる思いでため息を付いた。
昨年訪れた時は、最南端のほんの少し内側から見ただけで、最奥部を視認出来なかったのにも関わらず眩暈を覚えた比叡山と坂本。
しかし、今は船に乗っているお陰で中心部も見渡せる。
《何だあの頑強過ぎる防備は? 妖怪の類への対策と言ったら信じるぞ? ワシらの願証寺討伐はそんなに効果覿面だったのか?》
山間から覗き見える城壁や乱立する旗。
湖岸よりも遠距離の施設が見える程の規模で、防御が固められている。
余りに厳重過ぎる規模の防御に、もう眩暈を通り越して寝込みたい信長であった。
《ご覧になってどうですか? 以前の比叡山と坂本はこんな防御は無かったんですよね?》
《あぁそうじゃ。細部まで覚えておる訳では無いが、今の坂本は平城と大差無い。山の木々は手入れされ、綺麗に伐採もされておるな。前の歴史では只の鬱蒼とした森の如き山だったが、今は見違えて整理され正に城だ》
信長の乗船する延暦寺の船が、新鮮な木の匂いを発する事からも間違いないであろう。
《山は最低限の視界を確保しつつ、障害物としての機能を残し、防御し易い様に動線が作られていると見た。その時に伐採した木で武具や防壁、軍船の材料としたのじゃろう。正直、見事としか言い様が無い!》
分析すればする程に、頭痛が増す要塞であった。
《不思議なんですけど、これが普通なんじゃ無いですか?》
《寺の防備がか?》
《はい。この時代の寺は要塞化して当然で、それは願証寺や比叡山を見ても分かりますけど、坂本に関しては前回は防御が敷かれた町では無かったんですよね?》
ファラージャは信長の眼を通して比叡山も坂本も実物を見たが、比叡山はともかく、坂本に防備が敷かれている事に驚く信長に驚いていた。
《その事か。それは坂本が延暦寺のお膝元じゃからな。寺院は防御を固めるが、基本的には武士に対してでは無い。他宗派の襲撃に備えるものじゃ。僧以外の誰が、神仏の守護する門前町に攻撃を仕掛けると言うのか?》
ファラージャは《信長さんでは?》と言い掛けて堪えた。
《坂本に対立寺院も存在しないしな。日吉大社もズブズブの関係。ならば銭を掛けて防御施設を造る事も無い。精々、防御と言うよりは権威的建物程度。強いて言うなら神仏の威光と仏罰が最強の防御手段じゃろう。前のワシだって、粘り強く交渉してそれでもダメで、警告に警告を重ねた上での焼き討ちじゃ》
《問答無用って訳じゃ無いんですね》
《たわけ! そんな恐れ多い事が出来るか!》
《えぇ!?》
余りにも信長像から掛け離れた返答に、ファラージャは素っ頓狂な声を出す。
神仏を敬う信長など想像出来なかった。
だが信長も、その返事は予想していたのか、後を続けた。
《……とまぁ、当時のワシならそう思っただろうな。今のワシなら問答無用でも良いが、前のワシは神仏の存在を完全に捨てきれていなかった。信仰心は薄くとも躊躇はある。何せ神仏が存在しないと証明されていないのじゃ。延暦寺を焼いた後、夜な夜な不安に駆られたモノじゃ》
《えぇ……》
またしても想像を絶する信長の言い分である。
これが宗教が絶対の世界に生きた信長と、科学が絶対の世界に生きるファラージャの差なのであろう。
《それに仮にワシは良くても配下は違う。仏罰に合う可能性がある第一歩を踏み出すのが、踏み出させるのが、どれ程の偉業か分からぬ訳では……いや、分からなくて当然なのだな。これが生きている時代の違いか》
《そうなりますかねぇ……》
《思えば前々世のワシはある意味、宗教を蔑ろにしても問題が無いか確認する作業をしてばかりだったな。その集大成が安土城だ》
《えっ? それはどう言う……》
《それは、またいずれな》
話に花が咲きまくる会話が続いたが、信長が一端切り上げた。
宗教観の話も重要だが、もう一つ重要な事も確認したかったからだ。
信長は傍に控える同じ船に乗船する光秀に尋ねた。
「噂に聞く小田原城も城塞と言うが、これは厄介極まり無いな。十兵衛(光秀)なら比叡山をどう攻略する?」
「そうですな……って小田原も城塞でありますか? 最近の流行りなのでしょうか?」
これは信長の早合点である。
信長の聞いた小田原城の噂は前々世の話であるが、信長は気が付いておらず、然もこの歴史の常識の様に語ってしまった。
小田原城は現時点では、まだそこ迄の城塞では無い。
史実では1569年、武田信玄の小田原攻めがきっかけで城塞都市への道へ進み始めたと言われる。
無論、あの北条早雲が目を付け、氏綱が拠点として活用し、氏康が北条繁栄の足掛かりとした小田原城である。
現段階でも頑強な城である。
「この目で見た訳では無いが……流行? 流行か。それは嫌な流行だな《歴史が変われば流行も変わるのか?》」
《十分可能性はあると思いますよ。延暦寺が防御力を証明したら、流行るんじゃないでしょうか?》
基本的に城は強固に作られている。
容易く攻略されぬ様に、生活よりも戦闘防御を重視して備えている場合が殆どである。
殆どと言うのは、稀ながら逆の場合もある。
稀、と言うか唯一か。
それが、先にも信長が話した安土城である。
普通の城が戦闘防御性能を追求した城ならば、安土城は戦闘防御性能度外視で、戦国の常識から考えれば正反対の城であった。
普通の城ならば通路は曲がり曲がって当然で、直進など以ての外である。
しかし安土城は180mもの直進路が存在する。
他にも存在して当然の防御施設も不自然に少ない。
完全に戦は想定していない造りであった。
《そうか。そんなのが流行したら天下統一が遅れに遅れる。絶対に一息で潰さねばならぬな》
「そんな防御機構が流行ってしまっては殿の覇業に支障が出ます。戦うなら苦戦は許されませぬ。我らが防御性能を証明してしまっては流行を後押ししかねません」
光秀も信長と同じ様に感じていた様で、苦い顔をしていた。
「そうだな。絶対に苦戦は出来ぬ。……その言い様は、何か妙案でもあるか?」
何とかして光秀に坂本と関わらせたい信長としては、無茶振りだとしても聞いておきたかった。
「はッ。この規模の防御は前例がありませぬ。願証寺の様に兵糧攻めを行いたい所ですが、城壁の内側に田畑がありますからな。自滅させるには刻が懸かり過ぎます」
「奴らは奴らで願証寺の失敗を学んだか。余計な所で柔軟な対応を見せよるわ!」
願証寺は地形故の事情もあったが、砦を造り過ぎて自滅した。
延暦寺はどこからかその顛末を知り、比叡山と坂本を一体化させたのである。
「やはり、収入源の大本である坂本を何とか制圧するのが結局被害を抑えられると思います。財力も桁違いではありますが、坂本さえ押さえてしまえば何とかなりましょう」
「その上で比叡山の封鎖か?」
「そうです。あの要害に食料を運び込むのは並大抵の労力ではありません。斜面に畑や水田を作るのにも限度がありましょう。ならば主要な山道を塞いでしまえば簡単に干上がるでしょう。山に生息する獣の肉、自生し食べられる植物を刈り尽くせば耐えられるモノでは有りますまい」
「そうよな。普段から節制している修行僧ならともかく、自堕落な生活を送る僧がどこ迄耐えられるか見物じゃな」
「はい。そう考えると、寧ろ比叡山は攻撃する必要は無いかも知れませぬ」
「うむ。比叡山と坂本の切り離しか。確かに坂本さえ潰せば何とでもなるな」
「はい。この際、比叡山は無視しましょう。比叡山と坂本を一気に全て制圧するとなると困難極まるでしょうが、坂本だけなら突破可能です。陸からも琵琶湖からも攻め立てれば不可能ではありませぬ。比叡の山は地形故に鉄壁ですが坂本は違います。あくまで人の手による要塞化。ならば攻略は難しくありますまい」
「うむ。その為には京も抑える必要がある、と言う事だな? 坂本側からだけでは不足じゃろう」
「はっ。ご明察にございます」
延暦寺が強訴の常連である事は既に述べた。(138話前編参照)
何故、常連になれるかと言えば、身も蓋も無い言い方になってしまうが、京とお隣さんの位置関係だからである。
つまり出ようと思えばいつでも出られる。
従って、反対側に当たる京も抑えなければ、抜け穴だらけの包囲となってしまう。
全国には延暦寺系列の寺院は数限り無い。
それなのに杜撰な包囲では、物資食糧運び放題で意味が無い。
また、その包囲が必要になった時は、即ち天下を奪取する時である。
何せ、京と隣接する比叡山だ。
京を勢力下にしていなければ、この作戦は成功しない。
この作戦は、京を、天下を取った後の話なのだ。
信長も光秀も口にはしなかったが、十分に言外に含みを持たせたやり取りであった。
「手立てがあるのなら良い。とりあえずは船から見られるだけ見ておくか。今後の為にな」
「はい。……後は、いえ何でも―――」
光秀はもう一つ案を出そうとして止めた。
しかし信長はその戸惑いを見逃さなかった。
「火攻めだな?」
「はッ!? あ、その……。早期復興を旨とする近江侵攻の方針に反しますが、何なら焼き払うのも手段と具申します!」
光秀の口から前と同じく焼き討ちの言葉がでた事に信長は安堵する。
その手段がまるで頭に無いとなると、後々問題になりそうだと思って居たからだ。
「その躊躇する気持ちは分かる。良し悪しはともかく、手段として候補に入れておこう。冬場など良く燃えそうじゃな。しかし、今は絶対に手出しはせん。ワシは約束を必ず守るからな。約束していない他は知らんがな」
現状の目に見える光景は頭痛の種であったが、光秀の選択肢に火攻めがある事に満足し、信長は琵琶湖を北上するのであった。
そんな事より、今の目標は比叡山では無く、朽木である。
朽木とは確実に戦が起こる。
物見遊山同然の南近江と一緒にする訳にはいかないし、手出しをしない地に、いつ迄も感ける暇は無い。
但し、制圧した織田と斎藤が手に入れた領地では、容赦無く、天下布武法度が適用される。
その中には、当然、延暦寺系列の寺院も多数ある。
坂本と比叡山に侵攻しない約束はした。
しかし、去年延暦寺と交わした証文には、それ以外の地の約束はしていない。
絶対揉めるに決まっている。
『約束しましょう。何なら証文でも認めますぞ?』
『……では是非に』
延暦寺の覚恕と交わした約定は―――
・比叡山と坂本への不可侵
・六角と将軍の争いに加勢しない
・軍船の貸し出し
昨年、信長が覚恕と直々に取り交わした約束はコレだけである。
極めて曖昧である。
延暦寺にとって、命と信仰に関わる超重要案件なのに、信長はこの約束で覚恕を納得させた。
貴重品の紙であろうとも紙と墨の許す限りの条件の擦り合わせを行うべきなのに、裏を返せば『比叡山と坂本以外は契約の範囲外』とも取れる、こんな雑な約束が有り得るのだろうか?
答えは『好意的解釈、善意に基づいたYES』であろう。
信長が定めた天下布武法度は当然、史実における、武家諸法度、禁中並公家諸法度、寺院諸法度も、戦国時代に各地大名が定めた分国法も、一種の約束であり契約でもある。
しかし、現代の法律に慣れた現代人から見れば、ザル同然の契約である。
何故、そんなザル契約で大丈夫なのかと言えば、『全部言わんでも分かるよね?』と暗黙の了解となっているからである。
罪を犯すと言う明確な線引き出来くとも、それ以前に、悪い事をすれば地獄に落ちると言う、当たり前の常識で充分に歯止めが可能になるからだ。
それともう一つ。
約束にも記載出来ないのは『起きてはならない事、不謹慎な事は書けない』からである。
これは宗教が絶対の世界だから通じる、言霊の概念が浸透するからこそのザル契約である。
口にすれば実現する言葉。
ならば書いた場合も同じであると拡大解釈される。
不測の事態に備えるなど、不測の事態を望んでいると同義と思われる。
とは言え、約束が極めて軽い戦国時代。
起きて欲しく無い事も、書かざるを得ない場合も多々ある。
先程『覚恕を納得させた』と述べたが、勿論覚恕も、本心では微塵も納得していないだろう。
覚恕も『系列寺院に対しても不干渉とする』と文面にしたかっただろう。
だが、書けば実現する可能性が高いし、悪鬼信長に対しソコ迄強く出られない。
信長はその常識と延暦寺の弱みを利用し、そこは意図的に曖昧な形にした。
己は願証寺を滅ぼした稀代の悪人。
取り決めに時間が掛かれば掛かる程、内部を見る。
そんな延暦寺側のデメリットも利用し、念入りに協議するより『早く約定を結ばないと加速度的に不利になるぞ?』と態度に滲ませ、お早めにお帰り頂く立場を演出した。
信長の描いた作戦通りである。
こうして手早く纏められた約定。
信長も『比叡山と坂本への不可侵』に系列寺院も含まれる事は理解しつつ、信仰心の欠如により文面以外の暗黙部分は無視した。
書いていないのだから、どうとでも解釈し放題だ。
むしろ約定を盾に、抗議と反抗を期待している位である。
違約なのだから、約定を破られても文句は言えない。
覚恕のミスであるが、しかし誰もミスを笑う事は我々も含め出来ない。
現代人だって笑えない事例は多々ある。
日本人は、極めて契約が下手だと思われている。
例えば、不測の事態に際して、海外なら雁字搦めで逃げられない無い契約が普通であるが、日本は不測の事態、遅延や不備、即ち『望ましくない事』は記載されていない事が多々ある。
実現するかも知れないからだ。
だが、往々にしてそう言う時に限って、実際に望ましくない事が起きてしまい、契約に無いから揉める。
そう言うと、今の時代に生きる我々にはバカバカしい感覚かも知れないが、『縁起が悪い』と言う感覚ならば、心当たりが有り過ぎる位に理解して頂けると思う。
例えば、縁起の悪い事を言ったTVのコメンテーターが、或いは、SNSで縁起が悪い事を書き込んだ人が袋叩きにあっている人を、読者の皆様も見た事があると思う。
科学が絶対の現代なのに、起きてもいない架空の話でコレである。
今の令和時代は、流石に弁護士の立会いであらゆる事態を想定して契約は作られているだろうが、今でも稀に正気を疑うニュースが平気で流れて来る。
世界的発明をした人への報酬が『言った言わないレベル』の約束であったり、プロスポーツ選手とチームとの契約条件が『去年と言ってる事が違う』など様々である。
例えば、アメリカメジャーリーグの契約書は、辞書の厚さと言われ、バスや飛行機の座席指定まで契約にあるが、それに比べたら日本のプロ野球は紙切れ一枚同然らしい。
ソレ位に、日本人の契約感覚は世界的に見るとザル同然らしい。
海外で騙される(と言うよりは契約の不備で泣く)日本人の典型的パターンでもある。
但し、ザルな契約書でキッチリ仕事をする、お人好しの日本人として、ある種の信頼を得ているのも事実で、良し悪しは表裏一体とも言える。
とにかく現代でさえこのザマである。
ならば、宗教が絶対の戦国時代。
起きて欲しく無い事は当然、縁起が悪い事でも致命的である。
長く脱線したが、ともかく覚恕は比叡山と坂本は守った。
これで絶対に比叡山と坂本は安全である。
だが、それ意外は守られていない。
宗教が絶対の世界で、宗教団体の最高位に就く覚恕である。
余計な約束は、更なる被害を生むと判断し避けた。
戦国の常識とは言え、仕方ない部分もある。
では信長が、完全に相手を出し抜いたのか?
これは『NO』であろう。
信仰心を失っている信長も、無意識に常識に縛られて居た。




