140-2話 信長の偵察 六角領と延暦寺領
140話は2部構成です。
140-1話からご覧下さい。
【近江国西/六角領】
信長は近衛前久との会談を済ますと、比叡山を迂回して六角領地に入った。
京と六角の間にして、比叡山延暦寺のお膝元である坂本よりも南方地域である。
六角主戦力不在の、対外勢力からは最も安全な位置で、周辺の情報をより近い場所で己の目で確かめる。
「特にキナ臭さも何も感じないな。至って普通、どこにでもある領地最前線の地の光景じゃ」
勿論、キナ臭さは感じない訳では無い。
そもそも戦国時代はキナ臭くて当たり前なので、そんな感想を持ったのである。
逆に今の六角領で本当にキナ臭さを感じなければ、それこそが信長の懸念となり異常事態であっただろう。
しかし違った。
つまり、信長の予想を覆すかの様な事態では無いので、キナ臭さは無いのである。
「殿の懸念は払拭されましたか?」
近江に詳しい滝川一益も、ここで存在感を示さなければ同行する意味が無いのであるが、何かを進言し様にも本当に特に何も無い。
事前に間者や自分が報告した通りなのである。
「いや、懸念は増すばかりじゃ。この地は何も変な所は無い。予想との狂いも無い。それなのに懸念が払拭出来ん。何故だ?」
「うぅむ。……ならば余りお勧めは出来ませぬが、明智殿、森殿が近くに居るそうです。接触してみますか?」
一益は進言出来る事が無い上での、最後の策として提案した。
但し、本当にお勧め出来ないのか顔は曇っている。
信長も一益の懸念は理解した。
「……そうじゃな。堺も京も六角も見て懸念が払拭せん。ならば残りは比叡山しか無いか。仕方あるまい」
偵察、間者として活動している人間に、緊急時以外で接触するのは危険な行為である。
せっかくの潜入がバレてしまうからだ。
だが、疑問が解消出来ない以上やむを得ない。
信長一行は坂本の近隣地まで赴くのであった。
【近江国/比叡山 坂本近隣地】
《目眩がする……!》
《え?》
信長の元には、延暦寺や坂本の情報は定期的に入って来る。
その情報には『武装を強化し寺院の防備を固めている』との報告もある。
当然、資金と労働力の出所は民であるからして、前々世と変わらぬ腐敗ぶりを感じて居た。
その六道地獄が凝縮された地である坂本が遠巻きに見える場所に、光秀と可成に案内されて信長は己の目で確認し確信した。
尾張に居た頃からモヤモヤと感じて居た懸念の正体を。
「ご覧の様に、比叡の山は相変わらずの強固な防壁と武装化。民を普請に駆り出しております」
「民の労役は過酷を極めている模様。また見ての通り坂本の町も厳重に固められており、関を突破する事叶わず、調略偵察は滞っております。申し訳ありませぬ」
光秀と可成が、成果所か取っ掛かりも掴めず謝罪した。
しかし、信長はその発言を聞いていなかった。
確認出来る光景に驚き、言葉が頭に入って来なかった。
「そうか……。そう言う事であったか……。2倍の物資は狂った訳でも無く、我等への策や圧力でも無く、必要だから送っただけであったか……!」
信長は懸念の正体をようやく断定した。
己一人だけが、勝手に勘違いしたと確信した。
延暦寺の武装と腐敗を、前々世からの常識として把握しており、この歴史でも戦う事になると警戒して居た。
信長はちゃんと警戒したのである。
前々世の経験を活かせるアドバンテージを利用し、最大限警戒したのである。
正確に延暦寺の兵力と備蓄を予測し、直接対峙は避けつつも、隣接する覚悟を持って臨んだ今回の近江侵攻計画である。
しかし、それでも懸念が払拭出来ず現地確認の旅にまで出て、とうとうその原因を掴んだ。
何が勘違いだったのかと言えば、延暦寺の武装と腐敗、特に武装が勘違いであった。
前々世に比べ、堅牢強固にして厳重な軍事設備が整っており、坂本の町にも至る所に物見櫓や柵や関所が設けられ、さながら『城塞都市』とでも言うべき威容を誇って居た。
間者はちゃんと報告して居た。
長慶も常識の判断で物資を送った。
光秀も一益も含め信長の家臣達も、この世の常識として報告、認識して居た。
『強固な武装と防壁を築いている』
この報告を、信長だけが『前々世と変わらぬ武装と腐敗』と勘違いした。
前々世でも宗教施設であるからには武装は施されており、攻めるに厄介、守に固い地である比叡山であった。
この時代、寺院は武装して当たり前である。
しかし眼前にあるのは、前々世を軽く上回る、信長をして眩暈を覚える鉄壁の比叡山と坂本である。
《とんでもない歴史改変じゃ……。これは参ったな……》
《え? 歴史通りの防御施設じゃ無いんですか?》
《こんな強固な町では無かった。これ程の要塞だとは想像の範囲外であった。何たる迂闊な判断よ! 散々歴史改変を味わって、この可能性を考慮して居らんかったとは!》
今迄は今川家に太原雪斎が加わった状態の桶狭間であったり、朝倉宗滴の様に未知の相手と戦い、武田、長尾の様に前倒しで接触したり、三好の様に初めて接触したり、主に人の歴史改編が信長の新たな経験であった。
《そりゃそう言う場合も当然あるわな。当たり前過ぎて失念しておったわ。人の行動が改編されているのは体験したが、地域が改編されているのは初めてかも知れん。……いや、基本的には人の改変なのだろう。正確に言うなら僧の行動が改変されたのだ》
《な、成程!》
《歴史が違うのに史実通りの縄張りなハズが無い! ワシだけが前々世の常識で動いて、他の者はこの歴史の常識で動いて居た訳か! 道理で懸念が払拭出来ぬ訳よ! ズレてたのはワシの方であったか! これこそが懸念の正体! 危うく光秀と可成を死なせる所であったわ!》
家臣や世間との温度差が信長にあったのである。
信長は比叡山を危険な地域と判断した。
しかし、この歴史に生きる者達は、比叡山を超危険な地域と判断して居たのである。
信長は、この温度差を鋭敏な感覚で察知してしまった。
但し、特定出来ず原因が分らなかったが故に悩まされた懸念であったが、ようやく払拭に至った。
《所で……。以前は、坂本の町と比叡山を焼いた訳ですよね?》
《まぁな。……何の確認だ?》
ファラージャが一応の確認をとる。
信長伝説として確認せずにはいられなかった。
比叡山の顛末を。
《比叡山を丸焼きにしたのは本当ですか?》
《ま、丸焼き!? そんな訳あるか! あの時は坂本の町を焼き払うだけで済んだ! ……ま、まぁ多少山を焼いたが!? そもそも丸焼きなぞしたら、周辺一帯どんな被害が出るか判らぬわ!》
信長の比叡山焼き討ちと大殺戮の歴史は、近年の発掘調査にて、相当の誇張があると指摘されている。
史実において比叡山を焼いた人間は3人確認出来る。
1435年の足利義教、1499年の細川政元、1571年の織田信長の3人である。
この時、信長の焼き討ちについて、多数の書状で『全山火の海』との表現にて書き記され、信長公記を記した太田牛一も『雲霞のごとく焼き払い』と表現した。
但し、信長を語る上で最大級に信頼出来る資料を記した太田牛一も含め、記録を残した全員が、実際に己の目で見たのでは無く伝え聞いただけである。
実際の発掘調査でも、信長の実行の前に焼かれた形跡が多数発見されている。
これこそが足利義教、細川政元の時代の焼き討ちの痕跡で、信長の行為による『全山火の海』とは間違いであろう。
なお完全な余談であるが、比叡山を焼いた者は例外無く不慮の死を遂げた。
天罰であるとも噂されている。
《大体、坊主共の殆どは坂本の町に降りて腐敗の限りを尽くして居った! 誰も居ない比叡山を焼いて益など無いわ!》
比叡山は、素の状態でさえ凄まじいまでの要害である。
正に俗世から隔離された地である比叡山。
修行において、これ程の適材地は中々無いだろう。
完全に欲望から断絶された地と言える。
天台宗開祖の最澄が、比叡山を選び入ったのも納得である。
筆者も実際に歩いて確認したが、本当に恐ろしい地である。
階段や坂なのに、断崖と壁と見紛う勾配のキツイ道。
山頂までケーブルカーで行けるし、舗装された道もある。
しかし、それでも辛い。
現代でも苦痛である。
戦国時代なら尚更であろう。
だからこそ、僧侶は坂本の町に下りた。
修行には適地でも、生活には極めて不便な地。
僧侶が山を下りるのも納得な厳しい地。
それが比叡山である。
お立ち寄りの際は、湿布を忘れずに。
《しかし、この世の延暦寺は比叡山は当然、坂本の町にも防壁を築いておる。しかも前々世を軽く凌駕する有様! ただ単に山の斜面にあるだけでも厄介なのに、より強固な防備を備えているとなると、織田家単独で防壁を破るのは困難極まりない。その為の三好の過剰な物資であった訳か!》
「殿。懸念は払拭出来たのですか?」
「あ? あ、あぁ。ほぼ得心したわ。やはりワシだけが勘違いしておったわ」
森可成が呼び掛け、我に返った信長。
「……ほぼ? それで如何致しましょうか? 例えば琵琶湖から関所を迂回して侵入する事は可能ですので、このまま任務続行で構いませぬか?」
確かに陸地からの侵入は厳しい。
関所が厳重過ぎる。
しかし坂本に面する琵琶湖はその限りでは無い。
軍船が侵入出来る場所は警戒されているが、漁船程度の小舟ならどこにでも乗り付ける。
「いや、待て。方針は変える。坂本での偵察は正面から行く。ちょうど近衛殿下から官位を授かってな。ワシは今、織田弾正少忠信長じゃ。それに近衛殿下が気を使ってくれて延暦寺への書状も預かっておる。これなら門前払いされる事もあるまい。つまり使者として正面から入る。全員共をせい。堂々と中を確認する」
鉄壁過ぎて、迂闊な侵入を危険だと信長は判断した。
万が一、光秀や可成が捕まったら元も子も無い。
この武装要塞を強行突破など愚の骨頂である。
「正面! 確かに使者であるならば……。官位も授かり近衛殿下の書状があるならば可能でしょう」
「よし。では関所で来訪を告げるとするか」
こうして信長一行は、堂々と関所に現れ延暦寺天台座主の覚恕との面会を求めた。
極めて厳つい関所を守る僧兵も、まさか信長が直接来るとは予想しておらず、大きな体で焦りながら関所内に駆け込んで行った。
「通してくれるでしょうか?」
光秀が不安げに尋ねた。
「最奥や山は無理じゃろう。軍事拠点じゃからな。中を知られたくは無いハズ。しかし今回の目的を考えれば一歩でも関所の内側に入る事が出来たら任務完了じゃろう」
前々世であるならば、坂本の町に入る事は可能だった。
街並みまで改変されているかは不明だが、今はどうでも良い。
一歩でも内側に入り、覚恕、或いは準じる者と面会出来れば良いと信長は考えた。
その一歩から見える光景と対話で、今の比叡山と坂本の情報をアップデート出来ると。
そうこうして待って居る内に、別の僧兵が駆け込んで来て、信長の要求に対する答えを持って来た。
「お待たせした。覚恕座主がお見えになられる」
「おぉ! それはあり難い」
信長は可能な限り敵意が無い様にしながら喜んで見せた。
本当に喜んでいる様に見えたかは未知数だ。
「た、ただ、即日とはいかぬ。こちらも準備がある。滞在場所を提供するので、そこで待たれるが良い」
《仏敵信長らしからぬ態度、と思っているのでしょうかねー?》
「《まぁそうじゃろう》忝い」
こうして通された場所は、関所に一番近い平地の寺であった。
「近隣を彷徨かれるよりは、監視出来る場所に閉じ込めた方が安全、と言う事でしょうな」
森可成が残念と言った面持ちで口を開く。
「まぁそうじゃな。じゃが目的の一つは達成した。内側に入れたのじゃからな。お主達坂本の町をどう見た?」
「そうですね。やはり民の疲労や僧の腐敗は目を覆うばかりです」
光秀は見るに堪えない汚物を見たかの様な感情で答える。
他の者も概ね同じ意見であった。
「そうか。ワシもそう思う《やはり此処もずれておる》」
《え? これは史実通りじゃないのですか?》
《ワシの見た坂本よりも民の疲労と僧の腐敗の割合が違う。以前はもっと腐敗を極めておった。無論今も酷いには違いないが腐敗は以前程では無い。その代わり民の疲労は以前より重いな。比叡山防御強化への労役が半端では無いな》
信長達が通された寺院は、とても手入れが行き届いた場所とは言い難い。
それは前々世でも変わらなかっただろうが、手入れが届かない理由が違うのだろう。
以前は腐敗故に手入れしないが、今は、防衛に忙しくて手入れが行き届かない様であった。
「懸念完全払拭までもう少しと言った所か。後は面会で判明するだろう」
ここで信長ら一行は2日程待たされた。
延暦寺側も対応に苦慮したのだろう。
あらゆる答弁を想定しているのかも知れない。
《2日か。情報収集としては大収穫じゃな》
《殆ど寺から出てませんし、動けても敷地内でしたよ?》
《十分じゃ。待たされた理由や、提供された食事、活発な動きと怒声、世話係の民の様子、感じる気配と慌ただしさ。歩き回らなくてもこれ位はワシだけじゃ無く、光秀らも察しておるわ》
《そう言うモノですか……》
《そう言うモノじゃ》
そう話している内に、ようやく面会の場が整った。
現れたのは覚恕であった。
「お待たせ致しました。まずは2日も待たせた非礼をお詫び致します。覚恕に御座います」
「いえお気になさらずに。此度の急な面会要請に応えて頂き恐悦至極。織田弾正少忠信長であります」
信長が頭を下げると、背後に控える光秀らも頭を下げた。
信長も含め全員、覚恕の物腰柔らかな態度に面食らう。
今の延暦寺の警戒度合に全く釣り合わない物腰であった。
但し、それは覚恕も同じで、信長達の態度には少なからず驚いていた。
「織田殿より預かった関白殿下の書状は確かに受けました。兄……いや帝の心労や朝廷の行く末には拙僧も心を痛めております。何とか手助け致したいが、昨今の情勢、迂闊に動く事も儘ならず。無念な事です」
覚恕と今上天皇(正親町)は兄弟の間柄である。
質素な御所に住む兄、豪奢な寺院に住む弟。
何が無念なのか信長には読み取れなかった。
「それで、殿下の書状は確かに頂戴しましたが、織田殿の目的は何ですかな? 書状を届けるだけの使い走りをする御仁ではありますまい?」
「それは延暦寺の意向を知る為であり、我等が延暦寺や坂本を害する意思の無い事を知って貰う為です」
「!!」
覚恕は驚いた。
この防備は正に織田対策である。
決して六角と将軍の争い対策では無い。
一方、光秀らも驚いた。
坂本の地を『必ず手に入れる』と宣言した上での、今回の大偵察である。
それを翻すと言うのは、方便なのか判断が付かなかった。
「恐らく、織田は延暦寺と宗派が違うとは言え、願証寺を滅ぼした仏敵と思われているのでしょう」
「い、いや、そう言う訳ではありませぬ。この防衛は、あくまで自己防衛であります」
別に防衛について聞いていないが、覚恕は喋った。
また、この過剰な防衛は、まさに願証寺を滅ぼした事が契機であった。
覚恕ら延暦寺首脳陣は、信長が西進したら、間違いなく延暦寺とは衝突すると断定した。
何せ心当たりが多過ぎるからだ。
「願証寺は織田の領土を害し、水田への破壊工作を行い、目に余る暴虐を繰り返しておりました。当方としてはその原因を明らかにした上で和睦を目指しておりましたが、残念ながら一揆内一揆により自潰しました」
確かに信長の言う通りではあるが、和解を目指すとは方便も方便であろう。
一揆内一揆を誘発させたのは、他ならぬ信長である。
ただ、真実はともかく、事実は自滅である。
「その後は慰霊の寺院を建立しつつ、地域の民とは和解を致しました。決して問答無用で滅ぼした訳では無いのです」
「さ、左様ですか。ならば、六角領を制した後も、不可侵である事を約束して頂けるので?」
「約束しましょう。何なら証文でも認めますぞ?」
「……では是非に」
こうして、織田家は延暦寺と坂本に対して不可侵の約束をした。
2日ぶりに滞在場所の寺から外に出た信長一行。
関所も後にして追跡者も居ない事を確認すると、可成が口を開いた。
「い、良いのですか?」
「良くは無い」
信長の方針とはかなり違う偵察結果である。
今後の戦略も見直しが必要となろう。
「では坂本は諦めるので?」
「諦めぬ」
重要拠点と位置付けた坂本。
しかし、諦める訳では無い言に可成らは戸惑う。
「で、では約定は破棄すると?」
大義名分があるからこその織田家である。
それが、一方的に定めた天下布武法度や信長の思想であったとしても。
約定の破棄は周囲に対して、天下に対して体裁が悪過ぎる。
しかし信長は自信たっぷりに言い放った。
「こちらからは絶対にしない。必ず破棄させてみせる」
「破棄させる……。確かにそれならば……。しかしどうやって……」
「今話す事では無いからな。だが安心せい。難しいが不可能では無い。懸念があるとすれば、もしワシに破棄を断念させる場合だな。しかしそんな延暦寺であるならば、それはそれで別の思惑を果たす事も出来るかも知れん」
信長は前々世を思い起こす。
あの延暦寺を思えば限りなく低い可能性であるだろうが、少し期待も湧き上がる信長であった。
「よし。三左衛門(可成)と十兵衛(光秀)。お主らはこのまま後藤らの補佐をしつつ坂本には目を光らせておけ。無理に内部に入る必要は無いが、脱出する民が居るなら保護し、救える民が居るなら救え」
「は、はッ!」
こうして中央を巡る信長の大偵察は終わった。
【尾張国/人地城 織田家】
宣言通り、秋には帰還した信長。
留守の間には特に問題は起きなかった様で、帰蝶が土産話を聞いていた。
「来年、調略の成果を精査した上で動く。武装はするが、大規模な戦は無いじゃろう。延暦寺とも約定を結んだしな」
「それは構いませぬが……。でもあの物資は延暦寺対策を見込んだ三好殿の物資ですよね? それはどうするのですか?」
「どうするも何も、『延暦寺を何とかしろ』とは言われて居ないからな」
「あ!?」
三好長慶が送って来た書状は、六角と将軍の圧迫要請。
それに対する信長の窮状に対しては、援助物資を送っただけで、具体的な指令は六角と将軍だけである。
「じゃあ延暦寺は無視ですか?」
「無視か。そうじゃな。敢えての無視じゃ。とりあえずは勝手に防壁強化に努めてくれれば良い。むしろ内に閉じこもってくれて助かるとも言える。その方が三好の要望にも沿うじゃろう」
「沿う……?」
延暦寺の戦力は大大名級である。
それが内部に籠って居るのだから助かる、と言う理屈は判らぬでは無いが、それでも帰蝶は納得いかなかった。
「三好殿の要望はともかく、放置しても碌な事が無い様な気がします。そもそも約定をどうやって破棄させるのですか?」
「それを聞くか」
《ではこちらで話そうか。六角と将軍をまずは追い落とす。後は―――》
信長の発言に帰蝶は驚くしかなかった。
早過ぎるとしか思えない作戦を信長は話すが、確かに、ソレなら破棄させるのも可能だろう。
声に出して喋る危険を警戒し、テレパシーで話す事も納得した。
《すべき事が分ったなら、内政が大事な事も分ろう? 吉乃がまた面白い事をやっとるらしいしな》
《は、はい……!》
帰蝶は戸惑いとも武者震いとも言える体の異変と高揚を感じた。
信長の読み通りなら全て上手く行くだろう。
だが、何事も不測の事態は起きるもの。
信長が延暦寺に対して認識のズレがあった様に。
《最終的な延暦寺の処遇は決めているのですか?》
《全ては奴らの出方次第。平和的に解決するかも知れぬ。燃やすかも知れぬ。あるいは全山火の海も可能性はある。全ての可能性を否定はしない》
《わ、わかりました。その上で聞きますけど、結局三好殿については何か見解が変わりましたか? 物資は延暦寺との戦いを見込んで居たのですよね?》
《それは一番難しい所だな。物資の用途はあくまで勝手な予測。その件は会って確認すべきかと思ったが辞めた。今は奴とは余り接触しない方が良い。お互いの為にもな》
《はい》
帰蝶は何かあれば即座に動ける様に準備をしつつ、内政の更なる充実の為に動くのであった。
ただ、帰蝶は帰蝶で懸念を解消出来なかった。
(所で……病の可能性は本当に無いのかしら? 一応、私も独自に警戒しておきましょうか。どうなっても動ける様に)
その懸念が懸念で終るか否か?
判明するのは、まだ先の話である。
15章 永禄2年(1559年) 弘治5年(1559年)完
16章 永禄3年(1560年) 弘治6年(1560年)に続く




