138話 後編A 信長の方針2 副王の策略と信長の機転
今回は後編を2話投稿します。
両方とも前話の★から繋がる様になっています。
《よし……！》
長慶の現状への予測を立てた信長は決断を下した。
★
《三好の要請に従ってやろう》
《従う！？》
帰蝶は要請を断るべきだと思っていたので、思わず素っ頓狂な声を出してしまった。
長慶が心の病にしろ、策略にしろ、従うからには延暦寺まで含めた六角、将軍を相手にする事になる。
その結果、蠱毒計が破綻し三好と共に沈むか、織田が毒虫として蠱毒壺に入るか二つに一つとなる。
《と、殿は三好殿の現状をどう判断されたのですか！？》
従うなら従うで、長慶の精神状態によっては対応が変わって来る。
帰蝶には信長の判断が正しいとは思えない。
信長の間違った判断に、長慶の病が重なっているとしたら大変な事になる。
しかし、信長もそこは承知していた。
《ワシはまだ正常であると思う。つまり真に策略故の要請じゃ》
《そ、そうですよね……。まだ歴史通りでは無い。でも従うとなると……》
病と判断した上で従う訳では無いので、最悪は避けられたと帰蝶は判断したが、まだ問題は解決していない。
従う以上、毒虫として扱われる可能性もあるのだ。
《分かっとる。これでは我らは使い潰されるだけだとな。しかし今回の要請が心の病だとしても結局の所、無視する訳にはいかん。三好と対立して戦える戦力は揃っておらんしな。従って織田の戦略を少々修正する》
《まぁ……そうですね。まだ三好と戦うのは時期尚早。では従うとなると、北の一向宗への締め付けは緩めるのですか？》
従う以上、物資や銭が必要になるが、確保するには一向宗対応を緩め捻出するしか無い。
台所事情を把握している帰蝶には、そうする手段しか思いつかなかった。
しかし信長は違った。
《いいや。締め付けは、むしろ強化する》
《強化！？》
信長は不可能としか思えない事を言った。
《しかしそれでは、六角や将軍、その後の比叡山への対応は如何するのです？ 織田に余力は無いのでは？》
《確かにな。余力は無い》
信長のハッキリ物を申さない話し方に、帰蝶は苛立ちを覚える。
信長だけが解決方法を知り、自分だけが解決出来ない劣等感が故の感想だろうか。
《（なんで優秀な人は持って回った言い回しが好きなのかしら！？）要請に従う、一向宗への締め付け強化、六角と将軍は攻める、比叡山も対応する。駒も手も銭も何もかも足りませんよ！？ 民から臨時徴税を行いますか？》
まるで、『そんな事をするなら今すぐ斬り捨てますよ！』とでも言いたげな、少し殺気を孕んだ文言を吐く帰蝶だが、信長は意に介さない。
《確かに臨時徴税は最後の手段かも知れませんが、他国よりも暮らしやすい国である事が武器でもある織田家が、臨時徴税をするのは自らの首を絞めかねない愚行ですよ！？》
自らも田畑に飛び込み農作業をした帰蝶である。
農民の過酷さは身に染みて知っているし、これ以上鞭打つ事はしたく無い。
《そう。足りぬなら調達するまでよ。為政者たる者、当然の発想だ》
《！！》
《但し民からでは無い》
思わず殺気を全開にしそうになる寸前で、帰蝶は思いとどまった。
民からの徴税はしない事に安堵しつつ、じゃあどこから調達するのか興味と疑問が勝ったからだ。
《え！？ 朝倉も斎藤も手一杯ですよね？ あっ？ 今川の手ですか？》
今川は織田の家臣であるが、対外的には独立大名として振舞ってもらっているので、信長の策略からは常に一歩外れた位置に立っている。
武田と北条への対応も落ち着いているので余力はある。
その上で命令には絶対服従の関係なので、まさに切り札的存在と言えるのが今川家であった。
《惜しいな。だが半分正解としておこうか》
《……え？ 半分は違うのですか？》
やっと辿り着いた答えに引っかかったのは半分だけ。
後の半分は、帰蝶にはもう本当に答えが分からない。
《確かに此度は今川も援助してもらうが、援助先は朝倉、斎藤じゃ。即ち北の一向宗への締め付け強化を担当してもらう。むしろ長島の顛末を知る今川の力をここで使わんでどうする？》
信長は、答えの半分である今川を、北の一向宗に充てると言う。
長島一向一揆の際、今川家から氏真を援軍として招き、一部始終を見させた上、佐々成政率いる掃討後始末まで同行させた。（102～105話、外伝23話参照）
いつか来るべき日に備えた処置であったが、今回がその日であると信長は判断した。
《それに斎藤にも朝倉にも、手を汚して貰わねばならぬ。北の一向宗は正に奴らにとって認識の真なる転換となろう》
織田の同盟国として長島の顛末は知っている斎藤、朝倉である。一向宗が頭の痛い問題であるのも認識しているが、真に覚悟を持っているかは分からない。
信長も援助はするが、覚悟も見せてほしい。
今川の派遣を以てして斎藤、朝倉にやんわりと圧力を掛ける事にした。
《で、でも、一向宗はそれで良いとして、じゃあ誰に手を借りるのですか！？ もう他に借りられる手は無いのでは？》
織田に味方している勢力は斎藤、朝倉、今川で、三好は織田を始末する腹積もり。
その内、斎藤、朝倉が一向宗対応なので残るは今川しか無い。
それは帰蝶でなくても分かる事ならば、もう借りられる手が無い事も誰でも分かる事だ。
《ついさっき、素晴らしい発想の転換を見せたお主の言葉とは思えんな？ まぁ、ここまで導き出したのなら合格としておこうか》
《は、発想の転換……？》
《三好長慶が病ではなく、策故の行動の可能性を示したではないか。あれは見事じゃったぞ？》（139話前編参照）
《あ、あぁ。アレですか。いや、断定してしまうのも危険だと思ったので……》
帰蝶は発想を転換させた意識は無かった。
ただ単に、何となく思った事を口にしただけだが、そこは黙っておいた。
《そう。断定は危険じゃ。そこを理解しておる於濃が分からないならば、やはり政治は一筋縄では行かぬと言う事よな》
《はぁ……》
《やはり書状のお陰で目が曇っておる様だな？ ここに書かれておるではないか。援助を受けられる最大手勢力が》
信長は書状を帰蝶に渡す。
帰蝶は残った左目で穴をあけるが如く、眼力で書状を燃やすが如く内容をもう一度見る。
記載されている勢力の名前は、六角と将軍しか無い。
これから圧迫する勢力に援助を乞うなど、騙し討ちならともかく織田とは明確に敵対している以上、騙されるハズも無い。
《えぇ……？》
《さぁ。もう少しだぞ？》
帰蝶は書状を端から端まで、それこそ空白の部分まで視線を通し、最後の最後で動きを止めた。
書状の最後に書かれている署名『三好修理』と花押を確認したからだ。
《あっ……。ま、まさか……三好……？》
信長の謎掛けの様な言動から判断すれば、一つの答えが浮かび上がる。
最初から除外していた勢力の名を。
《よく辿り着いた。そう。借りられる手は残っておるのじゃ。三好と言う超強大な手がな》
確かに三好も味方と言えば味方だが、策で織田を使い潰そうとしている勢力である。
もう味方の目線で見る事は帰蝶には出来なかった。
《で、でも三好は織田も毒壺に放り込みたいのですよね？》
信長の思う正解に辿り着いた帰蝶だが、あくまで信長の思う正解であって、正しいかは別問題である。
《それはその通りじゃが、そんな事実は書状にもどこにも書かれておらんし、噂にすら出てきておらん。あれは我ら二人のテレパシーだけの話。即ち、三好は同盟国のまま。三好が我らに要請した事が全て。その上で我らに余裕が無ければ、三好は諦めるか援助するしか無いのだ》
理屈の上ではその通りであった。
織田家は斎藤、朝倉に物資や兵糧の援助をしていたが、全兵力まで派遣している訳では無い。
兵だけは揃っている。
後は運用する兵糧と物資があれば戦える。
理屈の上では。
ただ三好の都合は全く考慮していない事に、帰蝶は疑問を挟まずにはいられなかった。
《な、なる程。でも三好も西の対応で厳しい状況では？》
その疑問に信長はバッサリと一刀両断にて答えた。
《あちらの都合は知らぬ》
《えぇ！？》
《知った事では無いわ。我らは我らの都合で対応する。堂々と三好に泣きついて援軍と物資、銭を融通してもらう。三好はワシに動いてもらいたいのだろう？ 壺の中に毒虫として入って欲しいのだろう？ ならば我らが消え去っては困るのじゃ。存在してこその毒虫。一向宗や東の抑えとしての役割も課しておる。我らが消えたら今度は三好が尼子と六角や将軍に囲まれた毒虫となり果てるからな》
《あッ！ なる程！》
将軍が構築した三好包囲網。
それを利用した三好長慶の蠱毒計。
将軍と六角が、三好と織田に挟まれているから成立しているのであって、織田が消える事は壺の崩壊であり、三好包囲網が再度完成してしまう上に己が毒虫になり果てる。
《それが嫌なら、動いてもらいたいなら援助はしてもらわねばなぁ？》
蠱毒計を人質に援助を申し込み、長慶の策から己の身を守るのである。
《なんて悪質な……。三好殿も三好殿なら殿も殿ですね……。呆れて物も言えませんよ！》
信長は勝つ為なら頭も下げるし泥をすする事も厭わない。
長慶も敵を利用して蠱毒計を完成させたが、信長も負けてはいない。
利用出来るなら敵も味方も何でも利用する。
《もし融通したなら、織田を蠱毒計に巻き込みたい可能性が限りなく高い判断も出来よう》
《！！》
三好の融通次第で、どれ程本気なのかが図れる。
満足な物資が届かなければ、織田を蠱毒計に巻き込みたい意思すら無く、本当に単純に六角と将軍の包囲を狭めたいだけだと判断出来る。
《或いは実は心の病だったと判定も出来るかも知れん。面倒な要請ではあるが、将来を見据えた様々な判断が下せると思えば、実はそこまで悪くは無い要請だと判断出来る》
《では、とりあえず要請には従う。ただし、三好にもソレ相応の負担をしてもらう。その上で三好が西に対する対応が後手に回った所で知った事では無いし、三好が尼子に敗れたならば、次は我らが尼子を相手すると言う事ですね？》
《その通り。三好に従いつつ、策略があるなら策略ごと食い破る。ワシを使い潰す目算なら真っ向から御破算にしてくれる！ その上で、上下関係、格付けを明確にし三好長慶を殺す》
《はい！ ……え？ 倒すではなく殺す、ですか？》
最後の最後で、聞き捨てならない言葉を信長が発した。
《ここまで見事な蠱毒計を描ける人材じゃ。さらにはあの松永久秀も使いこなした逸材じゃ。細かい所では差異もあるが、極めてワシに近い考えを持っておる。出来れば臣下に迎えたい。しかし、この後、心の病を発症する可能性も高い。天下人という孤独に重圧、信頼していた弟達の死。前々世も今も差異はあれど似た状況じゃ》
《確かにそうですね……》
《歴史を知る我らは『長慶は心を病む』前提で動かねばならん。少なくとも無警戒にはなれん。残念だがな。ならば、英雄は英雄のまま死なせてやるのも慈悲では無いか、と思った訳よ》
《で、でも、天下の重圧から解放させてやれば、その能力に陰りが出る事も無いのでは？》
《お主は長慶を救いたいのか？》
《救いたいと言うか、可能な限り迎える手段を考えても良いのでは無いかと……。今川殿も救ったではありませぬか？ 少なくとも殿はそうすると思ってました……》
斎藤、今川、朝倉と味方に付けて来た信長である。
帰蝶はそうするのが自然な流れだと思って居た。
《義元か。あれは未来の評価が余りにも不憫だったのもあるが、救ったのは偶然に過ぎぬ。配下に加えるのも良いなと戯れに思ったが、少なくとも桶狭間では倒すのは当然で、その結果が生き残り配下になったのは偶然に過ぎぬ。お主が寸前で刃ではなく柄で殴りつけた事がその結果を生み出したのだ》（44話参照、56話参照）
《ならば今回も救った上で迎えても……。少なくとも一考の余地はあるかと思いまして……》
《救った上で迎えるか。さっき殺すと言ったが、そうする事が出来るならそれに越した事は無い》
《では！？》
《しかしワシは殺す前提で動く。その上で生き残れば無暗に殺す事も無い。ワシの計画をお主が曲げて見せればな》
《殿！ ……はい！》
信長に掻き回され焦らされ、勿体ぶった言い方に怒りも覚えたが、終わってみれば、やはり天下を取るに足る男であると帰蝶は感じ入るのであった。
《では動く準備をしておくが良い。三好は遠い目標だが、眼前の問題を片付けねば話にならぬ》
《はい！》
帰蝶は足早に部屋を出て静かになった信長の私室に、今度はファラージャがコンタクトを取り始めた。
《……今のは教育ですよねー？》
《ほう？ よく気が付いたな？ 於濃と同一人物なのに、あちらは気が付いた風には見えなかったがのう？》
《まぁ……一歩離れた外側から見れば見抜けますよー。教育だと感じたので口出しはしませんでした》
《配慮に感謝しよう。……それもそうか。同一人物とは言え、受けた教育は全く違うのだったな》
帰蝶とファラージャは同一人物である。（外伝41話参照）
しかし生まれた時代も受けた教育も、己の遺伝子以外は何もかも違う。
帰蝶は戦国時代の人間として成長し、ファラージャこと胡蝶は科学者＆歴史学者として成長した。
《趣味嗜好から考え方も違いますからねー。似た部分もあるでしょうが。私の歴史改変計画も、ある意味一歩離れた考えです》
世界を正すのでは無く、世界を諦めたが故の発想であり歴史改変計画でもある。
《そうじゃ。困った時は一歩離れるに限る。今回の事でもそうじゃ。さっき『好きな地獄を選ぶ二択』と言ったが、冷静に分析すれば楽では無いし面倒であるが許容範囲とも言える。その様に発想を変えられる事が出来れば、あらゆる出来事に対処不能な事は無い》
《その糸口を見付けられるかが勝負なのですねー？》
《そう。ただし見つからなければ死ぬしか無い》
《本能寺の様に？》
《……ま、まぁそうなるな》
ファラージャの嫌な例えに信長は眉を顰めるが、これだけ歴史改変を重ねて、なお本能寺で果てる己の姿を想像し、悪寒を覚えるのであった。
《さっきの長慶の件もそうだが、英雄として死なせた方が長慶にとっては幸せかも知れん。少なくとも、史実では義元同様、イマイチな人気なのじゃろう？》
《まぁ……否定はしません》
《未来の惨状はともかく、本能寺で死んだからこそワシは未来で神になった。生き残ったら醜態を晒しておったかも知れんのにのう？ 英雄のまま殺すのも慈悲だと思うのは本心でもある》
《あぁ……。そうですねぇ……》
本能寺で死んだ信長は、その野望の全貌が明らかになる事は無かった。
その謎の部分が、どの時代でも信長の魅力となって論争の種は尽きず、未来においては一神教の神として君臨する程である。
《まぁ良い。於濃が、それとも他の誰かが違う結果を示すなら、ソレならソレでワシが軌道修正すれば良い。……良し。では三好に泣き付くか！ みっともなく情けなくな！》
信長は筆を取ると、可能な限り悲壮感漂う表現で、兵糧物資の不足を訴え、援助を乞う文章を書き上げた。
後世に残るこの書状は、桶狭間に次ぐ信長のピンチであったと解釈する事が主流となっている。
確かにピンチではあるが、額面通りのピンチかと言えば違う。
しっかり勝算を確保した上でのピンチである。
西の情勢との兼ね合いもあるので、どんな形になるかは分からないが、それでも三好との対決に備えた上での西進作戦が始まるのであった。
一応、この後編Aが正規ルート（？）となっています。
今回、こんな面倒な事をした理由ですが、今回に限らず、常に色んな可能性を考えて執筆していますが、今回だけは特に今後の展開に迷いました。
プロットはもちろんありますが、プロットに沿う形はどれなのか？ プロットより面白い展開は無いのか？ 後は、この小説のコンセプトを考えると、こんな遊び心があっても良いかも知れないと思った次第です。
後編Bは、以前投稿した『100-5話』同様、正規ルートではありませんが、『何か判断が違えばこんな未来もあるかも知れない』と楽しんでもらえたら幸いです。
