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信長Take3【コミカライズ連載中!】  作者: 松岡良佑
15章 永禄2年(1559年) 弘治5年(1559年)謀神、副王、かつての覇者の思惑
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138話 前編 信長の方針2

【尾張国/人地城 織田家】


 信長は三好長慶の書状に苦い顔をした。

 帰蝶は左目で書状を読みつつ、苦渋に歪む信長の顔を見る。


《そうきましたか。三好殿も大変なのですかね?》


 そこには要約すれば『六角及び将軍家を更に圧迫して欲しい』と書かれていた。

 織田家は三好家に臣従している訳では無いので、あくまで要請である。

 しかしそこは地力の差が違い過ぎる三好と織田なので、要請であるが、限りなく命令に近い要請でもある。


《だが、まだ早い……! 万全を期すなら最低でも後2年は包囲したままであるべきだ!》


《そうなんですか?》


《倒すだけなら可能だがな。この要請に従うと、戦後処理の方が厄介じゃ》


 信長は、まだ中国地方の動きを把握していない。

 当然、毛利元就が三好を訪れ、その場で斬られた事も知らない。

 尼子が中国地方を制し、いよいよ三好本隊と衝突する可能性を知らない。

 だが、知っていたとしても、包囲を圧迫するのはマズイと判断しただろう。


 六角家も将軍家も非常に弱っているとはいえ、まだまだ軍としても国としても勢力を保っている。


《それに六角を逃すのはマズイ! 絶対に捕えて対処せねばならん!》


《へー。殿にそこまで言わせるのは凄いですね。知らなかったです》


 もし信長以外がその要請を受けたなら『時が来た』とでも感じて動くのであろうが、信長は違った。

 六角義賢のしぶとさを、骨身に染みて知っているからである。


 義賢はとにかくしぶとい。


 史実にて義賢は織田軍に対し敗北を重ねたが、決して弱い訳では無く、しぶとく粘って信長を苦しめに苦しめた。

 むしろ、所領を失い大名の座から転落した後の方が、厄介だったかも知れない。

 もし、信長包囲網のMVPを選ぶなら、MVPは無理でも優秀賞なら確実と言える程に頑張った男であり、最終的には信長よりも長生きし、豊臣秀吉に仕える事になる。


 前々世の知識を鵜呑みにするのは避けたい信長であるが、この知識は楽観側ではなく警戒側なので鵜呑みにして問題無いと判断した。


《後は近江を取ると、比叡山が漏れなく付いて来るからな……》


《あー……。それは厄介ですねぇ……》


《北の一向宗でも手一杯なのに、同時に西の延暦寺を相手するにはまだ力が足りぬ!》


 これも警戒側の知識なので断言した。

 延暦寺は近江の琵琶湖南西に位置するので、六角を攻めるからには関りを避ける事は出来ない。


 それに現在は、飛騨、北陸一向一揆を締め付ける為に、朝倉、斎藤に援助をしている最中である。

 今、援助の手を緩めては、折角の締め付けに意味が無くなってしまう。


 史実の信長は、比叡山の焼き討ちを行った時は、京を制圧し天下を取った後で、単独で制圧出来る力を持った後での行動であった。

 それを今の規模の勢力で、北の一向宗、西の延暦寺を同時に相手するには、かなりの無茶をしなければならない。


《しかも無茶した結果、普通なら2、3年で終わる周辺地域の制圧が、10年掛かる可能性もあるからな……!》


 本願寺との対決では、開戦から完全決着まで10年の月日を要した。

 泥沼化、混迷化を極めた戦いであった。

 それが延暦寺との戦いでも再現されないとは言えない。


 もちろん、今の歴史では延暦寺と無理して戦う必要は無い。

 戦力的に戦えないのもあるが、今現在は何の確執も無い。

 政治的に関わってもいないし、前々世の様に信長の敵を匿って居る訳でも無い。

 敵を匿われた史実では延暦寺には中立を要請し、政治に介入しない事を条件にした位である。

 焼き討ちにしても散々煮え湯を飲まされ、約束を破られた末の最後の手段としてである。


《将来はともかく今現在戦う理由が無い。……いや理由はあるのか。無かった事には出来んよなぁ……》


《出来ませんねぇ……》


 正しく言うなら戦う理由はある、と言うよりは避けて通れぬ理由がある。

 それは前々世の因縁でも、目に余る堕落の是正の為でも無い。

 この歴史で定めた『天下布武法度』による織田家の方針であり、早々に宗教に対する方針を固めてしまった。

 政治的方針は十分理由になる。


 これを根拠に、むしろ戦わなければならない。


 そもそも、今更延暦寺に対して『貴方達は特別扱いです』と言っては、配下や民に対して政治的裏切りになってしまうので口が裂けても言えない。

 また仮に、延暦寺に中立要請した所で、言う事を聞く勢力だとは到底思えない。

 天下を取った前々世でさえ、聞く耳を持たせられなかった。

 それなのに、一地方の領主でしか無い今の信長の言う事など、正に門前払いになるのは目に見えている。


 何よりも、現在の歴史が前々世と違っているとは言え、延暦寺が容認出来る様な宗教団体に歴史改変されているとは到底思えない。


《天下布武法度は少々早まり過ぎたか?》


《うーん。30年は早かったんでしょうねぇ……》


 早まり過ぎなのかと言われれば、早過ぎも早過ぎとしか言えない。

 何せ前々世の記憶と合算して作られた法度である。

 本来、信長の集大成とするべき法度が早々に作られたのだから、早過ぎなのは当然である。


《ただ、あの地は将来的に必ず必要。京に攻め込むは当然、押さえておかねば防衛にも支障がでる》


 比叡山周辺、或いは坂本の地は、京に関わる上で戦略上でも重要拠点である。

 比叡山と坂本は、数万の兵を駐屯させる事も可能な地であり、お散歩感覚で京を狙えるのである。


 故に、延暦寺の僧兵は京に繰り返し侵入し『強訴』を行う。

 強訴とは一種のデモであるが、現代の日本のソレとは全く違う。

 海外の暴徒化するデモが比較的近いが、それすらも可愛いモノだろう。


 何故なら、デモは行う権利を法で認められた上で、定められたルールに則るが、例え暴徒化したデモであっても、警察や軍が鎮圧に動ける。


 しかし強訴は誰の許可も必要無い。

 自分達が頂点に位置するのだから、許可を取るべき相手は存在しない。

 強いて言うなら神仏こそが頂点だが、僧侶はその代弁者なのだから全く問題無い。


 従って真の強訴とは、僧侶が武家政権や朝廷に対し要求を通す事であるが、実際は『お願い』や『要望』の様な可愛らしいモノでは無く、神仏を盾に要求を聞き入れなければ神罰、仏罰が下ると脅し暴れる。


 まさに一方的な蹂躙であるが、宗教が絶対の世界である。

 武家政権も朝廷も逆らえない。

 鎮圧も出来ないので、正に嵐が過ぎ去るのを待つしか無い。


 鎌倉時代の前、武士もまだ大頭しきれていない時代、極めて強い権力を有していた白河天皇(白河法王)が『賀茂河の水、双六の賽、山法師、是ぞわが心にかなわぬもの(加茂川の水害、サイコロの目、延暦寺の強訴だけはコントロール出来ん! クソッタレ!!)』と嘆いた程である。

 災害の賀茂川と、確率のサイコロは仕方が無いにしても、災害と確率に並び称される延暦寺。

 いかに当時の人が恐れていたか良く分かる事例であろう。


 そんな延暦寺の強訴は、遂には天文法華の乱と呼ばれる宗教戦争を引き起こし、応仁の乱を上回る戦火にて京を灰塵にした。

 土地を持ち、物流を握り、権力を捻じ伏せ、信仰の対象となる延暦寺を止められる者は存在しなかった。


 こういった横暴に抵抗する気概を持つ権力者も少ないながら居たが、結局、織田信長が徹底的に潰すまで強訴は繰り返され、延暦寺は『強訴の常連』という訳の分からない評価を得る団体となる。

 だが、そんな信長を『比叡山で無抵抗の僧侶を大量虐殺した極悪人』と非難する人が居るのも歴史の面白さ、なのかも知れない。


 そんな京を窺うに最適な地。

 そんな京を守るには放置出来ない地。

 それが比叡山と坂本である。


《だから地域の再建を明智殿に任せたんですね?》


《比叡山攻略の最大の功績は奴じゃった。武功だけでは無い。常識をも打ち破った最大級の功績じゃ》


 比叡山延暦寺の焼き討ちに行為に光秀が恐れを抱き、本能寺に至ったとする説がある。

 しかし光秀は、当時まだまだ神仏を畏れる織田軍にあって、地域の調略や信長の意思に同調したかの様な行動から、むしろ信長と共に進んで積極的に比叡山を焼き払ったと思われる。


 だからこそ、織田家の重臣をゴボウ抜にして、かつての流浪の外様武将が坂本の地で織田家初の城持ち大名に抜擢されたのである。

 宗教の威圧を跳ね返し、最重要拠点を任せるに足る人間として。


《どうすべきか……? 長慶め! こっちの都合もお構い無しか!》


 お構い無しかと言われれば、当然お構い無しだろう。

 対等な同盟ではあるが、実力には開きがある。

 史実の織田家が徳川家を利用した様に、長慶も信長を利用しているに過ぎない。


《……あぁ。そうか。家康もこんな気持ちじゃったのか?》


 史実の徳川家は、信長の手足として絶体絶命の危機に陥ろうとも戦い抜いた。

 信長も決してお構い無しのつもりは無かったが、その心を徳川家が理解してくれたかどうかは別である。


《しかしそれでも、まだ時期尚早なのが分からぬ長慶ではあるまい!》


 六角義賢がしぶとい事を、比叡山延暦寺の醜悪さを長慶が知らなかったとしても、絶対にもう少し待った方がより良い結果が出るのは、長慶のレベルなら分からぬ道理は無いと信長は感じている。

 そう感じているし、確信もしているのに、現実は非情にも侵略要請である。


《この認識のズレは何じゃ? 何か焦っているのか? ……西がそこまで緊迫しておるのか? 本拠地の阿波国で何か異変があったのか?》


 尼子に対する把握が認識のズレだとは知る由も無いが、可能性があるとすれば尼子か本拠地しか無いのは信長も予測出来た。


《例え尼子が中国統一したとしても早い! 何の為の蠱毒計なのか己が一番理解しておるだろうに!》


 蠱毒計は毒虫を競わせ最後の一匹を選ぶ呪術であり、六角と将軍を毒虫と見立てた最悪の計略である。

 最後の一匹、或いは、それに相当する勢力の減衰を目的としているなら、絶対にまだ早い。


 可能な限り即決即断が信条の信長も、この問題には即座に答えが出せなかった。


《分からん。……一息入れるか》


《そうですね》


 考えが堂々巡りになり、一旦一息ついて気分を変える為に部屋を出る。

 そこに偶然通り掛かった男に信長は呼び止められた。


「おや、殿ではありませぬか。三好からの書状が来たと伺っておりますが……。その様子ですと難題が来ましたかな?」


 平手政秀であった。

 左手で5歳になった於勝丸(織田信正)と手を繋ぎ、右手で2歳になった奇妙丸(織田信忠)を抱えている。


「爺ではないか。引退した爺にそこまで看破されるとは、相当に顔に出ておったか。爺こそもう大丈夫じゃな?」


 政秀が信秀の葬儀後に、追い腹騒動があったのは別の話であるが、今は軍務も政治も引退し、幼少組に対する教鞭を取る日々を送っていた。


「あの時は取り乱して失礼しました。大殿一人で逝かせるのも忍びないと思いましたが、殿の説得で我に返りました」


 天下布武法度には勝手な自害の禁止が明記されていた。

 ただし、その禁止は失敗に対する責任の取り方での切腹禁止であり、死者を慕っての追い腹については言及されていなかった。


 追い腹とは、殉死、後追い自殺である。


 宗教が絶対の世界である。

 あの世でもお供したいと感じるのは、何の不思議もない。

 この騒動で天下布武法度には切腹含む自死についても法が定められたが、政秀も今ではすっかり正気を取り戻した様であった。


 そんな政秀を見て信長はある事実に引っかかった。

 それは政秀の精神である。


 政秀は史実で信長の奇行に精神を病み諌死に及んだ―――かも知れない。

 少なくとも、信長にも少々の負い目があった。

 だが、今の歴史では信秀討死に心を病み、追い腹を実行する程に精神を病んだ―――かも知れない。

 今と史実での政秀の実績であるが、精神疾患は歴史が変わっても何らかの形で発露した―――かも知れない。


 それに対して、三好長慶の実績を考えると一つの可能性が浮かび上がる。


「爺よ助かった! 子達の教育任せたぞ!」


 信長は走り去って行った。


「何だが良く分かりませぬが助けになったのなら幸いぃたた! 髷を引っ張るでない! 乱暴者には濃姫様に面倒を見て頂きますぞ!?」


「フフフ……!」


 帰蝶はニッコリ笑った。

 眼帯からハミ出る傷が凄惨極まりない笑顔を作り出し、子供達は義母の眼光に身の危険を察知し、政秀の陰に隠れた。


「……ッ!? で、では平手殿。失礼致します」


 帰蝶は軽くショックを受けつつ、なるべく優雅に一礼して信長の後に続いた。


 後に残された政秀は、何が助けになったか分からなかったが、子供達に急かされて武芸の稽古に向かうのであった。


 信長は自室に飛び込み書状を改めて見た。

 別に何の変哲もない文である。

 流石に文章から精神の異常を察知するのは難しいが、精神に異常を来していると仮定すれば、やはり要請には違和感を感じる。


《もしや既に心の病を発症したのか!? だがそうであるなら、この要請は理解出来る!》


 時期尚早なのも、それを長慶が理解出来ていないのも、これなら納得出来る。


 史実における三好長慶の晩年は度重なる不幸に振り回され、精神の平衡を失い、弟を誅殺し、冷静な判断が出来なくなったと言われる。

 日本の副王とまで称えられ圧倒的実力を誇っていた三好長慶は、空気の抜けた風船の様にアッと言う間に萎み、天下人とは思えぬ最後を迎えた。


 全ては精神を病んで、しかし、その現状に気が付かず、良し悪しの判断がつかないまま最良と思って行動した結果である。


 今の歴史でも、十河一存、野口冬長と既に2人の弟を亡くしている。

 何らかの形で精神を蝕んでいる可能性は十分ある。


 だが―――


《理解出来るが……じゃあどうする?》


 理解は及んだが、問題は何も解決していない。


《病んでるから要請を取り消せとは言えぬし、病んでると認める長慶ではあるまい。それに確認の取り様が無い》


 精神異常の可能性は高いが、あくまで憶測である。

 また振り出しに戻ってしまった問題に信長は眉間にしわを寄せる。

 そんな信長を見て、帰蝶が提案する。


《今のは心の病を仮定した話でしたが、では仮に正常であると仮定したら狙いは何でしょうね?》


《この要請が正常じゃと?》


 堂々巡りになりそうな問題に、帰蝶がもう一つの可能性を示す。

 精神も平静で長慶にとっては何も戦略的に間違っていないなら、一体この要請は何なのか?


《そんな事して何の得があるというのか? ……得? 得……》


 信長は現在の状況に至るまでを頭で今一度整理する。

 何の為の三好との同盟で、何を成す為に今があるのかを。


《あっ……》


 信長はとんでもない事に気が付いた。


《まさか、比叡山と我らを衝突させる事こそが蠱毒計の集大成なのか……!?》


 今まで考えもしなかった可能性であった。

 三好の強さは歴史も証明し、信じるに足ると信長は思っていたからである。


 信長の悪癖―――

 味方を信じ過ぎてしまう悪癖であり、史実でも何度も痛い目を見た。

 その集大成が本能寺だ。


 だが、その『信じる』フィルターを取り払えば、自然と見えて来る一つの戦略が、織田家とその同盟勢力の始末である。


 同盟勢力とはいえ、将来的には敵になる可能性のある織田家である。

 長慶の中では、毒虫判定されていても何らおかしな所は無い。

 そう考えると、武田を飛騨に差し向けた理由も説明が付く。

 織田家は寺社を積極的に狩っている存在であり、京周辺地域には延暦寺を筆頭に強力な寺社勢力も多い。


 天下人三好長慶にとって、信長は自ら手を汚してくれる素晴らしく使い勝手の良い、走狗として完璧な存在である。

 ならば、走狗にとって最後の利用価値とは、煮られて食われるだけである。


 信長も三好とは『いずれ雌雄を決しなければならない』と考えてはいたが、今はお互いに頼もしい味方だろうと思っていた。

 ただ、ここまで時期が早くなるとは予想外であった。


《……流石は日本の副王。これが蠱毒計の全貌か!!》


 壮大過ぎて現実感が無いが、気が付いてしまえば恐怖を通り越して称賛の言葉しか出てこなかった。

 お互いの家臣を受け入れ合い、多少の差違はあれど、ほぼ、同じ目標に向かっている同志である三好長慶が、既に織田に見切りを付けている可能性に信長は心底驚愕した。


《あくまで、正常だと仮定した場合の可能性ですけどね》


《何たる事だ! 地獄極楽の二択では無く、好きな地獄を選ぶ二択とはな……!》


 長慶の精神の問題なのか、策略故の要請なのか、今この状況で確定出来る事は何も無い。

 何も無いが、精神を病んでいると仮定するなら長慶と共に泥沼に引きずり込まれ、病んでおらず蠱毒計の一環であるならば織田の破滅が見えている。

 まさに進も地獄、退くも地獄である。


《よし……!》


 長慶の現状への予測を立てた信長は決断を下した。


最後の★は誤字ではありません。

次話の前書きで説明します。

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