135話 毛利元就・隆元
【安芸国/吉田郡山城 毛利家】
毛利家の実権を握った毛利隆元は、劣勢を挽回すべく手を打ち始める。
しかし、尼子家に流通経路を潰された今、先立つ物が何も無い。
いや、何も無いは言い過ぎか。
最後の物資たる己自身があるのだから。
「無能だろうと何だろうと、あの親父を排除したのだから、例えワシが死しても毛利を潰えさせてはならぬ……ッ!!」
隆元は悲壮な覚悟で生き残りを考えた。
とは言っても、弱小勢力が取るべき道は2つしか無い。
圧力に屈し臣従の道を選ぶか、徹底抗戦の末に滅ぶか。
一応3つ目の道として、戦って勝利を目指す事も出来るが、毛利家としては逆転の目は限りなく低い。
だが、それでも勝たなければならない。
最低限、毛利への侵攻を跳ね返し、潰すのは無理だと思わせねばならない。
その上で、4つ目の道として、臣従でも抗戦でも、落し所を見つけた上での交渉の余地はある。
それを話し合いで決めるか、戦の実力で売り込みを計るか。
「しかし今更、尼子に降る事など出来ぬ! ならばこのまま挽回するしか無い! お前達なら判るよな?」
隆元が選んだ道は徹底抗戦。
その理由は単純明快。
毛利と尼子の間には、非常に都合の悪い問題があるからだ。
毛利家特有の都合の悪さとして、かつて尼子経久に臣従して居た時期があった。
そこから袂を別ち、今の状況に至るのであるが『劣勢になったから許してくれ』では、余りにもプライドが無い行為である。
従って選択肢は有る様で無い。
「は、はい……」
「勿論です……」
もちろん、そんな事を屁とも思わぬ厚顔無恥な人間なら、堂々と降伏して生き残りを図るだろう。
例えば史実で信長を2度裏切って1度目はおろか、2度目も助かる可能性を見せた才能を持つ松永久秀などはその筆頭格だろう。
その他にも真田昌幸、伊達政宗なども頭を下げて舌を出すタイプだし、またある意味、豊臣秀吉、徳川家康もそうなのだろう。
織田信長も、ピンチになれば形振り構わないタイプの人間である。
恥辱にまみれても、生き残りを図れる判断が出来る行動故に、非常に狡猾で節操が無いが強い。
謀略で伸し上がった毛利元就ならば、常に頭に入れている手段であるが、その才能を受け継がなかった隆元には絶対に選べない選択である。
「だが、ワシには親父殿やうぬらの様に強く鮮やかな戦は出来ぬ」
本人の言と自覚はこの有様だが、隆元が無能かと言えばそれは違う。
本当は、高いレベルで物事を見据える事が出来るのに、無自覚なのが隆元と言う人間である。
「なぁ、少輔次郎(吉川元春)、又四郎(小早川隆景)よ。ワシに足らぬ才を補って欲しい! 頼む!」
隆元は弟達に頭を下げて頼み込む。
しかし頼みながらも極めて威圧的である。
かつては『父上』と呼んでいた元就を『親父』、すでに官位を持っている弟達を敢えて『うぬ』や、『通称』呼びする圧力は、以前の隆元からは感じられなかった感情である。
「(これが、あの頼りなかった兄上か!?)わ、分かりました」
「(某、初めて兄上を怖いと感じました!)お、お任せあれ」
かつて元就から家督を相続したが、権力の相続は断固固辞した隆元。
しかし、今は自ら権力を相続した、と言うよりは奪った覚悟の成せる業なのか、かつての知ったる隆元とは大違いであった。
そんな隆元が頭を上げた。
伏せた頭から現れたのは、まるで『言質を取った』と言わんばかりの顔である。
「よし! ならばこれよりは勝手な真似は許さん。ワシはこれより大友との交渉に赴くが、ワシが不在時の防衛に関しては其々の判断で動くのを許す! しかし、こちらから尼子に仕掛けるのは禁ずる。今必要なのは武力ではない。政治の力で窮状を挽回する事だ!」
隆元が『政治の力』と言うが、これは決して間違いでは無い。
元就から何の才能も引き継がなかったと思っている隆元は、実は政治に財務に優れ、史実では隆元が早死にした結果、財政が傾いてしまった毛利家である。
戦に明け暮れる一族を、縁の下で支えて来た隆元を失った毛利家は、その存在の大きさを死して痛感したと毛利元就、吉川元春、小早川隆景に言わしめた隆元である。
それに全く戦えない訳でも無い。
むしろ普通に戦えるが、父と弟達が、それぞれ特定の方向で異常な才を見せているだけである。
そんな自覚なき才能を有し、普通の感性を持っているが故に分かる。
尼子に屈する事は、この食糧難の時代にどんな無理難題を課せられるか容易に想像出来る。
徹底的に搾り取られ兵役で身を擦り減らす、生かさず殺さずの生き地獄であろう。
それが理解出来る隆元にはどうしても選べない。
「三好と大友に救援を依頼する。我らが潰れて困るのは向こうも同じはず」
毛利家としてはピンチではあるが、いまだ2ヵ国以上支配をしており決して弱小勢力では無い。
西日本に超巨大勢力が固まっているので余計に貧弱に見えてしまうが、全国的に見れば毛利は弱小勢力では無い。
特に中国地方の玄関で本州に繋がる長門国、周防国を押さえているのは大きい。
決して無力では無いので、簡単に膝を折る事は出来ないのだ。
「その為に、せめて毛利家として矜持と力を見せなければ、その苦痛が民までに及んでしまう。それだけは避けねばならぬ」
自力でどうにもならないなら、他の勢力の助力を乞うしか無い。
その結果、色々な不利を飲む事になろうとも、尼子に降るよりは遥かにマシである。
その点、毛利は幸運にも位置的には絶好の場所で勢力を保っていた。
まず、天下の覇者三好家が敵対する、尼子家の背後を突ける位置に居る幸運。
次に、九州の大友を尼子から守る盾になる位置にいる幸運。
陸路で直接毛利と接する勢力が、尼子しか居ない幸運。
三好にしても大友にしても、毛利は利用価値が高い。
ただし、あくまで利用価値があると言うだけで、仮に毛利が滅んだら滅んだで三好や大友にとっては痛手ではあるが、決して致命的でも無いので、毛利は相当に身を切る交渉をしなければ助力は得られ無い。
だがそれでも、救援を確約させ、守りを固めなければならない。
劣勢の毛利としては、自分から動いて反撃を受ける事は避けたい。
命脈を保つ為に、少しでも時間を稼ぎたいのだから当然の選択である。
元就だったらその謀略の才で窮地を脱するどころか、誰にも悟られず逆転まで出来たかも知れないが、そこは堅実な隆元でギャンブル的な交渉は出来ないし、強気な交渉を出来る材料も無い。
隆元は自ら大友と三好に面会し、救援を乞う事を決めたのであった。
【周防国/旧大内氏館 毛利元就】
劣勢の毛利としては、自分から動いて反撃を受ける事は避けたい。
命脈を保つ為に、少しでも時間を稼ぎたいのだから当然の選択である。
そんな隆元の思いを真っ向から否定し、全く逆の結論を出した男が居た。
毛利元就である。
「遅い。拙い。甘い。酷い。こんな絶好機を見逃すとは、尼子も隆元も戦国の世を舐めすぎだ。今こそ武力が必要な時!」
確かに劣勢ではある。
しかし元就は、厳島の失敗は途轍もない好機を招き、毛利の価値を高めたとすら思っている。
毛利は尼子の急所たる背後を突ける場所に位置し、大友と三好にとっても毛利は重要な勢力となった。
失敗のお陰で、重要な勢力とは如何なる事か?
毛利が潰されれば、尼子は中国地方を制覇する。
現在、一つの勢力が国の一つを制覇する事はあっても、地方地域全体を制覇する程の成長を遂げた大名は未だ存在しない。
存在しないのだが、尼子は中国地方制覇にリーチを掛けた。
広さは力である。
いくら堺を抑えた三好、博多を抑えた大友と言えど、尼子の中国地方制覇後は対抗しきれるかわからない。
堺と博多間を抑えているのだから、様々な商売的策略も打てる。
失敗のお陰で重要な勢力になったとは、こういう事である。
毛利は虫の息である。
あと一押しで滅びるだろう。
従って、三好と大友は、毛利を何が何でも救わねばならない。
尼子と均衡していたなら放置していても構わないが、均衡が崩れたならばテコ入れしなければ自勢力に影響が及ぶ。
さらに元就は、実は尼子にとっても毛利は価値があり、仮に尼子に再臣従するなら今が最適と見抜いている。
人が変われば価値観も変わると言うべきか、こんな発想は隆元は思い至らなかった。
「尼子が石見銀山に集めた兵は惰弱も惰弱。しかし刻一刻と練兵が行き届けば可能性が無くなる」
元就は知っていた。
銀山に集められた兵が、兵士として機能していない事を。
別に現地で直接見た訳では無い。
入って来る情報と、考えられる尼子の戦略。
経済が封鎖される程の締め付けを行いながら、3年に渡って戦を仕掛ける雰囲気がまるで無い。
更には東の三好と、その三好が行う蠱毒計。
銀山に専門兵士だとは見抜けなかったが、数は揃っていても何か問題があって戦えない。
そんな事を読み切るなど、元就にとっては造作も無い事である。
「今が好機! 奴らはまともに戦える状態では無い! 恐らくワシが厳島の失敗でボケたと判断したのだろう。3年も呆けておってなお攻めて来ない! これ即ち三好との争いに専念したいのに間違いない! 木偶の坊が相手なら勝つのはワシらじゃ!」
厳島の失敗は元就にとって確かに痛恨の衝撃であった。
魂が抜ける程のショックを受けたが、いつまでたっても息の根を止めに来ない尼子に不信感を持った。
それ故に、ボケた演技を続けた。
続けて待った。
好機が訪れるのを。
その読みは当たり、好機は訪れた。
実は毛利に止めを刺す為に真新宮党を準備したが、尼子としても正念場なので戦わずに済むならそれに越した事はないと思っていた。
中国地方の端まで侵攻するより、銀山の運用に注力した。
だから尼子晴久は、毛利が折れるなら大歓迎、特別待遇を約束しても良いとすら思っている。
真新宮党の訓練も必要だが、それは四国の河野家相手にしても良いと思っている。
河野家は、単独での領内や家臣の統制がままならず、毛利に従属している身分である。
その毛利も厳島で衰退し、河野家は空中分解寸前の勢力となり果てていた。
訓練なら毛利よりも、むしろ河野家の方が絶好の相手ともい言える。
だから尼子は来ない。
少なくとも当分猶予はある。
そんな訳で、毛利家は今が一番の高値で売り時であると、唯一考えたのが元就である。
地方最弱の勢力が、優位的立場を選べるなど、常人では気が付かない着眼点である。
「……それに気が付かん愚息共はまだまだ甘いな。3人合わせてまだワシに及ばんか」
政の隆元。
武の元春。
智の隆景。
元就が辿り着いた結論に、息子達が達しない事に不満を感じるが、それも仕方ない。
それぞれが得意とする分野は、一転突破なら元就も凌駕する才を秘めているのは間違いないが、彼らはまだ若いし、老練の元就は元就で厳島の失敗すら糧にして、さらなる化け物へと変貌した。
従って『ワシに及ばんか』とはメチャクチャな要求かも知れない。
その元就を上回るのは、もう古代の英雄しか居ないだろう。
「隆元は大友と三好に救援を依頼し守りを固めるのだろう。それでは駄目だ。動くなら今なのだ!」
毛利元就は、尼子晴久と義久、毛利隆元に先んじて、一番活発に動くのであった。
とはいえ、元就は隠居扱いの身で自分の決裁で動かせる兵はたかが知れている。
そこで白羽の矢が立ったのは、毛利に従う豪族である。
中央集権のシステムが整っていない毛利家は、実力を有している勢力の集合体である。
絶対的な中央権力を持たぬが故に、本来は苦労する事が多発するが今回に限っては有利に働いた。
厳島の失敗で、毛利家としての求心力が落ちている事すら、有利な材料となった。
求心力の落ちた毛利には、力を持つ豪族を強く咎める事が出来ない。
更に求心力の落ちた毛利家の当主は、今、領地に居ない。
前当主として権力を振るう例など、掃いて捨てる程に存在する戦国時代。
隠居させられた身であるが、それでも隆元の指示を聞かずにて無断で動く事など造作も無い。
むしろ、隠居させられたので、身一つで気軽に動く事も出来る。
厳島の失敗で名声に陰りが見えたとしても、そこは偉大な毛利元就。
豪族ごとき弁舌で如何様にも動かせる。
全ての事象で元就が暴れる土台が、勝手に整った。
「先の厳島の褒美として反抗的な味方を潰し褒美として宛がう。未だ毛利に残る忠義者にはこれで何とかなろう」
先の厳島の失敗で、満足に与えるべき褒美も無く離脱した勢力も多いが、毛利に残る決断した勢力もある。
その毛利に残った勢力に打診し、毛利を離脱した勢力を攻撃し褒美としつつ、領内の安定を図る。
大内家の旧領地である長門国、周防国は厳島の失敗の後に制圧したが、尼子に靡く勢力も多いのも好都合。
「今後を考えれば使い潰すのも良いなぁ?」
離脱した勢力を遠慮なく潰して毛利をまとめ上げ、何なら残ってくれた勢力も使い潰してしまう非道な戦略も元就には可能だ。
「ククク……! 世の中、こんなに見通しが、風通しが良かったかのう?」
全て隆元と尼子の判断ミスだが、彼らは彼らで最善を尽くしている。
これをミスと断じるのは厳しいかも知れないが、状況を利用されるのが悪い。
最善を尽くそうが、良くも悪くも世界は強者の物である。
ましてや、今は何でもありの戦国時代。
甘えや泣き言は許されない。
「そうか……! これぞ百万一心! 何と言う事だ! ハハハ!」
毛利元就は当主の座を奪われ、この世から消える運命を覆し、どちらかと言うと毛利家と言う枷から解き放たれた存在となった。




