133話 真新宮党と謀聖
大変お待たせいたしました。
本編を再開いたします!
【出雲国/月山富田城 尼子家】
尼子晴久と息子の義久が対面で話し合っていた。
「三郎四郎(義久)。お主に一軍を預ける」
「と言う事は、相手は三好ですな? 宇喜多か松永か、あるいは安宅ですか。長慶は弟を失って意気消沈しているとも聞きますし、ここが好機ですな」
義久は父が遂に三好と、いままでの小競り合いではなく、全面対決に踏み切ったと判断した。
宇喜多直家の反逆で播磨での主導権を失ったが、三好の軍事の象徴でもある十河一存が事故死した今、巻き返しを図るなら今だ。
しかし、晴久は違う答えを出した。
「いや。相手は毛利だ。時期はそうじゃな……。今年の5~6月頃を予定する。以前は今年を三好との決戦と考えておったが、少し計画を修正し先延ばしとする」
「毛利? 確かに大内領の奪取に失敗し苦しい状況だと聞き及びますが、中央より優先すべき相手なのですか?」
毛利家は、大内家と厳島で決戦で陶晴賢率いる大内軍を打ち破ったは良いが、晴賢には逃げられ戦の結果で得られる旨味は、尼子家に全て攫われた。(108-1話参照)
お陰で毛利は、費やした戦費の回収もままならず、大変な苦境に喘いでいた。
「理由は簡単じゃ。元就は厳島での我らの介入で痛手を被ったまま、立て直しに苦労しておる。止めを刺してやるのも慈悲だろう」
「慈悲……。それについては反対しませんが、元就が相手ですか。あの大爺様(尼子経久)と互角にやりあった怪物を某が相手にするには中々骨が折れますな……!」
中国地方での元就の名声は、天井知らずだったと言っても過言では無い。
幼少時代、家臣に城を追い出される程の扱いを受けた身から立ち上がり、同じく中国地方の謀聖と謳われた尼子経久と渡り合い、今や独立勢力として毛利家を成長させた怪物である。
厳島の失敗は元就らしからぬミスだったが、苦しい立場の毛利家だとは言え、それでもまだ義久が相手をするには、経久の血を引くとは言え、まだまだ荷が重い相手である。
「そんな事は分かっとる。奴を相手に互角に戦える人材など日ノ本広しと言えど片手で足りる。じゃから策を授ける。今、毛利は懐事情が非常に厳しい。それは厳島での勝利と失敗が原因でもある。戦費は当然、勝ったのだから褒賞も配下に渡さねばならぬからな。しかし、勝利の代償で得た物が何も無い。そこでワシは石見銀山の銀で毛利に渡る物資を相場より高く買い付けてやった。これでかなりの弱体化が見込めるじゃろう」
「何と!」
厳島での旨味を掻っ攫った尼子家は、大内家が管理する日本最大級の銀山を手に入れていた。
その銀の産出量は、当時の世界の銀の3分の1を占めたとも言われている。
晴久は、その溢れる銀を使って、毛利家に貿易戦争を仕掛けたのである。
商人は強かである。
相場より高く買い付けてくれる物を、支払いも怪しい毛利に売るなどあり得ない。
毛利と顔なじみであったり、恩義を感じる商人が手心を加えたとしても、もう、経済的には勝負が決している状況であった。
「だが、それでも全く油断出来んのが毛利元就じゃ。それ故に更に一つ、いや二つ策を授ける。まず一つ目じゃが、この度ワシは『新宮党』を復活させた」
「……え?」
新宮党の悪評は、尼子家なら誰しもが当然知っている負の遺産である。
それを復活させるなど、しかも解体した張本人が復活させるなど、正気を疑われても仕方がない愚行である。
「ち、父上!? そ、それは余りに―――」
「わかっとる! お主の懸念は全て良ーくわかっとる! さっき新宮党とは言ったが中身は全く別の組織じゃ。かつての新宮党残党は誰もおらん。これは尾張の織田が作った組織と同じ手法で設立した組織。むしろ新宮党の顛末を知る我等なら、失敗を教訓にした組織を再設立する事は可能。何なら一日の長があるとも言える。全ては岩見銀山が解決してくれたわ」
晴久は石見銀山で得た資金で毛利家に渡る物資を横取りし、その物資を使って専門兵士を密かに作り上げた。
密かにと言うのは、尼子家には新宮党、即ち専門兵士アレルギーを持つ家臣が多いので、大々的に設立するのではなく、まずは様子見を兼ての小規模組織である。
「この組織を指揮出来るのは、ワシとお主だけ。尼子の権力を持つ者と継ぐ者だけが指揮をする。血筋に連なる者でも指揮権は与えない。組織の要職に就くのもワシらだけ。正真正銘、ワシ等だけの軍勢じゃ」
旧新宮党は、経久の血筋が主君と同等以上に権力を持って増長した事が失敗だった。
だから、今回の新宮党指揮権は、晴久と義久だけに絞る。
「な、成程。新宮党の顛末を考えれば当然の帰結でしょう。しかし、一体どうやって兵を集めたのです?」
毛利との争いは当然、旧大内家領の支配、三好との戦いにも兵は必要で、これ以上の余剰人材は無い。
「以前の新宮党は基本的に尼子一門か近しい者が戦力の大半じゃった。それが失敗の一因でもあるが、じゃあどうするか考えた時、その答えは東の織田が示しおったわ。武家の穀潰しを活用するとな。目から鱗とは正にこの事よ」
「ッ!? 成程!」
「とりあえず、その兵を全て毛利との最前線である城に住まわせ相対させる。それを、小規模で運用しつつ全体の練度を高めよ」
「毛利相手に練兵ですか!? そ、それはいくら何でも……」
「案ずるな。考えてある。先程5~6月を出陣時期と言ったな? その時期には何がある?」
「5~6月ですか。これから夏に向けての出陣……。ん? 夏に向けての出陣とは、余り聞いた事がありませんな?」
「うむ。そうじゃな。では何故聞いた事が無い?」
それは、稲作が全盛期になるからである。
農兵を農地に帰還させなければ、今年の年貢は見込めない。
それ故に、その時期に戦わせるのは、余程の事情が無ければあり得ない。
「それは……農兵が……。……あッ!?」
「そう言う事だ。これが二つ目の策。そこで新しい組織を使い―――組織組織言うのも締まらんな。……とりあえず真新宮党としておくか。ともかく、理解したなら毛利を相手に遊んで来い。その間、我らは三好を相手に通常の戦を繰り広げる。お主が毛利を圧倒したなら真新宮党は文句を付けられぬ実績を得ると共に、ワシの後継者としても地位を確立出来る。その時は名実共にお主が尼子の支配者として京を制圧せよ!」
「はッ!」
「それと一人お主に付ける。指揮采配は当然だが武芸にも優れる若者だ。鹿介!」
晴久が呼ぶと、一人の少年が入室してきた。
「こ奴は山中満幸の次男、山中幸盛。家督は兄が継いでおるが故に、こちらで貰い受けた。中々見どころがある。使いこなして見せよ」
「山中鹿介幸盛にございます。今日より三郎四郎様を我が殿と仰ぎ、必ずや真新宮党を尼子の中核と成すべく働く所存にございます!」
少々気負った感のある若者が義久に頭を下げた。
「よろしく頼む。鹿介」
年の近い義久としても、古参の目付が居るよりは動きやすいと判断した晴久であるが、見るからに相性が良さそうな2人に、真新宮党の成功を確信するのであった。
三好と京に対する本格的な軍事行動を起こす為に、しかし、急がば回れを地で実践するかの如く、まずは西の脅威の除去を命じる尼子晴久。
戦の失敗と経済封鎖に、求心力の落ちた毛利が相手。
しかし、それでも謀聖尼子経久と互角に戦った毛利元就が相手。
その討伐が完了するなら、天下奪取など成ったも同然である。
しかし天下を奪取して終わりでは無い。
東には織田を筆頭とする新興勢力が幅を利かせている。
三好相手に疲弊した姿を晒し、その結果、漁夫の利を得られても困る。
三好を倒し、かつ、即座に盤石な体制を敷く為の毛利討伐なのである。
単なる野心での天下奪取では無い、その後も見据えた尼子晴久であった。
【安芸国/吉田郡山城 毛利家】
壮年の男と、老境著しい男が話し合っている、いや、一方的に壮年の男が老人に話しかけていた。
「衰えましたな。何たる醜態か」
「……」
「勘違いしてもらっては困りますが、失敗を責めているのではありません。再起せぬ根性を責めているのです」
「……」
壮年の男は毛利隆元
老人は毛利家の支配者毛利元就。
毛利隆元による老人への辛辣な言葉。
隆元としても、自分がこんな言葉を吐くとは信じられないが、しかし、今の元就を直に目にすれば、こんな言葉も出さざるを得ない。
元就は見るからに覇気を欠いている。
死人かと勘違いする程に目が死んでいる。
これが、あの毛利元就なのかと。
毛利の分家から身を起こし、中国地方にその名を轟かせるまでに成長した稀代の謀将が、今は見るも無残な姿を晒している。
「厳島での失敗が、そこまで心を蝕みますか。父上なら、ここからどうとでも再起出来ましょう?」
「……」
ありとあらゆる策略を駆使し、数に勝る陶軍を打ち破り、勝ちを収めた厳島の戦い。
しかし、勝利で得た物は『無』であった。
正確には名声や武威など形の無い物は手に入れたが、実利を伴う物は何も手に入らなかった。
「父上から何の才も受け継がなかった某としては、この程度で塞ぎこまれてしまう方が信じられませぬが……。才ある故の苦悩なのでしょうな。凡人には理解が及びませぬ」
「……」
こんな言葉を吐く毛利隆元であるが、実際には落ち込む気持ちも分かる。
自分でさえ厳島の後の約束された成果が、一切手に入らなかったのは衝撃を受けた。
あの父が、あの毛利元就が、ここまで出し抜かれる事など想像するのも難しい。
しかし現実として、打ちのめされた毛利家と毛利元就が居るのである。
一度の失敗が、ここまで人を変化させてしまうのだろうか?
本来なら、失敗を糧に成長しより強力になっても良さそうである。
だがそこには毛利家の事情があった。
毛利家の支配地域は、地域豪族も権力を確かな権力を持ち、毛利家一強の地域ではなく、かつての武田家の様な議会政治とでも言うべき体制であった。
より良い意見を出し合い、相談して決める事が悪い訳では無いが、この乱世、強力な支配者による独裁体制を取らないと、一度の失敗が致命的になる事もある。
しかも最悪な事に、厳島では得る物が無かったので、協力してくれた豪族に与える物が何も無い。
力と実力を備え、小勢力に甘い汁を吸わせ続けて来た毛利家だけに、見返りを与えられなければ地域豪族が発言力を増し、制御が困難になってしまう。
事実、毛利家から離脱し尼子に鞍替えする者や、独立する者が出始めていた。
多少の失敗や敗戦はあったとしても、それを糧として更なる力で挽回して来た元就であるが、こんな現実は、力と頭脳と計算で生き抜いて来た毛利元就には受け入れ難い。
厳島の失敗から3年。
元就は、人間五十年の時代に62歳の高齢者である。
すっかり年相応以上の衰えを肉体に表し、精神を病んでしまっていた。
「某は、父上が隠居なさる時は、同じく隠居し余生を適当に過ごそうと考えていました。跡継ぎの指名をされた時も、権力の移譲だけは固辞しました。やっていける自信が全くなかったのです」
隆元は『無才覚無器量』『優柔不断』と、己を『武将たる資格無し』と断じる自己分析が出来る人間である。
到底、乱世を渡りきる実力も野望も無い凡人であり、さっさと引っ込んだほうが世の為、毛利の為と考えていた。
余りにも優秀すぎた元就の息子故に、間近でその溢れる才能を見て来ただけに、力差は歴然だと自覚していた隆元であったが、その偉大な父の病み様にある決意が芽生えた。
「父上! 毛利家当主である隆元が命じる! 隠居し余生で養生せよ。毛利家はワシが導き生き残りを図る!」
「……任せる」
虚ろな目線と消え入りそうな声で、元就は呟いた。
「お任せあれ!」
史実では、偉大な父と、優秀だが癖が強く自分勝手な吉川元春、小早川隆景に振り回され、さらには不審死を遂げる事となる毛利隆元。
己に自信がなく、元就からの権力移譲を拒み、自ら最高権力者の座を辞退した毛利隆元。
しかし歴史が変化した今、偉大な父の衰えた衝撃的な姿を見て、いつまでも父に頼れぬと自覚が芽生えた毛利隆元。
毛利家最大の窮地を凌ぐ為に、立ち上がるのであった。
「厳島が順調だったらワシの出番は無かっただろうに。いや、むしろ出番なぞ無い事を望んでいたのに。人生上手くいかないものだな……」
まさか、その原因が信長の歴史改編だとは思わない。
信長の改変が三好に影響を与え、その三好と敵対する尼子は、より力を付けるべく厳島に介入した。
その結果、稀代の謀将は野望を人知れず挫かれ、史実に大した爪痕を残せなかった毛利隆元が立ち上がる事になった。
しかし『毛利家には挽回のチャンスがあるのか?』と言えば前途多難である。
隆元がやる気を出した所で、今までの不甲斐無い姿は知れ渡っている。
弟達も兄を差し置いて、己が継いだ家を優先する有様である。
そんな崖っぷちの毛利をどう立て直すのか?
本当に正真正銘前途多難の毛利家であった。
【元就私室】
「ククク……! このワシが……このワシが……!! 経久翁ならともかく、晴久如きに!! おのれ……おのれッ!!」
息子から隠居勧告を受けた元就。
自暴自棄になっているのか、譫言の様に呪いの言葉を吐き出していた。
しかし、先程と打って変わって、その目は爛々と輝いている。
臨終間際の様な老人にしか見えなかった姿は鳴りを潜め、中国地方の謀聖らしい危険な雰囲気を醸し出す。
「このワシが! このままで終わると思っているなら! 全員痛い目を見てもらうしか無いなぁ! 天下なぞワシの頭脳で掻っ攫ってくれよう!! 尼子? 三好? 取るに足らんわ!」
史実では『天下を競望せず』と中国地方の覇者として、眠れる獅子のまま終わる事を望んだ毛利元就。
戦の結果も精神も色々と狂った結果、信長の歴史改編の煽りを受けて苦境に陥った毛利家は、眠れる獅子が目を覚まし天下への挑戦者として名乗り上げるのであった。




