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外伝35話 佐々『憎悪』成政

「又左衛門!! 藤吉郎!! 何故だ! 何故裏切った!?」


「……これは内蔵助(佐々成政)様」


「……佐々の兄貴。裏切ったとは何の話ですかな?」


 激高した佐々成政の問いに、前田利家と藤吉郎は狼狽しながらも辛うじて言葉を返す。

 だが、そのネットリとして、すっとぼけた顔と答えに成政の顔は更に赤みを増した。


「何を騒いでおるか! ここは人地城に通じる道ぞ! みっともない真似をするでない!」


 そこに、たまたま通りかかった柴田勝家が、騒ぎを聞き付けて仲裁に入る。


「あ、これは柴田様! 申し訳……ッ!? 柴田様……! 貴方ともあろう方が……! 何たる事かッ!!」


 成政は怒りと悲しみに体が突き動かされ、猛然と駆け出した。



【尾張国/人地城 織田家】


 帰蝶が帰還し、侍女に強制連行された後である。

 凶報が飛び込んできた。


「殿! 大変でございます! 謀反! 謀反です!!」


「何じゃと!?」


 佐々成政が凶報と共に飛び込んできた。

 一つ問題が整うと何かが崩れる現実に、信長は眩暈がしそうになるが辛うじて持ちこたえた。

 裏切りでやり直している人生で『謀反』は最も聞きたくない言葉であるが、聞いてしまったからには対応しない訳にはいかない。

 信長は頬を両手で叩くと、成政の報告を聞く体勢に入った。


「誰が!? どこの軍勢か!」


「はっ! 敵は前田利家、藤吉郎、それに柴田勝家です!!」


「は……な……!?」


 信長は声を失った。

 報告した成政も、悔しいのか無念なのか大粒の涙を流している。


「馬鹿な! 何故じゃ! ……ん? 藤吉郎だと? 又左衞門(利家)、権六(勝家)はまだ分かるが、藤吉郎は領地も無ければ配下もおらんじゃろう? 親衛隊兵士を集めたのか? それとも蜂須賀の一党が助力して? いずれにしても大した兵力は藤吉郎に集められん! それに権六らの件も何かおかしい。奴は確かにココに滞在しているが、軍を率いて来ておらん。本当に裏切ったのか? 何かの間違いじゃないのか?」


 下剋上の世と言われる戦国時代とは言っても『軽い気持ちで下剋上が出来るか?』と問われれば『それは違う』と言える。

 実行する側は、それこそ一世一代の大博打に打って出る気概が必要で、当然、その博打に勝つ為に事前準備や根回しは、主君にバレない様に慎重にしつつ最大限の努力を怠ってはならないのである。

 しかし、そうなると下剋上される側は、家臣の不穏な根回しを察知しやすいので事前に手を打てるが、気付けないなら下剋上されても致し方ない。


 これの端的な例が『本能寺の変、明智光秀発作的突発犯行説』で、発作的犯行なので事前工作も雑で疎かで、それ故に信長も不穏な動きに気が付けず討ち取られた説である。

 ついでに『あの明智光秀が、そんな杜撰な計画を立てるのか?』という歴史的評価がさらに謎を深めている。


 今回の佐々成政の報告は信長の言う通り、色んな意味で信じ難い報告で、今の人生も最大限警戒は怠っていない。


 そのシステムこそ親衛隊の存在である。


 彼らは、武将の直属の部下と言うわけではないので、自然と間者の役目も果たしている。

 もし親衛隊を率いる武将が不穏な動きをしたら、即座に報告が入るが、成政が報告するまで全く動きは無かった。


 つまりそれはもう『ついカッとなって』というレベルでの、行き当たりバッタリとしか思えないが、あの3人が現時点で、そんな杜撰な謀反を起こすとは到底信じられない。

 しかし成政は断言した。


「間違いございません!」


「……間違いないのか」


 柴田勝家は伊勢北部の開発を任されて、今は所用で尾張に来ているが、お供はいても軍勢は率いていない。

 もちろん、尾張にも柴田家所縁の地や人はいるので、内密に計画して軍を整えている可能性はある。


「……もっと情勢が膠着しているとか、ワシの致命的失敗や隙を晒しているとか原因があれば理解できるが、別に今の所そんな事は無いハズじゃ」


 本能寺の様に、僅かな供回りしかいない人地城ではない。

 信長は改めて成政を見た。

 誤報としか思えない報告であるが、涙と鼻水でグチャグチャになった顔は真剣そのものだ。

 何か確定的な情報を掴んでいなければ出来ない、真に心に響く訴えかけである。


「裏切りも裏切りです! 某に対する背信行為です! 何で奴らに女ができて某にはだれも(なび)かないのかッ!!」


「……本当なのか。そうか。ワシは長政や光秀も予見できんかった。熟々(つくづく)ワシは人を見る目が無いな……。 クソッ! 誰ぞある! 成政に対する背信行為だ! 奴らに女が……おんな? 女と言ったか? お主に対する背信?」


「う゛お゛お゛お゛ん゛! 本当にございます! 女です! 某に内緒でデレデレと! 許せません!」


「……」


 右足の指が地面を掴む―――

 左足が地面を踏みしめる―――

 腰を背骨を肩を肘を手首を回す―――

 右拳を軽く握り―――

 ニッコリ微笑んで―――


 信長は成政をブン殴った。

 成政は宙を舞った。


「へぺぇッ!?」



【人地城/信長私室】


「悪かった。大丈夫か?」


ふぁひ(はい)……」


 信長の私室では、成政が水で濡らしたサラシで頬を冷やしていた。


「お主が動転していたのは分かった。悔しいのもまぁ分かる。お主の報告を全部聞かなかったのはスマンかった。……しかし謀反は無いじゃろうて。道理で何のキナ臭さも感じんかった訳じゃ!」


 信長はブン殴った事を謝罪した。

 しょうもない成政の報告の中に、聞き捨てならない驚愕の事実があったからだ。

 事件(?)のあらましはこうだ。


 藤吉郎は順調に功績を挙げ出世しており、木下家に婿養子として迎えられる事になった。

 その上で森寧々(ねね)と結ばれ、木下藤吉郎秀吉と名乗る予定である。

 前田利家は前田利昌の養女まつを娶る事になっている。

 なお、『木下寧々』ではなく、『森寧々』の理由は後の話である。


 結婚時期が近い2組は、共に人地城下を妻に案内する為にダブルデートしており、運悪く最近縁談が破談となった佐々成政と出くわしたのであった。


 信長も、そこまでの報告を聞いて成政をブン殴った。

 成政の報告方法が最悪だったので仕方ない部分があるが、その後の情報にはとんでもないモノが含まれていた。


「もう一度詳細を話せ」


ふぁひ(はい)ほうひひほう(藤吉郎)()はははえほん(又左衛門)ひはははは(柴田様)()―――」


 成政は腫らした顔を歪め、涙を流しながら語り始めた―――


『何を騒いでおるか! ここは人地城に通じる大通りぞ。みっともない真似をするでない!』


 そこに、たまたま通りかかった柴田勝家が、騒ぎを聞き付けて仲裁に入る。


『あ、これは柴田様! 申し訳……ッ!?』


 勝家の獰猛な一喝に、藤吉郎、利家は縮み上がる。

 彼ら2人は因縁つけられた被害者だが、寧々やまつは完全にトバッチリであった。


『おっと、女子衆がおったのか。突然申し訳ない。許されよ』


 勝家は幼い2人の女に気が付くと、直ぐに態度を一変させた。

 勝家は武士たる者、民や幼子、女子は守るべき者と強く思っているので、親子ほど年の離れた女子を怖がらせてしまうのは、本意ではない。

 自分が屈強の髭ダルマと自覚している勝家は、織田家の重鎮でありながら女子に深々と頭を下げる。

 余談だが、勝家は子供に大人気である。

 地獄の閻魔の様でありながら、気さくで柔和な人柄が人気の秘訣だ。


『い、いえ、某らも申し訳ありませぬ』


『もっと注意を払うべきでした』


 藤吉郎と利家は素直に謝罪した。

 もちろん、騒ぎを起こした事を謝罪したのではない。

 最近縁談が無くなった成政に、見つかるリスクを考慮してなかった、己の不覚を恥じたのである。


『も、申し訳……ッ!?』


 成政も渋々謝罪して違和感に気が付いた。

 一方、勝家もこの騒ぎの原因を察してしまった。


『……あっ!? そ、そう言う事か。う、うむ』


 こうなると勝家は困った。

 別に何も間違っては居ないし、極めて正しい判断をしているのだが、正しい判断が正解とは限らない。

 しかも今の勝家は、顔に似合わず史実以上に思慮深い。

 だからこそ思慮深い分、逆に傷口を広げてしまった。


『あ~……。内蔵助。気持ちは分かるが、切れた縁に縋って仕方あるまい。な?』


『柴田様……ッ!?』


 成政は勝家の取り成しが、全く耳に入らなかった。

 違和感が疑問に変わる。

 疑問が確信に変わる。

 確信すれば怒りが湧く。

 一度引っ込めた怒りが、殺気となってあふれ出した。


 何故なら、彼らの下らない揉め事の仲裁に入った柴田勝家の背後に、勝家の袖を掴み怯える少女の姿があった。


『柴田様、市は怖いのであります』


 なんと信長の妹である於市が、柴田勝家に懐いていたのである。

 勝家は主君の妹に手を出す程に愚かではないし、於市に対し主家の関係者を守る以上の感情は無い。

 今日は尾張に帰還して久々に於市の武芸を指導しており、その帰り道だっただけである。

 しかし見る人が見ればわかる。

 特に嫉妬に狂った成政の眼には、柴田勝家に惚れている於市の眼差しが。


『―――柴田様! 貴方ともあろう方が何たる事かッ!!』


 人地城に走り去る成政に、あっけにとられる6人。


『佐々の兄貴……!!』


『佐々様にも何か良い縁は在りませぬか、柴田様』


『無くも無いが、アイツもちょっと性格に難があるというか……』


『市、あの方は苦手です』


 ―――これが、信長が殴ったお陰で聞けなかった、残りの報告の部分である。


「ふーむ。市と勝家か」


「これは意外な組み合わせですね」


 汚物同然の恰好から、身を整えた帰蝶が入室してきた。

 謎の眼帯に信行から贈られた華やかな拳法着が、強烈な場違い感を醸し出している。

 そんな2人であるが、余りにも()()()()()()()()()組み合わせに心底驚いた。

 一方、成政の報告に、信長達以上に驚く者がいた。


《柴田勝家さんと於市さん!?》


 信長達死後の歴史を知るファラージャにとっては、意外でも何でもないが、歴史の妙と言うべき謎の整合性に驚いた。

 史実にて、於市は浅井長政に嫁いだ後、本能寺の変後に柴田勝家と再婚するが、今の世界では、先に柴田勝家とのフラグが立ってしまっていた。


《ファラちゃん?》


《あ、いえ、すみません。なんでもありません》


《(嘘が下手ねえ)前世では浅井殿に嫁ぎましたね》


《うーむ。しかし於濃。この世でも長政に嫁がせたいか? 奴らの子に会いたいか? ワシの妻達は歴史通りだが、それ以外では相当に狂っておる現状で。朝倉義景も斎藤義龍も前々世と違う妻を得ておる》


 信長と帰蝶が歴史を動かした結果、朝倉義景は織田一族の姫を、斎藤義龍は千寿菊姫(京極マリア)を娶っている。

 義龍と千寿菊姫に至っては、帰蝶の進言がきっかけですらある。(108-2話参照)

 いずれも、前々世には存在しない子供が生まれているが、それ以外にも信長達の知らない所で、様々な新夫婦が誕生しているだろう。


 もう『史実通りに進むのは不可能だと』信長は言ったのである。

 帰蝶も口には出さないが、それは薄々感じていた。


《現状浅井家には何の利用価値も無い今、市を長政に嫁がせるのは無駄以外何物でもない》


 前々世では、京に至る南近江を支配している浅井長政だったからこそ、味方に引き入れる意義があった。

 だが、現在の近江は、凡そ東側の北を斎藤家が、東側の南を織田家が占有し、浅井家は織田家にとって障害になり得ない位置に追いやられた。

 しかも京への道を確保する行為は現在優先順位が低く、その道を阻むのは自滅の道を辿っている六角家である。


 それ故に、長政を味方に引き入れる理由が、全く無くなった。


 以前は誘拐してまで長政に織田家の教育を施した。(71話参照)

 その一点のみの細い可能性で、何らかの歴史改変を期待して、かつ、無駄を承知で嫁がせるか?

 一応、自分の元を去っていった前々世を変えるのを目標にしても良いし、転生の利点を活かし、長政の才能を考慮して婚姻するのも手である。

 だが、才能を考慮するからには、信長と敵対する長政の思想も考慮しなくてはならない。


 それならば、織田家の重鎮である柴田勝家とより強固に結ぶのも悪くない選択肢であるし、障害は無いに等しい。


《……分かりました。私は口出しを控えます。しかし、かつての殿の妻達を諦めた訳じゃありません。ただ情勢は考えます》


《うむ。長政に関しては慎重な見極めが必要だ。情勢と将来の可能性を考慮して慎重に当たる》


《あー……。そ、そうですねー。情勢は考えるべきですねー……(わ、私はどうすれば……)》


 一方、ファラージャは言葉に窮した。

 信長と帰蝶が知る由もないが、長政と於市の子である茶々、初、江は歴史を強烈に動かす存在である。

 信長と帰蝶にとっては想像する事すら不可能の事態であるが、茶々は次の覇者である豊臣家に嫁ぎ、乱世の終焉に立ち会う人物である。

 初は京極家に嫁ぎ復興尽力を果たし比較的平和に過ごすが、三姉妹一の落城経験者として影がついて回る。

 江は次々代の覇者である徳川家に入り、将軍家の妻として辣腕を振るい現代の天皇家にまでその血筋を残した。


 もし信長が本能寺で倒れていなかったら、信長を裏切った家の娘として、そこまで日の当たる人生にはならなかったかもしれないが、今は情勢に関係なく存在すら無くても、歴史的には超重要人物である。

 その3人が、産まれない可能性が引き起こす未来は、想像ができなかった。


《(ま、まぁ、本能寺が起きなければあの3人は織田家の養女として生きたはずよね? ……多分)》


《しかし勝家と市か。勝家が望むなら別に与えて良いと思うがな。奴は確か正室と死別してそのままじゃったな》


《お、親子程離れた年齢差ですけど良いんですか?》


 ファラージャは申し訳程度の抵抗と言うべきか、一応の確認を取った。


《良いも何も、そんなの珍しくも何ともないわ》


 柴田勝家35歳、於市11歳。

 11歳で嫁ぐのも、24歳の歳の差も戦国時代には掃いて捨てる程に例がある。


「ふー。……内蔵助。お主、市を欲するか?」


へ、へっほうほはい(め、滅相もない)


 信長は一応の確認を取った。

 成政の珍行動の動機が於市を欲するが故の、まだ理解が及ぶ行動である事を願って。

 しかし、その願いはアッサリと否定された。


《別に市に好意を寄せておる訳じゃないのか》


《じゃあ、於市殿どうこうではなく、自分以外の男が幸せそうなのが憎い故の行動ですかね?》


《そうなるな……。この出来事の理由として細やかな希望すら奪われたか……》


 そんな信長の絶望を知らない成政は、うまく回らない口で提案をした。


ほほ(殿)! ほへはひひ(某に)へいはふほ(偵察を)へいひへふははい(命じてください)!」


「……偵察? 何の為に?」


 確信に満ちた嫌な予感しかしない申し出に、信長はコメカミを揉みほぐしながら理由を聞いた。


へんはふふはっほ(天下布武法度)ひはんほ(違反の)はいへいほうはへふ(内偵調査です)!」


「内蔵助、お主……! 内蔵助お主!」


 天下布武法度では、他国との関係が生じる場合は禁じられるが、年齢や身分差では禁じていない。

 ただ、未成熟の女子を妊娠させ、出産の際に死なせる事を禁じているだけである。

 従って、成政の主張はイチャモン以外の何物でもない。

 信長は成政が不憫すぎて頭が痛くなる思いであったが、帰蝶は違う反応を示した。


「良いわね。じゃあ内蔵助君いきましょうか!」


「お、おい!?」


「まぁまぁ殿。私も確認したい事がありますし、気分転換にも現状確認の為にも見ておくのは良いと思いますよ?」


「……!!」


 帰蝶は満面の笑みで提案し、信長は悩んだ。

 この提案を許可すると、眼帯にド派手な拳法着の怪しい女と、嫉妬に狂った情けない男の2人組が、無実の勝家を付け回す、考えるだけで吐き気がする光景が出来上がってしまう。


「ま……任せる」


 信長は考えるのを辞めた。


「よし! じゃあ内蔵助君いくわよ!」


はひ(はい)!!」


 帰蝶はイソイソと成政を伴って部屋を出た。

 残された信長は懊悩した。


《ワシは今、取り返しのつかない許可を出したかもしれん……》


《だ、大丈夫ですよ……》


 信長は考えるのを辞めた事を少し後悔したが、本当に少しだけであった。



【人地城/城下町】


 そこには、成政をスッカリ忘れたかの如く、城下を散策する勝家ら一行の姿があった。

 勝家は先ほどの詫びも兼ねて、自らが率先して案内しており、藤吉郎や利家からは『流石は柴田様』、寧々やまつからは『見た目に反して大人な方』、於市からは『素敵な柴田様』と称えられ、華やかで和やかな雰囲気で各々楽しんでいた。


 ―――その50m程の後方から憎悪の情念を燃やす成政と、何か考えがあって付いてきた帰蝶がいた。

 2人はそれぞれ戸板で身を隠し、冗談みたいな尾行をしていた。

 なお、成政は背負った方天戟が、戸板からハミ出しているのに気が付いていない。


 ミシャリと音がする。

 板陰に隠れている成政が、憎悪のあまり身を隠す為に掴んでいる板を握りつぶした。


「人間の可能性って凄いわね……」


 その驚愕の光景に帰蝶は思わず感嘆の声を挙げた。


「何が()す? それより、アレを()覧く()さい! 明らかに法度違反で()!!」


 顔の腫れにも慣れてきた成政が、憤慨しながら訴える。


「(私の知ってる法度じゃ無いわね……)そうね。取り締まりに行きましょうか」


 板に身を隠した超絶怪しい2人組は、町人の視線を全身に浴びながらも駆け足で勝家ら一行の前方に回り込んだ!


「一同、控えよ! 法度(あらた)()ある!」


   (「あ、検めである」)


 2人は、発する言葉と共に戸板を空に放り投げ、勇ましく表れた。

 バタンバタンと戸板が地面に叩きつけられる。

 帰蝶は若干顔を赤らめ、恥を感じているのか声が小さい。


「佐々様!? ……そちらの奇天烈な御婦人は!? いやぁ御目出度いですな!」


 藤吉郎は、成政にも女が出来た事に安堵し、持ち前のお調子者精神で持ち上げたが、当然勘違いである。

 藤吉郎は、普段から帰蝶と接する事がないので気が付かなかったが、勝家と利家は度肝を抜かれた後に気が付いた。


「濃姫様!?」


「お戻りになられていたのですか!?」


 勝家と利家の反応に、藤吉郎と於市は驚き戸惑った。


「え!? 濃姫様!?」


「お義姉様!?」


 これが、一度でも帰蝶を見た事がある人間の反応であったが、不幸にも寧々とまつはコレが初対面であった。


「この方が……濃姫様ッ!?」


 傾奇者にも程がある、帰蝶の格好に開いた口が塞がらない。

 しかし帰蝶は違った。

 寧々とまつは、前世で少ないながらも交流のあった2人である。

 於市の婚姻問題は、歴史が変わって実現しない可能性があるが、寧々とまつは歴史通りで一安心であった。


「濃姫様、無事のご帰還は何よりですが、法度検めとは一体……?」


 状況が理解できない女衆は、男の袖にしがみ付く。

 それは於市も変わらない。

 藤吉郎に寧々が、利家にまつがしがみ付くのは仕方ないにしても、あんな髭ダルマに於市が頼るのは我慢ならない。


(オレの方が、男前でしょうに!?)


 成政はそれが余計に許せない。


「柴田様! その有様で何を惚け……フゴッ!?」


「あー御免なさいね。内蔵助君はちょっとね? ね!? それよりも柴田様、私と手合わせを願います」


 帰蝶が成政の口を塞ぐ。

 帰蝶はコレを言う為に、最短で柴田勝家に辿り着くために、今、人地城にいる人間で最強の柴田勝家に会う為に、成政の嫉妬心と男心を利用したのだ。

 全ては山修行の成果を確かめる為に。

 法度違反など、クソ程どうでもいい。


「手合わせ? それは構いませぬが……(普通隻眼になると距離感が狂ってしまうが、今の動き! 全く淀みなく両眼健在時と変わらぬ様に見えたが? 偶然か?)」


 勝家は、困惑が溢れて止まらない。

 手足肉体は万全かもしれないが、片目の帰蝶と手合わせして大丈夫なのかと。

 片目を失って弱くなる事はあっても、現状維持は当然、強くなるのはあり得ない。

 帰蝶程の武があるなら、それは本人も良く解っているハズなのだが、その言動や雰囲気、成政の動きを封じる体捌きから、そんな弱体化は全く感じられない。


「……良いでしょう」


 勝家が了承した所で、押さえつけられている成政がとうとうブチ切れた。


「フガーッ!! 濃姫様! 柴田様の前に某と手合わせ願います! その裏切り許せませぬ!」


「えっ。今? 裏切ったのは悪いけど、正直、内蔵助君じゃあ……」


 唐突な成政の申し出に帰蝶は戸惑った。

 言外に『力不足じゃない?』と言いたげな表情が、誰にでもわかる態度である。


「ヌガー!! 今ここで! 勝負を申し込むぅッ!! 遠からん者は音に聞けぃ! 近くば寄って目にも見よ! 我こそは織田にその人ありと言われた佐々内蔵助成政にして、三国最強呂奉先の生まれ変わり! この時代と歴史に名を刻む者也!!」


 成政は時代遅れも甚だしい源平武者の如き名乗りを上げ、勝手に呂布の生まれ変わりとなり、背負った方天戟を勢いよく振り回すと、その膂力をもってしてビタリと止めた。

 余りにもコケにされた己の尊厳を守るべく、また、民衆と見る目の無い女共にカッコよさをアピールするべく帰蝶に戦いを挑んだ。


 人地城下では帰蝶の強さは知れ渡っている。

 その帰蝶を圧倒できるのは、実力者以外の何者でもない。

 ただし、カッコいいかどうかは別問題である。

 内面はともかく、外面は片目を失明している手負いの女を打ち倒そうとしている成人男性の図なので、勝っても当然、負ければ果てしなくカッコ悪い。


「……不足は無さそうね。無礼は詫びるわ」


 一方帰蝶も認識を改めた。

 嫉妬と怒りの力が合わさっているとは言え、自分には重くて到底扱えない方天戟を見事に使いこなしている成政の力は、己の力量を試す価値ありと認めた。


「内蔵助君は方天戟ね。私はこの流星錘を使うわ。鉄の錘だと命を奪う可能性があるから革袋に砂を詰めた代用品だけど。形式は訓練通り。良いわね?」


 ブチ切れている成政であるが、方天戟の刃には当然殺傷力を封じる為の保護具が被せられている。


「柴田殿、判定をお願いします」


「わ、わかりました」


 凄まじくしょうも無い、これ以上下らない理由は無い立ち合いであるが、渦巻く殺気と迫力は戦場さながらである。


「私も修業したけど、内蔵助君も、その方天戟を使いこなす鍛錬をしたのね」


「当然です! さぁいざ尋常に勝負!」


 言うや否や成政は、大上段から方天戟を右袈裟気味に振り下ろす。

 重量と遠心力の成せる技なのであろうか、地面が抉れる破壊力を見せた。

 成政は初撃を外したがそこは織り込み済みだったのだろう。

 帰蝶が成政から見て右に飛び退いた隙も見逃さなかった。

 地面に叩きつけた反動を利用し、眼帯に覆われた視覚の死角を利用し、顔面目掛けて方天戟を振った。


 正に、昨年の武田信繁との戦いの再現であった。

 成政もその状況を知ってか知らずか、敵の隻眼のハンデを容赦なく利用する、真の武士の姿を見せて切りかかる。


 しかし、方天戟が宙に弾かれ、成政は倒れた。


 帰蝶は、流星錘の紐で方天戟を受けると同時にバウンドさせ、衝撃を頭上に逃がすと、高速回転させた砂袋を成政の顔面にぶつけ、その衝撃で成政は膝から崩れ落ちた。

 電光石火の早業に、民衆や利家達は訳がわからない。

 唯一勝家だけが攻防を眼で追う事が出来たが、一本とれた理由はともかく、昏倒させた理由がわからない。


 ブラックジャック、サップ、スラッパーと呼称される武器がある。


 これらの武器は丈夫な袋に、砂や金属、石を詰めて振り回す打撃武器で、お手軽ながら破壊力抜群で、しかも打撃音も小さく流血もし難いが、最大の特徴はとにかく『効く武器』という事である。

 攻撃箇所が頭なら脳を、体なら内臓損傷や骨折など、外傷は目立たず内部を破壊する暗殺武器として重宝される。

 現代でも靴下に入れて振り回したり、例えば買い物袋に缶ジュースが入っていれば立派な凶器になりうるのに、流星錘の様な超ロングレンジの先端を革の砂袋に変更したら、安全性皆無の殺人武具の出来上がりである。


 より固く、より鋭く、より丈夫に、より頑強に。

 そう作るのが武器の常識でありながら、鞭のしなやかさに、布の柔軟さ、綿より脆い砂粒が、鈍器の破壊力を秘める。

 従来の武器の概念に矛盾する武器が、完全に偶然であるが帰蝶の手によって、明から導入された武器から恐怖の打撃武器を作り出したのであった。


 成政は完全にKOされたが、至近距離だったので単なる失神で済んだ。

 相応の距離で食らったなら、良くて一生の後遺症が残っただろう。

 なお本来の流星錘は先端が金属の重りだが、実は帰蝶は山籠り中の工夫で、先端を圏に変更していた。

 ロングレンジの視界外から、超高速で連続で斬りかかる重量と切れ味を成立させた武器として工夫を凝らした姿が本来の戦法のつもりだった。

 だが、勝家も帰蝶すらも、安全性を考慮したはずの砂袋がココまで破壊力を持つ原理が理解できなかったので、妖術の類なのかと恐れ慄いた。


「あ、あれ? 内蔵助君!?」


「しょ、勝負あり! 内蔵助!?」


 内蔵助は気絶しながら夢を見た。


『内蔵助様スゴ~い!』


『私を妻にして~!』


『いやいや、某の娘を貰ってください!』


 倒れた表情が幸福に満ちているのが、せめてもの救いであった。



【人地城】


「これが内蔵助を一撃で倒した武器か」


「はい。本来は圏と繋げて使う予定でしたが、砂袋が思わぬ破壊力を見せまして……」


 信長は帰蝶から流星錘を受け取ると、試しに庭木に流星錘を振るうと、力加減から予想する以上の鈍い音が響いた。


「なるほど。別に砂粒をぶつけられても痛くも痒くもないが、塊と成るならば凶器となるか。ワシも同行すれば良かったわ。ふーむ……?」


「殿、内蔵助殿が参られました」


 信長は、何か考えていたが小姓の呼び声に思考を中断した。


「内蔵助。此度の騒ぎの罰として蟄居10日を命じる。まぁ罰の体裁を取るが、その顔では不自由も多かろう。休んでおれ」


ぶぁび(はい)……」


 信長に殴られた左頬と、流星錘が直撃した右頬のお陰で成政の顔は見るも無残なモノとなっていた。

 信長の沙汰を聞き入れた成政は、大きな体を可能な限り小さくして去っていった。


《村井貞勝の娘が縁談を探しておるが、史実通り内蔵助に嫁がせるか》


 この縁は史実通りであるが、史実と違うのは、貞勝と家族は現在は堺担当として尾張に居ない事である。


《これは本心から歴史の修正力を期待したい。歴史を変える事をしている分際で二枚舌なのは重々承知しているがな》


 こんなバカな出来事はもうコリゴリである。


《で、次に於市と勝家の件じゃが、市が15となった時、その時の時勢で最適な人間を選定しよう。その上で長政に可能性があるなら候補に入れる》


 現状、何のメリットもない嫁ぎ先である長政だが、3年後はどうなるか分からない。

 明日にでも何か動くかもしれないのが世界の情勢である。


《於市殿の希望は聞くのですか?》


《それも考慮する》


 信長としても不幸な婚姻は望まない。

 女に選択の自由が無い時代とは言え、前々世とは別次元の世界だとは言え、夫を死なせる可能性のある嫁ぎ先を選ぶのは躊躇がある。

 こうして成政の憎悪が引き起こした珍事件は終焉した。



【於市 私室】


「はぁ……柴田様……!! 強く逞しく公平で的確で女にも配慮ができる素晴らしいお方! 市がお傍にいくまで再婚は許しません!!」


 勝家と於市のフラグを把握した信長であるが、妹の性格に妙な歴史改変が起こっているのを信長はまだ知らないのであった。

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