131話 発展の力
【尾張国/人地城 織田家】
「―――という訳じゃ。予測としては種籾の詰まり方で軽重が決まり、水によって選別が可能となる。沈む種籾は力強く成長する。これは数年間の実験で確実に成果は出しておるから信頼できる方法じゃ。駿河殿にこの情報を伝え、三河、駿河、遠江の発展を命じる」
「ハッ」
織田信長は今川氏真に命令を下した。
これはバランスを取る為である。
嘗て織田家からの逐電により、武田側には様々な情報が漏れてしまっていた。(外伝24話、107話参照)
その中でも種籾の水選別は、国の状況を一変させる可能性のある情報である。
武田に情報が渡り4年目を迎えて、そろそろ水選別の威力に気付いてもおかしく無い。
そうなると、東側は徐々に武田の圧力が増し、その結果、武田、北条、今川の三国同盟のバランスが崩れる恐れも生まれる。
バランスの崩れてしまった同盟など、何の保証もない。
強大になった勢力に、自制心があるのならいい。
史実の織田家と徳川家の様に、地力に圧倒的差がついても信長の強い意志で同盟は保たれた。
しかし今、懸念している相手は強欲な武田晴信。
史実でも武田家は、今川義元討死により力を失った今川家に侵攻している。
容赦の無い行動で同盟の破棄は、対外的な見栄えも良くないが決して『悪』ではない。
悪があるとすれば、力を失った今川家が悪いのであって、だからこそ戦国時代なのである。
信長は、史実を知るアドバンテージにて、晴信の強欲を知っている。
そこで、種籾の水選別技術の漏洩である。
信長は前々世の知識から早期に対策を打つべく、また、三国同盟のバランスを取るべく種籾水選別の知識を今川に漏らした。
氏真に漏らせば、そこから妻の涼春(早川殿)にも漏れ、北条家にも伝わるだろう。
これで東のバランス保たれる。
義元健在で晴信が同盟を破棄する可能性は低いだろうが、懸念は早めに摘み取っておくに限ると信長は判断したのであった。
「後これらは明の土産じゃ。正直、扱い方に困る物ばかりじゃからな。研究するなら止はせぬが、飾っても良し、鋳溶かして鉄の原料にするも良し、何かに工夫するも良し。その辺りは任せる」
信長は圏、節根、方天戟、錘、流星錘、袖搦を氏真の前に並べた。
武器である事は一目見れば理解できるが、使い方が理解不能な武器も一部あり、氏真は困った様な、しかし玩具を与えられた子供の様に顔を輝かす。
「……ちなみに、濃姫様はこれ等の武具を扱いになられているのですか?」
氏真はソワソワしながら訪ねた。
先程までの政治の話から、打って変わった態度であった。
帰蝶の容態を気にしていると共に、美しい顔を傷つけられた心配と、あの帰蝶がその程度で脱落するハズが無いと言い聞かせている様でもあり、心が乱れていた。
「まぁ、色々試行錯誤している様じゃ。失った眼の代わりにする為にな。もう戦は引退して政務に専念しても良いじゃろうに困った奴じゃ」
帰蝶の眼の傷は塞がり体調不良も回復した。
しかし、視界の凡そ3分の1を失った代償は余りにも大きい。
例えとして適切か分からないが、最初から貧乏なら貧困も慣れ親しんだ日常の一部だが、富豪が貧困に陥れば不自由極まりない生活に絶望するだろう。
生活のレベルを落とすのは、それ程までに難しい。
ましてや帰蝶は、健常体からの一部機能の欠如である。
前世では病気による全体的な不自由はあったが、ここまで明確に何かを失う事も無かった。
隻眼なので、全盲程には生活に支障は来す事は少ないだろうが、いざと言う時の生死の境目になるのは間違いない。
その将来の危機的状況に備えるべく、帰蝶は足掻いていた。
「何を仰いますか!!」
突如、氏真が吼えた。
父の義元を感じさせる覇気を氏真は醸し出す。
「おぉ!?」
信長は驚き戸惑った。
「あの方は戦ってこそ美しく輝くのです! 万全に回復した折には某は一戦所望し、打ちのめされるのです!!」
「そ、そうか……ん? 今、自分が打ちのめされる、とか言ったか?」
「言ってません」
「そ、そうか……?」
妙な言動をした氏真は駿河へ帰還し、水選別の技術を伝えると共に、領内で一斉に新手法の稲作を開始した。
本来なら、未知の技術導入を試験も無しに広めるのは自殺行為であるが、そこは対外的にはともかく真実は織田の配下である今川家。
信長の意向に異を唱える事は許されないが、だからと言って別に命令に面従腹背でも唯々諾々でもない。
この破天荒な主君を信じ信頼している。
方針が世の中の為になると理解している。
ならば嫌々従う事もないので即座に実践を開始した。
試す期間がゼロなので、今川領の今年の年貢は期待できそうであった。
【近江国北/今龍城 斎藤家】
「―――故に、飛騨と飛騨に繋がる各地の一向一揆には選択を迫ります。信仰と共にに死ぬか、我等の庇護の下で生きるか。その選択肢を迫る為に義兄上にお願いしたいのは優遇措置です。兵役は無し、労役は賃金を弾み、年貢は軽減。親衛隊の仕組みを大々的に活用するのですが、種籾の水選別で軽減した年貢の減少も幾らか回収できますし、民が保管しきれぬ備蓄は買い取っても良いのです」
「命も食も金も保証するか。この乱世に至れり尽くせりじゃのう」
「そうです。その至れり尽くせりこそが、この策の肝なのです」
「そうじゃったな。義弟の所では、敵の目の前で盆踊りに相撲に明け暮れたのじゃったな」
信長は同盟者の斎藤家に対して協力を要請した。
昨年末の戦にて、斎藤家は一向一揆の最前線の地と接する事になってしまった。
本来の計画では、飛騨は対武田の要衝として機能させ、武田を永遠に東の地へ封じ込める場所として活用するハズだった。
元々、山々に囲まれ平地も耕作地も他国に比べ少なく、冬は大雪に閉ざされ外界とは隔絶しがちな地である。
だからと言って無価値ではなく、生産拠点としてではなく軍事拠点ならば極めて優秀な地であった。
信長はそうなる事を期待し戦いに臨んだ結果、飛騨は織田でも武田でもなく、一向一揆の地となった。
長尾輝虎の渾身の策が、信長の策を上回った結果であるが、これは予想外にも程があった。
だが、悔しがっている暇はない。
相手が一向一揆なら、一刻たりとも無駄にはできない。
それ故の要請であった。
「日々生きるのに必死な民が、更に信仰という枷で制限を掛けられているのに、こちらは享楽三昧です。信仰心の薄い者、一揆に参加せざるを得なかった者、一揆内で不当に扱われている者を大量離脱させるのが狙いです」
長島でも行った策である。
隣の芝生は青いを地でいく、人道的で陰険老獪な策である。
「……その結果、長島では結局何人死んだ?」
「万には届かぬ数千人です。しかし一揆の半数は離脱させました」
「数千の死者が多いか少ないか議論の余地があろうが……」
「少ないでしょう。史実……いえ、何の対策もしなければ数万人殺す可能性があったのですから」
「そ、そうなのか……?」
史実の一説では、5万人にも届くと言われる戦死者を出した、長島一向一揆である。
それに比べれば、5分の1以下の1万にも届かぬ数は、大健闘といっても過言では無いが、そこは別次元の歴史であり信長しか確認できない成果である。
もしもこうだったら―――
そう考える事は出来ても実際に、しかも正確に比較する事は往々にしてできない。
もしもこうだったら―――
そんな世界は誰も知らないので、その成果の真の凄さは理解できない。
そんな訳で、義龍には長島の成果の凄さが、イマイチ理解できなかった。
だが、正面衝突して損害を出すのは、先の戦の結果からしても避けたい点である。
しかも本来なら、庇護をして守るべき民である。
民一人が死ぬ損失は、後の統治を考えれば可能な限り避けねばならない。
「分かった。その策に乗ろう」
「ありがとうございます。美濃と北近江、若狭の発展……これは言うまでも無いですが、飛騨の監視と朝倉との連携援護も重要です。ワシはこの後、越前に行って話を通してまいります」
「義弟自らか。そこまで力を入れる必要がある策なのじゃな。そんな時に帰蝶が動けぬとはなぁ」
義龍は、信長から贈られた明の武具を手に取りながら呟いた。
「まぁ、色々試行錯誤している様です。失った眼に匹敵する何かを得る為に。もう戦は引退して政務に専念しても良いじゃろうに困った奴です。義兄上からも言ってやってくれませぬか?」
「言ってやりたい所じゃがな。父が好きに生きよと遺言を残したらしいしな。あいつは活動してこそ輝く場所があろうて。いつかは前線から引退するだろうが、まだ早いわ」
「ッ!!」
嘗て、信長と帰蝶の婚姻を完全武装で邪魔した男の発言とは思えず、信長は驚き戸惑った。(9話参照)
「あの蝮の斎藤道三の娘にしてワシの妹じゃ。たかが片目。あの程度で諦めるハズがあるか」
「そうですか……」
「それにこのまま引っ込んでいられるか……!」
義龍が手にしていた圏が握力で歪んだ。
先代道三に匹敵する覇気が義龍の身を包む。
「必ず飛騨を取り返し、武田と今一度切り結んで、誰の妹に手を掛けたのか思い知らせてやる……!!」
「そ、そうですか……」
斎藤義龍治める美濃、北近江、若狭では、尾張と今まで以上に連携をして発展に取り組む事になった。
元々濃尾平野で繋がった美濃の地は当然ながら、近江の主要地である今龍(旧:今浜 史実:長浜)と、外海に通じる若狭は明と直接交易もできる。
武力による統治の及ぶ地と、一揆による自由を手にした地。
どちらが正しく発展するのか、義龍の腕の見せ所であった。
【越前国/一乗谷城 朝倉家】
「―――と言う訳で、朝倉殿には決断をして貰わなくてはなりません。静観か鎮圧か。むろん、鎮圧に際しては織田も全力で援護します。その要請と、先程の種籾水選別が協力の見返りです」
「なるほど。織田殿本人が態々越前まで来る誠意を蔑ろにはできん。まぁ安心してくれて良いぞ? 静観はありえぬ。鎮圧する。爺がやり残した仕事を完遂してこそ、この朝倉延景(義景)が越前に有る事を近隣諸国に知らしめよう」
朝倉家と織田家、斎藤家は同盟関係にある。
とくに延景には、信長の縁者が嫁いでおり婚姻同盟関係でもある。
また朝倉家に従属している浅井家の千寿菊姫(史実名:京極マリア)が、義龍に嫁いでいる。
この織田、斎藤、朝倉の3家が結んで現在の日ノ本を分断している。
だが、朝倉は織田と斎藤との関係程に強固な関係でもなく、三好と将軍の争いには中立を選んでいる上に、従属している浅井は将軍派でもあるので、一枚岩の関係とは言い難い。
同盟ではあるがお互いには不干渉、不可侵が基本方針である。
朝倉が飛騨の戦いに参加したのは、共通の敵である武田の侵入を阻止する為であり、利害が一致しなければ話し合う間柄でもない。
そもそも史実での朝倉家と織田家は、少々遡ると共に斯波家に仕えた間柄であり、行き違いもあって喧嘩別れの様な状態になった。
その後、越前の守護代として力を付け、斯波氏を追い落とし戦国大名化したのが朝倉家だ。
偉大な先人達の力によって越前は発展し、朝倉宗滴という傑出した人材が朝倉家を力強く牽引した。
しかしその宗滴も死に、若き延景が独り立ちした時、家中を統制するのに苦労をしただろう。
偉大な後ろ盾である宗滴が消え、比較され侮られる事も多かっただろう。
そんな時、丁度歴史的に敵対している家が尾張にいて、しかも小賢しい動きをしている。
外に敵を作って国を纏めるのは、今も昔も良くある手段。
史実にて朝倉義景が信長に敵意剥き出しで反抗したのは、この様な経緯があったのではなかろうか。
しかし―――
史実では宗滴死後、朝倉と織田は完全敵対する歴史を辿るも、この歴史では宗滴が積極的に織田と関わったので、過去の確執は済んだ事として蒸し返さず今に至る。
「発展が戦を決めるか。成程な。戦と政治は表裏一体。爺も口酸っぱく言っておったわ」
朝倉宗滴は、過去の因縁など屁とも感じぬ人物である。
勝つ事を最優先に考えれば、過去の遺恨など利用価値の有無程度の認識である。
その認識を以てして遺恨に価値無しと判断した宗滴は、過去の関係は忘れ、延景もその意思を継いだ。
「ただし、その協力の負担に見合う見返りが有るかどうか次第。若狭を譲った以上、我らは東にしか活路を見出す事が出来ぬ。織田殿に言われずとも一向一揆とは相容れぬしな。……だが、歩調を合わせるかは織田殿の心次第じゃな」
「……? というと?」
たった今、種籾の水選別技術を見返りを先渡ししたのに、延景はおかしな事を言い出した。
「種籾水選別は先の飛騨、信濃の戦いと朝倉宗滴への慰霊として確かに受け取った」
「ッ!? なるほど……! 足りぬと仰るのですな?」
そこは戦国大名たる朝倉家である。
損得計算は当然するし、可能な限り損を減らし得を毟り取る。
延景は水選別を先の戦の礼として受け取り、改めて今回の協力に対する見返りを求めた。
《こ奴!! ぬけぬけと言いよる! しかも的確にこちらの弱みを突きよる!》
《あの、朝倉義景が、こんな強気な交渉をするなんて》
織田として、ここで朝倉を味方に付けなければ、大変面倒な事になる。
朝倉延景が武将として大した実力が無くとも、煩わしい存在になる事は間違いない。
延景も現在の立ち位置を正確に把握した、見事な交渉であった。
《……そうだったな。こ奴は常に目の上のタン瘤が如く厄介であったわ》
《……え? そうなんですか? 今川義元と並んでお笑い武将としての地位を……あ》
《ファラ!! 朝倉義景について教えよ!》
《(しまったー!)ま、前にも言いましたけど……》(82話参照)
《もう一回!!》
史実における朝倉義景の評価は大変低いし、朝倉家滅亡の原因を作った主犯である事は間違いない。
判断を誤り、好機を逃し、戦略を読み違え、散々な結果を招いた元凶であるが、その治世までもが壊滅的だったかと言えば全く違う。
この日本史上最悪の戦乱期において、日本屈指の文化を越前に根付かせ維持し、ルイス・フロイスをして『優れた国の一つ』として評された文化大国である。
それに貿易に外交と手広く行っており、決してやる事をやっていなかった訳ではない。
朝倉義景が100点満点とするなら、織田信長が200点を叩き出しているだけであり、不幸で不運だったとも言えた。
《こ奴には前々世で煮え湯を散々飲まされたからな……! 今が堕落していない時期ならば当然の交渉と言う訳か!》
史実の朝倉義景は、織田包囲網の一角として信長を散々苦しめた。
それでも歴史的に評価は低いが、決して最初から暗愚だった訳ではない。
「……ならば、焙烙玉の技術を伝えましょう」
「ほーろく玉? 武田を追い払った武器の事か? 爺が言っておったな。爆発する玉っころがあると」
もう既に戦場で披露した技術である。
信長が漏らさなくとも、目撃した人間がいずれ必ずコピーするのは明白である。
ならば、情報として利用価値が有る内に提供する事で、損失の軽減を図る信長であった。
「そうです。鉄砲に使う火薬を応用したモノですが、効果は伝え聞いておりましょう」
「それは助かる! 今後の一向一揆への対応は是非とも協力させて頂こう!」
延景は口調を一変させ、信長の要請を機嫌よく受けた。
延景が予想外の交渉を見せても、コピーできる技術を喜んで受け取る辺り、まだ信長の方が一枚上手であった。
「それで、発展における具体的な計画は御座いますか?」
信長は、更に挽回すべく突っ込んだ質問をした。
今の今で、急に答えられる訳もない。
交渉で不覚を取った信長の、意地の悪い質問であった。
「そうじゃな。この水選別と焙烙玉の礼に教えよう。とは言っても、まだまるで形を成しておらぬ。絵空事も良い所じゃがな。実は国産びーどろを形にしたいと思っておる」
「びーどろ!?」
びーどろ―――
いわゆる『ガラス』である。
ガラスを意味するポルトガル語『vidro』から来ている言葉である。
この発言には信長も驚いた。
バタフライエフェクトによる変化なのかと驚く信長であるが、厳密には違う。
史実にて朝倉義景が拠点としていた一乗谷城の遺跡には、ガラスを製造していた形跡が発見され、多数現物が発掘出土している。
織田軍が一乗谷城を攻め落とした後は、廃墟となってしまっていたので信長も気が付かなかった。
史実における朝倉家のガラス製造が、どこまでの完成度を誇っていたかはわからない。
一乗谷城落城と共に、ガラスを含む朝倉家の全ての資料は失われた。
なお、ガラスが完全な南蛮技術なのかというと、それは違うと断言できてしまう。
日本のガラスは縄文時代には存在が確認されている。
但し、自力で作ったのかはわからない。
製造の事実が確認できるのは飛鳥時代から平安時代にかけてであり、国産ガラスは戦国時代の前に既に存在していた。
しかし史実では、南蛮からの贈答品としてガラス製品が贈られ、かくいう信長も喜んだと言われる。
既に技術を確立させていた品物を喜ぶのには理由があり、平安時代以降に技術が失伝したと思われる。
しかも、失伝した事すら知らなかった可能性がある。
当時のガラスは品質も低く用途も限られ、別に生活必需品な訳でも無く、更には治安と政治の悪化で、同じ燃料を使うなら、ガラスより武具の製造が優先されたのが、失伝の理由ではないかと推測する。
延景は、そのガラスを復活させたいと思っていた。
正確には延景も、過去にガラスの生産が出来ていた事は知らない。
あくまで南蛮人が見せたガラスの再現を試みていた。
「所詮人が作る物。マネが出来ぬハズが無い」
非常にカッコいいセリフを延景が吐いた。
延景が言葉に詰まる様を期待していたのに、とんだ藪蛇であった。
「か、完成すれば交易品としての価値は計り知れますまい」
まだ影も形も無いガラスの現物を信長は想像し、製法すら不明な点が多いガラス生産が生み出す発展を、信長は期待せずには居られなかった。
なお、史実でガラスが日本で復活するのは、江戸時代である。
信長はその事実を当然知らないが、文化と力と治安の象徴として、例え絵空事で終わってしまっても今回の協力要請に見合う挑戦である。
その意味でも、ガラスを作る意義は大いにあった。
《こ奴……! 早くに手を結べて本当に良かったと言わざるをえまい! 嘗て倒した相手なのに知らない事ばかりじゃ》
《信長さんにそこまで言わせますかーって、ガラスの事は前にも教えたじゃないですか!? 2度も説明させたのに何で驚いてるんですか!?》
《そう言えば前も言ってたな。あの時は流してしまったが『がらす』とは何じゃ?》
《あっ……。『びーどろ』の事です……》
《おぉい!?》
史実における朝倉家側の資料は非常に少ない。
一乗谷城陥落で、全てが燃えて灰になった。
そんな朝倉家の知られざる底力を信長は感じ取り、協力を要請するに足る大名として、認識を改めるのであった。
重要な話し合いも終わったところで、延景が口を開いた。
「ところで……。濃姫殿の具合は如何かな?」
「於濃ですか? とりあえず動ける様にはなったので、今後の生活に慣れるべく悪戦苦闘しておる様です」
まさか延景から帰蝶の名が出てくるとは思わず、信長は虚を突かれた。
「そうか……。快癒した折には是非とも越前を訪ねて貰いたい。あの爺をして化け物と言わしめる濃姫殿と手合わせしたくてな」
「そうですか……え、手合わせ!?」
「そうじゃ。女子と手合わせを望むのも妙な話じゃが、倒さないと永遠に朝倉宗滴を超えられない様な気がしてな」
「そ、そうですか……。伝えておきましょう」
最後に奇妙なやり取りがあったが、無事、越前との連携も取り付けた信長は、三好包囲網に晒されながらも、一向一揆への対策を着々と進めるのであった。
延景のガラス生産が本当に出来るかどうかは未知数だが、出来た時の破壊力は計り知れない。
越前は空前の好景気になるのは間違いないし、その影響は信長の狙い通りの状況を作り出せるだろう。
静かに、しかし確実に一向一揆対策は進んでいくのであった。
【尾張への帰還の路にて】
《あんなに大変な戦で、甚大な人的被害を出した後でも、誰一人として塞ぎ込んでおらん。まぁ日が経ったのもあるだろうが、嘗ての敵がこんなに頼もしいとはな》
《嘗ての敵……? あ!》
今川義元と氏真、斎藤義龍、朝倉延景―――
いずれも、前々世で信長を苦しめた宿敵である。
それが揃いも揃って信長に手を貸している。
史実を知る者としては、何とも奇妙な感覚であった。
《それに、どいつもこいつも於濃か。ワシと対面しておきながら背後の於濃を感じ取っている。延景などは会った事すら無いだろうにのう。ワシ1人の転生では絶対に不可能な結び付きを作っておるな、あ奴は》
《コレもバタフライエフェクトの一種ですかねー》
《そうじゃな。しかし事象で説明するのは簡単じゃが、今までの我武者羅な努力を認めぬ訳にはいかんか……。もう暫く好きにやらせるか》
先の戦以来、公式の場には一切姿を見せていない帰蝶であるが、そんな状態でも人を動かす力を見せる妻の頼もしさと恐ろしさを信長は感じ取り、存在感を食われない様に気合を入れ直すのであった。
《さて。形はどうあれ東の敵は食い止めた。あとは三好の腕を見せてもらうとしようか》
三好にとって信長達の存在意義は、東からの面倒事を全て食い止める事にある。
その間に三好長慶が全ての決着を付けられなければ、三好に力無しと判断し次の行動に移るだけである。
《でも、三好が全ての敵を倒したら、信長さんとしては困りますよね?》
《困るには違いないが、未来においては困らぬじゃろう? それも一つの結末じゃ》
転生の小目的としては、信長の天下布武完遂であるが、大目的は信長教の発生阻止である。
信長が途中リタイアするなら、大目的は果たされるだろう。
《そ、そうかも知れませんが、長慶教が生まれても困りますよ!?》
《それもそうか。やはりワシが何とかするしか無いか。安心せよ。負けるつもりは無い。転生しておいて負けましたでは恰好がつかぬわ》
信長は、三好長慶を天下を治めるに足る力があると認めている。
認めているが、史実における危うさもを知るアドバンテージがある。
この歴史においても同じ道を辿るかどうか判らないが、可能性は高いとみている。
その時に備え、池田恒興、服部一忠、毛利良勝の3人を派遣していると言っても過言ではない。(110話参照)
信長は成すべき事を成すべく、動くのであった。




