126-2話 飛騨・深志決戦後始末 朝倉、斎藤、今川、織田
126話は2部構成でです。
126-1話からお願いします。
【越前国/一乗谷城 朝倉家】
「帰ったぞ!」
「おお爺よ、ご苦労であったな」
死地から帰還し越前にたどり着いた朝倉宗滴は、イラついた表情で乱暴に帰還報告をする。
その様子から朝倉延景(義景)は嫌な予感を察知した。
「して、望む戦いは出来たか?」
宗滴は、今回の戦を自らの引退戦と決め出陣しており、有終の美を飾るべく気合充分で望んでいた。
その結果は、序盤は良かった。
だが、飛騨から出撃した後は、とにかく移動に次ぐ移動が主で、武を尽くし戦う戦ではなく、未知の新兵器の援護と撤退、撤退したと思ったら計略に嵌り退路を塞がれ、とにかくストレスの溜まる戦であった。
もちろん、部分部分では宗滴の活躍無しでは切り抜けられなかった場面もある。
しかし全く納得できる結果ではなかった。
「クソ!」
宗滴は延景の問いに答える様に、大身槍を庭の木に向けて投げつけた。
槍は空気を切り裂き、砂埃を巻き上げ、木に深々と突き刺さり、発する振動で野鳥が飛び立ち、その衝撃も大気を伝わり延景の全身にも叩きつけられる。
(化け物か!?)
実に―――
実に言葉を尽くすよりも、雄弁な答えであった。
今年で80歳とは言え、重量級の槍を片手で投げつける膂力を持つ人間が引退を考えていた事に、改めて延景は衝撃と嫌な予感を覚えるのであった。
「ふー……。これも戦よの。想像通りに進む事など何一つ有りはせん。何一つ自らの手で掴み取る事はできなかった。やはり潮時なのじゃろうな」
延景は思わず『何をご冗談を』と言いかけたが、先程とは打って変わって清々しい顔をしている宗滴の姿に、引き止める事を諦めた。
「長年に渡って朝倉を支えてきたのじゃ。余生はワシに任せて悠々自適の生活でも送ったらどうじゃ?」
「そうじゃのう。お言葉に甘えるか。じゃが最後に稽古をして憂いを残さずに去るかのう?」
「け、稽古、ですか……!?」
延景は嫌な予感が的中している事を悟った。
さっき、あんな見事な投槍を見せた怪物と、稽古とは言え手合わせするのは正直嫌である。
そんな延景の思いを察知してか、宗滴はニヤリと笑ってワザとらしく言い出した。
「あぁ! そう言えば今回の戦を始める前にな? うつけ殿の嫁に挑まれてな。手合わせしたがアレは怪物じゃった。女の身でアレ程の使い手だとは思わなんだ。ワシも長い事生きておるが、やはり世の中は驚く事ばかりじゃて!」
「信長の妻と手合わせ!? しかも爺が認めるとは!?」
越前国に限らず、日本において朝倉宗滴の武名は揺るぎない。
揺るぎ無さ過ぎて、朝倉家では宗滴との稽古となると、体調不良を訴える者がいるのに、あろう事か女の身で挑むなど自殺と同意義である。
「アレは女で良かったわ。男だったら日本、いや三国最強の武将になっていたじゃろうて」
ここでいう『三国』とは『魏呉蜀』でお馴染みの三国志の事、ではなく、『日本、明、天竺』の三国の事である。
南蛮の存在など未知の時代に出来た言葉で、日本、明、天竺が世界の全てであると考えられていた事に由来し、例えば『三国一の果報者』『三国一の卑怯者』とは、現代語ならば『世界一の幸せ者』『世界一のクソ野郎』とでも言うべきか。
戦国時代には南蛮の国も認識されて、三国どころでは無いのは宗滴も理解しているが、使いやすい例えとして三国最強と帰蝶を称えた。
だが、女の帰蝶をソコまで絶賛されると、延景として面白くない。
「爺は戦からの帰還で、まだ疲れも抜けきっておらぬのでしょう?」
「そうじゃな。節々が痛いわい」
宗滴は首を捻り骨を鳴らした。
「……そうか」
人徳ある人間なら『後日万全の態勢が整うのを待ちましょう』とでも言うのだろう。
しかし延景は、宗滴の期待通りの答えを出した。
「ならば、爺を倒すのは今が絶好の機会、という事じゃな?」
「ファハハ!! そう! そうじゃ! それでこそ武士の真の姿! 武士は犬ともいへ、畜生ともいへ、勝つことが本にて候!! 相手の弱みに付け込め! 相手に情けを掛けるな! 相手の嫌がる事をトコトン貫け!」
延景は嬉しそうに立ち上がり、庭木に刺さった槍を引き抜き、延景との稽古が始まった。
結果は疲労をモノともせず、宗滴が延景を叩き伏せた。
「……クッ!!」
「まだまだ精進が必要じゃな」
そう言うと、宗滴は背を向けて歩き出す。
「ッ!!」
延景はその絶好の好機を見逃さず、地に伏したまま宗滴の足を狙い槍を薙ぐ―――が、そんなのはお見通しとばかりに、宗滴は槍を地に突き刺し攻撃を防ぐ。
「精進が必要じゃが、今の判断速度と攻撃は見事じゃ。その精神を忘れるでないぞ? そうすれば倒せぬ相手などいない。あとは若の心意気次第で強くも弱くもなる。ワシが散々口を酸っぱくして言った言葉じゃが、今一度胸に刻め」
宗滴はそう言い残し、屋敷に帰っていった。
「はぁ……やはり疲労してても、化け物は化け物じゃなぁ。一体いつなら勝てるのやら……。イタタ……」
延景は余りにも巨大な宗滴の背中を見つめながら、今後の朝倉家の対応と己の進むべく道を思案するのであった。
次の日―――
「と、殿!」
「どうした?」
延景の近習が、慌てふためいて飛び込んでくる。
その只ならぬ雰囲気に、一向一揆の侵入や新たな問題が発生したのかと、昨日の嫌な予感がまた的中した事を悟った。
しかしソレは違った。
嫌な予感は的中しているが、内容は不正解である。
「そ、宗滴様が……ッ!! 亡くなられました……ッ!!」
「ソウテキサマガナクナッタ……? ソウテキ……亡くなった? 宗滴!? 馬鹿な! 昨日、ワシは爺に滅多打ちにあって敗れたのじゃぞ!? 昨日あんなに元気だった爺が死ぬはずが無かろう!!」
「しかしそれでも間違いはありません! 某もこの目で確認しています! ……誠に残念ながら……!」
昨日まで元気に従軍し、稽古でも相変わらずの武辺を発揮していた宗滴が、次の日に亡くなるとは予想外に過ぎた。
「あ、暗殺とかでは―――」
それでも延景は信じられず、死ぬなら死ぬで暗殺の類かと思ったが、この世に宗滴を暗殺できる者が居ると考えるのは、あまりにも荒唐無稽すぎる程の愚考であった。
「じゅ、寿命なのか……? せめてあと1年……見届けて欲しかった……!」
宗滴は昨日、床に就いた後に、そのまま帰らぬ人となっていた。
遺体には不審な点もなく、今すぐにでもヒョッコリ起きてきそうな程に穏やかな顔であった。
老衰である。
いや、老衰とは医学で解明できない謎の病気の総称なので、正確には何らかの原因不明の病死なのだが、それでも約80年、戦い抜いた大往生であった。
史実では明らかな不調を訴えた上での病死であったが、今回の歴史では穏やかに苦しまずに逝った。
越前に、戦国時代にその人ありと謳われた、朝倉宗滴が散ったのであった。
史実ではすでに亡くなっているが、今回の歴史では史実にて確認したかった信長の行く末をある程度見届け、念入りに延景他、朝倉家の面々を導き逝った。
「いや、いつまでも爺におんぶに抱っこでは、当主として情けない限り。いい加減独り立ちせねばな……。爺よ。あの世でワシの活躍を見届けるがいい!!」
延景はそんな願望を抱くのであった。
【駿河国/駿府城 今川家】
「そうか。和尚は逝ったか」
義元が三河から飛騨へ進軍を開始した直後であった。
太源雪斎は、己の隠居寺で座禅をしながら亡くなっていた。
本当に最後の最後まで働いた人生であったが、その人生を掛けて天下に轟く今川義元を作り上げた。
義元はとうに独り立ちしており、もはや何ら心配も不安もない。
むしろ自分が存在する事で足を引っ張る可能性すら考えていたので、早く人生から退場すべきとすら考えていた。
史実では既に亡くなっているハズなので、義元の成長とライバル達の活躍を余生で楽しむ事ができた。
特に、帰蝶や氏真、涼春(早川殿)、元康(家康)ら次世代の成長にすら関わったのだから、教育者としても申し分無い人生だっただろう。
義元も死に目に会えなかったのは残念に思うが、かと言って最早語るべき事もない。
極端に言うなら既に遺言も教訓も全て事前に聞いており、会えたとしても、精々が思い出話に花を咲かせる位であろうか。
雑談ならともかく、重要な事は全て吸収し己の糧としている。
いつ別れがきても大丈夫な様に、準備は済ませていた。
「葬儀は簡素でいいじゃろう。銭と時を掛けては和尚に叱られるわ。『そんな銭も暇も無い』とな。それよりも今回の戦の結果で武田が難癖をつけてくる可能性がある。三国同盟の確認も取らねばなるまい。派手な戦は無いと思うが水面下では忙しくなるだろう」
義元は達観していた。
残念には思うし、寂しくもある。
しかし、義元としても今川家としても、雪斎が欠けた所で全員でその穴をカバーできる。
―――と思っていたが一部そうではなかった。
氏真、元康、涼春ら、雪斎の教育を受けている最中の者達である。
帰蝶は雪斎を倒しているが、氏真ら三人を含む今川家次世代の者達は、まだまだ修行中で、雪斎から一本奪取する事を目標としていた。
その目標が突然消え失せてしまった―――
いや、雪斎の年齢を考えれば日に日に衰える一方なのは明白で、倒すにしても早く倒さなければ倒す意味もなくなってしまう。
実戦ならば衰えを待つのも有効な手段であるが、稽古なのでそんな悠長な事をしては、単なる老人虐待に終ってしまうし成長を実感できない。
ならば政治や学問の成長を見せるのも手ではあるが、そこは若い彼らと騒乱の次代故に、実感の湧きやすい武芸でまずは一本取りたかった。
それに、学問政治で雪斎を上回るのは困難極まりない。
義元程の才知をもってして漸く互角なのである。
いや、そんな情けない気持ちでは死んだ雪斎に申し訳ない気持ちが湧き上がり、心が千切れそうになる。
しかしそんな事では―――
―――理解も納得も若い彼らには時間が掛かるのであった。
「彦五郎(氏真)や元々今川家の者はともかく、次郎三郎(元康)や涼春ら他家の者から、こうも慕われておったか……」
ただ、一点だけ、義元にとっても予想外の事があった。
葬儀にて他家の者達が、涙を流し惜別の情を抱いていた。
果たして自分が死んだ時、誰か惜しんでくれるだろうか?
義元は改めて師の雪斎の偉大さを思い知り、人望の点ではまだ未熟だと感じ入るのであった。
「和尚が残して逝った教育は、我等が引き継いで導いてやらねばなるまいな。和尚が芽吹かせた若者を我らが枯らせては、あの世の和尚が怨霊になってしまうわ。何よりワシが死した時、会い辛いしな……!」
義元はそんな決意を抱くのであった。
【美濃国/稲葉山城 斎藤家】
「今回の結果は致し方あるまい。勝敗は兵家の常。常勝、完全は目指すモノであって絶対ではない」
斎藤義龍は今回の結果を明智光秀、不破光治、竹中重治から聞いた。
光秀や光治は、下手したら総崩れとなりうる斎藤軍を良くまとめ大多数を生還に導いた。
重治は机上と実戦の違いに戸惑い、殆ど役に立っていないが、それは誰しもが通る道。
次回に繋げてくれれば良い、と義龍は帰還者を労った。
勝敗は兵家の常―――
勝つのも負けるのも戦には付き物である。
勝つのを目指すのは当然だが、負けは当然、どんな結果であっても受け入れ次に進まねばならない。
失敗した部下を叱り、あるいは処刑した所で結果は変わらない。
失敗も含め成長を促し、適正が無いと判断するなら配置転換をするのが主君たる者の務め。
もちろん限度はある。
見込みが無い者を使い続ける贔屓は、団結に不和が生じる。
また失敗を外部の責任と求め、逆恨みし腐っていく人間も大勢いる。
そんな人間をも上手く使うのが主君の役目である。
だが戦に絶対を求めてはいけない。
最初から必勝で挑んでも、負ける時は負ける。
関ヶ原の石田三成の様に。
それは数多の歴史が証明している。
玉砕覚悟の必敗が、覆る場合も歴史が証明している。
織田信長の桶狭間の様に。
ただ―――
それは解っているのだが、父の道三が討死するのだけは想定外であった。
よく考えれば、普通そんな事は思わない。
戦場に出る以上、死ぬ可能性は誰にでもある。
言霊が作用すると困るので、事細かに遺言を残したりはしないが、戦の度に不測の事態に備えた言伝を残す最低限の事はするが、しかしそれでも斎藤道三が死ぬのは考え難かった。
むしろ、全軍が討死しても一人生還するのが、道三だと思っていた。
「民も家臣も肉親すらも犠牲にして生き残ってこその、斎藤道三であろうに……」
義龍は、道三が何故非道な決断をしなかったのか、疑問に思う。
血で血を洗う戦国時代。
親兄弟の争いなど、掃いて捨てる程に繰り返されてきた。
なのに、まさか自ら先頭に立ち死して道を切り開くとは、思いもよらなかった。
「親父殿は満足して逝ったのだろうな」
義龍は偉大な父を思い忍のであった。
(帰蝶が回復する前はあんなに憎く邪魔だった父が、今はこんなに……)
これ以上言葉が続かなかった。
別に泣きはらして声が出ない訳でも、怒りに震えて声に詰まるでもない。
ただ、言葉が続かなかった。
帰蝶が回復する前、即ち転生する前の斎藤家は、非情に険悪な雰囲気に包まれていた。
道三と義龍の仲は悪く、将来対立するのは目に見えていた。
家臣も身の振り方を考え、露骨に対立陣営を煽ったりする始末。
『道三と義龍は血の繋がりが無い』
中にはこんなとんでもない流言も飛び交い、義龍自身も随分悩んだ。
義龍の実母は深芳野と言われる、元々は美濃の前支配者の土岐頼芸の愛妾で、道三に下げ渡された経緯がある。
これがあらぬ憶測を生んだ。
道三に嫁いだ時には、既に土岐頼芸の子を宿していたと言うのである。
一般に妊娠して出産する期間を『十月十日』といわれている。
一週間7日の4週間を一ヶ月と計算し、28日を10ヶ月で『十月十日』になり、『十日は誤差期間』とでも考えるべきであろうか。
史実にて、大永6年(1526年)12月に道三に下賜され、大永7年(1527年)6月10日に義龍を産んだとされる。
12月頭に妊娠したとしても十月十日の計算が合わないのである。
その説得力ある説に義龍は悩んだ。
それが事実なら父と思っていた人物は、本当の父を追い出し国を乗っ取った憎むべき敵である。
しかし、そんな計算が合わない事実を道三が知らぬとも思えず、実の息子では無いなら、追放なり暗殺なりしてしまえばいい。
主君を追い出す悪党なら、実子など戦国時代に殺してしまうなど訳も無い。
だが、道三はソレをしなかった。
かなり危ない所まで仲違いしたが、帰蝶が回復してからは一致団結とでも言うべき結束を見せている。
(事実は分からん。分からんがワシは道三の息子で良かったのじゃ)
現代ならDNA鑑定でもすればいいが、戦国時代にソレは望めない。
本当の所は誰にも判らない。
だがそんな事はどうでも良い。
父と息子が認め高めあった斎藤家が出来上がったのだ。
「十兵衛(光秀)、太郎左衛門(光治)、半兵衛(重治)。何が成功し何が失敗し、何が想定外で何が致命傷だったのか? 学んだな? 特に半兵衛、貴様の知謀の冴えは聞いておるが、実践とどれだけの齟齬があったのか? しっかり解析し次に備えよ」
報告を終えた三人が退出した部屋で、義龍は道三の遺品である刀を腰に佩いた。
「親父殿。あの世で息子と娘の活躍をご覧あれ。蝮の名はワシが引き継ぎましょう」
義龍はそんな野望を秘めるのであった。
【尾張国/人地城(旧:那古野城) 織田家】
織田家では上から下までテンヤワンヤであった。
織田信秀の討死、帰蝶の負傷、信長の策の失敗、飛騨の混迷、次々舞い込んできた同盟勢力の実力者の死―――
人地城の広間では、今回の戦に従軍し生還した者が集まっていた。
皆一様に暗い。
別に負けた訳ではない。
勝てはしなかったが、損害の度合いでいえば武田家には大打撃を与えており、飛騨も奪われてはいない。
ただ―――
信秀の討死という特大の人的損害が、思いの外に家臣達の心に闇を落とし込んでいた。
そんな中、信長だけは別の思惑で黙っていた。
親しい人物の死など、前々世で散々経験している。
むしろ、これから加速度的に親しい者が死んで行くし、自らの命令で死ぬ人間が増える。
若い命、才能ある命、人望を集める命、更には思想を違え敵対する命、それらの命を望む望まずに関わらず、皆等しく死に追いやっていく。
その理由は言わずもがな、自分の行動が正しいと信じ、戦国の世を終わらせる為であり、あらゆる犠牲も損失も厭わない。
しかし歩みは止めない。
信長は、それが人を死に追いやる者の責任だと知っている。
人を操る立場を登れば登るほどに、その重圧は重くなり、天下を取ったならば狂おしいまでの重圧に苛まれる。
それを、強靭な精神で克服してこその天下人であり、覇王たる者に必要な資質である。
幸か不幸か、転生によりその覚悟と犠牲の洗礼を、疾うの昔に済ましたまま、若い肉体を得ている信長の心は揺らがない。
しかし、家臣達は大なり小なり心に衝撃を受け、戸惑っていた。
やはり若い者ほど動揺が隠せない様であった。
今まで快進撃を続けてきた無敵の織田軍が、初めて取り返しのつかない手痛い損害を被ったのだから。
織田家は信長の転生後、武将級の討死は無に等しかった故に、良くも悪くも慣れていない。
こういう時、下級の兵士は隣人が次々に死ぬのでもはや感覚がマヒしているが、武将達にとっては、討死の第一号が、織田家前当主の織田信秀なので余計にタチが悪かった。
織田家の面々は、既に武将として支配者として極めて高いレベルにある信長に導かれたお陰で、今まで損害が軽微で済んでいたので、重大な損失に対する経験が圧倒的に不足していた。
「皆聞け」
信長がタップリ間を取って話し始めた。
「以前言ったな? 天下布武法度を説明した時じゃ」(59話参照)
あの時、宗教勢力に対し『血みどろの戦いが予想される』と宣言し、その通り長島は凄惨な地獄絵図を見せた。
「また、願証寺を滅ぼした時にも言ったな? あの時は我らの犠牲は無きに等しかったが、『何か間違えれば、ここで死んでいるのは我らだった』とな」
戦の結果で言えば、楽勝と言っても過言ではない願証寺討伐。
しかし楽勝だからと言って、楽観は決して出来ないのは学んだハズであった。
「戦とは犠牲が付き物。対応を間違えれば大将級でも死ぬのはこの通り。こんな事は今更言うまでも無い事じゃ。犠牲が決して無にはできぬのは頭では理解しておろう? 心では理解できていなくともな」
信長は淡々と語る。
「産まれによる格差、成長、この世は不平等な事しか無い中で、『死』だけは唯一無二の平等じゃ。誰もが今この瞬間死ぬかも知れぬ」
武将達は頭のどこかで『自分達は選ばれた存在』だと、少なからず、意識の有無に関わらず、自惚れていた。
たった10年程で、天下に名を轟かす勢力に成長させた織田家の一員として、栄華を極めた未来の姿を思い描いていた。
そんな自惚れを、信秀の死という鉄槌が打ち砕いた。
「もし親父殿に報いたいと思うなら、親父殿の死に学べ。宗滴、雪斎、道三の死に学べ。敵の死すら己の経験として落とし込め。ワシはこれからも犠牲は最小限になるよう務める。じゃが人は死ぬ。この中の誰かは必ず死ぬ。寿命も含めるなら全員死ぬ。ワシ等は人を殺して道を切り開いておるのじゃ。自分だけが死を免れる事は出来ぬ。慣れよ、忘れよとは言わぬ。じゃが切り替えは必要じゃ」
信長の言葉を聴いている家臣は、涙を流し己の浅慮を恥じた。
「その上で謝罪する。今回の親父殿の討死は、ワシの油断と情報精査不足が招いた事が原因じゃ。飛騨での一向一揆など、読み切って見せねばならぬ失態じゃ」
「えっ!?」
信長の反省に諸将は驚いた。
なぜ飛騨で一向一揆が発生したのか、その後ろに長尾の思惑が潜んでいる事はまだ判明していないが、それでもあんな非常事態は読み切れるモノではない。
失態に数えるのも無茶な反省であった。
「ワシの反省が理解不能といった面持ちじゃな? これが天下を取ると決めたワシの覚悟。より大きな目で大局を見極めなかったワシの失態なのじゃ。何者かの策略にワシは負けた。コレがお主等の失態ならワシも許す。次に繋げればよい。しかしワシの失態は駄目じゃ。そんな事は許される身ではない」
―――誰に許されないのだろう?
家臣達は一様にそう思ったが、もちろん許さないのは信長である。
この世に一人だけ、正確には二人だが、一度人生を終わらせ知識を持って転生という、反則に等しいアドバンテージがあるハズなのに、何者かの策略に遅れを取ったのが信長には許せなかった。
別に、あからさまな油断をしていた訳でもない。
武田の侵攻を、最大限の実行可能な兵力と策で守り切った。
武田アレルギーも手伝って、過剰とも言える戦力を投入したぐらいである。
むしろ、転生によるアドバンテージを油断に繋がると、己で警戒していたぐらいである。(84話参照)
本来ならば『転生』とは誰もが夢見る、人生のイージーモードなのだろうが、信長は『知っている事』がどんなに警戒しても油断に繋がってしまう事を恐れていた。
今回、その油断が無意識に出てしまったと、信長は分析し反省しているのである。
しかし、それは家臣達の目から見れば、23歳の若者がする覚悟とは到底思えなかった。
故に、無茶な反省を驚きの目で捉えたのである。
また、捉えたならば、いずれ自分達もその境地に立たねばならぬ将来に気が付いた。
改めて自分達が何を成す為に織田信長を担いでいるのか、また、天下布武実現に対する未曽有の困難と、想像を絶する苦難を思うのであった。
「今後の詳細方針は追って伝えるが、当面は飛騨一向一揆への警戒を優先する為に、領地を隣接する斎藤、朝倉を支援し内政を充実させる」
信長の示した今後の織田家の方針は、シンプルであった。
飛騨を中心に周辺国は敵も味方も疲弊しており、他国に侵攻するには国の体力が不足している。
故に支援と内政なのであるが、信長はもう一つ付け加えた。
「一つだけ念押ししておくが、親父殿の敵討ちはしない」
「えッ!」
「しかし、一向一揆は許さない」
「えッ!?」
「それを間違えるでないぞ?」
現代でも被害に対する報復は政治の上でも当たり前なのに、信長はソレを放棄した。
一方で一揆を許さないと言い、矛盾を孕んだ言葉に臣達も困惑するが、別に何も矛盾は無い。
信長の方針は前々世も含め、宗教の弾圧ではない。
宗教の管理なのである。
それなのに敵討ちを前提として行動しては、前提がブレてしまう。
あくまで宗教の軍事行動を鎮圧するスタンスだ。
憎悪による根斬りではない。
それ故に、宗教勢力に対し敵討ちはしないと強く宣言した
「父上の葬儀は後日執り行う。それまでは各々体を休めよ」
織田家の方針は決まった。
家臣の中にはイマイチ信長の言の違いを理解していない者もおり、敵討ちを行わない信長を軟弱と謗る者も現れるだろう。
しかし信長は、誰に何を言われようがソコは譲らなかった。
《今後天下布武を成し遂げた時、政策に対する矛盾を結果として出してしまうと、必ずソレを理由に付け入る隙を与えてしまうからな》
日本の歴史の、いや世界の歴史の現在はおろか未来まで続く一番デリケートな問題に切り込むのである。
ここを間違えては大変な事になる。
《その方針は尊重しますが、信長さんは悔しく無いのですか?》
ファラージャとしても、未来で宗教に悩んで行動を起こした身である。
ただ、肉親の死にあまりにドライな信長が無理をしているのではないかと不安になり、誰にも漏れる事の無いテレパシーでの吐露を促してみた。
《……悔しくない訳が無かろう。初めて親しい者を討死させた時は狂おしい程に心が荒れたわ。しかし良くも悪くも慣れてしまった。慣れたくないと理解しているがな。親父殿は前々世では病死じゃったが、死に様としてどちらが良かったのか? 親父殿が己の前世を比較する事は適わぬがな》
しかし信長は、予想外にアッサリと思いを吐き出した。
《武士は畳の上で死ぬのは無念也、って生き物だと認識してますが……》
《人それぞれじゃろう。中にはそんな奴もおろうて。ワシは2回も殺されたからな。できれば穏やかに死にたいがな。ククク。大勢の人間を死に追いやってムシの良い話じゃな》
自嘲気味に信長は笑った。
そんな信長の姿に安堵したのか、ファラージャは感じていた違和感を切り出した。
《所で、もう一つ気になっているんですが……?》
《なんじゃ?》
《信長さんは3度目の人生で知識を持って転生したのに、策略で負けた自分が許せないのですよね?》
《有り体に言えばな》
《私は、その思考こそが驕りだと思うんです》
《何じゃと!? そんな訳あるか! そんな……!?》
思ってもいなかった反論に、信長は言葉が続かなかった。
《失敗しないに越した事は無いと思いますが、己に対する過剰な要求は心身の疲弊を招きますよ?》
《……そうですよ。敵も味方も生き残りに全力なのです。今回身に染みて理解しました。私たちは200%、300%の力を得ている訳ではないのです。転生経験も全部ひっくるめて100%なのです。ならば相手も互角です。この顔を見てください》
帰蝶も話に入ってきた。
入出するなり顔のサラシを外す。
痛々しく切り裂かれた顔と眼。
恐らく左眼の視力は絶望的だろう。
《転生したのだから勝たなければならない。それは確かにそうなのですが……。こちらが強くなれば相手の反発も強まりましょう》
物理法則に作用・反作用の法則がある。
100の力を出せば100の力が帰ってくるのである。
武田信繁に肉薄した帰蝶は、激闘の据えに大きな傷を負った。
《言わんとしている事は解った。於濃、ファラ。お主らの諌言は心に留め置こう。中々に難しき事じゃがな……》
信長は無意識が蝕む驕りに苦悩しながら、2度目の父の死を経験するのであった。
せめて安らかな眠りを願って。
13章 弘治3年(1557年) 完
14章 弘治4年へと続く




