126-1話 飛騨・深志決戦後始末 北条、武田、長尾
126話は2部構成でです。
126-1話からお願いします。
【相模国/小田原城 北条家】
「爺よ、コレが何だか分かるか?」
「……これは? ……む!?」
北条氏康と、その大叔父である北条宗哲(幻庵)は、長尾家との争いで鹵獲した兵器を間にして座り談義していた。
「造りは木製……横倒しの弓……銃の引き金に似た構造……。うーむ、これは恐らく『弩』の一種ではないか? 伝聞にて聞いた事があるのう」
北条の知恵袋たる宗哲。
かの北条早雲の実子にして、史実では氏直まで5代に渡り補佐を務めあげてきた戦国時代屈指の怪人である。
その宗哲が、謎の物体を『弩』であると判断した。
高い貫通力と狙撃性。
利点の多い武器であるが、戦国期の日本には『弩』は存在しない。
しかし、日本の歴史には確かに存在していた時期がある。
その最後の記録が『前九年の役』と言われる西暦1062年の時代であり、それ以前には確かに使われた記録があるのだが、その後の武士の台頭に合わせて歴史から消えた。
利点も多いが欠点も多く、構造が難解で整備性に難点があり、構造と性能にもよるが射程も弓には及ばず、また武士の戦いは集団戦が発達し始めた為に、連射不可能な『弩』は日本では廃れた。
だが、歴史とは不思議なもので、『弩』は日本以外では積極的に活用された地域が多く、少なくとも歴史の表舞台から消える事は無かった。
日本だけが射撃武器を『弩』ではなく『弓』に舵を切ったのだが、信長の歴史改変の結果、長尾家で復活し、今、現物が凡そ500年ぶりに北条家に現れたのであった。
「片手で扱え、弓の様な訓練も不要。……しかし矢を番えるのには難儀する故に連射は出来ぬ」
氏康は取っ手(現代のライフルで言う所の銃床/ストック)を腹に押し当て、両手で弦を手前に引っ張りトリガーに引っ掛ける。
短い矢を台座に設置し、庭先の木に向けて引き金を引く。
空気を切り裂く音と共に見事に木の真ん中に命中した。
「ほう。これは使い方さえ覚えれば訓練も必要無いのう?」
弓は一人前になるのに、相当な訓練が必要な武器である。
狙い通りに当てるなど曲芸レベルの神技同然で、構えるのも番えるのも狙うのも放つのも修練が必要になる。
だが、今見た弩に関しては、その訓練の大部分が省けるのは簡単に予測が付く。
但し、構造が複雑な分、コストが掛かるのも容易に予測が付いた。
「うむ。資金と資源さえあれば楽に雑兵の強化に繋がろう。解らぬのは長尾が何を思ってコレを実用させたのか? ……いや、実用させた理由は想像かつく。しかし、理解できぬ点がある。奴はコイツをワザと鹵獲させた節があるからな」
深志盆地での長尾軍との激突の折、長尾軍は見せ付けるように北条軍の前で弩の発射準備を行い、射撃後は使い捨てと言わんばかりに放棄した。
初見では何をしているのか解らず、まともに射撃を受けた北条軍は、この戦いに余り積極的では無かったのも手伝い、長尾軍の退却を追撃する余裕は無かった。
「この弩、研究するか? いや聞くまでも無いかのう」
宗哲は氏康に確認を取るが、愚問である事に直ぐ気が付き剃りあげた頭をピシャリと叩いた。
未知の兵器が存在し、しかもこの場に現存する以上、研究しない訳には行かない。
これが例え核兵器であっても生物兵器であっても、使用の有無はともかく、弱点と利点を調べ上げ徹底的に対策を取る。
その上で自軍に転用できるなら取り入れる。
あるいは生活向上に技術を転用する。
軍事費用とはいつの時代も、そうやって高騰するのが世の習わしである。
だが、その恩恵が一般に降りてくるのも軍事費用のジレンマで、戦争がどれだけ嫌いでも、生活の発展技術の裏には軍事技術が基礎の場合がある。
インターネットなどは、最たる例だろう。
「何とかして、欠点を補う工夫を見つけたい所じゃな」
氏康は弩をあらゆる方向から見ながら、今後の戦略を考えるのであった。
「それが良かろう。で、この弩の件は良いとして、北条の方針は如何する?」
「我々は中立であるが、今後はどの派閥にも余り関与しない。より一層中立の立場をとる。その上で労力は、まずは損害の回復、関東の制覇を最優先とする。中央絡みの案件は全て拒否じゃ。他人の戦に付き合うと肩が凝って仕方がないわ!」
氏康はそう吐き捨てると、また弩を手にとって調べるのであった。
武田に付き合って巻き添えを喰うのは、利益があるならともかく、今回の様な手痛い結果では堪った物ではない。
北条家は独自の路線を選択するのであった。
【甲斐国/躑躅ヶ崎館 武田家】
「よし。この『弩』とやらは調べるに値する兵器として扱う」
北条家同様に、古よりの復活兵器である弩を手に入れた武田家。
もちろん、『手に入れた』ではなく『手に入れさせられた』可能性は重々承知している。
武田晴信、武田信繁、快川紹喜はそう結論付けた。
この話し合いをしている場所は武田信繁の屋敷。
なぜ城、あるいは晴信の私室ではなく、信繁の屋敷なのかと言えば、晴信は戦から帰還後、自分の私室を破壊し尽くしたからだ。
己の余りの不甲斐無さに、怒りに身を委ねた蛮行である。
偽装撤退までは良かった。
しかしその後の巻き返しが不発に終り、織田の用いた謎の爆発兵器と長尾景虎の理解不能の行動に散々翻弄され、負けはしなかったが、かと言って誇れる結果は無に等しかった。
故に怒った。
後世に残る資料にも、『武田晴信は激怒した。周囲に当たり散らし誰も近寄らなかった』と伝わる程に。
怒りは頂点を突き抜け、もしもゲージが見えるなら太陽にも到達していただろう。
晴信は己の私室を破壊しつくし、現在は信繁の館に仮住まいを移している。
だが、それは偽装であった。
別に信繁との会談など秘密にする必要などないが、敢えてそうしたのは思惑あっての事である。
信繁との密談を誰にも不審がられない為にである。
もちろん戦の結果には怒りしか湧かないし、思い出すのも口惜しい内容であったが、冷静に考えれば考える程に怒りは霧散していくばかりであった。
そこで快川紹喜を今一度招き、長尾景虎が落とした謎の兵器の詳細を知ると共に、今の飛騨の状況と今後の展望を相談するために。
「弩の件はこれで良いとして、長尾景虎は一体何を企んでいるのでしょう?」
「奴は狂人じゃ。しかも只の狂人ではない! 極めて悪質な狂人じゃ! しかし、考えれば考えるほど今回の結果は、奴の考えあっての行動である可能性しか思い浮かばん。わざわざ我等の連合軍から離脱を宣言し、この弩を我等に拾わせた。別に無言で急襲し弩も秘匿すれば良いのにじゃ。ただ場を混乱させたいだけなら本当に狂人じゃが、アレほどの男が無策で自陣営を窮地に追い込む行動を取るとは到底信じられん」
晴信は第一回、第二回川中島の戦いと、今回の深志盆地の戦いでも景虎本人の本陣突撃を許し、危機一髪でその凶刃から逃れていた。
総大将の本陣一騎駆けなど、頭のネジを何本も外す様なクソ度胸と戦神の如き観察眼が不可欠である。
それを三度も許したとなれば、もう笑うどころか尊敬の念すら生まれてくる。
武田晴信は現時点ではまだ未熟だとしても、決して凡将ではないし、今回の結果で武田家臣が発言力を増したり増長する様な事もない。
少なくとも及第点以上の戦国武将のハズである。
故に景虎の行動は理解が追いつかない。
「越後殿の考えは拙僧に理解しがたいですが、今回の結果を狙って起こしたと仮定すると、飛騨の地を加賀同様一向一揆の地にした事に対し一つ思い浮かぶ事がございます」
「……本願寺か?」
言えば現実になる言霊をを恐れ、認めたくはない。
しかし現実から目を背けるわけにもいかない。
織田連合軍側としても、一向一揆で損害を受けた情報は既に入っているので、長尾や北条が違うというなら一つしか答えはない。
苦渋の顔で答えた。
「ご明察にございます。誰が今回の戦で利を得たのか考えると本願寺の影がチラつく、と言うより影を隠す事すらしてません」
織田は飛騨を領していた訳ではないが、守る事が出来なかった。
武田は飛騨を狙ったが、奪う事ができなかった。
長尾、北条、朝倉、斎藤が飛騨に対する影響力を強めた訳でもない。
本願寺が漁夫の利を得たからである。
「飛騨は荒れましょう。加賀同様百姓の持ちたる国となりましょう。『飛騨守』として本願寺との接触は避けられぬでしょう。支配を目指せば衝突し、融和を求めれば利が少ない。困りましたな」
「……いや……これは好機かもしれん」
「好機!?」
「焦るでない。好機と言ったが、現状では好機どころか危機じゃが、やりようはある。ともあれ飛騨の件は一旦捨て置く。一揆の信濃侵入は困るが、当分こちらから公式な接触はしない」
「公式? と言う事は?」
「非公式には接触する。その中には当然調略や情報収集も含まれる。和尚には飛騨の状況を引き続き教えていただきたい。武将は治安維持と生産回復に従事しつつ情報を収集させよ」
「情報。そうですな。情報不足が今回の原因とも言えますしな。兵の損害も大きい故に暫くは回復期間を設けましょう。そう言えば親父殿も織田の将として居るんでしたな」
兄の苦痛に満ちた表情を察してか、信繁が話題を変えた。
「そうじゃったな。あれも今回の戦では1、2を争う驚愕の現場じゃったわ! あのクソ親父が! 余生を大人しくしていれば良いものを!」
「私が間を取りなしましょうか?」
快川紹喜が、親子の争いを痛ましい事と捉え助けを申し出た。
「結構じゃ! あのクソ……いや……頼めるか? ワシが表に立っては親父も憎しみしか湧かぬじゃろう。左馬助(信繁)。先ずはお主が和解の段取りを取ってくれぬか?」
「和解……? それは構いませぬが……」
信繁は兄と父の間で翻弄されたが、晴信ほどに父に対して思うところは少ない。
晴信では和解どころか一触即発になるのは容易に想像できる。
ならば適任は自分しか居ないが、ただそれでも難しい対応を迫られそうではあった。
「和解は失敗してもいい。欲しいのは織田の情報じゃ。親父はどうでも良いが、親父から真実でも嘘でも構わぬから、何らかの情報が得られれば儲けモノじゃ」
信繁の不安を見越してか、晴信は真の目的を語った。
真実なら当然、嘘であっても逆算して情報を炙り出す事は出来る。
「なるほど。ならば文でも認めましょう。まずは健康など気遣ってみますか」
「うむ。簡単には接触も出来ぬであろうが、接触すら出来ぬならソレはソレで織田の思惑は察する事もできよう」
「解りました。では和尚、まずは先触れをお願いいたす」
「承りましょう」
情報で遅れをとって、致命的な作戦失敗に繋がった武田家。
いや、最低限必要な事はやっていた。
ただ、景虎の計略が想像を絶する広大な範囲で行われていたので、高い授業料を払ったに過ぎない。
だが、同じ失敗は繰り返すわけにはいかないのである。
「よし。やる事は山積みじゃ! 弩もそうじゃが、謎の爆発兵器も詳細を調べねばならん」
景虎の計略もそうだが、信長の使った『てつはう』も、快川紹喜から凡その推測から、火薬兵器である事の当たりは付けた。
「馬が役に立ちませんでしたからな。馬を戦力とする我らにとっては頭の痛い問題です」
ただ、当たりを付けても解決できるかは別問題で、信繁には解決策は思いつかなかった。
しかし晴信は違った。
「フッ。騒音に強い馬の選別と訓練が必要じゃが、アレはそこまで頭の痛い問題ではないぞ?」
「え? 重大な欠点ですぞ!?」
「まぁ見ておれ。良い策を思いついたわ。今は大人しく内政にとりかかるぞ」
武田家は傷を癒しつつ、早速次の一手の為に動き出すのであった。
【越後国/春日山城 長尾家】
深志盆地での戦いが終わり、越後に帰還した長尾軍。
兵達は解散し各々家に帰ったが、武将級はそのまま春日山上の広間に集まり軍議を開いた。
いや、軍議というよりは、糾弾と言った方が適切であろう。
家臣の甘粕長重(景持)が口火を切った。
「殿、此度の戦は本当に、本当に予定通りなのですか? 此度の戦に長尾家の利は何処にあるのですか!?」
(『理』のう? これ以上なく明白なのじゃが、見えぬ者には見えぬであろうな)
景虎は右手で左耳の穴を穿りながら答えた。
「予定通りも予定通りよ。完璧と言っても良いぐらいにな。利は当然あるし確保もしたぞ?」
全く余裕を崩さず悪びれもせず悠然と構える景虎に、家臣達は声を荒げて遺憾の意を示す。
「利もそうですが、それよりも我ら長尾家は信頼を失いましたぞ!? 裏切りと謀略が常の乱世とはいえ、これはやり過ぎです!」
宇佐美定満が、今回の戦がもたらす結果に異を唱えた。
(……それは終わった後に言うことなのか?)
景虎は眉を少し動かしただけで聞き流した。
「四方八方に大義名分を与えたも同然でありますぞ!? 将軍を見捨て三好に喧嘩を売り誰が我らを信じましょうや!?」
長尾政景が信義を盾に迫る。
同盟者の武田の策を潰し、さらに武田北条に損害を与えた長尾家。
しかし織田連合軍に味方するかと言えばそうではなく、キッチリと敵対行動を取っている。
関係者も世間も景虎の真意を図りかねて、様々な憶測が飛び交っていた。
確かに景虎の行動に信義は微塵も感じられなかった。
(信義のう? 一度ワシに謀反を起こした貴様が言うか。犬の餌にもならぬ言葉を振りかざして何になろうか?)
景虎は鼻を掻きながら聞き流したかったが、余りの家臣の狼狽ぶりに仕方なく答えた。
「何じゃお主ら、そんな事を気にしておったのか。全く問題無いわ。我は我の信念にて動く。そこに迷いも揺らぎも無い。我等は必要な事をこの先も成すだけじゃ。懸念があるとすれば……」
そこで景虎は話を切って家臣たちを睥睨した。
「懸念はお主らよ。丁度良い機会じゃ。ワシは今から家出する」
「家……いえで……いえでええ!?」
まるで、『厠に行ってくる』と言わんばかりの気軽さで『家出』宣言をした景虎に、家臣は先程までの憤りを忘れ、怒りとは別種の大声をあげた。
「家中をまとめ、我にこの先付き従う覚悟が固まったなら探しに来い。そうでないなら我を追放し誰ぞに長尾家を継がせよ」
「え! ちょっと……!? 殿!?」
景虎は、今後の方針を命令しながら立ち上がり、イソイソと部屋を退出する。
家臣は呆気に取られて静止に入る事も出来ない。
「そうそう。我は今後長尾平三輝虎を名乗る。将軍より『輝』の字を賜ってな」
もう既に家臣の視界から消え去ろうとしている輝虎は、家出と互角のトンでもない事を言いながら屋敷を跡にした。
「てるとら……!? えぇ!?」
残された家臣たちは、正座からの膝立ちのまま呆然とするしかなかった。
将軍派閥を離脱しておきながら、『輝』の字を使うなど正気の沙汰ではない。
しかも家出をしてしまった。
輝虎の行動は、何もかも前代未聞でチグハグであった。
残された家臣達は呆気にとられる事を、これ以上無いぐらいに全身で表現するしかなかった。
そんな中、斎藤朝信が柿崎景家、直江実綱(景綱)と顔を見合わせてポツリと呟いた。
「柿崎殿。直江殿。これは色々と覚悟を決めねば成らぬようですな……?」
そんな朝信の覚悟を景家はくみ取ったのか、同様に覚悟を決めた。
「そうじゃのう。ワシは殿を擁立して長尾家を継がせたからのう。ソレが間違っていたとは思わぬが、動かねばなるまいな……。直江殿。お主はどうする?」
「我ら直江も殿を迎えた諸悪の根源の一人ですからなぁ。動かねばなりますまい」
長尾輝虎は、兄から家督を譲り受けたのであるが、ほとんど奪い取ったといっても過言ではない家督移譲であった。
しかも家臣主導で動いたのでクーデター同然の簒奪であった。
その時、直江実綱、柿崎景家は元より、ここにいる大多数は輝虎を支持し担ぎ上げた。
その責任を取らねばならぬと3人は感じ入るのであった。




